最高だった「イアン・ボストリッジ」@トッパンホール
11月24日トッパンホールで行われたイアン・ボストリッジのコンサートは、シリーズ「歌曲(リート)の森」~詩と音楽第二編~として、主にハイリッヒ・ハイネの詩に、シューマンとブラームスが曲を付けたものを中心に選曲されていた。
ボストリッジというとつい数年前までは「新鋭」という肩書きがついていたが、今や世界的なテノールの声楽家として名声を博している。
CDの録音を聴いて、身長の高いスリムな人を想像していたが、その通りだった。風貌は歌手というよりは学者、研究者に近い。それもその筈ボストリッジは、オックスフォード大学で歴史学と哲学を学び、博士号を取得して後に、本格的に歌手としてのキャリアをスタートさせた。
当日のプログラムの前書きで磯山雅という人が面白いことを書いている。それは声楽を学ぶ学生は歌曲とオペラに専攻が分かれる。歌曲を選ぶ人は、声量はもうひとつだが繊細な感受性に秀でた人が多く、その結果博士課程は歌曲の人によって占められるのだそうだ。オペラ専攻に人に叱られそうだが、適正ということからすれば、そういう面があるのだろう。
当日のプログラムは次の通り。
イアン・ボストリッジ(テノール)
ジュリアス・ドレイク(ピアノ)
シューマン:きみの顔 Op.127-2
シューマン:きみの頬を寄せたまえ Op.142-2
シューマン:ぼくの愛はかがやき渡る Op.127-3
シューマン:ぼくの馬車はゆっくりと行く Op.142-4
シューマン:《リーダークライス》 Op.24
(休憩)
ブラームス:夏の夕べ Op.85-1
ブラームス:月の光 Op.85-2
ブラームス:海をゆく Op.96-4
ブラームス:死、それは冷たい夜 Op.96-1
ブラームス:《プラーテンとダウマーの詩による 9つのリートと歌》 Op.32(*)
註)詩はいずれもハイリッヒ・ハイネで、*印の作品のみブラーテンとダウマー
ハイネの詩は詩集「歌の本」から選ばれているようで、従妹に失恋した心の悲しみを詠ったものが多い。
解説によれば、シューマンの作品はクララとの恋の悩みを重ねたものとある。
そういえば私も若かりし頃、毎夜ハイネの詩集を開き、恋の悩みに浸ったことがあったっけ。本当ですよ。
ブラーテンは「憂愁の詩人」と呼ばれ、一方ダウマーは翻訳家で今回の作品はペルシャの詩人ハーフィズの訳詩とのこと。
リートの歌手の多くは一ヶ所に立ってあまり動かないが、ボストリッジは常に身体を動かしながら歌う。舞台を前後左右に、ある時はピアノに寄りかかり、ある時は両手をポケットに入れたり胸の前で組んだり、顔も右に左に前に、それも上を向いたり下を向いたり、ジッとしていることは殆んどない。
さてコンサートの感想だが、これが実に良かった。どう良かったは言葉に表せないほどだ。例えて言えば、とても美味しい料理を食べた時「美味い!」としか言えない、それと同じである。
ボストリッジの特長は先ずは声だ、リリックなテノールで素晴らしい美声の持ち主である。どの曲も表情豊かに歌い上げるのだが、それでいて爽やかなのだ。ビールでいえば、コクがあるのにキレがあるという所だろうか。
それにドイツ語の美しさだ。人間というものは、かくも美しい言葉を紡ぐものかと感心させられる。
加えて伴奏のジュリアス・ドレイクのピアノが又実に良い。胸に染み入るような音は、時に胸が締め付けられるような切なさを覚えた。
この日の観客のマナーも良かった。歌が終わりピアノの終音が完全に消え、静寂の時を経て後に拍手が起きた。コンサートの中には、曲が終わるや否や拍手を送る野暮な客も多い昨今である。
観客も演奏会の一員であることを改めて認識した。
私が聴いたクラシックコンサートの中でも、今回がベストだったと思う。
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このコンサートは、ご一緒したかったですぅ
英国人の彼が、今ではシューベルトの連作歌曲まで高い評価を得るようになったのは、鬼才というべきでしょうか。
才能ある人は何を手がけても傑出するようですが、彼が美声にまで恵まれているのは、随分幸せな人だと思います。傑出した舞踏家や歌手は、まずその肉体を与えてくれた親に感謝すべきだと思います。
発音や歌唱の正確さにおいては、まさしくフィッシャー=ディスカウの門下であった影響かもしれませんね。どうか全盛期の長い歌手であってほしいですね。
余談になりますが、私がドイツリートの真髄を初めて知ったのは、11歳の頃にこっそり父親のLPレコードを聴いた時でして、それはヘルマン・プライが歌っている「冬の旅」でした。対訳を読みながらも、目を閉じては歌詞の内容を思い浮かべながら、失恋した男性の心境の変化や状況を理解しようとしておりました。(おませかしら?)リートとの素晴らしい出会いでした。
投稿: うさぎ | 2008/12/02 09:13
うさぎさん、コメント有難うございます。
演者、会場、観客と三拍子揃った、本当に素晴らしいコンサートでした。
クラシックコンサートの場合、客層も大事な要素ですね。
ドイツリートを歌うには、先ず美しいドイツ語を発声出来ることが肝要ですが、この点もボストリッジは申し分ありません。
うさぎさんの様に、声楽を勉強した方が聴いたら、更に感動的でしたでしょう。
「冬の旅」はバリトンの歌手とテノールの歌手では、曲の印象が全く変わります。奥が深いんですね。
投稿: home-9(ほめく) | 2008/12/02 10:01