「フランク永井」の想い出
低音の魅力で一世を風靡したフランク永井が、10月27日肺炎のため死去していたことが分かった。享年76歳だった。1985年に自宅で自殺を図って以来療養生活を送っていたが、帰らぬ人となってしまった。
もっこかつげや つるはしふるえ
唄え陽気に 炭坑節
黒いダイヤに 惚れたのさ
楽じゃないけど 13800円
たまには一杯 たまにゃ一杯呑めるじゃないか
うろ覚えで間違いがあるかも知れないが、フランク永井の初期のレコード「13800円」という変わったタイトルの歌の歌詞だ。この曲がレコーディングされた1957年当時の大卒初任給が13800円だった。
後年のフランク永井のイメージからすれば意外に思えるかも知れないが、初期の頃はワークソング系の歌を歌っていたと記憶している。
初めてのヒット曲となった同年の「夜霧の第二国道」も、歌手になる前のフランクが、トレーラーの運転手をしていた頃の体験が基になっている。
デビューはジャズ歌手で、これといったヒット曲に恵まれなかったが、無名時代のフランクのジャズ「16トン」を、ラジオで聴いたことがある。
♪おいらの商売炭鉱夫 年がら年中地の底で
石炭掘って泥まみれ まったくやりきれないよ・・・♪
といった歌詞だったと記憶しているが、これが実に良い声なのだ。低音なのだが甘く、痺れるような声なのだ。こんな声の人が日本人にいるのかと驚いた記憶がある。
結局ジャズでは売れず、2年後に歌謡曲の歌手に転向して成功していく。
1957年の「有楽町で逢いましょう」で爆発的なヒットを飛ばし、「俺は寂しいんだ」「夜霧に消えたチャコ」「君恋し」などのヒットで低音ブームを作り、歌謡界をリードしていく。
同時に「ラブ・レター」などではジャズ風、「公園の手品師」ではシャンソン風、「東京カチート」「霧子のタンゴ」ではラテン風の歌をヒットさせ、幅広いジャンルを歌いこなす歌唱力の確かさを示していた。
フランク永井のライブは2回観ている。と言ってもソロコンサートではない。その当時、レコード会社別の歌謡ショーというのがあり、確か「ビクター歌謡大行進」というようなタイトルで、ビクターレコード専属歌手が次々と登場して2,3曲歌うという形式の公演だった。フランクをはじめ、橋幸夫、三浦洸一、松尾和子(こちらからチケットを貰った)、マヒナスターズなど、綺羅星のごとくスターが揃っていた。
あの頃の歌謡ショーというと、観客が舞台めがけて紙テープを投げ、花束を渡すというのが通例だったが、フランク永井だけは司会者が「テープと花束はお断り」と告げていた。静かに歌を聴いてほしいと言うことだが、それだけフランクは別格だった。
しかし1966年の「大阪ロマン」あたりからヒットが途絶えていく。1977年「おまえに」でカムバックするが、その頃から声が落ち始め、特に低音の甘さが次第に失われていた。
自殺を図った原因はプライベートな事情によるものらしいが、声の衰えも遠因となっていたのではなかろうか。
後にも先にも、あの甘い低音を響かせた歌声は、フランク永井しかいない。
ご冥福をお祈りする。
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