やっぱり「テロのから騒ぎ」
元厚生省事務次官らに対する殺傷事件は、犯人を自称する男が警視庁に出頭して急展開した。今のところ警察は小泉毅容疑者が真犯人かどうか詰めの捜査を進めているが、状況から見て犯人である可能性が高い。動機も今後解明されるだろうが、出頭直前に報道機関に送ったメールなどによれば、子どもの頃に飼っていた犬を保健所で処分された恨みを口にしているようだ。
私にも子どもの時に同じ経験がある。飼い犬がやたら吠えるので近所から苦情が絶えず、保健所へ犬を連れて行って処分して貰った。ただこれは私自身の意志で行った点が、小泉容疑者のケースとは異なる。人間の都合で飼ったペットは、人間の都合で処分せざるを得ない。そう思ったから、以後いっさいペットを飼わないことを誓い、実行している。
ペットの処分は保健所の責任ではなく、飼い主が負わなくてはならない。
小泉容疑者のペット云々というのは自分の犯行に対する口実であって、社会への恨みといういわれ無き犯行動機が基底にあるのではなかろうか。
事件が明らかになった翌日のTVニュースと新聞各紙は、「テロ」の文字で踊っていた。マスコミ各社が一斉に「テロ」の想定に走ったのは、捜査当局の情報に拠るものだったことは疑いない。
ニュース番組やワイドショーなどにはいつもの通り、専門家と称する人物が次々と登場し、テロの可能性やらテロリストの人物像やらを解説していた。私がみた範囲では、一人だけ池田小学校や秋葉原の殺人事件と犯人像を重ねて指摘していたが、この人を除き全ては的外れだったことになる。
当ブログではこうした報道姿勢に疑問を呈し、21日付けのエントリー「テロのから騒ぎ」を掲載している。
殺人事件も恐ろしいが、こうした付和雷同型のマスコミの報道姿勢も恐い。
「テロのから騒ぎ」の背景には、捜査当局には、この事件がテロであって欲しいという一種の願望があったのではなかろうか。そこに騒ぎを大きくして視聴率を稼ぎたいマスコミが飛びついたという構図だ。
19日に麻生首相は「単なる傷害、殺人事件なのか、そうではないのか。それ以上のことは分からない段階でコメントはできない」と述べたことに対し、「政治的目的を持った暴力への感覚が鈍感過ぎる」との批判がなされたが、これは首相が正しい。珍しく麻生総理の鈍感力がまさった恰好となった。
テロであろうとなかろうと、このような事件は到底許しがたい。
今回の容疑者の動機についてある厚労省元幹部が、「こんな理由では被害者の無念が募るだろう」と述べていたが、どんな理由にせよ被害者の方々とその家族の無念に変わりはない筈だ。
社会への不満を募らせ、やがてそれが特定又は不特定の人間に対する殺意につながり暴発していくといった犯罪は、これからますます増えていくだろう。それに対する有効な手立てが無いのが、実に憂鬱だ。
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