国立能楽堂12月普及公演「合柿」「自然居士」
子どもの頃、新宿末広亭で三味線漫談の都家かつ江が高座で「ここと人形町(末広)じゃ客種が違う」と言い放った、それが「客種」―客筋、客層ともいう―という言葉を最初に聞いたきっかけだった。その後、人形町末広に行ってみて、確かに客種が違うことを実感した。
客種というのは観察してみると、なかなか面白い。芝居だって能楽、歌舞伎、新劇、大衆演劇では客種は全く異なる。劇場でもそうで、紀伊国屋ホールと明治座では客層が別だし、同じクラシックコンサートでも、オペラと歌曲とでは客筋が変わる。落語の世界でも寄席(定席)と独演会では違うし、その独演会だって小朝と談春とではやはり客種が違うのだ。
芝居を観に行った時、そんな観察をすることも興味深いものがある。
この中でも能楽の観客というのは、最もハイソな臭いがする。別にお金持ちという意味ではなく、生まれ育ちの良さそうな人が多い。私など完全な例外だと感じてしまう。外国人の多いのも能楽の特徴と言える。
国立能楽堂12月の普及公演は、狂言「合柿」と能「自然居士」の公演だった。
普及公演なので開演に先立ち、解説・能楽あんない「中世・放下僧の芸能」と題する、山路興造氏の講演が行われた。
狂言・大蔵流「合柿(あわせがき)」
シテ・山本則俊
合柿(あわせがき)とは渋抜きの柿のことで、柿売りの商人が渋柿を合柿と称して通行人に売りつけようとする。味を疑う通行人は、それなら先ず柿売り本人が食べて見せろと言い、次の口笛を吹かせる。柿が渋いので口がこわばり口笛が吹けない。渋柿がばれて通行人から懲らしめられ、柿売りは散々な目に遭うというストーリー。
今まで観た狂言の中でも最も分かり易く、このまま現代のコントのネタに使えそうな題材だ。
「面白うてやがて哀しき柿売りかな」といった所。
能・宝生流「自然居士(じねんこじ)」
シテ・當山孝道
ワキ・高い松男
アイ・山本則重
自然居士(じねんこじ)というのは実在の人物だったそうで、南北朝時代に歌舞芸能を演じながら説教する異端の宗教者だったようだ。そういう姿で民衆に仏教を布教していたのだ。
説法の最中に、亡き父母の追善にと小袖を差し出した少女が人買いに連れ去られると見て、自然居士はその後を追い、彼らの求めに応じて芸能を披露し、小袖と引き換えに少女を連れ戻すというストーリーだ。これまた今まで観た能の中では最も筋が分かり易く、まるで歌舞伎でも観ているような気分になった。
自然居士が少女を救おうとすると周囲が引き止めるが、「今の女は善人、商人は悪人、すは、善悪のニ道ここに極まりたり。」と応じ、説法より先ず実行が大事という姿勢に、中世のヒーロー像が浮かんでくる。
筋の展開がとてもドラマチックだ。
能の小鼓、大鼓、笛の音を聴いていると、いつしか音は耳で、舞台は目で追っているのだが、脳は眠るという一種のトランス状態になるのだが、これが何とも言えず心地よいのだ。
嘘だと思ったら、一度能楽に足を運んで見てください。
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