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2008/12/31

【街角で出会った美女】イスラエル編

イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの空爆は30日も続き、空爆が始まった27日以降の死者は383人に達しています。空爆は、ガザを実効支配するイスラム原理主義組織ハマスの軍事部門幹部の自宅や、自治政府ビルなどが標的とされていますが、実際には子どもを含む多くの一般市民が犠牲になっています。
ハマス側もロケット砲を打ち込んで応戦していますが、イスラエル側の死者は5人で、軍事力の圧倒的に有利なイスラエル側による一方的殺戮という結果になっています。

世界地図でイスラエルを開きますと、ヨルダン川の西岸とガザ地区がパレスチナ自治区の支配地域になっていますが、実際にヨルダン川西岸はイスラエル側が一方的に入植し、パレスチナ側の地域はどんどん狭まっています。ガザ地区は陸の孤島のような場所で、この地域だけで人々が生活を維持するのは難しいと思われます。
イスラエルの腹としては、パレスチナ側の自滅をじっと待って、やがて全地域を支配下に治めるつもりでしょう。

こうした不法なことが許されているのは、先ずアメリカの後押しがあるからです。中東地域の権益確保のためにはイスラエルを支援し、それをテコに中東全体を親米国家に改造したい、これがアメリカの最終目標です。
ヨーロパ各国はどうかというと、第二次大戦中のナチスによるユダヤ人虐殺(ホロコースト)問題が今でも尾をひいていて、イスラエルに対して毅然たる態度をとれません。それにユダヤ人に対する弾圧や差別は、別にヒットラーの専売特許ではなく、多かれ少なかれ欧州各国全体に存在していました。
ロシアも又然りで、ユダヤ人差別がひどかったのです。ロシアに住んでいたユダヤ人の100万人がイスラエルに移ったとされていますが、むしろロシアとしては渡りに船でした。
イスラエルとしては、いくら国連安保理で非難決議されようと、やりたい放題なのはこのためです。

客観的にみれば、イスラエルが周辺アラブ諸国に戦争を仕掛けているように見えますが、イスラエル側はあくまで自衛のための軍事行動だと主張しています。
イスラエルを旅行して感じるのは、イスラエル人の宗教的な使命感と、それに恐怖心です。いつ攻め込まれるか分からない、その時は再びユダヤ人に対する虐殺が行われるだろう、そういう恐怖心が支配しています。
そうなると、攻撃を仕掛けてきそうな相手に対しては、先制攻撃を行うことにより身を守るという理屈になります。イスラエルから見れば自衛のために行動だという事になります。
ツアーで一緒になった右翼のおじさんが、「日本もこうでなくっちゃ」と大喜びしていました。
自衛だとか防衛だとか一見すると聞こえが良いですが、いくらでも拡大解釈できる危うさがあります。

イスラエルでは18歳になると男女を問わず全ての(例外はあるが)国民に兵役義務があります。男子は3年、女子は1年8ヶ月の軍事訓練が義務付けられています。
この点も、右翼のおじさんは、我が意を得たりと喜んでいました。
女性の徴兵制があるのは、世界でもイスラエルだけです。
日本でいえば女子高生くらいの女の子が、マシンガンを担いでエルサレム市内を警備していました。
カメラを向けるとちゃんとポーズを取ってくれました。未だあどけなさが残るこの少女も、戦争になれば前線に投入されるのでしょう。
そう思うと胸が痛む思いです。

Photo
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2008/12/30

My演芸大賞2008

Shinosuke3年末吉例の「My演芸大賞」の発表です。
今年1年に観た演芸の中から、特に印象に残ったものを独断で選び顕彰します。
時節柄、表彰状と賞金は割愛しますので、悪しからず。

【大賞】
立川志の輔「中村仲蔵」 8月15日 国立劇場

【優秀賞】
柳家喬太郎「竹の水仙」 3月1日 国立演芸場
古今亭菊志ん「鼠穴」 12月21日 お江戸日本橋亭
柳家三三「蜆売り」 12月27日 よみうりH

【佳作】
柳家小満ん「浮世床」 8月25日 池袋演芸場
三遊亭円橘「雁風呂」 11月29日 国立演芸場
古今亭志ん輔「掛取万歳」 12月20日 ニッショーH
瀧川鯉昇「千早振る」 12月20日 ニッショーH

【特別賞】
立川談春「与話情浮名横櫛」 2~6月の5回 横浜にぎわい座

〔選評〕
今年のお盆ごろまでは不作が続き、このままでは該当作無しの年になるかと心配していましたが、終盤になって良い高座に当たるようになり、終わってみれば例年並みという結果になりました。
先ず大賞ですが、喬太郎とどちらにしようか迷いましたが、国立劇場での志の輔「中村仲蔵」を採りました。
理由は、志の輔の高座は小屋の規模に応じて観客に見せ方を変える演出の工夫がなされていることです。
落語の会場というのは、小は100名以下の規模から、300名、1000名、1500名規模、あるいは2000名を越える規模まで大きさは様々です。同じ演目を掛けるにしても、小ぢんまりとした会場と大劇場では、演出は変わります。
しかし古典落語なら崩してはいけない基本というものがあり、その兼ね合いを計るのが難しいところです。一歩間違うとケレン過多になり兼ねません。
志の輔の演出は、国立劇場の1500名の観客に満足して貰えるように、ビジュアルな趣向もこらして工夫されていました。この点が評価のポイントとなりました。

優秀賞の喬太郎の「竹の水仙」は登場人物の性格描写がしっかりとなされていて、それだから独特のクスグリやケレンも型を崩さないのです。それと、国立演芸場での喬太郎のトリには外れなしですよ。
菊志んの「鼠穴」は細部には欠点がありますが、何より骨格がしっかりとしていて、最後まで程の良い緊張感が保たれていた高座でした。二人会の相方の三三が、菊志んにとって苦手と思って選んだネタだったようですが、これから持ちネタの一つに数えれていくのではないでしょうか。
三三の「蜆売り」も登場人物の演じ分けが見事でした。もう一席の「双蝶々」と併せて一本というところです。

佳作の小満んと円橘は、円熟した芸に支えられた滋味溢れる高座でした。最近やたらハイテンションの芸人が多く、そうした中で貴重な存在です。
志ん輔の「掛取万歳」を選んだのは、近ごろは万歳を省略し「掛取」で演じるのが普通になってきました。
ここでいう「万歳」とは三河万歳のことで、かつては東京でも正月に家々を回っては、お目出度いセリフを言って、ご祝儀を貰っていました。
だからこのネタは、散々借金取りを断る場面を繰り返しながら、最後は三河万歳で目出度く締めるいう意味がこめられているのです。本来は省略してはいけない。
志ん輔の高座は珍しく最後の三河万歳の場面まできちんとやっていたこと、本職の囃子方をゲストに迎えて賑々しく演じたことが評価されます。
瀧川鯉昇の高座は、いつも客席をふんわりと暖かくしてくれます。「千早振る」での和歌を空中で字を描いて、「ここだよ」という場面が秀逸でした。

特別賞は文句無く談春の「与話情浮名横櫛」の連続公演です。5回の公演で未だ半分程度と思われ、通しで最後までとなると、もう1年掛かるのでしょう。
ただ横浜にぎわい座での談春の独演会は、チケット入手が極めて難しく、実際に全てを聴けた方は少ないと思われます。
この演目は、以前に先代馬生の公演がありますが、全編通しでの公演は、近年では例が無いでしょう。
人気に溺れることなく新たな課題に挑戦する談春の姿勢は、それこそ談志の言う「了見が良い」のであり、高く評価されます。

2008/12/29

三人集~市馬・談春・三三~夜の部

昼の部が終わって1時間ほど喫茶店で時間をつぶし、引き続き「三人集」の夜の部へ。
会場で配られたプログラムに、この会の主催者が寄席に通い始めた頃、波多野栄一の百面相の芸に撃沈したと書いている。この人の金色夜叉での貫一お宮を一人で演じる芸は正に抱腹絶倒、バカバカしいのだが、バカバカしいほど面白かった。
こうした色物のハマリ物を見い出すのも、寄席の楽しみの一つだ。

・「口上」
司会の三三が今年1年でおよそ600席高座にかけたというと、談春はその10分の1だと言っていた。談春と市馬はこの日が今年最後の高座だが、三三は大晦日にも公演があるとか。年中どこかの寄席に出ていて、その傍ら独演会などをこなしているのだから、スゴイ。新ネタはいつ稽古するのだろう。
談春からは大阪フェスティバルホールでの独演会の話題が出ていた。2700人の大会場なので、落語家の独演会は初めてらしい。ということは最初で最後か。
今年の落語界は、談春と三三の年だったかも知れない。
市馬は今年歌手デビューして、内心紅白出場を狙っていたがお呼びが掛からなかった由。来年は芸歴30周年で、記念の公演をやることになりそうだ。

・立川談春「除夜の雪」
桂米朝が得意としていたネタで、東京では恐らく談春しか高座にかけないのでは。それだけ笑いの殆んどない、演じ手としては難しいネタだ。
大晦日の寺の風景に始まり、寒中に除夜の鐘を撞く若い坊主たちの辛さ。この寺の檀家である大店の若旦那が嫁を娶るが、凄まじい姑の嫁いびりがおきる。こうした背景から次第に物語はやや怪談調に・・・。
シンミリとしたいい噺だが、いかんせん地味だ。
談春はじっくりと聴かせていたが、仲入り後が人情噺をタップリという番組になっていたので、このネタの選定はどうだったのだろうか。

・柳亭市馬「掛け取り2008」
ここ数年、暮は市馬の「掛け取り」を聴くのが恒例になってしまった。又かと思いながらも、こうして賑々しく年の瀬をむかえるのも悪くないと思ってしまう。
2008ヴァージョンって何だろうと思っていたら、仕舞いの掛け取りが家元になっていて、談志の物真似をタップリと披露して場内の喝采を浴びていた。そして最後は、ヤッパリ三橋美智也の「哀愁列車」で締める。

~仲入り~
・立川談春「棒鱈」
実際の順序は三三の2席に間に挟まれていた、昼の部と同様に「膝」での出演。時間の関係からか少し端折った「棒鱈」だったが、田舎侍(多分、設定は薩摩か長州の武士)の描写が良く出来ていて、楽しめた。
このネタといい、昼の「権助魚」といい、談春の独演会ではお目にかかる機会が無い演目で、別の一面を見た気がする。

・柳家三三「鼠小僧 蜆売り(上・下)」
物語は、
雪の降る晩、和泉屋の次郎吉親分、実は鼠小僧次郎吉が馴染みの船宿で一杯呑んでいると、そこにしじみ売りの少年が通りかかり、気の毒に思って売れ残りを全て買い取る。
少年の身の上話聞いてみると、母と姉が病気でこの少年の稼ぎで一家を支えているという。
姉というのが小春という、元は売れっ子の芸者だったのだが、大店の若旦那と所帯を持って勘当になり、二人は湯治場で暮らすようになる。
ある時その若旦那がイカサマバクチに引っ掛かり、二人が脅されていた所へ次郎吉が居合わせて、その金を恵む。ところがその時の小判は特別の刻印が打たれた、盗まれた金だった。そのため若旦那に嫌疑がかかり牢につながれてしまい、小春はそれを苦にして病に倒れる。
次郎吉としては小春たちによかれと思ってしてあげたことが、とんだ災難を生んでしまったことを知り後悔する。
そこで度胸熊という凶状持ちに頼んで、若旦那と小春を助け出す算段をするが・・・。
三三の演出は、次郎吉の風格、船頭の滑稽さ、しじみ売りの少年の健気さ、若旦那と小春の哀れさ、度胸熊の侠気、いずれも見事に演じ分けて、緊張感の中にしっとりとした雰囲気が保たれた良い高座だった。
「双蝶々」と同様に、ネタ下ろしとしては極めて完成度が高く、三三の高座としては今年のベストに上げたい。

昼夜通して延べ7時間半、決してダレル事のない、中味の濃い「三人集」だった。

2008/12/28

三人集~市馬・談春・三三~昼の部

正月は寄席だというのが一般的だが、歳末の寄席もまた良い。「掛取り」だの「芝浜」だのといった、年末にちなんだ噺を聴けるのもこの時期だ。
今を時めく人気者が顔を揃えた「三人集~市馬・談春・三三~」は、12月27日よみうりホールで開催。満員の観客が1100席を埋めていた。
この会は昨年第1回が行われ、今回が2回目となる。前回と異なるのはゲスト無しで、文字通り三人の会となったことだ。
同じ顔ぶれでの昼夜公演だが、ネタを変えるので私のように昼夜通して観た方も多いだろう。
先ずは昼の部。
・「口上」
三三の司会で始まったが、いきなり今年の三三の睾丸炎の話題で盛り上がり。今年3日間通しの独演会を2回行ったことを報告。談春は先輩後輩に挟まれるこの会は、自分にとりとても励みになると謙虚な姿勢。市馬はネタ下ろしになる今日の一席の出来を盛んに気にしていた。

・立川談春「明烏」
このネタ、実は主人公は源兵衛と太助の二人で、二人の描写の良し悪しで出来が決まる。談春はこの二人を活き活きと描き、特に二人の演じ分けが成功していた。こういう町内の札付きみたいな役どころを演じると、談春は本当に上手い。
反面、若旦那の時次郎がどうもいけない。どうやっても初心な若旦那に見えないのだ。どこか無理がある。
新内の「明烏」の浦里・時次郎の馴れ初めを落語にしたもので、「粋」でなくてはいけない。その点、談春の演出は泥臭さが強く感じられた。

・柳亭市馬「三十石」
二人からのリクエストでネタ下ろしとのこと。形は六代目三遊亭円生の形をそのまま継いでいた。
市馬らしい丁寧な演出で、終盤の三十石の舟歌では得意のノドを気持ち良さそうに披露して楽しませてくれた。ただ全体に固さが見られ、余裕が無かった。そのため、このネタの大らかさが感じられなかったのは今後の課題だろう。
後、舟歌を歌う時の太鼓と裏方の掛け声がひどい。次回の高座にかけるときは、もっと練習が必要だ。

~仲入り~
・立川談春「権助魚」
後半では、実際には三三のネタの間に挟まれて談春が一席伺っているが、順序を変えて。
談春の「膝」というのは極めて珍しいのでなかろうか。軽めのネタでこれも談春としては珍しい「権助魚」だったが、とても楽しかった。欲張りで間抜けな権助の描写が良く出来ていた。この人は実に器用だ。

・柳家三三「双蝶々(上・下)」
口上で談春が言っていたように、今回の三人集は三三が主役である。
昼、夜共に人情噺の大ネタを、それもネタ下ろしで高座に掛けるという大役だ。三三がここの所の進境著しいことを物語ると同時に、本人の自信の程を窺わせてくれる。
物語は、八百屋の長兵衛の倅・長吉は名うての悪ガキで、父親に嘘をついて義母のお光を陥れる。やがて長吉の日頃の行状を聞かされ、長吉を下谷の黒米問屋山崎屋に奉公に出す。
しばらくは真面目に働いていた長吉だったが次第に悪事に手を染めるようになり、やがて店の番頭権九郎を殺害して逐電する。そのことを苦に、長兵衛とお光夫婦は裏長屋住まい、食うにも困る生活からお光は物乞いとなって人さまの袖にすがる身分になってしまうが、それが縁で息子の長吉に再会することになるが・・・。
「下」は通称「雪の子別れ」と呼ばれる。
良い出来だった。ネタ下しとは思えない完成度の高さで、緊張感のある高座だった。酒飲みの父、ワルの倅、献身的な義母、もう一人のワル権九郎、それぞれの性格描写もしっかりと演じ分けていた。
お光は哀れな中に色気があり、この人は女形も上手い。
今年の三三の進歩を如実に示す高座となった。

「夜の部」は次回に。

2008/12/27

「千葉幼児殺害事件」残された疑問

千葉県東金市の保育園児成田幸満ちゃん(5)の遺体が見つかった事件で、東金署捜査本部は12月26日、殺人容疑で無職勝木諒容疑者(21)=死体遺棄容疑で逮捕=を再逮捕しました。
また最初の逮捕容疑であった死体遺棄に関しては、千葉地検は処分保留としています。
捜査は一つのヤマ場を越えたかに見えますが、未だ多くの疑問が残されています。
最大の問題点は今のところ容疑者の自供のみで、その反面、物証に乏しいという印象を否めません。

先ず最初の容疑である死体遺棄ですが、報道では、被害者の着衣が入れられ捨てられていた袋に、容疑者の指紋がついていたのが唯一の物証のようです。
しかし遺体を遺棄したのであれば、被害者の遺体や着衣から指紋が出なければ変です。手袋をしていた可能性はありますが、それならなぜ袋には指紋が残されていたのでしょうか。
こうなると、最初の死体遺棄についても未だ立証がされていないと思われます。

次に殺害容疑についてですが、捜査本部の発表では、
・勝木容疑者は幸満ちゃんを風呂で水に沈めて殺害したことを認める供述をしている。
・動機について、自宅に来た幸満ちゃんに帰るよう促したが帰らなかったため腹が立ったという趣旨の供述をしている。容疑者の供述では、その間、幸満ちゃんが勝木容疑者の部屋で、本を読んでいたと話している。
・勝木容疑者は9月21日午前11時18分から午後0時26分までに、東金市東上宿の自宅の浴槽で幸満ちゃんを水に沈め、殺害した疑い。
とされています。

被害者が一定の時間、容疑者の自宅の中にいたということであれば、室内から指紋や髪の毛などが検出されなければいけないでしょうが、今のところ幸満ちゃんの髪の毛や指紋などは見つかっておりません。
勝木容疑者の状況からすれば、母親が帰宅するまでに完全に証拠を隠滅したとは考え難いのであり、ここでも物証が出ていないのは大きな疑問です。

次に殺害についてですが、風呂で水にうめたという発表ですが、これも本人の供述だけのようです。
法医学講座のサイトの下記URLで、溺死(水死)についての詳細な解説がなされているので、参照してください。
http://www3.kmu.ac.jp/legalmed/lect/drown.html
この中で溺死について次のように定義されています。
・溺死 drowning:体外より気道を通じて侵入した液体により、気道内腔が閉塞されて起こる死。
・溺水 (吸引した液体) による窒息。
・水浴死:冷水中に入って低温刺激によって起こる死。溺死ではない。
これによれば、同じ窒息死でも溺死と通常の窒息死では、遺体の外部及び内部所見はまったく異なるので、解剖の際の所見がどうであったかが判断材料となります。

被害者の肺の中に水が入っていたということ、髪の毛が濡れていたということから供述が裏付けられたという見解ですが、この点は雨と風呂の水とでは成分が全く異なります。
捜査当局として、容疑者の自宅の風呂に残された水と、被害者の体内及び髪の毛の中の水が同一のものであることを立証せねばなりません。

勝木容疑者の状況から、本人の自供に頼った捜査では、判断を誤ることになりかねません。
大事なことは一にも二にも証拠固めであり、その大部分は今後の捜査にかかっています。

本事件とほぼ同時期に行われた舞鶴女子高生殺害事件の捜査は、その後どうなったのでしょうか。
京都府舞鶴市の高校一年小杉美穂さん=当時(15)=が殺害された事件で、舞鶴県警は、死体遺棄の疑いで遺体発見現場の近くに住む無職の男(60)=窃盗罪で起訴=の自宅の捜索を6日間続け、12月3日終了しています。押収品はおよそ6千点に及んだとされていますが、今までのところ、事件の解明につながろような証拠は見つかっていない模様です。
強引な捜査という批判があっただけに、こちらもその行方が気になるところです。

2008/12/26

政教分離をめぐる公明党の不可解な対応

マスコミの扱いが小さく見過ごす向きもあったかも知れませんが、12月24日内閣法制局の見解を政府が閣議で撤回するという異例に事態がおきました。
発端は10月7日にさかのぼりますが、民主党の衆院予算委員会での質問です。
質問は宗教団体による政治権力の行使に関し、オウム真理教教祖が党首だった「真理党」を例に引いて、「(国会などで)多数を占め、権力を使ってオウム真理教の教えを広めようとした場合、憲法の政教分離の原則に反するか」という内容でした。
これに対し、宮崎長官は「違憲になる」と答えています。
いかなる宗教であろうと、政治権力を行使して特定の宗教を拡げようとするなら、それは憲法の政教分離の原則に反するもので、この答弁は当然のことです。

しかしこの見解に公明党がイチャモンをつけ、それを受けて内閣は次のような答弁書を決定しました。
それによると、宗教団体が支援する政党に属する者が国政を担当しても、団体が政治権力を行使することにならないという政府見解を改めて示し、「見解を変更したと受け取られかねないことは指摘の通りで、内閣法制局として撤回したい」としています。

この閣議の答弁書は明らかにおかしい。
宗教団体が支援する政党や国会議員が国政を担当することと、国家権力を行使して宗教活動を行うことは全く別の問題なので、前者の法制局見解と後者で言う従来からの政府見解とは矛盾していません。
それぞれが正しいことを主張しているわけで、わざわざ政府が法制局の見解を覆す必要は無かったのです。

もう一つ、公明党はなぜここまでこの問題に拘るのでしょうか。
もしや「国家権力を行使して宗教を広めることは政教分離の原則に反する」と改めて確認されると、何か不都合なことでもあるのでしょうか。
宗教施設を使って選挙運動をしたり、政権に参加することで布教活動を利するような行為は明らかな憲法違反であり、仮にそうした行動が行われているとすれば、我が国の政党としては不適格と言わざるを得ません。

2008/12/25

来年の阪神はメンチで勝つ、か

当ブログで今年のシーズン前に、初めて阪神タイガースの優勝を予言したが、結果は見事に外れてしまった。
評論家たちの事前の予想では3番手というのが大勢を占めていたが、私には優勝の確信があった。
金本、矢野、下柳の熟年トリオがシーズン通して活躍できる最後の年だと思ったのが第一の理由、
第二は新井の加入で打線に芯が出来ると期待できたこと、
そして第三は抑えを含めた投手陣が6球団の中で最も安定していると判断していた。
中盤までは正に私の予想通りの展開で、早々と勝利宣言までしていたが、終盤まるでツキに見放されたように崩れてしまった。それでも例年なら優勝は出来ただろうが、巨人が余りに調子良過ぎた。
今年優勝出来なかったのは、返す返すも残念だった。

さて来年のタイガースだが、優勝はかなり難しいだろう。
FAもドラフトも思惑通り行かなかったのが痛い。最大の弱点だった先発陣の補強に失敗したツケが、来年回ってくるだろう。
依然として熟年3人組の奮闘に頼らざるを得ない現実が、その全てを物語っている。
フル出場が危ぶまれる矢野の控えにいた野口が移籍したのも痛い。
若手の底上げには期待したいが、それは他球団も条件は一緒だ。阪神だけ飛び抜けるのは考えにくい。
真弓新監督の手腕に注目したいところだが、これも未知数だ。

そうなると外人選手ということになるが、今年は新外国人選手としてケビン・メンチ外野手(30=ブルージェイズ)を獲得したが、不安要因としてここ数年タイガースに入団した外国人選手は、総じてハズレが多い。
いま欲しいのは大砲であり、メンチの実績を見るとアヴェレージヒッターのようだ。クリーンアップを打てるようなら嬉しい誤算となるが、こればかりはシーズンに入ってみなければ分からない。
果たして「メンチで勝つ」となるか、期待ハズレに終わって「メンチを切る」となるか。

阪神ファンとしては、頭の痛い年になりそうな、嫌な予感がする。

2008/12/24

“KERA・MAP”公演「あれから」

12月23日、世田谷パブリックシアターでの劇団“KERA・MAP”公演、「あれから」を観劇。世田谷・三軒茶屋には何十年ぶりだろう。玉電でトコトコ行った頃のかつてのうら寂しい場末のイメージは、今はない。

[作・演出] ケラリーノ・サンドロヴィッチ
〔美術〕BOKETA
[主なキャスト] 
ニチカ/余貴美子
その夫ググ/渡辺いっけい
娘アン/植木夏十
ダダの弟ビビ/赤堀雅秋
ミラ/高橋ひとみ
その夫ミクリ/高橋克実
息子ジンタ/金井勇太
ミクリの助手ユゲ/柄本佑
ニチカとミラの恩師サキ/萩原聖人
   同    同級生パゴ/山西惇
ミラのカウンセラー/村上大樹
その助手ユウ/萩原聖人(二役)
アンのバイト仲間リク/三上真史
その恋人モナミ/岩佐真悠子

Arekara

物語は玩具メーカー(大人のオモチャ)経営者のググとニチカ夫妻、写真家ミクリとミラ夫妻という二つの家族を軸に展開する。
ひょんな事から高校の同級生だったニチカとミラが30年ぶりに再会する。二人の家族には一見すると平穏そうだが、実はそれぞれの深刻な問題を抱えていた。
二つの家族は色々な人を通して複雑につながっていて、正に禍福は糾える縄の如し。
そして二人の高校時代に起きた事件と事故が、やがて現在の家族の現実に影を落としていることが明らかになる。
夫婦・親子・兄弟といった家族愛、夫婦の倦怠、女同士の友情、中年と若者の世代間の軋轢をテーマとしたコメディタッチの芝居である。

複雑な人間関係を描きながら、それをエピソードを通して分かり易く観客に提示していく作者ケラリーノ・サンドロヴィッチの手腕は見事だ。笑いの中に不妊、不倫、カウンセリングなどの社会問題を織り込み、更にミステリー仕立てにもなっている。
約3時間の舞台は最後まで緊張感を保ち、飽きさせない。
シンプルだがインパクトのあるBOKETAの舞台デザインが効果を高めていた。

出演者は余貴美子、高橋ひとみの主演女優を中心にそれぞれ持ち味を発揮し、充実した演技を見せていた。
赤堀雅秋がエキセントリックな役柄を好演。萩原聖人のコミカルな演技と、高橋克実のふんわりと暖かい雰囲気が、刺々しさを和らげていた。
人生の不幸を一身に背負ったような男を自虐的に演じた山西惇の熱演が光る。

公演は12月28日まで。

2008/12/23

【街角で出会った美女】ミャンマー編(2)

とにかくミャンマーの軍事政権のやり方は無茶苦茶です。
現地のガイドから聞いた話によると、知り合いのガイドが、日本人観光客からどうしてもアウン・サン・スー・チーさんの自宅を見たいということで断りきれず、家の前に連れて行っただけでその日のうちに拘束され、10年間帰ってこなかったそうです。
ミャンマーでもビジネスをしている人には携帯電話は必需品ですが、これが一般には手に入らない。どうするかというと、軍人に入手を頼むことになります。そのガイドは日本円で1台70万円を吹っ掛けられ買わされたと言ってました。日本の所得水準の感覚なら、700万円位に相当するでしょうか。
ワイロの横行もひどく、交差点では警官が車の運転手からワイロを取っていました。渋滞の時でも優先的に通してくれたり、時には赤信号を青に変えてくれるそうで、効果があるのです。

その反面、農村部に行くと、かつての日本の農村風景が広がっています。赤ちゃんをおぶって遊んでいる女の子や、近所の集合井戸から桶に水を汲み、天秤棒をかついで自宅に運ぶ少年の姿を見ることができます。何か、自分たちの幼い頃の姿を見ているような、そんな懐かしい思いにかられるのです。
観光船の船着場で活躍している若い男性もいました。知的障害者でちょっとした手伝いをしてくれるのですが、それより日々ガイドたちに驚くような情報(もちろん架空の)をもたらしては、小遣いを貰っていました。「うん、そうか、有難う」と言いながら小銭を渡している姿を見ていると、こういう国はいいなあとしみじみ思います。

こうした素朴で優しい人たちが、幸せな暮らしができるような国になって欲しいと願わずにはいられません。

写真は、首都ヤンゴンのレストランのウエイトレスで、笑顔がとても素敵な人でした。処が、カメラを向けると緊張して固い表情になってしまいました。
そういえば私たちの子どもの頃も、カメラの前では緊張して固くなっていましたっけ。

Photo
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2008/12/22

「三三と菊志ん」(12/21)@お江戸日本橋亭

Sanza12月21日お江戸日本橋亭の「柳家三三と古今亭菊志ん」へ。数多い二人会の中でも、この会は非常に充実している会ではなかろうか。何より、ライバル同士が切磋琢磨する様子が好きだ。
今回は、双方相手方が「これぞ」と「意外な」ネタを1席ずつ選んで高座にかける趣向で、さてどんな演目が選ばれ、どんな出来になるか楽しみだった。

前座は柳亭市也で「道具屋」。昨日の落語会と同じ人で同じネタ。それでも前日の客はクスリともしなかったが、今日の客は結構笑っていた。雰囲気によって随分と変わるものだ。
こういう会の前座が、しばしば同じ顔ぶれになることを以前から疑問に思っていたが、どうやら使い易い(よく気が利く)前座が、どうしても指名され易いとのこと(三三の話)。これで疑問が氷解。

三三「死ぬなら今」
こちらを菊志んが意外な一席に選んだ模様。
商家の主が亡くなる時に遺言で棺桶に500両入れてくれるように頼むが、親類の者が惜しくなって贋金を入れてしまう。そこから地獄極楽で騒動が起きて・・・、死ぬなら今だ、というオチになる。
最近の世相やニュースを織り込んで喋る軽快なネタであるが、三三はこうした演目も器用にこなしていた。
この人の芸は本当に幅広く、このままだと大師匠の小さんや師匠の小三治をやがて凌駕していくのではなかろうか。スケールの大きい噺家に成長するのが楽しみだ。

菊志ん「転宅」
こちらは得意ネタだったようだ。
マクラで泰葉のことを話題にしていたが、最近噺家がこれをネタにする時は、なんだかとても嬉しそうだ。結局あの4兄弟姉妹は、皆駄目だったというわけだ。林家いっ平の三平襲名にも、辛口の評論をしていた。確かに襲名で人気を煽るやり方はあざとい。
間抜けな泥棒が良く描かれていたし、お菊に色気があり、良い出来だった。
菊志んが女形を演じると、師匠の円菊に似てくるのを初めて発見した。大看板の物真似も入れての大サービス。

~仲入り~
菊志ん「鼠穴」
一転して人情噺。
三三も言っていたが、意外なネタとして選んだようだが、どうしてどうして骨格のしっかりとした「鼠穴」で、菊志んの今年最高の収穫ではなかろうか。兄さんのセリフが時に訛ったり、いきなり標準語になったりするなど細部にキズがあったものの、全体としては緊張感のある良い高座だった。
菊志んの新しい面を見た気がする。

三三「にらみ返し」
出だしの「掛取」と同じ場面は良かったが、後半の「にらみ返し」に物足りなさを感じた。
このネタの眼目は「にらみ」が利くかどかで決まるが、三三は人相が良すぎて凄味がない。だから睨まれるだけで退散する掛取りたちの説得力が無いのだ。
八代目可楽が得意としていたが、今ならさしずめ橘家文左衛門か柳亭左龍あたりが適任かも知れない。

ガップリ四つに組んだ二人会、今回も充実した内容となった。
この度は、全体としては菊志んがやや優勢か。

2008/12/21

ビクター落語会「大感謝祭2008夜席」

Shinsuke12月20日虎ノ門ニッショーホールで行われた“ビクター落語会~蓄音機の犬~大感謝祭2008”夜席へ。5人の実力派の噺家がネタ出しして競演とくれば、当然のことながら満員。
今回の高座はDVD撮りが行われていたので、そのうちビクターから発売されると思われる。

・橘家文左衛門「道灌」
最近、中堅以下に落語家に行儀が良い人が多いので、この人のガラの悪さが貴重になってきた。マクラでいきなり「ここは消防会館だげど、きっとあちこち火をつけて儲けて、建てたんだろう。」と毒舌。高座の座布団を「租布団」と何回も繰り返していたが、確かにやや質素な座布団ではあった。
「道灌」は前座噺であると同時に大看板も演じるというネタで、単純なストーリーをどう聴かせるかが腕の見せ所だ。文左衛門ほ独自のクスグリを散りばめながら、歴史の薀蓄をしっかりと織り込んで、たっぷりと聴かせてくれた。
「七重八重」を「ななへやへ」と詠む場面で、「麻生さん」とツッコミ、会場を沸かせていた。

・桃月庵白酒「真田小僧」
前座噺が続いたが、このネタも真打が演じると俄然面白くなる。白酒の演出は古典に忠実で、子どもの仕種が良い、最近の噺家の中には、子どもを演じているにも拘らず大人にしか見えない人が多い。そうなるとこの噺の面白さは消えてしまう。
白酒は古典の本格派として着実に力を付けている。

・柳家権太楼「二番煎じ」
季節感のあるネタで権太楼の中トリ、高座に上がっただけで会場がパッと明るくなる。
前半の夜回りの場面では、喉の調子のせいか、「火の用心さっしゃりやしょう」の聞かせどころで声がかすれるなどやや低調だったが、後半のシシ鍋を囲んでの宴会場面になると完全に権太楼ワールド全開。
この人は酒を呑むのでも食べるのでも、実に美味そうだ。見ていて喉が鳴ってくる。肉とネギでは食べ方が違うなど描写も細かい。
話は変わるが、ここ2.3年権太楼が急に痩せてきたように思えるのだが、どうなのだろうか。ちょっと心配している。

―仲入り―
・瀧川鯉昇「千早振る」
こちらは登場しただけで場内がホノボノとしてくる、得がたいキャラクターだ。
和歌を手まねで説明したり、隠居が部屋の掃除を言いつけたりと独自のクスグリを入れて、実に楽しく聴かせてくれた。「千早振る」ではベストだと思う。
こういう何という事もないネタで客も満足させるというのは、大した技量だと思う。

・古今亭志ん輔「掛取万歳」
暮の高座のトリに相応しい演目を持ってきた。
掛取りに来た人の道楽に合わせて芸を披露するという、演じ手の力量が試される大ネタでもある。
志ん輔の演出は、狂歌、義太夫、芝居、喧嘩、それに万歳と多彩な技を見せてくれた。プロの囃し方をゲストに招いての熱演で、終幕を飾るに相応しい出来だった。
特に、近ごろは「三河万歳」の場面をカットするのが一般的になっていたが、ここも手抜きせず演じたのは好感が持てた。

5人がそれぞれ30分づつという今回の落語会は、久々に充実した会だった。
DVDの収録も兼ねていたせいか、演者も力が入っていて、それぞれが持ち味の最高レベルの芸を発揮していたように思う。顔付けの組み合わせも良かった。
こういう会に当たると、また次々と行きたくなる。

2008/12/20

民主に「派遣労働」を批判する資格なし(上)

現在、企業が派遣労働者を一方的に解雇する、いわゆる「派遣切り」が大きな社会問題となっています。かつては経営者というのは人員整理に手をつけることを恥とする風潮がありましたが、今はいとも簡単に従業員を切る時代となってしまいました。こうした風潮を生み出し、それを法律的に後押ししたのが「労働者派遣法」という法律です。
この法律の制定から現在に至る経緯を見てみましょう。
1986年7月1日:労働者派遣法施行
1999年12月1日:労働者派遣法改正
2004年3月1日:労働者派遣法改正
2006年3月1日:労働者派遣法改正

この法律が1986年に制定された最初の目的は、戦後「職業安定法」により間接的に労働者を雇用することが禁じられていましたが、いわゆる「手配師」による違法な派遣が行われてしました。これを規制して、派遣企業を大臣の許可制又は届出制にするというのが当初の趣旨でした。派遣の対象も特定の業務に限られていたのです。

処が1999年の改正によって当初の目的から外れ、港湾・建設・警備をのぞいてすべての業務に広げるという、派遣労働を対象業務限定から「原則自由化」へと変容させたのです。
目的は極めて明確で、企業側からの要請に基いたもので、必要な時だけ働かせ、仕事が減ったらいつでも自由に解雇できるという制度です。
自民党がこの改正を積極的に進めたのは、あくまでスポンサーの意向に沿ったものです。
この法律の改正は共産党を除く全政党、民主党や社民党などの野党も含めて賛成多数で可決、成立してしまいました。

民主党などは、この改正案の危険性に気がつかなかったのでしょうか。
そうは言わせません。
改正案を審議していた参議院労働・社会政策委員会での議論では、日本共産党の市田忠義委員により、次のような問題点が指摘されていました。
(1)派遣の対象業務の拡大により、大量の低賃金、無権利の労働者をつくりだされる、
(2)常用労働者の一部が派遣労働者へ置きかえられる。
(3)派遣労働者の保護にかかわる規定が不十分である。
などなどです。
つまり、企業側にとって都合の良いことは、裏返してみれば働く側にとって不都合だということです。

その後の派遣労働の実態を見れば、こうした指摘がほぼ的中していることが分かります。
自民党はこんな事は百も承知で立法化を図ったのですから、結果については当然予測していたでしょう。計算違いだったのは、これほど国民の怒りを買うとは思っていなかったことです。
問題は民主党や社民党などの野党であって、彼らは一体何を考えてこの法改正に賛成したのでしょうか。その点に頬被りをして、今になって急に批判しているのは、あまりに無責任ではないでしょうか。

昨日民主党など共同で、雇用4法案を参院で可決しましたが、この法案の内容はともかく、手法があまりに強引で筋が通りません。
というよりは、予め衆院で否決され廃案になることを見通して、この法案を出したものと思われます。
元々通す気などサラサラ無く、単なる言い訳だかアリバイ工作だかの手段としたことは明白です。
民主党などに言いたい。あなた方には「派遣労働」の問題点を批判する資格が無い。
もし見直しを主張したいなら自らの不明を恥じ、先ず面を洗って出直して来い。

2008/12/19

【街角で出会った美女】ミャンマー編(1)

アジアを旅行していて、この国はきっと将来は素晴らしい国になると感じるのは、ミャンマーでしょう。
気候は温暖で水資源に恵まれ、米作ではアジアでもトップクラスです。生花や果実も沢山生産されています。
森林が多く木材資源も豊富で、木材の輸出国です。
石油と天然ガスの産出国であり、鉱産品は金属資源が豊富で、ルビーやサファイアなどの宝石類も産出します。
とにかく資源が豊かな国なのです。

では、なぜ貧しいのかといえば、それは全て政治の責任、つまり軍事政権の政策が間違っているからです。彼らは自分たちの権益を守るのに必死で、国民生活を豊かにしようという努力をしていません。
石油が出ても精製設備が無いため、一度タイへ原油で輸出し、製油したものを輸入しています。
宝石類も輸出を禁止しているらしいのですが、実際には闇ルートで多くの宝石がタイなど近隣の国へ流れています。
パガンのパゴダなど、アジアでも有数の観光資源を持っていながら、観光客を受け入れに消極的です。海外からの情報流入を嫌っているからです。
ミャンマーに行くと、政治の力がいかに大事か身に沁みて分かります。

下の写真は、バスのトイレ休憩に立ち寄った土産物店の店員です。結局ツアー客の誰もが買い物をしなかったのですが、バスが出発する時こうしてニコニコと見送ってくれました。
「微笑みの国ミャンマー」ではこの素敵な笑顔こそが、最大の観光資源かも知れません。

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2008/12/17

【街角で出会った美女】トルクメニスタン編(3)

自民党の古賀誠選対委員長の自公選挙協力見直し発言が話題をよんでいる。麻生首相とは犬猿の仲である古賀氏だけに、自爆テロじゃなかろうかとも受け取れるが、果たして。
「麻生総理、今後の自公関係は?」「もう時効だろう。」
「太田代表、古賀発言への感想は?」「ソウカ、ガッカリだ。」

さてトルクメニスタンに話を戻して。私たちはイスラム教というと単一のイメージを持ちがちですが、実際には宗派や国の歴史によって大きな差があります。
特に女性の服装はまちまちで、イランのチャドルのように顔だけ出すもの、二カーブのように目しか出さないもの、アフガニスタンのブルカのように顔を網で覆うものもあれば、へシャブと呼ばれる髪だけをかくすスカーフのようなものまで、実に多彩です。
共通しているのは髪を隠すことで、これは女性の髪の毛を見ると男性が性的に興奮するからだそうです。そんなことは無いと思いますよ。第一、髪の毛を見る度に興奮していた日にゃ、身体がもたない。

服装への規制が厳しい国は、どうしても女性の社会進出が抑制される傾向にあるようです。イスラム教国の中には、女性の働く姿を殆んど見かけない国もあります。男性の従属物として一生を送るとしたら、気の毒な人生だな、などと考えてしまいます。
キリスト教だろうと、仏教だろうと、本来は女性への差別はありますが、社会の発展と共に緩和され、今日に至っています。イスラム教もそうした柔軟性がないと、これから世の中に広く受け容れられないのではないでしょうか。

トルクメニスタンなどの中央アジア諸国では、同じイスラムでも女性に服装はかなり自由です。そのためか、女性が様々な職業に就いています。これらの国の姿は、これからのイスラム教のあり方を考える上で、一つの問題提起をしていると思われます。
下の写真の女性は、トルクメニスタン国立博物館のガイドですが日本でいう学芸員で、詳細な学術的解説をしてくれました。但し余りに魅力的な人だったので、容姿に見とれていて、内容はサッパリ覚えておりません。館内は撮影禁止でしたが、たまたま玄関に現れたので許可を得て撮りました。

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2008/12/16

【街角で出会った美女】トルクメニスタン編(2)

イラクで記者がブッシュ米大統領に靴を投げましたが、日本では国民が麻生首相にサジを投げています。

さてトルクメニスタンには、中央アジアの北朝鮮という有り難くない異名が付けられています。これは先ごろ亡くなったニヤゾフ大統領の独裁ぶりが、金正日になぞられているためです。
確かに街中にニヤゾフの巨大な肖像画が飾られ、銅像には警備の兵隊まで立っています。
ニヤゾフが書いた本は義務教育の教科書となり、タバコが嫌いだから禁煙を法制化し、メロンが大好物だからメロンの日を国民の祝日にするなど、私たちからすれば常軌を逸しているかに見えます。
ニヤゾフが嫌いだからという理由で、この他、金歯、オペラ・バレー・サーカスも全て駄目。
口パクで歌うこと、若者のヒゲ、TVキャスターの化粧などが全て禁止です。
インターネットも禁止。外国から情報が入るのを嫌っているんです。でも殆んどの国民は衛星放送を見ているので、ちゃんと情報は知っています。

でも偉いのは、カスピ海から出る石油で経済が潤っているのですが、アラブの王様たちとは異なり、これを国民生活の向上に使っていることです。
教育費、医療費は無料。天然ガスが全戸に配管されていて、電気・ガス・水道など公共料金が無料だそうです。
航空運賃や長距離列車の運賃は2-3ドル、市内バスは5円程度。生活必需品の物価も、とても低く抑えられています。

独裁国家であっても、それなりに国民が納得しているのは、そのためなのでしょう。
永世中立国であって独裁国家、トルクメニスタンはそういう不思議な国です。
今日の美女は、首都アシュガバードで宿泊したホテルのフロント係です。
深夜に近い時間で、これも普通のイスラム教国では考えられません。
見つめられると、吸い込まされそうな大きな瞳がチャームポイントですね。

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2008/12/15

【街角で出会った美女】トルクメニスタン編(1)

海外で美人の多い国の一つにトルクメニスタンがあげられます。私がツアーで行った国では間違いなくベスト・3に入りますし、ツアーの他の男性客の意見でも、やはりトルクメニスタンの名前があがっていました。
60-70代のオッサンがイイ年をしてなどと非難しないでください。いくつになっても女性に関心がある内が華なのです。
なにせこの国の先祖は、シルクロードの中継地であることを利用して、旅人を拉致しては奴隷にして売り飛ばすということを生業の一つにしていましたから、混血が進んでいたんでしょうね。
美女が多いというのも、西はイラン、トルコから、東は中国の西域辺り、北はロシアと実に様々な民族の血が交ざり合った結果です。
国民の大半はイスラム教徒ですが、他の中央アジアと同様、女性の服装はかなり自由です。スカーフを被らない女性が多く、ミニやジーンズ姿の人も見かけます。
写真の女性は首都アシュガバードで食事した時のウエイトレスで、アルバイトの高校生です。彼女もミニスカートで、イスラム教国というイメージからすると、驚くような格好です。
多分ロシア系だと思われますが、目鼻立ちがくっきりとしているのが特徴ですね。

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2008/12/14

国立能楽堂12月普及公演「合柿」「自然居士」

子どもの頃、新宿末広亭で三味線漫談の都家かつ江が高座で「ここと人形町(末広)じゃ客種が違う」と言い放った、それが「客種」―客筋、客層ともいう―という言葉を最初に聞いたきっかけだった。その後、人形町末広に行ってみて、確かに客種が違うことを実感した。
客種というのは観察してみると、なかなか面白い。芝居だって能楽、歌舞伎、新劇、大衆演劇では客種は全く異なる。劇場でもそうで、紀伊国屋ホールと明治座では客層が別だし、同じクラシックコンサートでも、オペラと歌曲とでは客筋が変わる。落語の世界でも寄席(定席)と独演会では違うし、その独演会だって小朝と談春とではやはり客種が違うのだ。
芝居を観に行った時、そんな観察をすることも興味深いものがある。

この中でも能楽の観客というのは、最もハイソな臭いがする。別にお金持ちという意味ではなく、生まれ育ちの良さそうな人が多い。私など完全な例外だと感じてしまう。外国人の多いのも能楽の特徴と言える。
国立能楽堂12月の普及公演は、狂言「合柿」と能「自然居士」の公演だった。
普及公演なので開演に先立ち、解説・能楽あんない「中世・放下僧の芸能」と題する、山路興造氏の講演が行われた。 

狂言・大蔵流「合柿(あわせがき)」
シテ・山本則俊
合柿(あわせがき)とは渋抜きの柿のことで、柿売りの商人が渋柿を合柿と称して通行人に売りつけようとする。味を疑う通行人は、それなら先ず柿売り本人が食べて見せろと言い、次の口笛を吹かせる。柿が渋いので口がこわばり口笛が吹けない。渋柿がばれて通行人から懲らしめられ、柿売りは散々な目に遭うというストーリー。
今まで観た狂言の中でも最も分かり易く、このまま現代のコントのネタに使えそうな題材だ。
「面白うてやがて哀しき柿売りかな」といった所。

能・宝生流「自然居士(じねんこじ)」
シテ・當山孝道
ワキ・高い松男
アイ・山本則重
自然居士(じねんこじ)というのは実在の人物だったそうで、南北朝時代に歌舞芸能を演じながら説教する異端の宗教者だったようだ。そういう姿で民衆に仏教を布教していたのだ。
説法の最中に、亡き父母の追善にと小袖を差し出した少女が人買いに連れ去られると見て、自然居士はその後を追い、彼らの求めに応じて芸能を披露し、小袖と引き換えに少女を連れ戻すというストーリーだ。これまた今まで観た能の中では最も筋が分かり易く、まるで歌舞伎でも観ているような気分になった。
自然居士が少女を救おうとすると周囲が引き止めるが、「今の女は善人、商人は悪人、すは、善悪のニ道ここに極まりたり。」と応じ、説法より先ず実行が大事という姿勢に、中世のヒーロー像が浮かんでくる。
筋の展開がとてもドラマチックだ。

能の小鼓、大鼓、笛の音を聴いていると、いつしか音は耳で、舞台は目で追っているのだが、脳は眠るという一種のトランス状態になるのだが、これが何とも言えず心地よいのだ。
嘘だと思ったら、一度能楽に足を運んで見てください。

2008/12/13

元祖ボンテージ女王「ベティ・ペイジ」が死去

11日にベティ・ペイジが亡くなったと報じられた。享年85歳とのこと。
今の若い方には全くお馴染みが無いだろうが、1950年代に女優やモデルとして活躍した。いわゆるキワモノ女優であり、ボンデージの女王の元祖とでもいうべき女優だった。
決して美人とは言えなかったが、その刺激的ポーズで、一部のマニアには熱狂的人気があった。
例えば、下の写真のような格好を得意としていた。
これでもこのブログの品位を落さぬよう、ベティ・ペイジの画像としては最も上品なものを選んだつもり。
Betty_pages

2008/12/11

「警官の下半身露出」犯罪じゃないって、うん?

数ある性犯罪の中でどうも理解に苦しむのは、男が女性の前で下半身を露出させる「公然わいせつ罪」だ。学校の保護者などを対象に地域の安全情報を流されているが、不審者情報で最も多いのがこの下半身露出で、ほぼ毎日にように発信されている。ニュースでも度々報道されている所をみると、よほど愛好者が多いのだろ。ある種の愉快犯かも知れないが、私たちにはその面白さが分からない(当たり前か)。

北海道旭川方面本部管内に勤務する42歳の巡査長が、10月16日、聞き込みで訪問した女性宅で下半身を露出し、性的交渉を求めた。女性の母親が帰宅したためやめたが、後日母親が署に相談して発覚した。
この巡査長は「部屋に下着が干してあり、急にムラムラした」と話したという。
処がである。監察官室は事件性について「検討はしたが、犯罪に該当しなかった」と判断し、巡査本人を停職3ヶ月の懲戒処分(依願退職した)とし、署長ら上司3人も口頭注意とした。
これがなぜ犯罪で無いのか、道警に訊いてみたいものだ。

情景を想像してみよう。
女性が家に一人でいる時に警察官が聞き込みにやってくる。玄関を開けて話をしているうちに、いきなりその警官が下半身を露出させ「やらせろ」と言い出したら、女性はどう思うだろうか。先ずは恐怖心を覚えるだろう。普通なら「警察を呼ぶわよ」と叫ぶところだろうが、相手がその警察なのだ。
玄関先で下半身を露出されるだけでも恐怖だろうが、まして姦淫を迫られたのだ。
運良くそこへ母親が戻ってきたから良いものを、場合によっては暴行事件になっていた可能性だってある。

下半身露出だけなら「公然わいせつ」でもちろん犯罪だが、更に姦淫を迫ったとしたら、むしろ「強制わいせつ」ではなかろうか。
刑法第176条の条文では、「十三歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、六月以上七年以下の懲役に処する。十三歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。」となっている。
被害者の女性が恐怖心を抱いたとすれば脅迫にあたると考えられ、その場合「強制わいせつ罪」と認められれば重罪に処せられる。

北海道警の「犯罪でない」という判断は、あまりに身内に甘いものだと言わざるを得ない。
鳥井優二監察官室長は「警察官として誠に遺憾な行為。今後より一層、指導教養を徹底し再発防止に努めたい」とのコメントも、ただ空しく聞こえる。

「供託金改正案」公明党のヨコヤリ

11月21日、自民党選挙制度調査会(村田吉隆会長)は、
(1)国政選挙の供託金を選挙区200万円、比例区400万円と従来の2/3に引き下げる。
(2)衆議院小選挙区の供託金没収点を総得票の1/10から1/20に引き下げる。
公職選挙法改正案の骨子をまとめた。党内手続きを経て、議員立法として国会に提出する運びとされていた。
改正案は不十分ではあるが、方向性としては正しい。自民党であれ、なに党であれ、良いものは良い。
ところがこの提案に公明党が難色を示していて、党内手続きを先送りしたと報道されている(YOMIURI ONLINE)。
又しても「あの党」のヨコヤリだ。

以前から供託金が日本は異常に高いことが指摘されてきた。

『ウィキペディア(Wikipedia)』に外国の供託金のデータが掲載されているので、それを表にまとめたものを下記に示す。
金額は日本円で表示し、単位は千円で丸い数字で示してある。
       
表―各国の供託金比較

国名 金額(約・千円)
 イギリス 90
 カナダ 70
 韓国 1,500
 シンガポール 790
 オーストラリア(上院) 25
 オーストラリア(下院) 50
 インド 25
 マレーシア 900
 ニュージーランド 15
 アメリカ 0
 ドイツ 0
 フランス 0
 イタリア 0
 (日本)  
 衆議院小選挙区 3,000
 衆議院比例代表 6,000
 参議院選挙区 3,000
 参議院比例代表 6,000
表から明らかなように、日本の供託金は突出している。
供託金制度というのはイギリスが発祥の地とされるが、そのイギリスも金額は約9万円だ。

供託金というのは、選挙に立候補した候補者が供託所に一定金額を供託し、得票数が一定の基準に達しない場合に没収される。
候補者の乱立を防ぐためというのを理由にして設けられているが、実際には現職議員の権利を守るという側面が強い。つまり競争者を制限して自らの身分を守る一種の既得権なのだ。
国民が政治に参加する権利=参政権の中で、最も大事なのは選挙に立候補できる比選挙権と、選挙で投票できる選挙権だ。
この権利を制限することは、民主主義の根幹にかかわることなので、極力避けなければならない。
どの政党が有利だとか不利だとか、思惑がどうとかいう次元の問題ではない。
国民の参政権にかかわる大切な事なので、ぜひ実現して欲しかった。

なお民主党もこの提案には反対しているが、それなら「民主」党という名前を変えねばなるまい。

2008/12/10

「千葉女児殺害事件」記事の補足

千葉県東金市の当時5歳だった成田幸満(ゆきまろ)ちゃんが殺害された事件で、遺体を遺棄したとして逮捕され取調べを受けている勝木諒容疑者に関する報道について、一部どうしても腑に落ちない部分があるとした記事を書いたところ、予想を超える反響がありました。同じように感じられた方が多かったのだなと、改めて認識した次第です。
この中で、「過去の冤罪事件でも、知的障害者が犯人に仕立て上げられると言うケースがあり」と書きましたが、この点もう少し補足したいと思います。

今回、近所に住む知的障害者が逮捕されたという一報を聞いた時、一番最初に頭に浮かんだのが「島田事件」でした。それは昭和29年3月10日、静岡県島田市で当時6歳の少女が幼稚園から何者かによって連れ出され、13日になって大井川沿いの雑木林で絞殺されているのが発見された事件です。
2ヵ月後に島田市出身で知的障害者の赤堀政夫さん(当時25歳)が逮捕されました。実は少女を連れ去った男については複数の目撃者がいて、モンタージュも作られていたのですが、それと赤堀さんとは似ても似つかなかったため当日釈放されました。
しかし放浪癖があり窃盗罪で捕まったことのある赤堀さんは、「馬鹿で前科者」というレッテルが貼られていて、警察はあくまで赤堀さんを犯人と見做していました。結局、盗みの罪で別件逮捕されました。当初は否認していましたが、過酷な取調べの結果犯行を自供し、赤堀さんは殺人罪で起訴されました。
証拠は唯一、少女の胸を殴打し死に至らしめたという拳大の石だけでした。

公判に入ってから赤堀さんは一貫して否認しましが、1、2審とも死刑判決が出され、昭和30年最高裁で上告が棄却され、死刑が確定しました。
数度の再審請求の結果、昭和61年になってようやく再審が開始され、平成元年無罪判決がだされ無罪が確定します。
実に34年の月日を要したこの事件、確定死刑囚が無罪となった戦後4例目になりました。
それだけ再審で無罪になるのは難しいことなのです。
決め手は再鑑定で、凶器が石ではないとされたことで、唯一の物証が否定されたものです。

これとは別に、昭和54年9月11日、千葉県野田市で当時7歳になる小学校1年の少女が殺害される事件が起きています。
この時も近所に住む知的障害者Aが逮捕され、やはり当初は否認していましたが、その後自供し殺人罪で起訴、裁判が行われました。
この事件は「野田事件」と呼ばれています。

精神鑑定の結果では、Aは「知的年齢は4歳から6歳程度の重傷痴愚」と診断されましたが、訴訟能力について「ないとは言えない」として結論保留のまま起訴されています。
物証と言えるのは唯一、被害者が持っていた赤いバッグのネーム部分が切り取られていて、その断片と思われるものがAの定期入れから見つかったということです。
この事件でも公判で被告は否認しましたが、1、2審で懲役12年の判決が出され、1993年には最高裁で上告棄却され刑が確定、服役して後に出所しています。
Aは現在無罪を主張し、再審請求を行っています。

この二つの事件には次のような共通性があると見られ、今回の勝木容疑者の取調べで同様のことが起きる可能性を懸念したものです。
一つには、こうした少女殺害事件は性的事件と見做され→変質者の犯行と推測され→近くの挙動不審者が疑われ→知的障害者に容疑がかけられる、というストーリーが存在します。
世間も近所に変な人がいると、ついついアイツが怪しいということになり、それが又捜査にも影響するわけです。
これにマスコミが輪をかけて大量の情報を流し、アイツが犯人に決まっている世論が形成されて行きます。
次に物証に乏しいという点です。確たる証拠がなく、その乏しい証拠が実際の犯行と矛盾しているとなると、後は自供に頼らざるを得なくなります。
三つ目には、その自供が曖昧だったり証拠と矛盾すると、知的障害者だから仕方が無いと判断されてしまうことです。その一方、厳しい尋問に同調し易いという特質が逆に利用されたりもします。

私自身も娘を育て、今また幸満(ゆきまろ)ちゃんと同じ年の孫娘の面倒を見ており、この事件は決して他人事ではありません。ご家族のことを思うと胸が詰まる思いです。
それだけに早期解決を願うと同時に、ズサンな見込み捜査で真犯人を取り逃がすことの無いよう願っています。

2008/12/08

「千葉女児殺害事件」報道の腑に落ちない部分

千葉県東金市の当時5歳だった成田幸満(ゆきまろ)ちゃんが殺害された事件では、遺体を遺棄したとして近所に住む勝木諒容疑者(21歳)を逮捕して取り調べているが、報道を見ていると、どうも腑に落ちない部分がある。
それは事件後に勝木容疑者が不特定の成人女性の後をつけたり、声をかけるなど不審な行動を繰り返していた点である。
取材中の女性記者の後をつけたり、同じマンションに住む若い女性の後をつけて玄関前まで行き、インターホンを押していたとのことだ。
千葉県警が勝木容疑者に目を付けたのも、こうした不審な行動からだった。

事件は大々的に報道され、連日捜査陣は近所の聞き込みをしていた。勝木容疑者自身も警察に聞き込みを受けていた。
もし彼が犯人であったら、事件の後のこの時期になぜ不審な行動を繰り返していたのだろう。普通なら極力目立たぬよう大人しくする筈だ。そこがどうしても不自然なのだ。

勝木容疑者は2001年東金市内の病院で、「精神発達遅滞」と診断されている。
知的障害者に交付される療育手帳では5段階のうち最も軽度な「B2」で、地元の養護学校高等部を卒業後の2005年4月からは隣の山武市にある寝具会社に就職し、事件前まで仕事を続けていた。
障害の程度が軽いし仕事もしていたということだが、少なくとも映像で見る限りでは、障害の程度はそれほど軽いものではなさそうだ。

そうなると、勝木容疑者の不審な行動の理由は二つ考えられる。
一つは、真犯人では無いという可能性だ。それなら事件前から若い女性に声掛けを行っていたのだから、事件後も同じように続けていても不思議は無い。
過去の冤罪事件でも、知的障害者が犯人に仕立て上げられると言うケースがあり、この点は注意が肝要だろう。
もう一つは、女児を殺害する重大事件を起こしたという自覚が本人に全く無い場合である。そうであれば、事件後も不審な行動を続けた理由も分かる。
後者の場合、問題となるのは犯行時の責任能力の有無だ。精神鑑定の結果によっては、無罪、あるいは減刑となる可能性が出てくる。

知的障害者を持って苦労されている親御さんは、全国に沢山いる。
本来はそうした苦しみを分かち合い、抱えていける社会が望ましいのだが、現状は程遠いのだ。
今回の件で、そうした方々がますます苦境に追いやられるとしたら、とても切ない。
いずれにしろ、容疑者が逮捕されても心の晴れない事件である。

2008/12/07

こまつ座公演「太鼓たたいて笛ふいて」

Photo井上ひさし率いる「こまつ座」第八十七回公演は、「太鼓たたいて笛ふいて」。12月6日の紀伊国屋サザンシアターでの舞台を観劇。大竹しのぶをナマで見たいというのが、最大の目的。
主なスタッフとキャストは次の通り。
井上ひさし・作 
栗山民也・演出
宇野誠一郎・音楽
<キャスト>
大竹しのぶ (林芙美子)
木場勝己 (三木孝)
梅沢昌代 (林キク)
山崎一 (加賀四郎)
阿南健治 (土沢時男)
神野三鈴 (島崎こま子)
ピアノ演奏・朴 勝哲

この芝居は林芙美子の後半生をミュージカル風に仕立てた音楽評伝劇で、物語は昭和10年から26年までの間、つまり日中戦争前夜から、戦中を挟んで終戦後に至る時期を描いている。
林芙美子の評伝といえば、直ぐに森光子主演の「放浪記」が頭に浮かぶ。あの芝居がスタートした当時、ある新聞の劇評で、演劇の「放浪記」は肝心の部分が抜けている。それは林芙美子の戦時中の姿であって、そこを抜かしては彼女の本当の姿は描けないという主張だった。確かに「放浪記」は実に良くできた芝居だが、作家としての林芙美子が十分に描かれているとは言い難い。
演劇の「放浪記」の作者は菊田一夫だから、戦時中のことは書かなかったのだろう。
作者の井上ひさしは、その辺りを念頭に置いて、この作品を書いたのではなかろうか。
例えていうなら、「蒲田行進曲」のアンチテーゼとして山田洋次が「キネマの天地」を書いたように、である。

人気の女流作家の林芙美子は、従軍作家として南方戦線や満州や南京に派遣され、専ら戦意高揚のための記事を書く。しかし戦争の末期になると突然、「負けぶりのうまさを考えなければならない」と言い出し、当局の監視の対象になる。
そして終戦後、戦争未亡人や傷痍軍人など戦争で傷付いた人々を対象に、身を削るように猛烈な勢いで数多くの作品を書き出し、47歳で死んでいく。
林芙美子のこの「なぜ」を追及するのがこの芝居のモチーフであり、その答を彼女のセリフ「もっと書かなくてはね。わたしたちが自分で地獄をつくったということを・・・」で表現させている。

シリアスで暗くなりがちな舞台を音楽劇に仕立てることで、泪と笑いに包まれた実に楽しい芝居に仕上げている。
出演者はたったの6人だけだが、いずれも芸達者を揃えた。
先ず主役の大竹しのぶ、これが唸るほど上手い。セリフの、動作の一つ一つが研ぎ澄まされ、それでいて柔らかいのだ。島崎藤村の「椰子の実」を朗読する時の声の美しさ、もうウットリとしてしまった。レイテ島で戦死したとされていた土沢時男が生還し戻ってきた時の、深々とお辞儀をしてたった一言「おかえりなさい」と言う場面、万感の思いが込められていて胸が詰まる。こういう演技こそ、役者の腕の見せ所なのだ。

常に時流に乗って、世の中の動きを先取りするように動く三木孝役の木場勝己がまた、実に良い味を出していた。一見、お先棒担ぎだけのようでいて、芯が通っているという難しい役どころを好演し、芝居全体を盛り上げていた。この人がいなかったら、この芝居の価値は半減するだろう。
芙美子の母親役という老け役を演じた梅沢昌代の飄々とした演技も忘れられない。
島崎藤村の姪であるこま子を演じた神野三鈴は気品と一途さが感じられた。
土沢時男を演じた阿南健治は、悲惨な運命を面白おかしく語る泣き笑いの場面が秀逸だったが、喉の調子のせいか声が割れるのが気になった。
山崎一、この人だけが初役だったせいか、全体にやや固さが見られた。

さすがは数々の演劇賞を受賞した芝居だけあって、作品、演技共に申し分ない。
今年ベストの演劇だった。

2008/12/06

加藤周一氏を悼む

Kato_shuichi_212月5日、加藤周一氏が亡くなった。享年89歳だった。つい最近まで元気で活躍されていたように記憶しているが、今年に入ってガンがみつかり自宅療養を続けていたとのこと。
加藤周一氏についてはお目にかかったこともないし、直接薫陶を受けたこともないが、著作の何冊かを読んでいて、そのあまりの博学ぶりに予てより敬意を抱いていた。
一中、一高、東京帝大医学部というコースを歩み、国内外の大学で教鞭をとったと聞くと、いかにもエリートと思われ勝ちだが、「居酒屋の加藤周一」シリーズなど読む限りでは、酒好きの気さくな物知りオジサンという印象が強い。
加藤氏は評論家という肩書きにはなっているが、本来は医師であり、作家であり、詩人でもあった。一つのジャンルに括れないくらい、幅広い知識人だったと言えよう。

加藤氏の代表的著作では、「日本文学史序説」が先ずあげられる。上巻は1975年(下巻は1980年)の発行だが、会社の上司の薦めで購入した。20代の頃で、日本の古典文学などというものに殆んど縁が無かったのだが、著者の知識の広さと深さに驚かされた。その対象とされているのは文学のみならず、芸術や宗教に至る、要は日本の思想史ともいえる内容だった。
日本文化の森に分け入って、その草木の一本一本を手に取り観賞して論評するかのごとき作業を一人の個人によってなされたということは、驚異的としか言い様がない。
20代でこういう本に巡り合えたということは幸せであったし、今の若い人にも是非一読をお勧めしたい。

その一方、「幻想薔薇都市」(1973年)は、海外での女性との恋愛をモチーフにした連作短編小説集で、加藤氏の粋な側面を見せていた。

海外での生活が長かった加藤氏の目は、海外から日本を、日本から海外を見るという視点に立っていた。
同時に日本という国が本当に好きだったのだと思う。そうでなければ、あれ程膨大な日本文学を読みこなすなどという意欲は出てこないだろう。
晩年に至るまで日本社会への関心を失わず、しかも国の未来に決して失望していなかった。
そういう意味で私は、加藤周一氏のような人が真の愛国者であると思う。
「九条の会」の呼びかけ人の一人だったのも、その姿勢の延長上にあったのだと思う。

心よりご冥福をお祈りする。

2008/12/05

「忠臣蔵」ならぬ「忠犬蔵」

3人が死傷した元厚生次官宅連続襲撃事件で、埼玉県警と警視庁は殺人と殺人未遂の疑いで、12月4日無職小泉毅容疑者を再逮捕するとともに、合同捜査本部を設置しました。
小泉毅容疑者は「両事件とも自分がやったことに間違いない」と容疑を認めています。自供の裏付けや物証も揃っており、事実関係は間違いないでしょうから、今後は動機の解明に捜査の焦点は移っていくものと思われます。

「今回の決起は、保健所に家族を殺されたあだ討ちだ」、小泉容疑者はこれまでの調べでこう主張し続けています。「家族」とは、34年前に保健所で処分された飼い犬のチロのことです。小泉容疑者は処分の日を「1974年4月5日の金曜日」と正確に覚えているそうで、この事への拘りを示しています。
これではまるで「忠臣蔵」ならぬ「忠犬蔵」ですね。
容疑者の動機や心理が理解できないという声が強い。しかし過去の重大事件を振りかえっても、犯人の動機や心理がどこまで解明されているでしょうか。裁判の冒頭陳述や判決の中で動機に言及され、一応モットもらしい理屈は付けられていますが、それが真実であるかは大いに疑問です。
飼い犬のために人を殺す筈がないとうのは、世間一般の人の感覚であって、容疑者の思い込みとは大きなズレがあって当然です。

この件では社会学者や心理学者、評論家などが様々な分析を行っていますが、気になることがいくつかあります。
事件の背景として「社会の閉塞感が根底にある」と述べていた人がいましたが、よく耳にする「社会の閉塞感」って一体どういう意味なのでしょう。これが調べても分からないんですね。

「閉塞」という言葉の意味を辞書で調べると、こうあります。
(1)閉じてふさぐこと。ある部分をふさいで他の部分との連絡を断つこと。
「港の出入り口を―する」「気孔を―するときは/福翁百話(諭吉)」
(2)は気象の用語なので省略。

「閉塞」とは本来はつながっているものが、ある部分をふさぐことによってつながりを絶つという事ですね。そうすると「閉塞感」というのは、つながりが絶たれたと感じるということでしょうか。
それは事実としてつながりが絶たれているのか、それとも個人が勝手につながりが絶たれていると思い込んでいるのか、この辺りが不明確です。それに「社会の」って何ですか。人間社会を指すのか、ある特定の社会を指すのか、今の社会という意味なのか、とにかく定義が不明確です。
もし「今の社会」を指すのであれば、過去のどの時代の社会と比べているのでしょうか。ますます分からない。
小泉容疑者についていえば、彼が自分で勝手に社会とのつながりを絶っていったように思えるのですが、違いますかね。

そして又も出てくる「心の闇」という言葉です。
「心の闇」って一体何ですか。心の中が分からないから「闇」と言っているのではないでしょうか。それなら分からないで済ませれば良い。
小泉容疑者の心境も理解できないけど、「時代の閉塞感」だの「心の闇」だのと不明確な言葉を使って、この事件の背景を説明しようとしている人の神経は、もっと分かりません。

2008/12/03

【街角で出会った美女】 タイ編

タイのソムチャイ政権崩壊を受けて、新バンコク国際空港(スワンナプーム空港)など2空港を占拠していた反政府団体・民主主義市民連合(PAD)は、3日朝からようやく撤収を始めました。取り敢えず5日には空港の使用が再開されるようですが、この政争がこのまま終結に向かうとは思われません。というのは、今回の騒動は、タクシン元首相を中心とする親政府勢力対タクシンに反対する反政府勢力との争いが根底にあります。
元にさかのぼれば、2006年のタクシン政権の成立と、その直後の起きた軍事クーデター、それに引き続く軍事政権の支配、そして今年ようやく選挙が行われて民政に復帰したのに、又ここで政権が崩壊したというわけです。

バンコク空港閉鎖で現地に取り残された日本人がTVインタビューで、こんな穏やかな国でなぜなどと言っていましたが、それは不勉強ですね。
第二次大戦後、タイでは度々軍事クーデターが起きており、1976-1991年までの間は軍事政権が続いていました。これからも二転三転あるでしょう。
日本政府の河村建夫官房長官は3日午前の記者会見で、タイのソムチャイ政権の崩壊について「早く安定政権を樹立し、1日も早く平穏を取り戻してもらいたい」と述べていますが、明日は我が身かも知れないですよ。

タイは近代になって植民地支配を受けたことの無いという点では、アジアでは日本と共通しています。
大戦当時は一方で日本と同盟しながら、片方でイギリスに通じるというシタタカな外交を展開して、戦後の地位を築きました。
現在も親日色が強い国で、毎年日本から大勢の観光客がタイを訪れています。特にバンコクは大人のテーマパークといっても良い位、遊ぶにはもってこいの街です。
女性を求めて訪れる男性も多く、夕方レストランに入ると、いかにもという様な日本人男性と現地女性のカップル(それも集団で)が沢山見られます。腹がへっては戦ができぬという訳でしょうか。

不謹慎なことを書いてきましたが、バンコク市内で買い物をした時のブティックの店員で、とても品の良い美しい女性だったのでカメラに収めたものです。
Photo_2
  (クリックで画像が拡大)

2008/12/02

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2008/12/01

「高校寮に喫煙室」そんなに悪い事なのか

愛知県新城市の私立黄柳野(つげの)高校で、生徒寮に喫煙場所が設けられているとして、愛知県警が県青少年保護育成条例違反容疑で同校を家宅捜索した。今後、容疑が固まり次第、学校関係者らを書類送検するとのこと。今日のニュースでも校長らが謝罪の会見を開いていた。
でもこの件、果たして警察が家宅捜査したり、書類送検したりするほどの犯罪なのだろうか。

違法かと言われりゃ、それは違法だ。しかしこの世の中、違法だからといって片っ端から捕まえれば良いというもんじゃないだろう。
例えば我が家の近くに警察署があり、朝晩には沢山の警察官が自転車に乗って走る姿を見る。道交法では自転車は車道を走ることになっているが、警官も全員が歩道(歩道通行可を示す標識の無い道路)を走っているし、もちろん歩道を走る通行人を注意する警官など一人もいない。
幹線道路で通行量がとても多く、車道を走ると危険だからみな歩道を走る。
厳密には違法だが、現実の前には大目に見ざるを得ない、世の中にはそういうことは沢山あるのだ。

学校での喫煙問題、これは多くの関係者が頭を悩ましている。タバコを吸うなと注意して済めば、こんな楽なことはないが、そんな簡単な問題ではない。
私の友人が教師をしていた定時制高校でも、教員の間で激論の結果、校内に喫煙コーナーを置いたという。恐らく似たような事情の学校は他にもあるだろう。
黄柳野でも喫煙については以前から生徒に注意していたが、今年の9月5日には、喫煙をした1年生の生徒を呼び出して暴行し、けがを負わせたとして2年生、3年生の生徒計5人が愛知県警傷害容疑で書類送検される事件がおきている。
又、校内に吸い殻が散乱するなどし、昨年1月には女子寮でボヤが発生し、出火原因に喫煙の可能性があったとされる。
学校側としても色々苦心した挙句、決して最善とはいえないが次善の策として喫煙室を設けたものと思われる。
校内や寮内での喫煙だけを取り締れば、生徒は外でタバコを吸うことになる。学校は山間部にあり、喫煙が原因で山火事でも起こせば、それこそ大惨事に結びつきかねない。
こうした事情から、それこそ苦渋の選択をした結果ではなかろうか。

黄柳野高校は1995年4月に開校した全寮制の高校で、不登校などの生徒を全国から受け入れ、男女別の寮は敷地内にある。
そうした問題のある生徒を抱えて悪戦苦闘しているのなら、警察もいきなり処罰するのではなく、なぜもっと手を差し伸べてあげようとしないのだろうか。
どうも今回の愛知県警のやり方は腑に落ちない。

それでも「被害者参加制度」には反対だ

当ブログを読んでいる方はご存知の通り、私は刑事事件に関しては「厳罰主義」であり、「死刑制度維持」を主張しています。であるからこそ、裁判の「疑わしきはこれを罰せず」の原則は崩してはいけないし、裁判が公正に行われるべきだと考えます。
裁判は決して復讐の場であってはならないし、それだからこそ事件と利害関係を持たない人間によって裁きが行われるのです。
今日12月1日から、被害者やその遺族が刑事事件に直接参加できる「被害者参加制度」がスタートしますが、この制度が裁判の公正を妨げるのではないかと危惧するものです。

私がこう考えるのは、若い頃のある事件の記憶が鮮明に残っているからです。
その事件というのは1949年8月17日に起きた、東北本線・金谷川~松川間で列車が転覆し乗務員3人が死亡した「松川事件」です。
この事件で、当時の国労や東芝の労組員ら20人が逮捕・起訴され、第1審は死刑5人を含む全員有罪の判決。第2審は死刑4人を含む17人が有罪との判決が出されました。
私はこの事件の裁判記録を読んで、判決は明らかに誤っており、被告は無罪が相当と考えるようになりました。
果たせるかな、上告審では最高裁が1・2審を破棄して仙台高裁へ審理を差し戻し、結局1961年高裁で全員の無罪判決が言い渡されました。

この事件の最高裁判決は7対5の僅差であり、 逆に4人の死刑を含む17人の判決が確定していた可能性も十分あったわけです。
判決の出た翌日の新聞に、被害者の家族(確か奥様だったと記憶している)の方が、これでは死んだ人間が浮かばれず判決は納得できないという談話が載っていました。
確かに被害者遺族の感情としては、10年以上も「この人たちが犯人だ」と信じ込んできたのがいきなり逆転するのですから、納得できないと主張するのは当然だと思われます。
しかし被害者感情だけを重視して、何が何でも有罪にするというのであれば、これは法治国家とは言えません。
もし、その当時に被害者の遺族の裁判参加が認められていて、遺族による最終陳述や量刑への意見が述べられていたら、裁判官の7対5という僅差があるいは逆転していたかも知れません。
日本の刑事裁判では、逮捕起訴された被告の有罪率が極めて高いため、世間はどうしても被告=犯人と見做してしまう傾向があります。ましてや被害者やその遺族からすれば、そうした感情は一層強くなるでしょう。裁判の公正が保たれないのではないかと危惧するのは、この点です。

これとは逆に、被害者あるいはその遺族の中には、宗教的信念などの理由から、死刑などの厳罰を望まないケースがあります。そうした方々が裁判の中で低い量刑を主張した場合、やはり判決に影響が出ないとは言えないでしょう(特に死刑判決では)。
これも裁判の公正を歪める結果となる可能性があります。

刑事事件というと、私たちは被害者やその家族になった場合のみ想像し勝ちですが、思いもよらず「加害者」や被告の立場に立たされるケースだって、決して皆無ではありません。
そうした両面を考慮した上で、今回の「被害者参加制度」を見ていく必要があると思います。

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