加藤周一氏を悼む
12月5日、加藤周一氏が亡くなった。享年89歳だった。つい最近まで元気で活躍されていたように記憶しているが、今年に入ってガンがみつかり自宅療養を続けていたとのこと。
加藤周一氏についてはお目にかかったこともないし、直接薫陶を受けたこともないが、著作の何冊かを読んでいて、そのあまりの博学ぶりに予てより敬意を抱いていた。
一中、一高、東京帝大医学部というコースを歩み、国内外の大学で教鞭をとったと聞くと、いかにもエリートと思われ勝ちだが、「居酒屋の加藤周一」シリーズなど読む限りでは、酒好きの気さくな物知りオジサンという印象が強い。
加藤氏は評論家という肩書きにはなっているが、本来は医師であり、作家であり、詩人でもあった。一つのジャンルに括れないくらい、幅広い知識人だったと言えよう。
加藤氏の代表的著作では、「日本文学史序説」が先ずあげられる。上巻は1975年(下巻は1980年)の発行だが、会社の上司の薦めで購入した。20代の頃で、日本の古典文学などというものに殆んど縁が無かったのだが、著者の知識の広さと深さに驚かされた。その対象とされているのは文学のみならず、芸術や宗教に至る、要は日本の思想史ともいえる内容だった。
日本文化の森に分け入って、その草木の一本一本を手に取り観賞して論評するかのごとき作業を一人の個人によってなされたということは、驚異的としか言い様がない。
20代でこういう本に巡り合えたということは幸せであったし、今の若い人にも是非一読をお勧めしたい。
その一方、「幻想薔薇都市」(1973年)は、海外での女性との恋愛をモチーフにした連作短編小説集で、加藤氏の粋な側面を見せていた。
海外での生活が長かった加藤氏の目は、海外から日本を、日本から海外を見るという視点に立っていた。
同時に日本という国が本当に好きだったのだと思う。そうでなければ、あれ程膨大な日本文学を読みこなすなどという意欲は出てこないだろう。
晩年に至るまで日本社会への関心を失わず、しかも国の未来に決して失望していなかった。
そういう意味で私は、加藤周一氏のような人が真の愛国者であると思う。
「九条の会」の呼びかけ人の一人だったのも、その姿勢の延長上にあったのだと思う。
心よりご冥福をお祈りする。
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