こまつ座公演「太鼓たたいて笛ふいて」
井上ひさし率いる「こまつ座」第八十七回公演は、「太鼓たたいて笛ふいて」。12月6日の紀伊国屋サザンシアターでの舞台を観劇。大竹しのぶをナマで見たいというのが、最大の目的。
主なスタッフとキャストは次の通り。
井上ひさし・作
栗山民也・演出
宇野誠一郎・音楽
<キャスト>
大竹しのぶ (林芙美子)
木場勝己 (三木孝)
梅沢昌代 (林キク)
山崎一 (加賀四郎)
阿南健治 (土沢時男)
神野三鈴 (島崎こま子)
ピアノ演奏・朴 勝哲
この芝居は林芙美子の後半生をミュージカル風に仕立てた音楽評伝劇で、物語は昭和10年から26年までの間、つまり日中戦争前夜から、戦中を挟んで終戦後に至る時期を描いている。
林芙美子の評伝といえば、直ぐに森光子主演の「放浪記」が頭に浮かぶ。あの芝居がスタートした当時、ある新聞の劇評で、演劇の「放浪記」は肝心の部分が抜けている。それは林芙美子の戦時中の姿であって、そこを抜かしては彼女の本当の姿は描けないという主張だった。確かに「放浪記」は実に良くできた芝居だが、作家としての林芙美子が十分に描かれているとは言い難い。
演劇の「放浪記」の作者は菊田一夫だから、戦時中のことは書かなかったのだろう。
作者の井上ひさしは、その辺りを念頭に置いて、この作品を書いたのではなかろうか。
例えていうなら、「蒲田行進曲」のアンチテーゼとして山田洋次が「キネマの天地」を書いたように、である。
人気の女流作家の林芙美子は、従軍作家として南方戦線や満州や南京に派遣され、専ら戦意高揚のための記事を書く。しかし戦争の末期になると突然、「負けぶりのうまさを考えなければならない」と言い出し、当局の監視の対象になる。
そして終戦後、戦争未亡人や傷痍軍人など戦争で傷付いた人々を対象に、身を削るように猛烈な勢いで数多くの作品を書き出し、47歳で死んでいく。
林芙美子のこの「なぜ」を追及するのがこの芝居のモチーフであり、その答を彼女のセリフ「もっと書かなくてはね。わたしたちが自分で地獄をつくったということを・・・」で表現させている。
シリアスで暗くなりがちな舞台を音楽劇に仕立てることで、泪と笑いに包まれた実に楽しい芝居に仕上げている。
出演者はたったの6人だけだが、いずれも芸達者を揃えた。
先ず主役の大竹しのぶ、これが唸るほど上手い。セリフの、動作の一つ一つが研ぎ澄まされ、それでいて柔らかいのだ。島崎藤村の「椰子の実」を朗読する時の声の美しさ、もうウットリとしてしまった。レイテ島で戦死したとされていた土沢時男が生還し戻ってきた時の、深々とお辞儀をしてたった一言「おかえりなさい」と言う場面、万感の思いが込められていて胸が詰まる。こういう演技こそ、役者の腕の見せ所なのだ。
常に時流に乗って、世の中の動きを先取りするように動く三木孝役の木場勝己がまた、実に良い味を出していた。一見、お先棒担ぎだけのようでいて、芯が通っているという難しい役どころを好演し、芝居全体を盛り上げていた。この人がいなかったら、この芝居の価値は半減するだろう。
芙美子の母親役という老け役を演じた梅沢昌代の飄々とした演技も忘れられない。
島崎藤村の姪であるこま子を演じた神野三鈴は気品と一途さが感じられた。
土沢時男を演じた阿南健治は、悲惨な運命を面白おかしく語る泣き笑いの場面が秀逸だったが、喉の調子のせいか声が割れるのが気になった。
山崎一、この人だけが初役だったせいか、全体にやや固さが見られた。
さすがは数々の演劇賞を受賞した芝居だけあって、作品、演技共に申し分ない。
今年ベストの演劇だった。
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