【寄席な人々】近ごろのハードな落語フアン
初対面の人などに「趣味は?」と訊かれると、以前は「落語(寄席)ですかねぇ」と答えていたが、昨今はとてもそんな事を言っていられないと感じるようになった。近ごろのハードな落語フアンと比べたら、私の「好きさ」加減など物の数ではないのだ。だから最近は落語会に行っても隅のほうで小さくなっている、というのは嘘だが。
開演前や仲入りで顔を合わせての会話がすごい。もちろん、アカの他人様同士だ。
「やあ、昨日はどちらへ?」「私は00独演会に行ってました。」「どうりで、XX落語会にはお見えにならなかったと思いましたよ。」「その前は△△寄席に行きました。」「私も行ってたんですよ、あれぇ、気がつかなかったなぁ。」ってな会話が、会場のあちこちで繰り広げられている。
その昨日や前の日というのが平日だったりするので、驚かされるのだ。
昔も寄席にせっせと通うフアンというのはいたが、大抵は学生か年寄りだった。
最近のハードな落語フアン層というのは30代から40代あたりが中心なので、世間でいう働き盛りの年代だ。
フアンとしての熱心さより、平日に、あるいは週に何回もそうした催しに行けることが驚きである。
私のサラリーマン現役時代、平日に寄席や落語会に行った経験がない。仕事人間とは程遠い存在だったのは自他共に認めるところだが、それでも土日か祝日にしか行けなった。時間的に無理だったのだ。定時に終わっても取引先や仕事仲間と飲みに行くことが多く、やはり時間は無かった。
周囲の企業の状態も似たりよったり、というよりは他社に比べ私のいた会社はまだまだ退社時間が早い方だったので、どこのサラリーマンもそういう状況だと認識していた。
だからハードな落語フアンに出会うと、勤め先はどちらで、どういうお仕事に就かれているのですかと訊いてみたくなる。
理想的には、仕事帰りに好きなエンターテイメントを観に行ければ最高だろうが、果たして日本全体で何%位の勤労者がそうした生活を送れているのだろうか。
ハードな落語フアンの会話を聞きながら、ついついそんな事を考えてしまうのである。
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まったくですね。平日は難しい。
例えば「東京かわら版」によれば、
明日23日金曜日には「下丸子らくご倶楽部」に志らく、花緑が出るようです。
これなんて行きたいけど・・・
さて、花緑さんといえば、先日、新宿「末広亭」で「高砂や」を演じました。
変にウケようとしないで(もっともあの話自体がそうでしょうか?)淡々と演じており、かえって好ましいものでした。
投稿: 福 | 2009/01/22 22:02
福さま
コメント有難うございます。
花緑と志らくの二人会ですか、ヨダレが出そうな顔付けですね。
定年退職して自由の身のはずですが、家の事情でやはり平日は出かけるのが難しく、いつも口惜しい思いをしています。
仕事帰りに好きな芝居や音楽、寄席などに自由に立ち寄れたら最高でしょうが、そうした条件の整った人はごく一部です。
花緑の「高砂や」は未見ですか、どんな風に演じたのでしょうか。
投稿: home-9(ほめく) | 2009/01/23 11:01
お返事ありがとうございます。新宿の寿正月二乃席は立ち見の出る盛況ぶり。
花緑の「高砂や」。率直に言って場内の笑いはあまりとれませんでした。
ただ、藤浦敦氏によれば、元来落語は1つの噺に2、3回ニヤッとすることができれば成功なんだそうです。
そうそう、花緑は実に表情豊かで、僕などはそれに見惚れていました。
でも、根本はクールであり、話の筋が伝わるように話していたように見受けられました。
他には歌司「小言念仏」扇橋「道具屋」雲助「ざる屋」なども見ました。
雲助の温かい良さがなんとなくわかった気がします。
「ざる屋」は浅草で金原亭馬生(今の、顔立ちが立派な方)のも聴きましたが、また違う味があって素晴らしいものでした。
投稿: 福 | 2009/01/23 20:57
福さま
コメント有難うございます。
「ざる屋」は先代の馬生が絶品でしたが、雲助も良かったでしょうね。この人は派手な人気はないですが、いつも滋味溢れる高座で楽しませてくれます。
客を大笑いさせるよりニヤッとさせるほうが難しいというのは、その通りでしょうね。
投稿: home-9(ほめく) | 2009/01/24 15:24