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2009/02/27

【思い出の落語家12】古今亭志ん生の凄さ(1)

Shinsho私が小学生のころ、兄に「志ん生の落語って、どうしてあんなに面白いの?」ときいたことがある。
落語フアンだった兄はこう答えた。
「そりゃあ志ん生がしゃべるからさ」。
志ん生の落語の魅力はこの一言に尽きるのだ。
数多の「五代目古今亭志ん生論」がある中で、この兄の一言がもっとも的確だと思っている。
八代目文楽や圓生なら、そのうち芸風が似た人が出てくるかも知れないが、志ん生はそういかない。オンリーワンの不世出の芸人だといえる。

かつてある雑誌が各界著名人に、無人島にもっていくレコード(今ならCD)を1枚選ぶというアンケートをとったことがあり、その中の一人が志ん生の「品川心中」と答えたのを記憶している。
私も落語家の中で誰を選ぶかと問われればやはり志ん生で、演目を一つといわれれば「品川心中」に落ち着く。
あらすじは、ざっとこうなる。

品川宿の白木屋の女郎お染は、若い頃は売れっ子で板頭(ナンバーワン)をはっていたが、歳と共に客が減っていき、今では紋日に必要な40両も工面できない有り様。
こうなればいっそ心中してしまえば面子が立つと、心中相手を物色し、白羽の矢が立てられたのは本屋の金蔵。金蔵はお染に心中をする約束をさせられる。
心中の決行日に、お染は金蔵を品川の桟橋に連れて行く。身投げをしようという。ぐずぐずしている金蔵をお染は突き落とし、自分も飛び込もうとした。その時店の者が駆けつけ、ヒイキの客が40両の金を用立てたと告げ、お染は身投げをやめて店に戻ってしまう。
裏切られたと知った金蔵はようやく海から上がり、親分のもとに行くが、そこでは博打の真っ最中。金蔵が戸を叩く音を役人の手入れと勘違いして、一同大騒ぎとなる。
後半は、金蔵が仲間の力を借りてお染をおどかすのだが、滅多に高座にかかることがなく、殆んど前半で切る。

志ん生以外の噺家が演じると、お染が心中を決意する場面、相手を金蔵に決める場面、金蔵が一緒に死ぬことを約束する場面、これらがどうしても説明的になってしまう。心中を決意するまでの心理状態などが描かれるのだ。
それはそうだろう。この部分に説得力がないと、この噺は成り立たないからだ。
それに対して志ん生の演出は、ここを実にあっさりと描く。お染が「それじゃ一緒に死んでおくれかい」というと、金蔵は「おおくれだとも」と応じ、簡単に心中の約束をしてしまう。あんまり深く考えない。シャレだよ、シャレ・・・程度の軽いノリで決めてしまうのだ。
志ん生が演じると、聞き手はこれで十分納得してしまう。
志ん生の「品川心中」をヒントにして、作家井上ひさしが小説「手鎖心中」を書いて直木賞をとったのは有名なエピソードだが、他の噺家ではこう行かなかったろう。

五代目古今亭志ん生は明治23年に生まれ、43年に入門している。
若い頃から「飲む打つ買う」の三道楽、長屋住まいの家庭は火の車。赤貧洗うがごとしの生活で、借金をこさえては夜逃げを繰り返す。
芸人としてはさっぱり鳴かず飛ばずで、芸名を17回も変える始末。
昭和10年代に入ってからようやく人気が出始め、本格的に売れ出したのは昭和22年に満州から帰国してからだ。
戦後の日本映画で、家族で落語を聞く場面があると、たいがいは志ん生の落語が使われていた。先代文楽がいわゆる落語通のご贔屓が多かったのに対し、志ん生は大衆的な人気を博していた。

経歴をみれば分かるように、志ん生の生き方そのものが落語の世界なのだ。そうした人生経験に裏打ちされているから、話に説得力が出てくる。
長屋住まいで貧乏暮らし、道楽は酒と博打と女郎買いというのが、落語の登場人物と相場が決まっているが、それはそっくり志ん生が辿ってきた道だ。
「あんな亭主とは別れちまいな」「だって寒いんだもん」という会話一つとっても、それは志ん生の人生そのものなのだ。
古今亭志ん生の凄さは、ここにある。

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コメント

「品川心中」実は本日聴いて参りました。演じたのは古今亭志ん輔。TVで見るよりもずっと若い。う~ん、という口調は師匠の志ん朝ゆずり。その親父さんがお話の志ん生ですから、この伝統は実に偉大ですね。
表情豊かで素晴らしい一席でした。
やはり、後半の反撃まで行かず、役人の手入れだと勘違いして皆がおかしなところに隠れるという描写で終わりになりました。

投稿: 福 | 2009/03/01 19:07

福さま
コメント有難うございます。
「品川心中」は志ん生の高座が極め付けとなり、今では殆んどの噺家が志ん生の形で演じています。
古典落語は伝統を引き継ぎながら、独自の工夫をどこまで織り込むのかがポイントで、そこがまた聞き手の楽しみでもあります。
後半は面白味に欠けるので滅多に高座にかかりません。この点は「宮戸川」や「お化け長屋」と似ていますね。

投稿: home-9(ほめく) | 2009/03/02 10:19

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