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2009/02/02

相撲界の不祥事はなくならない

外国人力士に引き続き、若麒麟が大麻吸引で相撲協会を解雇された。
大麻問題にゆれる相撲界だが、こうした不祥事はこれからも無くなることはないだろう。それは相撲の力士というのは、かなり特殊な世界にいるからだ。
子どもの頃、隣家の主人は一時期タニマチをしていた。未だ幕下だか三段目の二人の力士だったが、頻繁にこの家を訪れていて、新番付が発表されると直ぐに届けにくる。我が家もそのお裾分けにあずかり、お陰で相撲の番付というのを初めて目にすることができた。
力士が訪れるとその主人と共に外出するが、行く先は飲食の場である。飲む量も食べる量も半端でなく、とにかく相撲取りは金がかかるとその主人は言っていた。

小学生だった私は熱烈な相撲フアンだったが、この光景が不思議でならなかった。どうして力士がしょっちょう隣家に訪れ、また主人がその度に飲み食いに連れていくのか疑問だったからだ。
かつて水商売をしていた母の説明は次のように明解で、子どもの私にも良く分かった。
(1)力士というのは昔から「男芸者」と言われていて、宴席では歌や踊りを披露したり酌をしたり、とにかく宴席に侍らせると面白い人たちだ。
(2)力士は大男で着物姿で髷を結っている。こういう男を連れ歩くと、その人にハクがつく。金はかかるが、引き立て役にはもってこいだ。
確かに力士二人を従えて町内を歩くと、その主人がとても大人物に見えた。

その後、隣家の主人が実は詐欺師で、周りの人々から金を巻き上げ夜逃げしてしまった。もちろん贔屓にしていた力士に罪はないのだが、結果的に詐欺の演出の道具に使われていたわけだ。
相撲取りに近付きタニマチになる人には、むろん相撲が大好きで、あるいは特定の力士のフアンでという人が多いだろう。しかし思惑があって近付き、接待をしながら自分の商売に利用しようという人間がいても不思議はない。

一方、力士というのは何かと金がかかる職業なのだ。先ず飲食代だけでも大変な金額になる。身なりを整えるのだって費用がかかる。若いから遊興費もいるだろう。
しかし幕下以下というのは無給だから、親方や先輩から小遣いをもらうしか収入の道がない。それだって限界があるので、贔屓の客を見つけて、悪く言えば金づる(パトロン、タニマチ)を確保する必要はあるのだろう。
関取になったらなったで、今度は化粧まわしだの何だのと、体面を保つためにはこれまた何かと出費がある。とても相撲協会からの給料だけでは足りないのだ。
引退して親方になっても、部屋を持つとなればこれは膨大な費用がかかる。
とにかく力士というのは、金がかかるものなのだ。

そこで、熱心なフアンがある一方、時にはいかがわしい人物が近付いてくるのも避けられまい。「遊び人」のような暮らしをしていれば、怪しい人物との接触もおきる。
現在も、協会幹部や人気力士と暴力団との付き合いがしばしば報道されるには、理由があるのだ。
引退した元大関が、暴力団の用心棒になっていて世間を賑わしたこともあった。
世間知らずの若者がこうした環境におかれれば、悪事に手を出す機会も生じるのは避けられないだろう。

それでは、そうしたシガラミを全て断ち切って、「清く正しく美しく」という相撲界にしたら、これはこれでツマラナイものになってしまう。「水清きに魚棲まず」である。
歌舞伎や浪曲、落語の世界に描かれる江戸時代の相撲取りの世界というのは、概していかがわしい世界だ。
ヤクザの世界と隣り合わせであり、八百長も美談として扱われる。
こうした伝統も含めて今の大相撲の伝統ができているとすれば、リスクを完全に失くすことは不可能ではなかろうか。

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