「ああいえば麻生」
字を知らない漢字が読めないことは既に話題にすらのぼらなくなった麻生首相だが、ここへきて「(K)考えるのを(Y)やめる」という、もうひとつのKYが問題になっている。それは思考停止である。
郵政民営化についてのこの間の麻生総理の発言は、正に「日替わり」メニューなのだ。
自民党の総裁選挙の時は→「私が郵政民営化担当大臣だった、忘れないでくださいね。」
予算委員会で追求されると→「郵政民営化担当は竹中さん、濡れ衣をかぶせられると甚だ面白くない。」
5日の予算委の答弁→「郵政民営化に私は賛成じゃなかったので、解散の詔書にサインしないとかいって、えらい騒ぎになった。」
9日の予算委の答弁→「指名された時は反対」だった。しかし2年間に色々勉強させてもらって、民営化した方が良いと最終的にそう思った。」
その日その日によって、よくこう180度くるくる発言を変えることができるなと感心してしまう。まともじゃ無い。
オウム真理教の上祐じゃないが、ああ言えばこう言う、「ああいえば麻生」なのだ。
恐らくは何も考えることなく、その時に思いついたことをただ口から出していると、こうなるのだろう。麻生首相の場合、発言するさいに脳の中のチェック機能が働いていないのだろう。
総理大臣だからうんぬんというよりは、人間としてどうなのかという根源的な疑問がわいてくる。
人として信頼できない、これは致命的だ。
各メディアの世論調査で、内閣の支持率が10%台に落ち込んでいる原因は、この辺りによるのだろう。
漢字が読めないことについて様々な論評が行われていたが、その中で私が最も注目していたのは、「しらべるが行く」というサイトの記事だったので、以下、一部引用する。
【引用始め】
このあいだ、知人が 「嘱託社員」を「ぞくたくしゃいん」と読んでいた。
同僚の誰かが教えてあげればよいのだが、誰も教えない。
「あいつは人の意見に耳を貸さない」
「プライドが高いから、指摘するとすねる」
「なにか屁理屈を言って反論してきそうだ」
このような評価をされている人には、周りは言いづらい。
この場合、教えてあげない周りが悪いのではなく、
「俺に意見するなよ」オーラを出している本人が悪い。
(中略)
読み間違いは、漢字を知らないことが恥ずかしいのではない。
長い人生で、その言葉を使わず、誰からも指摘されずに生きてきた、
うすっぺらい人生が恥ずかしい。
【引用終り】
国民の多くは、麻生首相の「うすっぺらい人生」に気がついたのだ。
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