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2009/03/24

皇室の危機(2)「『秋篠宮を天皇に』大合唱」

前回、一部の右翼的な学者や文化人、ブログなどで激しい「反皇太子ご夫妻批判キャンペーン」が行われていることを紹介しましたが、これと相反するように彼らは「秋篠宮を天皇に」(文藝春秋の記事についてはタイトルとは異なっている)の主張を強めています。
ある学者なぞは「次は皇太子さまではなく、秋篠宮さまが天皇になる」ことを望むと、ハッキリ明言している程です。

年配の方なら覚えておられるでしょうが、今上天皇が皇太子だった時代に、当時の右翼が昭和天皇と比べると「民主主義教育を受けた」「軟弱な平和主義者」と批判していました。「昭和天皇と違い、命をかけてまで守ろうとは思わない。」と言い放った右翼幹部もいました。
また批判の的が、しばしば美智子さん(現皇后)に向けられていたのも、今と同じような状況です。
右翼というのは皇室崇拝主義かと思うのですが、どうも代々の皇太子(近ごろは東宮と表記するのが流行りらしい)ご夫妻が気に入らないようです。

さかのぼると、そうした人々が敬愛してやまぬ昭和天皇の皇太子時代にも、実は同じようなことがありました。
1912年に皇太子時代の昭和天皇が、半年にわたりヨーロッパ旅行を行っています。
これに母親の貞明皇后は、皇太子が西欧文化の影響を受けることを危惧して、欧州行きに反対し皇太子と対立します。
果たせるかな、帰国後の皇太子は宮中の制度改革に乗り出します。
それまでは後宮という制度がありました。映画や芝居でおなじみのように、そこには沢山の未婚女性がいて、全員がそこで生活していました。気に入った女性がいればやがて側女にというわけです。
現代の人から見れば「え~」という制度にうつるかもしれませんが、代々男系の男子が皇位を継承するための一種の保険でもあったわけです。
皇太子時代の昭和天皇は後宮の女官制度を一新し、女官は通いで務めるものとし、既婚女性でも構わないとしました。更に古いしきたりの女官言葉を廃止して、普通の現代語を使うように改めたわけです。
当然のことながら、当時の宮内大臣牧野伸顕を始め宮中の側近たちはこれに反対しますが、皇太子は自説を押し通します。
かくして昭和天皇は、歴史上初めて皇室の一夫一婦制を確立することになります。

このように、制度を改革しようとする側と、旧態依然とした制度にしがみつく側との対立は、今に始まったことではないのです。
余談になりますが、皇太子が重要な儀式である新嘗祭を休んで、四国へ旅行に出かけてしまうというような事もあったようで、この時も貞明皇后は皇太子は西洋風の習慣に影響されてしまい、宮中祭祀をないがしろにしていると思われたそうです。
何だか、現在の皇太子批判ととてもよく似た状況だったわけですね。

秋篠宮に対する評判は上々で、一昔前のあの世評はどこへ行ったのかと思えるほどです。
誰もが知っている「あんなこと」や「こんなこと」、全てすっ飛んでしまいました。
皇室の中の問題は一切情報公開されないので、いずれも真偽のほどは分かりません。それは皇太子ご夫妻に対する非難についても言えることです。
事実かどうか、それはかなり後年にならないと分からないことです。

世評の風向きが変ったのは、やはり秋篠宮家の長男・悠仁さんの誕生でしょう。
皇太子の側には男子が生まれない、それに対して秋篠宮家は男子が誕生した、この事実が大きかったのです。
おりから、女性天皇を認めるべく皇室典範を改正する動きがあったのですが、これにより女帝反対派が俄然勢いづきました。このことを契機に、「女帝反対」=「反皇太子」=「秋篠宮擁立」という図式が出来上がったと思われます。

では仮に彼らが言うように、秋篠宮こそ次の天皇に相応しいとしましょうか。しかも国民の多数がそれを支持したとしましょうか。でも結論からいえば、皇位継承にはなんら影響はありません。
日本が近代国家になって大日本帝国憲法を制定するにあたり、「天皇」についての規定をどうするか、これは大きな問題でした。
明治憲法は一般にプロイセン憲法をモデルにしていると言われていますが、例えばプロイセン憲法で摂政に関する規定は次のようになっていました。
「第57条 国王未成年ニ属シ若クハ久シク故障アリテ政ヲ親ラスルコト能ワザレバ、最近ナル支親ノ成年ナル者摂政ノ事ヲ行ウ。此ノ時ハ其ノ人必ズ速ニ両院ヲ徴聚シ、両院合会シテ摂政ヲ設クルニ必要ナルコトヲ宣告セシムベシ。」
つまりプロイセン憲法では、摂政の設置については議会両院が決定権を持っていました。

これに対して、明治憲法制定を担った一人である井上毅は、
「皇室ノ大事ヲ以テ民議多数ノ裁判ニ委ネ、従テ人民ニ勢力ヲ誘導シ,将来皇室ヲ左右スルノ漸ヲ啓クコト」
になると、これを批判しました。
つまり議会を関与させれば皇室の尊厳が脅かされ、国民が皇室に口を挟むことに道を開く、井上毅はこう考えたわけです。
この結果、摂政の設置について旧皇室典範では次のように定めていました。
「天皇未ダ成年ニ達セザルトキハ摂政ヲ置ク。 天皇久キニ亘ルノ故障ニ由リ大政ヲ親ラスルコト能ワザルトキハ皇族会議及枢密顧問ノ議ヲ経テ摂政ヲ置ク。」
こうして戦前の日本では、摂政を置く場合は「皇族会議及枢密顧問ノ議ヲ経テ」として、議会や国民の意思が入る余地がないように決めたわけです。

では、現行の皇室典範でこの条項はどうなっているでしょうか。 
「第16条 天皇が成年に達しないときは、摂政を置く。
2 天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。」
旧法と比べ「枢密顧問」が抜けているだけで、基本的な考え方はそのまま引き継がれています。

繰り返しますが、現在の皇室典範においては皇位継承を、あの人の方が相応しいからと国民や議会が決定するというシステムになっていません。
従って「秋篠宮を天皇に」といくら主張しても、所詮は「遠吠え」にしかなりません。
もし本当に実現しようとするのであれば、皇室典範を改正するか、何か特別のウルトラ-Cでもあみ出さないと無理です。
(続く)

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コメント

第1代の神武天皇から数えて今上天皇は125代目、この間を全て男系の血筋だけで維持して来られたと言う事は素晴らしい事だと思いますが、一夫一婦制を前提とする限り将来もこの伝統を維持する事は無理なのではないでしょうか。
過去の125代の天皇のうち60人の天皇は皇后の子供ではなく側室の子供だとされています。
近世に入っても明治天皇、大正天皇は皇后の子供ではありませんし・・・・・。

ところで歴史上、天皇家の血筋が絶えそうな危機が少なくとも3度はありました。
第一の危機は神代の時代、第25代の武烈天皇から第26代の継体天皇へのバトンタッチの時。
第二の危機は室町時代の始め第101代称光天皇から第102代後花園天皇への継承の時です。
三番目の危機は江戸時代の後期にありました。
第118代の後桃園天皇が満21歳で突然崩御されましたが、この時には生まれたばかりの内親王が1人残されただけで皇子がおりませんでしたし、近親の皇族にも男子がおりませんでした。
そこで、第114代中御門天皇の時に創設された世襲宮家である閑院宮の第3代目皇子が第119代光格天皇として践祚した訳です。

このように側室を置くことが罪悪ではなかった時代でも男系の血筋が絶えそうな危機があった訳です。
しかも現代の常識から言えば一夫一婦制は極めて妥当であり皇室と言えど一夫多妻が許される筈もありません。
その意味で大正天皇以降の天皇が一夫一婦制を実践されている事は極めて妥当なところです。
このような状況から仮に、秋篠宮、悠仁親王とあと2代は何とか凌いだとしても「男系の血筋による天皇家の維持」が将来的には破綻する事は目に見えています。

タケチャンマン様
随分と詳しいお気付き有難うございます。
ご指摘の「男系の維持」が現実的かどうか、別のテーマで取りあげたいと思います。
どうも皇室崇拝者の主張は、結果として皇室の維持を難しくしていくのではないかというのが、本エントリーの趣旨です。

プロイセンを見本にしたとかですが、日本にはサリカ法が関係ないのですから、皇室典範は早々に改め、長子優先にすべきです。
現段階で敬宮さまが女子であるだけで、女系男系を問うわけではありません。
紀宮さまにも皇女として継承件が有るべきです。
本人の意志で決めれば良い事にして、欧米の王室のようにしない限り、皇室は無くなります。
日本皇室が世界の中で恥ずかしくない存在になる為には、秋篠宮は紀子さんと結婚した次点で継承件を放棄すべきでした。
私は紀子をプリンセスとは認めません。信子さまをして「納屋の娘」と言わせた、彼女こそ出て行くべきです。

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