人物写真の愉しさと難しさ(改訂)
シリーズで掲載している「街角で出会った美女」が、予想以上に好評のようです。
画像は全て過去の海外旅行で撮りだめしてあった写真からピックアップしたもので、ガイドブックや雑誌のグラビアとは違ってアクチュアルなものです。
海外旅行での写真というと殆んどが風景の画像で、どれをとっても似たりよったりの写真になります。極端にいえば、現地で絵葉書を買っても、あまり構図は変らないということにもなりかねません。
わたしも海外へ行き始めたころは風景写真ばかりで、今から振り返るともったいない気がします。
これに対して人物写真は自分しか撮っていない、オンリーワンの魅力があります。
それと風景写真と比べ、人物写真は撮影した時の情景を鮮明に覚えていることが多く、後から画像を見ながら思い出に浸ることが出来るという利点もあります。
その反面、人物写真は風景と比べて難しい点がいくつかあります。
第一は、一発勝負で撮り直しがきかないということです。パッとその場で撮りますから、背景だのライティングだのという条件は一切考慮できません。ここが風景写真と決定的に違うところです。後から確認してみて、写真の出来が悪くガッカリすることなど、しょっちゅうです。
第二は、相手の了解が要るという点ですが、これは実は大きな問題です。誰だって見ず知らずの人からカメラを向けられ写真を撮りたいと言われれば、たいがいは断るでしょう。子どもを写す場合も、近くに親がいれば許可がいります。またアラブなどイスラム諸国では、基本的に女性の写真は撮れません。
第三は、上記とも関連しますが、被写体の人と何らかのコミュニケーションが必要だという点です。
たどたどしい言葉で挨拶をしたり、相手を誉めたりして、ようやく笑顔の写真が撮れるのです。
ツアーでの観光中に素早く撮影するので、けっこう苦労します。
第四は、観光地で人物を撮るとき、間違えて外国人を撮らないようにせねばなりません。せっかくの写真が、その国の人で無かったというのでは何もならない。周囲の状況からその点を確認することが必要です。
それだけに会心の人物写真が撮れたときは、喜びも大きいわけです。
撮影で、最も好きな構図は母親が子どもを抱いている写真です。
世の中にあるもので、母と子の愛情ほど気高く美しいものはありません。
西洋絵画で一番多いテーマは恐らく「聖母子」でしょう。いうまでもなく聖母マリアがイエスキリストを抱いた像ですが、この姿は時代や地域を越えた普遍的なものです。
わたしも各国で出来る限り、母子をカメラに収めることにしていますが、これも実際には難しく、成功しているのはごく一部です。
下の写真は、エクアドルの首都キトで撮った母子です。
画像を見ていると、自然にこちらの顔もほころんできますね。
次の写真は、コロンビアの首都ボゴタで撮った母子です。
女の子はまるで人形のように愛らしいですね。
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