【街角で出会った美女】アルジェリア編
アルジェリアと聞くと、年配の方なら先ず「カスバの女」という歌を思い浮かべるのではないでしょうか。
1955年(昭和30年)にエト邦枝が歌ってヒットした曲ですが、なんといっても「ここは地の果てアルジェリヤ」というフレーズが忘れられない曲です。
「カスバの女」(歌詞は1番のみ)
作詞:大高ひさお 作曲:久我山明
涙じゃないのよ 浮気な雨に
ちょっぴりこの頬 濡らしただけさ
ここは地の果て アルジェリヤ
どうせカスバの 夜に咲く
酒場の女の うす情け
アルジェリアは通称マグレブと呼ばれている北西アフリカ諸国の中の国で、日本から一番遠い西の端はモロッコですから、決して地の果てではありません。この歌詞には戦前の名画「外人部隊」や「モロッコ」の影響が強く出ています。
昭和始め1928年(昭和3年)には、浅草オペラのスターだった二村定一によって「アラビアの唄」がヒットしました。
当時の日本人のエキゾチズムが、中東から北アフリカ地域に向けられていたのでしょう。
「アラビアの唄」
作曲:Fred Fisher、日本語詞:堀内敬三
砂漠に陽が落ちて 夜となるころ
恋人よ なつかしい 歌を歌おうよ
あのさびしい調べに 今日も涙流そう
恋人よ アラビアの 歌を歌おうよ
この歌の原曲はアメリカのポピュラーソングで、本国のアメリカでは流行らず日本で大ヒットしたのは、この曲の哀愁をおびたメロディが日本人の琴線に触れたものと思われます。
さてアルジェリアですが、長期にわたるアルジェリア戦争でフランスと戦い、せっかく1862年に独立を果たしたのに、1990年代から10年以上に及ぶ内戦で10万人以上の犠牲者を出してしまいました。
私たちのツアーでも全工程にわたり、車両の前後を軍の車が護衛しての移動となり、観光中もマシンガンを持った兵士が周囲を囲んで警戒する中での観光となりました。
国土の大半がサハラ砂漠で、サハラの雄大な景色を堪能することができました。
首都のアルジェは地中海に面した街で、カスバはその旧市街にあたります。フランスからの独立戦争では、ここが抵抗運動の舞台となりました。今でも人々がここで暮しています。
下の画像はこの町に住んでいる女性で、買い物から帰って玄関に入るところを撮影したものです。
本物の「カスバの女」です。
(クリックで画像が拡大)
実際のカスバの町を歩いてみると、何とも表現のしようがない独特の魅力を感じます。
建物の白い外壁に男の人が寄りかかって立っていたり、石段(カスバは傾斜地なので階段の町)を幼い子どもの手をひいて老婆が上がってくる、そういう一つ一つのシーンが絵になっている町です。
下の画像はカスバの中にある小学校の下校時に撮った少女の写真で、ちょっと大人びて見えますが二人とも小学生です。
やがて美しい「カスバの女」に成長していくことでしょう。
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