「新潮の捏造」にみる週刊誌ジャーナリズムの終焉
かつてTVで「サンデー志ん朝」という番組があった。タイトル通り、若かりし頃の古今亭志ん朝が毎週日曜日に司会をつとめたバラエティ番組で、番組の冒頭に「『サンデー志ん朝』はこれから放送でーす。」とアナウンスがあった。
いうまでもなく、週刊新潮の有名なキャッチコピー「週刊新潮は明日(本日)発売でーす。」のパロディである。谷内六郎の童画風のイラストが画面に写り、バックに「赤とんぼ」のメロディが流れていたあのCMで、年配の方なら覚えておられるだろう。
「週刊新潮」は1956年創刊いらいの老舗であり、常に週刊の代表的雑誌であった。
その週刊新潮が、2月5日号から4回にわたって、「実名告白手記 私は朝日新聞阪神支局を襲撃した!」とするタイトルで、襲撃事件の実行犯を名乗る島村征憲の手記を掲載した。
連載当初から、多くの関係者らから記事の信憑性に疑問が投げかけられていたが、新潮側は正当性を主張し続けていた。
しかし4月23日号で「手記が誤報だったことを率直に認め、お詫びする」とした早川清編集長名の謝罪記事を掲載した。
だがこの謝罪記事、「『週刊新潮』はこうして『ニセ実行犯』に騙された」というタイトルから分かるように、新潮側が騙された被害者であるとの内容だった。証言が真実だと思い込み、ニセ実行犯の手記をそのまま掲載したというわけだ。
しかしこの弁明はおかしい。第一、素人が書いた手記を編集者が手を入れずそのまま掲載するなどということは、常識では有り得ないことだ。プロの作家や記者が書いたものでさえ、書き直しを命ぜられたり手を入れられる世界である。
もっと言えば、いわゆる「手記」の多くが、実際には記者や編集者によって書かれるというのが普通なのだ。ニセ実行犯が謝礼を目当てに、編集者の誘導に従ったという辺りが真実なのだろう。
週刊新潮はいつまでもグダグダ言い訳をせず、あっさりと「捏造」を認めて責任を明らかにし、関係者に謝罪すべきだ。
週刊新潮の性格を「皇室、セックス、スキャンダル」と評した人がいたが、通常の新聞では扱わないような「色と欲」に係わる事件やスキャンダルを積極的にテーマにしてきた。
同時に、大新聞が掲載を避けていた「菊タブー」「鶴タブー」に挑戦し、皇室の裏話や創価学会のスキャンダルを積極的にとりあげ、週刊誌ジャーナリズムという分野を作ってきた功績は評価されて良い。
時代は、新潮が創刊された1950年代とは全く状況が異なってきた。もっとも大きな要素は、ネットによる情報の出現だ。
新聞などマスメディアが報じないニュースの裏側、政治家や芸能人らのスキャンダルなどは、日々ネットで情報が発信されている。書き手は素人だけではない。プロの文筆家や記者も書き手となっている。
ネットの利点は、ある情報とそれに対する全く逆の見方双方が見られるということであり、情報の選択ができるという点である。
こうなると、もはや週刊誌ジャーナリズムの出る幕が無くなってきつつあるのではなかろうか。詳しく調べたわけではないが、購読者(販売部数)も下降線を描いているのだろう。
今回の週刊新潮の捏造記事は、そうした週刊誌ジャーナリズムの焦りに起因しているのだと思われる。
そうして見ると、今回の事件は週刊誌という媒体の役割の終焉を告げることになるかも知れない。
« 【街角で出会った美女】コロンビア編 | トップページ | 転んでも「美姫」 »
「マスメディア」カテゴリの記事
- 岩田明子にジャーナリストとしての良心を問う(2023.12.13)
- 自民党・安倍派の裏金疑惑と旧ジャニーズ問題(2023.12.11)
- 【ジャニーズ問題】次に被告席に座るのはマスメディアだ(2023.10.07)
- 「アベの威を借るキツネ」の高転び(2023.04.12)
- NHK恒例の「番宣」が始まった(2022.12.23)
コメント