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2009/05/31

「寄席・落語ブームの今後を占う」鈴本演芸場5月下席

落語ブームが言われだしてから久しい。
最初にブームが予感されたのは2000年の喬太郎、たい平の真打同時昇進の時で、客席の前方が若い女性で占められるなど、客層がガラリと変っていて驚きだった。その後、落語家を主役にしたTVドラマの放映で人気に拍車がかかった。だからもう10年近くになるわけだ。
ブームであればいつかは鎮静化ししぼんでしまう時期が来るのだが、わたしはそうした一過性のものではなく、このまま落語や寄席の人気が定着するとものと予想している。
その理由は三つある。

一つは寄席(定席)の充実だ。
5月30日の鈴本演芸場下席でも、下記の番組の通りいつもの顔ぶれでいつものネタだが、これが面白いのだ。何回同じものを見ても面白いというのは、芸が本物の証拠だ。
落語をメインにしながら、奇術あり、漫才あり、講談あり、操り人形ありと実にバラエティに富んでいて、多彩な芸で客を楽しませてくれる。
今回も寄席が初めてという客が近くにいたが、こんな面白いと思わなかったと喜んでいた。きっとリピーターになって行くのだろう。
戦後の第一次寄席ブームを知っている者として、当時とは隔世の感がある。それほど昨今の寄席は充実している。

二つ目は、有能な噺家が次々と生まれていることだ。
立川流の志の輔、談春、志らく、柳派では市馬、喬太郎、三三ら、柳昇門下の鯉昇、昇太ら、30代から50代初めの若手・中堅クラスに人気と実力を兼ね備えた落語家が顔を揃えている。
こうした芸人が落語界をリードしている。だから面白い。

三つ目は、大衆娯楽としてコストパフォーマンスが高いということ。
今時、3000円以下の入場料で4時間これだけ楽しめる娯楽は他に無いのではなかろうか。新宿末広亭なら、その気になれば9時間楽しめるわけで、景気の動向にあまり左右されないと言えよう。

一つ気になるといえば、落語協会と芸術協会の格差だ。
色物では芸協は決して遜色ないのだが、落語では明らかにレベル差がある。
かつては古典の落協、新作の芸協といわれていたが、今ではそうした区別がなくなった。

もう一つは、立川流と圓楽一門の今後だ。
これから確実におこるであろう代替わりを契機に、両派とも協会に復帰して寄席に戻ってくれることを願っている。

【鈴本演芸場5月下席(5/30)の番組】
前座・柳亭市丸「二人旅」
・三遊亭司「湯屋番」   
・ダーク広和「奇術」
・桂南喬「松竹梅」
・川柳川柳「ガーコン」
・あしたひろし/順子「漫才」
・橘家文左衛門「道灌」
・古今亭志ん輔「替り目」
・ニューマリオネット「糸操り」
・三遊亭歌之介「漫談」
~お仲入り~
・ロケット団「漫才」
・宝井琴調「大岡政談より人情匙加減」
・古今亭菊之丞「紙入れ」
・太田家元九郎「津軽三味線」
・桂才賀「松山鏡」篠原流踊り付

2009/05/29

【郵便不正】秘書の犯罪は議員の犯罪

サラリーマンの現役時代、会社の上層部から国会議員(もちろん自民党)の秘書からの依頼なので会ってやってくれということで、数回議員秘書という人種と面談したことがある。
いずれもロクでもないネタだったが、相手が議員秘書だと企業もムゲに断れない。
「国会議員秘書」という肩書きは大変な威力を持っているのだ。

障害者団体向けの郵便割引制度が悪用された事件は、厚労省の局長や日本郵政公社(当時)東京支社長などの幹部が関与していた疑いが濃厚となり、単なる詐欺事件だけにとどまらず、政治問題化する可能性が高くなった。
厚労省が障害者団体「白山会」に証明書を発行したり、郵政公社が割引制度の適用を早々に承認したのも、会の代表であった倉沢邦夫容疑者が民主党議員・石井一の名前を最大限に利用したためと思われる。
そうでなければ、厚労省や郵政の対応は説明がつかない。
石井議員の事務所によると、倉沢容疑者は1983年ごろ、当時自民党の衆院議員だった石井一議員の私設秘書を数カ月間務めたとのことである。その後秘書はやめたということだが、恐らく石井議員とはその後もなんらかのつながりを持っていたのだろう。だから今回の詐欺事件でも、倉沢は石井一の事務所関係者を名乗り、それが信用されたのだと思う。
もし石井議員側が倉沢容疑者と全く関係がないとすれば、倉沢邦夫を告訴せねばなるまい。

もしあなたが中央省庁の幹部に面会し、なにかお願いしたいことがあるとしよう。以前から後援している議員がいればその人に頼むことになるが、そうしたツテが無い場合、地元の国会議員に斡旋を依頼することになる。
連絡を入れると秘書が承り、後日、議員のOKが出たと連絡がある。その際、何らかの見返り、手っ取り早くいえば現金か票のとりまとめの要求がある。
ここでは仮に現金で話がついたとしよう。
指定された日に議員との面会となるが、先ず秘書が出てきて先日の現金の約束が再確認される。
議員が現れ依頼事項を告げると、早ければその場であなたが会いたいという省庁の幹部に電話しアポイントを取ってくれる。ここで議員はにこやかに挨拶して退席する。
これ以降の具体的な金の受け渡しは、全て秘書が行う。
つまり、依頼を実行するのは議員、謝礼を受け取るのは秘書(金額にもよるが)という分担になっているので、元々議員は直接手を汚さないのだ。
だから秘書がやったことで、議員は知らないなどということは有り得ないわけだ。
秘書の犯罪=議員の犯罪という公式が成りたつ。

議員の秘書の中には、秘書をやめた後もその議員個人や事務所とかかわり、議員の名前を後ろ盾にしてビジネスを行う者がいて、世間では議員の関係者として通ってしまう。
もちろん看板代(例えば献金を集めるとか)は支払わねばならないだろう。

今回の郵便不正事件も、背景をたどればそこまで行き着きものと思われるが、これからの捜査の行方に注目したい。
ただこのところ摘発されるものが、いずれも民主党スジであるのが気になる。
分家ばかり狙われ、本家にはサッパリ捜査が及ばないのは、いささか公正を欠くと思われるがどうだろうか。

2009/05/28

【街角で出会った美女】ウズベキスタン編(2)

海外、特に開発途上国に行くと子供たちの生活力の旺盛さに圧倒されることがあります。
ウズベキスタンの少年少女たちも、親の仕事を手伝ったり、自分の小遣い稼ぎをしたり、たくましく生きています。
世界遺産であるヒヴァのイチャンカラでは、ミナレットに登るときに手助けしてくれる少女がいました。
なにしろ煙突みたいな形の内部の100段以上あるらせん階段を手探りで上るので、手を引いてくれたり、荷物を持ってくれたりすると助かるわけです。
下の写真の少女もその1人で、もちろんお目当てはチップです。菓子をあげる人が多く、わたしは日本から持っていったボールペンにしました。中学2年だと言っていましたが、気の強そうな性格が顔に表れています。
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 (クリックで画像が拡大)

ずらりと軒を並べる店では、就学前の子どもの面倒をみながら女性たちが商売をしています。
ブハラの街のこの少女は年下の子と、商品が並ぶ台の下で鬼ごっこをしていました。
6歳以下のはずですが随分とオシャレしているし、また大人びて見えます。
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 (クリックで画像が拡大)

ウズベキスタンの最大の農産物は綿です。
綿の実は雨にふられるとダメになるので、収穫期には学校の生徒たちも皆、畑で綿の摘み取りを手伝います。
ブハラ郊外でも学生や生徒たちが収穫をしていて、私たちも飛び込みで手伝いをしました。
私とペアを組んだこの少女は中学生で、たぶんロシア系だと思われます。
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 (クリックで画像が拡大)

ウズベキスタンの首都タシケントで、ツアーのメンバー数人が地下鉄に乗ったところ、座席に座っていた若い人がいっせいに立ち上がり席を譲ってくれました。揃って年配者だったからでしょう。
戻りの車内でもやはり全員が席が譲られて、あれは感心しましたね。
是非、日本の若い人も見習って欲しいところです。
こういうことがあると、それだけで相手の国に好印象を持ってしまいます。

2009/05/26

瀧川鯉昇独演会with志の輔@中野ZEROホール

Risho5月25日中野ZEROホールで、「二十日おくれのこいのぼり」と題する瀧川鯉昇独演会が行われた。
家を出るときの家族との会話。
「これから鯉昇の独演会に行ってくる。」
「リショウ?って、それ誰。」
「こいのぼりで鯉昇さ。今一番面白い落語家だよ。」
「ヘェー、初めて聞いた。」
そう、あまり落語を知らない人には名前が売れていない。つまり、知る人ぞ知る。
しかし面白さは天下一品、おまけに志の輔がゲストとくれば、爆笑間違いなしだ。

瀧川鯉昇「船徳」
今日のマクラは、銀行強盗バージョン。
出だしが「湯屋番」かと思わせたが、船宿で若旦那が徳さんときて「船徳」と判明。
この出だしの部分での若旦那が金儲けを試みる場面、徳が船に乗って片手で鉢巻をしめる場面、それから最後のオチ、これらが鯉昇独自の演出。
このネタは演じ手の力量が試される。上手な人が演ると面白いのだが、下手な人だと途中でダレテしまいサッパリ面白くない。
鯉昇は古典の形を守りながら、独自の演出とクスグリ、それに仕種の可笑しさで客席を沸かせた。
熱演はしないと宣言したが、実際は50分全身を使った熱演となった。
最近聴いた「船徳」ではベスト。

立川志の輔「バールのようなもの」
真打の同期で、志の輔自身が鯉昇のフアンであるとのこと。
当日の会の開演がなぜ午後7時半という中途半端な時間になったのか志の輔が訊ねたところ、6時まで別の催しで会場が塞がっていたとの主催者の答えで、疑問があると何でも訊きたくなる志の輔は鯉昇とは好対照みたいだ。
マクラが始まって間もなく、1人の客が退場したのを盛んに気にしていた。芸人は噺の途中退席されるのがとても気になるそうだから、タイミングをはかるのはマナーだ。
「・・・のようだ」という表現をめぐる新作だが、清水義範の短編小説「バールのようなもの」を立川志の輔が落語化したもの。
よく考えれば有り得ないのに、志の輔の手にかかるとリアリティが出てくる。だから面白い。

仲入り

鯉昇&志の輔「対談」
鯉昇が志の輔の故郷を訪れた時、富山湾の名産・白エビが美味しいと強調しておきながら、食事は2回ともオムライスだったと突っ込むと、志の輔は鯉昇のマクラ扇風機バージョンの解説を迫る。
和気藹々の中に、お互いライバル同士でありながら尊敬しあう間柄ということが伝わってきた。
時間の関係もあろうが、独演会のゲストや二人会の場合、こうした対談の場があった方が嬉しい。

瀧川鯉昇「武助馬」
珍しい出し物で、ストーリーは、
呉服屋の奉公人だった武助が、役者になりたくて芝居の一座に身を投ずる。
五年後その店に挨拶に来て、主人にこの町で芝居を打つことになったので、見に来てくれと頼む。約束通り主人は関係者を集めて総見に出向くのだが、武助の役は馬の足。でもせっかく見物に来たのだからと「待ってました! 馬の足!」と声をかけるのだが・・・。
他愛ない噺だが、これも鯉昇の手にかかるとそこそこ楽しめた。

鯉昇と志の輔、もしかすると今の落語会の最強コンビではなかろうか。

2009/05/25

あの「幸福の科学」が今度は政界へ進出だと

5月10日日比谷公会堂で開かれた教団「幸福の科学」の集会で、大川隆法総裁が「幸福実現党」なる政党を設立し、政界に進出すると語った。
とりあえず次期衆院選への候補者擁立を目指し、今日25日午後に都内で記者会見を行うとしている。
大川総裁は以前から政界進出の意図があったようだが、今までは専ら自民党を応援してきた。
きっかけとなったのは、千葉のウソツキ知事・森田健作を当選させたことで、これで自信を深めたようだ。
信者の数が公称1000万人(1995年時点)いるそうで、もし一人が2票獲得すれば総理大臣を出すことも夢じゃないかも知れない。

大川隆法といえば、1991年にTV番組「サンデープロジェクト」にナマ出演したことがあった。
司会とのインタビューの中で、有名人たちの前世を語っていたのが印象的だった。あまりバカバカしいのでメモを取っていなかったが、「今日の愛国通信」というサイトに記録が残っているので紹介する。
大川隆法によれば・・・
田原総一朗の前世は柳生石舟斎、前前世は日蓮の弟子
宮沢喜一の前世は菅原道真
渡辺美智雄の前世は蜂須賀小六
三塚博の前世は加藤清正
金丸信の前世は松永弾正
小沢一郎の前世は伊達政宗
竹下登の前世は斉藤龍興
田中角栄の前世は斉藤道三
紳助の前世は「瓦版売り」
サンプロの女性司会者の前世は「舞姫、名前はわからない」
何となく本人のイメージから適当に前世をご託宣しているようで、しかも相手が軽いと見ると途端にいい加減になる。
私の目には「舌先三寸」にしか映らなかった。

大川隆法ご本人は「仏陀の再誕」とのことだったが、風貌から前世は「バカボン」ではないかと拝察される。まさに「お釈迦様でも気が付くめぇ」というところだ。
この辺りまでは多少ご愛嬌であるとしても、大川の著書『親鸞聖人霊示集』には、「親鸞聖人の過去世は、イエスの弟子パウロ」と書かれているそうだ。
(キリストに「本当ですか?」とたずねたら「イエス」と答えた、というのはココだけの話)
こうなるともうマトモな神経では付いていけない。

「幸福の科学」のHPによれば、憲法の中の改正すべき矛盾点として、第9条(戦争放棄)と第20条(信教の自由)をあげている。
9条については自民党と同一の主張だろうが、問題は20条の改正である。
条文は以下の通り。
【第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。】
戦前の国家神道の反省の上に立って、信教の自由と政教分離を規定している条項だ。

教団広報局の見解(週刊文春の報道)によれば、信教の自由だけで終わらせ、「いかなる宗教団体も・・・」以下を改正したい意向であるそうだ。
特定の宗教団体が国家権力を握り、統制しようという場合、確かにこの政教分離の規定は邪魔になる。
しかし本音をいえば世間から疑惑の目を向けられる。
それだけに宗教団体はこの条項にデリケートなのだ。
敢えてこの条項の改正に踏み込むとしたら、教団の意図を世間はどう評価するだろう。

宗教団体あるいはカルトが政党を結成し政界に進出するのは、過去に創価学会やオウム真理教がある。
創価学会のほうは成功し、いまや我が国の権力の一翼を担いつつある。
その一方オウム真理教は選挙で惨敗し、これが一つのきっかけとなって非合法活動に向かい、破滅していった。
さて「幸福の科学」の政界進出の果ては、いったいどうなっていくのだろうか。
「幸福実現党」ならぬ「不幸実現党」にならねば良いが。
(敬称略)

2009/05/24

「立川流落語会」(5/23)@国立演芸場

国立演芸場開場30周年記念の特別企画公演として、22-24の3日間「立川流落語会」が行われているが、その中日23日の会に出向く。
立川流の落語家は定席に出ないため、頻繁に独演会を開いている人気噺家を除くと、普段あまりお馴染みがなく、今回が初見だという人もいて楽しみにしていた。
それにしても近ごろは暑い。この日も真夏のような気候だった。

・(前座)立川談吉「洒落小町」
本人も認めていたが、このネタは前座がかける噺ではない。持ち時間がだいぶオーバーしていたようだし、良い度胸をしている。
自信があったのだろう、途中の中断があったがなかなかしっかりとした高座で、難しい噺を聴かせていた。
芸人だから、たまにはこういうギラギラしたのがいても良い。
・立川談大「持参金」
話のリズムが良い。
人物の演じ分けが今ひとつだった。
・立川志ら乃「長短」
久々に見たが、着実に上手くなっている。
気の長い人物の喋りはもう少し間を取って、ゆっくりとした方が良いだろう。
・立川志雲「日和違い」
面白さが分からない。
・高田文夫+松村邦洋「漫談」
有名人の「とっておきの話」を次々と披露。
ゲストに松村邦洋が登場し元気な姿を見せていた。この人の麻生首相の物真似はけっこう面白かった。
・土橋亭里う馬「禁酒番屋」
龍志が前日怪我をしたということで代演。
平凡な出来。

―仲入り―
・立川談慶「幽女買い」
上方落語の「地獄八景・・・」をパクった新作だったが、明るい高座は好感が持てる。
口調が明快。
・立川左談次「町内の若い衆」
名前の通り、歌舞伎役者のような風貌。
ネタは短縮版だったが、膝前らしく軽い噺を軽く演じた。
・柳家小菊「俗曲」
相変わらず色っぽい。よほど男性修行を積まないと、ああした色気は出てこないだろう。
・立川ぜん馬「死神」
実力では立川流でも定評のあるぜん馬だが、声の調子が悪いせいか、やや低調な印象を受けた。

他の落語会を含めて立川流の落語家の見て来た感想だが、立川流の香盤でいうと、志の輔以下の比較的若手の年代の真打や二ツ目に上手い人が多いが、それ以外は並だと感じた。
私の前の席に座っていた男性だが、開演から終演までパーフェクト(不思議に仲入りは起きていたが)に寝ている人がいた。隣の席の人がずっと寄りかかられて迷惑そうで気の毒だった。寝るのは自由だが、他人に迷惑を掛けぬよう心がけたい。

2009/05/21

今からでもおそくない




コネタマ参加中: 裁判員、やりたい?やりたくない?


是非、やりたいですね。
その理由はこちら

「裁判員」になりたかったのに・・・

今日から裁判員制度がスタートした。
この制度ができたときから是非とも裁判員になって、悪い奴を片っ端から死刑にしてやろう(とは半分冗談だが)と張り切っていたのに、とうとう通知も呼びだしもこなかったのは、残念至極。
希望をつのるとか、イヤだという人に代わってあげられるものなら、今からでも裁判員になりたいのだが、そういう訳にはいかないらしい。
どうも世の中ってぇのは、上手くいかないものだ。
今日も裁判員候補に選ばれた男性が記者会見をして、「被告を死刑だとか一生監獄に入れるとかを決める仕事はやりたくありません」と訴えていたようだが、世論調査でもおよそ半数の人が裁判員をやりたくないと答えている。
その一方で、被害者感情を重視した判決を、などという声が上がるのだから、ワケが分からない。

今の日本の裁判については、多くの人が疑問を感じていると思う。
例えば刑事事件の裁判では、事実上、起訴=有罪とされている。物証が無くとも、取り調べ段階で自供してしまうと、それが証拠として採用され有罪になる。
「疑わしきは被告の有利」という司法の原則など、どこかにすっ飛んでしまったようだ。
このままでは、捜査機関の意のままに、誰もが犯人に仕立てられる可能性がある。
考えてみれば、検事も裁判官も弁護士も、同じ業界に属している人間同士だし、いつお互いの立場が入れ替わるかも知れない。そういう一種の馴れ合いは、ある意味避けられないと考えて良いだろう。
そこに「業界」の外側にいる人間が直接裁判にかかわるということは、決して無意味だとは思わない。
個人の事情など大変なことは分かるが、一生に一度(それすらも回ってこない人が大半を占める)のチャンスだと思って、選ばれた以上は積極的に参加すべきではなかろうか。

もちろん、裁判員制度が果たしてベストの選択であったかは不明だ。
実施してみて不都合なことが判明すれば、その時に制度を見直せば良い。

もう一度お願い、わたしを裁判員にしてくれませんか。

「冷静に、冷静に」と大騒ぎ

「騒ぎすぎだよね」、これが友人や知人と会ったときの挨拶代わりの会話になっている。
朝から晩まで、TVのどの局をまわしても「新型インフルエンザ」の話題ばかりで、いささかウンザリする。
戦後の日本で、当時の新型インフルエンザとして、1957年のアジア風邪や1968年の香港風邪の大流行があったが、こんなバカ騒ぎにはならなかった。
政府やマスコミは騒ぐのが仕事なのかも知れないが、もう少し節度を持ったらどうか。
報道のおしまいに必ず「冷静な対応を」と言っているが、冷静でないのはそっちの方じゃないの。

いま多くの人にとって、新型インフルエンザに感染すること自体よりも、自分が感染することにより周囲に迷惑をかけることを危惧している。
周囲の人まで外出制限されたり、学校が休校になったり、果てはその学校に嫌がらせ電話が殺到したり、そうした二次被害のほうを恐れている。
日本人研究者がインフルエンザの流行を理由に、国際的な学会などを欠席するケースが増えているが、日本以外の国ではそうした例がないとの報道もあった。
インフルエンザが流行るとなぜ欠席するのか理由が分からず、そのため一部では今回のインフルエンザが「トウキョウ・フルー」(東京風邪)と呼ばれているそうだ。
マスクについても、感染防止に効果があるか、疑問が持たれている。

感染者が出ると、周辺地域を含めて学校や幼稚園、保育所をいっせいに休校、休業させているが、あれもどうかと思う。
学校を休みにしても、子供たちが1週間、家の中にチンと閉じこもっているはずはない。又そんな子供であっては困るのだ。
それに、近ごろは母親が仕事に出ている家庭が多く、親がいない家に子どもだけで留守番することになれば、犯罪に巻き込まれる恐れも出てくる。
幼稚園や保育所を休みにすれば、仕事を持つ親は勤務を休まねばならない。今時、1週間も続けて休める条件の人は少なく、下手をすれば職を失いかねない。
自治体や学校側が安易に休校にしているのは、単なる責任逃れとしか思えない。
まして、一生の思い出となる修学旅行をやめさせるなど、論外だ。

幸いなことに今のところ、新型インフルエンザは弱毒性だ。仮に感染しても、従来の季節型インフルエンザと類似の症状のようだ。
症状が軽いから、かえって感染しても見逃してしまうことになる。
慢性の病気を持っている人や妊婦は重症になる可能性があるというのだが、そういう人々は既存のインフルエンザに対しても罹患しないよう、普段から注意せねばならないのだ。
感染を繰り返しているうちに強毒性に変異する可能性があるという説もあるが、それなら既存のインフルエンザには変異の可能性は無いのだろうか。それとも今回の新型インフルエンザには、今までにない特有の性質があるのだろうか。
専門家は、もっと論理的な説明をすべきだろう。

今の日本社会は心配事で溢れており、インフルエンザのことなど、そのごく一部にすぎない。
政府やメディアは、もっとバランスの取れた情報提供や報道を心がけるべきではなかろうか。

2009/05/20

「ポスドク問題」博士は夜作られる

最近チラチラと耳にする「ポスドク」問題、元々は博士号を取得した後の研究者をさす「ポストドクター」からきた言葉だろうが、せっかく博士号を取っても定職に就けない研究者が増えて社会問題となっているようだ。
結論からいえば、博士号の取得は定職に就ける保証とはならないという事になるのだが、その理由を検討してみたい。

一般論でいえば、博士号は数ある資格の一つであり、ある資格さえ取得すれば一生食うに困らない資格などというのは、世の中に存在しない。
一例をあげれば、医者と言うのは世間では金持ちの代名詞みたいになっているが、一握りの医師を除けばそれほど収入は高くない。特に病院に雇用されている勤務医などは、薄給といっても良いのが現実だ。
医師の多くが看護婦と結婚するが、職場結婚という側面もあるが、奥さんの収入がないと暮していけないという事情もある。
弁護士だって、実績を積んで自前の法律事務所を開いて行列ができるとか、大企業の顧問弁護士になるとか、TV番組に出て知事になるとか、そういう例を除けばやはり収入は決して高くない。
一時期もて囃された一級建築士だが、建設不況の中で職を失ったり、定職に就けない、あるいは職を得ても資格が全く活かされない、そういう人が多いのだ。
博士号も又然り、それだけで定職に就ける保証はないと考えるべきだろう。

次に、博士=優秀という図式が成りたたないという点だ。
私が所属していた企業でも博士がいたが能力はピンキリだった。
その理由として二つのことが考えられる。
一つは、医師や弁護士などの国家試験を経て免許を得るのと違って、博士号は大学単位で審査されるため、均質にならない。
もう一つは、博士号取得にいたる過程の不透明さだ。

民間企業で勤務しながら博士号を取得する人たちがいるが、およそこんな道筋になっていた。
先ず企業側で、この社員に博士号を取らせようと決める。これはあくまで業務上の都合である。
これを特定の大学教授に依頼するのだが、その教授というのは
①その教授が企業の顧問をしているケース
②企業がその教授に研究費を援助しているケース
②その教授の研究室から毎年一定数の学生を社員として採用しているケース
などであり、いずれも企業と利害関係のある教授ということになる。

企業の顧問料というのは一概にはいえないが、私が勤務していた会社を例にとれば、月額10万円が相場であった。それほど高くないと思われるだろうが、腕の良い教授になれば10社を超える顧問をしているし、しかもこれは全額、教授の個人収入になるのだから、バカにならないのだ。
何か問題が起きて、その顧問の力を借りたい時だけ出社して貰うか、あるいはこちらから先方の研究室を訪れ教えを請う。

研究費の援助については、適当なテーマをみつけて企業からその教授の研究室に研究を委託し、研究費を支払うのだが、私が扱った例では年額で百万円単位だった。
理工系の場合、研究には多額の費用がかかり、とても大学の研究費だけでは足りない。だから研究費を集める能力も教授には求められる。
企業の開発テーマを委託する場合もあるが、テーマは自由というケースもある。教授の側からすれば、当然後者の方がありがたい。
律儀に研究成果を企業に報告してくれる教授もあるが、一切報告無しという場合もある。
企業の側からすれば、研究成果を求めるというよりは、何かの問題を解決するために貢献してくれれば良いというスタンスが強い。

教授たちとの打ち合わせが終われば接待をし、時には二次会三次会とハシゴして、タクシーで自宅まで送ることもあった。
大学教授というのは普段は謹厳な姿勢を保っているせいか、飲むと乱れる人も少なくない。
こちからかすれば、乱れてくれた方が、後々やり易いのだ。多少の無理はきいてくれることになるので、相手がいくら乱れてもじっと我慢である。
酒癖の悪い人ほど、シラフの時は猫のように大人しくなる。

こうして企業と密接なつながりのある教授に、学位取得の指導を依頼することになる。
「博士は夜作られる」のだ。

その教授の指導の下で、学位を目指す社員は研究テーマとスケジュールを決めて論文を書くのだが、元々が社命なので実際の研究は部下にやらせたり、時には論文自体も部下に丸投げする場合もある。
こうしてめでたく論文の審査にパスして博士号を取得しても、周囲の人間はこうした経緯を知っているため、それほど博士になった社員が尊敬されるわけではない。
大学での学位取得の実態はよく知らないが、先日博士号の論文の件で、指導の準教授とのトラブルから自殺した東北大大学院生がいたという報道があったが、同じように不透明な部分があるのだろう。

民間企業からすると、博士号が仕事に役立つというのは一部の限られた分野であり、一般的にはないよりはあったほうが良い、あっても邪魔にはならないという程度の肩書きなのだ。
それと、学業で優秀であることと、仕事が出来ることとは全く別の問題だということもある。
企業が学位取得者を採用することもあるが、あくまで本人の能力次第であり、学位だけで採用するわけではない。

だから博士号といっても、世間ではそれほど権威があるとは見ていない。
問題はどのような分野の研究を行っていたのか、どの程度の能力を持っているのかで、評価が決まる。

2009/05/19

日本演劇の財産「化粧 二幕」@座・高円寺2

Photo前々から見たいと思っていた「化粧 二幕」が今月「座・高円寺」の杮落とし公演として行われており、5月16日観劇。
劇場は今月オープンしたばかりだが、今回の会場となった「座・高円寺2」は300席足らずの座席数で、一人芝居にはピッタリの大きさといえる。客席の勾配もゆったりと取っていて見やすい。
タイトルに「二幕」が加えられているのは、1982年7月の初演の際は一幕であったのが、再演の時にさらに一幕追加され二幕としたためだ。

作 | 井上ひさし 
演出 | 木村光一 
出演 | 渡辺美佐子 

この芝居は今回の上演期間中に600回を記録する。
日本国内だけでなく、北米、ヨーロッパ、アジア諸国でも上演を重ねてきた。
森光子の2000回には及ばないにしても、たった一人だけの舞台を通算27年間、600回も上演するというのは大変な記録だ。
まして初演の時に渡辺美佐子は既に俳優歴が30年を越していたと知れば、現在の年令も推定できるというもので、舞台での奮闘ぶりを見れば驚異的でもある。

渡辺美佐子はこの芝居で大衆演劇の座長・五月洋子を演じる。
乳飲み子を抱えていた時期に、前の座長だった夫が女と駆け落ち。乳児を施設に預けたまま彼女は座長となり、一人で座を切り盛りしていく、その過程での苦労は言葉に表せられない程だった。
この日、公演が終われば取り壊しになるという小屋で、母子の別れと再会の悲劇がテーマの「伊三郎別れ旅」(瞼の母に似たストーリー)に出演すべく、自分の人生を振り返りながら楽屋で化粧(メイク)を行っている。
そこにTV局の人間が訪れてきて、いま人気の若手スターが座長の別れた子供ではないかと、再会を勧めるが・・・。

劇中には何人かの登場人物があるのだが、そうした人物とのヤリトリも渡辺美佐子一人で演じる。時には小道具がいつの間にか彼女の手の中に現れる、まるで手品のような仕掛けも施されている。
でんぐり返りあり、立ち回りあり、そうかと思えばゴキブリを追いかけ客席の階段を駆け上がるという奮戦ぶりだ。
劇中、座長が演じる芝居の役柄と、分かれた息子との再会への期待と悔悟、これらがない交ぜになって次第に狂気を帯びてゆく。
さらに、渡辺美佐子という役者本人の生身もここに投影され、渡辺美佐子と五月洋子と伊三郎の母とが渾然一体となる重層構造が形作られている。

この劇がこれだけのロングランを続けてきたのは、もちろん原作や演出が優れていたからだろう。
しかし最大の要因は、渡辺美佐子の演技であり、彼女抜きには恐らくこの芝居は成り立たないだろう。
女のしたたかさや哀れさと同時に、この役には程よい色気と可愛いさが求められる。
脚本と役者のキャラが見事なまでに一体化した、日本演劇の財産の一つといえよう。

公演は31日まで。

2009/05/18

「喜劇・日本映画頂上決戦」@青山劇場

正式には「伊東四朗一座・熱海五郎一座合同公演『喜劇 日本映画頂上決戦~銀幕の掟をぶっとばせ!~』」という長~いタイトルの公演が、東京・青山劇場で行われていて、5月17日昼の部を観劇。
伊東四朗が中心となり「東京の笑い”軽演劇”」を伝えようと2004年に旗揚げしたこのシリーズ、今回は三宅裕司こと熱海五郎の一座を加えた合同公演。ゲストに歌手の小林幸子とベテラン中村メイ子を迎え、賑々しい顔ぶれとなった。

作:妹尾匡夫
演出:伊東四朗 三宅裕司
~出演者~
伊東四朗
三宅裕司
渡辺正行
ラサール石井
小宮孝泰
小倉久寛
春風亭昇太
東貴博
伊東孝明
河本千明
中村メイコ
小林幸子
ほか

大正から昭和の時代にかけて、東京に軽演劇とよばれる喜劇があって、古くはエノケンやロッパ、戦後になると渥美清やてんぷくトリオなどの数々のスターを生み出してきた。森繁久弥も元々はボードビル出身だ。彼らは映画やTVの世界に進出し人気者になっていくが、本家の軽演劇は次第に勢いを失っていく。
その時代を生きてきた伊東四朗が、その時代を知らない三宅裕司や小倉久寛らと共に、もう一度東京に軽演劇の火を灯そうというわけである。
IT時代だからこそ、人々は生身の人間の演じる舞台に引き寄せられるという願いなのだろう。

ここで今回の芝居のテーマになっている五社協定について説明しておきたい。
五社とは映画全盛期に存在した5つの映画会社(他に新東宝があった)であり、お互いに専属俳優やスタッフは他社の映画に出演や参加ができないとする協定を結んでいた。
監督も同じで、小津安二郎は松竹、黒澤明は東宝、溝口謙二は大映という具合だった。
人気俳優の引き抜きでは、時に刃傷沙汰になることもあった。
例外的に他社の映画に出ることはあったが、それは所属する会社の了解があった場合に限られた。
今でもレコード会社は、専属契約制度を続けている。

五社協定は映画俳優の活動の自由を縛るということで、数々のトラブルが起きたが、反面、映画各社の特色がハッキリ出るという側面もあった。
松竹:ホームドラマ&メロドラマ
東宝:都会派ドラマ
大映:文芸大作
東映:時代劇&任侠もの
日活:無国籍アクションもの
新東宝:お色気もの
とまあ、ざっとこんな風だった。 
良くも悪くも、全盛期の映画界を支えた制度だったといえる。

劇中、当時の映画界のエピソードがいくつかとりあげられていた。
戦前の宝塚の大スター・ターキーこと水の江滝子が、石原裕次郎のプロデューサーだったことや、黒澤明が映画「天国と地獄」のロケで、撮影の邪魔になるといって家を一軒立ち退かせたことなど。
新東宝の大蔵貢社長の「女優を愛人にしてはいけないが、愛人を女優にしてなにが悪い。」という名セリフも、劇中で使われていた。

芝居は徹底したドタバタ劇で、これでもかこれでもかと笑わせてくれる。
セリフが出なかったり間違えたりという場面もあったが、それをもアドリブで凌ぎながら、むしろ楽しんでいた感がある。幕間も出演者が出てきてショートコントでつなぐなどサービス満点。
中村メイ子が往年のヒット曲「田舎のバス」を披露したり、コント赤信号がかつてのコントを演じて見せたり、小林幸子が紅白ばりのスペクタルな舞台装置で歌い、客席は大喜びだった。
ドタバタ喜劇というのは時代を越えた普遍的なエンターテイメントであることを改めて認識させられた。

公演は30日まで。

2009/05/17

第5回ワザオギ落語会@国立演芸場

年に一度の例会で、旬の噺家を集めてのワザオギ落語会は今回で5回目、5月16日満員の国立演芸場にて。
珍しく落協2人、芸協3人という顔ぶれ。

古今亭今輔「チョココロネ政談」
自作の新作落語で、どうやら古今亭今輔本人の代表作らしい。
筋は、
チョココロネ(チョコの菓子パン)は細い方から食べると言ってしまった男が、周囲の友人達から非難を浴び、しまいにはお白洲に引き出されて大岡越前守の裁きを受けることになって・・・。
どうやら「天狗裁き」から構想を得たものと思われるストーリーだ。
筋書の完成度は高いのだが、話芸そのものが真打のレベルに達していないため、面白さが伝わってこない。
先代の古今亭今輔は若い頃から古典をみっちり修行して新作に入ったから、新作の大看板になれた。そこを見習って欲しい。

柳家喬太郎「道灌」
白鳥の代演での出演、大師匠の先代小さんの祥月命日ということでこのネタを選んだとのこと。
喬太郎は前座噺の名手でもあり、さすがに上手い。
フルバージョンだったが、いつもよりややあっさり目の高座だった。

瀧川鯉昇「千早振る」
いつものタミフルを話題のマクラから本題へ。
今回はモンゴルバージョンで、その分スケールの大きな「千早振る」となった。
草原の彼方からラクダに乗った千早が現れてくる、こんな発想は他の誰も思いつかないだろう。
鯉昇の独壇場。

~仲入り~
柳亭市馬「山号地号」
時間の関係からか、膝ということからか、本来はマクラでやるネタを。
市馬の創作も多数織り込まれていたが、これもあっさり目の高座。

昔昔亭桃太郎「ぜんざい公社」
新作としては古典に属するが、このネタが元々古典落語の焼き直しだそうだ。
筋は、
男が国営の「ぜんざい公社」にぜんざいを食べにいくと、住所氏名、年令、職業まで細かく訊かれ、ぜんざいを食べるための書類作製が行われる。中に入れる餅の焼き方はどうだとか、健康診断だ、印鑑だと、その度に窓口をたらい回しにされ、ようやく善哉が食べられることになるが・・・。
いわゆるお役所仕事を皮肉ったものだが、昔と比べて最近は役所のサービスは格段に改善されており、やや時代のとのズレを感じてしまう。
桃太郎は独特の「間」とトボケタ味が特徴的だが、好きな人はツボにハマルのだろうが、そうでない人にとっては今ひとつ面白味が伝わってこない。

こちらへ来る前に、渡辺美佐子の一人芝居を観てエネルギッシュなパワーに圧倒されたせいか、全体的に淡白な印象の会であった。

2009/05/16

「ありえねぇー」

最近しばしば耳にする言葉に「ありえねぇー」というのがある。昔から「有り得ない」という表現はあったのだが、これとは意味が違うようだ。
休みの日の夕方、20代とおぼしき若い男3人が、地下鉄の中でこの「ありえねぇー」を連発していた。話題は彼らの沖縄と韓国での買春がテーマ。
「今よぉ、沖縄って女がすごく安くなってるって知ってた?」
「そうかぁー、オレなんかこの前、4万円も取られたぜ。」
「ありえねぇー」
「沖縄へ行ってよ、タクシーの運チャンに面白い店を紹介してくれって頼んだら、国際通りの店でよう。運チャンが沖縄でここが一番の店だって言うから。そしたらいきなり4万円でどうってよ。」
「お前、それ絶対にぼられたんだよ。オレなんかこのまえ6千円だぜ。」
「ありえねぇー」
「沖縄じゃそんなもんだぜ。」
「じゃ、やっぱりあの運チャン店、つるんでたんだな。」
「あたりめえだろ。」
「韓国はすげえぞ。」
「そうらしいな。」
「オレも行ったよ。」
「とにかくよぉ、女がすげえキレイでよぉ、ありえねぇーよ。」
「それでいくらした? え、そんなに安いの! ありえねぇー」
と、まあこんな具合に盛り上がっていた。
しかし日曜日の夕方だから車内は通勤ラッシュ並の混みかた、周囲には家族連れもいるというのに辺り構わずの大声。
見れば社会人らしいが、話題といい、ボキャブラリーといい、マナーといい、目を覆いたくなる。

5月14日、韓国の地方検察庁は、日本人観光客に家庭の主婦を買春パートナーとして紹介しながら、約7千万円を稼いだ夫婦を摘発した。この際、主婦ら売春女性10人と日本人観光客3人の計13人を、性売買斡旋等行為の処罰に関する法律違反の疑いで書類送検した。
日本では買春は犯罪にはならないが外国では法律が異るし、重い刑罰が科せられることもある(最高刑は死刑の国も)。
普段は野放しにしていても、日本人相手だと目を付けられて摘発を受ける例があるので、「愛好者」は注意が肝心だ。
先の3人の若者だが、韓国の警察に捕まってから、
「ありえねぇー」
と言ったところで、後の祭り。

2009/05/13

わたしゃあなたの”そば”がいい




コネタマ参加中: “うどん”と“そば”、好きなのはどっち?


断然”そば”。
第一”そば”は語感がいい。
「信州信濃の蕎麦よりも わたしゃあなたの”そば”がいい」
なんて乙な文句も”そば”だから成りたつんで、これ”うどん”じゃ、こうは行かない。
それに何より、”そば”は酒のつまみになる、ここが違う。
昼に蕎麦屋に入って、”そば”を肴に一杯飲る、これが又たまらない。
暑いときに良くって寒い時に良い、やっぱり”そば”が一番。

「鴻池副長官」シモの病が再発

Photo「年は取っても浮気はやまぬ やまぬ筈だよ先がない」という都々逸がありますが、あらゆる病気の中でも「下半身の病」というのはなかなか直らないものです。
鴻池祥肇(こうのいけよしただ)官房副長官(68)(自民党参院議員、兵庫県選出)が、副長官を辞任する意向を固めたそうで、健康上の理由だとか。
それで、どんな病気かというと、鴻池センセイは4月28日から2泊3日の日程で、知人の女性と静岡県熱海市へ旅行し、その際に往復の新幹線の乗車に議員の無料パスを使用したのだそうです。
実にウラヤマシ・・・じゃ無い、ケシカラン話じゃありませんか。

鴻池副長官といえば今年1月には、“鴻池官房副長官の「議員宿舎」に泊まる超一流企業の「美人妻」”と題した写真付きの記事が報じられ、河村建夫官房長官から「政府の中枢にある人が誤解されるのは不適切だ」と厳重注意を受けたばかりです。
議員会館をラブホテル代りに使っていた後は、今度は議員パスで浮気旅行。
こういうのを「下(シタ)の根も乾かぬうちに」と言うんでしょうね。懲りないねえ。
これじゃ「官房副長官」ならぬ「閨房福」長官。

鴻池センセイは麻生派の重鎮であり、麻生首相の側近中の側近。
せっかく小沢代表辞任という相手方エラーで得点を重ねたいところが、このスキャンダルで帳消しになりそうな気配ですな。

2009/05/12

【小沢辞任】次に誰になっても・・・

5月11日民主党小沢一郎代表が辞任した。意外だったのは新聞の号外が出たことで、全く意外性がないのになぜ号外なのか、それが不思議だった。
穿った見方になるかも知れないが、西松建設の献金問題で秘書が逮捕・起訴されたが、小沢本人に捜査が及ばなかったのは、小沢一郎側と検察側の一種の司法取引ではないかと推測している。
この想定が当たっていれば、小沢の辞任により西松事件は政治資金規正法違反のみで幕を下ろすことになるだろう。
同じように献金を受けていた自民党議員たちには結局お咎めなしで、全ては万々歳というわけだ。
腰抜け検察!

10日の日曜日夕方、近くのJR駅前で人と待ち合わせをしていたら、民主党の衆院予定候補が演説をしていた。イヤでも耳に入ってきたのでしばらく聴いていたが、この予定候補者がいうには、先ず小泉改革を絶賛していた。あんまり誉めるので自民党かなと再度確認したら、やはり民主党なのだ。
「小泉改革は実に素晴らしい成果をあげ、日本を大きく変えました」というのだ。それで何が問題かというと、要は今の麻生政権は小泉改革の成果を壊していて、昔の日本に逆戻りしつつある、これを何とかせねばならない、というのが論旨だった。
この人、なんで民主党から出るんだろう。

寄り合い所帯の民主党の中で多数派を占めるのは、元自民党や松下政経熟出身者、自民党公認もれなど、いうなれば本籍は自民党、現住所は民主党という議員が大半だ。だから政策に、自民党との対立軸はない。
民主党の次の代表に何人か名前があがっているが、若い人を含めて全て自民党の分身ともいうべき人物であり、政策の違いも大同小異である。
こうして「殆んど自民」が議会のおよそ9割を占めるようになったのは、かつて小沢一郎が中心で進めた「政治改革」の結果だ。
その最終局面で、当の本人が表舞台から去って行くというのも、実に皮肉な結果だといえる。

一方の麻生太郎首相だが、4日に開かれた日・欧州連合(EU)定期首脳協議後の共同会見で、チェコのクラウス大統領を目の前にして、「チェコスロバキア」を連発していた。
相手の国名を間違えるほど、失礼な話はない。一番やってはいけないことだ。
国内の会見や演説で漢字が読めないというのと、また意味が違う。
麻生総理の発言というのは、ご本人のどこか脳の一部に異状があるのか、あるいは何かの障害があるのか、あまり正常だとは思えないフシがある。
最近の記者会見での、人を見下したような態度も気になる。
こちらも早々に退陣したほうが良いと思われるが、どうだろうか。

2009/05/11

【街角で出会った美女】ウズベキスタン編(1)

カナダから帰国した高校生が新型インフルエンザに感染していることが分かりましたが、彼らが現地でマスクをしていなかったと非難する声があるようです。何だか嫌な世の中になりましたね。
これだけ人、モノが世界中を大量に移動する時代、日本に感染者が出るのは時間の問題でした。むしろ入国時の空港の検査で判明したのは、不幸中の幸いでしょう。

20世紀に大流行した新型インフルエンザと世界の死者数は下記の通りです。
発生年   名称      型   世界の死者数
1918年 スペイン風邪 H1N1型  4000万人
1957年 アジア風邪  H2N2型   200万人
1968年 香港風邪   H3N3型   100万人
死亡者が着実に減っているのは、検査や特に治療薬に飛躍的進歩があったためでしょう。
今回の新型インフルエンザを「スペイン風邪」の再来などと騒ぐ向きもありますが、医療技術は当時と今とでは比べ物になりません。
それより季節型の従来タイプのインフルエンザでは、日本で毎年1万人前後の方が亡くなっています。こっちは全く問題にしなくて良いのでしょうか。
感染の規模も毒性も未だはっきりしていないほうには大騒ぎし、現実に1万人の死者が出ているほうにはあまり関心を示さないって、やっぱりナンか変です。

さて、中央アジアのウズベキスタンですが、ここもイスラム教国です。
イスラム教の女性の服装というのは、ほぼ共通していて、
(1)髪の毛をかくす
(2)肌を露出しない
(3)身体の線を出さない
という3原則があります。
処がここウズベキスタンでは、この3原則が全く無視されています。
下の写真をご覧ください。二人ともスカーフすらかぶっていないし、半袖で、身体の線がくっきり出るような服を着ていますね。

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(クリックで画像が拡大)
時には胸の谷間が見えるような襟が開いた服の女性もいて、ここがイスラム教の国であることを忘れそうになります。
是非、この点は他のイスラム教国も見習って欲しいですね。

ウズベキスタンはシルクロードのほぼ中央にあり、従って東は中国から、西はイランやトルコにいたる様々な民族がミックス(混血)されていて、そのせいか美人の多い国でもあります。
下の画像は、シャフリサブスの街で出会った新婚の花嫁さんで、大きな瞳が印象的です。

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  (クリックで画像が拡大)

こちらはヒヴァの街のホテルで、部屋の掃除をしていた従業員です。
とても明るく朗らかな人で気軽に撮影に応じてくれて、後でホテルのアドレスに画像を送って、と約束させられました。

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  (クリックで画像が拡大)

2009/05/10

ジャズと軍歌の狭間で・こまつ座「きらめく星座」

Photo_2こまつ座&ホリプロ公演「きらめく星座」が、現在天王洲アイル「銀河劇場」にて上演中だが、5月9日に観劇した。
主なスタッフとキャストは次のとおり。

【作】井上ひさし
【演出】栗山民也
【音楽】宇野誠一郎
―出演者―
久保酎吉/小笠原信吉
愛華みれ/妻 ふじ
阿部力/長男 正一
前田亜季/長女 みさを
相島一之/その夫 源次郎
木場勝巳/間借人 竹田慶介
後藤浩明/ 同   森本忠夫
八十田勇一/憲兵伍長 権藤三郎
ほか

私に物心が付いた戦後、一番初めに覚えた歌はジャズだった。それほど周囲にジャズが溢れていたのだが、別に国民全てが進駐軍に迎合していたわけではない。元々、戦前から日本人はジャズが好きだったのだ。
既に大正の終わりごろから東京でジャズが流行り始め、昭和3年にはジャズのレコード第一号が発売され、ヒットする。二村定一が唄った「青空」と「アラビアの唄」である。
「狭いながらも楽しい我が家・・・」とか「砂漠に陽は落ちて夜となる頃・・・」といった歌詞が人口に膾炙することになる。
歌謡曲として空前の大ヒットとなった「東京行進曲」の中でも「♪ジャズで踊ってリキュールで更けて・・・」と歌われている。

昭和6年満州事変が起きると、次第に軍歌が多くレコーディングされるようになる。
昭和12年に日中戦争が本格化すると、軍部から「ジャズや流行歌は軟弱」と指弾されるようになり、灰田勝彦が歌った「煌く星座」という曲にも、軍の圧力がかかるようになる。
「男純情の愛の星の色 冴えて夜空にただひとつ溢れる思い・・・」という歌詞が、「星」は陸軍の象徴であり、それを「愛の星」とは何事であるかというのがその理由だった。

昭和16年の太平洋戦争の開戦を迎えるとますますジャズに対する風当たりは強くなり、昭和18年には内務省から敵性音楽リストが発表され、レコードの販売が禁止される。ジャズだけではない。現在は懐メロとして愛唱されている多くの歌が、この時に禁止の対象となった。
「鬼畜米英」「米英音盤をたたき出そう」といったスローガンの下、音楽はもちろん、カタカナ語も追放される。
昭和20年の終戦、それまで抑えられていたものが一気に爆発し、戦後のジャズの興隆の時代を迎える。
この劇では、ジャズが「人間の生への賛歌」、軍歌は「国家と戦争のための死への歌」として象徴化されているのは、そのためだろう。

舞台は日中戦争が始まっている昭和15年秋から、日米開戦の前夜である昭和16年12月8日まで。
浅草の小さなレコード店に、四人の家族と、二人の間借人が仲良く暮らしていた。しかし、この平和なオデオン堂に、大事件が起こる。
陸軍に入隊していた長男の正一が、脱走したというのだ。すぐさま追っ手がかかって、憲兵伍長「マムシの権藤」がオデオン堂に乗り込んでくる。やがて張り込みと称して、この家の間借人となる。
さらにもう一人、長女みさをが婿に選んだ傷痍軍人で堅物の愛国主義者、源次郎がこの家族に加わる。源次郎は、この家の住人たちのジャズがかった音楽好きがどうしても許しがたい。
やがてオデオン堂自身も、戦況の悪化の中で取り潰しになることが決まるが・・・・・。

居間の片隅にピアノが置かれ、中央に蓄音機が据えられているこの一家には、常に歌が絶えない。
戦時下の辛い境遇の中でも、立場こそ大きく異なるが、明るさと希望を持ち続ける庶民の姿が、生き生きと描かれている。

こまつ座の出演者たちのアンサンブルは、毎度のことながら素晴らしい。固定した劇団員がいない中で、これだけの芝居ができるとうのは、作品そのものが良く出来ているのは勿論、演出の腕も大いに寄与しているのだろう。

個々の出演者の中では、間借人でコピーライター役の木場勝巳の演技が光る。この人が出てくるだけで、「こまつ座」の舞台であることを実感させられる。
愛華みれが、華やかで強かな、芯の強い戦前のお上さんを好演していた。
久保酎吉の飄々としたオデオン堂主人も適役。
前田亜季はセリフが明解で、演技も堅実。娘役から大人の舞台女優へ、着実に脱皮しつつある。
後藤浩明は舞台での生演奏で、ピアノに雄弁に語らせ舞台をシメテいた。演技も堂にいっている。
憲兵役の八十田勇一には、もう少し凄味が欲しかった。

公演は24日まで。

2009/05/08

怒れ!「高速道値下げ」

高速道路4社はGW期間の混雑状況を発表したが、それによると本州四国連絡橋の瀬戸中央自動車道(岡山、香川)と西瀬戸道(広島、愛媛)で昨年より80%、北陸道の朝日-親不知(新潟)でも70%の大幅増。地方でおおむね10-30%、大都市では5-10%の増加だった。
料金を大幅に値下げしたのだから利用者が増えて当然だが、果たして安くなって良かった良かったで済まされることだろうか。

麻生政権は景気対策の一環として、下記のように高速道料金の大幅引き下げを行った。
ETC搭載の普通車以下を対象に、
・休日(土日祝日)に地方で距離にかかわらず上限料金を1000円とする
・首都高速道路、阪神高速道路は休日に700円区間を500円に引き下げ
・本州四国連絡高速道路の料金も1000円に引き下げ
・東京湾アクアラインも1000円に
・平日も地方で全車種を対象に割引率を3割以上。
期間は10年度までの2年間とする。
利用区間によっては9割以上の値引きとなり、まさに大盤振る舞いだ。

この値下げ分を麻生太郎首相の資産から負担するとか、高速道路公団が負担するというなら、何も文句はない。
しかし実際には国の予算から、つまり私たちの税金から補填をされることになる。
その総額は、試算によれば約2兆5000億円(3兆円という試算もある)に上ると推定されている。これは国民一人当たりおよそ2万円を負担する計算になる。仮に4人家族なら、8万円を高速料金値下げのために支出する仕組みだ。
定額給付金など、軽くすっ飛んでしまう。
だから高速道の利用者が増えれば増えるほど、私たち一般国民の負担もまた増えるわけで、ちっとも嬉しくないニュースなのである。

さらに、今回の値下げは一応2010年度までとなっているが、次の年から直ぐに元の料金に戻せるかと言う問題がある。恐らく利用者の要望が強ければ、金額はともかくある程度の値下げを続けざるを得ないだろう。
1000円を800円にしろなどと騒いでいる、千葉県のオバカな知事もいることだし。
そうなると下手をすれば、私たちの税負担は半永久になりかねない。

高速道の利用者が増えれば道路公団の収入は増し、PAやSAの売上げも増える。
一連のバラマキで、目先の麻生政権の支持率は上がり、衆院選にも有利に働くだろう。
官僚の道路公団など民間団体への天下りはより有利となり、政府はウハウハだ。
但しそのツケは、国民が一身に受けることになる。
自公と官僚栄えて、国民枯れる。
怒れ!「高速道料金値下げ」

2009/05/07

これぞ自家製




コネタマ参加中: “MADE IN 我が家” 自家製しちゃうものを教えて


「ウチの子ども」
100%自家製です!

権太楼噺爆笑十夜@鈴本演芸場

5月鈴本演芸場上席夜の部はGW特集として、権太楼がトリで毎日ネタ出しでの公演。中トリが小三治とあって、6日は雨天にもかかわらず立ち見の出る大入り。

・林家正楽「紙切り」
リクエストで「饅頭」と声がかかり、正楽は何十年紙切りをしているが初めてだと言って、饅頭を食う人物の姿を切っていた。これが二楽なら、まあるく切り抜いて「ハイこれ」と出しただろう。
・橘家文左衛門「道灌」
途中で大イビキをかく客がいて中断、客席の空気が変わってしまってやりにくそうだったが無事終了した。
寄席にきて寝るのは仕方がないが、イビキは困る。座席に浅く腰掛け足を投げ出すようにすわって顔が上向きになるとイビキをかく。椅子に深く腰掛けて、顔を下向きにすればまずイビキをかくことはないので、身に覚えのある人は注意してほしい。
・柳家甚語楼「無精床」
この人、決して噺が下手ではないのだが、何かが足りない。
・古今亭菊之丞「短命」
やや端折った感があったが、手堅くまとめる。
菊之丞は何をやらしても適度に上手いのだが、そこがまた弱点でもある。
・昭和のいる・こいる「漫才」
途中、客席が白けた場面も。最近見る度に、つまらなくなっている。
・三遊亭歌武蔵「ぼやき酒屋」
桂三枝の新作ネタ。
近ごろは飲み屋もチェーン店ばかりになって、こういう居酒屋が少なくなってしまった。一人で店に行き、主を酒の肴にして飲む客が減ってしまったのだろうか。
・柳家小三治「長短」
マクラで「誰かが高速料金を千円にしろと言ったら、千円になるもんですかね。」と言っていたが、同感だ。利用者には便利だろうが、その差額はいったい誰が負担するのだろう。
TV画面の右上に出る「アナログ」の表示、あれは脅迫だと言っていたが、これも当ブログで以前から書いている通りだ。政府による一般国民への脅迫である。
一方で「地デジ」を勝手に押しつけ要らぬ出費を強要しておきながら、もう一方で定額給付金をバラマク。政府のやることはワケが分からない。
この他マクラの「爪切り」編のネタおろしをして本題の「長短」へ。後半やや先を急いだ感じがあったが、本寸法の高座はさすがである。

~お仲入り~
・鏡味仙三郎社中「太神楽」
・春風亭正朝「六尺棒」
考えてみれば「売春防止法」というのは不思議な法律だ。吉原や赤線は無くなったが、売春そのものは栄えている。むしろ文化という面が切り捨てられ、性を売るだけの場所に変質してしまったことが問題ではなかろうか。
正朝はいつも通り、明るく軽やか。
・柳家小菊「粋曲」
この人の声は艶があり色っぽいのは、よほど人生の経験を積んできたのだろう。
都々逸では今や第一人者ではなかろうか。
・柳家権太楼「笠碁」
6月22、23日予定の「さん喬・権太楼二人会」のPRをマクラに。倍賞美津子とは小中学校の同期生だったというエピソードから本題へ。
師匠・先代小さんとはまた違った、華やかな印象の「笠碁」だった。先週聴いた花緑のものと比べると、やはり数段こちらが上だ。
しかし私の好みから言うと、先代金原亭馬生の渋さが勝る。

2009/05/03

第三回 三三 背伸びの十番

五月三日横浜にぎわい座、「三三 背伸びの十番」の第三回に出向く。もちろん満席。
先輩落語家を毎回ひとり招いて、今年12月までに十回の連続公演をやろうというわけだ。
芸人があるとき急に上手くなるのを「化ける」というが、ここ2.3年の三三は正に化けてきた。この人は将来、師匠の小三治より、圓生のようなタイプの噺家に成っていくのではと想定している。

今日は憲法記念日だ。近ごろ憲法を改正しようという声が高まっているようだが、人間いつも恩恵を受けていると、有難味を感じなくなってくるという悪い癖がある。なかには戦前を懐かしむ異見も一部にあるが、私から言わせればトンデモナイことだ。
例えば女性が選挙に出られるように、投票に行けるようになったのは戦後になってからだ。
今の憲法で国民主権や言論の自由が明記され、現在こうして誰もが自由に意見が表明できるようになった。
共産主義は言論の自由が無いからケシカランと非難する人に限って、今の憲法を改正しろなどと言い出すのだから、ワケが分からない。

前座・入船亭辰じん「道具屋」
声が良く通るし、口調もしっかりとしている。名前のように将来は達人になるかも知れない。有望な前座だ。

・柳家三三「高砂や」
いやいや、オリジナルの「高砂や」を倍ぐらいに膨らませて、短編を中篇に仕立て直した改作である。
先ず初めに仲人を頼まれた職人が隠居の所へきてトンチンカンな会話をして、この男がそそっかしい性格の持ち主であることを示した。次にこの男がなぜお店の若旦那の仲人を頼まれたかの経緯が語られる。この辺りはオリジナルの不自然さを補っている。
この他三三は独自のクスグリを随所に散りばめ、コクのある「高砂や」を創りだした。

・入船亭扇橋「茄子娘」
仲の良い同期の柳家小三治とのエピソードから戦中から戦後にかけての食料不足の話、物故者の思い出話などを長講。扇橋の場合、これがマクラなのかネタなのか区別がつかない。この後、浅草演芸ホールに回り、トリの小三治が焼肉をご馳走してくれるのだそうで、それだけが楽しみだと言っていた。
何のこともない話なのだが、何だか面白くてついつい笑ってしまう。
その後、短いネタで「茄子娘」を、余りにバカバカしいので、扇橋以外は高座にかける人がいないそうだ。

~仲入り~
・柳家三三「薮入り」
三代目三遊亭金馬の十八番で、現在もこのネタは金馬の形で演じている。
かつて男の子は10-11歳で奉公に出され、休みで家に帰れるのは1年の2回だけ。それも最初の3年間は見送りにされたというのだから、今では想像もつかない厳しさだ。
うち1回が1月16日で、この日が薮入りだ。
4年ぶりに出合った親子の絆を、泣き笑いの中で表現するという、難しいネタである。
三三の演出はオーソドックスで、オチの部分だけを変えていた。
マクラで当時の商家のしきたりや、鼠とりが小僧たちの小遣い稼ぎだったことなど丁寧に説明して、本題の理解を助けていた。
泣かせどころをキッチリおさえた手堅い高座で好演だったが、父親はもう少し無骨に描いたほうが良いだろう。

2009/05/02

ナンダコリャの舞台劇「六道輪廻」

爽やかな5月晴れの2日、東京芸術劇場中ホールの「六道輪廻」を観賞。
先ずはキャッチコピー、
「狂言、能などの古典芸能と現代劇を交え、シュールレアリスムによって精神の深淵を見つめる刮目の舞台劇。」
ね、スゴイでしょ。

スタッフとキャストも豪華絢爛。
【原作・総合監督】大谷暢順
【演出】野村萬斎 
【脚本・構成】笠井賢一
【主な出演者】野村万作、野村萬斎、麻実れい、若村麻由美、野村一門ほか
どうです、スゴイでしょ。
原作者の大谷暢順師は本願寺の法主で、経歴を見る東大卒後フランスに留学、あちらで博士号を取得。蓮如とジャンヌ・ダルクの関する研究書多数というんだから、スゴイ。
出演者も人間国宝の野村万作、今をときめく息子の野村萬斎、それにフアンである若村麻由美(変なカルトの教祖と結婚したのは気に入らなかったけど)と来れば、これはもう見るしかないでしょ。

肝心の感想は・・・、
ナンダコリャの一言だ。
面白かったわ、と言っていた女性客もいたので、どこが面白かったかは、そういう人のブログを見て下さい。
先ずは上演時間が1時間半だったこと。そろそろ途中休憩にはいるかなと思ったら、終了してしまった。
長きゃ良いというもんじゃないが、何だか物足りない感じが残った。
入り口で入場者全員に原作本が配られた(アリガタ迷惑)ので斜め読みしてみたが、ファンタジー仕立てのようだ。200ページ以上のボリュームを短時間にギュッと圧縮したせいか、どうもストーリーが掴みづらくモチーフが理解できない。
それで、終わった時の感想はナンダコリャだったというわけだ。
唯一、子役の演技が上手かったのが印象的だった。

そう書いてしまうとミもフタもないので、「六道輪廻」について少々解説してみよう。
仏教では六つ世界があるとされており、これが「六道」。人間だろうと動物だろと植物だろうと、全ての情を有する魂は、生死を繰り返しながらこの六道を経巡り歩くのだそうだ。一生の内で良い事をすれば六道の上の道へ、悪いことをすれば下の道に、それぞれ行くことになる。
六道とは、下から順に次の六つである。
【地獄】一番下で、ここに行ったら筆舌に尽くしがたい責め苦を負うことになる。全部で八大地獄があり、最も恐ろしいのが無間地獄だ。
【餓鬼】ここでは絶え間なく飢えと渇きに苦しめられ、骨と皮だけで腹だけふくれるという情けない姿になる。
【畜生】家畜や獣、鳥や虫や魚などになり、自分より強い動物の襲撃に恐れおののき、生きるために餌を探し回って生活せねばならない。
【修羅】国土は広く、宮殿は壮麗、いつも素敵な音楽が流れ、女性は全て美女だという。これを聞くと、私など明日にでも行きたくなってしまうのだが、なぜか天上界の帝釈天と戦って必ず敗れる宿命になっているのだそうだ。少々難有りなのだ。
【人間】今私たちが住んでいるこの人間世界。
【天上】ここが最高界。天人になると日々の悩みや苦しみから解放され、様々な歓楽を尽くして暮せる。天上界も三つの段階があり、最も上の無色界になると物質を超えた精神世界だけになる。
何だかそれも味気ないやね。

さて、あなたはどれを選ぶ?

「豚インフル」列島狂乱

ここ数日、TVなどマスメディアは連日新型インフルエンザの話題で持ちきりだ。
小沢一郎の捜査も検察の腰くだけで尻つぼみ、テポドンもしばらく飛んできそうにない、草なぎ剛は起訴猶予で決着し、解散はいつになることやら、ちょうどニュースの端境期に豚インフルエンザのニュースが飛び込んできた。マスコミとしては待ってました!とばかり、いっせいにこの話題に飛びついたというわけだ。

世界中に感染が広がるとか、もし日本に入ってきたら大変なことになるという危機感だけが強調されているが、現状はどうなのだろうか。
WHOの5月1日の発表によると、新型インフルエンザ(豚インフルエンザ・A/H1N1)の感染が確認された患者は、全世界で333人、死亡はメキシコの8人と米国の1人の計9人となった。これが全てである。
感染者が確認されたのは11カ国で、そのおよそ半数はメキシコだ。

今回の新型インフルエンザについての最大の疑問は、メキシコだけに死亡を含む重症者が多い反面、他の国の感染者は比較的軽症だという点だ。
そういう意味で米国の死亡例は注目を集めたが、死亡した男児は生後22カ月で、インフルエンザの症状を発症する前から「健康上の問題」を抱えており、米保健省の担当者は「男児には免疫的に問題があった」ことを明らかにしている。
そうなると、このアメリカの死亡例は特殊なケースである可能性が高い。

問題のメキシコだが、国立感染症研究所感染症情報センター長の岡部信彦氏らが4月27日、マスメディアに対し説明しているのだが、メキシコの重症患者の具体的な症状については、情報がほとんど得られておらず分からないと言っている。
感染ルートや患者の臨床症状については「不明の点がまだ多い」というのだ。
メキシコに行かれた方ならご存知のとおり、現地の衛生状態は決して良好とはいえない。というよりは、都市の貧困層は、かなり劣悪な環境の中で暮している。
医療制度も我が国とは異なり、国民誰もが適切な診療を受けられる状況にはない。
メキシコの重症者というのも、免疫上の問題や別の細菌による重感染、あるいは元々基礎疾患があったという可能性があり、正確な情報待ちという段階だ。

20世紀初めに世界的に流行したスペイン風邪との類似性を指摘する声もあるが、当時と100年後の現在とでは、検査や治療といった医療レベルが比較にならない。
しかも現時点では、新型インフルエンザは軽毒性だと想定されていることを考えれば、徒に恐怖心を煽るような報道は、百害あって一利なしだ。

政府は冷静に冷静にといいながら、実は危機感を煽っているかに見える。
舛添要一厚労相の日本人感染発表の二転三転のドタバタぶりは、「国民の皆さん、正確な情報が入ればお伝えするので、落ち着いて行動してほしい。」という声明とは裏腹である。
「不要不急であれば人込みを避けるということはやっていただきたい。」と言っていたが、それでは都市に住む人間は外出できないことになる。
おまけに横浜市との責任のなすり合いによる場外乱闘は、「先ずアンタが冷静になれよ」と言いたくなる。
舛添要一大臣といえば、2000年問題(ミレニアム)の際に、飲料水と缶詰を抱えてホテルのこもった「前科」があるが、元々がオッチョコチョイな性格なのだ。

危機感は、国民の心を一つにする。
衆院選を間近に控えた政府・与党としては、当然そうした計算も働かせているだろう。その掌の上でマスコミが踊っているというのが、現状ではあるまいか。
先ずは、新型インフルエンザに関する正確な情報を把握することが肝要だ。

2009/05/01

「アメブロ」のやり方はアンフェアーだ

人気タレントなどのいわゆる有名人(セレブ)ブログというものを見たことが無いが、ナンでも大変な人気らしい。なかには毎日数千件のカキコミがあるサイトもあるというから驚きだ。
こうした有名人だろうと、私のような無名人だろうと、プロバイダーは平等に扱ってくれていると思っていたら、それがどうも違うらしいのだ。

現在約1300人もの有名人ブログを運営する「Ameba」(アメーバブログ、通称アメブロ/株式会社サイバーエージェント)では、こうした有名人ブログに力を入れるために、特別の運営管理を行っているというのだ。
同社のアメーバ事業本部・エンターテイメントディヴィジョン・ゼネラルマネージャー(長い肩書きだ)藤井琢倫氏は、次のように語っている。
「タレントブログのサポートを専門に、社員と社外に委託している人員を含め、合計30人ほどの監視チームが24時間体制で管理に当たっています。明らかに誹謗中傷と思われるコメントを発見したら、即時に削除します。機械に頼らず、すべて目視で確認しているため、完璧に近いほど柔軟に対処することが可能です」。
24時間体制でカキコミをチェックし、問題となりそうなコメントは即座に削除しているというのだ。削除の判断は、担当者個人に任されているのだろう。
アダルトサイトへの勧誘や特定の商品の宣伝など違法なコメントは別にして、内容をチェックして事前に削除するとなると、これは情報の検閲を行っていることになる。
事実、批判的なコメントは徹底的に削除され、好意的な、ヨイショ・コメントだけが掲載されるという指摘がある。

またアメーバブログでは、「タレント自身の記述で問題になりそうな個所を発見した場合は、タレント事務所に逐一連絡し、炎上を未然に防ぐ」システムを備えているのだそうだが、これは一体どういうことだろう。
批判コメントはアメブロ側が削除するのだから、そうなると問題となりそうな記述の書き換え、手直しを要請することを意味しているのだろうか。
それにしても、わざわざタレントの所属事務所にまで逐一連絡を入れているというのだから、破格の待遇だ。反面、ブログの記事に対して、ある種の検閲を行っているかにも受け取られる。

こうした特別サービスは、果たして芸能人だけが対象なのだろうか。
恐らくはタレント議員や、芸能人と政治家の二足のワラジをはいている人たちも、同様の恩恵を受けていると思われる。その場合、反対意見が抹殺されることになりはしないか。

ネットの世界は、情報を発信するが側と受け手との双方向コミュニケーションが基本だ。良いことも悪いことも、あくまで双方の直接的なヤリトリで処理すべきであり、それ以外の第三者が介在すべきでない。
有名人サイトの多くが「公式ブログ」を名乗っているが、「公式」と銘打つ以上は本人及び所属する事務所が記事に責任を負っていることを意味している。
仮に、その記事に対して批判が多く寄せられようと、それはブログの管理者である本人たちが対処すべきことだ。批判への反論もまたコミュニケーションだ。採りあげるかどうかの判断も、管理者の責任である。
プロバイダー側は有名人ブログを増やしたいがために過剰サービスを行っているのだろうが、結果は発信受信双方への検閲であり、情報の統制につながりかねない。
また有名人に対する特別扱いは、サイトの利用者に対する選別でもある。

アメブロの運営方針は、アンフェアーだと言われても仕方がない。

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