【思い出の落語家13】古今亭志ん生の凄さ(2)
五代目古今亭志ん生や八代目桂文楽が健在のころは、彼らが十八番としていたネタは、他の噺家は遠慮して高座にかけなかった。それだけ聞くと、昔の落語家の世界は上下関係が厳しかったと思われてしまうが、そうではない。
例えば、志ん生が得意としていた「火焔太鼓」について見てみよう。
ストーリーはざっとこんな具合だ。
道具屋の甚兵衛は普段から女房に「商売が下手だ」と馬鹿にされている。
今日も甚兵衛が市で仕入れてきた太鼓を女房から散々にけなされる。
甚兵衛が小僧に言いつけて、ハタキで太鼓のホコリをはたかせていると、ちょうどお駕籠で通り掛かった赤井御門守というお大名の耳にその太鼓の音が入り、家来に命じて甚兵衛に屋敷に持参するよう命じる。
甚兵衛が太鼓を屋敷へ持ってゆくと、「これは火焔太鼓といって、世に二つという名器」と、三百両で買い上げられた。
三百両を懐に宙を飛ぶように帰ってきた甚兵衛は、女房から「お前さんは商売が上手だ」と手の平を返したように褒められる。
甚兵衛も得意になって「今度は半鐘を仕入れる」と言うと、女房は「半鐘はいけないよ。オジャンになる」。
実はこのネタ、伝えられていた古典の形を志ん生が随分と手を入れているのだ。
例えば、
(1)オリジナルでは道具屋が始めから「火焔太鼓」と知っていて仕入れてくる。
(2)だから殿様から「火焔太鼓」だと言われても驚く場面がない。
(3)オリジナルではこの後、道具屋が本当に半鐘を仕入れてくる。
(4)小僧が半鐘を叩くと、火事と間違われて大勢が店に踏み込み、売り物をメチャメチャに壊してしまう。
(5)サゲは、「ドンと太鼓で儲けたが、半鐘でおジャンになった」。
こうなるとオリジナルは換骨奪胎、いま演じられている「火焔太鼓」は、志ん生による「改作」といっても良い。
こうした改作は、他に志ん生については前回とりあげた「品川心中」、文楽なら「船徳」、三木助なら「芝浜」、柳好なら「野晒し」、金馬なら「薮入り」や「居酒屋」など沢山の例がある。
こうした噺は古典には違いないが、演者のオリジナリティーが非常に高い。だから他の落語家が遠慮して高座にかけなかったのだ。
一口に古典落語と言っても、昔ながらの形でそのまま演じていたら、とっくに廃れたネタも多かった筈だ。
昭和の初め頃に活躍した彼ら名人・上手と言われた落語家たちが苦心して改作してくれたお陰で、現在わたしたちも楽しめているわけだ。
五代目古今亭志ん生の芸風を評して「ぞろっぺい」と言われるが、「ぞろっぺい」どころか、緻密に計算され尽くした演出をしていたのだ。
それなのに観客には「いい加減」に映ってしまう、そこが志ん生の凄さである。
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