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2009/06/29

鈴本四騎の会

鈴本演芸場の6月下席は「寄席DAYパート38」と題する特別企画興行を行っているが、28日は「鈴本四騎の会」。
実力と人気が備わっている旬な噺家をそろえたとあって前売り完売、当日は自由席で開場時間の5時には6割かた客席が埋まっていた。
雨の中を並んでいたフアンが多かったんですね。
この会は文左衛門が呼びかけたのだそうだが、雨宿りついでに入ったパチンコが出るわ出るわでやめられず、楽屋入りが大幅に遅れたと扇辰が嘆いていた。
いかにも文左衛門らしいが、この日のラインナップ(全てネタ出し)を見ると実によく工夫されているのに感心する。滑稽噺から人情噺、間に新作を入れて最後は大ネタだ。
先ずはプロデューサーのセンスの良さに敬意。

【番組】
前座・入船亭辰じん『道具屋』
入船亭扇辰『野ざらし』
いかにも扇辰らしい本寸法の「野晒し」で、珍しく最後のオチまで演じた。
このネタの後半はいかにも取ってつけたような内容なので、なかなか演らない。普通は自分の鼻(又は顎)を釣ってしまうところで切る。この日の観客も始めて聴いた人が多かったのではなかろうか。
中で唄う「さいさい節」が三代目柳好バリで上手く、噺全体がしまる。
 
橘家文左衛門『子は鎹』
意外といっては失礼かも知れないが、文左衛門の語り口と「子別れ」は相性が良い。
冒頭の番頭と熊五郎の会話で、ここまでの粗筋が簡潔に語られ、初めて聴く人もストーリーが頭に入る。
亀吉がこのまま大人になると、将来は文左衛門みたいになるんじゃないかと心配になる部分もあったが、父と子、母と子、夫婦の情愛が細やかに描かれ、良い出来だったと思う。
 
~お仲入り~
柳家喬太郎『笑い屋キャリー』
横浜にぎわい座での4回連続独演会を済ませてきた喬太郎が、どんな高座を見せるかが楽しみだった。
結果は、記念公演で抑え気味にしていたエネルギーが一気に噴出したような高座だった。
筋は、落語家を潰そうとする集団と噺家たちの暗闘という他愛ないものだが、それだけに楽屋オチや他の芸人の物真似をいかに織り込むかが工夫のしどころ。
こうしたネタを満載にして、歌は太田裕美の「失恋魔術師」と、「夕べ父ちゃんと寝た時に・・・」のワイ歌をオリジナルと英語バージョンまで披露してサービス満点。
付き合いで来たらしい隣席の女性客は終始居眠りをしていたが、喬太郎の高座だけは大喜びで見ていた。
今の喬太郎は、向うところ敵無しである。
         
柳家三三『妾馬』
「膝」が大ウケでこの日のトリはさぞかしやり難かったろう。出囃子から高座に上がるまで時間がかかったのは、もしかしてそのせいだろうか。
マクラ無しで一気に本題に入り、客席の熱気を冷ます。
八五郎の井戸の掃除から入る演出は、圓生の形を踏襲したものだろうか。
丁寧な高座だったが、お鶴が奉公にあがる前までの場面が長過ぎる。その分、殿のご前で八五郎が奔放な姿を見せるシーンがあっさりと感じた。
このネタは後半が見所なので、もう少し時間をかけてタップリ演じた方が良いと思う。
個人的には志ん生の演出、すなわち八五郎が次第に酔っ払い、殿の前で都々逸を披露するやり方が好きだ。

四人四様、それぞれが持ち味を発揮した会だったのだが、終わって見れば喬太郎だけが強く印象に残った。
他の3人は割りを食われた恰好になってしまった。

2009/06/28

やはりシマンテック社はおかしい

ネットニュースの“JANJAN”で、松田まゆみ記者が「驚くべきシマンテック社架空請求の手口」というタイトルで記事を書いている。
内容はシマンテック社の(ウイルス対策ソフト)ノートン・インターネット・セキュリティの更新をしていないにも拘らず、代金が請求されていたというものだ。つまり架空請求ではないかという指摘だ。
昨年からダウンロード版をカード決済で購入、有効期限は今年の5月中旬だったが、期限前にノートンをアンインストールして他社のウイルス対策ソフトをインストールした。
ところが、4月30日付けで昨年と同額の請求がきてしまったというわけだ。

シマンテック社側の説明では、ダウンロード版では自動的に更新されることになっていて、ユーザーが停止手続きをしなければ自動的にクレジットカードに課金されるとのこと。
この場合、期限が切れる37日前にメールで自動延長について知らせが届き、15日前には延長完了の知らせが届くことになっているのだそうだが、実際には松田記者には通知がされていなかった。
交渉の結果、3ヵ月後には返金されたが、クレジットから自動引き落としのため気付かない人もいるのではというのが、松田記者のコメントだ。

この件で思い出すのが、私が書いた「“Norton Internet Security”は欠陥商品では?」という記事だ。
ソフトの有効期限が翌年1月だったのに(コンピューター購入時からずっと同社の製品を継続して使っていた)、ある日突然前年の9月に期限が変更されていて、本当にその日に期限切れになってしまった。
これなど詐欺行為だと言って良い。
私の場合、この製品は他にもトラブルを起こしていたので、もう二度とシマンテック社の製品は使わないと決めて、クレームせずに他社製品に切り替えた。それ以後トラブルも解消した。
アメリカではシマンテックとマカフィーが自動更新でトラブルとなり、罰金を課せられたそうだが、こうなると企業体質が問われる。

セキュリティ・ソフトの企業にとって、信用力が命だ。
そのことをシマンテック社はどう思っているのだろうか。

「柳家喬太郎 横浜開港150周年記念独演会」(6/27昼)

正確には「柳家喬太郎 横浜開港150周年記念独演会~喬太郎創作落語~」という長いタイトルの会で、横浜市の開港記念行事の一つ。会場はもちろん横浜にぎわい座。4回公演の中の6/27昼の会へ出向く。
高校生のころ急に海を見たくなって、土曜日の昼下がり友人とともに横浜へ行ったことがあった。地図も何も持たず横浜駅で降り、とにかく海の方向に向かって歩くのだが、行けども行けども海に着かない。
気が遠くなるほど歩いてようやく港にたどりつき、行き交う船をみながら「やっぱり海は良いよな」と語らいあった記憶がある。
若い頃、横浜といえば美空ひばりと、それから有島武郎の小説「一房の葡萄」(小学生のとき読んで号泣した)を連想したが、いずれも港町としてのイメージだ。
だが喬太郎がマクラで言っていたように、港は横浜市のごく一部である。

今回の記念公演に、小学生から成人にいたるまで横浜市で過ごした柳家喬太郎に白羽の矢が立ったのは自然の成り行きだろう。
しかしご本人も言っていたように、開港記念にちなんだ新作を創るというのは大変なプレッシャーだったであろうことは、想像に難くない。「よせば良かった」は本音だと思う。
4回公演のうち、喬太郎の新作だけが共通で、あとは日替わりだったようだ。

【番組】
瀧川鯉橋「だくだく」
柳家喬太郎「禁酒番屋」
橘家文左衛門「ちりとてちん」
~仲入り~
柳家喬太郎「横浜開港百五十周年記念落語(仮)」

座布団返しの前座は談春の弟子の「こはる」、開口一番は鯉昇の弟子の鯉橋という賑々しい顔ぶれ。余談だが、瀧川鯉昇のお弟子さんたちは、古典をしっかりと演じる人が多く将来が楽しみだ。
喬太郎の一席目は柳家のお家芸「禁酒番屋」。昼夜2回公演で後半に新作が控えているせいか、やや調子を抑えていて、喬太郎としては平凡な出来だった。
ゲストの文左衛門、高座で引っくり返るオーバーアクションで「ちん」を熱演。優等生タイプの多い近ごろの落語界にあって、珍しくアクに強さを全面にだしている芸人だ。

さて肝心の喬太郎の新作だが、江戸時代の終わりに今の横浜が開港し(それまでは神奈川に港があった)、外国の人が日本を訪れるようになると、そうした外人を目当てに遊郭が誕生する。
苦界に身を沈める女とその人を慕う男との純愛を、外国へ単身赴任する現代のサラリーマンの物語と交差させながらストーリーが進行してゆく。
ネタを「仮」としているのは、未だ完成形ではないと喬太郎が考えているためだろう。
全体に冗長でオチも今一つの感があり、もう少し練り上げて、いっそ「すみれ荘・・・」の続編にしてしまうというのはどうだろうか。
喬太郎の独演会としては、やや客席のテンションも低目だった。

2009/06/26

麻生太郎応援歌 ♪麻生おろし♪

日々窮地に追い込まれている麻生首相、世間はもはや総理の「解散権」にしか興味がないようです。
頼まれもしないのに炎天下、連日東京都議選(未だ始まっていないので、事前運動)の自民予定候補の応援に駆け回っていて、当地にも近々足を運ばれるとのこと。真に迷惑、いや有り難い、お話であります。

報道によれば、演説の大半は、やれ定額給付金だとか、エコポイントだとか、高速が千円で乗り放題だとか、税金と国債という名の前借りで集めた金を、総選挙前にいかにバラマイタかという、実績だけをアピールしているご様子。
なんのことはない、国民から集めた税金で選挙民を買収しようというわけだ。
つい先日まで、そうした行為はバラマキだとか、貰う奴は「さもしい」だとか批判していたのが、まるでウソのようです。
「君子豹変す」という言葉がありますが、君子じゃなくとも豹変はするんですね。

そんな麻生太郎首相のために、心をこめて応援歌を作ってみました。
もし気に入ったら、遊説のさいに全国各地で合唱してください。
なお漢字にはフリガナをふっていませんが、悪しからず。

「麻生おろし」
麻生おろしに 殺伐と
脳天欠ける 日常の
バラマキの旗 売り物に
貶むその名ぞ アソウ・タロー
負う 負う 負う 負う
アソウ・タロー
降れ 降れ 降れ 降れ

(オリジナルは阪神タイガース応援歌「六甲おろし」)
六甲颪(おろし)に颯爽と 
蒼天翔ける 日輪の
青春の覇気 美わしく
輝く我が名ぞ 阪神タイガース
オウオウオウオウ
阪神タイガース 
フレフレフレフレ

2009/06/25

どっちもイヤ!




コネタマ参加中: 鳩山兄弟対決!?自分のボスにするならどっち?

強いてあげるなら、お祖父さんの「鳩山一郎」。

【思い出の落語家13】古今亭志ん生の凄さ(2)

五代目古今亭志ん生や八代目桂文楽が健在のころは、彼らが十八番としていたネタは、他の噺家は遠慮して高座にかけなかった。それだけ聞くと、昔の落語家の世界は上下関係が厳しかったと思われてしまうが、そうではない。
例えば、志ん生が得意としていた「火焔太鼓」について見てみよう。

ストーリーはざっとこんな具合だ。
道具屋の甚兵衛は普段から女房に「商売が下手だ」と馬鹿にされている。
今日も甚兵衛が市で仕入れてきた太鼓を女房から散々にけなされる。
甚兵衛が小僧に言いつけて、ハタキで太鼓のホコリをはたかせていると、ちょうどお駕籠で通り掛かった赤井御門守というお大名の耳にその太鼓の音が入り、家来に命じて甚兵衛に屋敷に持参するよう命じる。
甚兵衛が太鼓を屋敷へ持ってゆくと、「これは火焔太鼓といって、世に二つという名器」と、三百両で買い上げられた。
三百両を懐に宙を飛ぶように帰ってきた甚兵衛は、女房から「お前さんは商売が上手だ」と手の平を返したように褒められる。
甚兵衛も得意になって「今度は半鐘を仕入れる」と言うと、女房は「半鐘はいけないよ。オジャンになる」。

実はこのネタ、伝えられていた古典の形を志ん生が随分と手を入れているのだ。
例えば、
(1)オリジナルでは道具屋が始めから「火焔太鼓」と知っていて仕入れてくる。
(2)だから殿様から「火焔太鼓」だと言われても驚く場面がない。
(3)オリジナルではこの後、道具屋が本当に半鐘を仕入れてくる。
(4)小僧が半鐘を叩くと、火事と間違われて大勢が店に踏み込み、売り物をメチャメチャに壊してしまう。
(5)サゲは、「ドンと太鼓で儲けたが、半鐘でおジャンになった」。
こうなるとオリジナルは換骨奪胎、いま演じられている「火焔太鼓」は、志ん生による「改作」といっても良い。

こうした改作は、他に志ん生については前回とりあげた「品川心中」、文楽なら「船徳」、三木助なら「芝浜」、柳好なら「野晒し」、金馬なら「薮入り」や「居酒屋」など沢山の例がある。
こうした噺は古典には違いないが、演者のオリジナリティーが非常に高い。だから他の落語家が遠慮して高座にかけなかったのだ。
一口に古典落語と言っても、昔ながらの形でそのまま演じていたら、とっくに廃れたネタも多かった筈だ。
昭和の初め頃に活躍した彼ら名人・上手と言われた落語家たちが苦心して改作してくれたお陰で、現在わたしたちも楽しめているわけだ。

五代目古今亭志ん生の芸風を評して「ぞろっぺい」と言われるが、「ぞろっぺい」どころか、緻密に計算され尽くした演出をしていたのだ。
それなのに観客には「いい加減」に映ってしまう、そこが志ん生の凄さである。

2009/06/24

♪東国原音頭♪

安陪さんも、福田さんも、麻生さんも、こちらへどうぞ。
小泉さんは? えっ? ああ、もういらっしゃらない。
では皆様、ご一緒に!

「そのまんま自民党」党歌
♪ 東国原音頭 ♪
(1番)
東国原 目先きゃ大臣
麻生不人気 選挙にゃ勝てぬ
東国原新総裁 東国原新総裁
(2番)
東国原新総裁
ちょいとちょっくらちょいと 民主を破り
一度は成りたや新総理
一度は成りたや新総理

オリジナルは「東村山音頭」
(1番)
東村山 庭先きゃ 多摩湖
狭山 茶所 情けが厚い
東村山4丁目 
東村山4丁目
(2番)
東村山3丁目
ちょいとちょっくらちょいとちょっと来てね 
一度はおいでよ3丁目 
一度はおいでよ3丁目

【イラン情勢】1枚の映像が国際世論を変えるか

先ずは下の画像を見て下さい。
イラン大統領選をめぐる混乱の続くテヘランで、反アハマディネジャド大統領デモで銃撃された若い女性が路上に仰向けに倒れ込んでいる衝撃的な写真です。
_

この少女の名はネダといい、婚約者の証言によれば6月20日イランの首都テヘランを車で移動中、デモ現場付近に遭遇して交通渋滞に巻き込まれました。
暑かったために車から降りたところ、保守派の民兵組織バシジが撃ったとみられる銃弾を胸に受けたものです。
倒れ込むネダさんに周囲の人々が「心配するな」と励ましますが、彼女を助けることができず、彼女は数分後に息を引き取ったということです。
彼女が絶命しつつある映像はインターネット上に流れ、「イランの天使」として反体制運動の象徴的存在になっているようです。

実はこの後のイラン当局の扱いが、またひどいんです。
ネダさんの遺体は翌日、当局がデモ犠牲者のために割り当てたテヘラン南部の墓地に埋葬されました。
婚約者や親族は22日午後に、モスクでの追悼行事を計画したのですが、ネダさんがデモ弾圧の象徴的な存在になっているのを知った当局やバシジは、開催を認めなかったというのです。

下の画像は生前のネダさんの写真だそうですが、この幸せに満ちていた笑顔が、理不尽な銃撃により奪われたかと思うと、強い憤りを禁じえません。
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イランに急進的なアハマディネジャド政権が生まれた背景には、米国ブッシュ大統領の失政に原因があります。
それまで穏健な改革派政権にあったイランは米国とも友好的関係に向かいつつあり、ビン・ラディン掃討作戦にも協力的な立場でした。
その様相が一変したのは、ブッシュの「悪の枢軸」としてイランを名指しで非難したためで、裏切られたと捕えたイラン国内世論がアハマディネジャド大統領を誕生させました。
そうした経緯があるせいか、オバマ大統領は今のイラン情勢について、強いメッセージを発してこなかったのですが、6月23日の記者会見で、イラン大統領選をめぐる抗議デモ参加者への暴力的鎮圧を「不当な行為」と強く非難するとともに、イラン政府に対し「国際社会からの敬意を求めるのなら、自国民の権利を尊重し、意思を聞き入れなければならない」と要求しました。

1枚の画像、写真が国際世論を変えるというのは、過去にもベトナム戦争やコソボ紛争でも見られたことであり、今回のイラン少女射殺映像も、イラン政府への批判の流れを加速するものと思われます。

なお、イランの民兵組織バシジ(バスィージ)に関して、イラン在住の日本人の方のブログに書かれた記事の一部を紹介します。
【引用開始】
正直なところ、改革派学生が頑張っても、武器と「治安維持」の題目を国から与えられているバスィージには勝てないだろうと思います。軍は大統領によって利権をたっぷりと与えられ、離反する理由を持っていませんし、学生達が担ごうとしているムーサヴィー氏にしても、結局は体制の枠内にいる人ですから、その枠を越えて動くことはないでしょうし。
もちろん、学生たちの抱える不満はよく分かります。この数年、大学生たちと関わってきて、彼ら自身から常に聞かされています。
バスィージでなければ、あるいは体制に忠誠を誓っているように見せなくては就職口を見つけられない、あるいは事業を起こすこともむずかしい。賄賂が横行し、真面目に仕事をしようとする人ばかりがバカを見るような状況では、「何が自由・平等だ」と、革命政府のスローガンに反発を覚えるのも無理ないと思います。能力とは関係のないところで出世していく人を見ていたら、嫌になるだろうというのはよく分かります。
【引用終り】

このサイトは「イランという国で」という名称で、連日緊迫した現地の模様が掲載されていますので、興味のある方はご覧ください。

そのまんま「自民党」

自民党の古賀誠選対委員長は6月23日、宮崎県庁に東国原英夫知事を訪ね、次期衆院選への自民党からの立候補を要請した。
これに対して東国原氏は出馬の条件として「党総裁の候補にする」ことなどを提示したため、結論は得られなかった。
つまり、どうしても自民党から立候補して欲しいのなら、オレを総裁にしてくれるんなら出てやってもいいぜ、というわけだ。
そのまんま東にこうまでナメラレタんじゃあ、天下の自民党も形無しだ。

こうなったらいっそ落ちる所まで落ちて、東国原を総裁に担いで「そのまんま自民党」と改名し、イチから出直ししたらどうか。
それにしても人間、落ち目にはなりたくないね。

2009/06/23

日本郵政・西川社長の報酬返納って、なに?

麻生首相とかけて、初心者のゴルファーと解きます。そのココロは「ともにバンカーが悩みです」。
都市銀行のトップを渡り歩き、「最後のバンカー」と異名をとる日本郵政の西川善文社長の続投が固まった。6月22日西川社長との会談後、佐藤総務相は西川氏の社長続投を容認する意向を表明、麻生太郎首相の了承を得たことも明らかにした。
ゴタゴタが続いた日本郵政の社長人事問題は、ひとまず決着がついたことになるが、一つ分からないことがある。
日本郵政は社内処分として、西川社長は報酬の30%を、高木祥吉副社長も報酬の10%をいずれも3カ月間返上するという。一体これは何についての責任を取ったものだろうか、それが不可解なのだ。

日本郵政では今年1月以降を見ても、明らかになっているだけでいくつもの不祥事が相次いでいる。
(1)保養宿泊施設「かんぽの宿」売却を巡る不手際
(2)30~40万件と推測される簡易生命保険の不払いの発覚
(3)障害者団体向け割引制度を悪用した郵便法違反事件の摘発
などである。
これらのどれ一つをとっても、本来は経営トップの責任が追求される問題ばかりだ。
これらを事実として認め、経営責任を明確にするならば、直ちに西川社長は退任すべきだ。
もしこれらの件は事実無根であり日本郵政側になんらの落ち度が無いということであれば、社内処分は全く不要である。
だから西川社長の報酬30%カットを3ヵ月という処分の根拠が分からないのだ。

特に「かんぽの宿」の売却問題だが、経緯をみれば国民の財産を日本郵政がオリックス(宮内義彦オーナーと言い換えても良いだろう)に、出来レースで叩き売りしようとしたことは、明らかではなかろうか。
時代劇風に例えれば、御用商人である南海屋から越前屋に、幕府の埋蔵金を横流ししたようなイメージだ。これを見咎めたお代官が将軍に注進に及ぶと、かえってお代官が切腹に成ったというのが結末だ。
TV番組と異なるのは、最後まで水戸黄門が登場しなかったことだ。
国民の多くがこうしたイメージをダブらせてしまった。
郵政民営化といいながら、その実体は一部の人間だけが旨い汁をすえる「郵政私物化」ではないか、という疑問が吹き出てきた。
全ては小泉純一郎と竹中平蔵ら推進派が決めたことであり、西川社長一人に罪を被せるわけにはいかないのだろう。
その辺りのサジ加減が、ナンとも中途半端な社内処分になったと思われる。

いずれにしろ国民大多数の理解が得られるとは思えない、今回の西川続投だ。

「京教大集団暴行事件」不自然な決着

京都教育大の男子学生6人が酒に酔った女子学生への集団準強姦容疑で逮捕された事件で、京都地検は拘置期限の6月22日、全員を処分保留で釈放した。
6人は逮捕後も全員が一貫して容疑を否認していた。
京都簡裁で19日にあった拘置理由開示で、4人は「女性は泥酔状態ではなかったし、合意のもとだった」と、また2人は「体を触っただけ」と主張していた。
検察は証拠隠滅の恐れがあると拘置延長を主張し、弁護人は全員が無罪だと主張していた。
その後容疑者の弁護人が被害女性側に示談を打診し、告訴取り下げを条件に示談が成立したという。
地検は女性に処罰感情がないことから起訴の必要性がないと判断し、近く全員を不起訴処分(起訴猶予)にするとみられる。

集団準強姦罪は親告罪ではないので、被害者の告訴がなくても起訴できる。
今回の事件が事実であるとしたら、被害者の処罰感情がどうであろうと起訴できるし、起訴すべきなのだ。
示談が成立しているかどうかは、裁判における量刑にかかわるのであって、犯罪そのものを消し去るものではない。
容疑者全員を不起訴としたのは、元々この件で事件性そのものに疑いが生じたからではないのか。
取調べでも新たな証拠は出てこず、このままでは起訴に持ち込んでも公判維持が難しいと判断したので、示談成立をむしろ「渡りに船」として釈放したものと思われる。
うがった見方をすれば、示談そのものが検察と弁護人との「阿吽の呼吸」だったのではなかろうか。

当ブログでは逮捕の時点から、この事件に不可解な部分を感じ、大学側への抗議や嫌がらせに対する自制を求め、逮捕された6人への弁護論を圧殺するかのような風潮に警鐘を鳴らしてきた。
今回の結果から、次は一転して被害者側に対する嫌がらせを起こすことのないよう警告したい。
真実は今もって分からない。
こうした事件は、周囲も慎重な態度が求められると思う。

2009/06/22

ボリショイ劇場・オペラ「スペードの女王」@NHKホール

Popovskaya_spade
ロシア・ボリショイ歌劇場の来日公演が行われているが、6月21日NHKホールでのオペラ「スペードの女王」を観劇。
A席37000円が割引で20000円でチケットが入手できたからという、極めて不純な動機で出向いた。

音楽 : ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
台本 : モデスト・チャイコフスキー
(アレクサンドル・プーシキンの同名の小説に基づく)
音楽監督 : ミハイル・プレトニョフ
演出 : ワレリー・フォーキン
舞台装置 : アレクサンドル・ボロフスキー
【主なキャスト】
ゲルマン(T):ウラディーミル・ガルージン
リーザ(S):エレーナ・ポポフスカヤ
エレツキー公爵(Br):ワシリー・ラデューク
伯爵夫人(MS):エレーナ・オブラスツォーワ
【演奏】
指揮 : ミハイル・プレトニョフ
ボリショイ劇場管弦楽団・合唱団

ストーリーは、
貧しい士官ゲルマンは令嬢リーザに恋をするが、リーザは既にエレツキー公爵の婚約をしていた。
リーザの祖母である伯爵夫人がかつて「スペードの女王」の異名を持ち、カード賭博の3枚の勝ち札の秘密を知っているという話を聞く。
リーザの心を掴んだゲルマンは、高官の館で仮面舞踏会が開かれた夜に伯爵夫人の寝室に忍び込み、帰宅した夫人からカードの秘密を聞き出そうと脅して、夫人をショック死させてしまう。
今や狂気のゲルマンはリーザを自殺に追い詰め、伯爵夫人の亡霊から告げられた3枚の勝ち札に全てを賭けるが、最後の1枚を「エース」の代りに「スペードの女王」を引いてしまい、自決し果てる。

第1幕 (第1場・第2場) ・第2幕(第3場)100分
-休憩 30分-
第2幕 (第4場)・第3幕(第5場・第6場・第7場) 70分
上演時間は休憩を含めて約3時間30分という長編である。
イタリア・オペラやモーツアルトの作品は見ていたが、ロシア・オペラは初めてで、前者に比べ洒落た要素が少なく重厚な印象を受けた。
作品としては、特に後半はドラマチックで緊張感のある舞台だったが、前半はかなり冗漫な感じだった。

歌手たちは全般にレベルが高く、特に主役のゲルマンを演じたウラディーミル・ガルージンのテノールが素晴らしい。全幕を通じて歌い続ける難役だが、会場全体に響き渡るテノールに酔った。
リーザ役のエレーナ・ポポフスカヤのソプラノも美しく、初々しい容姿(トップの画像)も役柄にピッタリであった。
ミハイル・プレトニョフ指揮のボリショイ劇場管弦楽団は全体としては良い音を響かせていたが、管楽器で2,3ヶ所濁った音に聞こえたのは、私の気のせいだろうか。

特筆すべきは舞台装置で、一見、無機質な印象だが、ある時は作品の舞台となっているサンクトペテルブルグの風情を、ある時は宮殿の内部を、ある時は賭場を、2段デッキを上下させながら実に巧みに表現していた。
オペラ後半の劇的盛り上がりも、この舞台装置がなければ印象は半減していただろう。

日程上NHKホールになったのだろうが、オペラハウスで見慣れると、やはりこのホールはチープな感じが否めない。

2009/06/21

麻生首相の「惜敗を期す」発言は正しい

麻生太郎首相が6月20日、都議選の立候補予定者を激励した際、「惜敗を期して」と発言したと報じられている。
どの報道機関も麻生総理の言い間違いだとしているが、これは正しいのだ。
このままいけば都議選で自民党は惨敗となりかねない。せめて競り合って惜敗になれば御(おん)の字なのだ。
そうした願いを込めて発した言葉であり、むしろ率直な気持ちを述べたものだから、訂正の必要はない。
もしも「必勝」と「惜敗」の区別がつかなかったとすれば、いちど専門医に診てもらうしかないだろう。

同じく都議選で、西松建設をめぐる民主党・小沢一郎代表代行の疑惑だが、前日の裁判であれだけ詳細に暴かれたにもかかわらず、自民党の各予定候補者が殆んどこの問題に触れていないそうだ。
その理由として、武蔵野市選挙区から出馬予定の元都議は「事件に触れると、批判の矛先がこちらに向いた時、困る」と語り、多摩地区から立候補予定の新人も「西松事件の民主への影響より、自民への風当たりの方が強い。国政に絡めた選挙をしたくない」と明かした由。

そりゃそうだろう。
金を貰って企業や業界に便宜を計らう手口では、自民党の方がはるかに上だ。
この件では自民党と民主党は「兄たり難く弟たり難し」の間柄といいたい所だが、やはり自民党の方が本家であり、民主党は分家にすぎない。企業・団体からの献金の額も一桁違う。
批判を控えるのは、当然だろう。

国立演芸場6月中席(千秋楽)

6月20日は国立演芸場中席の千秋楽に出向く。
近ごろは1-2ヶ月前に前売りを買うことが多く、行く段になってチケットを入手した理由を忘れてしまうことがある。
この日も小屋の入り口で出演者の顔付けを見ても、理由が思い出せない。認知症のハシリかしらン。
多分、芸協の寄席にしばらくご無沙汰していたので、久々に聴きに行こうと考えたのだろう。
土曜日の昼席で団体が一組入っていたにしては、やや入りが寂しい。

芸協は若手真打に大名跡を継がせる方針ととっているため、名前を聞くと懐かしい気分になる。
先代の圓遊は華のある陽気な高座で、「堀の内」など軽めのネタを得意としていた。
先代の昔々亭桃太郎は新作専門で柳家金語楼の実弟。
今もしばしば高座に掛けられる「新聞記事」は先代の作だ。戦前は大変な売れっ子で、東條英機が大フアンだったことでも知られている。人気のピーク時に兵役に取られた上シベリア抑留が重なり、後年は不運だった。
私が高座でみたころは往年の勢いは薄れていたが、とても上手い噺家だった。
そんな先代の芸風と比べてみるのも、オールドフアンの楽しみの一つだ。

<前座>春風亭昇也「たらちね」
春風亭べん橋「引越しの夢」
林家花「紙切り」
春風亭柳之助「ちりとてちん」
東京丸・京平「漫才」
三遊亭圓遊「淀五郎」
―仲入り―
北見伸&スティファニー「奇術」
三遊亭遊雀「熊の皮」
鏡味八千代・初音「曲芸」
昔昔亭桃太郎「ぜんざい公社」

前座の昇也は元々が漫才出身だそうだが、語りがしっかりしている。だた頻繁にカムのが気になった。
柳之助の「ちん」だが、料理を食べるシーンが上手い。特に虎さんがちりとてちんを食べた後のしぐさが秀逸。良い出来だった。
圓遊の「淀五郎」は熱演ではあったが、全体に急ぎすぎ。こうしたネタはじっくりと演じないと客が感情移入できない。
遊雀は得意のネタで、客席を沸かせていた。
桃太郎の「ぜんざい公社」は何回目になるだろうか、この日が一番良かったように思う。マクラもいつもより面白く感じた。

色物は元々芸協は定評がある。この日も様々な芸人が登場し、特に北見伸&スティファニーのイリュージョンマジックは落語協会の高座では見られない。
落語に関してはとかく落協との格差が指摘されるが、この日のラインナップであれば全く遜色がない。

2009/06/19

【西松事件】やはり小沢一郎の受託収賄罪だ

当ブログでは当初から、西松建設から小沢一郎への献金事件は受託収賄罪であり、小沢一郎本人を起訴すべきだと主張してきた。
だから、検察が政治資金規正法で大久保秘書のみを起訴したことに納得がいかなかった。
本日、西松建設の前社長国沢幹雄被告の初公判があり、ここでの検察側の冒頭陳述の内容を見て、ますますその思いを深くした。

検察の冒陳の要旨は次の通り。
(1) 岩手県の公共工事と秋田県の一部の公共工事については、小沢事務所の意向が「天の声」とされ、談合における本命業者の選定に影響力を及ぼしていた。
(2) 西松建設の国沢前社長は、1995年に東北での受注を伸ばすため小沢氏側に多額の献金をすることを了承、ダミーの政治団体を使った献金を始めた。
(3) 西松建設は1997年ごろ、小沢事務所との間で年間2500万円を継続して献金する申し合わせをした。
(4) 小沢氏秘書の大久保被告は、2000年ごろから談合の「天の声」を出すなどしていた。西松建設側に献金額の割り振り案を記した一覧表も示していた。
(5) 西松建設の共同企業体が小沢事務所による「天の声」で落札した公共工事は岩手、秋田両県で計4件、総額122億7000万円にのぼる。

受託収賄罪は刑法197条に定められていて、公務員が職務上の権限に関して、ある行為をしてほしいといった依頼を受け、その報酬として賄賂を受け取る犯罪である。実際に賄賂を受け取らなくても、賄賂を要求したり賄賂をもらう約束をしていれば、それだけで受託収賄罪が成立する。
検察の主張を要約すれば、西松建設から小沢一郎側に毎年2500万円のヤミ献金を行い、その結果西松建設は122億円あまりの公共工事を受注したということだ。
これならどこからどう見ても、「立派な贈収賄事件」ではないか。

ところが実に不思議なことに、検察の冒頭陳述では金を受け取り「天の声」を出して西松に便宜を計らったのは小沢一郎議員ではなく、「小沢事務所」あるいは秘書の大久保被告だというのだ。
「事務所」が声を出す筈はなく、この検察の主張は明らかにマヤカシである。
この事件で、「天の声」を発する権限は小沢一郎議員以外ない。

検察は明らかな贈収賄事件なのに小沢本人の起訴をせず、なぜ秘書の政治資金規正法違反だけでお茶を濁したのか。
実は、全国津々浦々各地に「小沢一郎モドキ」や「ミニ小沢一郎」が存在し、ゼネコンから多額の献金を受け、公共工事に便宜を計らっているという実態がある。
その大半は自民党議員だ。
もし総選挙前のこの時期に小沢一郎を逮捕起訴すれば、他の地域の「小沢一郎モドキ」の捜査にも手をつけざるを得ない。だから適当に手を引いた、こんな所ではなかろうか。
同じ西松事件で、検察が二階俊博敬経済産業相の政治団体へのダミー献金を不起訴としたのも、この流れだろう。

全てが検察の腰砕けである。

2009/06/17

「小沢一郎の次は石井一」(あ)そうは問屋がおろさない

実態のない自称・障害者団体「凛の会」(現・白山会)を使った郵便割引制度の悪用事件だが、適用団体と認めた偽の証明書発行が、厚労省の障害保健福祉部による組織ぐるみの犯罪であったことが、しだいに明らかになってきた。
そして予想通りバッジ(国会議員)絡みの展開となった。
すでに退職している元部長(この人物が事件のカギを握っている)によれば、2004年2月ごろ面識のあった民主党・石井一議員より「障害者団体の認可の件でよろしく頼む」と電話を受け、村木厚子容疑者(当時課長。逮捕時は雇用均等・児童家庭局長)らに「議員絡みだからうまく対応してほしい」と伝えたとされる。
その後、石井一議員の元私設秘書で凛の会元会長の倉沢邦夫容疑者が、当時の課長村木厚子容疑者に面会し、証明書の発行を依頼したとみられる。
村木課長より部下の上村係長に、「議員案件」であることから、正規の決裁手続きをしないままでも証明書発行を急ぐよう指示し、上村係長もその必要を認識したうえで、2004年6月に偽の証明書を作ったとされる。

この経緯を見ると、きわめて筋が通っているが疑問が二つある。
その一つは厚労省の担当部署がなぜ野党議員のいいなりになって動いたのかという点だ。
これについて元部長の話によれば、2004年当時の障害保健福祉部では、元部長や部下の村木企画課長が、福祉サービス利用者に原則1割の負担を求める障害者自立支援法の成立に向けての責任者として、与野党の国会議員や障害者団体との折衝を続けていたとされる。
つまり小泉構造改革の一環として、社会保障の切り下げを進めていた時期で、野党の反対を抑えるためには、不正に協力せざるを得なかったというわけだ。
なにせ天下の悪法である「障害者自立支援法」を無理やり通せという命令だっただろうから、相当のプレッシャーだったに違いない。
この状況はなんとなく理解できる。

もう一つの疑問は、なぜ偽の証明書を作成したのかという点だ。
部長の指示だったのであれば、正規の手続きをふんで決済してもらえば良かったのではないかという疑問である。これなら部下はリスクを負う必要はない。
推測するに、証明書発行にあたり元部長が課長に「この件は、私は知らないことにしておいてくれ」と言ったのではないか。
こうなると部下は自らのリスクと責任でことを運ばざるを得ない。
そうした功績が認められ、村木容疑者はめでたく局長にまで昇進できたと考えれば、これも納得がゆく。
上役から見れば使い勝手が良かったので、覚え目出度かったということだ。
なお石井議員事務所は、これまでの取材に「凛の会は知らない」と関与を全面否定しているようだが、当然そうだろう。

再び内閣の支持率が急落した麻生首相としては、ここは一発大逆転を狙って、石井一議員の逮捕と行きたいところだろう。
なにしろ小沢一郎の秘書の逮捕で味をしめている。夢よもう一度だ。
ただ今までの証言では、厚労省への口利きは明らかだとしても、それに対する見返りがハッキリとしていない。金銭の授受などの証拠が出ていないし、証明書の偽造そのものを要請したわけではない。
逮捕まで進むのは難しいだろう。

もう一つ、西松事件で二階俊博敬経済産業相の首を無理に守ったことが、ここに来て裏目に出た。
西松建設がダミー団体を使い、自民党二階派政治団体「新しい波」のパーティー券を購入したとされる問題で、東京第三検察審査会は、先に東京地検特捜部が不起訴とした二階派政治団体の元会計責任者らについて、「不起訴不当」と議決した。
同時に、西松建設の前社長国沢幹雄被告についても「起訴相当」と議決した。
特捜部は今後、議決内容を踏まえ再捜査し、あらためて処分を下す見通しだ。
下手をして、総選挙を前にして二階大臣の政治団体への強制捜査や、関係者の逮捕といった事態になれば、いよいよ弱り目に祟り目になりかねない。

指揮権も 振り回されぬ 選挙前

2009/06/16

絶対に「百万年前」




コネタマ参加中: タイムマシンがあったら、どの時代に行きたい?


だってこんな美女がいたんですよ、百万年前に。
ウソだと思ったら、「恐竜百万年」という映画を観て。
名前は確か、ラクエル・ウエルチと言ってましたっけ。

Raquel_welch1

劇団大阪公演「親の顔が見たい」

創立40周年をむかえる「劇団大阪」の第66回本公演は、学校でのイジメ問題をテーマにした「親の顔が見たい」を上演中。劇団のアトリエ「谷町劇場」での6月14日16時の会を観劇。
■作・演出
作/畑澤聖悟
演出/熊本一
■キャスト
齋藤誠/ミッションスクールの中学校長
神津晴朗/学年主任
もりのくるみ/自殺した生徒の学級担任
森祥子/自殺した生徒・みどりの母
清原正次/同級生・志乃の父
夏原幸子/同 母
上田啓輔/同級生・翠の父
小石久美子/同 母
高尾顕/同級生・のどかの祖父
山内佳子/同 祖母
中村みどり/同級生・麗良の母
池田ゆみ/同級生・愛理の母
市村友和/みどりのバイト先の店長

ストーリーは、
伝統ある星光女子中学校の2年3組の教室で、生徒のみどりが自殺する。
担任の教師にあてた遺書があり、そこには同級生である志乃、翠、のどか、麗良、愛理の名前が書かれていた。5人の保護者たちが会議室に集められ、校長や学年主任らと話し合いが行われる。
自殺を生徒本人の資質や家庭環境のせいにしてわが子を庇護する親たち、穏便に済ませようと対応に苦慮する教師たち。
やがて、少しずつイジメの実体が浮かび上がってくるが・・・。

ますます深刻化、陰湿化する学校でのイジメ、責任を全て学校に転化するモンスターピアレントの存在、それに小泉構造改革により生じた中流階級の崩壊などが背景として絡む。
この芝居の本当の主役は、実は舞台に姿を見せない生徒である。
親や教師の理解を超えた存在になってしまい、どう接してよいのか正解がみつからないもどかしさ、それこそがこの芝居のテーマではなかろうか。
しかしその背景にあるのは、実は大人の世界であり、その鏡として子どものイジメ問題が横たわっていると思う。
生徒が新型インフルエンザにかかったと報道されると、学校の業務がマヒするほど、朝から晩まで非難や嫌がらせ電話を集中させる、それも名前も顔も無いノッペラボウの人間がやっているのだ。
そうした社会的風潮の裏返しが、子供たちのイジメを生んでいるような気がしてならない。

舞台中央が会議テーブルになっていて、その周囲を出演者たちが囲む。
更にその周りを観客席が囲んでいるので、観客自身が舞台に参加しているような錯覚にとらわれる。あまりに理不尽な発言を繰り返す親がいると、舞台に出て行って殴りかかりたくなる衝動にかられるほどである。
小舞台の良さが生きた演劇だといえよう。
そういう意味で、今まで観てきた劇団大阪の芝居で、最も強い感動を受けた。

キャストでは、斉藤誠、中村みどり、上田啓輔ら劇団の中心メンバーが手堅い演技を見せていた。
みどりの母親役の森祥子の狂気に近い迫力と、志乃の母親役の夏原幸子のおぞましさ(もしかして「地」?)に満ちた演技が光る。
他に、担任を演じた客演のもりのくるみの熱演が印象に残った。

2009/06/14

「トリオ・ディ・クラローネ」@トッパンホール

最近よく耳にする言葉に「草食系」「肉食系」というのがあるが、この分類でいえばさしずめ私など「雑食系」とでも言おうか。
とにかく何でも食べる、好き嫌いなしという訳だ。
今日も今日とて「クラリネットの演奏会? なんで又?」という家族の不審の声を背中に、6月13日トッパンホールの「トリオ・ディ・クラローネ」のコンサートに出向く。
ゲイジュツを理解しない人間に説明しても仕方ない。
室内楽の演奏はCDではよく聴くのだが、ライブを観る機会は少ない。オーケストラだと個々の楽器の音が取りにくく、今回はクラリネットの音色にシビレてこようという趣向だ。

管楽器の中で最もポピュラーなのはクラリネットではあるまいか。
かつてチンドンヤが町の中を練り歩いていたが、クラリネットは必須アイテムだった。子どもの頃見たサーカスには必ずジンタと呼ばれる演奏が流れていたが、そこでもクラリネットが主役だった。
昭和9年に流行した(生前ですけど)「サーカスの唄」の3コーラス目にもこの楽器の名前が出てくる。
「サーカスの唄」より
♪朝は朝霧 夕べは夜霧
 泣いちゃいけない クラリオネット
 ながれながれる 浮藻(うきも)の花は
 明日も咲きましょ あの町で ♪
哀愁を帯びた音色というのが、庶民に親しまれたのだろう。
もちろんクラシックの世界でもクラリネットは大活躍である。

【演奏者】
トリオ・ディ・クラローネ
・ザビーネ・マイヤー(クラリネット)
・ヴォルフガング・マイヤー(クラリネット)
・ライナー・ヴェーレ(クラリネット)
コンラート・エルザー(ピアノ)
【プログラム】
メンデルスゾーン:コンツェルトシュトゥック第2番 ニ短調 Op.114
シューマン:3つのロマンス Op.94
シューマン:おとぎ話 Op.132
<休憩>
シューマン(J.ミヒャエルス編):5つのカノン風練習曲 Op.56
シューマン:幻想小曲集 Op.73
メンデルスゾーン:コンツェルトシュトゥック第1番 ヘ短調 Op.113
他にアンコール2曲

「トリオ・ディ・クラローネ」はザビーネ・マイヤーを中心としたクラリネット・トリオで、ヴォルフガング・マイヤーは兄で、ライナー・ヴェーレは彼女の夫という家族的な構成だ。
経歴を見ると、ザビーネ・マイヤーはカラヤンの招きでベルリン・フィルに所属していた時期があるが、彼女が初の女性団員だったとのこと。オーケストラ内部の確執や、彼女がソロにむいているなどの理由から短期で退団したようだ。
他の2人の奏者が椅子に座って静かに演奏するのに対し、ザビーネは立ったまま身体全体を揺らしてダイナミックに演奏する。

休憩時間の周囲の会話を聞いていると、殆んどの人がクラリネットを手にしたことがあるようで、私のような門外漢は少数派だったと思われる。
クラリネットのコンサートは初めてだが、その艶やかな音色にウットリしてしまった。
クラリネットが2本のときは、1本はクラリネット、もう1本はバセットホルンという楽器で、通常のクラリネットより4度低い音を出す。
このクラリネットとバセットホルンがある時は競い合い、ある時は協調し、ある時は会話を交わすという具合に、実に美しい音を響かせるのだ。
ピアノも素晴らしく、例えばメンデルスゾーンのコンツェルトシュトゥック第1番では、3者の技巧をこらした掛け合いが披露された。

こうしたコンサートで感じるのだが、一流の演奏家というのは例外なく姿・形が美しい。男女は問わずだ。
この日のザビーネ・マイヤーもそうだった。
例に出して悪いが、この度イギリス政府より男性のナイトに相当する「デイム」の称号が授与されることが決まったピアニストの内田光子さん、決して世間的にいう美人ではないが、その容姿は実に優雅で美しい。
こういう発見も、ライブの楽しみの一つである。

2009/06/12

「鳩山捨てて西川とれば」麻生首相の決断の行方

さらば鳩山 心の友よ
一人腐るな また逢うことも 
盟友振り振り 西川とれば
首に夜風が ただ寒い
【オリジナル「啼くな小鳩よ」より】
さらば小鳩よ 心の妻よ
瞳曇るな また逢う日まで
帽子振り振り あとふり向けば
暁(あけ)の野風が ただ寒い

遂に本日午後、鳩山邦夫総務相が日本郵政の西川善文社長の進退問題をめぐる意見の対立から、麻生太郎首相に辞表を提出、受理された。事実上の更迭ですね。
これで麻生内閣の閣僚辞任は中山成彬前国土交通相、中川昭一前財務相に続き3人目で、いずれも側近議員だったという共通点がある。

これからボディブローのように効いてくるのは、世論の反発だろう。
あれほど大騒ぎして決めた郵政民営化だが、国民生活にとって何か良いことがあっただろうか。
それに加えて、「かんぽの宿」の一括譲渡をめぐる不透明な経緯が明るみになった。
日本郵政とオリックスとの出来レースであることは明白だろうが、私はそれより、小泉内閣で規制緩和の旗振り役だったオリックスのオーナーである宮内義彦への、政府からの”compliment”だったと推定している。
だからこの件の全ての責任を、西川社長一人にかぶせるわけにはいかなかった。
郵政民営化推進議員たちが西川続投を強く主張する理由は、この辺りにあるのだろう。

西川社長続投論は、自民党内では多数派だが、世論では逆である。
今回の鳩山切りは、衆院解散・総選挙を間近に控え、麻生首相の政権運営に打撃となるのは必至と見られる。

2009/06/11

「京教大暴行事件」魔女裁判じゃあるまいし

学生6人が集団準強姦容疑で逮捕された京都教育大に、事件に抗議する電話やメールが殺到してその数は3000件を越えた。電話は終日鳴りっぱなしでかかりにくく、大学の通常業務に支障も出ているとのことだ。
一体何が面白いんだろう。
つい最近も、生徒が新型インフルエンザに感染した学校に、抗議の電話が殺到したことが報じられたが、こういうのは一種の社会的イジメである。
正義の味方ヅラをしながら、実際には大半は「嫌がらせ」「八つ当たり」「腹いせ」であり、相手に迷惑をかけるばかりで、なんの役にも立たない。
嫌な風潮だ。

京都教育大学事件はすでに警察の捜査にゆだねられており、前回の記事に書いたように、大学側の対応も概ね妥当だ。
処分を公表しなかった理由として大学側は、「被害者を風評などから守ること」と説明しているが、性犯罪事件ではこうした配慮は当然である。
もしこの事件がそれほど明々白々な犯罪であったなら、警察に被害の訴えがあってから逮捕まで、なぜ2ヶ月以上を要したのだろう。もっと迅速に捕まえてもよかったのではないか。
今のところ、警察に対して「あの凶悪犯を2ヶ月も野放しにした」という非難の声は聞こえてこない。
して見ると、やはりこの事件はそう単純ではないのだろう。

逮捕された6人は既に犯罪者扱いだが、起訴されるかどうかも決まっていないし、まして裁判での審理は未だ先のことだ。
6人のうち、容疑を認めているのは1人、3人は行為はあったが合意だったと主張し、残る2人は見ていただけと言っているようだ。
大学の事情聴取でもほぼ似たような主張だったようなので、少なくとも本人たちの自覚はその程度なのだろう。
刑が確定するまではあくまで容疑者あるいは被告であり、裁判の中では否認する権利がある。

姦淫を行った4人は別にして、見ていただけという2人については、集団(準)強姦罪が適用されるかどうかは、今後の捜査と裁判での審理いかんである。
もし犯行の見張り役であったなら共同正犯になるだろうが、単に傍に立っていただけであれば幇助罪とみなされる可能性がある。
全てはこれからだ。

本事件に関連して、現場近くにいて大学から訓告処分を受けた男子学生が卒業後、京都市の市立中学校に講師として勤務していたが、その後退職していた。
6人が逮捕された翌6月2日、大学側から京都市教育委員会に対し処分の事実を連絡しており、その日に本人が「一身上の都合」を理由として退職を申し出たものだ。
形の上では自主退職となっているが、実際には市教委から詰め腹を切らされたのだろう。
しかしこの学生は近くにいて犯行を制止しなかったという理由で訓告処分となったもので、違法行為を行ったわけではない。いうなれば道義的責任の範疇である。
ましてや在学中の処分により、卒業後の就職先まで奪われるというのは、明らかに行き過ぎではあるまいか。

これとは別に、本件について会員制サイト「mixi(ミクシィ)」に、被害者の人権を侵害するような意見を書き込んだとして、立命館大学が学生2人を指導した。処分も検討しているという。
それぞれが投稿した直後に、学外から電話やメールで問い合わせがあり、大学側が2人に面接し確認した。
書き込みの内容は読んでいないが、被害者の人権を侵したとすれば、注意は当然だろう。
ただ今後の裁判などで、容疑者(被告)が無罪を主張することは有り得るし、裁判の記録から被告の主張に正当性があると考える人もいるだろう。
そうした中で、もうあいつらがやったに違いない、彼らは100%犯人であり、その被告を擁護すること自体が反社会的であるかのような風潮が生まれるとすれば、もはや公正な裁判は期待できない。
性犯罪事件の場合、被告の言い分や弁護側の主張を是とすれば、反対に被害者側の証言に対し批判的になるのは避けられない。
被害者の人権に配慮するのは当然であるが、批判的な意見を一律に人権侵害と指弾すべきではないだろう。

この事件に限らず最近の傾向として、「疑わしきは被告人の利益に」とか「罪を憎んで人を憎まず」などという考え方は、すっかりどこかに吹っ飛んでしまった感がある。
まるで中世の魔女裁判のような社会的風潮は、とても不気味である。

2009/06/10

爺さん婆さんが支える日本の出生率

ウィークデイの夕方は、孫を保育圓に迎えに行く日が続いている。会社を定年退職してからだから、もう5年を越えた。
私だけではない。下圓時ともなると、他にも沢山の爺さん婆さんたちが孫を迎えにきている。
母親がフルタイムで働いていると、保育園の迎えの時間に間に合わないのだ。
仮に時間は間に合ったとして、問題は他にもある。

一番困るのが子どもの病気だ。
子どもというのはしょっちゅう病気をする。特に幼少時は麻疹やお多福風邪など伝染性の病気にかかりやすく、そうなると治癒を終えても感染力が無くなるまで登園ができない。園児が二人いて交互に発病したりすると、1ヶ月位休まなくてはならない。
母親がその度に会社を休んでいたら、クビになってしまう。
家政婦を頼めば、延長料金を含めて1日につき15000円くらい支払うことになる。給料を全額つぎ込んでも足らなくなる。
だから母親が仕事を続けようと思えば、爺さん婆さんの手助けがどうしても必要になる。逆にいえば、そうした条件の無い場合は、子どもを持つ女性が仕事を続けるのが極めて難しいというのが現実だ。

もう一つ、祖父母の援助が必要な理由として、子供たちの食事の問題がある。
常勤の母親が退社後に買い物をし、帰宅してから食事の仕度をするとなると、夕食の時間は午後8時以後に成りかねない。育ち盛りの子どもは、そんな時間まで待てないのだ。
祖父母の家で食事を済ませたり、あるいは祖父母がせめてご飯と味噌汁くらい用意してくれると、とても助かるのだ。

爺・婆の立場からすれば、拘束時間こそ短いものの、雨が降ろうと風が吹こうと毎日必ず続けると言うのは、けっこう大変な仕事である。
しかも無報酬、それどころか持ち出しもバカにならない。
傍目からすれば遊んでいるように見えるだろうが、微力ながら日本の出生率向上に寄与しているわけだ。

日本社会の少子化がさけばれて久しい。
しかし政府は一体なにをしたいのか、サッパリ分からない。もし本気で出生率を増やそうと思うなら、やるべきことは山ほどある筈だ。
ここ最近で政府が行った施策と言えば、小渕優子少子化担当大臣が自ら率先して妊娠したぐらいしか頭に浮かばない。その一方で生活保護所帯の母子加算を全廃したり、逆行する政策をとっている。
産休、育休は制度としてあっても、権利が行使できるのはごく一部の企業だけだ。
働く女性の多くは出産に伴い退職せざるを得なくなる。

夫の給料だけでは家族が養っていけない。それで、子どもが生まれて母親が再就職しようとすると、子どもを保育園に預けねばならない。
入園の申し込みに行くと、就業していないからという理由で断られてしまう。働く意欲があっても、受け入れて貰えないのが現状だ。
こうした現実を放置しておいて、やれ結婚しろの子どもを産めのと言われても、無理なことは無理なのだ。
刺身のツマのような大臣を置くより、非婚少子化を生み出している社会的要因を一つ一つ確実に解決していくことこそ、急がねばならない。

これからの日本の将来を考えるさいに出生率の向上は大きな政治課題であり、衆院選の争点の一つとして各政党はマニフェストに掲げて重要視して欲しい。

2009/06/09

男と女の違い




コネタマ参加中: 「恋」と「愛」の違いって?


「恋」は男で、「愛」は女。
「恋(来い!)」っていったら、「愛(アイ!)」ってついてきて、
そのまま41年間、我が家に居座っている女が一人います。

2009/06/08

談春・喬太郎二人会(6/7-15時)@よみうりホール

落語界で人気を二分する二人の「立川談春・柳家喬太郎二人会」は、6月7日よみうりホールの15時の部に出向く。
今回はわたし自身の好みというより、娘(もうイイ年ではあるが)が談春の「赤めだか」を読んで感激し、是非いちどナマ談春を見たいというたっての希望からチケットを取ったものだ。
かつては落語フアンが落語家の本を読んだものだが、今は逆なんですね。
寄席には過去1,2回行っただけ、喬太郎という名前も初めて聞いたという娘が果たしてどのように反応するか、それが楽しみだった。

【この回の番組】
柳家喬之進「幇間腹」
柳家喬太郎「すみれ荘201号」
~仲入り~
立川談春「厩火事」(「すみれ荘201号」の下、仕立て)

喬太郎がマクラの頭で言っていたように、今回の二人会はメインが談春だ。
この場合、相方は主役を食わないようにやや軽めの高座にするのだが、この日の喬太郎は絶好調。
一人一席で時間がタップリあったせいか、日大オチ研のマクラをいつもより長めにして、お見合いの席で東京ホテトル音頭~東京イメクラ音頭~大江戸ホテトル小唄の3曲を熱唱。もう、ドウニモとまらない。
会場は大受けで、喬太郎を初めて聞いた娘も「この人上手ね」としきりに感心していた。二人の別れ話のシーンでは少しジーンときたそうだ。

しかしこう前の人が大受けだと、後の談春は困るだろうなと、ちょっと嫌な予感がした。
その談春の「厩火事」だが、この噺のスジに、髪結いの“おさき”が亭主より7歳年上で女は早く老けるから、自分が年寄りになってから亭主が若い女を引き込んで側でイチャイチャされたら・・・と心配する場面がある。
談春の演出は、仲人が生活力も金も無い年寄りの男を、若い女が相手にする筈がないからと指摘する。
そこで、おさきはこう反論する。若い女というものは、こうした地位も金もない年配の男にかえって魅かれるものなの。それに亭主はいい男。だってこの私が惚れたんだもの、と。
この演出は評価が分かれるだろうが、私は蛇足だと思う。本筋と離れているし、おさきの不安というのはそれほど論理的なものではなく、もっと漠然とした多分に情緒的なものだ。
あまり理に走りすぎると、かえってこのネタの持つ雰囲気を壊してしまうのではなかろうか。
それと、談春の欠点は登場人物が時に平板になることだ。
今回についても、亭主と仲人が同一に見えてしまう。仲人は分別のある目上の人間という性格づけのはずである。

本題が終わってから、これが「すみれ荘201号」の“ゆみこ”がテープで聴いていたという設定になっており、“ゆみこ”と同棲相手が元の鞘に納まるという大団円が付け加えられた。
観客へのサービスという面と、前の高座で喬太郎が受け過ぎたことを意識してのこともあったようだ。

肝心の娘の感想だが、「喬太郎は良かったが、談春は少し期待外れ。」とのことだった。
大方の評価も、その辺りに落ち着くのではなかろうか。

2009/06/07

柳家権太楼独演会(6/6)@横浜にぎわい座

Photo雨の残る6月6日、横浜にぎわい座の「柳家権太楼独演会」に出向く。土曜日ということもあり、補助席も出る一杯の入り。
今、活躍している代表的な落語家を1人上げよと問われたら、迷うことなく権太楼と答える。同感してくれる人も多いだろう。
大看板になると滅多に寄席に出ない芸人も多い中で、この権太楼とさん喬は常にどこかの寄席に出ている。今月の上旬も新宿末広亭と池袋演芸場を掛け持ちし、その合間にこの日のような独演会も開く。
年間で600席公演しているというが、ウソではない。
コアの落語フアンを寄席に引きつけてきた権太楼の存在がなければ、今の寄席ブームは起きなかったに違いない。

権太楼の芸風の特長は、先ず明るいということだ。
出てくるだけで小屋全体がパッと明るくなる、これは寄席芸人にとってはとても大切なことだ。
第一、顔がいい。初めて寄席に来た人でも、この人の顔をみるだけで、「きっと面白いんだろうな」と期待してしまう、そんな顔である。
「よぉし、やるぞ」と風に高座に上がってくる姿が良い。
落語家は、噺に入る前が既に勝負なのだ。

レパートリーが広いというのも権太楼の特長だろう。
得意の滑稽噺から長講の人情噺までこなすし、古典一筋かと思うと新作を演らせても上手い。
この点は、師匠である先代小さんを上回っている。
それと、何より芸が若々しい。
この日の「粗忽の釘」だが、柳家の伝統を継ぎながら随所に独自の演出を加えている。いま発売されているCDと比べても、転居先が分からなくなった男が、お巡りさんに連れてきて貰うという具合に変えている。
権太楼節絶好調で、場内は爆笑の連続だった。

マクラで、5日の寄席では末広亭はガラガラで客のテンションが低く、そういう時の芸人はあまり勝負をしないのだそうだ。一方池袋演芸場は満員で高座も客席もテンションが高かったというエピソードを振りながら、これが本題の「お菊の皿」に生かされていく。
観衆が増えてくるに従って、お菊の幽霊のしぐさが次第にクサクなっていくところが笑わせる。
前半、休憩なしに連続口演した「厩火事」も決して手を抜かず、サービス精神満点の独演会であった。

他にゲストのWモアモアの伝統的なシャベクリ漫才が場内を沸かしていた。

柳家小んぶ 「初天神」
柳家小権太「のめる」
柳家権太楼「お菊の皿」
柳家権太楼「厩火事」
~仲入り~
Wモアモア「漫才」
柳家権太楼「粗忽の釘」、

2009/06/06

【街角で出会った美女】ラオス編

永らく混乱が続いていたラオスは、2000年からようやく外国からの観光客を受け入れるようになりました。
隣国のミャンマーと同様に、旅行ガイドで「微笑みの国」というキャッチコピーが付けられていますが、ミャンマーとは異なり強圧的なイメージもなく、ノンビリとした穏やかな印象を持ちます。
「アジア最後の国」というキャッチコピーも使われていますが、確かに農村部を歩くと、かつての日本と良く似た風景がひろがり、これがアジアの原風景なのかと思わせます。

物価が安く観光客相手の土産店もないので、気に入った物があればお買い得です。
長袖シャツを1枚買いましたが、海外で購入したものというのは通常は日本へ戻ってから着て歩けない製品が多いのですが、今でも愛用しています。縫製がしっかりしているし、デザインも悪くありません。
1ドルで買った小さな人形も、周囲に好評でした。
GDPは世界でも下から数えた方が早く、人々の生活は貧しいのですが、彼らの表情を見ていると決して貧しさを感じさせません。
これといった目玉になるような観光地はありませんが、人なつっこさと親切な国民性が何よりの観光資源なのかも知れません。

写真は、ラオスの首都ビエンチャンで食事した時のウエイトレスで、この笑顔が一番のご馳走でした。

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  (クリックで画像が拡大)

<お断り>
断続的に連載してきた「街角で出会った美女」シリーズですが、今回でひとまず終了します。
今後も海外で美しい女性の写真が撮れたら、順次ご紹介していくつもりです。

2009/06/05

本間秀樹さんのこと

毎年6月になると、会社の同僚であった本間秀樹さんのことを思い出す。数年前の6月に、まだ40代の若さで逝ってしまった友人のことだ。
亡くなる1年前の6月、彼が体調の異状に気付き病院で検査を受けたところ、胆嚢にガンが見つかった。
8月に入院して手術を行ったが、既に肝臓にまで転移していて切除できずに終わってしまった。その後は抗がん剤の投薬を行いながら、入退院を繰り返すことになった。

その前年の人事異動で私は関連企業に出向となり、私たちは別の部署に分かれていたが、自宅と彼の入院先の病院が近かったので、度々病室に見舞いに行った。
本間さんはいつもベッドの上であぐらをかいたまま、本か新聞を読んでいた。
話題といえば仕事のことばかりで、会社の動きなども、どこで仕入れてきたかと感心するくらい詳しく、また毎回私の仕事のことで色々アドバイスをしてもらった。

誰が見舞いに行ってもそんな風だったようで、本間さんの所に見舞いに行くと、却ってこちらが励まされて帰ってくると、知人らが口を揃えて言っていたことを思いだす。
最後の入院となった時、彼自身も末期であることを医師から知らされていたが、姿勢は全く変らなかった。
毎朝、病院の玄関で日経新聞を買ってきては目を通し、何か気付いたことがあると私を含め会社の知人に電話をかけてきて、アイディアを提供してくれる。
もし私が彼の立場だったら、もはや仕事のことなぞクソ食らえだったに違いない。

その頃から、見舞いに行くたびに痩せていき、大きかった目がさらに大きくなっていた。
6月20日過ぎに本間さんから、担当医から「あと1週間だ」と言われたと電話があり、急いで病院に行くと相変わらずベッドの上に座っていて、仕事の話をし出した。
医師に、これは自分の意思だと一切の延命治療を断ったことを、その時聞かされた。
私の方といえば、涙が溢れそうになって言葉が出てこない。
結局それが彼との最後の別れとなってしまった。

亡くなる3日前、本間さんは病院の許可を得て一時帰宅した。身辺整理をし、奥様には自分が死んだ後の色々な手続きなどの説明を行ったそうである。
最後にビデオカメラを自身に向けて据え、奥様と二人の娘さんに対するビデオメッセージという形の遺言をのこして病院に戻った。
亡くなる前日もいつもの通り新聞に目を通し、夕方には奥様に向かって、もし元気になったら自分はこんな仕事をしてみたいと、抱負を語っていたそうである。
死の直前まで仕事への執念と希望を持ち続けた精神力に、ただただ頭が下がる思いだ。
深夜に様態が急変し、翌日の早朝、本間さんは家族に見守られながら静かに息を引き取った。
連絡を受けて早朝タクシーで病院に駆けつけた私は遺体と対面したが、実に穏やかな表情だった。

本間さんの告別式には彼を慕って、300人を越える人が参列し見送った。
3回忌に彼の自宅を訪れた際には、机もパソコンもそのままで、側に愛用していたカバンが置かれ、スーツとネクタイもそのまま吊るされていた。
今にも本間さんが会社に出勤するような、そんな錯覚を覚えた。
専業主婦だった奥様は就職し、正社員として勤務されていた。
二人の娘さんはそれぞれ、自分の希望する進路に進んだと、後に奥様から便りがあった。
きっと父親の背中を見ていたのだろう。

人間は必ず死ぬ。
事故などで突然命を奪われない限り、死を迎えるまでの猶予期間というものがある。
どのように死を迎えるかは人それぞれだが、本間さんの最期はその一つの典型を私たちに見せてくれたのだと思う。

2009/06/04

二階俊博経業相に新たな献金問題

海洋ゼネコン(通称マリコン)は、ゼネコンの中でも特に海洋土木・港湾施設建築工事を中心とする建設業者のことを指すが、国土交通省(旧運輸省)港湾局といった官公庁からの受注工事が多い。主な企業として五洋建設や東亜建設工業などがある。
このマリコンが作ったダミーの政治団体に「さんそう会」というのがある。2005年までは「港栄会」という名称だったが、団体の所在地が会計責任者宅、先の五洋社や東亜社の役員・顧問が歴代代表をつとめる典型的なトンネル団体だ(ゼネコンだけにトンネルは得意)。
この政治団体から2000-2007年の8年間に、自民党運輸族議員を中心に2億8千万円が献金されている。
なかでも、二階俊博経済産業相の政治団体「新しい波」への4000万円、泉信也元国家公安委員長の政治団体と政党支部への5150万円が突出している。
実は、二階俊博が代表をしている「新しい波」の事務総長が泉信也という関係になっているのだ。

二階、泉両議員関係への献金の大半が2003年以降なのだが、この2003年というのが、二階俊博が保守新党(当時)から自民党に合流した年になる。二階はこの年、保守新党時代の政治団体「保守新党政治協会」を「新しい波」へと改称し、会長に就任している。
2003年の「港栄会」から「新しい波」への3000万円資金提供は、実質的には自民党二階派の旗揚げ資金ではなかったのかとの疑惑がもたれる。
そうか、海洋ゼネコンの資金で結成したから「新しい波」だったのかと、突っ込みを入れたくなる。
二階俊博はかつて運輸大臣をつとめたことがある典型的な運輸族議員だ。海上に人工島を造った関西空港の建設では大きな影響力を持ったと言われている。
献金の経緯について、「さんそう会」関係者は「要請があったから献金した。こっちから『金が余っているから引き取ってください』と、言うはずがない」と二階氏側が持ちかけた献金だったことを認めているそうだが、当たり前の話だ。
誰が好き好んで大金を他人に出すものか。見返りがなければ誰も出さない。

二階俊博はかつて小沢一郎の盟友であった。
そのせいか、手口がそっくりで、まるで「ミニ小沢」である。
二階大臣への西松建設からの献金問題では未だ捜査が続いているようで、これに加えて今回のマリコン献金問題。きっと、心の休まる日はないだろう。

さあ、検察の皆さん、頑張って!

やっぱりコレでしょう




コネタマ参加中: あなたが好きな太陽系の惑星は何?


ハイ、もちろん「猿の惑星」です。
ただ、あの星から帰るときに臭いがスゴイそうですよ。
「去るのはクセエ」。

2009/06/03

【京教大生集団暴行事件】大学側の対応は妥当だった

京都教育大学の学生6人が集団準強姦容疑で逮捕された事件、事実であれば許しがたい事件であるが、事件をめぐる大学側の対応に非難が集中しているのは首を傾げざるをえない。
わたしは後述する理由により、大学側の対応は概ね妥当であったと考えている。

この事件をとりあげたTVのワイドショーなども大学の対応を非難していて、例えばTV朝日の番組では、作家の若一光司は、「公然わいせつのレベルではない。女性の被害を軽視することで逆にもう1度辛い目にあわせている。セカンドレイプをやったに等しい。」と主張していた。
また弁護士の大澤孝征も、「国立大学の公務員なら、事件を認知したら捜査機関に通告しなければいけない義務がある。その義務も怠っている」と述べていた。
しかし若一光司の意見は事件の時系列を無視した後講釈であり、大澤孝征の意見は法律の専門家とも思えない。
そればかりではない。
学生を処分した段階で事件の報告を受けていた文科省までが、大臣が記者会見で大学側を批判していた。
ここまでくるとワル乗りとしか思えない。

マスコミ各社の報道から事件の概要と、その後の経緯を整理してみたい(社によって多少の違いがある)。
捜査関係者によると、事件の概要は次の通り。
京都市内の居酒屋で2月25日夜、保健体育を専攻する卒業生の送別コンパが行われ、終了後6人のうち数人が、酒に酔った女子大生を会場とは別の階にある個室に連れていった。
参加者の多くはコンパが終わって店を出たが、店員らが個室の外に数人の男子学生がいるのを目撃し、部屋の戸を開けようとしたが開かず、直後に個室から学生数人が走り出て、室内で女子大生がぐったりしていた。
室内には学生数人が残っており、店員が問いただすと「すみません」などと言っていた。
大学の調査では、コンパ終了後、女子学生に4人が性的行為をし、残り2人もわいせつ行為に及んだという。
逮捕後の取調べでは、1人が容疑を認め、3人が合意だったとし、2人が見ていただけと主張している。

事件後の経緯は次の通りである。
2月25日夜 事件発生
3月3日 被害者の母親が大学に被害を訴え
(1週間後) 大学が6人を無期停学処分
3月27日 母親から京都府警に被害を通報
4月    被害者が府警に刑事告訴
6月1日  集団準強姦容疑で6人を逮捕

非難の矛先は、3月3日に大学側が被害者の家族から被害の相談を受けた段階で、なぜ警察に通報しなかったという点に向けられている。
日本の法律では、強姦罪は親告罪であるから、被害者(又はその法定代理人等)の告訴がなければ公訴を提起することができない(刑法180条1項)。
なぜこうした規定を設けているかというと、これらの犯罪の追及はかえって被害者の不利益になることもあるため、訴追するか否かを被害者の意思によることとしたためだ。
現に、被害者が被害を警察に届けたのは事件が1ヶ月以上経ってからであり、告訴は更にその後になっている。この辺りが他の犯罪とは性格が異なるのである。
従って、大学側が被害者の状況や意思を無視して、勝手に警察に通報することはできなかったと考えるべきだろう。

ただし、2人以上の者が現場で共同して強姦・準強姦を行った場合は、平成16年(2004年)の刑法改正で集団強姦罪・集団準強姦が成立することとなり罰則が強化された(刑法178条の2)。
この場合は告訴がなくても処罰の対象となる(改正前刑法180条2項))。
つまり後者のケースであれば、大学側は被害を警察へ通報すべきだったということになる。
しかし大学側が被害者の母親から相談を受けた段階で、この事件が集団(準)強姦だと断定できただろうか。
警察でさえ、被害の届出があってから逮捕までに2ヶ月以上かかっているのだ。
まして強制捜査の権限のない大学に対して、その場で判断しろというのは酷ではないか。
もし識者らがいうように、3月3日の段階で大学側がこの事件を集団準強姦事件と断定し世間に公表していたら、それこそ大問題である。むしろ警察の捜査を混乱・妨害させるものとして、責任を問われただろう。

結論としては、本件での大学側の対応は概ね妥当だったということになる。
但し、昨日の記者会見での次の主張には異議がある。
(1)6人の処分理由を「公然わいせつ行為」と説明したが、それなら警察への通報をすべきだった。
(2)学内調査結果の詳細については「教育的配慮」を理由に説明を拒否していたが、既に加害者6人が逮捕されている中で、改めて大学の調査結果を発表する必要は無かっただろう。
未だ容疑の段階であり、「今後の捜査への影響を考慮して」という説明の方が分かり易かったと思われる。

2009/06/02

閣議の「クールビズ」姿って、みっともないね

毎年6月初めの閣議で、クールビズとして閣僚全員が「かりゆし」姿を披露するのが恒例となっている。確か小泉政権時代に始められ、今年で5年目だと思う。
閣議といえば政府としての最高決定機関だろうに、あのカッコウは無いだろう。あれじゃ、閣議だかハワイアンセンターの宴会だか分からない。
かたいと言われるかもしれないが、オフィシャルな場ではきちんとしたカッコウをすべきではなかろうか。

麻生首相は、野田聖子大臣から「首相が一番すっきりしていた」と持ち上げられていたようだが、写真で見る限りでは、昔の日本映画に出てくる東南アジアの麻薬密売人みたいだ。
要は、似合わないのだ。
それに写真を見れば分かる通り、上下のバランスが悪い。
わたしの母親が、「軍服が似合わない男と白衣が似合わない女は死んだ方がマシ」と言っていたが、一面の真実だ。
ダサイだの暑苦しいだのいわれながら、ビジネスマンがスーツにネクタイ姿にこだわるのは、あのカッコウだと、どんな男でもサマになるからだ。
哲学者ヘーゲルがいうように、「現実的なものは理性的である」のだ。

以前、羽田という元首相がさかんに半袖スーツ姿を売り物にしていたが、誰も真似しようとしなかった。
エコのPRなのか、普段あまり気にかけない沖縄へのエクスキューズなのか知らないが、付け焼刃でなにかやっても効果があるとは思えない。
クールビズのデモストレーションも、そろそろ「脱小泉」したらどうか。

Photo

2009/06/01

西松献金・二階派団体は不起訴「漆間さんよアリガトウ」

Uruma_iwao二階俊博経済産業相が代表を務める自民党二階派の政治団体「新しい波」が、西松建設のダミー団体からパーティー券代約830万円の支払いを受けたとされる政治資金規正法違反容疑の告発について、東京地検特捜部は1日、当時の会計責任者だった泉信也参院議員や担当者を嫌疑不十分で不起訴処分とした。
特捜部は「西松建設からの献金との認識があったとは認められない」とした。

以上は時事通信の記事からの引用だ。
830万円もの金をもらっておいて、その相手が誰だかは知らなかったというわけだ。「そんなワケねえだろう」と思うのが、フツーの庶民感覚ではなかろうか。
漆間巌官房副長官の「自民党には捜査が及ばない」という予言がピタっと当たったわけだ。
漆間発言は予言と言うよりは、内閣官房としての検察の捜査に対する一種の指揮権発動ではないかと思う。つまり、「西松事件では自民党に手を出すなよ」という、事実上の指示である。
検察側に根性があれば、かえって反発して厳しい捜査をするのだろうが、残念ながら今の検察にはそうした心意気は全く感じられない。
それより公務員改革を叩き潰すためには、何としても漆間官房副長官の力を借りねばならず、省庁をあげて彼を盛り立てているのが実情だろう。

小沢一郎に引き続き、郵便不正事件で石井一周辺に捜査の手を伸ばして、ここで民主党を一気に叩く。
かくして衆院選はメデタク自民党の勝利に終わる、とまあこういう筋書きなのだろう。
自民党も高級官僚も、漆間巌には感謝感謝である。

なお二階大臣が代表を務める政党支部側への偽名献金疑惑については、捜査を継続するとみられる。

では皆さん、ご一緒に!

「漆間さんよありがとう」
肩をならべて二階さんと
今日も閣議に行けるのは
漆間巌のおかげです
麻生のために 自民のために策動した
漆間さんのおかげです

【オリジナル】は次の歌詞。
「兵隊さんよありがとう」
肩をならべて兄さんと 
今日も学校へ行けるのは 
兵隊さんのおかげです
お国のために お国のために戦った 
兵隊さんのおかげです

年がばれるか。

「認知検査」は全てのドライバーを対象に

今年12月1日以降に免許の期限が切れる75歳以上のドラーバーに、免許を更新する際、記憶力などの認知機能の検査を義務づける制度が今日6月1日から始まる。
この制度は、認知症による判断力の低下が原因とみられる事故が相次いでいることから導入されたものだ。
検査方法は、日付や時間などを紙に書かせたり、イラストを見せてから一定の時間をおいて何が書いてあったかを回答させるなど、記憶力や判断力をチェックする。
検査で認知症の疑いがあると判定されたドライバーのうち、
・免許更新の1年前から次の更新までの間に信号無視などの違反があった場合は、専門医の診察が義務づけられる。
・診断の結果、認知症と診断された場合には免許が取り消される。
なお検査は半年前から受けることができる。

この制度は高齢者運転手に限定されているが、歩行者の立場から言わせてもらえば、全てのドライバーに適用して欲しいところだ。
近所に大きな幹線道路が二本あるせいか、歩いていると毎日10件以上の交通違反を目にしている。スピード違反や駐車違反を加えればこんなものではない。
先ず多いのは信号無視である。
横断歩道を渡るときも、車が完全に停止するのを確認してからでないと、恐くて渡れない。赤信号に変わってから車が数台通過するなぞは日常茶飯事である。
2,3日前も、道路の3分の1を渡った所で乗用車が猛スピードで突っ込んできて、危ない思いをしたばかりだ。
何を勘違いしているのか、こちらが横断している最中に、クラクションを鳴らしながら横切ろうとする無謀なドライバーもいる。
歩行者の信号が青なのに、右折や左折の車が強引に横断歩道に進入してくるケースも多い。
事故になれば運転手の過失となるのは間違いないが、死傷すればこちらの轢かれ損である。

運転手の顔を見ると、若い人や中年のドライバーが多い。
恐らくは信号や標識を認知できないのか、あるいは故意に認知しようとしないのか、そのいずれかである。前者なら病気で、後者なら性格異常ということになる。
認知症は若い人でも発病するのだから、認知検査は年令に関係なく全ての免許更新者に実施したらどうだろう。
性格異常は検査では分からないが、認知検査を行うことにより本人に一定の注意を喚起させる効果は期待できるのはなかろうか。

ここ数年減ってきたとはいえ、毎年数千人が交通事故で命を落としている現実に変りはない。
テロだの新型インフルエンザといった、被害の大きさが予想できない事柄には大騒ぎするくせに、交通事故のような毎年確実に犠牲者が出るようなことに対しては、あまり関心を払わない傾向があるのは残念だ。

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