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2009/08/31

クヤシイけど「小沢一郎」の一人勝ち、だが・・・

ここ15年間の日本の政治は、小沢一郎を軸にして動いてきた。
小沢一郎の戦略はハッキリとており、議会の大半を保守二大政党で構成させ、その二党で政権交代を行いながら政治を進めるというものだ。
つまり55年体制を壊すことが最大の政治目標だった。

55年体制というのは、保守党である自民党と革新政党である社会党が議席の多くを分け合い、その比率が概ね2:1の割合で推移した時代である。それはおよそ40年間にわたる。
この間、自民党の一党支配が続いたのだが、当時の関係者らの証言によれば、実際には社会党の言い分を3割程度をとりいれる国会運営を行い、共存共栄を図っていたというのが実情らしい。
支配層としても、冷戦構造の中では穏健な革新政党である社会党をほどほどに立てておいた方が得策だったのだろう。
つまり55年体制と言うのは、日本のムラ社会を反映したものだったといえる。
日本は20世紀に成功した唯一の共産主義国家などと揶揄された時代でもあった。

小沢一郎にとっては、こうしたぬるま湯に浸かったような政治がガマンできなかった。
一つは、ソ連の崩壊と冷戦構造の終結を受けて、議会から革新政党を消してしまおうということ。彼が考えた国の形にとって、足手まといになるだけの存在だからだ。
二つ目は、その結果として保守二大政党体制にするということ。一方が失政で国民の信頼を失っても、片方に受け皿となる政党があれば、政府が変わっても国の基本方針が揺らぐことはないからだ。
三つ目は、官僚機構を弱体化して、政党が官僚を支配するということ。官僚政治こそムラ社会の象徴であり、小沢一郎が目指す政党政治にとって好ましくないからだ。

今回の総選挙の結果は、小沢一郎が目指してきた政治手法の集大成であり、彼が目標としている国家像へのスタートとなるだろう。
では、小沢一郎の次の一手はなんだろう。
先ずは来年の参院選で民主党が過半数を握り、旧社会党左派の流れをくむ社民党を切り捨てること。同時に民主党内に小沢シンパを増やし、党内にいる旧社会党右派の残党の影響力を弱めること。
次に、衆議院の議員定数を減らすという名目で比例の定数を削減し、ジャマな少数政党を議会から排除すること。
とまあ、だいたいこんな道筋になるだろう。

さてここまでは概ね小沢一郎が考えたシナリオ通り進んできたが、これから先、彼が想定している国の形や政策が国民に受け入れられるかどかは、未知数である。
調子にのってゴリ押ししていると国民の反発を招き、次の選挙で思わぬしっぺ返しがくることになるだろう。
性急で唯我独尊の小沢の性格からすれば、その強引な手法が民主党の命取りになるかも知れない。
まあ、どっちでもいいけど。

来るべき民主党政権、首相は鳩山由紀夫だが、いうなれば小沢一郎大統領の下での政権ということになろう。
小沢も鳩山も金にまつわる疑惑を抱えているので、これから与党となればさらに厳しい眼が注がれることになる。不祥事で新閣僚が辞任にでも追い込まれれば、初っ端から政権運営につまずいてしまう。
民主党が公安と警察を握るのが早いか、それとも新たなスキャンダルが表面化するのが早いか、その競争だ。
まあ、どっちでもいいけど。

敗れた自民党もお先真っ暗だ。
先ずは資金、議員が181人減ということは、政党助成金がおよそ72億円減額されることになる。
金と権力をいっぺんに失うのだから、党内の結束はますます大変になる。
民主党を攻めようにもなにせ野党としてのノウハウを持っていないので、苦労するだろう。
おまけに公明党との連携も白紙だろうから、孤立無縁の状態が続くことになる。
臨時国会の首班指名で麻生太郎と書くことになれば、それこそ世間の笑い者。
まあ、どっちでもいいけど。

勝っても地獄、負けても地獄。
まあ、どっちでもいいけど。

2009/08/30

「期日前投票」制度は見直すべきだ

私は20歳で選挙権を得て以来数十年、国政、地方を問わず選挙を棄権したことは一度もない。
そのうち期日前投票(当時は不在者投票と呼んでいたが)は、長期出張にぶつかった1回だけで、あとは全て投票日に投票している。
選挙は国民が政治に参加する事実上の唯一の機会であり、それだけに投票日に投票ができるように最優先でスケジュールを調整してきた。
きちんと投票を行うよう努力することは、国民としての責務だと考えるからだ。

今夏の衆院選挙では、公示の翌日19日から28日までに期日前投票を行った人は1094万人で、これは有権者のおよそ10.5%に相当するという。
期日前投票について法律では、公職選挙法第48条の2で次のように定められている。
【引用開始】
第48条の2 選挙の当日に次の各号に掲げる事由のいずれかに該当すると見込まれる選挙人の投票については、第44条第1項の規定にかかわらず、当該選挙の期日の公示又は告示があつた日の翌日から選挙の期日の前日までの間、期日前投票所において、行わせることができる。
1.職務若しくは業務又は総務省令で定める用務に従事すること。
2.用務(前号の総務省令で定めるものを除く。)又は事故のためその属する投票区の区域外に旅行又は滞在をすること。
3.疾病、負傷、妊娠、老衰若しくは身体の障害のため若しくは産褥にあるため歩行が困難であること又は刑事施設、労役場、監置場、少年院若しくは婦人補導院に収容されていること。
4.交通至難の島その他の地で総務省令で定める地域に居住していること又は当該地域に滞在をすること。
5.その属する投票区のある市町村の区域外の住所に居住していること。
【引用終り】

選挙の投票は投票日に行うことが原則で、例外として上記要件1~5に該当した者だけが期日前投票が出来ると法律では定められているわけだ。
今回期日前投票を行った1094万人の中で、法に定められた要件を満たしていた人が果たしてどの位いるだろうか。
投票をし易くして投票率を上げることだけを考え、公選法を無視して期日前投票が実施されているとすれば、これは大いに問題だ。
むしろ過去の実態をみれば、期日前投票が悪用されている恐れが十分にある。

前回の選挙では、ある宗教団体系候補の街頭演説が終わったあと、集まった聴衆にそのまま期日前投票所に向かうよう呼びかけたということが報道されていた。
明らかな違法行為であるが、現状では止めさせる方法がないし、選挙違反として告発することもできない。
替え玉投票や、二重投票が容易にできるのも制度の欠陥の一つだ。
実際の期日前投票所の現場では、投票所入場券を持参しなかった有権者について、身分証明書の提示を求まれえることは殆んどなく、宣誓書の提出と生年月日などの口頭での確認だけで投票させている例が多いという。
これだと、その気になればいくらでも不正投票ができてしまう。

公選法では公正な投票を守るために、投票日の選挙運動に制限を加えている。
公選法129条では選挙運動期間を【候補者の届出のあつた日から当該選挙の期日の前日まででなければ、することができない。】と定めている。
しかし選挙運動が真っ最中に行われる期日前投票では、この条文は守られない。

投票の利便性だけの理由から、法の精神を無視し、不正選挙を助長するような現状の期日前投票制度は、見直しが必要である。
大事なことは人為的に投票率を上げることではなく、選挙の公正性を保つことだ。

2009/08/29

警察は相変わらず身内に甘い

飲食店の客として警察官が嫌われるのはガラが悪いということもあるが、時にタカリがあるからだ。
風俗営業や駐車違反をお目こぼしするかわりに、飲食や女性のサービスをタダにするというのは、よく耳にすることだ。
その程度はと放置していると、こんな事件にまで拡がるのだろうか。

8月28日、警視庁組織犯罪対策5課の伊藤達也警部補(51)を懲戒免職にしたが、こういう経緯だ。
伊藤警部補は2002年2月から、巡査部長として神田署生活安全課に勤務していた際、風俗店に立ち入り調査をしたのがきっかけで、この店の経営者である中国人の女2人と知り合った。
これがきっかけで、伊藤達也は2002年秋~2008年6月にかけて、2人に計9店舗の開業・改装資金2千数百万円を出資し、今年の4月までの間に各店の売上金のうち数千万円を受け取ったというものだ。
また伊藤警部補は、2007年8月に知人男性から無償で譲り受けた口座に、売上げの一部を入金させていた。

違法な風俗営業を行い、しかも相手の女が中国国籍となれば、伊藤達也は完璧に相手の弱みをにぎることができた。まさに願ってもないチャンスである。
取り締まりを見逃がすのと引きかえに、出店をそそのかして出資したものだろう。
女の方もバックに警察が付いていれば、安心して違法行為を続けられる。
お互いにベリー・ハッピーだった。
ヤバくなって、いち早く伊藤警部補殿から連絡を受けた女2人は中国にトンズラしたという、実に分かり易い展開である。
2千数百万円の出資で数千万円を受け取る、こんなウマイ話はあるわけがない。
誰がどう見ても、これは実質的に賄賂である。

ところが警視庁は、伊藤達也が知人から口座を譲り受けたという、本人確認法違反容疑で東京地検に書類送検しただけで済ましてしまった。
なぜ警察は伊藤警部補を収賄で逮捕しないのか。
ここから先は推定であるが、一つは伊藤が得ていた収益の一部が、なんらかの形で上司に還元されていたのではなかろうか。
こうした不正を続けている最中に、伊藤達也が巡査部長から警部補に昇進しているのも、その辺りに理由がありそうだ。
つまり伊藤警部補を収賄罪で取り調べができないのは、それなりの事情があるのだろう。

一方、東京地検は同じ日に、違法風俗店経営の韓国人の女から立ち入り調査の対象から外す見返りに67万円を受け取ったとして、元神田署生活安全課巡査部長の林隆貴容疑者(46)を収賄罪で起訴したと発表した。同庁は同日、林容疑者を懲戒免職にした。
こちらは数十万円でも収賄罪である。
伊藤と林は、神田署時代に保安係の同僚だった。しかも林が受け取っていた金は、伊藤から譲り受けた他人名義の口座に入金されていた。
ということは、この二つの事件は組織的犯罪の疑いもある。

林隆貴容疑者はこの他に、数百万円の金を風俗営業者から受け取っていたが、驚くべきことに「金の趣旨が解明できない」という理由で立件せず、こっちは無罪放免だそうである。
趣旨は賄賂に決まっているだろう。
こんなことだから、警察は身内に甘いと言われるのだ。

2009/08/28

近ごろ捜査情報のリークがひどすぎないか

東京地方検察庁は酒井容疑者が覚せい剤を隠し持っていたことが裏付けられたとして、28日中に覚せい剤取締法違反の罪で起訴する方針を固めたもようだ。
ここのところ酒井法子容疑者に対するマスコミの報道は過熱する一方で、スポーツ新聞などは「酒井法子」新聞と化し、TVのワイドショーはまるで「酒井法子」ショーと化している有りさまである。
報道内容の大半は各社が捜査関係者から聞きだしたもので、事実かどうかの検証がないまま情報を垂れ流している。
こうした捜査関係者でしか知りえない情報を非公式な形でリークするのは、明らかに公務員の守秘義務に違反している。

公務員には法律で守秘義務が定められており、違反した場合は厳しい罰則がもうけられている。
その法律はどうなっているのか、以下に国家公務員法の規定を示すが、地方公務員についても同様の規定がある。
【公務員の守秘義務と罰則】
第百条  職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後といえども同様とする。
2  法令による証人、鑑定人等となり、職務上の秘密に属する事項を発表するには、所轄庁の長(退職者については、その退職した官職又はこれに相当する官職の所轄庁の長)の許可を要する。
(3項以下省略)
第百九条  次の各号のいずれかに該当する者は、一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
十二  第百条第一項若しくは第二項又は第百六条の十二第一項の規定に違反して秘密を漏らした者
(十二以外は省略)
第百十一条  第百九条第二号より第四号まで及び第十二号又は前条第一項第一号(途中省略)に掲げる行為を企て、命じ、故意にこれを容認し、そそのかし又はそのほう助をした者は、それぞれ各本条の刑に処する。

要約するとこういうことだ。
(1)公務員が職務上知りえた秘密をもらしてはならない。これは退職した後も同様。
(2)違反した場合は、一年以下の懲役または50万円以下の罰金が科せられる。
(3)秘密をもらすことを企てたり、命令したり、故意に認めたり、そそのかしたり、ほう助した場合も同罪。
この他に公務員としての服務違反で、免職などの厳しい処分もある。
捜査段階で本人がどのような供述を行ったというのは、文字通り取り調べにあたった警察官や検察官しか知りえない秘密情報だ。
漏洩が事実なら、関係者は厳正に処分されねばならない。
本来ならこうした違法行為を監視すべきマスコミが全くこれを問題とせず、それどころか秘密漏洩に積極的に手を貸しているのは解せない。

こうしたことが許されるなら、他の刑事事件でも捜査関係者は思いのままに捜査情報をマスコミに流し、情報操作が容易になってしまう。
特にこれから裁判員制度により一般の国民が裁判に参加するようになると、容疑者に不利な情報だけが報道され続けられるならば、その影響で偏った判断により判決が左右されないとも限らない。
歯止めをかける意味で、捜査情報にかかわる記事については全て、記者の名前を明らかにする署名記事を義務づけたらどうだろうか。そうすれば、無責任な報道はあるていど規制できると思われる。

有名人のスキャンダルやプライベートが日々暴かれるというのは見ていて楽しいだろうが、あまり面白がってばかりいられないのだ。

2009/08/27

悪政を競う民主vs自民with公明

近ごろあちこちのサイトを開いていると眼に飛び込んでくるのが、自民党の宣伝広告だ。それも自党の政策を訴えるというより、殆んどが民主党に対するネガティブキャンンペーン(ネガキャン)である。
ネットでの選挙運動は禁止のはずだが、これは選挙運動ではないのだろうか。政権政党が野党の公約を攻撃してどうする。こんなことをやっているから益々有権者から軽蔑され、支持者が離れていく。
今の麻生太郎ら自民党は、そうした判断さえ出来なくなっている。
第一、自民党も民主党も幹部の本籍は「自民党」であり、現住所が異なっているに過ぎない。だから基本政策にはそれほどの差がない。
キリンがいいのかアサヒがいいのかと同じで、要は好みの問題なのだ。

民主党は政策に高速道路の無料化を掲げているが、これは明らかに愚作だ。
だいたい世の中に、タダなどというものなんか無い。
医療費だって毎月多額の健康保険料を支払って、なおかつ3割負担である。
国民の税金から全額負担させて高速料金をタダにしようという、その発想じたいが理解不能である。
環境保護のためであれば、先ずは公共交通機関を充実させ、マイカーの使用を抑制すべきではなかろうか。
現にヨーロッパ各国では、無料だった高速代を有料化する動きがある。街の中心部にはマイカーを乗り入れさせない規制を行う一方、路面電車やバス、地下鉄を安くしている国もある。
民主党の政策は、明らかに世の中の流れと逆行している。

それをバラマキだと批判している自民・公明も、その資格はない。
最初に税金を使って高速代を1000円にしたのは、自公だ。千葉県の某バカ知事が800円といいだすと、そうかそうかと800円に値下げする。これも税金からだ。
理念もなにもあったものではない。1000円か無料かという値下げ競争で有権者を釣っているのが現実だろう。
それにバラマキというなら、定額給付金こそバラマキの最たるものだった。
双方でバラマキを競い合いながら、お互いにバラマキ批判をし合っているのだから、お話しにならない。
民主党が掲げる米国とのFTA締結も、自動車産業を喜ばせるだけだ。しかも食料自給率を犠牲にして。
いい加減に、“of/by/for TOYOTA”の政治から抜け出すべきではなかろうか。

消費税にしても、自民と民主とで何年先に上げるかという、時期を争っているに過ぎない。
消費税の増税は避けられないとお思いの向きもあろうが、いままで私たちが払ってきた消費税の大半が、実際には企業と金持ちへの減税で消えている。
夢よもう一度と思っているのだろうが、そうはさせない。

民主党がマニフェストの書き込んでいる議員定数削減もクセモノだ。
定数を減らして議員一人あたりの取り分を増やしたいといのが、彼らの本音である。
事実、鳩山由紀夫のブレーンである寺島某が最近TVでさかんに吹聴している。
それも比例代表の定数を減らすなら、ますます大政党に有利にはたらくので、国会が自民・民主で独占できるという魂胆だ。
だから自民党も前向きになっている。

議員にかかる費用を減らすなら以前から主張しているように、
(1)政党助成金の廃止
(2)議員報酬の適正化
(3)交通費・通信費など手当てや諸費用は実費精算
にするのが先決だし、これなら直ちに実現できる。

官僚政治に対する批判であるが、おマヌケな政治家より優秀な官僚の方が、良い政策を立案できるならそれでもいっこうに構わない。
いずれにしろ最終的には国会で立法化するのだから。
地方分権もまたしかり。
東国原英夫だの森田健作だのに予算や権限を増やすことが果たして良いのかどうか、大いに疑問だ。

どっちの政策が良いのかというよりは、どっちが多数になったら私たち国民にとって被害が少ないかという政権選択になりそうな気配だ。
マスコミ各紙の予想では、民主党の一人勝ちだそうである。
こうなると唯一の楽しみは、あの「そうか・がっかり」党がどれだけ議席を減らすか、それだけだ。
(敬称略)

2009/08/25

麻生さん、金がなくても結婚できるさ

8月23日、都内の学生との対話集会で行った麻生首相の発言が問題になっている。翌日、官房長官が慌てて釈明会見を行ったくらいだから、官邸にも批判の声が寄せられているのだろう。
その発言というのは、出席した男子学生から「お金が掛かるから結婚できず、少子化が進んでいるといわれているが」という質問がなされた。それに対して麻生総理はこう答えたという。
「金がないなら結婚はしないものだ。うかつにしない方がいい。」
「女性から見て、しっかり働いているのは尊敬の対象になる。稼ぎが全然なくて、尊敬の対象になるかというと、よほど何かがないと難しい。」

一般論として、結婚して家計を維持し家族を養うためには経済的基盤が必要だというのは、誰でも分かることだ。なにも麻生首相にわざわざ指摘されるまでもない。
しかし学生の「金が掛かるから結婚できない」という危惧に対しては、何の答えにもなっていない。
この後の「金はおれはない方じゃなかったが、結婚は遅かった。これは人それぞれだ。」という意見も、自分は金持ちだったが結婚は遅かったと言っているだけで、屁のツッパリにもならないのだ。
麻生太郎という人は、相手の意見をまともに聞いていないのか、それとも理解力が足りないのか、あるいはその両方なのか。

私事にわたるが、私も妻も高校を出てから実家からの一切の援助を受けなかったので、24歳で結婚した時はお金が殆んど無かった。もちろん当時としては珍しくなかったが。
多少の預金はあったが、アパート代や引越し費用を払うと消えてしまい、段ボールにビニールの風呂敷をかけてテーブル代わりにして、新婚生活をスタートさせた。
照明は天井から裸電球が一つぶら下がっているだけ。
とにかく何もないので、夜になってもやる事が無く、ついつい・・・・。だから直ぐに子どもが出来てしまった。これはちょっと余計か。
結婚式も友人たちが集まって会費制でやってくれたので、私たちは出費ゼロで済んだ。

要は「金がなくても結婚できる」ということだ。
時代が違うという意見もあるだろうが、当時でも私たちの結婚はかなり異色だった。
会場費を安くあげるために、都の勤労福祉会館の会議室を借り、テーブルを並べてその上にレンタルのシーツをかけて、披露宴会場にした。会館の人も初めてのことだといって驚いていた。よほど貧乏だと思われたようで、随分と親切にしてくれたのを憶えている。
愛さえあればなんてキザなことは言わないが、大事なことは二人の決意だと思う。
学生との対話集会であれば、麻生首相はもっと若い人たちを応援するようなメッセージを発する必要があったはずだ。

♪若者よ恋をしろ 
身分やお金はないけれど
恋すりゃ希望もわいてくる 
この世のパラダイス
どんなに苦労はあったとて
くよくよするな皺がよる
泣きっ面には蜂がさす
笑って生きようぜ
何がなくとも皺のない
若さと恋がありゃ
つらい浮世も楽しく生きられる
若者よ恋をしろ
身分やお金はないけれど
恋すりゃ希望もわいてくる
この世のパラダイス♪
(少し歌詞の記憶がアイマイだが)

東京都の石原慎太郎知事が24日、自民党の苦戦が伝えられる衆院選について「自業自得」とした上で、「総理大臣が漢字を読めなかったり、どっかの知事にものを頼みに行ったり、国民の軽蔑を買った。軽蔑が一番怖い」と述べた。
批判されたり嫌われたりした総理大臣は沢山いたが、軽蔑された首相というのは数少ない。
これはもう、マニュフェストや政策論争以前の問題だ。

2009/08/23

「斎藤幸子」@ル・テアトル銀座

Saito_yuki2,3ヶ月前に前売りを買ったりすると、はて何でこの公演を選んだのかしらと首を傾げることがある。
ル・テアトル銀座で行われている演劇「斉藤幸子」もそうで、出かける直前になって、ああそうだ、柳家喬太郎が初めて役者として舞台に立つというのでチケットを取ったのだと、ようやく思い出した。
客席は若い女性が目立ち、私のような爺さんは少数派である。

作 鈴木聡
演出 河原雅彦
<キャスト>
斉藤由貴/斉藤幸子
弘中麻紀/姉・悦子
きたろう/父・洋介
千葉雅子/叔母・吉田勝江
松村武/隣家の主・富山和夫
小林健一/息子・健一郎
明星真由美/近所のソープ嬢、占い師・矢口美奈子
粟根まこと/高校の担任・沢渡桂一
伊藤正之/同  教頭・村木茂 
中山祐一朗/同級生・坂本卓也
鬼頭真也/同級生・田中由紀夫
柳家喬太郎/ビジネスパートナー・山崎正光

舞台は東京の下町・月島、もんじゃやき屋が軒を並べる。
もんじゃやき屋「さいとう」は、妻に先立たれた主人斉藤洋介が姉・悦子、妹・幸子の二人を男手一つで育て上げた。
隣も同業で「冨ちゃん」、こちらの父子とはもう数十年の付き合いで、幸子を自分の子どものように可愛がっている。
斉藤幸子という名前は、姓名判断によれば波乱万丈ということだが、幸子は周囲から可愛がられ、平凡な高校生活を送っていた。
ある日、幸子が師匠と慕う近所のソープ嬢から貰った毒カエルに噛まれて卒倒してから、幸子は「人生とは?幸せとは?」を真剣に考え出し、その時から幸子の境遇は大きく変転する。
幸子と同級生との恋模様あり、担任教師との駆け落ちあり、ビジネスパートナーの出現ありと、幸子の運命は正に「禍福はあざなえる縄のごとし」(Bad luck often brings good luck.)。
果たして斉藤幸子は、人生の幸せをつかむことができるのか・・・。

とにかくオモシロかった。前半は笑いが絶えず、後半はシンミリと笑いのミックス。3時間の公演は間然とするところがなく、そういう意味では上出来のコメディだといえる。

作者の鈴木聡はこの芝居を書くにあたり、要旨次のように述べている。
【初演は2001年で、その頃から日本が大きく変化しているのを感じた。日本中がアメリカ型の合理主義能力主義になって、ギスギスした社会になっていた。
それまでの会社というのは花見に行ったり飲みに行ったり、そういう雰囲気が次第に失われていきつつあった。
日本の共同体、近所づきあいとか家族関係とか、そういうものは先ず自分たちの足元にあるのではないかという世界観。
ちょっと不自然な日本へのアンチテーゼのようなものかも知れない。】

そういう意味ではこの芝居のモチーフは、映画の寅さんシリーズと似ている。あっちが葛飾柴又なら、こっちは月島だ。
斉藤家の居間は、寅さんの「とらや」とソックリだ。

しかしこの芝居が観客に受け入れられる理由は、それだけではない。
この芝居のストーリーが、全世界共通の物語のパターンを踏襲しているのだ。それは
step 1 セパレーション:主人公の旅立ち
step 2 イニシエーション:主人公が艱難辛苦に立ち向かい克服する
step 3 リターン:帰郷
から構成されていて、桃太郎も浦島太郎もシンデレラも白雪姫も皆このパターンだ。
多くの人がこの芝居を安心して見ていられるのも、ストーリーが基本型を踏んでいるからだ。
エンディングがご都合主義のキライはあるが、エンターテイメントとして優れている。

出演者では、ソープ嬢兼占い師を演じた明星真由美の演技が群を抜いていた。言動が、ヤクザの愛人をしていた私の従姉を彷彿とさせていて、何かとても懐かしい気分になった。
特に、父親が亡くなった時にサッパリとしたと笑っていながら、突然号泣するシーンは秀逸。
担任教師を演じた粟根まことの怪演も見応えがあった。黙って立っているだけでこの人は笑いを誘う。
俳優として初舞台の柳家喬太郎は、先ずは無難な演技というところ。一人で演じる噺家という世界と、大勢のスタッフや出演者とのアンサンブルで作り上げてゆく演劇とは、勝手が違って戸惑っただろう。
それより休憩が終わった直後の舞台で、犬の着グルミ姿で、もんじゃやきの説明をしながら後半のイントロダクションを行ったシーン、これはさすがである。
主役を熱演した斉藤由貴をはじめ、その他出演者が揃って芸達者で、芝居を盛り立てていた。

公演は30日まで。

2009/08/21

【寄席は学校 1】「色気三分に欲七分」

「七つ八つからイロハを覚え ハの字忘れてイロばかり」
アタシもこの都々逸の通りで、七つ八つから寄席に行き始め、人生の多くのことを寄席で学んだ。
学校では絶対に教えてくれないことを寄席芸人は教えてくれて、そういう意味ではアタシにとって寄席は人生の学校だった。
ただ残念なのは、「ハ」の字だけでなく「イロ」も忘れてしまったことだ。
そんなわけで寄席で勉強したことを少しずつ思い出しながら書いていこうと思う。

「世の中の人の心を分析すれば 色気三分に欲七分」
アタシの大好きな都々逸だし、これは名言といって良い。大方の社会現象はこの名言で説明がつく。
犯罪だってそうだ。
昔から悪事の動機というのは「痴情 怨恨 物盗り」と相場が決まっている。「怨恨」の中味はというと、大概は男女関係と金銭の貸し借りだから、これも色と欲の世界だ。

当今話題の、酒井法子の覚せい剤所持容疑事件だって、この都々逸の通りではあるまいか。
先ず酒井法子が高相祐一と結婚したが、これとて相手が老舗の会社のお坊ちゃんで、青年実業家だというのが大きなポイントだっただろう。
処がこの亭主、結婚してみたら意外なグータラで、次々と事業に手を出しては失敗を繰り返す。実家からの援助も底をつき、ついには女房の金で食いつなぐヒモ状態。そんな状態になっても亭主に女の影がちらつく。
このままでは女房から別れ話が切り出されるのも時間の問題だ。
ヒモである亭主はそれでは絶対に困るので、何とか女房をつなぎとめるしかない。そこで覚せい剤が登場する。
クスリの後の絶頂感、これこそが夫婦和合の唯一の絆になる。
女房の方だって、いい年をしていつまでも「清純派」ぶっているのも疲れ果てていた。
覚せい剤を吸った時だけ全てを忘れ、生身の自分に帰れる。
気がつけば常習者だ。

彼女が逃亡の助けに、建設会社(業態は解体工事のようだ)会長を選んだのも、彼女の計算があったのだろう。
本人が彼女の継母とジッコンだったということもある。
それに会長の長兄はかつての大物弁護士だし、現在も「みやび法律事務所」の実質オーナーだ。
しかも弁護士当時から裏社会とつながっていたようで(麻布建物事件で強制執行を免れるために、暴力団を使って資産隠しをしたとして公正証書原本不実記載などで逮捕され、資格を剥奪された)、これも何かと心強い。
警察も恐いが、覚せい剤密売ルートから狙われたら、もっと恐ろしいからだ。
時間稼ぎをして、覚せい剤の尿反応が消えた頃に出頭すれば、起訴はされないという計算だった。
万一逮捕されて時にも、弁護士が付いててくれれば安心できる。
逃亡の手助けをした方だって、容疑者をかくまうというリスクを負うわけだから、何らかの見返りは期待していたはずだ。

かくして「酒井法子」事件も一皮むけば、やはり「色気三分に欲七分」。
どうですか、参考になりましたでしょうか?

2009/08/16

三遊亭遊雀勉強会・葉月会(8/15)@お江戸日本橋亭

Yujakuお江戸日本橋亭での三遊亭遊雀勉強会、葉月会は8月15日に行われた。
演目は「牡丹灯籠」。
以前はお盆の寄席というと怪談噺がつきものだったが、最近めっきり減ったのは季節感、つまりどこに行っても冷房が効いているので、ヒヤッとする必要がなくなったせいだろうか。
でも怪談噺はこの季節独特のものなので、一度は聴いておきたい。そんな訳でお盆の中日に出向くことになった。
日本橋亭はコジンマリとした小屋で演者と客席が直ぐ間近なので、全体が家族的雰囲気に包まれていて、私は好きだ。
しかし演者からみたらどうだろうか。ウケている時は気分も良いだろうが、スベッてしまった時は逃げ場がないだろう。そういう意味では恐い面があるのだと思う。
一杯の客席は女性が目立つ。
かつては男は寄席、女は芝居と相場が決まっていたが、いよいよ男どもの居場所がなくなってきつつある。

普段の落語会と異なり、公演の前後に遊雀がホワイトボードを使って、「牡丹灯籠」全体のストーリーと登場人物を解説してくれた。
これはとても親切で良い企画だった。こういう長編のネタは、全体像の解説がないとなかなか理解しづらい。客席もまるでゼミに参加したような気分で、しきりに感心していた。

三遊亭遊雀「お札はがし」
ストーリーの解説を終えたそのままの高座でネタに入ったが、縁者も客席も怪談モードに切り替わっていない。そのギャップが滑り出しに出ていた。ここは一度楽屋に戻り、改めて高座に上がった方が良かったのではなかろうか。
手元に春風亭小朝の「お札はがし」のCDがあるが、出囃子をわざわざ静かな曲調に変えている。
牡丹灯籠の中でもこのパートは、一種の青春ドラマでもある。
遊雀の演出は、女中お米や伴蔵・お峰夫婦の人物像はクッキリと描かれているが、新三郎とお露二人の初々しさが伝わってこない。
反面、後半の伴蔵らが百両で買収され、新三郎を死に追いやる場面になると俄然盛り上がった。

~仲入り~
三笑亭可龍「お菊の皿」
三遊亭遊雀「お峰殺し」
「お札はがし」では女房の尻にしかれて悪事をそそのかされていた伴蔵が、ここでは一転して真の悪党の本性を表す。
そのきっかけになるのが、伴蔵が酌婦・お国を妾同様にしていたのを、女房・お峰に追及されたことだ。
最初はトボケ、バレルと平謝りし、許されないと知ると居直って脅し、最後は適当なウソを言ってまるめこむ。こういうパターンは現在でも浮気がばれた亭主の常套手段なんでしょうね、経験が無いので分からないけど。
しかし伴蔵は、ここではっきりとお峰への殺意を固める。
このパートの登場人物は悪者ばかり。新三郎殺害の時には迷い躊躇していた伴蔵の変貌を、遊雀は見事に表現していた。迫力が客席にも伝わってきた。

三遊亭遊雀「船徳」(おまけ)
怪談噺の後は賑やかに寄席の踊りというのが定番だが、その代りに軽い噺でと言いながら始まったのが「船徳」で、客席からエーっという反応が返っていた。
いうなれば「船徳」高速ヴァージョンで、通常の3分の1位の時間で演じたのだが、これが面白かった。
完全に遊雀ワールドに入ってしまい、場内は爆笑の連続。隣の席の男性はそれまで全く笑わなかったのが、ここでは大喜びしていた。
徳三郎が船を漕ぎ出す前に見得を切るギャグが秀逸。

独演会としての魅力が溢れた会だった。

2009/08/15

立川志らく&下町ダニーローズ“演劇らくご『鉄拐』”(8/14.15p.m.)

立川志らく率いる劇団「下町ダニーローズ第11回公演」は、“演劇らくご『鉄拐』”に挑戦している。
師匠談志の得意ネタ「鉄拐」を、
一部:古典落語「鉄拐」立川志らく
二部:「上海極楽(パラダイス)~鉄拐後日談~」
という構成で上演するもの。

劇団のHPによれば、今回の公演の意図を次のように語っている。
<志らくが落語を語り、その落語の登場人物がビジュアル化して新たなイリュージョンの世界をつくりあげる、それが「演劇らくご」。>
<落語家による落語の新たな境地。>
後半の演劇については、脚色・演出・タイトルロール:立川志らく。
劇場は新宿紀伊國屋ホールで、8月14日15時の部を観劇。

落語の「鉄拐」のストーリーは
時は戦前の支那、場所は上海のリトルトーキョー・虹口(ホンキュウ)。毎年8月末に大宴会を催している上海屋唐右衛門だが、余興の芸人の種が尽きてしまい、番頭・金兵衛に仙人鉄拐をスカウトさせる。
鉄拐の「腹からもう一人の自分を出す」芸は大ウケで、それを機にすっかり人気の芸人になってしまう。やがて同じ芸ばかり繰り返す鉄拐は飽きられる。
金兵衛は再び仙郷に行って、今度は仙人張果老を上海に連れてくる。張果老の「瓢箪から駒(馬)を出す」芸に人気が集まり、客を取られた鉄拐は張果老の馬を腹に入れてしまうが....。
故事によれば下の図のように左の鉄拐が瓢箪を持ち、右の張果老はロバ(紙で小さくたためる)に乗っているが、これは落語の世界だからヤカマシイことは言わず。
後半の芝居は、この鉄拐と張果老二人の仙人がそのまま上海に残る。日中戦争が激しさを増す時代の中で、鉄拐仙人の運命やいかに・・・。
Tekai_2

先ずは志らくの落語「鉄拐」、いつもと全く違う雰囲気の中での高座はやり難かっただろうが、これが実に面白い。
落語の世界には珍しく舞台が支那(中国)の上海、それも仙郷に住む仙人を連れてきて芸をさせるという奇想天外の作品だ。
志らくは随所にクスグリや楽屋落ちをかましながら、スケールの大きな世界を描いてみせた。

後半の芝居であるが、確かに柳亭市馬の美声に酔い、ゴンゾーのタンバリン芸に感心し、北原佐和子の可愛らしさ(失礼ながら40代半ばですよ)にウットリした。
しかし芝居全体の出来はというと、いささか疑問符が付く。
(1)この演劇を通じて客に何を訴えたかったのか、そこが伝わってこない。これだと観客は「アー、面白かった」で、帰りに新宿駅に着く頃にはもう忘れているのではなかろうか。
(2)話芸におけるリアリティと、芝居の世界でのリアリティは異なる。落語の世界なら問題にされないが、例えば同じ日本語をしゃべっても、日本人のそれと中国人の話す日本語とでは、アクセントが全然違う。芝居の世界ではこうしたことが問題とされてしまう(外国の翻訳劇の場合は別だが)。
(3)勧善懲悪、悪は滅び善人は皆ハッピーエンドを迎えるという結末だが、安易過ぎてはいまいか。「鉄拐」の続編というなら、もう少し捻ったオチがあっても良かったと思う。

蛇足になるが、途中の休憩時間が無いので、開演前にトイレを必ず済ませておいた方が良い。
公演は17日まで。

=出演者=
立川志らく
なべおさみ
北原佐和子
森口博子
岩間沙織
柳亭市馬
竹本孝之
入江若葉
唐沢民賢
柳家一琴
ゴンゾー
酒井莉加
ロリィタ族
松尾マリヲ
落合哲郎
KIYOMI
原田果奈
樋口祐子

2009/08/14

そりゃもう「アグネス・ラム」




コネタマ参加中: 水着姿にグッときた、女性タレントといえば誰?


1970年代後半に日本全国の男性のコカンを熱くした、元祖グラドル「アグネス・ラム」でしょう。
理由ですか? 画像を見りゃ分かりますよ。

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  (クリックで画像が拡大)

吉例夏夜噺「さん喬・権太楼」特選集(8/13)@鈴本

鈴本演芸場のお盆公演は「鈴本夏まつり」と題して、夜の部は「さん喬・権太楼特選集」を恒例にしている。もう10年以上、それとももっと以前からだろうか。
落語協会の二枚看板が揃ってネタ出しでの公演は人気番組で、8月13日も満員だった。妻と一緒の寄席というのは、1年ぶりかも知れない。
古今亭志ん朝が存命だったころは、浅草演芸ホール昼の部で「住吉踊り」を観て、地下鉄で上野に駆けつけると、ギリギリ鈴本の夜の部に間に合った。それでも当日売りで入場できたのだから、今では隔世の感がある。
このお盆と正月の寄席というのは、客席も何となく華やかだ。

=8月13日の番組=
・柳家我太楼「子ほめ」
・三増紋之助「曲独楽」
かつては独楽回しの芸人というのは無口で静かだったが、この人で随分とイメージが変った。いつもながら手捌きの見事さには感心する。
独楽を立てる棒も夏向きに飾られ、季節感があって良かった。伝統芸といえども、こうした見せる工夫は必要だ。
・橘家圓太郎「浮世床」
圓太郎という噺家は実に上手い。本寸法だし、何をやらせても水準を行っている。この日のネタでも、講談本を読む人物の表情だけで、場内を沸かせていた。
実力の割に人気がいま一つなのは、芸が地味なせいだろうか。
・ロケット団「漫才」
今日はサッカー・ヴァージョンで。
・古今亭菊之丞「町内の若い衆」
ここでこういう艶笑譚風のネタを入れたのは、気が利いている。
客に一息いれさせるのも芸の一つだ。
・柳亭左龍「粗忽長屋」
・鏡味仙三郎社中「太神楽曲芸」
・橘家文左衛門「ちりとてちん」
ウーン、鈴本のお盆興行の中トリに文左衛門ねえ、しかも「ちん」。
でも客席は大笑いしていた。

~お仲入り~
・柳家紫文「三味線漫談」
・柳家さん喬「明烏」
マクラでこのネタは年に一度位しかやらないのでと言っていた。マクラがやや長めになったのは、ネタに入り込むのに時間がかかったようだ。
さん喬の高座は完全ノーカット盤で、演出も丁寧。
登場人物の時次郎、源兵衛と太助、日向屋半兵衛、茶屋の女将の人物像がクッキリと描かれていて、ここ数年聴いた「明烏」ではベスト。
・林家正楽「紙切り」
この紙切りという芸だが、もしかして世界中で日本だけの芸だろうか。海外でやったら驚くだろうなと思った。
・柳家権太楼「不動坊」
元々が上方落語の代表的ネタで、これを東京に移し変えたものだが、やはり本家の面白さにはかなわない。
長い割には笑いが取り難いネタで、高座にかかる頻度も少ないのだが、権太楼の手にかかるとこれが爆笑落語になるからスゴイ。
チンドン屋の太鼓で幽霊が踊り出す演出が秀逸。
権太楼の力技の一席。

色物を含め、とても充実した高座だった。
妻もすっかり喜んで、「月に一度は寄席に来たいわねえ」と言っていたが、それはチョット困る。
だって、時には落語家が白粉つけて待っていることだってあるんですもの。

2009/08/12

酒井法子にみる「逃げ得」社会

昔から「三十六計逃げるに如かず」ということわざがあり、辞書によれば「作戦はいろいろあるが、逃げるべきときには逃げて身の安全を保ち、のちの再挙を図るのが最上の策である。」とある。
この教えは、どうやら現在も立派に通用しているようだ。
日々膨大な情報がマスコミを通じて流されているにもかかわらず、覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕されている酒井法子容疑者が、どうも不起訴(起訴猶予)となりそうな気配らしい。
捜査関係者や法律専門家の見通しとして、ここ数日いくつかのメディアが伝えている。

なぜ不起訴になりそうなのか、そのポイントは三つあり、いずれも物証に乏しいというのが理由だ。
(1)覚せい剤は1回の平均使用量が約0.03グラムとされ、起訴される事件の多くはそれ以上の分量を所持したケースである。酒井容疑者の自宅から押収された覚せい剤の量は0.008グラムと微量であり、通常なら不起訴となるケースである。
(2)覚せい剤の使用を立証するには尿検査が一番の決め手となるが、逮捕後の尿検査の結果、覚せい剤反応は検出されなかった。
(3)吸引に使っていたみられるパイプやストローの付着物のDNA型が酒井容疑者の型と一致したが、DNA鑑定や毛髪鑑定では使用の時期が特定できず、そのため公判維持は難しい。

酒井法子が夫の逮捕後逃げ回り、尿検査に引っ掛からないことを見越してから出頭し、思惑どおり検査にパスしたということだ。
日ごろから覚せい剤を常用していれば、その程度の知識はとうに持っていたはずだ。
酒井容疑者が逮捕の翌日からスラスラと自供しているのも、弁護士からの入れ知恵だろうが、起訴はされないとタカを括っているからだろう。
警察も検察もなめられているのだ。

不思議なのは、酒井法子が行方をくらましていた理由を「夫の逮捕で気が動転したから」と供述し、捜査関係者もその言い分を認めていることだ。
もし夫が逮捕されたとしたら、普通の母親であれば一番に子どもを守ることを最優先させる。自分の父親が警察に捕まるというショックは極めて大きく、そういう時こそ母親は子どもをしっかりと抱きしめて励ましていく、それが人の道というものだ。
それを親族でもない知り合いにあずけて逃げ回るとしたら、覚せい剤を使用の証拠隠滅のために逃亡し時間を稼いでいたとしか考えられない。
酒井法子は、人間の道を踏み外している。

酒気帯び運転で事故をおこした人間が逃げて、アルコールが抜けたころを見計らって出頭してくるケースが多いが、今回の酒井法子の手口はこれと同じだ。
もし「逃げ得」や「逃げるが勝ち」で不起訴になったり減刑されるようなら、法律が社会規範や道徳を壊すことになる。
そんな世の中にして欲しくない。

2009/08/10

「地方分権」がナンボノモンじゃい!

近ごろマスメディアに流行るもの、それは「地方分権」だ。
橋下知事だの東国原知事だのといったタレント知事が毎日のようにTVに登場し、「地方分権」だとギャンギャン吠え立てるものだから、自然と頭にこびりつくのだ。
このままでは、あたかも「地方分権」が総選挙の争点になりかねない所から、彼らが主張する「地方分権」が果たして真っ当なものかどうかを検討してみるのも一興だろう。

先ずは知事会の一部などが「地方分権」、即ち権限と予算を国から地方自治体へ移管しろと主張するのは、ある意味当然のことだ。
権限と予算が増えれば、自治体首長を始め地方議員、地方の自治体幹部の「実入り」が良くなる。
最近は知事たちもパーティーを開いて政治資金を集めているケースが多いが、「地方分権」が進めば進むほど、集まる資金も比例して増えてくるのは眼に見えている。
だから彼らが「分権」を叫ぶのは、極めて単純な経済原則なのだ。

次に目に付くのが、全国知事会とやらが主要政党の政策を評価して、その採点結果を公表するという奇妙な行動についてである。
(1)地方選挙で知事を選んだのは、あくまで地方自治体の長として相応しいかかどうかで選んでいるのであり、政党への評価を託した覚えはない。
それほど国政が気にかかるのなら、最初から知事に出ずに国会議員に立候補すればよい。
(2)政党がどうの、国政がどうのという前に、自身が掲げた選挙公約(マニフェスト)がどこまで実現したかを検証するのが先決だ。
他者にあれこれ言う前に、先ずは第三者機関に自らの政策実現度を評価して貰うのが先だろう。
皆で集まって採点遊びをする時間があるのなら、首長としての仕事をしっかりやって欲しい。
それとも自分が不在でも、地方の行政には何ら支障がないとでも言うのだろうか。そんな知事なら不要である。
自分の頭の蝿を追えないような人間に、何か言われたくない。

地方分権で住民の暮らしが向上するかであるが、その前提は地方自治体が住民本位の行政を行っていることにある。
例えば私が住んでいる東京都だが、社会保障が後退する一方で、新銀行東京(石原銀行)の乱脈経営や、オリンピック誘致を口実とした莫大な金のムダ使いなど、ムチャクチャな行政が行われている。
これ以上石原慎太郎知事に権限や予算を渡したら、とんでもないことになる。
まだ政府の方がマシである。

もう一つ、地方議会の質の問題がある。
少なからぬ自治体が事実上のオール与党体制で、チェック機能に乏しい。
そう言ってはナンだが、地方に行けば行くほど議員の質が低くなる傾向があり、なかにはヤクザ紛いの議員だっている。
政治と特定企業の癒着にしても、総じて地方自治体の方が強い。
地元有力企業の推薦により、代々の市長が決められている自治体あるのは周知の事実だ。

地方自治体職員の採用についても、不透明な部分がある。
ここではコネがないと、なかなか市町村の職員になれないという話はよく耳にする。
関西地区などでは、同和団体からの職員採用が慣行化されている自治体がある。
2008年に大分県教職員採用試験で小・中・高全てで、長年にわたり縁故採用が常態化されていたことが判明した。
もちろんこうした事は大分県に限ったことではない。恐らく全国津々浦々で行われていたのだろう。
有力者のコネや紹介で採用された職員が、公正な行政をするはずがない。

今のまま「地方分権」を進めても、地方自治体の汚職・腐敗が拡がるばかりだ。
それより知事会の一部メンバーが主張するように、「地方分権」さえ進めば全てがバラ色という妄言は、4年前の小泉純一郎首相の「郵政民営化」の主張とウリ二つだ。
こんな三百代言、眉に唾して聞いておいたほうが良さそうだ。

2009/08/08

芸能界に「清純派」は存在しない

Photo戦後ワタシの実家は中野で水商売をしていた。国民全てが食うや食わずの時代にそんな所に来る人間というのは、ヤクザかミュージシャン(当時はバンドボーイと呼ばれていた)だった。
彼らは店に入ってくると、まず注射器を取り出して腕に打ちはじめる。ヤクザとミュージシャンとの境など無い。
子供だったワタシはその光景が不思議で、親に「あの人たち、何してるの?」とたずねたら、チョット顔をしかめながら「ヒロポン(覚せい剤:メタンフェタミンの別称)だよ」と答えた。
その表情から、あまり芳しくないモノだというのは子供心にも察しはついたが、大人になるとああいう注射をするのかなと漠然と考えていた。
もしあのまま我が家が水商売を続けていたら、きっとワタシ自身も麻薬や覚せい剤に対して抵抗感がないまま育ったのかも知れない。
ここ数日の酒井法子夫婦や押尾学らの麻薬や覚せい剤さわぎを見ると、この世界は昔も今も変らないなとつくづく思うってしまう。

酒井法子はその役柄から「清純派」というイメージが定着している。そのイメージが買われて麻薬追放キャンペーンのポスターだの、裁判員制度のPRビデオへの出演といったお堅い仕事もしていた。
どうも世間の中には、演じている役柄と本人の性格との区別がつかない人がいるようだ。
学校教師役の俳優が教育問題の講師をしたり、タコ社長を演じた太宰久雄が中小企業の経営者に講演したり、理解し難いところだ。
清純派を演じるということと、本人が清純だということとは全く無関係だ。
もしそうなら、悪役専門の役者は暴力団員からスカウトせねばならないだろう。
酒井法子の逮捕状が執行されたとき、本人を批判するのは当然としても、「あの清純派タレントがなぜ?」式の報道は、マト外れも良いところだ。

芸能界を多少でものぞいたことのある人なら、清純な人間が生き残っていけるほど甘い世界でないことはご存知だろう。
アイドルタレントひとつとりあげても、毎年大勢の人間がデビューし、その大半は消えてゆく。
その中で他の競争相手を蹴落として生き残るのは並み大抵ではない。いかがわしい人間の多い業界を泳いでいくには、相当の精神力が必要だ。
仕事をもらったり、有力な後援者を獲得するためには、時には「身体を提供」せねばならない。
そうして一握りの人間だけが勝ち残っていく。
売れないアイドルはどんどん水着の面積が小さくなり、やがてはヌードになる。
アイドルから脱落したタレントの多くは、高級娼婦などの風俗やアダルト業界へ、あるいは水商売のホステスなどの道に進む。

本人の努力だけではどうにもならない業界だから、ある人は精神が不安定になり、ある人は新興宗教にはまる。
そしてある人はクスリに手を出す。
昔から芸能界と暴力団はお隣さん同士だから、入手が容易なのだ。

酒井法子というタレント、ワタシは以前から彼女の「素」の表情の時に見せる、いかにも底意地の悪そうな顔に注目していた。悪役顔なのだ。
彼女の覚せい剤取締法違反事件はこれからどう進展するかは分からないが、罪を償って復帰できたら、思い切って悪役に転進したらどうだろうか。
だから早く出頭して、子どものためにもやり直しを模索すべきだろう。
元々、清純派など似つかわしくなかったのだ。

2009/08/07

海外旅行先での事故




コネタマ参加中: 思わず冷や汗をかいた経験を教えて!【ココログ選手権】


「冷や汗」といえば、海外旅行での事故だ。
ざっとこんな具合。

・初めての海外のエジプトで、政府高官の自宅を撮影していて”スパイ”の疑いをかけられ、陸軍の駐屯地に連行されて取調べを受けた。軍用トラックの荷台からマシンガンを持った兵士数名がバラバラッと降りてきたときは、血が逆流した。
・インドで乗ったタクシーがバスに追突され、イエメンでは乗っていた四駆の側面に対向車が衝突。いずれも車は壊れて走行不能となったが、幸い受傷せずに済んだ。どちらも警察の車が到着するまで30分近くかかり、もし大ケガを負っていたら、いっかんの終りだと思った。
・イスタンブールでは宿泊したホテルで乱射事件があり、イスラエルでは自爆テロ、イエメンでは観光した場所で外国人を狙ったテロがあったが、いずれも私のいた一日後に起きた。大きな犠牲が出たと後から聞いて、他人事とは思えなかった。

「憎まれっ子世に憚る」の諺通りなら、嫌われ者は長生きするのかも知れない。
それとも悪運が強いのかも。

2009/08/06

「死んだ女の子」

扉をたたくのはあたし あなたの胸に響くでしょう
小さな声が聞こえるでしょう
あたしの姿は見えないの

十年前の夏の朝 私は広島で死んだ
そのまま六つの女の子
いつまでたっても六つなの

あたしの髪に火がついて 目と手が焼けてしまったの
あたしは冷たい灰になり
風で遠くへ飛び散った

あたしは何にもいらないの 誰にも抱いてもらえないの
紙切れのように燃えた子は
おいしいお菓子も食べられない

扉をたたくのはあたし みんなが笑って暮らせるよう
おいしいお菓子を食べられるよう
署名をどうぞして下さい

【詩】ナーズム・ヒクメット
【訳】飯塚広
*******************

この「死んだ女の子」という詩は、トルコの国民的詩人であるナーズム・ヒクメットの作品で、日本では作曲・木下航二の歌により広く愛唱された。
私はこの歌詞をソラで覚えているのだが、切なくて途中から涙で声がつまってしまい、なかなか最後まで歌いきることができないでいる。
「十年前の夏の朝・・・」とあるから、この詩はおそらく1955年に作られたと思われる。
日本から遥か離れたトルコの詩人が、広島の原爆投下に対する悲しみと怒りを詩に託してくれたことに、静かな感動をおぼえる。

1952年4月28日にサンフランシスコ条約が発効し日本が独立するまで、広島と長崎の惨禍は日本国民に知らされなかった。
人々が初めて被爆被害の実態を目の当たりにしたのは、写真誌「アサヒグラフ」1952年8月6日号に掲載された原爆写真集からだ。
私も当時その写真を見たのだが、数枚繰っただけで、後は正視ができなかった。

そして1954年3月1日、日本の漁船・第五福竜丸が、操業中に太平洋ビキニ環礁で行われた水爆実験に遭遇して被曝し、無線長だった久保山愛吉氏が死亡する。
これを機に「三度(みたび)原爆許すまじ」の声が沸き起こる。
1954年から全国で原水爆禁止署名運動が始まり、翌年までに最終的に32,590,907名の署名が集められた。日本国民のおよそ3人に1人が署名したことになる。
「死んだ女の子」の終りが「署名をどうぞして下さい」で結ばれているが、これはこの時の原水爆禁止署名を指している。

あれからさらに半世紀以上が経ち、米国オバマ大統領の提唱で、ようやく世界は非核化の方向に足を踏み出そうとしている。
それなのに我が国では、核兵器を保有すべきだと主張する勢力が現れてきた。
人間というのは、どこまで愚かなんだろう。

今日8月6日は広島原爆忌。

2009/08/04

だから議員はやめられない

あるツアーの添乗員から聞いた話。
数年前、この添乗員が担当したヨーロッパのある国のツアーで、旅客の一人がパスポートを盗まれてしまった。帰国の前日の自由時間のとき、ホテルを出たとたん数名の男に囲まれ旅券を奪われたものだ。
翌日に帰国を控えているので、最寄の日本大使館なり領事館なりに届け出て必要な申請を行うパスポートの再発行手続きを行うのだが、これが正式のパスポートとなるとかなりの時間がかかる。
そこで急ぐ場合は「帰国のための渡航書」を申請・取得することになるのだが、これでさえ最低一日はかかる(休日や祝祭日を挟むとさらに延びる)。
もう一つ、「帰国のための渡航書」はあくまで"日本への入国"を特別に認める公文書であるという性質上、その発給を受けた国を出国して日本に入国するまでの途中に、他の第三国に入国することができない。
このツアーの帰路は、一度他の国に移動し、そこから日本への帰国便に乗るという旅程だったため、「渡航書」が利用できないことが分かり、ツアーメンバーと一緒の帰国は断念するしかないという結論になりかけた。

ところがその参加者の中に民主党E参議院議員と懇意にしている人がいて、それなら私がE議員に頼んでみましょうという事になった。
電話でE議員に連絡をとると、早速日本大使館から本人に連絡があった。
大使館に出向くと係官から丁重に扱われ、驚いたことにその場でパスポートが再発行され、手渡されたそうだ。
さらに出発地までの航空券をも手配してくれて、難なく当初の予定通り帰国できた。
議員の知人が同じツアーの参加者に口利きしただけでこの待遇、国会議員の力はこれほど強いのかと、その添乗員はビックリしたと言っていた。

この話で思い出したのだが、2007年末に川田龍平参議院議員夫妻がプライベートで米国に出かけようとして、夫人のパスポートが失効していることに気付いた。
川田議員が外務省に電話を入れたところ、翌日には新しいパスポートが発給されたというものだ。しかも年末の休み中にもかかわらずだ。
議員が電話をすれば、何の手続きもせずに直ちにパスポートが発給される、まるで夢のような話ではないか。

野党議員でさえこの特別待遇なのだから、与党議員ともなれば相当な特権を振り回せるのであろうことは想像に難くない。
これだから、議員は三日やったらやめられない。
何としても議席にしがみつく。
それも出来れば与党の議員でありたい。
そんな思いを込めて、現在この炎天下に日夜、事前運動が繰り広げられている。

2009/08/03

こまつ座「兄おとうと」@紀伊國屋サザンシアター(8/2)

Aniotouto現在こまつ座第八十八回公演「兄おとうと」が紀伊國屋サザンシアターで行われているが、8月2日の回を観劇。初演から数えて3度目の公演となるそうだ。
井上ひさし「兄おとうと」は吉野作造とその弟をテーマにしている。
吉野作造、若い方にはあまりお馴染みがないかも知れないが、明治の終りから昭和の初期にかけて活躍した言論人であり、民本主義の先駆者といわれる人だ。
東京帝国大学教授という学者だったのだが、広く国民本位の政治を説く一方、貧しい者や孤児のための病院、産院、孤児院を創って運営し、常に貧困にあえぐ人々の側に立って活動した人でもある。

これじゃあ立派過ぎて芝居にならないと考えた作者井上ひさしは、作造の弟・信次が岸信介や木戸幸一を部下にもつ高級官僚であり、大臣にまで登りつめた人物だったという事実に目を付けた。
更に、作造と信次兄弟の妻同士が姉妹だという事実に着目して、全く立場が正反対の兄弟の愛憎に、夫婦愛や姉妹同士の愛を重ねたドラマを作りあげた。

井上ひさし・作  
鵜山仁・演出
<キャスト>
辻 萬長:吉野作造
剣 幸:妻、玉乃
大鷹 明良:作造の弟、信次
高橋 礼恵:妻で玉乃の実妹、君代
宮本 裕子:女中/女工/天津から来た娘/説教強盗/大連のママ(妹)
小嶋 尚樹:文部官僚/警察官/右翼/説教強盗/中小企業の社長(兄)
《ピアノ演奏》朴 勝哲

ストーリーは、
吉野家の兄弟、作造と信次は年の差が10才ながら揃って秀才、二人とも東京帝国大学に進み主席で卒業する。
学者の兄は国民あっての国家だと主張し、官僚の弟は国家あっての国民だと主張する。
兄は国民が主人公となる憲法を制定すべしと考え、弟は大日本帝国憲法こそが崇高であり、天皇の命に反するような兄の思想は反逆罪になると考える。
兄は国民の願いに応えるのが政治だと言い、弟は国家は国民を統制せねば破滅すると主張する。
全てに正反対の兄弟はやがて対立を深め、たまに会っては激論を闘わせたあげく、最後はケンカ別れになる始末。
しかし二人の妻同士である玉乃と君代は大の仲良し。それぞれが夫の生活を支えながら、兄弟二人と何とか仲直りさせようと図るが、なかなか上手くいかない。
ドラマは大正から昭和初期の世相を背景に、説教強盗やら大陸の出稼ぎやら右翼のテロやら貧富の差の拡大やら様々な問題が兄弟の周辺におこり・・・。

こう書いていくと、いかにも硬そうな印象を受けるだろうが、そこは井上ひさし作品、ピアノの生演奏にあわせて劇中の挿入歌が10曲。唄って踊って飛び跳ねて。
昔のMGMミュージカル映画並のやや安易な大団円には多少の抵抗はあったが、先ずは泣いて笑って楽しんでという趣向になっている。
劇中の作造のセリフ、「財閥の番犬に甘んじている政党に喝を入れろ。自分かわいさに志を失っている議員諸侯の尻を叩け。」は、今でも通ずる。

出演者では作造を演じた辻萬長がユーモラスな演技で会場を和ませ、妻の剣幸と弟の大鷹明良はハマリ役と見た。高橋礼恵は立ち振る舞いが美しい。
特筆すべきは五役を演じ分けた宮本裕子の芸達者ぶりで、どの役をやらせても実に堂に入っているし、支那娘のカンフー演技もお見事。
同じ五役を演じた小嶋尚樹の怪演と共に芝居を盛り上げた。
毎度のことながら、こまつ座はワキがしっかりしている。

公演は10月6日まで全国各地で。

2009/08/02

「ウエスト・サイド・ストーリー」@オーチャードH(8/1昼)

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誰にも青春の思い出と切り離せない、心に残る映画というのがあるだろう。
私の場合は「ウエス・トサイド物語」がそれだ。社会人成り立てのころ、初めて自分の給料で観に行った映画だ。それまでのミュージカル映画の概念をくつがえすような映像の連続で、感動と同時に衝撃を受けたことを覚えている。
1960年代の若者文化(当時は私だって若者だった)に最も大きな影響を与えたのは、この「ウエスト・サイド・ストーリー」とザ・ビートルズの出現だろう。

現在ブロードウェイ・ミュージカル“WEST SIDE STORY”の来日公演が行われているが、8月1日Bunkamuraオーチャードホールの昼の公演に出向く。
初演が1957年なので50周年記念ツアーと称した公演だ。
観客も若い人にまじって私と同様の年配者が目に付いたのは、やはり映画の影響だろう。
原案 ジェローム・ロビンス
脚本 アーサー・ロレンツ
音楽 レナード・バーンスタイン
演出・振付 ジェローム・ロビンス
以上はオリジナルのスタッフで、今回は次の通り。
音楽監督・指揮 ドナルド・ウイング・チャン
演出・振付 ジョーイ・マクニーリー
<主なキャスト>
スコット・サスマン(トニー)
ケンドール・ケリー(マリア)
エマニュエル・デ・ヘスース(ベルナルド)
マイケル・ヤブロンスキー(リフ)
オネイカ・フィリップス(アニタ)
なお、トニーとマリアはダブルキャストである。

ストーリーは、
1950年代の米国NYのダウンタウンが舞台。
人種の違いから対立する二つの不良グループ「ジェット団」と「シャーク団」、その「ジェット団」の元リーダー・トニーは、現リーダー・リフと共にダンスパーティーに出かける。
そこでトニーは美しい少女マリアに出逢い、恋に落ちる。 しかしマリアは対立する「シャーク団」のリーダー・ベルナルドの妹だった。
その夜、リフはベルナルドに決闘を申し込む。 トニーはマリアに頼まれて決闘をやめさせようとするが、その結末には悲劇が待ち受けていた・・・。
いうまでもなく、シェイクスピアの名作「ロミオとジュリエット」の世界をNYマンハッタンに置き換えたものだ。
半世紀経っても話が色あせないのは、物語に普遍性があるからだろう。

さて舞台の方だが、先ず瞠目すべきは群舞の素晴らしさだ。
決闘やダンスパーティー・シーンでの集団の踊り、それに「アメリカ」「クール」「アイ・フィール・プリティ」など有名な曲にのせて踊るシーンは圧巻だ。
ダンスではアニタ役のオネイカ・フィリップスの大きな踊りが光る。
舞台装置の工夫にも感心した。休憩時間以外の場面転換は途切れることなく続けられる。無機質的な立体の装置と背景のスクリーンを駆使し、荒々しい場面からロマンチックな場面まで表現していた。
ただトニーとマリアの主役陣が今一つだったように思う。その結果、「マリア」の詠唱や「トゥナイト」のデュエットが心に響いてこない。
ダブルキャストなので、もう一組の配役の方を観たらまた印象が違っていたかも知れない。

ブロードウェイ・ミュージカルといっても、来日メンバーが果たしてどのレベルの役者を揃えたのかという疑問があるが、この作品に関しは映画の方が遥かに良く出来ていたように思う。

東京公演は9日まで。

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