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2009/09/29

長崎市長射殺犯への「無期」判決は不当だ

この判決は不当である。
2007年に長崎市のJR長崎駅前で、選挙運動中の伊藤一長市長を射殺したとして殺人や公選法違反などの罪に問われた元暴力団幹部城尾哲弥被告の控訴審判決で、福岡高裁の松尾昭一裁判長は本日29日、死刑とした一審長崎地裁判決を破棄し、無期懲役を言い渡した。
選挙運動中に候補者が殺されるということは、議会制民主主義の根幹にかかわる問題であり、被告に対しては死刑の選択以外はありえない。

ではなぜ福岡高裁は一審の死刑判決を破棄して、無期懲役に減刑したのだろうか。
報道によれば、判決では次の理由をあげている。
(1)被害者が一人であること。
(2)城尾被告が、知人への融資を市に断られたことなどを理由に面識のない伊藤前市長殺害に及んだもので、選挙妨害そのものが目的ではなかった。
(3)身代金目的や強盗のような利欲的な側面はなく、主な動機は被害者への恨みだったこと。

先ず、相手が一人だから死刑は重すぎるという判断だが、これは1983年に最高裁が示した死刑適用基準(永山基準)をそのまま引きずっていて、相変わらず「相場」だけを基準にしたものだ。
今回のように選挙に立候補していた市長を殺害するという前例のない凶悪事件に対しては、死刑が相当とした一審判決が正しい。

次に殺害の目的が選挙妨害ではなく、被告の知人への融資を市が断ったからとしている点だ。これを聞いたとき、多くの人は「そんなバカな」と思っただろう。
この認定は、被告の言い分をそのまま鵜呑みにしたものだ。
被告の供述はあまりに不自然であり信用できないし、選挙妨害が目的ではなかったという判決の根拠こそ薄弱である。
「んな筈はねえだろう」と思うのが自然ではあるまいか。

殺害の動機が被害者への恨みであって、私欲的な側面はないとしているが、これもどのような根拠があって判断したのだろうか。
被告が暴力団幹部であったことを考慮すれば、彼らは「得にならないことはやらない」と考えるのが普通だ。
動機は恨みだと断定しているようだが、被害者と被告の間にはなにも利害関係がない。
まさか裁判長は、この犯罪は被告の「公憤」だと思ったのだろうか。

結果として選挙妨害になったことは明らかであり、事件が民主主義への重大な挑戦であることを考慮すれば、やはり極刑以外の選択肢はない。
今回の福岡高裁の判決は明らかに誤りだ。

【街角で出会った美女】オーストリア編(3)

オーストリア中央部、ザルツカンマーグート地方の美しい湖畔の町、サンクトウォルフガングから可愛らしいSLに乗ってシュッポシュッポと登っていくと、頂上のシャッフルベルク展望台(標高1783m)に着きます。
ここからはウォルフガング湖が一望に見渡せます。
ここと反対側に進むと、フェッシェル湖、モント湖、アッター湖などの素晴らしい景色が見られます。
しばらく散策して、登山列車の山頂駅近くに戻るとレストランが並んでいます。
もうこれは、ビールを飲めということですね。

席について少しすると、ウエイトレスが注文を取りにきます。
可愛い顔に似合わせずやたら威勢のよいお姐さんで、メニューをボールペンの先でトントン叩きながら、「飲み物はココ、食べ物はコレ、さあどれにするの?」という風に、気合を入れられます。
多少なりとも笑顔でも向けてくれればいいと思うのですが、ヨーロッパの店員というのは概してアイソが悪い。
それはともかく、山頂で飲んだ生ビールの味は最高でした。

画像は、その威勢のいいレストランのウエイトレスです。
民族服のコスチュームがよく似合っています。

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  (クリックで画像が拡大)

2009/09/27

こんな自民に誰がした

民主党政権誕生の最大の功労者は、麻生太郎前首相だ。絶妙のタイミングで解散し、政権を明け渡した。
おかげで鳩山由紀夫首相は就任早々に華々しく外交デビューを果たし、先ずは上々の滑り出しだといえる。
さらには、連日のマスコミによる鳩山新総理のヨイショ報道で、自民党の総裁選はすっかりかすんでしまった。
民主党は麻生太郎に足を向けて寝られまい。

その自民党新総裁だが、明日28日選出される。
演説会はガラガラで、さっぱり盛り上がらないと嘆いているが、一野党の党首選なんだから仕方がない。
それに候補者のタマが悪い。
お家の一大事だというのに本命はみな逃げてしまい、なんだかマイナーリーグの試合をみているような気分である。
候補に大臣経験者が一人というのは、いかにも寂しい。
TV番組で三人の候補者の主張をきいたが。
・谷垣禎一:要するに現状維持
・河野太郎:改革を主張するが民主党との違いが不明確
・西村康稔:なんのために立候補したのか最後まで分からずじまい
一長一短といいたい所だが、「一短一短」である。
誰が勝っても、見通しは暗い。

さて自民党に再生の道があるのかだが、朝日新聞に連日実力者のインタビューが載っているのが、これが実に心許ないのだ。
森喜朗元首相は、「そうこうしているうちに、相手のミスも出てくる。民主党は社民党や国民新党と連立を組み、矛盾が出てくるはず。」
要は、相手のミス頼みなのだ。
野球の監督に例えれば、勝つためには「相手のエラーか、投手の四球による自滅を待つ」と答えるようなもので、こんな監督なら即刻クビである。

大島理森国対委員長は、再生への道をこう語っている。
「一言でいえば、やはり健全かつ建設的野党として存在を見せることだ。」
オイオイ、「建設的野党」っていうのは、日本共産党の総選挙向けキャッチコピーじゃなかったのかい。
民主党に対してズブズブにはならないが全面対決でもない、「半身の構え」でいこうという姿勢なのだ。
しかし自民党は違う。民主党政権とは全面対決ではないのか。
「半身の構え」じゃ、永久に政権奪取はおぼつかないだろう。
「建設的・・・」なんて言ってると、そのうち共産党みたいに「いつでも野党」になっちまうぜ。

司令塔ともいうべき森喜朗や大島理森がこの程度の認識でいるようでは、自民党再生の途は遠い。
♪こんな自民に誰がした♪
♪誰のせいでもありゃしない、みんな自民が悪いのよ♪

「清水和音 ブラームス・プロジェクト2」@トッパンホール

2009/9/26(土)、トッパンホールで行われた室内楽コンサートを観賞。
トッパンホールという劇場は実によくできていて、これほど落ち着けるホールを他に知らない。
このホールで音楽を聴けるというだけで、幸せな気分に浸れる。月に一度くらいは、ここで音楽を聴くという贅沢を味わいたい。
今回はブラームスのピアノ四重奏曲が中心で、ピアニスト清水和音(“かずね”とよぶが、生まれた時から音楽家にと思って命名されたのだろうか)がすすめている「ブラームス・プロジェクト」の第2回目となる。

普段クラシックとはあまりご縁のない生活を送っていて、もちろんピアノ四重奏曲をナマで聴くのは初めてだ。
解説書を見ると、やはり演奏される機会が少ないらしい。地味なんでしょうかね。

<プログラム>
ブラームス:ピアノ四重奏曲第3番 ハ短調 Op.60
~休憩~
ブラームス:ピアノのための6つの小品 Op.118
ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番 ト短調 Op.25
<演奏者>
ダニエル・ホープ(ヴァイオリン)
赤坂智子(ヴィオラ)
ポール・ワトキンス(チェロ)
清水和音(ピアノ)

弦楽四重奏曲に比べ、ピアノが加わるととたんに華やかさを増したような気がする。
曲目の順序が当初は1番、3番であったのが、演奏者の希望で3番、1番に変わっていた。
推測だが、1番の方が曲として優れていて、しかも終楽章が盛り上がって終了するというのが理由かなと思う。解説にあるとおり、「軽快さと激しさが入り乱れる」緊張感が心地よい。
ヴァイオリンのダニエル・ホープは力を入れる演奏箇所では、椅子から飛び上がらんばかりの動きの激しさをみせる。
真ん中のチェロのポール・ワトキンスは、大きな目で左右にアイコンタクトを交えながら目配りをしていた。こういう細かな動作を観察できるのも、コンサートの楽しみの一つだと思う。
清水和音は「ピアノのための6つの小品」を情感豊かに演奏。特に第2曲と第6曲が素晴らしかった。
なにせ初めてなので他と比較しようが無いのだが、全体として個々の演奏者の技量、アンサンブル共に申し分ないと見受けた。

家を出る時には家人から「ガラじゃあない、ニンじゃあない」と揶揄されたが、コンサートが終わって帰り道はルンルン気分だった。
ゲージュツを理解しない家族というのは、困ったものだ。

2009/09/25

ブログタイトルの変更

このブログのタイトルを変えてもう1ヶ月近くになりますが、気がつかれた方は少ないでしょう。
ムリもありません、つぎの様なマイナーチェンジでしたから。
  変更前        変更後
HOME-9(ほめく)→HOME-9(ほめ・く)
4年半にわたって使ってきたのをチェンジしたのには理由があります。

ブログを始めて後から知ったのですが、「ほめく」という言葉は既にあったんです。
辞書によれば、元々は「火(ほ)めく」の意味で、
(1)ほてる。熱する。
(2)欲情をもよおす。情事をする。男女がいちゃつく。
とあります。
私の書いた記事を読んで、ほてったり欲情したりする人はいないでしょうから、これでは意味が合いません。

次に一部の地域の方言として使われているようで、この「ほめく」というのは、何もしなくても汗ばむような、とってもとっても蒸し暑い状態を指しているようです。
例えば丹波篠山地方では、夏を迎えると「ほめいて、ほめいてかなんなぁ」などと挨拶が交わされるそうです。
こちらも意味が合いません。

当ブログに「ほめく」とつけた由来ですが、これは宮澤賢治の有名な詩、「雨ニモマケズ」の一節から採ったもので、詩の終りは次のようになっています。
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ
「ホメ」ラレモセズと「ク」ニモサレズで、「ほめく」です。
つまり賞賛を浴びるようなこともない反面、害毒をおよぼすこともない、早くいえば毒にも薬にもならない、そういうサイトにしたいという目標から名付けたものです。

このたび「ほめ・く」と間に区切りを入れるようにしたのは、そうした理由からです。

2009/09/24

【八ツ場ダム中止】狙いは「前原つぶし」?

民主党が選挙公約でかかげた八ツ場ダムの建設中止が、いま暗礁にのりあげている。
9月23日には前原誠司国土交通相が現地を視察したが、地元住民との意見交換会は開かれなかった。
あくまで建設中止の方針はかえないという前原国交相と、白紙撤回を求める住民との折り合いがつかなかったのだ。
その八ツ場ダムの建設工事だが、計画されたのは1952年というから、かれこれ半世紀も前になる。
1994年に着工して、既に7割が終了し、今年の10月から本体工事に取りかかろうかという段階だ。

ことここに至っては、このダムが必要かどうかを問うだけではどうにもならない。
ダム工事は住んでいた住民を説得し、代替地域に移転させるまでが大仕事なのだ。反対派を切り崩し、賛成派を手なずけ、長い期間をかけてようやく工事にかかれる。
反対していた人々は、公共のためだと自分たちを納得させ、しぶしぶ別の地域に移っていく。それまでの地域コミュニティーは壊されていく。
それが今になって、実はこのダムは必要じゃなかったといわれても、それじゃあ俺たちの50年間を返してくれよと言われても仕方がない。

地元住民の意向を尊重すれば、ダム工事は中止できない。しかしここで工事の中止に失敗すれば、前原大臣の責任問題が生じてくる。
前に進めず、かといって後退はできず、前原大臣は立ち往生だ。
もう少し裏工作が出来る人物ならよいのかも知れないが、なにせ「直球勝負の前原」である。
加えて偽メール事件ではすっかり騙されたように、この人意外にワキが甘いのだ。
打開への道のりは遠い。

前原国交相にはもう一つ難問が控えている。高速道路の無料化だ。
各社の世論調査でも、過半数の人が無料化には反対している。
第一、前原誠司自身が、元々高速無料化には賛成ではなかった。しかし大臣としての職務上、無料化を推し進めねばならない。
どう屁理屈をならべても、温室効果ガスの25%削減と、高速無料化は両立できるはずがないのだ。
もしマニフェスト通りに政策を実現しようとすれば、前原大臣はここでもジレンマに陥ることになる。

前原誠司は、今回のオールスター政権で入閣を果たしたものの、鳩山由紀夫首相や小沢一郎幹事長双方にとって、あまり面白くない存在だ。
小沢一郎の秘書が西松建設事件で逮捕されたとき、当時民主党の代表であった小沢の面前で辞任を迫ったのが前原誠司だ。
小沢一郎の性格からして、腹の底では絶対に許せない相手だろう。
鳩山由紀夫首相としても、前原は心を許せる相手ではない。いつ反旗を翻さないとも限らない相手でもある。安全保障政策では前原は党内きってのタカ派であり、鳩山首相が進めようとしている外交政策とは真っ向から対立する可能性がある。

前原国交相が仮に八ツ場ダムの建設工事の中止を決行すれば、世論からの強い反発をくうことになろう。
高速道路の有料化を実現すれば、国民多数からの批判にさらされるのは間違いない。
しかし民主党政権としては、公約を実現したことになり万々歳だ。
仮に前原国交相が政策実現に失敗すれば、責任を問われ辞任に追い込まれることになる。その時は世間の非難とともに表舞台から去ってもらえば良いのであって、小鳩体制への打撃は最小限にとどまる。
どっちに転んでも「前原つぶし」とみるのは、穿ち過ぎだろうか。

2009/09/23

ゴキブリの自殺




コネタマ参加中: トイレのふたは閉める? 開けておく?

我が家ではトイレのフタはいつも開けている。
そのせいだろうか、きのうトイレに入ったら、長さ2cmくらいのこげ茶色の虫が便器の中で浮いていた。
よく見るとゴキブリで、もう全く動いていなかったので、すでに死亡していたと思われる。
便器のふちを歩いていて滑落したとは考えにくいから、たぶん覚悟の投身自殺だったのだろう。
フタが閉っていたら、自殺は防げたのかも。
生活苦だったのか、あるいは将来を悲観したのか原因は分からないが、人間でさえ住みづらい世の中なくらいだから、きっとゴキブリも生きていくのが辛かったのかも知れない。

ゴキブリという生物、考えてみれば気の毒な身の上だ。なにも悪いことをしていないのに、見つかるとスリッパで叩かれたり、ゴキブリジェットを吹っかけられたり、とにかく目の敵にされるのだ。
仏教の「輪廻」にしたがって生まれ変わるとしても、ゴキブリになるのだけは御免だね。

「黄金虫」(野口雨情作詞・中山晋平作曲)という歌をご存知だろう。
こんな歌詞だ。

黄金虫は 金持ちだ
金蔵建てた 蔵建てた
飴屋で水飴 買って来た

作詞の野口雨情は茨城の出身だが、茨城の地域によってはゴキブリを今でもコガネムシと呼んでいるそうだ。
その昔、ゴキブリは主に蔵の中に住んでいたようだ。寒風にさらされることがなく、食べ物にも不自由しないから棲みかにはもってこいだったのだ。
だからゴキブリがいるということは、その家が金持ちだという証拠であり、ゴキブリはリッチのステイタスだったわけだ。

それが経済が豊かになって飽食の時代になり、住宅事情がかわるにしたがい、ゴキブリは一般家庭にまで出没するようになった。
その結果、人間から毛嫌いされるように至ったわけだ。
数億年生き抜いてきたゴキブリにとって、今が最大のピンチかも知れない。
水洗のレバーを引きながら、そんなことを考えてしまった。

2009/09/22

鈴本演芸場9月下席・夜(9/21)

Shinsuke鈴本演芸場の9月下席初日の21日は、シルバーウィーク五連休の中日となった。
夜の部でトリをつとめる志ん輔のHPから割引券をプリントして窓口に出すと、入場料が600円引きの2200円になるということもあってか、開演前から長蛇の列。
この日は定席では珍しく前座が上がらず。
たまには、こういう趣向もあって良い。

<夜の部番組>
・古今亭志ん八「牛ほめ」
若いのに落ち着きがある。口跡がよく口調も滑らかで噺家の素質は十分。
後はセリフとセリフの間の“間”のとり方をもう少し工夫すれば、客席の反応が良くなるだろう。
・マギー隆司「奇術」
いかにもマギー一門らしいお笑いマジック。
・五明楼玉の輔「紙入れ」
この人、いつになったら「化ける」んだろう。
それとも、このまま進んでしまうのだろうか。
・橘家文左衛門「桃太郎」
文左衛門らしい少々手荒な桃太郎だったが、客席は大受けしていた。
最近、寄席には無くてはならぬ人になりつつある。
・ロケット団「漫才」
この日はCM編。
でも最後はやっぱり「おめえ、砂糖 EXILE? 」。
・桃月庵白酒「つる」
この人を見るたびに、真打披露公演の記事で「生き残っていけるだろうか」と書いていた自分が恥ずかしい。エクスキューズさせて貰えるのなら、それだけ白酒は急速に進歩したということだ。
大袈裟にいえば、見る度に上手くなっている。「つる」のネタでこれだけ観客を爆笑させるのだから、大したものだ。
・柳家権太楼「代書屋」
十八番で中トリ。
それより権太楼の痩せ方が気になる。どこか身体でも悪いのかと心配するほどだ。
皆さんの見立てはいかがだろうか?

~お仲入り~
・鏡味仙三郎社中「太神楽」
・柳家はん治「背なで老いたる唐獅子牡丹」
桂三枝の作というこのネタ、はん治は風貌や口調がよく似合っていて面白く聞かせるのだが、いつ聴いても同じネタだ。たまたまのめぐり合わせだろうか。
・柳家小菊「俗曲」
色っぽい女芸人が少なくなるなか、貴重な存在だ。
美声だし、たびたび“膝”で使われる理由が分かる。
・古今亭志ん輔「子は鎹」
ご存知「子別れ」の下で、近ごろはこのパートだけ独立して高座にかかる機会が多い。
誰が演じてもそこそこ聴かせられるのは、作品の完成度が高いせいだろう。
親子、夫婦の情愛という普遍的なテーマを扱い、父と子の再会シーンや、母親が子どもに折檻しようとするシーンなど、「泣かせ所」満載である。
トリの志ん輔は師匠ゆずりの丁寧な演出で、最後を締めた。
特に熊が番頭と別れて息子の金坊を呼ぶとき、数秒ためらってから声をかける演出がよく出来ていた。

正月やお盆興行のように華やいだ客席の雰囲気が印象的だった。

2009/09/21

【ツアーな人々】撮影中の事故にご注意!

「クレヨンしんちゃん」で知られる人気漫画家の臼井儀人さんが、群馬/長野県境の荒船山のがけ下で遺体で見つかりましたが、臼井さんが所持していたデジタルカメラに、山のがけ下を上から写した写真が残っていることが分かりました。がけ下を撮った瞬間に足を滑らせてしまったものと思われます。
なににしても残念な事故となってしまいましたが、添乗員などの話によると、観光ツアーでも稀にこうした転落事故がおきるのだそうです。

私が目撃した例では、クロアチアの世界遺産のひとつプリトヴィッツェ湖畔での出来事でした。
公園内は木製の遊歩道が設けられており、観光客はその上を歩きながら観光していました。そのうち同じツアー参加者の男性が、写真を撮られている最中に足を踏み外し、背中から湖に転落してしまいました。
狭い橋の上でポーズをとっていたところ、すぐ傍を別の観光客が通ろうとしたので少しよけた瞬間の出来事でした。
幸いその男性が泳ぎができたのと、周囲に沢山の人がいたので事なきを得ましたが、ひとつ間違えば人身事故になりかねないできごとです。
それでも全身ずぶ濡れ状態で、着替えができる場所までおよそ1時間歩かねばならず、真夏だった(それでもプリトヴィッツェは十分涼しかったが)からまだ良かったものの、冬場だったら厳しい状況だったと思われます。
これが山の上だったらと想像すると、ぞっとしました。

断崖絶壁に行くと、人間というのはどうしても下をのぞきたくなります。それも真下を。だから限界ギリギリまでそろそろと前に進みカメラを構えたりするのですが、こういう時が危ないんです。
又、同伴者のために良い写真を撮ろうと夢中になり、崖や河川に転落するケースも少なくないそうです。
海外旅行中の安全というと、ややもすると戦争だとかテロだとかに目が向きますが、実際に死傷するケースは、本人の不注意による事故が大半です。

これもツアーの同行者からきいた話ですが、ホテルのベランダに出てうっかり窓を閉めたところ自動でロックがかかって取り残され、死ぬ思いをしたそうです。
一人部屋で季節が真冬(暖房をしていたから扉を閉めた)、薄着に着替えてしかも超高層ホテルの上階のべランダとくれば、たまたま大声に気付いてくれた人がいて助けられたから良いものの、命にかかわりますよね。

事故にあったのではせっかくの旅も台無しになるので、注意が肝要です。

2009/09/20

#92朝日名人会(9/19)@有楽町朝日ホール

9月19日東京有楽町朝日ホールで、第92回朝日名人会が行われた。売り出しから1ヶ月経っていたが、ダメ元で申し込んだらすんなりチケットが取れた。
最近、落語会のチケットの売れ行きが少し落ちているような気がするのだが、やや落語ブーム寄席ブームにも翳りが見え始めたのだろうか。
長期的に見れば、人気と実力が折り合ったところに落ち着くことになろう。

<当日の番組>
前座・古今亭志ん坊「子ほめ」
以前から主張しているのだが、こうした落語会に前座をあげる意味がどこにあるのだろうか。
前座の噺を聴きたいという客がいないのなら、やめたほうが良い。
・柳家三之助「棒鱈」
来春真打に昇進すると高座で発表、拍手を浴びていた。もともと実力は十分で、むしろ昇進が遅過ぎた感がある。
折り目正しい演出だったが、芸者にもう少し色気が欲しい。
・柳家花緑「猫久」
冒頭でこのネタは柳家のお家芸だと紹介していたが、師匠である先代小さんの芸にはほど遠い。
例えば熊五郎と侍のセリフが同じようなリズムになっていて、熊公のとぼけた味わいが利いていない。
一口にいえば低調な高座。
・柳亭市馬「御神酒徳利」
会場で配られたチラシによれば、このネタは二つのタイプがあるのだそうで、
一つは、三代目柳家小さんによる改定江戸東京版。
もう一つは、この日市馬が演じた三代目桂三木助の上方オリジナル版。
後者の方が時間が長く難しいようだ。
近年では圓生の名演が知られているが、市馬の高座はほぼ圓生の演出をなぞったものだ。
流れるような明解な語り口で、大ネタを演じきった。

~仲入り~
・柳家三三「引越しの夢」
新入りの美人女中の寝所に、3人の番頭が夜這いにいくが失敗するという実に他愛もない噺だが、それだけにどう面白く聴かせるか、演者の腕の見せ所である。
三三は、二番番頭に「御神酒徳利」の善六を登場させて笑いを取るなどの工夫をこらし、楽しませてくれた。
とにかく上手い。
・五街道雲助「お直し」
廓の最下層にまで転げ落ちた夫婦の「やり直し」の人生と、二人の細やかな愛情がテーマになっている廓噺。
雲助の演出は、登場人物の演じ分けがくっきりとしており、特に女房と酔客との会話シーンが秀逸。
セリフの間の取り方や心理描写が巧みで、ともすると陰々滅滅となりがちな中に一筋の明るさを与えていた。
雲助の、年季の入った確かな芸を見せつけた高座だった。

2009/09/18

のりピー、とても立派だったよ!

Photoのりピー、昨日の「復帰会見」、とても立派だったよ。
保釈になった酒井法子は少しも悪びれた様子がなく、歩く時も真っ直ぐ前を向き、とても堂々としていた。
ときおり報道陣に見せる笑顔には、貫禄さえ漂っていた。「たかが覚せい剤吸ったからって、それがなによ」と目が語っていた。
いつもお世話になっている建設会社社長が後ろ盾になってくれたし、何より記者会見で逮捕時まで所属していたサンミュージックの相澤正久副社長と、ビクターエンタテインメントの三枝照夫会長が、それぞれ前座をつとめてくれたのが心強かった。
もう受け入れ体制はマカシトキっていうところだね。
形だけの謝罪ではお約束の涙もポロリと流し、後は復帰への決意を語る。
佃煮にしたいほど集まったウゾオムゾオのマスコミ連中が、会見にハナをそえてくれたし。
これって、もしかしたら、今回の覚せい剤騒動じたいが「ヤラセ」だったんじゃないのと思えたくらいだ。
今は世間は大騒ぎしているが、人の噂も七十五日。数ヶ月もすれば事件の記憶はすっかり薄れ、あとに残るのは全国津々浦々に鳴り響いた知名度。
金になるのが分かってくれば、なにを差しおいても飛びつくのは芸能界。なあに、5億円損したって10億円稼いでやりゃ、文句ないでしょってわけさ。
酒井法子の、したたかな作戦勝ち!

「擬似児童ポルノで逮捕」児ポ法改正の恐ろしさ

警視庁は9月17日、容姿が幼く見える成人女性のわいせつな姿を撮影した「疑似児童ポルノ」のDVDをアダルトショップに販売したとして、写真家の力武靖とビデオ製作会社「ムーランコーポレート」社長河野憲一の両容疑者をわいせつ図画頒布などの疑いで逮捕した。
力武容疑者は調べに「映っているのは陰部ではない」と容疑を否認しいているという。
疑似児童ポルノの摘発は全国初である。

「擬似」というのだから、成人を児童にみせかけて、あるいは成人だけど児童に見えた、というのが理由なのだろう。
世間には「児童」というと子どものことだと思う向きもあるようだが、児童福祉法でいう児童は18歳未満の男女全てである。
16,7歳で成人に見える人もいれば、いい年をして幼く見える人もいる。そうなると前者は「児童」、後者は「擬似児童」とみなされることとなる。
18歳未満かどうかは客観的に証明できるが、18歳未満に見えるかどうかは完全な主観的判断だ。いくら戸籍謄本を持っていっても、18歳未満に見えるといわれればそれまでだ。
さすがに実物であればそれほど年令はごまかせないが、画像や映像では分からないことがある。

いま検討が進められている改正児童ポルノ法案では、単純所持でも違法となる。
あなたが持っているヌード写真集のモデルが成人だとしても、警察がこれは児童に見えると判断すれば児ポ法で捕まることになる。
逆にあなたが成人だと思っていたら、実はヌードモデルの年令が18歳未満であったなら、これは真性の児童ポルノ法違反になってしまう。

そんなイヤラシイ写真など持たなきゃイイと思うかも知れないが、男性で女性のヌード画像や映像に全く興味がないという男がいたら、むしろそっちが心配だ。
よほどの聖人君子か、どこかに異常があるのか、そのどちらかだ。
私事ではあるが、小学校1年生の時に席が隣同士になった女の子の、スカートの下から伸びるフトモモが気になって仕方がなかったものだ。その時に目覚めて、以来目覚めっぱなしだ。
やや早熟気味ではろうが、これくらいが正常ではなかろうか。

児童ポルノはいかんという大義名分、誰もが反対できないのをいいことに、とんでもない事態が進行している恐れがある。
児童ポルノ法改正の動きは、タテマエに騙されず、しっかりと監視する必要がある。

2009/09/17

千葉景子新法相の資格を疑う

今回の新政権で新たに法務大臣に就任した千葉景子法相が17日行った記者会見には疑義がある。
先ず官邸での会見で、死刑執行について「人の命にかかわるので、法相の職責を踏まえながら慎重に取り扱う」と述べ、執行に消極的な姿勢を示した。
続いて法務省内で開いた会見では、「そういう方向(死刑廃止や凍結の方向)がつくられていけばいいなあというのが、個人的な気持ち」と述べた上で「制度の趣旨と大臣の職務を考えて慎重に対処したい」と繰り返した。
執行命令書に署名するかどうかについては明言を避けた。

発言を聞いていると、千葉新法相は果たして日本の法制度の基本を理解しているのだろうかという疑問がわいてくる。
裁判で確定した刑の執行は、「刑事訴訟法」によって、死刑のみ法務大臣の命令で、それ以外の刑は検察官が指揮すると定められている。
もし裁判で確定した刑を、法相または検察官が恣意的に執行しないとすれば、これは明らかな不法行為である。司法の結論を、行政が拒否したことに等しい。
例えばある検察官が無期懲役は非人道的だという個人的信念から、いつまでも刑の執行(収監)を拒んだとしたらどうだろう。そんなことが許される筈がない。
死刑についても同じことだ。

千葉法相は超党派の「死刑廃止を推進する議員連盟」(亀井静香会長)のメンバーの一人だ。
「そういう方向(死刑廃止や凍結の方向)がつくられていけばいいなあ」というのは立法の課題であり、それと行政の長の職務と混同すべきではない。
国民の声というのであれば、今は全体として厳罰化を望む方向に動いており、死刑制度についても存続の声が強い。
将来的には終身刑の導入や、死刑制度の見直しは課題ではあるが、それと現実の刑の執行とは全く別の問題だ。

このように千葉景子法相の発言は、三権分立の原則を踏み外している。
法の上に個人の信条を置くようでは、法務大臣としての職務がまっとうできるのか、不安だ。

今回のような死刑をめぐる法相の対応は、過去の自民党政権でも起きていて、それが今まで放置されてきた。
したがって民主党新政権でおきた問題というよりは、過去の悪弊を引きずっていると考えたほうが良い。
誰だって喜んで死刑を命令したくはないだろうし、できれば避けたいという気持ちはあるだろう。
しかし自分の時はサインしないというのは、結局イヤなことを先送りしているに過ぎない。
そんな意志薄弱な人間が、法務大臣では困るのだ。

【補足】
昨日のTV番組で、出席していた自民党議員が本記事と同趣旨の理由で千葉法相を批判していたが、この件について自民党には批判する資格はない。
過去の自民党政権下の法相の中にも、自らの信念で死刑執行命令書にサインしないことを言明した大臣がいたが、自民党はこれを黙認してきたからだ。
いずれにしろ、どうしても自己の信念を貫きたければ、法務大臣の就任を断れば済むはなしである。
(9月22日加筆)

2009/09/16

「田中美絵子」の過去は女の勲章だ

Photo今回の衆院選で当選した民主党・田中美絵子議員の過去の経歴が問題にされているようだ。風俗ライターであったとか、出演していた映画でヌードになっていたとか、大川興業に所属していたとか。
そうした経歴が「仰天過去」として報道されているのだが、私にはナニが問題になのか、どこが仰天なのか、サッパリ理解できない。
こうした批判する人々は、定職を持たない、あるいは自由業の女性が自立して生きていくことの大変さを知らないのではなかろうか。

もう10年ほど前になるが、ふとしたきっかけから、地方から上京して東京で自活している女性と知り合った。名前を仮に“泉”としておこう。
当時27歳だった泉は、服飾デザイナーを目指していた。デザインだけでなく縫製までして、商品に仕上げて客に提供する仕事である。
店舗を持たない個人営業で口コミが中心なので、収入が不安定だ。
生活のために、夜はクラブのバニーガールのアルバイトをして、それで生活はカツカツだと言っていた。
彼女の仲間には女優やタレントのタマゴもいたようだが、やはりホステスをしたり、時にはAVに出たりといった生活だったようだ。

泉の話によると、バニーガールとかバドワイザーの宣伝をする“バドガール”などの仕事は、年齢は27-28歳がいっぱいいっぱいだそうで、彼女も真剣に新たなアルバイト先を探していた。
そう簡単には見つからず、そのうちに“SMクラブの女王様”という口がかかった。給料は確かに高いけど、さすがに決心がつきかねていたようだ。
やがてバニーガールの仕事を失った彼女は、家賃負担を軽くするために男性と同居するようになる。さらにその友人という男が加わり、女一人に男二人という奇妙な共同生活が始まった。
本人いわく、いわゆる男と女の関係は無かったそうだ。
世間からみればナントふしだらなと思えるだろうが、本人たちから見ればそれほど不自然なことではない。
その頃から連絡が途絶え今は消息が分からないが、もしかして今ごろは本当に“SMの女王”(似合っているとは思うけど)になっているかも知れない。
会いに行ってもよいが、ピンヒールで顔を踏んづけられるのもナンダシ。

バーやスナックでホステスをしている女性の多くは、地方出身か又は家族から離れて自立しているOLなどで、会社の給料だけでは生活ができないので、やむなく夜のアルバイトをして糊口をしのいでいる。
そこから風俗関係への壁は、それほど高くない。特にルックスが良ければ、それだけ誘惑も多い。
田中美絵子の前にも、太田和実という議員が、やはり過去にキャバクラ嬢だったと週刊誌が書きたてたことがあった。
いいじゃないか、過去に映画でヌードになろうと、キャバ嬢だろうと。それは下から這い上がってきた勲章ではないか。

小泉某のように四代続いた世襲議員や、麻生某のような財閥のお坊ちゃまや、東大を出てキャリア官僚から横すべりしたような議員であれば、そうした醜聞は起こりようがない。
それとも彼女たちの経歴を非難している人たちは、議員が世襲や金持ちや高級官僚で占められるのを願っているのだろうか。
そこがどうも分からない。

2009/09/15

【街角で出会った美女】オーストリア編(2)

こちらの花嫁さんは、ツークシュピッツで式を挙げたあと、麓のアイブ湖畔で家族と写真を撮っていました。
頂上は寒いのでコートを着用していましたが、やはりウエディングドレス姿で記念撮影をしたかったのでしょう。
私たちも飛び入り(押しかけ?)しての撮影大会となってしまいました。花婿さんは気を利かして横にどいてくれたのですが、チョット気の毒でした。
ウットリするほど、スタイルの良い花嫁さんです。
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オーストリアは国土のおよそ3分の2が山岳地帯ですが、今年訪問したチロル地方となると、山と山の間に町や村があるという感じです。
街のどこからもアルプスが見える、あるいは麓の湖が見える、そういう風光明媚な地方でした。
ハイキングをしていると、お年寄りから赤ちゃんまで、車椅子からベビーカーまで、実に様々な人々が山歩きを楽しんでいることが実感できます。
公共の交通機関が発達しているし、列車に自転車が乗せられるのも良いですね。
環境保護のためには国民の生活スタイルを変えていかねばならないし、政府はそのための基盤整備を推し進めねばならないでしょう。
乗用車を買うのに補助金を出したり、高速道路をタダにするというのでは、環境破壊が進むだけです。

それと海外の結婚式を見ていつも思うのは、華やかだけどムダな費用をかけていないという点です。
結婚式に限らず、冠婚葬祭の費用は日本に比べ一桁低いのではないでしょうか。
お金がなくて結婚できないという若い人が多いそうですが、もう少し足元の生活を見直す必要があるかと思います。

2009/09/14

【街角で出会った美女】オーストリア編(1)

海外旅行の楽しみの一つに、現地の結婚式や披露パーティーに出会えることがあげられます。時には飛び入りで参加することさえあり、この辺が日本と大きく異なるところです。
会場も教会など宗教施設はもちろん、景色の良いスポット、有名な観光地や、意外に多いのが山の上、それに湖の辺など、実にさまざま。
新郎新婦に立会人、両親など親族、友人などが列席していますが、そこに我々のような見物客が集まってきて、一緒にお祝いをすることになります。

ドイツとオーストリアの国境にまたがるツークシュピッツは標高が2964mとドイツでは(山頂がドイツ領)最高峰です。この頂上で結婚式を挙げようという新婚が二組いました。
ロープウエイは行列して待つのですが、新婚さんだけは特別で先頭に立ちます。乗客たちから「オメデトウ」の声がかかり、もうロープウエイ乗り場からお祝いで盛り上がります。
山頂は雪が残り近くに氷河もある寒い場所でしたが、そこで立会人が二人のグラスにワインを注いでいました。日本の三々九度みたいなものでしょうか。
私たち観光客も喜びの輪に加わって、一緒に声をかけたり拍手したり写真を撮ったりしました。

寒いので、ウエディングドレスの上に黒いコートを羽織った花嫁さんの、幸せそうな笑顔が印象的でした。

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2009/09/12

【ツアーな人々】添乗員のチョットいい話

海外のツアーに参加する楽しみの一つは、添乗員からいろいろ話を聞けることだ。
私が最初に訊くことは決まっていて、「添乗員をしていて一番大変だったことは?」という質問だ。
多いのは客の重病や事故、なかには添乗員自身の病気というのもある。
手術ともなると家族の承諾書が必要になり、それも自筆のサイン(コピーやファックスではダメ)を求められると言うのだから、これは大変だ。

昨年のギリシア・ツアーの添乗員からは、客の事故死という答えがかえってきた。
あるツアーで、到着した初日に夕食後に外出した人が、ホテルから出たとたんに車にはねられた。救急車で病院に運んだがそのまま亡くなってしまった。
付き添いや家族への連絡などで、その添乗員は一晩中一睡もできなかったという。もちろん精神的なショックも大きい。
ただ幸いだったのはその人が一人参加で、しかも初日だったので親しくなった人が誰もいない、事故の事実も誰も気付いていないことだった。
大事なことは、そのツアーを続けなければいけない。
全てのことは会社や現地の旅行会社に託して、翌朝は何事もなかったようににこやかに他のツアー客を迎え、最終日まで予定通り旅行を続けられたとのこと。
「お一人都合でご一緒できなくなりました」と説明し、むろん死亡の事実には全く触れなかったし素振りも見せなかった。
「それよりツアー中に体調を崩し、毎晩、病院で点滴を打ちながら添乗を続けた時のほうが大変でした。」と、その可愛らしい女性添乗員は笑顔で語っていた。
いあー、プロだなと感心した。

今年のオーストリア・ツアーでの男性添乗員は、旅行中の列車事故をあげていた。
豪華列車で行く南アフリカの旅というツアーで、このブルートレイン100年の歴史の中で唯一の人身事故、他の列車との正面衝突事故に遭遇した経験である。
深夜、激しい衝撃とともに全員が床に投げ出された。幸い後方の車両だったので、大きなケガがなかったが、全員がどこかを打撲していて、とにかく列車の外に出て救助を待つことにしたそうだ。
なにしろアフリカの真ん中で、いつまで待っても救急車はこない。横になったまま数時間そのまま待たされたが、空には満点の星が見えた。
たまたま参加者の中に天文の専門家がいて、星座の説明を始めた。他のメンバーは痛みも忘れて聞き入っていたそうだ。
やがて病院に搬送され検査を受けたが、全員が打撲程度のケガと分かり、参加者の意志を確認したうえで、そのまま残りの旅行を続けることになった。
添乗員が機転を利かせて移動手段を確保し、このあとの観光スケジュールを変更することなく最後までツアーを続けられた。
ツアーでは最終日にアンケートを書くのだが、ほぼ全員が「事故にあったときはとてもショックだったが、あの素晴らしい星空と、そして天体にまつわる説明が聞けたのは、一生の思い出になります。」と感想を書いてくれたそうだ。
いやー、いい話だなあ。

こうしてアクシデントを乗り越えながら、一人前の添乗員として成長していくのでしょう。
次のツアーでは、あなたも添乗員のチョットいい話を訊いてみませんか。

2009/09/11

「高速無料化」は間違っている

民主党がマニフェストにかかげている「高速道路料金の無料化」政策は、根本的に間違っている。
民主党は口を開けばヨーロッパ諸国は高速料金が無料だと主張しているが、これは事実の一面しか見ていない。
先ず、今まで旅行でまわってきた印象からすると、全ての道路が無料になっているわけでは決してない。
次に、欧州の多くの国では、公共交通機関を充実させる政策をとっている。これが「自動車産業至上主義」のわが国の政策とは全く異なる。
もう一つは、環境保護の観点から有料化する動きが出ていることだ。高速料金の有料化もあるが、国によっては高速から都市に入る際に通行料を徴収するケースもある。
ヨーロッパの交通政策をモデル化するというのであれば、正確な調査が必要ではなかろうか。

これからの交通政策を考えるばあいに、環境保護の観点が最も大切だ。
戦後の交通政策の基本はモータリゼーション、すなわち国民に自動車を買わせる政策だった。
鉄道やバスでの不採算路線を切り捨て、その一方道路だけは拡充していく。過疎地の多くは、車が生活に欠かせない移動手段になってしまった。
加えて景気対策と称して新車を買うのに補助金を出す、さらにこれから高速を無料化するとなれば、結果としては自動車産業を喜ばすだけだ。

民主党やその関連サイトなどでは、高速無料化のメリットを盛んに宣伝しているが、あまりに我田引水の強引な理屈が目立つ。
希望的観測がならぶ一方、不都合な部分には目をつぶっているとしか思えない。

高速料金の総額は、年間およそ2.0-2,5兆円とされている。
これを無料にする財源があるのなら、第一に公共交通機関を充実させるべきではなかろうか。
都市部での路面電車の復活や、過疎地の不採算路線への補助も必要だろう。
大都市の繁華街では、乗用車の乗り入れ禁止を実施したらどうか。
アメリカの一部の都市で行っているような、街の中心部への車の乗り入れ制限と、同時にその区域内では公共交通を無料にするといった試みもあって良い。
要は、国民が車に頼らない生活が成りたつようにしていくこと、これが大事である。

民主党政権は2020年までに、温室効果ガスの25%削減を目標に掲げるとしている。
この目標を本気で達成しようとするなら、国の在り方、国民生活のスタイルを根本的に転換させねばなるまい。
先ずは、自動車のためにせっせと全国に道路を造るという政策を改めることが肝要だ。
交通政策、道路政策もそうした長期的観点にたって立案すべきだと思う。
高速無料化は、弱者救済や環境保護の流れに明らかに逆行している。

2009/09/10

「赤ふんどし」姿でナニがわるい!

なんでこんなことが問題視されて全国紙に報道され、本人は停職処分をくらったあげく、退職にまで追いこまれなくてはならないのだろう。
鹿児島県姶良地区の中学校の男性事務職員が、9月9日午後1時ごろに、赤いふんどしを締めて上半身は裸で乗用車を運転していて、歩いていた男子中学生の近くに車を止めて声をかけ、車内から姿を見せた。
生徒の母親から通報を受けた警察がこの男性を県不安防止条例違反容疑で事情聴取し、県教委は「ひわいな行為」と判断して、停職6ヶ月の処分にしたというものだ。

ふんどしを締めた男が、男子中学生に姿を見せたというだけのこと、どこにも問題はないし、まして事件性などカケラもない。
ふんどし姿が「ひわい」だというなら、NHKの大相撲中継は即刻中止しなくてはならないだろう。あれは女性だって大勢見ているのだ。
古来から我が国では「褌(フンドシ)」を下着として、仕事着として、祭礼のときの礼装として使用してきたし、現在でも使われている。
私の父親なぞは、真夏になると下はふんどし一丁、上はチジミのシャツという姿で外を歩いていた。
今だって海水浴場にいけば、若い女性たちがふんどしビキニ姿で闊歩しているではないか。

ふんどしは外せば「卑猥」だが、締めていればなんら問題にはならないはずだ。
だいたいこんな細かな問題で騒ぎすぎる。
世の中、もっと大事なことが沢山あるだろう。
そういってはナンだが、近ごろの薩摩隼人もヤワになったもんだ。

日常会話でも「褌を締め直す」という表現が使われているが、「ふんどし」を含んだ慣用表現は他にもある。
「見上げたもんだよ、屋根やのふんどし」
「川流れのふんどしで、食い(杭)にかかったら離れない」
「娘のふんどしで、食い込む一方」
ハイ、確かに食い込んでおりますデス。
Akafun101

2009/09/09

【ツアーな人々】外国の温泉には入らない

海外でも温泉は沢山あり、ツアーの自由行動の時間などに入浴する人も多い。しかし私は一度も入ったことがない。
理由は簡単で、水着を着て風呂にはいるのがイヤなのだ。その不条理さに納得がいかない。
入浴というのは最も解放された空間で、裸で入るからこそ意味がある。着衣を身につけていたのでは解放感が味わえないし、第一、不衛生だ。
裸でかけ湯をしてから湯船に浸かる、これが入浴の基本的マナーである。

水着を着なくてはいけないのは、海外の温泉が男女共用であるせいらしい。それだって裸でいっこう構わないではないか。
江戸時代の公衆浴場は混浴だったそうだが、今でも地方へ行くと混浴の温泉は沢山ある。特に九州の露天風呂に多い。
裸の姿を見られるのが恥ずかしいのであれば、相手が同性だろうと異性だろうと同じである。
混浴はイヤラシイと考えるあなた、それはあなたの心が卑しいからだ。
私のように清らかな心を持っていれば、恥ずかしくもなんともない。ホントですよ。
回数は少ないが、混浴の温泉で若い女性に出会うという幸運に恵まれることがある。そうすると、解放感に幸福感がプラスされて、ますます心が澄み渡ってくる。

水着で入浴など、クソ食らえである。

Photo

2009/09/08

【酒井法子】もうカンベンしたれや

酒井法子事件とは、一芸能人が覚せい剤取締法違反容疑で逮捕・起訴されたというもので、それ以上でも以下でもない。あとは裁判の審理の中で事実が明らかになり、有罪か無罪か、有罪ならどの程度の量刑になるのかが焦点になるだけだ。
どっちにどう転ぼうと、それで世の中がどうなるわけではない。
日々、酒井法子のプライバシーが暴露されているが、家族に暴力団員がいようと、自宅が散らかっていようと、それと今回の容疑とはなんの関係もない。
覚せい剤を使いながら、その事実を隠蔽するために逃げまわったことが非難されているが、それでは警察に自ら進んで出頭し、覚せい剤の使用を認めた人間なんているのだろうか。普通は隠すだろう。
違法行為には違いないが、殺人や放火などといった凶悪犯罪ではない。
裁判でどのような判断がなされようと、ある意味、社会的制裁はもう十分に受けたといえる。
「世間」も、そろそろタタキ飽きてきたころだ。

過去にも沢山の芸能人が麻薬や覚せい剤で捕まり有罪判決を受けてきた。
その時点では大騒ぎするが、しばらくしてホトボリが冷めると、いつの間にか芸能界に復帰している。再犯と復帰を繰り返した人間だっている。
かつて事件を起こしたことなどすっかり忘れ去られて、人気者として活躍している芸人も多い。
酒井法子にしても、本人に意志と才能があれば、いずれ復帰は時間の問題だろう。

酒井にとって最悪のシナリオは、不起訴になることだった。逃げ回った末に罪を逃れたとなれば、卑怯者というイメージが一生ついてまわるからだ。
それより罪をつぐない再出発したほうが、世間から受け入れられやすい。
子どもからお年寄りまで、全国誰もが酒井法子の名前を覚えてしまった。芸能界としては、この知名度の高さを利用しない手はない。
酒井本人としても、清純派を脱皮して汚れ役もこなす女優に転進するいいチャンスかも知れない。

上げて下げて又上げる、芸能界とはそういう世界だ。

2009/09/07

劇団大阪「闇に咲く花」@銀河ホール

9月5-6日に岩手県西和賀町で「#17 銀河ホール地域演劇祭」が行われ、その中の劇団大阪「闇に咲く花」を観劇。
西和賀町文化創造館「銀河ホール」は岩手県の北上と秋田県横手を結ぶ北上線の間にある「ほっとゆだ」駅で下車する。列車の本数は一日に数本だし、乗換えがスムースにいったにしても東京からおよそ4時間かかる。
Photo「ほっとゆだ」は駅舎の中に温泉がある珍しい駅だ。電車を待つ間に一風呂浴びることができるわけだ。

Photo_2駅から直ぐに「錦秋湖」が見えてくる。
名前の通り、秋には紅葉の名所となるそうだ。
一部すでに色づいているのが分かる。

Photo_3駅前から2-3分のところに西和賀町歴史民族資料館がある。
この辺りには旧石器時代の住居跡があったり、当時の石器も数多く出土している。
また周辺にはかつて沢山の鉱山があり、金や銅も産出していた。
この資料館は展示も豊富だし、町営の施設としては非常に充実している。

Photo_4資料館の向いに「Uホール」が見えてくる。
ここは銀河ホールの付属施設で、稽古場がある。劇場の隣に稽古場があるというのは極めて恵まれている。

Photo_5ここが「銀河ホール」。
錦秋湖の辺に建てられていて、ゆったりと広いスペースのロビーから湖が見える。
ここも町営の施設としてはとても立派な建物だ。

Photo_6ホール内部で、緞帳に銀河が描かれている。
ホールは客席338席(固定席288席、桟敷席50席)で、芝居には丁度いい広さだ。
客席をみると近所の爺ちゃん婆ちゃんと見られる方が多数を占めていて、普通の新劇とは随分と雰囲気が違う。芝居が始まっても、あちこちから話し声が聞えてくる。
こうした演劇に沢山の町民が集まるというのは、この地域の民度の高さを物語っていると思う。

さて劇団大阪の「闇に咲く花」。
作: 井上ひさし
演出:熊本一
<主なキャスト>
斉藤誠/愛敬稲荷神社の宮司・牛木公麿
上田啓輔/息子・健太郎
小柳亮/その親友・稲垣善治
粱礼子/近所の主婦・遠藤繁子
浅野恵/  同    ・田中藤子
清原正次/鈴木巡査
北尾利晴/GHQ雇員・諏訪三郎
高橋伸尚/ギター弾きの加藤さん

ストーリーは、
終戦後の東京神田にある愛敬稲荷神社、宮司である牛木公麿は、神社は開店休業状態で、近所の戦争未亡人を集めてはお面作り闇米買出しで食いつないでいる。
プロ野球のピッチャーだった自慢の息子・健太郎の戦死の知らせがきて落ち込んでいたが、ある日その健太郎がひょっこり帰ってくる。
親友の稲垣善治や公麿は大喜びをするが、そこにマッカーサー司令部の特務と名乗る諏訪三郎が現れ、健太郎をC級戦犯としてグアムに送り、現地で裁判を行うと通告する。
その理由というのが、健太郎がグアムに駐留していたときに、現地の若者相手にキャッチボールをしていて、相手が球を受け損なって額にボールがあたり負傷したということが、現地人を虐待したという罪に問われたものだ。
全くのいいがかりなのだが、健太郎はショックのあまり記憶喪失に陥るが、GHQの追求は続き・・・・・。

「私は貝になりたい」と似たテーマである。
このようないわれなき言いがかりで処刑されたC級戦犯は、決して少なくなかった。
現地に行って、誰か日本軍に虐められて人間はいないかと問われると、健太郎のように現地人に溶け込んで親しくなったばかりに名前を覚えられていて、かえって戦犯としてでっち上げられた人もいた。
しかも残念なことに、日本軍の生き残りの憲兵や情報将校の中には、占領軍の手先となって戦犯狩りを行った人間がいたことも事実である。
こうした20世紀の記憶を、私たちはいつまでも忘れてはならないと、この劇は訴えている。

2005年に上演したものを再演、それも一発勝負ということで、セリフを忘れたりトチッタりするのがやや目立ったが、全体としては熱演で見応えがあった。
主役の斉藤誠はシリアスな面とコミカルな面とを演じ分けて長丁場を好演、上田啓輔と北尾利晴が相変わらずの手堅い演技を見せ、小柳亮と女優陣の熱演が光る。
高橋伸尚のギター演奏が舞台をシメた。

【訂正】
「りお」様からご指摘があり、銀河ホールのある西和賀町の所在を当初「山形県」としておりましたが、正しくは「岩手県」です。
お詫びして、記事の一部を訂正いたします。


2009/09/04

民主・自民の「昔の名前で出ています」

予想通り、民主党の幹事長は小沢一郎に決まった。そりゃそうだろう、それしかないのだから。金にからむ疑惑が明らかである以上、公職である大臣就任はムリなのだ。
よく民主党は権力の二重構造といわれるが、そんなことはない。
小沢の、小沢による、小沢のための政党であり、したがって小沢一郎の単独支配である。党を握り政権を動かすのは間違いない。
彼は口を開けば「自分は何も口出しをしていない」というが、そこが恐いのだ。
何も語らなくとも、周囲がリーダーの意志を忖度して動く、こういう組織がいちばん強い。

かたや自民党だが、こちらも先の総選挙でバッタバッタと中堅・若手クラスの多くの議員が討ち死にしたのに対し、派閥領袖クラスはかろうじて滑り込んだ議員が多く、かえって長老支配が強まってしまった。
「森のオソマツ」こと森喜朗と「参議院のドン」こと青木幹雄の復権だ。
自民党の新総裁選出もかれらがアレコレ指示をだしていて、舛添厚労大臣には難色を示す一方、何かというと自分たちのところへご注進におよんでくる石原慎太郎のドラ息子あたりを担ぐ魂胆のようだ。
キングメーカーとして森や青木が選んだ人物が、過去にどのような末路を迎えてきたか考えれば分かりそうなものだが、これが分からないのだ。
もっともこれから選ぶのは「キング」にはなれないのだから、せいぜい「コングメーカー」といったところか。
その自民党だが、臨時国会での首班指名で誰の名前を書くかで、いまだに揉めている。どうせ大勢に影響がないのだから、どうでもいいと思うのだが。
いつまで経っても与党気分が抜けないと、確かな野党にはなれないぜ。

2009/09/02

「公明党」踏んだり蹴ったり

先の衆院選・地方区で惨敗した公明党に、追い打ちをかけるような災難(法難かな?)がふりかかってきた。
公明党の元議員である黒柳明、伏木和雄、大川清幸の3名が、矢野絢也・元同党委員長の自宅を家捜しして、手帳100冊を強奪した事件で、9月1日最高裁は元議員側に対して慰謝料支払いと手帳の返還を命じた。
これで矢野絢也氏側の勝訴が確定した。当然である。
この事件、元々他人の家に入り込んで手帳を奪っておきながら、それを報道した週刊現代と矢野氏に賠償を求めていたものだから、ムチャクチャな話しなのだ。
元議員の行動も自分たちの意思ではなく、どこかからの指示で行ったのだろう。
矢野絢也氏という人物をめぐってはとかくの疑惑が指摘されているが、それとこれとは別問題である。

公明党あるいは創価学会に対する世間のアレルギーは強い。
彼らからいわせれば謂われなき非難だということになるが、実際にこうした反社会的行為を平気で行うことが嫌われる原因なのだ。
今回の強奪事件にしても、創価学会や公明党からすれば正しい行動なのだろう。
法令や世間常識より、教団の教義にもとづく行動や身内の論理を優先させる体質。
「だからあなたは嫌われる」のだ。
こうした批判記事を書いていると、家族から「身辺に注意したほうがいいわよ」と忠告を受ける。
冗談半分、本気半分である。

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