道具仕立て芝居ばなし(10/11夜の部)@江戸博1Fホール
10月11日夜は江戸東京博物館へ。1Fホールで行われた落語会は正式には、「東京発・伝統WA感動落語公演~道具立て芝居ばなし」という長いタイトル。
どうもお役所が企画すると、こういう物々しい題名になる。プログラムの見返しに石原都知事の写真入りメッセージが載っていたのが気に入らない。この顔を見ただけで気が滅入る。
昼夜公演だが、この夜の部は客の入りが悪く、権太楼は8分の入りといってたが、実際は6分位だった。顔付けに比して寂しい。
落語ブームも少し影ってきたのだろうか。
・三遊亭金兵衛「初天神」
この日のようなマイクを使う会場では、声の出しかたに注意したほうが良い。あまり大声で怒鳴られると耳がガンガンする。
飴と蜜のすする音が同じというのも不自然な気がした。
・桂平治「普段の袴」
落語芸術協会の芸人は肩身がせまいというのは、芸協の人たちに自虐ネタの定番になっているが、そんなこと言っていないでもっと奮起をして欲しい。入門した時は、同じ水準だった筈だ。
平治は器用な噺家で、何をやらせてもソコソコ上手い。このネタも楽しく聴かせてくれたが、欲をいえば武家の仕種はもっと悠然と演じて欲しい。
・三遊亭歌武蔵「無精床」
他のブログでも書かれていたが、そろそろマクラの「かぶぞう」「キャバクラ」は卒業したらどうか。
テンポの良い「無精床」で面白かった。着実に芸が上達している。
・柳家権太楼「芝浜」
この日の観客の半分以上は権太楼が目当てだったろう。
「芝浜」は三代目桂三木助の極め付であり、以降の噺家はいかに三木助を乗り越えるかで悪戦苦闘しているかに見える。
権太楼の演出は、
・魚屋の亭主が芝の浜に行く前日に、女房に酒をやめると約束していた。
・浜で顔を洗うときに手拭いを流してしまい、それを拾おうとして財布をみつける。
・3年後の大晦日に女房から夢ではなかったと告げられた時に、亭主が「あの時の俺がどんなに辛い思いをしたか分かるか」と怒る。
などの独自の工夫がされている。
女房が事実を打ち明け、亭主がそれを受け容れるシーンにたっぷり時間をさき、味の濃い「芝浜」となった。
やや過剰演出気味ではあったが、詩情性あふれる三木助とは対極に位置する演出で、どちらを採るかは好みの問題だろう。
~仲入り~
・林家正雀「鰍沢」(道具仕立て芝居ばなし)
最後のオチの所まで行っても未だ幕が閉っていて、一体どこが「芝居ばなし」になるのだろうと思っていたら、最後に幕があいて背景が現れ、見栄を切ってひとセリフ(それも聴き取りにくい)でおしまい。
呆気にとられた観客が多かったろう。
あれでは「芝居ばなし」にした必然性が理解できない。
落語の部分についても正雀のセリフが単調で、特に間のとり方が悪い。
例えば旅人が、お熊が吉原の花魁だったと言い当てるシーンで「おまはん、誰なの」と驚く場面があるが、その間がダメなのだ。
旅人と月の輪お熊のセリフが同じリズムになっているので、全体が平板になってしまった。
公演時間が休憩を含めて2時間だったのと、トリの出来がイマイチだったせいか、物足りない印象が残った。
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