三遊亭圓楽の死去に想う
三遊亭圓楽(円楽)が29日に亡くなった。享年76歳だった。
最後に見た高座は昨年11月末で、「板つき」というよりは、洋服で机と椅子という恰好だった。
トークが中心で二、三小咄を披露したが、思ったより元気な姿を見せていた。
落語となると、脳梗塞で倒れる2005年11月の数ヶ月前の圓楽一門会で「中村仲蔵」を演じたのを観たのが最後となった。
この時は既に調子が悪かったらしく、しばしば手拭いで口元を拭いながらの高座だったが、1時間近くの長丁場をよどみなく演じ、感動させてくれた。
私が在職していた会社のオフィスが一時期江東区にあり、昼食に通っていたレストランがたまたま元の「若竹」だった。
以前寄席だったせいか、レストランとしては天井が高かったのが印象的だった。
ただあまり便利な場所とはいえず、寄席のロケーションとしてはどうだったのだろうか。
圓楽の高座を実際に見たというのは、落語フアンでもそう回数は多くないと思われる。
活躍の舞台はTVの“笑点”司会者が中心で、あれだけの大御所でありながら独演会は圧倒的に少ない。
つまり落語家というよりは、実際にはTVタレント中心に活躍した芸人だったと思う。
落語家としての圓楽の特長は、明解な語り口と大らかな芸風にあった。
よく師匠である六代目三遊亭圓生に似ているといわれたものだが、圓生が陰なら圓楽は陽だ。
だから、どんな人情噺をやらせても湿っぽくならない。
「唐茄子屋政談」という演目があるが、めったに演じられない後半はやや陰惨な展開となるのだが、圓楽が演じると暗くならず、後口も爽やかな印象となる。
「文七元結」では他の演者と比べて、長屋での夫婦喧嘩の場面に重点をおくので、全体がカラッと明るいものとなる。
芸に艶と品もあって、「短命」のような艶笑噺をやらても全くいやらしくならない。
絶品といわれた「浜野矩随」については、他の追従を許さない。
同世代の志ん朝や談志とはまた違った魅力のある噺家であり、それだけにもうちょっと本業で活躍して欲しかったと思うのは、私だけだろうか。
五代目圓楽は、2010年に予定されている楽太郎の六代目圓楽襲名を見ることなく亡くなり、さぞかし心残りだったろうと推察する。
合掌。
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