【中川昭一氏の死去】鈴木宗男の涙の裏に・・・
中川昭一氏の死亡を受けて、鈴木宗男・新党大地代表が会見で涙を流す姿を、複雑な気持ちで見たのは私だけではないだろう。
1983年に昭一の父、中川一郎氏が58歳で死亡したが、自殺であった。当初、死因は病死と発表されながらその後自殺と訂正されたこと、自殺にしては遺書がないなど不自然な点があったことから、他殺説も囁かれていた。
いずれにしろ中川一郎氏の死の原因と目されていたのは、他ならぬ鈴木宗男氏であったとされる。
鈴木は中川が最も信頼をおいていた秘書で、中川一郎氏の金庫番といわれた男だ。
当時の週刊誌などの報道によれば、その鈴木宗男氏が国会議員に立候補したいと言い出し、死の直前に中川一郎氏と激しく言い争いをしたと伝えられていた。
中川一郎氏はそのことを苦にして自殺に追い込まれたのではというのが、一部マスコミの観測だった。
その後の事態をみていくと、この推測があながち的外れではなかったと思われる。
父・中川一郎の死去に伴い、後継者として長男・中川昭一氏が立候補したのだが、その同じ選挙区から鈴木宗男氏が対立候補として立ち、まさに骨肉の争いを繰り広げたのだ。
今回の衆院選では鈴木宗男代表は民主党と連携して、北海道の自民党候補追い落としを図り、そうしたアオリもあって中川昭一氏が落選する結果となった。
昭一氏の死因は病死のようだが、落選による精神的な打撃が要因の一つにあげられるとすれば、鈴木代表の政治行動とも全く無縁とはいえまい。
涙の裏に、そんな事情も見え隠れする。
「因果はめぐる尾車の」である。
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