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2009/11/26

【思い出の落語家15】「静岡落語」の二代目桂小南

Konan桂小南、よほどの寄席通でなければ忘れられかけていたが、昨今の寄席ブームで再びその功績が見直されてきているようだ。
二代目桂小南は、東京の寄席で上方落語を演じた珍しい噺家だった。
かつては落語は東京、漫才は大阪と言われた時代があり、特に東京の落語フアンからすると上方落語を一段低くみるような傾向があった。
一つには、関西弁が分かりにくかったということがある。
今はもう随分とマイルドになっているが、一昔前の関西弁は訛りが強く、しかも早口に感じられて内容がつかみづらかったのだ(これが「金明竹」のネタになっている)。
それまでも東京の寄席で上方落語を演じた噺家はいた。
例えば小南の師匠である(最初の師匠は三代目金馬)桂小文治という当時の大看板がいたが、これがさっぱり面白くない。ただ踊りは上手かったので、早く噺が終って後の踊りを楽しみにしていた。
他に三遊亭百生がいて、この人は面白かったが訛りとアクが強く、フアンは一部の人に限られていた。

小南の最大の功績は、上方落語を東京の落語フアンにも分かり易く語ったことだ。
本人は相当な苦労をしたようだが、訛りが弱くしかも比較的ユックリと喋るので聴きやすいのだ。小南の出身が京都だということも幸いしたのかも知れない。
小南本人は「大阪と東京の中間で静岡落語」と称していたそうだが、マトを得ていると思う。
顔も目も鼻も丸く唇に色気があり、とにかく愛嬌のある落語家だった。甲高いがよくとおる声で、陽気な高座姿を見せていた。
ネタの数は多かったが、とりわけ子どもが登場してくる噺が得意で、なかでも「鋳掛(いかけ)屋」はひっくり返るほど笑えた。一方、「しじみ売り」には泣かされた。
「代書屋」は、今もこの人が最高である。
晩年に芸術選奨文部大臣賞を受賞しているが、昭和30-40年代がこの人の全盛期だった。
二代目桂小南は当時の東京の落語フアンに、上方落語の面白さを知らせた一番の功労者だったと思う。

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思い出の落語家」カテゴリの記事

コメント

この師匠の落語は幼少時、TVで見たことがあります。
「うちゅう、むちゅう」などと演っていました。何という噺かはわかりません。

福さま
それだけだとネタのタイトルは分かりませんが、晩年は子供たちに落語を普及する活動に力を入れてました。
とにかくこの人は面白かったですよ。

小南師匠を取り上げたブログを初めて知りました!存命中は浅草正月二の席の夜の部の主任を師匠が務めるのが恒例であり毎回師匠目当てに通ってました!
ある時に「七度狐」の一席で最高の出来でした。満足感に浸りカフェで軽く時間を過ごし地下鉄銀座線に乗ったら先ほど主任の一席を演じたばかりの小南師匠と乗り合わせ数駅ですがお話しさせていただいたのが良い思い出です。
他にも「箒屋娘」「三十石」「夢八」「写真の仇討ち」色々と名演がありますよね~
懐かしい師匠との思い出が蘇えりました~どうもありがとうございます!
自宅に落語の録音が大量にあります~小南師匠のを引っ張り出して聞いてみます♪

ワンフレッチェ様
コメント有難うございます。
小南に関する楽しい思い出を聞かせて頂いてとても嬉しく思います。
実際にご本人と会話したというのはスゴイですね。
何をやらせても上手い人で、その割に評価が低かったように思えましたが、最近また見直されているような印象を受けます。
「七度狐」、私は聴いていませんが、きっと良かったでしょうね。

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