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2009/11/30

“方の会”公演「樺太―昭和二十年八月―」

演劇集団「方の会」による「樺太―昭和二十年八月―」が上演されているのを知り、11月29日、銀座みゆき会館に出向く。小さな会場だったが予約で満席。
この演劇は終戦後に樺太で起きた二つの事件をもとにしたものだ。
一つは真岡郵便局事件と呼ばれるもので、1945年8月15日の玉音放送後、ソ連軍による樺太への侵攻が迫る中で、引揚げせずに現地に残り電話通信業務を続けていた真岡郵便局の電話交換手たちが、8月20日ソ連兵が間近に迫ったことで、交換手12名のうち9名が局内で自決をした事件である(3名は生還)。
二つ目は、三船殉難事件と呼ばれるもので、8月22日、樺太からの引揚者を乗せた引揚げ船、小笠原丸・第二新興丸・泰東丸の3隻の船が、北海道留萌沖の海上でソ連の潜水艦により攻撃され、小笠原丸と泰東丸は沈没、第二新興丸も被弾し、合計1,708名(不明者も多く実際の数はもっと大きい)が犠牲となった事件である。
いずれも8月15日を過ぎてから起きた悲劇として記憶され、小説や映画、TVドラマにもなっている事件だ。
しかしそれらフィクションには、事実と異なる描写も多々あったようだ。

方の会主宰者である市川夏江はこの二つの事件に興味をもち、現地への取材や生存者、関係者へのインタビューの中から事件をシナリオ化してそれぞれ上演してきたとある。
今回はその二つの芝居を一つの台本にまとめて上演したものだ。市川夏江はこれを最後のシナリオにするとのこと。

<主なスタッフ、キャスト>
作:市川夏江
演出:原田一樹
音楽:笠松泰洋

市川夏江/小説家
速名美佐子/その姪
有賀安由子/交換手の班長、大石きよ
奥山奈緒美/交換手(以下同)伊藤ちえ、その姉(二役)
宮崎亜友美/森谷しげ
紫子/川島たえ
山口麻未/岡田えみ、その孫(二役)
長嶋奈々子/原いく
岡田央子/橋本みどり
藤田奏/岩崎ひろこ
佐藤真胤/郵便局長、上田
内田尋子/副主事、原加代
斉藤和宏/小笠原丸の乗組員、大崎邦夫
山口夏穂/第二新興丸の生還者、工藤ユキ
野間洋子/泰東丸の生還者、古川亮子

先ずはこの芝居の脚本について、真岡郵便局事件。
こうしたテーマを劇化する場合、どうしても作者の思いが先に立ちがちだが、この舞台では出来るだけ事実をそのまま伝えようという意図が感じられた。
どう解釈するかは観客側の判断に委ねられている。
周囲の人々は、戦争は終わったのだから未来のために生きていこうと呼びかけるのだが、彼女たちは死を選んでしまう。
現場責任者である班長が真っ先に自決してしまい、取り残された交換手たちが次々と毒物(青酸カリ)をあおって死んでいくことに、ある種の違和感さえ感じてしまう。
しかしこれが真実なのだろう。
こうした感傷的な手法を抑制しているがゆえに、よけい自決にいたった交換手たちの無念さや、戦争に対する静かな怒りが湧いてくる。
生き残ったがゆえに世間から非難をあびた真岡郵便局長の言い分も、丁寧に紹介した姿勢も評価できる。

次に三船殉難事件は、
今度は一転して、生還者の証言をモノローグで語らせる手法で、戦争が終結し祖国への帰還を目の前にしてソ連軍(公式には国籍不明とされているようだが)の潜水艦の魚雷攻撃により沈没、あるいは損傷を受けて多数の犠牲を出した模様が詳細に語られる。
引揚げ船と分かっていながら攻撃して、さらに海に投げ出された人々に対して機銃掃射までして殺害したことは、明らかに国際法に違反している。
生還者が語る現場の模様はまさに地獄絵図であり、涙なしには聴けない。
舞台の最終場面では、離れ離れになっていた母子が共に無事で生還できたこと、自決した交換手の姉が無事に救助されて生還したこと(ここで二つの事件のつながりが分かる)が描かれ、一筋の救いとなっている。

劇中の小説家(作者自身)とその姪の会話が狂言まわしになっていて、事件の説明を補足していた手法も分かり易かった。

自決した女子交換手役に同世代の現役高校生を起用したが、演技に未熟さがあったが、こんな年頃の彼女たちが・・・という思いはひしひしと伝わってきた。
班長役の有賀安由子の抑制した演技が効果的で、奥山奈緒美が芸達者ぶりをみせていた。
ほかに紫子と山口麻未の健気でひた向きな演技が光る。
引き揚げ船の生還者を演じた山口夏穂と野間洋子は揃って好演、姪役の速名美佐子と共に舞台をしめた。
特筆すべきはこの芝居に出演した坂下怜美、岸瑞歩、石黒海斗の三人の子役だ。これが実に上手い。
何より児童劇団に染められたようは変なわざとらしさがなく、とても自然で素直な演技に好感が持てた。
ついつい涙腺が緩んでしまったことを告白しておく。

この内容からすれば小劇場での6日間の公演というのは、あまりに勿体ない気がしてしまう。
宣伝もあまりしていないようだし、もっと沢山の人々に観賞して欲しい芝居だ。
公演は12月1日まで。

2009/11/28

【ツアーな人々】海外は行ける時に行かねば

イエメンを訪れたのは昨年の1月でした。
中東の中でもかつてのアラビアの面影を残している国として人気がありました。
特に砂漠の摩天楼と呼ばれるシバームは、500年ほど前に建てられた日干しレンガの高層住宅が並び、観光の目玉になっています。
こんなのどかな観光地に見えたのですが、ワディドアンという卓状台地が連なる場所では、私たちが訪れた翌日に外国人を狙ったテロが起きて、ベルギー人の観光客と現地ガイドが犠牲になりました。一日違いで命拾いした思いです。
今から思えば、あの辺りからイエメンに危険性が増していたのでしょう。
アラビア半島の南端にあるイエメンの対岸はソマリアであり、その間にアデン湾があります。イエメン側の港がアデン港です。
2000年10月12日に国際テロ組織アルカイダによって、イエメンのアデン港で停泊していたアメリカ海軍イージス艦コールがボートによる自爆テロで大破した事件がありました。その後のアルカイダのテロの発端となった事件でした。
そのアデン湾には海賊が横行するようになり、その護衛のために各国から軍隊が派遣されるようになり、日本の自衛隊もアデン湾に駐屯しています。
下の写真はその時に撮ったアデン湾ですが、こんな長閑な風景だったんです。
Photo

加えてこの11月にはイエメンの首都サヌア近郊で、日本人技師・真下武男さんが誘拐されるという事件が起きましたが、幸い無事に解放されて帰国しました。
こうした事態が続く中で、現在は国内の各旅行社もイエメンのツアーを中止しています。このままでは再開がいつになるか分かりません。
いい時に行っておいて良かったなぁと、いま思っています。

旅行先で出会った人で、たまにイラクやアフガニスタンの旅の思い出を語ってくれる方がいます。
両国ともにとても良い国だったと口を揃えて仰います。そういう事をきくと、アア羨ましいなと思ってしまいます。
私もできれば行ってみたい国ですが、いつになったら実現できるのか、果たして私の目が黒いうちに実現できるのか、全く見通しが立ちません。
北朝鮮へのツアーも、日本が経済制裁を強化する前までは行われていて、行った人の感想を伺うとそれなりに面白かったとのことでした。機会があったら一度行こうかと思っていたのですが、いましばらくは無理でしょう。
イスラエルには2005年に行きましたが、行きたいと思って実現までには10年ほど待たされました。
2007年に南米コロンビアに行きましたが、日本からの観光ツアーは15年ぶりということでした。

海外ではいつ何が起きるか分からない。
だから行ける時に行っておかないと、チャンスを逸してしまいます。
諺にも「思い立ったが吉日」とあります。

2009/11/26

【思い出の落語家15】「静岡落語」の二代目桂小南

Konan桂小南、よほどの寄席通でなければ忘れられかけていたが、昨今の寄席ブームで再びその功績が見直されてきているようだ。
二代目桂小南は、東京の寄席で上方落語を演じた珍しい噺家だった。
かつては落語は東京、漫才は大阪と言われた時代があり、特に東京の落語フアンからすると上方落語を一段低くみるような傾向があった。
一つには、関西弁が分かりにくかったということがある。
今はもう随分とマイルドになっているが、一昔前の関西弁は訛りが強く、しかも早口に感じられて内容がつかみづらかったのだ(これが「金明竹」のネタになっている)。
それまでも東京の寄席で上方落語を演じた噺家はいた。
例えば小南の師匠である(最初の師匠は三代目金馬)桂小文治という当時の大看板がいたが、これがさっぱり面白くない。ただ踊りは上手かったので、早く噺が終って後の踊りを楽しみにしていた。
他に三遊亭百生がいて、この人は面白かったが訛りとアクが強く、フアンは一部の人に限られていた。

小南の最大の功績は、上方落語を東京の落語フアンにも分かり易く語ったことだ。
本人は相当な苦労をしたようだが、訛りが弱くしかも比較的ユックリと喋るので聴きやすいのだ。小南の出身が京都だということも幸いしたのかも知れない。
小南本人は「大阪と東京の中間で静岡落語」と称していたそうだが、マトを得ていると思う。
顔も目も鼻も丸く唇に色気があり、とにかく愛嬌のある落語家だった。甲高いがよくとおる声で、陽気な高座姿を見せていた。
ネタの数は多かったが、とりわけ子どもが登場してくる噺が得意で、なかでも「鋳掛(いかけ)屋」はひっくり返るほど笑えた。一方、「しじみ売り」には泣かされた。
「代書屋」は、今もこの人が最高である。
晩年に芸術選奨文部大臣賞を受賞しているが、昭和30-40年代がこの人の全盛期だった。
二代目桂小南は当時の東京の落語フアンに、上方落語の面白さを知らせた一番の功労者だったと思う。

2009/11/25

【奈良の集団強姦事件】不公正な裁判員の選定

11月24日、今年5月に奈良県橿原市内で20歳代の女性を車に押し込み乱暴しけがをさせたとして、集団強姦致傷罪などに問われた阪本裕被告(23)ら4被告(23~21歳)の初公判が奈良地裁で開かれた。
この裁判は裁判員裁判で行われた。
手続きに出席した裁判員候補者は49人、うち10人は裁判所から辞退が認められており、残る候補者は39人であった。
この中から裁判員が選ばれたのだが、その選考過程に大きな疑問がある。
というのは、裁判員の選任手続きに際し、検察官と弁護人が理由を示さず不選任(忌避)を請求した人数が約20人と、およそ半数の裁判員候補が忌避されていたのだ。
弁護人が避けたのは15-16人で、いずれも裁判員としてふさわしくないという理由からだ。
具体的には、
・別の性犯罪被害者の親族
・若者の性犯罪への視線が厳しいと思われる高齢男性
などの例があげられている。

驚くような話だが、被告に不利(または有利)と予想される人は予め裁判員から排除されるのだ。
これで公正な裁判が担保できるのだろうか。
その気になれば弁護人(または検察)にとって有利な人物だけを選んで、裁判ができることになる。
もちろん被害者や被告と利害関係にあるような場合は忌避されるのは当然であるが、年令や性別などを理由とするのは不当だし、これを認める裁判所もおかしい。
こんなことでは裁判員制度を続ける意味がない。

裁判員候補として裁判所に呼び出される人は、裁判が開かれる数日間は仕事を休むことを覚悟して体制をつくっていく。
そうして自らの仕事や用事を犠牲にして呼び出しに応じている。
しかし数十名の候補の中から実際に選ばれるのは数名にすぎず、残りの人はご苦労さんとばかり帰されてしまうのだ。
サラリーマンなら数日間の休暇届けがムダになりかねない。
こんな犠牲を国民に強いておきながら、理由にもならない理由で「あなたは不適任」と判断されるのではやりきれない。裁判所の横暴だし、とうてい納得のいくものではない。
こんな人権無視の裁判員制度なら、直ちにやめてもらいたい。

2009/11/23

ブログの記事数が1000本を超えました

ふと気が付いたら当ブログへエントリーした記事の数が1000本を超えていました。
記事の質を問われればお恥ずかしい限りで、よくもまあ埒もないことを日々書き連ねてきたもんだと、自分で呆れています。
「嘘八百」を過ぎて「千三つ」ですから、たぶん三つぐらいはまともな記事があったかも知れません。
毎日たくさんの方が検索サイトなどを通じて当ブログを訪れていますが、多少なりともお役に立てているのなら幸いです。

当ブログを始めたのが2005年2月で、日本のブログ元年といわれた2004年の翌年ですから、間もなく5周年を迎えようとしているわけです。
その当時、優れているなと感心し目標としていたブログの多くは、既に退場(閉鎖)あるいは休止しています。
その理由として、管理人ご本人の都合もあるのでしょうが、ネットの世界に対する失望が主な原因だと推察しています。
確かに2ちゃんねるなどの掲示板を見ると、人間の悪意というものはこれほど酷いものなのなのかと溜息が出ますし、他人のサイトに対する悪質なカキコミも依然として跡を絶ちません。
せっかく優れた内容のサイトだったのに、心ない嫌がらせのカキコミが集中(炎上)し、閉鎖してしまった例も少なくありません。
建造物に火をつければ犯罪ですが、サイトに放火しても罪に問えないので、対処の方法がありません。

永続きしているのは、あまりネットの世界に期待をかけないことでしょうか。期待しなければ失望することもない。
使命感や目標など一切持たず、ただひたすらに書きたいことを書く、そんな自然体でこれからも書き続けていこうと思っています。

2009/11/22

【寄席な人々】落語にみる「いい夫婦」

今日11月22日は「いい夫婦の日」だそうですね。するってぇと「わるい夫婦の日」ってぇのは、いつなんですかねぇ。
そんな日にちなんで、落語に出てくる「いい夫婦」像について書いてみた。

落語にも仲のいい夫婦は出てくるのだが、ただただ仲がいいというのでは物語になりにくいので、少しひねっている。
「短命」では夫婦仲がよすぎて励むあまり、亭主が次々と若死にする。「何よりも側(そば)が毒だと医者がいい」。 長生きしたけりゃ、あまり美しい妻を娶らぬことだという教訓だ。やはり「長命」がなにより。
「三年目」では先立つ妻が夫に心を残してしまうあまり、夫の再婚を防ぐべく新婚初夜(もう死語になりましたね)に幽霊になって現れると約束する。ここでは死ぬもの貧乏、生きていりゃこそ人生ということになる。
「小間物屋政談」では、手違いで旅の途中で死んだと判断されてしまった亭主が江戸に戻ると、女房と弟が所帯を持っていた。悲劇と思いきや、奉行の裁きで一転して亭主も幸せになる。まさに「禍福は糾える縄の如し」。

「大山詣り」では、亭主たちが水死したとウソを聞かされた女房たちが皆、頭を丸めて尼さんになってしまう。そこへ亭主たちが戻ってきて、「お毛が(お怪我)なくってお目出度い」となる。
「小言幸兵衛」で借家を借りにくる豆腐屋も夫婦仲がいいらしい。所帯を持って七年も経つのに未だに子どもが出来ないならそんな女房は追い出しちまえ、腰の温まった子どもをどっさり産むような女を世話してやると大家が言うと、泣き出してしまう。よほど恋女房なんだろう。
「替わり目」も亭主が飲んだくれだが、夫婦仲はいい。夜中に呑んで帰ってきた亭主のためにおでんを買いに行く。その後姿を拝んで感謝する亭主だったが・・・、という話。

「ざこ八」では婚礼の直前に逃亡してしまった男が十年ぶりに江戸の戻り、悪い亭主を持って乞食同然に落ちぶれてしまっていたかつての婚約者と所帯をもって、商家を建て直すというストーリー。鶴吉とお絹の純愛物語である。
「お直し」では、落ちる所まで落ちてしまった夫婦が、なんとかどん底から這い上がっていこうとする姿を描く。これも一種の純愛ものだといえる。

「芝浜」では、浜で財布を拾って有頂天になる亭主を夢だと騙し、仕事一途にさせる女房が描かれる。「女房と畳は・・・、やっぱり古いほうがいい」のだ。
「中村仲蔵」の女房も貞女だ。失敗して落ち込んでいる亭主を励まし、一流の役者に仕立てあげるのを手助けする。「夢でもいいから持ちたいものは、金のなる木といい女房」。
「猫久」では、普段おとなしい亭主がある日血相を変えて家に帰り「刀を出せ」と女房に言うと、女房は神棚の下で三度押し戴き亭主に手渡す。そのことを聞いた侍が「女丈夫。貞女なり、烈女なり、賢女なり」と讃える。

まだまだ沢山ありそうだが、ここらでお後が宜しいようで。

「楽しみは春の桜に秋の月、夫婦仲良く三度食う飯」
どちらさんも末永く、ご夫婦仲睦まじく過ごされるよう心よりお祈り申し上げます。

#94朝日名人会

11月21日は有楽町朝日ホールでの「朝日名人会」へ。
この会場は向かい側にギャラリーがあって、いつも何かの展示会をやっているので少し早めに着くことにしている。この日は「書」が展示されていて15分ほど観てまわった。
殆んどが漢詩あるいは漢文の一節を書いたものだが、なかに数点、金子みすゞの詩が題材になっていたのは面白かった。
漢詩と金子みすゞ、どういう共通点があるのだろうか。

さて、この回は権太楼とさん喬の二枚看板が顔を揃えた。
冬季うつ病っていうのがあるそうだ。寒い時期になると気持ちが塞いで外に出るのも億劫になるし、家に籠っていると又さらに気持ちが塞いでくるという症状を指すとのこと。
それを防ぐには、寄席や落語会にせっせと出かけるのが良いと思う。
そんなわけで噺家一同に成り代わりまして、皆様のご来場をお待ち申し上げております。

<番組>
前座・古今亭志ん坊「元犬」
上手い前座が出てくると、後の芸人も締まってくる。
・五街道弥助「鹿政談」
上手くなったなぁと感心していたら、来春真打に昇進の予定だそうだ。端正で品のある風情が良い。
奉行のセリフを少しユックリと喋っていたが、こういう所が肝心なのだ。
・橘家圓太郎「三年目」
まるで艶笑譚のようなややエロティックな演出で客席を沸かしていたが、それでも下品にならないのがこの人の芸の力だ。
他の演者に比べて、後妻に存在感があった。こういう演じ方もあるのだ。
・柳家さん喬「雪の瀬川(上)」
かつて六代目円生が演じて以来、絶えていた噺だという。誰かが受け継がなければ消えてしまうのでいうことで、この度、高座にかけたようだ。
スジは「明烏」と「牡丹灯籠・お札はがし」を足して二で割ったような内容で、堅物の若旦那が次第に女色に溺れてゆき最後は・・・、という展開になるようだ。
長編なので上下に分けて、下は来月の会で口演するとのこと。
ネタおろしだろうか、少しコナレテいない部分もあったが、人物の描き方が丁寧で、だれることも無く、噺に引き込まれた。
このネタ、現状ではやはりさん喬しか演じられないのかも知れない。
【お詫びと訂正】
トシ坊という方からコメントでご指摘を受けたように、さん喬の「雪の瀬川」は既にCD化もされています。
ロクに調べもせず迂闊に「ネタ下ろしだろうか」などと書いてしまいましたが、お恥ずかしい限りです。
この部分を削除して、訂正いたします。

~仲入り~
・入船亭扇遊「厩火事」
いつもながらの本寸法。師匠・扇橋の指導がよいのか、この一門は揃って芸に品がある。
ただ髪結いの女房にもう少し色気が欲しい。このネタ、本当はとてもイヤラシイ話なのだ。
・柳家権太楼「二番煎じ」
こういうネタをきくと、歳の瀬が近付いたのかなと感じてしまう。近ごろは落語で季節感を味わうようになってしまった。
権太楼の手にかかると、どんなネタでも爆笑篇に変わってしまう。それでいて、噺の骨格は決して崩さない。この按配がよく出来ているし、それだけ計算もされている。
辰つぁんが「火の用心、さっしゃりやしょう」と言いながら何回も見栄を切る場面が可笑しかったが、個人的には北風に向かって声が震えるシーンが無かったのは淋しかっけど。

朝日名人会の来年前半までの予定が、次のように発表されている。

第95回 12月19日(土) 14:00開演
柳家さん喬・柳家小さん・柳家喬太郎
古今亭志ん丸・金原亭馬治

第96回 1月16日(土) 14:00開演
柳家権太楼・五街道雲助・古今亭志ん輔
桃月庵白酒・立川志の吉 

第97回 3月20日(土)14:00開演
柳家小三治・古今亭志ん橋・林家正雀
三遊亭歌武蔵・柳家三之助 

第98回 4月17日(土) 14:00開演
柳家さん喬・五街道雲助・桂ひな太郎
柳家三三・三笑亭可龍

第99回 5月15日(土) 14:00開演
立川志の輔・柳亭市馬・柳家喬太郎ほか

第100回 6月19日(土) 14:00開演
桂文珍・柳家権太楼・柳家花緑ほか

こうして見ると、あい変わらず落語協会(それも柳家と古今亭)が圧倒的で、そこに芸協と立川流がパラパラという具合だ。プロデューサーの好みもあるのだろうが、人気と実力が偏っている証拠だろう。
特に芸協には奮起して貰いたいものだ。

2009/11/20

なぜ「政党助成金」「機密費」を仕分けしないのか

11月16日に政府の行政刷新会議による事業仕分け作業の前半が終了した。
やり方が乱暴だとか、内容に不満があるとかという声もあるが、先ずは国民の目の前で、予算のムダについて公開で議論されたことは評価して良い。
後半ではどのような作業が行われるのか分からないが、今までの経緯を見た限りではどうやら政府や国会議員について都合の悪いことは仕分けの対象にされていないキライがある。
この項目なら直ちに減額が可能だし、廃止してもいっこう構わない予算項目がある。
それは、政党助成金と官房機密費だ。

先ずは「政党助成金」、およそ317億円あまり。
世界でこんなバカなことをやっているのは日本だけだと言われている悪法だ。
国会議員に対しては多額の議員歳費や諸手当てが支給されており、それで十分なのだ。
別枠で政党に活動資金を税金から出すなどいうのは、正気の沙汰ではない。
現に、要らないといって受け取らない政党もあるのだから、廃止してもなんの問題も起きない筈だ。第一、国民は何も困らない。
来年度から全額廃止するよう求める。

次に「官房機密費」、およそ14億円あまり。
専ら国対族議員の背広代と、国会議員が外遊するときの小遣いに支給されていたシロモノだ。
これも全額廃止すべきだろう。
もし必要だというなら、官房長官に出席してもらい、仕分け人から使い道を問いただして貰えばよい。そこで納得のいく説明がなければ、これも来年度から廃止だ。

政府や議員が率先して身を切る姿勢を示さなければ、仕分け作業そのものも国民多数の納得と支持が得られないだろう。

2009/11/19

高齢者への家庭内虐待

読売新聞によれば、自宅で高齢の家族を介護する人の4人に1人は虐待をしそうになったことがあるそうだ。佐賀県内の大学や市町でつくる「高齢者虐待防止ネットワークさが」の調査結果だ。
また、介護施設・事業所で働く人の10%以上が虐待を目撃しているが、このうち40%近くは他人に知らせていないことも分かった。
2007年度、家庭で虐待を受けた高齢者は全国で13727人、そのうち7割が要介護認定者だという。
死亡に至ったのは27件というから、事態は深刻なのだ。
しかし、これらの数字は氷山の一角にすぎない。

2006年に高齢者虐待防止法が制定され、虐待の「おそれがある」と思われる段階で、地域包括支援センターへの通報できることが明示され、早期の発見と対処が図られている。
しかし家族と同居している高齢者への家庭内虐待は、明らかにされにくい。事実をつきつけても言い逃れされることが多いのだ。
これを行政の力だけでやろうとしても、所詮はムリがある。
さらに虐待を発見しても、家族に介入して虐待をやめさせることはとても困難だ。
いま住民の協力を含めた地域ネットワークを活用して、高齢者への虐待をやめさせる自治体の努力が求められている。

この点に関して山陽新聞が今年4月に、ある自治体での取組みを紹介している。
この自治体では、市内の小地域ケア会議を中核とした「高齢者見守りシステム」をつくり、そこを通してケアマネージャーや民生委員らから具体的な情報が寄せられる。
こうした活動を通して住民の理解も得ることができて、過去には年に1,2件だった通報が、このシステムができた以後の2006年度からは30件前後と急増したという。
寄せられた情報をもとに地域包括支援センターでは、社会福祉士が中心となって、虐待が疑われるケースについては更なる情報収集と確認作業をすすめる。
事実が確認され、かつ緊急性がある場合は、被害を受けている高齢者を家族から引き離し、あるいは施設に措置入所させるなどを行政が判断することになる。

行政を地域住民との信頼関係が築ければ、行政側も支援センターを窓口に迅速に対応できるようになり、家庭という密室を乗り越える力になるわけだ。
ただ、こうした自治体は全体的にみれば限定されるだろうし、支援センターがその機能を十分に発揮しているとはいえないのが実状だろう。
家庭内の虐待は、される方もする方も共に悲劇なのだ。
行政は一日も早く、こうした体制を構築できるように努力してほしい。

2009/11/18

正調とはいかなかった「正朝」の盗撮

落語家の春風亭正朝(56)が9月11日午後、JR新宿駅近くのエスカレーターで、女性のスカート内を盗撮したとして、都迷惑防止条例違反の現行犯で警視庁に逮捕されていたことが明るみに出て、驚いている。
多分、多くの落語フアンも同じ気持ちだろうと思う。
この件以来、正朝は寄席には出演しておらず、所属する落語協会には「体調不良を理由にしばらく寄席を休む」との届出があったとのこと。
なお正朝自身のブログでは「持病の発作で入院してました」と説明していて、健康を気遣うフアンらからの励ましのコメントも寄せられていた。
逮捕の翌日には釈放され、その後に不起訴(起訴猶予)処分となっているから、事件としては一応の決着をみているのだが、さて・・・。

どうも落語家と盗撮という行為が先ずピンとこない。
悪いことなら何をやってもダメではあるが、とりわけ盗撮というのは陰湿な印象が強く、フアンとしても受け容れがたいのではあるまいか。
それに近ごろは女性フアンが多いのも、今後の落語家としての活動を難しくするような気がする。
もう一つ、最初からやりましたと正直に告白していれば未だ良かったのだが、病気だとウソをついたのが余計いけない。
信じて本気で心配した正朝フアンは、裏切られた気分だろう。
それやこれやで、高座に復帰するまでには、しばらく時間がかかりそうだ。

古典の本格派として活躍していたし、年齢的にも今もっとも脂がのり切っていた時期だっただけに、とても残念な結果となってしまった。
「それが直ぐにあげられたって、入った家が天ぷら屋だ」。
落語の天ぷら屋の竹さんのようなワケにはいかないのだ。

2009/11/17

米国版3K新聞「オバマの屈辱外交」

Photo初訪日したオバマ米大統領が14日に皇居で天皇、皇后と面会した際、深々とお辞儀したことが「低姿勢過ぎる」と米ニュースサイトで物議を醸しているそうですね。
保守系FOXテレビは、外国の要人に頭を下げるのは「米国の大統領として不適切」と批判しています。
どこの国にも、こういう手合いはいるんですね。
そこで、お馴染み産経新聞の「正論」風にこれを論評。

【セイロン】オバマ大統領の土下座外交
就任以来初めて日本国を訪問した我が国のオバマ大統領が、11月14日、日本の天皇と面会した際にペコペコと頭を下げて挨拶した。
我が国大統領が外国の要人に対してこのような屈辱的な姿勢をとることは、アメリカ国民の誇りをひどく傷つける行為であり、極めて不適切であると言わざるをえない。
歴代の大統領で、日本の天皇に面会したおりに頭を下げた者は誰一人いない。
かつて我々は太平洋戦争の勝者であり、日本国は敗者であった。
しかも我が国は、敗戦国である日本に対してこれを訓導して民主化に導き、今また我が国の軍隊は日本に駐留し外敵から日本を防衛している。
どうも最近の日本の指導層と国民は、我が国に対する感謝と尊敬心を忘れているようだ。
頭を低く下げるべきは日本の天皇であり、米国大統領ではない。
日本との関係重視の名の下にこのような土下座外交を行うのであれば、アメリカ国民からオバマ大統領は反米、親日という批判を受けるのは免れないだろう。

医師が患者をつくりだす(下)

前回の記事で精神科にかかった患者に対して、誤った診断や治療が行われている例を紹介したが、ではなぜこうした間違いが(それも初歩的な)おきるのか。
一つには制度上の問題が横たわっている。
「精神科医院」という看板をみれば、誰だって精神科の専門医が診てくれるだろうと思ってしまうのだが、実は違う。
現在の医師法では、医師の資格さえあれば誰でも「精神科」や「心療内科」の医院を開業できる。
これは「自由標榜」と呼ばれ、麻酔科以外ならどんな名前で開業しようと、それは自由なのだ。
精神科の「せ」の字も知らなくても精神科医になれる、これが恐い。

近ごろ、とりわけ都内で「心療内科」の看板が増えたのは、もう一つ大きな理由がある。
他の診療科と異なり、検査も治療器具も必要ないので、極端にいえば事務所に机と椅子さえあれば開業できてしまう。看護婦も特に必要ないので、設備投資も人件費もいらないという手軽さが受けている。

それだけではない。
診断や治療を間違うというのは医療行為としては避けられないのだが、精神科の場合、多くが見逃されてしまう。
それは精神科の場合、どうしても診断が主観的になるため、患者側から誤診の訴訟が起こしにくいのだ。
それも患者自身が気付くというのは稀で、殆んどの場合、介護している人や家族が気付くことになる。
特にうつ病の人は概しておとなしいし、問題があっても訴える元気がないのでリスクが少ないのだそうだ。

つまり、専門的な知識がなくても、最小限の設備投資と人件費で開業できて、しかも訴えられるリスクが少ないとあれば、見方によってはこんなオイシイ話はないのだ。
もちろん、良心的な医師も少なくないのだが、楽して金を儲けようとする医師が参入しやすい分野であることも否定できない。

抗うつ剤の副作用が世界的に初めて知られるようになったのは、1998年4月の米国コロラド州にあるコロンバイン高校でおきた銃の乱射事件だった。
死者13人、負傷者24人という大きな犠牲を出したこの事件で、二人の犯人のうち一人が事件直前に抗うつ剤“SSRI”を大量に服用していたことが判明してからだ。
日本ではどうかというと、その翌年の1999年7月に起きたハイジャック事件だ。
覚えている方も多いのだろうが、20代の男が羽田発函館行きの全日空機を乗っ取り、機長を殺害して自分で操縦し、レインボーブリッジの下をくぐろうとした事件だ。
この事件で最高裁の判決は、次のように結論づけている。
「本件犯行以前の被告人の内気でおとなしい性格と行動に照らせば、これらの異常で過激な行動は、保崎鑑定(弁護人側の鑑定)の示すように、被告人が服用していた抗うつ剤の副作用としか考えられない」。
誤った治療や投薬は患者本人や家族を苦しめるだけではなく、こうした社会的凶悪事件を引き起す原因にもなる。

精神疾患というのは、レントゲンや血液検査、胃カメラというような検査で診断できるものではない。
患者の症状から医師が主観的に診断するケースが圧倒的だ。
うつ病の場合「診断マニュアル」が存在するが、なかにはこのマニュアル片手に診察する医師もいるそうだからムチャクチャな話だ。
医院に訪れて、医師からいくつか質問を受けて「はいorいいえ」で答えさせられ、「あなたはうつ病です」などと診断されたら、これは要注意だ。

患者は医師を選べないことが多いので、こうした誤った診断や治療から逃れるのは難しいのだが、こんな医者には注意しようという一般的な判断材料としては、次のようである。
(1)あまり患者の話に耳を傾けない
(2)薬以外の治療に対応しようとしない
(3)薬の量をどんどん増やす
(4)薬の効能や副作用を説明しない
(5)治療方法について質問すると不機嫌になる

この問題では困ったことに、現状では厚生労働省も適確な対応ができていないようだ。
どうも患者自身が、自分で自分の身を守るしかなさそうである。

2009/11/15

「市橋」を通報した会社が苦境に

リンゼイ・アン・ホーカーさんの遺体遺棄容疑で逮捕された市橋達也容疑者を、逃亡中に住み込み勤務していたと公開写真で気付き警察に通報した建設会社が、取引先から相次いで契約を打ち切られていると、共同通信が報じている。
この会社では、10月に姿を消した元社員が、公開された写真に酷似していると気付いた。
しかし通報すれば事業に支障が出るのではとの懸念の声もあったが、社員たちが話し合った結果、「社会人の義務」として警察に連絡を取った。
まもなく取引先から、「社員の身元もきちんと調べない会社とは取引できない」と契約解除を通告される例が続き、また一時的な取引中止や新規契約交渉打ち切りもあったという。
会社の懸念が現実になったしまった。

以前にも、食品偽装を告発した会社が倒産の憂き目にあったという例もあるし、企業の不正を告発した社員が不当な扱いを受けたり、時には退社に追い込まれることもある。

ある企業の支店で社員が10数年にわたって不正な処理を行い、会社の金を横領していた。上司の中にはうすうす気付いていた人もいたが、明るみにすることなく意図的に見過ごしていた。
たまたま新任の支店長が不正に気付き、本社に報告した。
横領した社員は直ちに懲戒解雇となったが、本人を取り調べたら、横領した金の一部はかつての上司たちへの接待に使われていたことも判明した。
しかし、社内の処分はどうなっただろう。
不正が明るみに出たということで告発した支店長は責任を取らされて解任され、過去の支店長ら(既に常務に昇進していた者もいた)には一切お咎めがなかったのだ。
これは実際におきた話である。
こんなことでは問題が先送りされ、ますます「見て見ぬふり」が横行するようになる。

世の中全体が、社会的正義を守り行動を起こした人や組織を讃えるような風潮を醸成する必要性を感じる。
同時に、そうした個人や組織が不利益をこうむらないようなシステムを構築していかないと、日本社会全体がモラルハザードを起こしかねない。

2009/11/14

鈴本演芸場11月中席・昼(11/13)

久々に平日の昼間に時間が空いたので、鈴本演芸場の昼席へ。
顔づけが良かったせいか、時間帯にもかかわらず客の入りが良い。

<番   組>
前座・柳家緑君「転失気」
三遊亭金翔「子ほめ」
鏡味仙三郎社中「太神楽曲芸」
柳家三三「たらちね」
橘家文左衛門「道灌」
大田家元九郎「津軽三味線」
古今亭志ん弥「権助魚」
春風亭百栄「トンビの夫婦」
大空遊平・かほり「漫才」
林家正雀「紙入れ」
柳家喜多八「小言念仏」
~お仲入り~
ダーク広和「奇術」
春風亭柳朝「牛ほめ」
五明楼玉の輔「作文」
大瀬うたじ・ゆめじ「漫才」
桂南喬「明烏」

ノンビリと寄席を楽しもうという会場のモードがひしひしと伝わって、演者たちもそれぞれお馴染みのネタで楽しませていた。
鏡味仙三郎社中は肝心の親方がいなくて、気の抜けたビールのような感じだった。
三三が珍しく浅いところで上がる。「さんざと読みます」との紹介に、会場から「さんざ? ヘェー」という声がもれた。フアンには有名でも、世間的には知る人ぞ知るなのだろう。隣席の人とずっとお喋りしている人もいて、結構気になるものだ。
やや短縮版の「たらちね」だったが、相変わらず間もテンポも良い。さっきの人が「この人上手ね」と感心していた。
文左衛門の相変わらずの「道灌」、元九郎の「上下でい」と続き、志ん弥の「権助魚」はやや平凡。
百栄の「トンビの夫婦」、亭主からDVを受ける度にプレゼントを貰える女房を羨ましがった友人の主婦が・・・、というストーリー。
ネットで調べたら、O・ヘンリーの原作を翻案したもののようだが、なんだか“O・ヘンナー”物語。面白さが分からなかった。
正雀の「紙入れ」、この人は性格が真面目すぎるのだろうか、芸が固いのだ。
一方、喜多八の「小言念仏」はいつ聴いても笑える。目の演技が良い。このネタでは現在喜多八が一番ではなかろうか。

仲入り後の、ダーク広和の「奇術」いつ見てもお見事。薀蓄手品に説得力がある。
柳朝の「牛ほめ」、前座噺も真打がやるとこうも面白くなるという見本。この人の高座には品がある。
膝前、膝と流して、いよいよトリは南喬「明烏」、言わずと知れた実力派だ。
主人公の時次郎、その父・日向屋半兵衛、そして遊び人の源兵衛と太助(二人のチョイワルぶりが良い)という主要な人物の描き分けもくっきりと出来ていて、骨格のしっかりとした「明烏」だった。

個々の演目や高座には注文もあったが、全体としてはとても流れの良い昼席となった。

2009/11/12

家族に罪はない

いつの頃からだろうか、容疑者の家族、特に親の責任を追及するようになってしまったのは。
もちろん容疑者が未成年の場合は、法的にも保護者としての責任は免れないが、すでに成人に達しているにもかかわらず責任が問われるという、イヤな風潮である。
警察から事情聴取されるとか、裁判に証人として出廷して尋問に答えるのは当然だが、それは事件の真相や犯行にいたる経緯を明らかにする、あるいは被告の更生の可能性を探るためであり、責任を追及するわけではない。

事件がおきると容疑者、時には容疑者と目される人物の家族にマスコミが押しかけてくるのだそうだ。親はもとより祖父母や親戚にまで。
本人たちの生活や都合などお構いなしにインタビューを強要し、果てはTVのワイドショーあたりで「この親にして、この子あり」みたいな報道をまきちらされてしまう。
その過程で、容疑者だけではなく、その家族のプライバシーまで明らかにされる。もし報道が事実と異なっていても、家族たちには反論する権利もないのだ。
職を失ったり家庭が崩壊したりというばかりでなく、自殺にまで追い込まれるケースだって少なくない。
こなると社会的集団リンチである。

親といえども子どもを完全にコントロールできるわけではない。
否、コントロールなど出来るはずがないのだ。それは誰だって自分の胸に手を当ててみれば分かるだろう。
自分の子は親の意志の通り行動していると言い切れる親は、果たしてどれだけいるだろうか。
他人も羨むような家庭に育っていても悪事に走るのもいれば、ひどい家庭環境に育ちながら周囲から賞賛される人になる例もある。
同じ両親から生まれ同じように育てたのに、兄弟姉妹がどうしてこうも性格が異なるのかと悩む親もいる。
悪いことをする奴は、親の育て方が悪いからだと考えるのは、あまりに短絡的だ。

英国人女性リンゼイ・アン・ホーカーさんに対する死体遺棄容疑で、11月10日市橋達也容疑者が逮捕されたが、この事件で11日に両親が2回目の記者会見を行った。
両親は容疑者について、とても優しい子だったのにと語っていた。
そうなのだ。ここ最近、凶悪事件がおきる度にいずれの容疑者の親も同じようにコメントしている。
子どものことは親は分からない。
全国の子どもを持つ親は、明日は我が身と考えておいた方が良いかも知れない。

いずれにしろ、家族に罪はない。

2009/11/11

森繁久彌の死去を悼む

11月10日森繁久彌(弥)が亡くなった。96歳だった。
「屋根の上のヴァイオリン弾き」のテヴィエ役を、引退する前年1985年に家族揃って観たのを思い出す。ブロードウェイのミュージカルではあるが、これは紛れもなく森繁さんの芝居だった。
森繁久彌という人は、純日本風というよりは大陸の匂いのする人で、だからテヴィエ役が似合ったのだろう。
何をやらせても上手い人で、マルチタレントのはしりだった。

森繁久弥という名前を初めて知ったのはラジオだった。
NHKの人気番組「愉快な仲間」や「日曜娯楽番」で軽妙なボードビリアンぶりを発揮し、後者の番組の中で挿入歌「僕は特急の機関手で」を歌って(合唱)いる。
歌といえば、NHK紅白歌合戦にも何度か出場している。
当時の紅白には、いうなればコミックソングみたいな特別枠があって、毎回珍妙な歌を披露していた記憶がある。

森繁さんをスターダムに押し上げたのは、1950年代に始まった喜劇映画「社長シリーズ」だ。彼が持っているある種のバタ臭さが、東宝の都会派喜劇にピッタリだった。
細かな筋はいちいち思い出せないが、女性のお尻を撫でるシーンがお定まりで、その撫で方が実に上手いのだ。
「綺麗だよ」「可愛いよ」という、いわば挨拶代わりにツルッとお尻を撫でていて、とてもスマートに見えた。セクハラなどという概念が無かった時代だった。
当時の女優さんたちからは、「半径10m以内には近付かない」と云われていたようだが、普段からよほど稽古を積んでいたんだろう。
意外に思われるだろうが、時代劇にも出ていて、森の石松は当たり役だった。

演技者としても森繁久弥で印象に残るのは、なんといっても映画「夫婦善哉」だ。「おばハン、頼りにしてまっせ」というセリフが流行語になった。
「猫と庄造と二人のをんな」でもそうだが、生活力のないボンボンで、どこか憎めなくて女性の母性愛本能をくすぐるような役が上手かった。
そうかと思うと「警察日記」では、一転して田舎の巡査を好演して、芸域の広さを見せた。

1970年以降は活躍の場はTVや舞台に移るが、芸人としての森繁久弥の全盛は、1950年から20年間だっと思う。

森繁さんといえば忘れてならないのがヨット「メイキッス」号だ。
一度だけ葉山のヨットハーバーで見かけたことがあるが、見上げるような船体の偉容にビックリした。

晩年になってから番組の名前は忘れてしまったが、「戦友」を一語一語かみ締めるように歌っていた姿を思い出す。
若いころ、きっと言い尽くせないような苦労をされたのだろう。

ご冥福をお祈りする。

2009/11/09

【寄席は学校 2】「女除け」のお守り

「金もできたし着物もできた そろそろあなたと別れたい」。
未だ10歳に満たなかったボクが、新宿末広亭で初代柳家三亀松からきいた都々逸だった。
金も着物も貰ったら、もう男には用はないということだ。
え~~、ショックでしたね、女の人というのはそんなモノなのかと。
そんなモノに近付いてはいけない、ボクはもう一生独身で通そうと、その時は心にかたく誓ったのであります。健気にも。

ここ最近、埼玉で結婚詐欺で捕まった女や、鳥取で詐欺で捕まった女の周辺で、それぞれ過去に数名の男性が不審な死をとげていたことが話題となっている。
未だ捜査段階だが、共通しているのは男性が多額の金を女に貸したり与えたりしていて、どうもそれがトラブルの原因となっていたらしい。
金品が目的で男に近付いてくる女は、取るものさえ取れば後は用はない。むしろジャマになるだけという、古典的犯罪パターンのようである。

「外面如菩薩内心如夜叉(げめんにょぼさつないしんにょやしゃ)」。
こちらは、三代目三遊亭金馬の落語のなかに出てくる。
意味は読んで字のごとく、「容貌は菩薩のように優しく美しく見えるが、内心は夜叉のように邪悪で恐ろしいということ」。
お釈迦様が女性を評したもので(俗説)、女性の恐ろしさを説いたとされる。
優しい顔の裏では、鬼のような心を持っていると聞かされ、いよいよ女性に対する恐怖心がかきたてられた。

そうした恐ろしい女性から男性が身を守るために、「女除(よ)け」のお守りというのがあるらしい。
話は・・・。
弘法大師空海がまだ若い修行時代に、川崎近くの平間村の名主の家に逗留したいたところ、名主の娘に思いを寄せられる。
叶わぬなら死ぬとまでいわれた空海は困り果て、こんや寝間に忍んできなさいとその娘に伝えたまま、旅立ってしまった。
翌日、娘は悲嘆のあまり多摩川へ身を投げてしまう。
これを知った空海は娘を哀れみ、名主の家で一心に冥福を祈りながら、病人の加持祈祷をつづけた。
あんまり飲まず食わずで祈っていたので、見かねた名主が「なんか空海(食うかい)?」
すると病人やその家族から、お礼に柱一本瓦一枚と寄進され、建立されたのが川崎大師であるという。
そこで空海は女に惚れられるのが一生の大難だからと、「女除け」のお守りを作った。
だから川崎大師の厄除けというのは、本来は「女除け」であるという、由来の一席。

ただあまり霊験あらたか過ぎて、女性が誰一人として近寄ってこなくなるので、要注意!

2009/11/08

第六回「雀昇ゆかいな二人」@横浜にぎわい座 

11月7日夕方から、横浜にぎわい座での「雀昇ゆかいな二人」、上方の桂雀三郎と東京の春風亭昇太という二人会だ。
国立小劇場からこちらに移動してくると、客のお召し物の違いが目立つ。皆さん、揃って普段着をお召しになっている。
昇太はいうまでもないだろうが、省三郎は亡くなった桂枝雀のお弟子さんで、ミュージシャンでもあるそうだ。風貌はおよそ「らしくない」けど。

<番組>
・桂団治郎「動物園」
若手だが芸がしっかりしている。
・春風亭昇太「短命」
東京と大阪では組織が違うので、相手方の経歴が分からないことがあるそうだ。
雀三郎が喬太郎のことを先輩だと思って「師匠」と呼んでいたという。髪が白いし腹は出てるし、もっともらしい事をいうからと、昇太は言っていた。
それにしても昇太は若い。というより歳をとらない。独身のせいだろうか。
「短命」だが、この人の手にかかるとちっとも艶笑噺らしくなくなる。中性的な可笑しさに変わってしまう。
・桂雀三郎「親子酒」
同じタイトルでも東西で全く内容が異なるネタだ。
上方の「親子酒」は。息子が屋台のうどんを食べる場面が見せ所となっている。
その昔、大阪に生まれて初めて訪れ、飲み屋に入ったら周囲の会話がみんな漫才になっていて、感心したことがある。
その時を思い出した。
雀三郎の酔いっぷりが、師匠ソックリになっていた。
・春風亭昇太「花筏」
仲入り前に、ここでまた昇太が登場。
圓楽が亡くなったとき、“笑点”のメンバーにマスコミ各社から取材が殺到したが、昇太は圓楽とは殆んど接点がなく、思い出も余りなかったとのこと。
元々それでなくとも、この人は喜怒哀楽の感情が薄いのではなかろうか。
芸風も情緒とか風情とかに縁がない。そこが魅力でもある。
このネタを爆笑落語に変える力量は大したものだ。

~仲入り~
・桂雀三郎「胴乱の幸助」
師匠・枝雀譲りの「幸助」、結構でした。
ただ浄瑠璃を語るシーンは、未だ遥かに師匠の腕に及ばないが。

「笑いのかたち」(11/7 13時)@国立小劇場

11月7日は「伝統芸能の技・笑いのかたち」を観に国立の小劇場へ。
目的は喬太郎の「時そば」を聴きたかったからだ。考えてみればゼイタクな話ではある。
2回公演の13時の回を観賞。

<番組>
民俗芸能「高千穂神楽」  
三田井浅ヶ部神楽保存会(宮崎県西臼杵郡高千穂町)
・鈿女
・住吉
・御神体
・手力雄
神楽というのは近所の神社でみたことはあるが、本格的なものは始めてだ。
今回の公演「高千穂の夜神楽」は、主に神話(古事記などの)を題材にした仮面劇で、国の重要無形民俗文化財に指定されている伝統的な芸能。
実際の上演には丸一日かかるのだそうだが、今回のそのごく「さわり」だけ。
この中の「御神体」は、古事記のイザナギノミコトとイザナミノミコトの国造りを描いたもの。
二人が舞を踊った後にドブロクを酌み交わし、二人酔ってくると抱き合ってなにやらアヤシイ動きをするというエロチックなもの。
現地では子どもが寝静まった深夜に行われるというのも分かる。
神様というよりは農家の夫婦の営みといった風情だ。
男が持つ杵は男根を、女が持つ桶やザルは女陰を、それぞれ象徴している。
古代の日本人の性の扱いが大らかだったということを示しているのだろうか。

邦楽・新内節「不心底闇鮑(ぶしんていやみのあわび)不心中」  
浄瑠璃 富士松魯遊 
三味線 新内勝史郎 
上調子 新内勝志壽
新内の「笑い」というのは意外な感じがするのだが、心中ものに対する一種のパロディである「不心中(心中しない)」がテーマ。
落語の世界では「品川心中」や「星野屋」といった不心中を扱った名作があるが、いずれも女の方が騙すというもの。
この作品ではその反対で、遊女が本気になり客の男が逃げ出すというストーリーはなかなか面白かった。
ただ新内といえばウットリするほどの美声というイメージからすると、語りの富士松魯遊、この道の重鎮だそうだが、声が引っ掛かるのだ。
場内から「名調子」と掛け声に、隣席の女性が「名調子かしら」とつぶやいていたが、私も同感だった。

落語「時そば」
柳家喬太郎
この会に最も相応しくない芸人という自己紹介から入って、マクラは立ち食い蕎麦の話から。
B級グルメ好きの喬太郎らしいウンチクが披露され、場内は一気に落語の世界に。4時からの会に出演する白鳥の芸をいじりながら本題へと、全く淀みがない。
蕎麦をすする所を見せ場にして、オーソドックスな演出の「時そば」だ。
二人目の男の、不味い蕎麦を食べるシーンをたっぷり演じて、予定時間を延長しての熱演だった。
客層からすると喬太郎を始めて見た人もいただろうが、場内はけっこう喜んでいた。
もしかすると、私同様に喬太郎目当ての客が多かったのかも知れない。

2009/11/06

【機密費】平野「ウソつき」官房長官

「そんなの、あるんですか。まだ、まったく承知をしておりません」、これは9月17日午前の会見。
同じ日の午後には「私は説明を受けていないし、承知していない」と発言。
いずれも平野博文官房長官が記者会見で、内閣官房報償費(機密費)について尋ねられたときの回答だ。
しかしこれは真っ赤なウソだった。
9月17日の午前に、平野長官は河村建夫前官房長官から業務引き継ぎを受けていたことが分かっている。
その後に、平野官房長官は「報償費として引継ぎを受けたが、機密費という概念のカネがあるとは思っていなかった」と釈明したが、こんな子ども騙しが通用するはずがない。
ウソにウソを重ねているのだ。

なぜ平野長官がウソをついたと断言できるのかというと、民主党は平成14年に、機密費の支払い記録作成や公表義務づけを盛り込んだ「機密費流用防止法案」を国会に提出し、上野公成内閣官房副長官(当時)に官房機密費の執行停止を求めていたからだ。
では、なぜそんな見えすいたウソをついてまで隠蔽しようとしたか。
それは「官房機密費」に対する民主党の方針が変わったからだ。

では官房機密費とはどういうものだろうか。
2001年5月の政府答弁書によれば、官房機密費は、国の事務を円滑に遂行するために「機動的に使用する経費」とされ、取り扱い責任者は官房長官となっている。
これではサッパリ分からないって、そうでしょう、分からないから「機密費」なんですよ。
でも幸いなことに、一部は公になっているし、歴代の官房長官の中には引退してからの気安さもあって、実態をバラシテいる例もある。

先ずは、宮澤内閣当時の資料の一部が2002年に公表されているので、そのデータから。
議員の背広代など国会対策費:3574万円
議員のパーティー券購入費:3028万円
もちろん、これはほんの一部。

なにせ官房長官室にある金庫の中には、常時8000万円の現金が入っていたというのだから、スゴイ。
使うと、ちゃんと翌日には補充されるのだそうで、まるでドラエモンの不思議なポッケですな。
証言などを綜合してみると、およそ次のような使い道になっていたようだ。
・国会対策費。法案を処理するために、主に与野党の国対族に渡す。
・国会議員のパーティー券の購入。こちらも与野党を問わず。
・議員が国際会議や海外視察(外遊)するときの餞別、1回に1議員あたり百万円単位というから驚く。
・マスコミ対策費。政府に都合の良い記事を書いてもらうために渡す。
ざっとこんなところで、なかには首脳会議に同行した首相夫人の買い物代約1000万円なんてぇのもあった由。
要は、表沙汰にできない金だから「官房機密費」なのだ。
どことは言わないが、一切受け取らない政党もあるそうで、一応名誉のために。

では年間でいくら位使っているのかだが、2009年度の予算は14億6165万円だ。
これからの民主党の方針だが、平野博文官房長官は11月5日午前の記者会見で、官房機密費の使途について「相手のあることであり、オープンにしていくことは考えていない」と述べ、公開しないことにした。
きっと金庫に入っている札束を見て、気が変わったんだろうね。
5日の会見で平野氏は
「国民から疑念を持たれないよう、担当であるわたしが使途について責任を持って使っていく」
「わたしを信頼していただきたい」
と述べた
ハッキリ言うが、あなたは信用できない。
ウソつきは信用しないことにしているからだ。

2009/11/05

岡田外相の「言い訳と放言」

11月2日から始まった、鳩山新内閣のもとで始めての衆院予算委員会の質疑だが、期待に反して全般に低調だった。
先ずは民主党委員の八百長質問がいけない。
せっかく本会議で代表質問をしなかったのだから、予算委員会でも質問を見送れば良かったのだ。
これは自民党政権の時からそうだったのだが、総理というのは与党の党首がなっている。そうなると、部下が上司に質問するわけで、これでは馴れ合いになるのは当然なのだ。
それなら与党第一党の質問時間は野党に譲って、実のある議論を進めたらどうかと思う。
こういう改革なら大賛成だが。

もう一つは野党となった自民党委員のフヌケぶりだ。
与党ボケなのか戦意喪失なのかは分からないが、迫力の無いこと、見ていてイライラしてくる。
後藤田正純だったか、亀井静香に恫喝されたぐらいで怯んでいたのでは話にならない。やられたら2倍3倍にしてやり返すような気構えがないと、野党はつとまらない。
辛うじて及第点だったのは、加藤紘一ぐらいだろうか。

だらけた空気を一変させたのが共産党の笠井亮の質問だった。さすがは「万年野党」だ。
普天間基地移設の問題を中心に攻めていたが、選挙公約との違いを追求された岡田克也外相が次第にエキサイトしてきて、ついに「公約と選挙中の(党幹部の)発言はイコールでない。公約とはマニフェストに書かれたことであり、選挙の時の発言は公約ではない。」と口を滑らせた。
岡田発言をかみ砕いていえば、「選挙の時の演説は口から出かませであり、信用して貰ったら困る。選挙が終わったらみなチャラね。」ということだ。
岡田克也の「放言」通りなら、これからは民主党の議員の演説は、全て信用できないということになる。
この人は次期総理のよび声が高いのだが、自分が何を言ったのか分かってるのだろうか。

笠井亮が、かつて岡田外相が「普天間基地の県外、国外への移設に政治生命をかける」という発言をしたことを問いただすと、「あの時と今とでは状況が違う」と言い出す始末。
もはや答弁不能。
あとは鳩山首相と並んで、言い訳のオンパレード。
最後には、「これでは自民党と同じではないか」と一喝されていた。

岡田外相の放言は、これから高くつくことになるだろう。

2009/11/03

「落語家の襲名」への提案

当代の橘家円蔵に「円鏡から円蔵へ」というネタがあります。1982年に円蔵を襲名する前後のエピソードを綴ったもので、落語家の襲名の舞台裏をチラリと見せてくれます。
この噺の中で円蔵は、「(死んだら)自分の名前は協会に返すようにしたい」と語っています。襲名の時のゴタゴタがいかに大変だったかを暗に指しているのです。

この中身に入る前に、円蔵をめぐる師弟関係について見ておきましょう。
八代目・桂文楽―七代目・橘家円蔵―初代・林家三平
                     ―八代目・橘家円蔵
この系図を見て、少し詳しい落語フアンなら「この師匠と弟子、全然似てないじゃん」と思われるでしょう。
名人・文楽と、その弟子の先代・円蔵とは、芸風も得意ネタも全く異なります。むしろ対照的と言ってもいいでしょう。それ位違います。
そのまた弟子の先代・三平や当代・円蔵、これも師匠にも大師匠にも全く似ていないし、影響すら感じません。

古典芸能の世界というのは、通常は師匠から弟子に芸を伝えることにより継承されていきます。
なにせ「一子相伝」という言葉もあるくらいですから。
落語家の世界でも師匠は弟子に稽古はつけますが(なかには師匠に稽古をつけて貰ったことがないと公言する人もいる)、自らの芸の真髄を弟子に教え込もうというわけではありません。
だから名跡を継いでも、芸風は全く違うということがおきるのです。
先代と当代の文楽の芸風を比べれば分かりますよね。

名跡を継ぐということになると、これが更に複雑になります。
実は、六代目の円蔵というのが、六代目・三遊亭円生の前名でした。従って七代目の円蔵が襲名する際は、文楽の弟子だったにもかかわらず、円生の許しが必要だったのです。
ヤヤコシヤ、ヤヤコシヤ。

処で、1987年に落語協会の分裂騒動がおきて、円生一門は協会を脱退してゆきます。
先代の円蔵も円生に従って一度は出ていったのですが、直ぐに協会に戻ってしまいました。
怒ったのは円生とその夫人で、あの裏切り者めがというわけです。
円生が亡くなった後、七代目円蔵が死去したその通夜の席に円生の未亡人が乗り込んできて、「名前を返せ」と持っていってしまったというんですから、穏やかじゃない。
でも名前をどうやって持ち帰ったんでしょうね。風呂敷にでも包んだのでしょうか。
かくして橘家円蔵の名前は、円生未亡人の所有となってしまったというわけです。

なんだかこのストーリー、落語みたいですね。

そこで当代の円蔵は襲名にあたり、せっせせっせと柏木の円生未亡人宅に通い、ついにお許しを得て晴れて襲名の運びとなったとのことです。
襲名を許した当の噺家が口出しするのならともかく、関係の無い未亡人が決定権を握るというのは、明らかにおかしいですよね。
これは過去の話でもなんでもない。
七代目・林家正蔵の息子が初代の三平だったというだけで、当代の正蔵も三平も、襲名の許可は海老名家、具体的には故三平の未亡人である海老名香葉子さんが握っています。
過去には未亡人が障害になって、襲名できない名跡もあったそうですから、バカバカしい話です。

襲名については、先日亡くなった五代目三遊亭円楽についてもエピソードがあります。
八代目林家正蔵(彦六)の前名が円楽でしたが、この正蔵と円生は昔から犬猿の仲だったのです。
本来は襲名の許可が下りないところですが、先代の正蔵は円楽の若い頃から才能を高く評価していたので、円生との間柄には目をつぶって名前を継ぐことを許可したと言われています。

ますます、ヤヤコシヤ、ヤヤコシヤ。

そんな襲名にまつわる厄介な経験をしたからこそ、冒頭の円蔵の「名前は協会に返したい」という発想が生まれたのでしょう。
私もこの考えに大賛成です。
落語家の名跡は個人のものではありません。落語界全体の共有の財産であるべきです。
空席となっている名跡は全て協会が管理する、これが最も納得がいくと思います。
その上で、実際の襲名には師弟関係などを考慮して、協会が決めていくようにしたら良い。
特に「止め名」(最高位の名前)と呼ばれる、桂文治、三笑亭可楽、三遊亭圓生、柳家小さん、古今亭志ん生、林家正蔵については、そうした措置が必要だと考えます。

2009/11/02

横浜にぎわい座#23上方落語会(11/1)

11月1日は横浜にぎわい座「第二十三回上方落語会~天満天神繁昌亭 見参!~」へ。
出演者全員が繁昌亭の何らかの賞を取っているので、こういうタイトルにしたのだろう。
日曜日の会にしては会場は随分と淋しい入りだった。
この日の夕方の「立川志らく百席」の会もまだチケットを販売していた。
近ごろは特定の人気落語家が出演しないと、客が少ないという傾向が顕著だ。

<番組>
桂吉坊「月並丁稚」
桂歌之助「片棒」
桂かい枝「堪忍袋」
桂三風「振りこめ!」
~仲入り~
桂文華「河豚鍋」
林家染二「天下一浮かれの屑より『紙屑屋』」

以前より東京と上方の垣根が低くなったとはいえ、同じ演目でも中味が違う。
落語家の気風も違うようで、上方落語家は一様に声が大きく元気がいい。それに常に客を笑わせようとする。
大阪の落語界の関係者からきいた話では、大阪の落語家に鬱病が多いのはそのためで、客が笑ってくれないとガックリと落ち込むのだそうだ。
そこいくと東京の落語家は、「笑わないのは客が悪いんだ」で片付けるから、病に罹らないのだろうか。その方が健康的かな。

桂吉坊の「月並丁稚」、テーマが「粗忽の使者」によく似ている。

桂歌之助の「片棒」、東京と違って三人の息子が最初にズラリと顔を揃えて、親父の前で一人ずつ葬儀のアイディアを披露する。
歌之助の高座は明るく華やかで、息子たちの語る情景が鮮やかな色彩となって浮かんでくる。上出来だったと思う。

桂かい枝の「堪忍袋」、東京の演出に比べて夫婦喧嘩が派手でしつこい。
後口が、モツ鍋をたらふく食ったような濃厚スープの味が残る。
英語落語が得意なのだそうだ。

桂三風の「振りこめ!」は唯一の新作。
振りこめ詐欺を題材にしたもので、楽しく聴かせてくれた。
「大阪のオバチャン」の存在感が前提で、東京では成り立たないかも知れない。

桂文華の「河豚鍋」。
マクラで、フグ鍋のことを大阪では「てっちり」というが、「てつ」は鉄砲、「ちり」は鍋料理を指し、鉄砲もフグも当たると死ぬからという洒落だそうだ。
一つ勉強になった。
「フグは食いたし命は惜しし」がテーマのネタで、鍋を食うさまが良く出来ていた。

林家染二の「紙屑屋」、このネタは東京とは全く違う派手な内容だ。
居候の若旦那が紙屑屋をさせられるというのは共通だが、大阪の演出は「はめもの」といわれる賑やかなお囃子が入り、「義経千本桜・吉野山」の狐忠度の軍語りやら、「娘道成寺」の鞠つきの踊りやら、賑々しい演出となる。
後半は座布団を片付けて、高座中を踊りまくる。
熱演だったが、さて東京の落語フアンにはどう映っただろうか。

「鳳楽を円生に」なら協会へ復帰して

10月29日死去した三遊亭圓楽の一番弟子である三遊亭鳳楽が「圓生(円生)」を継ぐようだ。
円楽が今春、自宅に鳳楽を呼んで「(楽太郎の)六代目円楽襲名が終わった後、ゆっくり円生を継いでいけばいい」などと話したといい、鳳楽は「先代・円生の遺族と相談して進めていきたい」としている。
鳳楽は数年前から「三遊亭圓生への道」というタイトルの独演会を続けており、圓生襲名のウワサはあった。また圓楽一門会の会長にもなっており、圓生襲名はかなりの現実性をおびている。

これを機会に、圓楽一門は協会に復帰したらどうだろうか。
1978年に真打の昇進制度をめぐって、圓生一門が落語協会から脱退したのだが、もう当事者の圓生とその後継者である圓楽が亡くなった今、独立して運営する理由も無くなったのではなかろうか。
一番大きな問題は、三遊亭圓生は大名跡であり、その名前は落語界全体の財産だからだ。
それを特定のグループが所有するのはいかにもマズイ。
そのためにも協会に復帰し、寄席に出演できるようにすべきでは。圓生が寄席(定席)に出ないのはおかしいでしょう。

これは個人的な希望ではあるが、復帰先は落語芸術協会(芸協)が良いと思っている。
いま落語協会優勢の傾きがあるが、圓楽一門が芸協に加わることにより、両者のバランスが取れるようになるのを期待している。
「香盤」をどうするかなど難しい問題もあるが、そこは大局的な立場で解決して欲しい。
なにせ、「圓生の名跡」復活のためなんだから。

2009/11/01

チェコ国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団(10/31)

日時;10月31日(土) 14時
会場:横浜みなとみらいホール
<演奏者>
指揮者:レオシュ・スワロフスキー
管弦楽:ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団
ピアノ:ベン・キム
<プログラム>
スメタナ;交響詩「モルダウ」
ラフマニノフ;ピアノ協奏曲第2番(ピアノ:ベン・キム)
ドヴォルザーク;交響曲第9番「新世界より」
(他にアンコール2曲)

チェコといえばチェコ・フィルハーモニー管絃楽団が有名だが、こちらはチェコ第二の都市ブルノの本拠をおくブルノ・フィルハーモニー管弦楽団だ。
欧州の中堅楽団という位置になるだろうか。
協奏曲で共演したベン・キムは新進の米国人ピアニストで、国際的コンクールで優勝をしているとのことだ。

まあそういうことより、土曜日の午後にノンビリと名曲の数々を楽しもうという趣向である。
今回演奏されたようないわゆる名曲は耳に親しんでいるという利点はあるが、反面数々の名演、名盤が存在し、そういう音が耳に残っているため、どうしても比較してしまう。
これは演奏者にとっては、なかなか苛酷なことなのかも知れない。

ラフマニノフという作曲家の名前が一般に知られるようになったのは、おそらく映画「七年目の浮気」ではなかろうか。
マリリン・モンロー扮する女優の卵が、階下の中年男の部屋を訪れ、ピアノ協奏曲のレコードを聴いて「ラフマニノフ!」とつぶやく有名なシーンだ。
少々オツムの弱い女の子が知っている位だから、これはきっと有名な人なんだと、当時の人は思ったに違いない。私もその一人だった。
ピアノ協奏曲第二番が一般に知られたのも映画のおかげだ。
「アラビアのロレンス」の砂漠のシーン全編に流れたこの曲の「サビ」が、観客に強いインパクトを与えた。
クラシックといえども、他のメディアの影響は常に受ける。

ただラフマニノフの第二番をナマ演奏で聴くと、オーケストラの響きにピアノの音が負けてしまい、特に第一楽章ではピアノ・パートが聞き取りづらいという問題がある。
どうもこの曲だけは、CDで聴くのに向いている気がする。

ドヴォルザークの「新世界より」はさすがに自家薬篭中のものという演奏ぶりだったが、金管楽器の強音に不満が残った。

公演は11月22日まで各地で。

大分のホーバーが運航に幕

Photo大分空港を利用された方ならご存知だろうが、ここには空港と大分市を結ぶ全国唯一のホーバークラフトがあったが、10月31日運航最終日を迎え、39年の歴史に幕を下ろした。
現役当時、外注工場と取引先が大分市内にあり、それこそ数十回はホーバークラフトに乗船した。
最初のころは50-60人乗りぐらいの小さな船で船体も低く、少し波の高い時は波間に揺られているような感じがして、特に日没を過ぎると恐かった。
やがて大型船に切り替わると船体が高くなり乗り心地も良くなった。
海が荒れると欠航となるのだが、朝の第一便だけは欠航の場合、タクシーで大分空港まで送ってくれるサービスがあり、一度だけ利用した。
前の晩に飲みすぎて二日酔いのまま翌朝乗船したりすると、地獄の苦しみを味わうことになる。自業自得だけど。

ホーバーは空港から大分市内まで30分で着けるので便利だが、
・運賃が高い。
・船着場から大分駅まで距離があるため、連絡バスかタクシーを利用せねばならない。
という欠点があった。
だから大分駅や市の中心部に行く時は、ホーバーはあまり便利ではない。

空港から市内まではリムジンバスが出ている。
当初は大分駅まで1時間20分以上かかっていたのが、高速道路が整備されて時間が短縮され、1時間で着くようになった。
それにバスだと別府湾をグルリと回るコースをとるため、晴れた日はとても海岸の景色が美しく、これもバスの魅力のひとつだった。
こうなるとホーバーの優位性はうすれてくるようになり、乗客はバスに移ってゆく。
1971年に就航、乗客数は90年度の約44万人をピークに、昨年度は約25万人まで減少した。
経営する大分ホーバーフェリー(大分市)の負債額は8億円強に達し、運航が続けられなくなったものだ。

これから高速料金が無料になったり、ガソリンにかかる暫定税率が廃止になってくれば、大分と同じようなことが全国のアチコチで起きるのだろう。
31日のホーバー最終日には、乗り場は朝から記念乗船する人などであふれたそうだ。
そんなに廃止を惜しむなら、普段から乗ってあげればいいのにさ。

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