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2009/11/08

第六回「雀昇ゆかいな二人」@横浜にぎわい座 

11月7日夕方から、横浜にぎわい座での「雀昇ゆかいな二人」、上方の桂雀三郎と東京の春風亭昇太という二人会だ。
国立小劇場からこちらに移動してくると、客のお召し物の違いが目立つ。皆さん、揃って普段着をお召しになっている。
昇太はいうまでもないだろうが、省三郎は亡くなった桂枝雀のお弟子さんで、ミュージシャンでもあるそうだ。風貌はおよそ「らしくない」けど。

<番組>
・桂団治郎「動物園」
若手だが芸がしっかりしている。
・春風亭昇太「短命」
東京と大阪では組織が違うので、相手方の経歴が分からないことがあるそうだ。
雀三郎が喬太郎のことを先輩だと思って「師匠」と呼んでいたという。髪が白いし腹は出てるし、もっともらしい事をいうからと、昇太は言っていた。
それにしても昇太は若い。というより歳をとらない。独身のせいだろうか。
「短命」だが、この人の手にかかるとちっとも艶笑噺らしくなくなる。中性的な可笑しさに変わってしまう。
・桂雀三郎「親子酒」
同じタイトルでも東西で全く内容が異なるネタだ。
上方の「親子酒」は。息子が屋台のうどんを食べる場面が見せ所となっている。
その昔、大阪に生まれて初めて訪れ、飲み屋に入ったら周囲の会話がみんな漫才になっていて、感心したことがある。
その時を思い出した。
雀三郎の酔いっぷりが、師匠ソックリになっていた。
・春風亭昇太「花筏」
仲入り前に、ここでまた昇太が登場。
圓楽が亡くなったとき、“笑点”のメンバーにマスコミ各社から取材が殺到したが、昇太は圓楽とは殆んど接点がなく、思い出も余りなかったとのこと。
元々それでなくとも、この人は喜怒哀楽の感情が薄いのではなかろうか。
芸風も情緒とか風情とかに縁がない。そこが魅力でもある。
このネタを爆笑落語に変える力量は大したものだ。

~仲入り~
・桂雀三郎「胴乱の幸助」
師匠・枝雀譲りの「幸助」、結構でした。
ただ浄瑠璃を語るシーンは、未だ遥かに師匠の腕に及ばないが。

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寄席・落語」カテゴリの記事

コメント

ちょこちょこ勝手にのぞかせていただいてます。にぎわい座には私も行きたかったのですが。
さて、雀三郎師の浄瑠璃は、かなり達人だと思われます。枝雀師以上に上手いと感じる私が多数派である、と信じていました。「それぞれの味」わい方があるわけですからねぇ。それでも、『どうらんの幸助』のなかの浄瑠璃は雀三郎師のほうが本格的ではないのか、と繰返し言わせてもらいます。
ただ、「自分よりも浄瑠璃のお稽古にはかなり熱心」というような感じで枝雀師が雀三郎師のことを評していました。その発言に洗脳された感想を、私が抱いているのかもしれません。新鮮な感想を書かれていたので、執拗にからませていただきました。
これからもちょこちょこのぞかせていただきます。がんばってください。失礼しました。

鳳さま
コメント有難うございます。
以前の記事にも書いていますが、このネタでお師匠さんが弟子に浄瑠璃の稽古をつける場面は大事なシーンです。
枝雀はここをタップリと見せて、演目全体の中で強いインパストを与えていました。
私の印象では省三郎の高座はそれに比較して、薄手な感じを持ちました。
ただこれは飽くまで主観的なことですから、一観客の意見として聞き流して下さい。
もう一つ、浄瑠璃の会ではなく落語なので、どちらの方が上手かというより、どちらの方が落語的に上手く見せたかが大事ではないでしょうか。
枝雀の「寝床」がそれを証明していると思います。

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