森繁久彌の死去を悼む
11月10日森繁久彌(弥)が亡くなった。96歳だった。
「屋根の上のヴァイオリン弾き」のテヴィエ役を、引退する前年1985年に家族揃って観たのを思い出す。ブロードウェイのミュージカルではあるが、これは紛れもなく森繁さんの芝居だった。
森繁久彌という人は、純日本風というよりは大陸の匂いのする人で、だからテヴィエ役が似合ったのだろう。
何をやらせても上手い人で、マルチタレントのはしりだった。
森繁久弥という名前を初めて知ったのはラジオだった。
NHKの人気番組「愉快な仲間」や「日曜娯楽番」で軽妙なボードビリアンぶりを発揮し、後者の番組の中で挿入歌「僕は特急の機関手で」を歌って(合唱)いる。
歌といえば、NHK紅白歌合戦にも何度か出場している。
当時の紅白には、いうなればコミックソングみたいな特別枠があって、毎回珍妙な歌を披露していた記憶がある。
森繁さんをスターダムに押し上げたのは、1950年代に始まった喜劇映画「社長シリーズ」だ。彼が持っているある種のバタ臭さが、東宝の都会派喜劇にピッタリだった。
細かな筋はいちいち思い出せないが、女性のお尻を撫でるシーンがお定まりで、その撫で方が実に上手いのだ。
「綺麗だよ」「可愛いよ」という、いわば挨拶代わりにツルッとお尻を撫でていて、とてもスマートに見えた。セクハラなどという概念が無かった時代だった。
当時の女優さんたちからは、「半径10m以内には近付かない」と云われていたようだが、普段からよほど稽古を積んでいたんだろう。
意外に思われるだろうが、時代劇にも出ていて、森の石松は当たり役だった。
演技者としても森繁久弥で印象に残るのは、なんといっても映画「夫婦善哉」だ。「おばハン、頼りにしてまっせ」というセリフが流行語になった。
「猫と庄造と二人のをんな」でもそうだが、生活力のないボンボンで、どこか憎めなくて女性の母性愛本能をくすぐるような役が上手かった。
そうかと思うと「警察日記」では、一転して田舎の巡査を好演して、芸域の広さを見せた。
1970年以降は活躍の場はTVや舞台に移るが、芸人としての森繁久弥の全盛は、1950年から20年間だっと思う。
森繁さんといえば忘れてならないのがヨット「メイキッス」号だ。
一度だけ葉山のヨットハーバーで見かけたことがあるが、見上げるような船体の偉容にビックリした。
晩年になってから番組の名前は忘れてしまったが、「戦友」を一語一語かみ締めるように歌っていた姿を思い出す。
若いころ、きっと言い尽くせないような苦労をされたのだろう。
ご冥福をお祈りする。
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