【思い出の落語家16】八代目春風亭柳枝
今でもそうだが、いわゆる名人級や人気者は名人会やホール落語会が中心となり、寄席(定席)に出る回数が少なかった。
だから、普段の寄席を支えていたのは中堅クラスの人たちが中心だった。
もちろんお客を呼べるには実力とある程度の知名度が必要で、昭和20-30年代にかけて活躍した八代目春風亭柳枝は、そうした落語家の一人だ。
高座というのは生身なので、芸人の性格が現れてくる。
八代目柳枝はいかにも温厚そうな人柄で物腰が柔らかく、「でございます」「あそばします」「おぼし召す」など、他の落語家ではお目にかかれない丁寧な言葉使いをする人だった。
仲間内では「お結構の勝ちゃん(本名が勝巳)」という仇名がつけられていたそうである。
こうした高座姿は、客席をジロっと眺めて「良く来たなぁ」と切り出す四代目鈴々舎馬風と対照的だった。刑務所に慰問に行き、開口一番「満場の悪漢諸君!」とやった馬風の芸風も、それはそれで貴重ではあったが。
ネタの数は多かったが、長講や大ネタを演じることは無く、軽い噺が得意だったと記憶している。それも軽くサッと一席演じてから踊りをサービスした。
この人の「王子の狐」と「花筏」は、現在も柳枝を超える人がいない。
前者の狐を騙す男や後者の提灯屋は、柳枝本人の人柄が映し出されている。
地味だが確かな芸の持ち主で、53歳での死は惜しまれる。
なお、春風亭柳枝は落語家の名跡なのに、50年間誰も名を継ぐ者がいないというのは、いかにも寂しい。
伝統的に柳枝は小柳枝を前名にしているが、現在柳枝の名は落語協会に帰属していて、小柳枝は芸術協会に所属しているというネジレが原因とのことだが、勿体ない話だ。
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