ミュージカル「グレイ・ガーデンズ」@シアター・クリエ
シアター・クリエで上演中の「グレイ・ガーデンズ」、11月28日17時30分の回を観賞。
満席であり、それも女性が大半。くたびれた爺さんは些か場違いの感も。
本作はアメリカ合衆国大統領ケネディの妻・ジャクリーンのエキセントリックな叔母とその娘の実話に基づいている異色のミュージカル。
元々は本場ブロードウェイで上演され、2007年トニー賞3部門(主演女優賞・助演女優賞・衣裳デザイン賞)を受賞している。
日本版演出を手がけるのは宮本亜門とくれば、これはもうヒット間違いなしではあるが・・・。
<主なスタッフ、キャスト>
台本: ダグ・ライト
音楽: スコット・フランケル
演出: 宮本亜門
音楽監督: 八幡茂
大竹しのぶ/イーディス・ブーヴィエ・ビール(1幕)
リトル・イディ・ビール(2幕)
草笛光子/イーディス・ブーヴィエ・ビール(2幕)
彩乃かなみ/リトル・イディ・ビール(1幕)
川久保拓司/ジョセフ・P・ケネディ・Jr.(1幕)
ジェリー(2幕)
デイビット矢野/ブルックス・シニア(1幕)
ブルックス・ジュニア(2幕)
さて物語りの第1幕(1941年)は。
ニューヨーク州ロングアイランド。セレブの集う、華やかなグレイ・ガーデンズ邸。
栄華をきわめるブーヴィエ家の美しき母イーディスは、歌手に憧れている。
おりしもブーヴィエ家の娘イディと、ケネディ家の長男(つまりJFKの兄)ジョセフの婚約パーティが開かれている。
この幕はいわばプロローグであり、ストーリーがどうのというよりは、ブーヴィエ家がセレブであり、その家の母は少々変わり者であり、ケネディ家とつながりができるらしいと分かればよい。
そして第2幕(1973年)は、一転してキャットフードの空き缶に埋もれ、荒廃したグレイ・ガーデンズ邸が舞台となる。
ここにすっかり年老いたイーディスと、婚期を逃したリトル・イディが二人だけで暮らしている。無数の猫に囲まれながら。
それでも二人はかつてのプライドだけは保っている。
唯一の娯楽であるラジオに耳をすませ、奇抜なファッションで時に踊り、歌い。
こんな生活と絶え間ない母娘喧嘩にウンザリしながらも、リトル・イディはグレイ・ガーデンズを出ていこうとしない。
演劇としては、いっそ第1幕をカットし、少し内容を膨らませてこの第2幕だけで仕立てた方が、スッキリして良かったのではなかろうかと思わせる。
かつて良家の子女というのは、芸能界だのショウビジネスだのに近付くことはご法度だった。これは日本でも同じだった。
だからリトル・イディの生き方というのは、当時としては極めて異色だったわけだ。しかもその生き方は母親からの影響でもある。
他人が何を言おうが、自分の生きたいように生きる。おそらくはこの姿勢が多くの人の共感を呼んだのだろう。
貧であっても卑ではない。
さて舞台だが、これはもう大竹しのぶの一人舞台といってよい。
いつもながら演技の確かに感心する。一般にミュージカルは大まかな演技になり勝ちだが、細部にわたって神経が行き届いている。ダンスには難点があるが、歌はお手のものだ。
云う事なしの筈だが、しかし・・・・、である。
この主人公リトル・イディは大金持ちのピカピカのお嬢さんでありながら、モデルやショウビジネスの世界に入り、数々のハイソな男性たちと浮名を流した美貌の女性という設定になっている。
リトル・イディの一見奇抜なファッションが似合うようなキャラが求められるのだ。
これは大竹しのぶのキャラとは明らかに違う。彼女はどちらかといえば、庶民的で芯のしっかりとした自立女性が似合う。
だからミスキャストだともいえる。
しかしこの役を演じられる女優が他にいるかと問われれば、頭に浮かんでこない。だったら適役?
結局は、こういうミュージカルの主役を演じられる役者の層の薄さに帰結することになる。
母親役の草笛光子は、ゴージャスな雰囲気と貫禄の演技で、こちらは文字透りの適役だ。
脇ではデイビッド矢野が存在感を示す。
公演は12月6日まで。
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