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2010/03/31

「郵貯」と「警視庁」二つのクレイジー

30日に郵貯と警視庁に関連する二つのクレイジーなできごとがあった。
ともに、どこか狂ってるとしか言いようがないできごとだ。

先ずは鳩山政権が打ち出した、例の郵貯限度額を2000万円に引き上げるという方針だ。
郵便貯金という制度は、国民から少額のお金を集めて、公共事業の資金にするというのが本来の目的だった。その使命は今も変わらない。
いつしか利便性と利率が民間に比べ優位だったなどの理由から強大化してしまい、国債の購入資金に大半があてられるようになってしまった。
国が発行する債券を国有の金融機関が購入している現在の姿が、すでに異常だといえる。
郵貯の正常化のためには限度額を引き下げるべきで、それを倍額の2000万円に引き上げるというのは、ムチャクチャな政策だ。
資金運用や貸し出しのノウハウも機能もない「ゆうちょ銀行」の膨大な資金が流入したらどうなるか。
信用金庫など地方の金融機関が大打撃をうけて、とりわけ中小零細企業に資金が回らなくなるのは明らかだ。
第一、一人で2000万円も預金できる人なら、なにも「ゆうちょ」を利用する必要はない。
こんなことは、子どもでも分かる。
参院選での郵貯組織票欲しさに、なりふり構わず決めた愚策である。

もう一つは、国松長官銃撃事件についての警視庁の青木公安部長の会見だ。
最初に問いたいのは、公訴時効をむかえた事件に対して、これからは全てこのような説明をするのだろうか。
もし全てではないというなら、どのような基準で事件を選択して説明をするのか、先ずこの点が明確でない。
被害者が身内だから特別扱いをしたというなら、それは不公正というものだ。
次に問題なのは、警視庁のHPで公開されている「警視庁長官狙撃事件の捜査結果概要」にも書かれているが、「事件はオウム真理教のグループが、松本智津夫教祖の意思の下、組織的に敢行したテロだった」と断定していることだ。
「断定」できているなら、警察はなぜ犯人を捕まえないのか。
様々な状況から判断して「推測」はできるが、「断定」できなかったから迷宮入りしたのではないのか。
HPの報告書を見ても、誰がこんな事を言っていたとか怪しい人物を目撃したとか、そんな証言ばかりで、犯人につながる物的証拠は何一つ見つけていない。「捜査は失敗した」という報告書なのだ。
それならなぜ失敗に終わったのか検証し、世上いわれているいるように「見立て捜査」に誤りがあったのではないかなど、その原因を明らかにして今後の捜査の教訓にすべきだった。

この国、チョイとおかしくなってやしませんか。

2010/03/30

【公務員の政治活動】無罪判決は妥当

公務員が政党のビラを配布したとして国家公務員法違反に問われ、一審で有罪(罰金刑)の判決を受けた控訴審で、東京高裁は逆転無罪の判決を言いわたした。
この判断は妥当だ。
この事件は旧社会保険庁職員だった堀越明男被告が、2003年11月に共産党共産党機関紙「しんぶん赤旗」号外のビラを自宅近くのマンションの郵便受けに配ったとして、国家公務員法違反(政治的行為の制限)の罪に問われたものだ。
休日に、公務員であるという身分もあかさず政党ビラを配っただけのことであり、これを罪に問うほうがおかしいのだ。
公務員も職務を離れれば私人だ。
大臣だってスキャンダルを起こすと「これは個人的行為だ」と言い張るし、靖国神社参拝でも「今日は私人として参拝した」と答える光景が毎年ニュースで流れる。

「公務員の政治的行為の制限」という法律は、元来は公務員が自らの立場を利用して政治的行為を行ってはいけないというのが趣旨だ。
例えば公立学校の教師が、自分が担任する生徒の父兄に投票を依頼するといった行為は、明らかに法律違反ということになるだろう。
ところが不思議なことに、公務員が省庁あげて特定の候補者を応援しても、摘発されるのは極めて稀だ。
典型的なのは旧郵政省で行われていた「ぐるみ選挙」で、郵便局長などの職員が勤務中に選挙活動をしていたのは公然の事実だ。裏金をつくって選挙資金に充てることさえ行われていた。
現に郵貯の限度額を2000万円に引き上げて郵政票を吸い上げて、夢よもう一度と企んでいる政党もあるではないか。

高級官僚が立候補した時も、似たような事が行われていた。
ではなぜこうした行為は罪に問われず、ビラ配布のようなチッポケな行為が問題にされるのか。
それは政権与党を批判する行為だったからだ。
政権を応援すればお目こぼし、盾つけば捕まえるでは、アンフェアーというものだ。
市民が行う政治活動というのは、一般に政権への批判や政策への反対活動として行うケースが圧倒的だろう。
政権側としては何かと口実を見つけては、これを制限したがる。

今回に事件では、警察は大量の捜査員を動員し、尾行やらビデオ撮影まで行ったとある。
そんな暇があるのなら、もっと凶悪な重大事件に力を注いで貰いたいと思ってしまう。
公務員の政治的中立に最も違反しているのは、当の警察や検察ではなかろうか。

あれもダメこれもダメと反対勢力を抑え込むなら、中国を笑えなくなる。

2010/03/28

立川談春「25周年スペシャル独演会”THE FINAL”」

3月27日東京厚生年金会館で行われた、立川談春「25周年スペシャル独演会”THE FINAL”」へ。
独演会にスペシャルだのFINALだのが付いて長ったらしいタイトルになったのは、
1.昨年5月から始まった談春25周年記念ツアーの、これが最終公演
2.会場である東京厚生年金会館がこの3月末で幕を閉じることになり、その最後の落語会
という意味合いのようだ。
序にいえば、この会場で最初に落語会を開いたのは、師匠・談志とのこと。
そんな企画のせいか、会場ではグッズ販売あり、くじ引きあり、写真展や談春写真集(誰が買うんだろう)販売あり、はてはゲームコーナーまで置かれ、お祭り気分。
グッズが当たるゲームコーナーは長蛇の列で、係員が「ここが最後尾でーす」と叫んでいた。
アタシはそうしたものにまるで興味がなく、写真展をチラッと見て座席へ。
前から7列目なので、細かなとこまでよく見えた。

<番   組>
立川談春「粗忽の使者」
立川談春「愛宕山」
~仲入り~
立川談春「たちきり」

談春に限らず立川一門では、独演会は本人一人だけというのが多いが、これは結構。独演会なのだから、前座もゲストも不要だ。この点だけは、他の一門の噺家は見習って欲しい。
舞台正面に大型スクリーンが据えられ、遠くの席でも高座の様子がよく見える仕掛けになっている。
前方の席の人間にとっては邪魔でしかないが、こうした大きな会場では止むをないことだろう。これを邪道というなら、元々こういう大ホールで落語を演ること自体が邪道なのだ。

ここ2,3年、談春の人気は沸騰している。
前売りチケットは瞬間蒸発、会場は大入り、本を出せばベストセラー。ブームとよんでも可笑しくない。
人気が高まれば批判の声も強まるのは世の常。
「さすが」という賞賛の声もあれば、「それ程のものじゃ」という落胆の声もある。
談春の良さは、その明解な語り口だ。落語家というより講釈師に近い。
そのせいか、この人は講談を落語化したネタや、芝居を落語に移した演目で精彩を放つ。
欠点はというと、細かな人物描写ができていない。
無頼を演じさせれば、今この人の右に出る者はいない。その一方、初心(うぶ)な人物は全くサマにならない。だから「明烏」の若旦那などを演ると、まるでギャグみたいになってしまう。
芸人だから得手不得手があって当然。
そこを飲み込んでいれば、談春に対する評価は大きくブレないと思う。

もう一つ、これは談春に限ったことではなく、立川一門に共通する欠点といっても良いが、
・解釈の押し付け
・言葉の過剰
という問題がある。
解釈は聴き手の自由であって良い。そこを「このネタはこう解釈すべきだ」とやられると、大きなお世話だと言いたくなる。落語は口演であって、決して講演ではない筈だ。
これに関連するのだが、語り過ぎ、説明し過ぎの傾向がある。語られない部分で聴き手は想像力を膨らませるのであって、そこにあまり手を突っ込んで欲しくないのだ。
この辺りは好みの問題ということになろうが、アタシはそう思う。

さて、この日の三席だが。
「粗忽の使者」は大師匠・先代小さんの極め付けで、あの何ともトボケタふわっとした語り口がカンドコロ。こういうネタはあまり力んで演じるものではないのでは。
面白くなかった。
「愛宕山」では、カワラケ投げの解説は良かったが、幇間がサッパリ幇間らしくない。大家(たいけ)の大旦那も風格が感じられない。
「たちきり」では、言葉の過剰という欠点が目立ってしまった。
こういうネタは情緒纏綿たる雰囲気が大事で、番頭の身の上話など余計。
最後のシーンで、女将が若旦那に「ここを出たら全て忘れなさい」というセリフも蛇足。これではこの噺のオチの効果を消してしまう。
小糸の一途な心に感情移入して、柳家さん喬の「たちきり」では滂沱の涙を流してしまったが、今回は全く泣けなかった。
不満の残る三席だった。

少し点が辛いと思われるかもしれないが、それは偏に談春に対する期待の高さの反映だと思ってください。

2010/03/25

中井治大臣、ホステスを議員会館へ「拉致」ですか

中井治大臣って、とっても偉い方なんです。
国家公安委員長、防災担当大臣、拉致問題担当大臣と、なんと三つの好色、じゃない、要職を兼務しておられるんですよ。
さぞかし目の回るような忙しい日々を送ってるのかと思いきや、連日のように30代のホステスと飲み歩いているんだそうです。
30代、ククッ、チキショー、きっと脂がのってますね。
まあそれはいいとして、議員宿舎に出入りできるカードキーをこのホステスに渡していて、自由に出入りさせているとか。
これは明らかにマズイ。
ご本人は「規則は無いから問題ない」と答えているようですが、大臣それは違いまっせ。
議員宿舎には「部外者をみだりに立ち入らせてはならない」というルールがちゃんとありますよ。
それとも「みだり」に立ち入らせてはいないけど、「淫ら」に立ち入っているのかな。
こんな下半身のセキュリティがルーズな人物に、国の治安が守れるのかしらん。

このホステスとは、福島県沖で震度5弱の地震が起きた今月14日午後5時すぎにも、一緒にデートしていたというのもマズイ。
だって防災担当大臣ですからね。
交際担当大臣と間違えないように。

こんな人が拉致問題を担当していて大丈夫かな。
ピンチピンチ 拉致拉致 乱乱乱 *)
になったら困るんだけどな。

*)猪口山人さんのパクリで、ゴメンナサイ。

【追記】
自民党の逢沢一郎国対委員長は11月30日の記者会見で、29日に参院本会議場で行われた「議会開設120年記念式典」に際し民主党のある衆院議員が、壇上で起立のまま天皇皇后両陛下の入場を待っていた秋篠宮ご夫妻に対し、議場から「早く座れよ。こっちも座れないじゃないか」などと暴言を吐いた可能性があると指摘した。
この議員が中井洽衆院予算委員長だというのだ。
もっとも指摘した逢沢一郎自身は、記念式典の最中に携帯電話を鳴らしていた。これも明らかな規則違反。
こういうのを、目クソ鼻クソを笑うという。

2010/03/24

「円生襲名」は見送りにしたら

ここのところ、七代目三遊亭圓生(円生)襲名をめぐるゴタゴタが報じられているが、一連の動きを見るにつけ、私は今回の襲名は見送りにすべきだと思う。
理由は二つある。

一つは、特に圓楽一門の動きはあまりにソロバン勘定がミエミエだからだ。
先代圓楽亡き後の一門の主力メンバーは、いずれも力不足だ。
興行上、一門を維持するには「襲名」というお化粧を施して集客しようという意図が見え隠れする。
円生襲名をそんな道具にさせてはならない。
芸協会長の桂歌丸あたりが後押ししているようだが、これも“笑点”の腐れ縁。
商売先行の襲名興行など、落語ファンからそっぽを向かれるのがオチだ。

二つ目は、いま名乗りを上げている二人とも、円生を継ぐ器ではない。
鳳楽は、芸風は確かに六代目円生に似ているが、力量は足元にも及ばない。
圓丈はどうかといえば、新作落語の雄ではあっても、こと古典に限れば並みの噺家だ。
襲名を機に上手くなるんなら話は別だが、年令からみて二人ともその期待は皆無だ。
どちらが襲名しても、代々名人が続いてきた三遊亭圓生の名跡を汚すのは明白だろう。

はっきり言えば近年、大名跡を継いだ落語家はおしなべて落第だ。
その反省に立って、もうそろそろマトモな襲名を行えるよう、関係者は真剣に考えたらどうだろうか。

2010/03/23

労組は特定政党への支持をやめよ

民主党の小林千代美衆院議員陣営に北海道教職員組合(北教組)が違法献金したとされる事件で、札幌地検は北教組と自治労の幹部二人を起訴した。
今回の事件は労組の資金を小林議員へ直接献金した政治資金規正法違反の罪だが、ことの本質はここにあるのではない。
労働組合が特定政党を支持したり、ましてや資金を提供するそれ自体が異常なことなのだ。
先ずは労組の一党支持をやめさせることが肝要だ。
この点についてマスメディアが指摘していないのは、残念なことだ。

日本の労組と政党の関係は、ずっと不正常な状態が続いていた。
かつては、
総評=社会党
同盟=民社党
という関係が固定化していた。
選挙になれば傘下の労組員へ特定政党への支持を締めつけ、資金を提供し選挙支援へ動員をかけるということが長期にわたって行われてきた。
その見返りに、労組の幹部が支持政党の国会議員になるという道筋ができていた。

労働組合というのは様々な考えを持つ人の集まりで、団結して自らの要求を勝ち取るという一点で組織されている。従って個々人の思想信条は自由でなくてはならない。
労組が要求を実現する上で、政治的スローガンをかかげたり、政治行動にかかわるのは当然の権利だ。しかしそれと、特定政党と癒着することとは、全く別の問題だ。
総評や同盟、社会党と民社党がそれぞれ消滅したにもかかわらず、その不正常な関係が現在の民主党と連合にそのまま引き継がれている。
ここに根本的問題がある。

労組の資金というのは、原資は全て組合員から集めた組合費だ。
しかし以前からその使途について不明朗な部分があり、黒いウワサが絶えない。
会計監査をしっかりと行っていないせいか、とかく裏金が作り易いのだ。
いわゆる大企業の労組幹部になれば、銀座や赤坂の高級クラブで豪遊する姿がしばしば見られる。
あの金は一体どこから出ているんだろうと、誰もが不思議に思うはずだ。
そんなダラ幹連中が指導しているのだから、まともな労働運動など出来るはずは無い。

今回の小林議員をめぐる事件を教訓にして、政党と労組との不正常な関係を基本的に見直すべきだろう。
相互に依存する関係を断ち切らないかぎり、民主党は近代政党に脱皮できない。

一方これを批判している自民党の方でも、労組ではないが特定の団体と似たような不正常な関係が続いている。
図に乗って、調子コカナイことだ。

2010/03/22

ルノー・カプソン ヴァイオリン リサイタル

3月21日はトッパンホールで行われた「ルノー・カプソン ヴァイオリン リサイタル」へ出向く。
クラシック音楽なんてぇものは季節に関係なさそうだが、ヴァイオリン曲というと何となく「春」がピッタリのような気がする。
あの音色が、心浮き立つ春の季節にフィットするのだろうか。
この日はフランスの俊英(と勝手につけたが)ルノー・カプソンの第三回リサイタルで、ヴァイオリン・ソナタの名曲の数々を拝聴しようという寸法。
最近気がついたのだが、ホール(劇場)にも相性ってぇものがあるようだ。
場内に入った瞬間なんとなく感じが悪いと思うホールもいくつかあるが、このトッパンホールは一番のお気に入りだ。
ホールの幅と奥行き、天井高さ、舞台の広さ、この4つの要素が程よく調和していて、とても気分が落ち着くのだ。ウソだと思うなら一度来てみてください。
もちろん音響も良い。
時々ここの来るのも、音楽を聴きにというよりは、このホールの空間の中で身を浸しておきたいという方が、大きな比重を占めている気がする。
だからって何でもイイという訳ではないけど。

< プ ロ グ ラ ム >
ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ
~ 休憩 ~
フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
アンコール曲/マスネ:タイスの瞑想曲
       ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ第二楽章
< 演 奏 者 >
ルノー・カプソン(ヴァイオリン)
児玉 桃(ピアノ)

この3曲とも、ライブで聴くのは(確か)初めてだ。
CDは持っているが、実はあまり良い曲とは思っていなかった。
ナマで聴くと印象がガラリと変わって、実にいい。音楽だのビールだのというのは、やっぱりナマに限る。
ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタは、いかにもドビュッシーという感じですね(当たり前か)。
ラヴェルの曲は第二楽章のブルースが有名だが、これもライブで見ると凄さが分かる。
それとヴァイオリンとピアノがぴったりと調和するでもなく、ビミョーにずらしているところが面白い。あれってけっこう演奏が難しいんでしょうね。
フランクのヴァイオリン・ソナタはピアノが大活躍する。解説を読んだら、当初は「ヴァイオリン伴奏つきのピアノ・ソナタ」として構想されたとある、納得。
ルノー・カプソンが奏でる音色は美しく、ウットリとしてしまう。
テクニックはいうまでもない。
ピアノの児玉桃は、時には主役時には脇役と役柄を変えながら、こちらも素晴らしい音を響かせていた。

演奏家のスタイルというのも興味がひかれる。
先日のカントロフは背筋を真っ直ぐにして弾いていて、テンポアップしたパートでは靴で床をタッピングする癖があった。
この日のカプソンの場合は足を前後にして少し膝を折って弾くため、力を入れる場面になると中腰の恰好になる。

演奏とは離れるが、一つ注文がある。
ヴァイオリン・ソナタの演奏では、通常ヴァイオリニストは、ピアニストの向って右側に立って演奏することが多い。これだとどの位置からでも、二人の演奏者がよく見える。
この日は二人の演奏者が並んでいたため、客席からは奥にいるピアニストの動きが見えづらい。
ライブでは、演奏者の手や身体の動き、表情を見るのも楽しみのひとつだ。
エンターテイメントの見地からは一考を要すると思われる。

2010/03/21

#97朝日名人会

3月20日、有楽町朝日ホールで開かれた「第97回朝日名人会」へ。
すっかり陽気が暖かく春めいてきたので、春にちなんだネタが並ぶかと思いきや、季節感にかかわりなく珍しい演目が多い今月の会である。

前座・柳家花いち 『転失気』
名前は「花いち」、出来は「イマイチ」(これって以前にも使ったっけ)。

柳家三之助 『芝居の喧嘩』
マクラで二ツ目として最後の高座になると紹介あり。21日からは真打だが、むしろ遅過ぎた感がある。
もともと人気・実力ともに十分で、落語ファンの間では「なぜもっと早く真打にしなかったのか」という声も上がっていた。
芸は明るく本寸法、期待の新真打だ(コメント貰ったからってヨイショしているわけではありませんよ)。
飛行機が趣味で、既に本を2冊も出しているという変り種でもある。
『芝居の喧嘩』だが、解説には講談から立川談志が落語にしたとあるが、オリジナルは歌舞伎だ。
『極付幡随長兵衛(きわめつき ばんずいちょうべえ)』という演目中の『舞台喧嘩の場』が、それだ。
芝居の筋は、狂言も佳境に入ったときに酒に酔った白柄組らが狼藉を働いて舞台を台無しにする。そこへ町奴の親分、幡随院長兵衛が止めに入り白柄組を叩きだす。折しも桟敷で舞台を見ていた白柄組の頭領水野十郎左衛門は、長兵衛に遺恨を持つようになる、というもの。
落語のほうのストーリーとしては他愛ないもので、専ら話芸の力だけで聴かせるネタだが、三之助は明解な口調で楽しませてくれた。

三遊亭歌武蔵 『植木屋娘』
上方落語のネタで、東京で演る人は少ないのではなかろうか。
一人合点しては飛び跳ねる植木屋の主人のキャラが歌武蔵のキャラと重なって、観客を沸かせていた。
この人は着実に上手くなっている。

古今亭志ん橋 『出来心』
本日のトリをつとめる小三治の十八番で、別名『花色木綿』。
志ん橋は話のリズムが一定で、長いネタになるとどうしても間延びしている印象を持ってしまう。
登場人物の演じ分けも、もっとクッキリとして欲しいところ。

~仲入り~
林家正雀 『豊竹屋』
隣席の女性客が、「この人、地味なのよねぇ。」と言ってたが、正にその通り。
芸は確かなのだが、芸人として愛嬌に欠けるのが欠点だ。世の中には、愛嬌だけで飯を食っている噺家もいるというのに。
このネタ、円生が得意としていたが、義太夫を語らなくてはならないせいだろうか、今では演じ手は少ない。でもこういう音曲噺は後世に残しておきたい。
こういう演目こそ朝日名人会のような会に掛けて欲しいわけで、ベストチョイスだったと思う。
地味なネタだが、客席は大いに受けていた。

柳家小三治 『品川心中』
小三治は『品川心中』を演るのは20年ぶりと言っていたが、私も初見だった。どんな仕上がりになるのか、楽しみにしていた。
マクラで当時の廓や四宿の事情の説明があり、品川では女郎屋を貸し座敷とよんでいて、東海道の海側に沿って店が並んでいたとされる。だから海に身投げして心中しようという発想になったのかと、納得。
古今亭と違うのは、金蔵がお染と一緒に心中する気になる場面で、小三治の演出は最初は渋る金蔵にお染が、「死んで三日したら、化けて出てとり殺す。」と脅かす。
どっちにしても助からないなら、じゃーいま心中しようということになってゆくわけだ。
金蔵の人物描写が秀逸で、志ん生や先代馬生とも違った上出来の『品川心中』となっていた。

熱演が相次ぎ、充実の会だった。

柳家三之助さんのコメントを紹介

昨日の記事につきまして、柳家三之助さんご本人からコメントが寄せられましたので、下記に全文を紹介します。

『鈴本の前売のことで不快な思いをさせてしまってすみません。披露目のトリはその日の前売を特別に許されていますが、わたくしのご贔屓さんがその切符をお求めになりたいというお声がけをいただければ可能な限りお分けしたいというのはわたくしの正直な気持ちです。

今回はそれが初日に集中してしまいました。これはわたくしのコントロールできない出来事でした。

寄席のトリを勤めるということは、すなわち客席が満員になるための努力を惜しむわけにはいかないことをご理解くだされば嬉しいです。

他の日はまだお席に余裕がございますのでぜひお出かけください。』

2010/03/20

鈴本演芸場・3/21夜「前売り完売」の怪!

落語協会は、今春あらたに4人の真打が誕生する。3月21日を皮切りに、都内の各寄席などで真打披露公演が行われる。
お目出度い行事として、毎年楽しみにしているファンも多いことだろう。
ところが、その初っ端の3月21日の鈴本演芸場・夜の部の公演に異変がおきている。
この日に鈴本に行こうと思いHPを見たら、「3月21日は、前売券完売のため当日券の販売はございません。21日の前売券をお持ちでないお客さまは、ご入場できませんのでご了承下さい。」と告知されているではないか。
しかし3月下席・夜の部は全席当日売りだけで、前売りはやっていなかった筈だ。

鈴本演芸場に電話して問い合わせしたところ、こういう答えだった。
『柳家三之助の出番である21,22,29日については、三之助自身が前売りをしていて、既に21日の席は完売している。
22日の分も三之助前売り分は完売で、鈴本では120席ほど確保している。
29日は余裕がありそうなので、三之助に直接問い合わせてみたらどうか。』
ということで、電話番号を教えてくれた。

いきなり電話もなんだから、三之助のHP(ブログ)のアクセスしたところ、「披露興行のチケットお申し込み」という欄があり、そこでは都内4軒(鈴本は終了していた)の寄席と国立演芸場での真打披露公演の申し込みを受け付けている。
これでは他の寄席でも、前売り完売という事態が起こりうるわけだ。
しかも不思議なことに、各定席のHPでは「前売り」について一言も触れていない。

このままいけば、何も事情を知らされていない客が寄席に行くと、いきなり「前売り完売」を告げられることになる。
これは余りに不親切だし、第一アンフェアーだ。
定席の興行権(チケット販売権)はそれぞれの席亭にある筈で、出演者のワクというのも存在するのだろうが、それが全席とか半分とかになるとしたら異常ではなかろうか。

お目出度い披露公演に水を注すようだが、今回の「前売り完売」は納得がいかないし、こんなことが常態化すれば、落語ファンの寄席離れが起きかねない。
関係者の一考を促したい。

2010/03/19

「カントロフ&上田晴子」デュオリサイタル@浜離宮朝日H

3月18日、浜離宮朝日ホールでの「J.J.カントロフ&上田晴子」デュオリサイタルに出向く。
この日と21日立て続けにヴァイオリン・ソナタと聴くことに、それも揃って艶やかで気品溢れるフレンチ・ヴァイオリニストのとくりぁー、いかにもこのアッシにピッタリじゃござんせんか。
なにせ気品にかけちゃあー、そんじょそこらの人間たぁワケが違いまさぁね。
浜離宮朝日ホール、広々とした良い会場だ。

<プログラム>
ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ」
第6番 イ長調 作品30-1
第7番 ハ短調 作品30-2
―休憩―
第8番 ト長調 作品30-3
第9番「クロイツェル」イ長調 作品47
<出演者>
ジャン=ジャック・カントロフ(ヴァイオリン)
上田晴子(ピアノ)

カントロフは高名なフランス人ヴァイオリニストで、特にフランクのヴァイオリン・ソナタでは定評がある。
1977年の初来日いらい度々日本での演奏会が開かれていて、最近では指揮者としての活躍が目立つようだ。
ピアニストの上田晴子は私としてはお馴染みがないのだが、日欧で活躍とある。
当日配られたプログラムの解説をご本人が書いているが、文中「地下鉄の中で演奏するチューバの人が、3拍子と2拍子の差も理解せず、ただバスを吹く感じ。療養者の村の楽隊。」という表現があり、きっとウィットに富んだ面白い人だろうなと想像される。

カントロフは予想していたのと異なり、身長はあまり大きくなかった。そして愛嬌がある。
ベートーヴェンの「ヴァイオリン・ソナタ」4曲だが、とても洗練された演奏だったように感じた。
この辺りが、フランス風の気品というのだろうか。
手元にある他の演奏家のものとは、随分と印象が違った。
最も強く印象に残ったのは、お二人が実に楽しそうに演奏していたことだ。
聴き手にもその楽しさが伝わってくる。
二度のアンコールで終了予定時間を大幅に超過していたが、春の季節にふさわしいウキウキとした気分になれるコンサートだった。

次回は10月19日に予定されている。

2010/03/18

「岸壁の母」は菊池章子でしょう

昨日、歌手の二葉百合子が現役引退を発表したが、その度に「岸壁の母」を歌う映像が繰り返し流されている。
「岸壁の母」は菊池章子でしょう。
ソ連軍の捕虜となってシベリアに抑留されていた人たちが、引き揚げ船にのって日本へ帰ってくるようになった昭和25年から6年間、舞鶴港の岸壁に立ち続けて子息の帰りをずっと待ちわびていた母の姿を歌った「岸壁の母」は、昭和29年に菊池章子がレコーディングしてミリオンセラーとなる空前の大ヒット曲だ。
菊池章子は昭和22年に、戦後生きてゆくためには身を売らざるを得なかった夜の女を歌った「星の流れに」も大ヒットさせている。
共に「戦後」を直接的なテーマにしたリアルタイムのヒット曲ということになる。

「岸壁の母」のレコーディングの際に、菊池章子は途中で何度も泣き出したというエピソードが残されているが、歌唱では極力その感情を抑制しているかに見える。
菊池章子の歌う「岸壁の母」には、息子の帰還を待つ母親の精神的な高さ、強靭さが感じられる。
それが当時の日本人の共感を得たものと思われる。

それに対して、昭和47年に二葉百合子がカバーした「岸壁の母」は、安っぽいお涙頂戴の歌に仕立ててしまった。
オリジナルがもっていた楽曲の品性などどこへやら、ただただ聴き手に「泣き」を押し付ける歌唱法だ。
「岸壁の母」=二葉百合子のような取り上げかたは、苦々しく思えて仕方がない。

2010/03/16

「夜行・寝台」なんて嫌な思い出ばかり

「撮り鉄」ブームだそうですね。
確かにホームの端に立って、入線したり出発したりする車両にカメラを向けている人が増えました。
ただ良く分からないのが、廃止となる列車のラストランに、押し合いへし合いして写真を撮っている人たちで、あんな混雑状況でマトモな絵が撮れるのだろうかと思いますが。
もっと分からないのがニュースのインタビューなどで、廃止になって「残念ですね」「もっと永く続けてほしかったです」と答えている人たち。
それなら日ごろからドンドン乗ってあげなさいよ。
利用者が減って採算が取れなくなったから廃止したんでしょ。乗客さえいれば鉄道会社は運行しますよ。

20代のころ出張が多く、夜行列車や寝台車はしょっちゅう利用していました。
私の勤めていた会社は東北や中国地方、九州に事業所が多かったのですが、当時の上司が効率一辺倒で、出張は全て夜行か寝台でした。
会社で夜9時ごろまで仕事をして夜行や寝台にのり、目的地には朝方着きます。
そのまま出社して一日仕事。夜、先方を発って戻ってきて、東京に朝方到着。早めに着けば会社で洗顔と髭そりを済ませます。
これだとムダな時間が一切ないんですね。

しかし、やらされる方は大変です。
当時の工場は冷房も暖房もなかったので、夏なんか現場で作業してくると全身汗まみれになります。
でも、シャワーも浴びることができない。
東京に戻っても直ぐに出社になりますから、そのままの状態で翌日も勤務することになります。
さらに困ったのが、もともと寝つきが悪いので、列車の中ではうまく眠れないんです。
二等寝台は三段ベッドで、座っていても頭がつかえましたから、最上段で着替えするのは大変でした。
出張の荷物でもあれば、身体を真っ直ぐにして寝られません。
その当時の夜行列車は座席が木製で、4人がけボックスタイプです。背もたれは殆んど垂直でしたし、こちらは尚更きつかったですね。
今回廃止になった「能登」で金沢に行ったときは、とうとう一睡もできなかった。翌日は辛かったですよ。

今は航空機と新幹線を使えば、そんな思いをせずに快適に目的地に着くことができます。
私が40代になったころには、社内でも出張で夜行・寝台を利用する人は殆んどいなくなりました。
世間一般もそうじゃないですか。時々旅行で利用するならいいでしょうけど。
かくして夜行列車や寝台車を利用するひとが激減し、廃止に至ったわけです。

そんな事情を「撮り鉄」さんたちは、知ってか知らずか。

2010/03/15

「兵器のある風景」@俳優座劇場

3月14日は初日を迎えた俳優座劇場プロデュースNo.83「兵器のある風景」へ。
といっても俳優座自身の公演ではないし、出演者に俳優座の役者は一人も出ていない。
ボクの青春時代には、民芸、俳優座、文学座が全盛期で、キラ星のごとくスター俳優が舞台に並んでいた。
乏しい小遣いをはたいて、そうした新劇を年に数回みにいくのが最高の贅沢だった。
それぞれの劇団も人気俳優が次々と独立してゆき、かつての面影はない。
会場で「俳優座って未だやってるのかしら?」などと話している客もいたが、それはチョットひどい。

作  ジョー・ペンホール
翻訳 常田景子
演出 坂手洋二
<キャスト>
大西孝洋/航空力学エンジニア・ネッド
中嶋しゅう/兄で歯科医・ダン
荻野目慶子/営業部長・ロス
浅野雅博/情報部員・ブルックス

ストーリーは、
航空力学エンジニアであるネッドは、室内でも正確に相手を識別する無人探査機を発明する。
これを実用化するのは膨大な費用がかかり、ベンチャーの営業・ロスは米国政府から出資させる方針をとる。
技術が完成すれば工業所有権は、ネッドらと米国政府との共有になるが、米国が51%を占めるため、決定権は米国政府が握ることになる。
そうなれば、米国国防省は兵器としてこれを使うし、イスラエルなど同盟国に輸出する可能性も出てくる。
ネッドの兄・ダンは、大量殺戮兵器として使われ、沢山の市民が殺される道具になってしまうことを指摘し、兄弟で激しい論争が行われるが、次第にネッドもその危険性に気が付く。
心変わりしたネッドは、ロスに契約書にはサインしないことを告げるが、事は安全保障上の問題にもかかわるわけで、遂には情報部員・ブルックスも登場しネッドの説得にあたるのだが・・・。
ざっと、こんな展開だった。

科学者が発明した最先端技術が軍事目的に利用され、商品として取引される。その結果、イラクやアフガンなどで無辜の民の殺戮に使われる。
開発者の苦悩と葛藤がテーマになっているのだが。
今ひとつ観ている側に説得力が乏しいのは、ネッドの発明品は誰が見ても兵器に使われるものであり、開発もネッド個人ではなく集団の力を借り、資金面で政府の援助を仰いだ段階で、利用目的ははっきりしていた筈だ。
ネッドが後から気が付くというのは、腑に落ちない。
職務発明の場合の個人の権利、共同開発の場合の工業所有権の比率など、エンジニアとして当然知っておかねばならないことがネッドは知らなかったというのも変だ。
せっかく出演者は熱演しているが、どうも筋がリアリティに欠けていて、舞台が空回りしている印象を受けた。

演者ではキャリアウーマンを演じた荻野目慶子が実にカッコイイ。
身長は低いのだが、スタイルがキレイで颯爽としている。
主役の大西孝洋の演技は申し分ないのだが、垢抜けしていない印象で損をしている。

公演は22日まで

2010/03/14

【ツアーな人々】「ひとり参加」は快適デス

事情があって(家庭不和ではありませんよ)この6年間は、海外団体ツアーへは一人で参加しています。
これが始めてみると実に快適です。
先ず、ホテルでゆっくりくつろげること。
団体ツアーの場合、ホテルの部屋は狭いところが多く、夫婦といえどもユッタリとした気分になりません。
バスもトイレも自分専用ですし。
ツインの部屋なら、もう片方のベッドの上に荷物を広げられるので、さらに楽チンです。
もう一つ私の場合、低い枕だと寝付かれないクセがありますが、部屋に二つ枕があると高さの調節ができて便利です。
日中の行動も、相方に気兼ねせずに自由に動けるので、こちらも快適です。
特に、自由行動の時にそう感じます。
不便を感じるのは体調を崩したときで、この時だけは心細い思いをしました。

困るのは、ほとんどが夫婦やグループ参加者で、ひとり参加が自分だけの時です。
先ずは食事のたびに、座る場所に困るんです。
レストランのテーブルはたいがい偶数ガケなので、一人参加は「お余り」になってしまうのです。
4人ガケの席に、夫婦と私の三人で座って食事するのも、お互いにシックリこないわけです。
それと必ず訊かれるのが、一人で来ている理由です。相手が変われば毎回同じことを説明することになります。
ヨーロッパや東南アジアへのツアーは、夫婦での参加が多いので苦手です。
もっとも北欧のツアーでは、一人参加の私だけが可愛いらしい女性添乗員といつも差し向かいで食事という、夢のようなこともありました。

それに対してイエメンやアルジェリアなど中近東では、時に全員が一人参加ということもあって、気が楽です。
旅馴れた人が多く、今までの経験やエピソード、あるいは旅行先へのアドバイスが伺えるので、とても参考になります。

近い将来、また夫婦で旅行するようになる予定ですが、正直いって気が重いんです。
これ、女房にはぜったい内緒ですよ。

2010/03/11

【寄席な人々】往くひと来るひと

いま落語の魅力に目覚めて、新しい層の人々が寄席や落語会に足を運ぶようになっていますが、これに対してコアの落語ファンの中に一歩退いていきつつある人もいます。
いずれもブログのタイトルに「落語」を入れている方々です。
そのうちの築地の柳さんは、かつて年間300席(WOW! )の落語を聴いたと書いておられた熱心な落語ファンです。
昨年秋ごろから仕事の忙しさがあってか、ブログの更新が滞るようになり、寄席からもやや足が遠ざかっているような様子です。
毎年の恒例にしていた「今年の5席」(当ブログの「My演芸大賞」はこれを見習ったもの)も、昨年末は掲載を見送っています。

もう一人のジャマさんは、「個人的な事情もあって、しばらく落語会や寄席には行っていない」とあり、「禁落語」にしているが禁断症状は出ていないと書かれていました。
アル中ならぬ、「落中」に例えたものでしょうか。
しばらくブログの更新も休むとされています。
落語に一家言を持っておられる方で、その辛口の批評を読むのを楽しみにしていました。
また落語界の現状について、「特定の人気者の独演会をやっていればいいという発想では、いずれ飽きられる日が来ると思うんですが」という憂慮を表明しています。

今の落語ブーム(在京)を支えているのは、少数の人気落語家たちで、それもなぜか柳家一門(立川流を含む)が大半を占めています。つまり一極集中。
定期的に独演会を開き、あちこちの落語会にひっぱりだこなのは、そうした一部の噺家です。
そのなかの一人である柳家権太楼が週刊誌で、年間600席を口演していると語っていました。
こうなると、いつも良好なコンディションで高座に上がるのは困難でしょうし、明らかに喉を痛めているのに無理をして高座を続けている人も少なくありません。
そうでなければ、春風亭小朝のように手抜きするとか。
とにかく客を集めさえすればというイベント企画側の姿勢には、疑問を感じてしまいます。

私も、寄席に通い出してから60年などと偉そうにいってますが、その間には10年近く、全く寄席に近付かなかった時期もありました。
趣味ですから、波があるんですね。
ここ2年位は、演劇やコンサートへの回数が増え、落語を聴きにいくペースが落ちてきています。
でも落語のCDは毎日欠かさず聴いているわけで、決して落語離れではありません。

2010/03/10

「政治に金がかかる」なら議員をやめよ

<実は、選挙に勝手に金をかけているだけ>
「政治と金」問題をめぐって与野党協議の場が設けられることになった。
この問題を持ち出すときに、必ず枕詞のように使われるのが「政治に金がかかる」というフレーズだ。
これに騙されてはいけない。
国会議員への歳費や秘書の給与、手当て、それに政党交付金(助成金)を加えれば、議員一人当たりにおよそ1億円近くの税金が使われている。
それでも金が足りないというなら、一体どんな政治活動をしているのだろうか。
実は、政治に金がかかるのではなく、選挙に金がかかるのだ。正確にいえば選挙運動に勝手に金をかけて、それで足りない足りないと叫んでいるだけだ。

<選挙運動費用は法律で決まっている>
公選法により「法定選挙費用」が定められている。
例えば衆議院選挙の場合、およそ次のような額になっている。
1910万円+(有権者数x1.5円)
この金額を超えると出納責任者の罪になり、その刑が確定すれば連座制の適用によって候補者の当選は無効となる。
衆院議員でいえば、この金額を歳費などから4年間で積み立てておけば良いわけで、それほど無理なことではない。
ところがTVのインタビューなどで、実際にはとんでもない金額を口にする議員もいるし、なかには公然と「法定選挙費用なんか守れない」と発言する者さえいる。
法律違反を公言するような人間に、元々国会議員をする資格などない。

<議員になってくれと誰も頼んでいない>
口を開けば「政治に金がかかる」と訴えている舛添要一氏らに言いたい。
誰もあんたらに議員をやってくれと頼んだ覚えはない。イヤなら政治家などやめて、国際政治学者とやらに戻ればいいのだ。
議員になりたい人間は沢山いるだろうから、後はつかえている。
自分で勝手に立候補しておいて、金が足りないなどと言うのはスジ違いだ。

<足りないのは工夫>
少数ではあるが、企業・団体からの献金も受けず、政党交付金も貰わず、活動している議員が存在する。
要は、やり方次第なのだ。
足りないのは金ではなく、工夫だ。
国民の大半は苦しい経済状況の中で、乏しい収入をヤリクリしながら生活を送っている。
国会議員だけ特別扱いするなど、許されることではない。

2010/03/09

【街角で出会った美女】中国・雲南省編(2)

旅行好きの人の中には、中国は嫌いだから絶対に行かないという人がいます。
私の場合は、その国が好きか嫌いかということと、その国へ行ってみたいかどうかとは全く別問題です。
北朝鮮だって機会があれば行きたいと思っています。
旅行の目的のひとつは異文化に接することでしょうし、もうひとつは非日常の世界に入り込むことだと考えています。
旅先で「全くこの国の人間ときたら・・・」などと愚痴をいう人がいますが、気が知れません。
それなら国内旅行をしていた方がよほど快適です。

私は中国も米国も嫌いですが、この両国は一度は見ておく価値が~それも出来るだけ若いうちに~あると思います。
ここしばらくは米中二大国時代が続くでしょうし、私たち日本人も好むと好まざるにかかわらず、彼らの経済的政治的文化的影響から無縁ではいられません。
なにせ、幸か不幸か我が国はこの両大国に挟まれているのですから。
それに私見ですが、この両国はよく似ているところがあります。少なくとも日本とは全く違います。

シーサンパンナは雲南省の最南部にあり、ラオスと国境を接しています。
この地方へ来ると周囲の景色が一変し、東南アジアにいるような気分になります。
仏教寺院が点在し、僧侶の姿も見かけるようになります。
下の写真は、現地のタイ族の女性です。
Photo
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こちらの女性は漢民族です。
場所は大理にあるジ海です。
大学で4年間日本語を学び、現地ガイドをしていました。
身長は170cm位あり、ナイスバディのお嬢さんでした。
Photo_2
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2010/03/07

こまつ座「シャンハイムーン」@紀伊国屋サザンシアター

Shanghaimoon3月6日は紀伊国屋サザンシアターにて、こまつ座#89公演「シャンハイムーン」を観劇。
井上作品には珍しい海外を舞台にした芝居で、十数年ぶりの再演とか。


作  井上ひさし
演出 丹野郁弓
<キ ャ ス ト> 
村井国夫/魯迅
有森也実/第二夫人・許広平
小嶋尚樹/内山完造
増子倭文江/妻・内山みき
梨本謙次郎/魯迅の主治医・須藤五百三
土屋良太/歯科医・奥田愛三

この作品を書いた動機を、井上ひさしはおよそ次のように。
主人公の魯迅は、1927年にはノーベル賞選考委員会から文学賞を打診され断るのだが、それほど世界的にも注目されていた作家だった。
同時に魯迅は「抗日運動」を主張し論陣をはったため、国民党政府から弾圧され(当時「抗日」は中国政府の方針に反していた)、地下に潜る生活を送らざるを得なかった。
その魯迅をかくまったのが、上海に書店を開いていた内山完造(内山書店の創業者)ら日本人だった。
主治医は日本人医師だったし、デスマスクをとったのは日本人の歯科医だった。
彼の臨終に立ち会ったのは、妻と弟以外は全て日本人だった。
帝国日本を心底憎みながら、しかし日本人を心から愛した魯迅。
彼を尊敬し、援助を続けた日本人たち。
そうした、ちょっと不思議な関係を描いたのが本作品だ。

今もって、日本人は、中国人は、といった枠にはめた言い方がなされるが、魯迅やその周辺にいた日本人たちは、そうしたステレオタイプに見方をしていなかった。
そう作者は主張する。

私見だが、この「シャンハイムーン」は、井上作品の中ではあまり上位の仕上がりとは言えない。
一つに、登場人物があまりにも理想化され、類型化され過ぎているように思える。真っ直ぐ過ぎる気がするのだ。
分かり易くて、見終わってからの後口も良いのだが、作品としてはリアリティと深みに欠けるように思えた。
これは飽くまで、こまつ座が上演している作品全体の中での相対比較をいっているのであって、作品自体(ちなみに谷崎潤一郎賞を受賞している)が劣っているわけではない。

6名の出演者は揃って芸達者で、ディスカッションドラマを思わせるような長セリフにもめげず、最後まで良質の舞台を保っていた。
主演の村井国夫は、いかにも中国の文人を思わせる風格で、ちょっと抜けていてユーモラスな人物像を巧みに演じていた。この人は、先ず声が良い。
内山完造を演じた小嶋尚樹は正にハマリ役。
ナマの有森也実を24年ぶりに見たが、すっかり大人の演技者に成長していた。

公演は4月19日まで全国各地で。

2010/03/05

【寄席な人々】名人に二代なし

俗に「名人に二代なし」とあるが、
一つには、先代(師匠、父親など)があまりに偉大だと、どうしても後継者が見劣りしてしまう。
あるいは、先代が苦労して築き上げた芸や名声の上にのっかって、ややもすると二代目(後継者)は努力を怠る。
確かに、何かというと「先代は上手かったよなぁ」などと言われた日にゃ、たまったもんではないだろう。
歌舞伎の世界でもそういう傾向があったようで、芝居が好きだった私の両親がしばしば、「先代は名優だったから、次はきっと大根だよ」と語っていたのを憶えている。あの名代は偶数が良いとか、奇数が当りだとか、そんな表現もしていた。

大名跡の襲名が行われようとしている時に「縁起でもない」とお叱りを受けそうだが、落語の世界でもそうした傾向がある。
いわゆる名人・上手と言われる名跡も、なかなか二代とは続かないようだ。
ざっと、名前をあげてみよう。
桂文楽
柳家小さん
桂三木助
三遊亭金馬
三笑亭可楽
春風亭柳好
当代が現役の方もいるのでオサシがあったらお詫びするが、やはり二代とは続かないというのが大方の評価だろう。
なかには二代続けてイマイチという大名跡もあるが、それはさておき・・・。

こういう意見もある。
確かな芸を持っている噺家は、敢えて名跡を継ごうとしない。名跡にこだわる必要はないというわけだ。
それに対して、それより下のランクの噺家が名跡を継ぎたがると言うのだ。
かなり厳しい意見だが、名を取るか実を取るかの選択ということなのか。
その一方で、噺家にとって最大の目標は師匠の名前を継ぐことだということもあるらしい。
それぞれ、理屈は通っている。

これから大名跡を継ぐ落語家は、是非とも「名人に二代なし」などと言われないよう精進して欲しいものだ。

(続)国税庁に騙されるな!e-Taxはもうやめた

前回の記事で、e-Taxはカンタンでも便利でもないことを指摘したが、その後の経過を含めて国税庁HPのデタラメぶりを明らかにしたい。
なにより問題なのは、せっかく制度を作っても「利用者目線」に立っていないことだ。
電子証明書の取得にてこずり、税務署に「どうしても出来ないときはどうなるのか?」と訊いたら、職員は一言「通常の申告書に書いて持ってきて貰うしかないですね」と答えた。
こうした姿勢が変わらない以上、どんな制度を作っても失敗に終わるだろう。

先ず、国税庁HPには「添付資料の提出は必要ない」と書かれているが、これが違う。
医療費控除を申告する際には、医療費の領収書は提出せねばならない。
郵送は税務署へ持参かのいずれかの方法となっているが、税務署のわざわざ行かなくて済むというからe-Taxを選んだのだ。
仕方がないので郵便局から発送したら390円も取られてしまった。
それなら今まで透り、最初から申告書と添付書類を揃えて税務署に行けばよかったのだ。

次に、やはりHPでは「還付金が早く戻ってくる」と書かれているが、今までも申告からおよそ2週間で還付が行われていた。
今回はすでに2週間以上過ぎているが、未だに振込みがされていない。
想像するに、電子申告と添付資料が税務署に別々に送られるため照合に時間がかかり、かえって手続きが遅くなっているのではなかろうか。
こちらも「看板に偽りあり」なのだ。

結論からいえば、e-Taxは従来の申告方法に比べ数倍の労力と時間と費用がかかるだけで、利便性は全くなかった。
もう懲りた、来年からe-Taxはやらない。
せっかく電子証明書を取得したりICjカードリーダーを購入したりして、ムダにするのは勿体ない気もするが、こんな煩雑なことは二度とゴメンだ。

2010/03/03

【街角で出会った美女】中国・雲南省編(1)

中国には55の少数民族が住んでいますが、南部の雲南省に30近い民族の人が暮らしているそうで、少数民族の最も多い地方です。
観光地に行くと、様々な民族衣装や髪飾りをつけた小数民族の人たちがいて、私たちの目を楽しませてくれます。
現地できいたところでは、少数民族の人は経済的に貧しい層が多く、学校の入試でも多少ハンディをつけて入学し易いように配慮しているとか。例えば、入試の合格点を低く設定するというように。
そうすると漢民族の人から逆差別ではと不満の声があるそうです。
「統制と保護」というのが中国政府の方針ですが、チベットやウイグル族問題にみられるように、大きな火種を抱えていることはご存知の透り。

写真は、雲南の州都・昆明の近くにある九郷という町の民芸品店で撮ったもので、髪飾りからすると恐らくリス族かナシ族の女性だと思われます。
こちらは民族に伝わる象形文字を受け継いでいる書家だそうで、なかなかの知的美人です。
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こちらは琵琶を大きくしたような民族楽器を弾いていた女性です。
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こうした美女を配置しておけば、観光客の財布のヒモもついつい緩んでしまうというもので、これが彼らの狙いでもあります。

2010/03/02

【普天間移設】鳩山政権の「騙し」の手口

米軍普天間基地移設にかんして、政府は名護市辺野古などにまたがる米軍キャンプ・シュワブ陸上部に移す案を最有力候補としているようだ。
2月25日に北沢防衛相が明らかにしたものだ。
アメリカ側が反対する可能性が高いところから、政府は、
・陸上部に500-1500m級の滑走路を建設する
・米軍射撃場を新たに作る
という「思いやり」を提案するとのことだ。

結論からいえば、民主党政権は始めから辺野古以外への移転は考えていなかったのだ。
民主党は「アメリカが日本を守ってくれている」という立場であり、この点では自民党と変わりはない。
ではなぜ、国外だの県外だのと言い出したのかといえば、
(1)総選挙前に鳩山首相が県外や国外移転を公約したため、引っ込みがつかなくなった。つまりメンツ。
(2)前政権の政策を、一度は白紙にして検討したというアリバイ作り。
(3)連立に加わっている社民党のガス抜き。

しかし、こうした鳩山政権の「見直し」論が、沖縄県民の心に火をつけてしまった。
辺野古沿岸部への移転を容認する立場だった県知事までは県外移転を主張しだし、名護市の市長選では移転受け入れ反対派が勝利してしまった。
慌てたのは民主党政権の方だ。
このままだと「瓢箪から駒」になりかねない。
そこで急いで「火消し」にかかった。

いまさら辺野古沿岸部でいいですとも言えない。
そこで・・・、
先ず、国民新党からシュワブ陸上案を出させ、政府も同調する。
当然のことながら地元は反対する。
米軍も同意しない。
かといって、普天間基地移設そのものをご破算にするわけにもいかない。
そうこうしているうちに、期限の5月末が迫ってくる。
仕方がないので止むを得ずという形で、当初の合意(若干の手直しはあるかも知れないが)であるシュワブ沿岸部への移転で決着させる。
大体こんな筋書きが出来ているんだろう。
岡田外相、北沢防衛相、平野官房長官らが政府の方針と異なった発言を繰り返しているように見えるのも、方針転換へのExcuseと思えば分かり易い。

民主党政権の、この半年間の手口をみていると、
全て「〇〇をやるフリをして、実際にはXXをやる」というが共通点だ。
何度もゆうようだが、民主党と自民党では基本政策に違いはない。
鳩山家の兄弟同様で、「兄たり難く弟たり難し」なのだ。
もし、そうではないと言うなら、その証拠を見せて欲しいものだ。

2010/03/01

「上海バンスキング」@シアターコクーン

Yoshida_hideko2月28日、シアターコクーンで上演されている「上海バンスキンング」に出向く。
初演から実に31年、最終公演から16年ぶりだ。
しかも元・オンシアター自由劇場のオリジナルメンバーが再結集しての、演劇界として記念碑的公演である。
会場は当時を知る年配の方から若い世代まで、幅広い層の人々が集まっていた。

作  :斎藤憐
演出:串田和美
<キ ャ ス ト>
吉田日出子/正岡まどか
串田和美/波多野四郎(クラリネット)
笹野高史/松本亘(バクマツ・トランペット)
さつき里香/リリー
小日向文世/弘田真造(アルトサックス)
大森博史/白井中尉(テナーサックス)
真那胡敬二/ガチャンコ・ラリー(トロンボーン)
服部吉次/方(アルトサックス)
酒向芳/王・他(トロンボーン)
内田紳一郎/シングリー田口(コルネット・ギター)
片岡正二郎/レイモンド・コバチ(バンジョー・ヴァイオリン)

ストーリーは、昭和11年の上海。魔都ともよばれていた国際都市。
そこには日本からジャズに憧れる青年やその恋人、左翼とそれを追いかける刑事などが集まっていた。
彼らはアメリカ人の経営するダンスホールで演奏して金を稼ぐが、「飲む・打つ・買う」の生活の中で、常に多額の借金(バンス)をしていた。
店の従業員として、居宅の使用人として沢山の中国人も働いていて、なかにはそうした現地の女性を妻にする日本人もいた。
華やかで猥雑な街・上海、しかしそこにも戦争の足音が近付いてくる。
昭和12年には日中戦争が始まり、それまで仲の良かった日本人と中国人の間もギクシャクしてくるようになる。
そして昭和16年には日米開戦、アメリカ人たちも上海を追われ、戦火の迫った上海ではジャズそのものが演奏できなくなる。
日本本土ではもちろんジャズは敵国音楽ということで禁止。
ジャズメンたちも、ある人は応召して戦場へ、そして死。
ある人は阿片におぼれ廃人同様に。
そんな時代を背景に、上海に生きたジャズメンらの群像を描いた音楽劇が「上海バンスキング」だ。

この芝居の最大の特長は、出演者が揃って楽器を演奏することだ。
それもプロ並みの腕前である。
しばしばトランペットのソロを聴かせる笹野高史など、とても良い音を出していた。この人にこんな腕があるとは思わなかった。
彼らが奏でるジャズで、重いテーマの芝居が軽やかに展開していく。
そして、なんと言っても主役の吉田日出子の演技だ。あのお年で、なんという愛らしさ、声の美しさだろうか。
彼女が歌う懐かしい戦前のジャズに聞きほれ、彼女が吐くセリフによって、舞台全体が不思議な世界を漂わせる。
吉田日出子がいなければこの芝居は成り立たなかったろう。
その他の出演者も個々の演技、全体のアンサンブル共に言う事なし。

暗い時代を暗示して幕を閉じるが、その後のフィナーレで戦後に花開くジャズの時代を予感させている。
落語の川柳川柳「ガーコン」の世界になるわけだ。

フィナーレからアンコール、そのまま出演者は会場のロビーに向い、ここで短い演奏会が行われる。
「上海バンスキング」は、紛れもなく日本の演劇界が生んだ傑作の一つだと思う。
上演は3月14日まで。

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