追悼「柳家紫朝」
音曲師の柳家紫朝が4月26日亡くなった。享年80歳。
寄席の色物のなかに音曲(俗曲、粋曲、三味線漫談、女道楽など呼び名は多い)というジャンルがあり、その分野の第一人者だった。
新内の四代目鶴賀喜代太夫でもある。
もう10年ほど前になるだろうか、当代の馬生独演会にゲスト出演していたのを見たのが最後だったと思う。
台に腰をおろしたままの高座だったが、その中で「新内流し~新内「蘭蝶」さわり」を披露してくれた。
場内は水を打ったように静まり返り、終わると盛大な拍手が鳴り響いた。
紫朝は「『蘭蝶』にこれほど拍手をしてくれる。今夜は良いお客さんです。」と応えたが、心なしか目が潤んで見えた。
若い頃は桂二三夫を名乗っていたが、とにかくウットリするほどの美声の持ち主だった。
都々逸、大津絵、さのさ、小唄端唄、何を演らせても一流だった。
三亀松亡き後は柳家紫朝というのが定評だったのだが、残念なことに50代初めのいちばん芸に脂が乗り切っていた時期に、くも膜下出血で倒れるという不幸に見舞われてしまった。
その後高座に復帰するが、身体を労わりながらの高座になった。
音楽評論化の松山晋也が、紫朝の芸の魅力について次のように書いている。
「艶と軽味、コクとキレ、渋い低音から色っぽい高音まで驚異的なレンジを自在に往き来する唄も、しなやかで安定した三味線も、ただひとつも無駄な音がなく、スーッと頬をなでる涼やかな川風のように通り過ぎ、ためらいもなく中空に消えてゆく、そのイナセな後姿がなんともいえずカッコいい。」
またボサノヴァの歌手でギタリストの中村善郎は、次のように語っている。
「自分がボサノヴァをやるようになって、紫朝さんの唄こそが、僕の目指しているものに近いと感じるようになりましてね。目指すものはここにあると。」
そう、柳家紫朝は私たちの目の前を川風のように透り過ぎて、中空に消えてしまったのだ。
ご冥福をお祈りする。
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