井上ひさし作「夢の泪」(5/18)@新国立小劇場
井上ひさし作の東京裁判三部作・第二部「夢の泪」が、新国立劇場・小劇場で上演されているが、5月18日の会に出向く。
いま井上ひさしの芝居はどこも人気が高く、ここでも5月6月の土日は全く歯が立たず、平日の昼となった次第。
作:井上ひさし
演出:栗山民也
<キ ャ ス ト>
辻萬長/弁護士:伊藤菊治
三田和代/妻で弁護士:伊藤秋子
大和田美帆/娘:伊藤永子
木場勝己/老弁護士:竹上玲吉
小林隆/事務見習い:田中正
福本伸一/朝鮮人組長の息子:片岡健
石田圭祐/日系二世:ビル小笠原
土居裕子/クラブ歌手:ナンシー岡本
春風ひとみ/クラブ歌手:チェリー富士山
ストーリーは、東京裁判で起訴された松岡洋右(日独伊三国同盟の立役者、外相)の弁護を引き受けた弁護士夫婦とその娘の家族が軸になる。
娘の幼馴染である朝鮮人ヤクザの組長の息子だとか、復員兵で弁護士事務所の手伝いを志望する青年とか、持ち歌の著作権をめぐって争うクラブ歌手二人だとか、戦争直後の日本の世相を背景に物語は展開する。
二人は老弁護士のアドバイスを受けながら、松岡の弁護方針や資料集めに奔走する一方、GHQの法務大尉に弁護料の捻出を掛け合うなど、日々苦闘の連続だ。
ようやく弁護方針が固まり、さあこれからという時に、肝心の被告・松岡洋右が死亡してしまい・・・。
今回の芝居を理解する上で重要なのは、「パリ不戦条約」だ。
第一次世界大戦の惨禍を経て、先進諸国は植民地獲得のための戦争はもう止めようということで、1928年に日本を含む世界主要15ヶ国によって「戦争放棄に関する条約」が結ばれた。
これ以後欧米諸国は新たな植民地を獲得するより、資本投下による経済支配に重点を置くようになる。
東京裁判というと直ぐに、平和や人権への罪などは事後法で適用は違法だという主張がされるが、東京裁判では日本が「パリ条約」に違反したかどうかが焦点の一つとなっていた。
二人の弁護方針も、この点をどう突き崩すかに最も頭を悩ませていたというわけだ。
芝居の中で、いくつかの戦後の世相がとりあげられている。
例えば・・・、
・戦争終結前の8月7日に、日本政府は各行政機関に対し文書の焼却を指示していた。
・焼却を免れていた文書の多くは、戦後アメリカが持ち帰ってしまった。
・以上のことから、戦犯の弁護に必要な証拠の多くが失われてしまった。
・戦犯を弁護するということで、当時の弁護人らは日本国民から白い眼で見られることもあった。
・弁護料を日本政府が出すことを拒否したため、GHQ法務部から支出された。しかし清瀬一郎主任弁護士らの一部はこれを快しとせず、受け取りを拒否した。
・東京裁判の評決は8:3で有罪となった。なぜか日本ではインドのパル判事だけが無罪を主張したかのように持ち上げられているが、実際はインド以外にフランスとオランダの判事が無罪を主張した。
・アメリカ人弁護士も弁護に加わっていたが、概ね公平な弁護活動をしたとの評価が行われているようだ。
・焼け跡の闇市をめぐって、日本人と朝鮮人のヤクザがしばしば抗争を繰り返していた。これだけは私もリアルタイムで記憶がある。当時闇市を仕切っていたのは東京露天商同業組合であり、各支部長はみなヤクザの組長がつとめていたが、これがいうなれが警視庁公認。組合は警察署単位で組織されていた。
・東京宝塚劇場は進駐軍が接収して「アーニー・パイル劇場」と名前をかえて、日本人はオフリミット。ジャズ歌手達はそうした劇場や、ホテルのショー、クラブ、米軍キャンプをまわって歌っていた。
日米開戦後に、アメリカにいた日本人は強制的に収容所に入れられて、厳しい生活を送らされていた。日系の若者の中からは志願して兵士となって日本人と戦う人も出てくるようになり、収容生活は少し緩和されるようになった。
この芝居ではこれらの世相を巧みにおりこみながら、深刻なテーマを軽快なナマ演奏にのせて、楽しい音楽劇に仕立てている。
その一方、この「夢の泪」でも、東京裁判というのは結局「不都合なものはすべて被告人に押し付け、御上と国民が一緒になって安全なところに逃避した」という、井上ひさしの主張は色濃く示されていた。
この劇の真の主人公は娘の永子で、劇全体が彼女の成長記録にもなっている。
娘役を演じた大和田美帆は着実に演技力をつけてきて、今やこの手の芝居の娘役に欠かせない地位を築いたようだ。
若者役では小林隆の真っ直ぐな演技に好感が持てたが、福本伸一には演技の迷いがあるように見受けられた。
三田和代の弁護士ぶりはどうに入っている。井上劇作の芝居には欠かせない辻萬長や木場勝己らとともに、芝居の骨格を形成していた。
他に土居裕子と春風すみれが、歌と踊りで色を添える。
そして4人のミュージシャンの楽しいバンド演奏が、芝居のもう一つの主人公だった。
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