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2010/06/29

馬生一門落語会~先代十八番尽くし~

6月28日日本橋社会教育会館で開かれた「馬生一門落語会~先代十八番尽くし~」へ。
「十代目金原亭馬生-噺と酒と江戸の粋」という本の出版記念の会とあって、直弟子や孫弟子が集まって先代の十八番に挑むという趣向。
かつて寄席の殿堂というべき「人形町末広」のあった街でこうした会を開くというのも意義深い。
昭和57年に亡くなった先代のライブを観た人は少なくなったが、CDなどを通して新たなファンを獲得しているのはご存知の通り。

<  番 組  >
金原亭馬吉「鮑熨斗」
隅田川馬石「厩火事」
五街道雲助「千両蜜柑」
~仲入り~
「鼎談」雲助、馬生、朝馬に、先代の娘・池上志乃と中尾彬夫妻が加わり、先代の思い出を語る。
桃月庵白酒「親子酒」
吉原朝馬「佐野山」
金原亭馬生「笠碁」

生前はたいそう流行っていたのが亡くなると同時に忘れ去られる芸人もいれば、十代目馬生のようにむしろ死後になってますます評価が上がる人もいる。
先代については色々書きたいこともあるが、後日【思い出の落語家】シリーズでとりあげることにして、さて。

これは鼎談の中でもエクスキューズのように紹介があったが、先代の直弟子で他にも現役で活躍している人も多い。
せっかくの会だから、そうした所縁のある人に出来るだけ出演してもらった方が良かったと思う。それが出来ない事情もあったのかも知れないが。
顔ぶれからすると、当代の馬生と雲助の一門会の様相になっていた。
それと出し物が「先代十八番尽くし」というタイトルからすると、「笠碁」を別にしてそれ以外は必ずしも十八番とは言いがたいのでは。

当日の番組では、
馬石「厩火事」。馬石は端正な芸風で、このネタも名人・文楽の語りをほぼそのままなぞっていたが、なかなか面白かった。
ケレン味がなくて良い。
雲助「千両蜜柑」。マクラで先代の物真似をしたが、これが上手い。特に目が似ていた。
ネタに入って、真夏に蜜柑を求めて駆け回る番頭の姿がクッキリと描かれていて、好演。
これが出来て初めて、オチが生きる。
白酒「親子酒」がこの日の圧巻。チョコチョコと入るクスグリがいずれも爆笑モノで、このネタでこれだけ笑えるものだと感心した。
絶好調といったところ。
朝馬「佐野山」、初見だったが平凡。噺家というより、役者という雰囲気だ。
馬生「笠碁」、当代の馬生は語り口に独特のリズムとクセがある。
これを良しとする場合は心地よいのだろうが、そうでない人にとってはやや耳障りになるだろう。
根強い固定ファンがいる反面、一般の落語ファンの間で評価が高くないのは、その辺りに理由があるのでは。

池上志乃の語る父親・馬生のエピソードには興味がひかれた。
幼いころ動物園に連れていってくれるのはよいのだが、檻の前に行くと全然動かないのでとてもツマラナカッタそうだ。
動物の細かな動きをジッと観察していたとのこと。
そういう一つ一つのことが芸に生かされていたのだろう。
本牧亭の独演会では、客に配るチラシ1枚1枚に手書きで絵を描いていたという。
いかにも先代馬生らしいエピソードだと思った。

それにしても池上志乃、亡くなった父親の年令に近くなっているにも拘らず、若くて美しい。
今は実質的に女優を引退しているが、まだまだイケテル、モッタイナイ。

2010/06/28

【街角で出会った美女】クロアチア編(3)

ここのところTVはサッカーW杯一色で、私も時折り見ていますが、どうもサッカーファンというか解説者というか、よく理解できないことが多いですね。
ついこの間までの「岡田ヤメロ」の大合唱って、一体なんだったんですかね。
テストマッチの時は連日の岡田バッシングで、ついには岡田監督自身が進退伺いを出したとか出さなかったとか、そんな状況にまで追い込まれていたのが、今はウソのようです。
それでいて、テストマッチから予選リーグにいたる監督の指導がどう変化していったのか、納得のいく説明がない。
専ら「選手の気持ち」を強調してますが、じゃあ、その気持ちを変えさせた要因はというと、これが曖昧模糊。
決勝トーナメントの結果で、また評価がどうなるやら。

クロアチア最高の景勝の地・プリトヴィッツェ国立公園の近郊に、KORENICAという小さな村があります。
木立の間に家がポツンポツンとあるような、村全体が林の中にあるような静かな土地です。
家族や子供たち同士が散歩したり遊んだりする姿があちこちで見られます。
ベビーカーを引いた母親たちも多く、下の写真はそのうちの一人です。
本当は子どもと一緒に撮ろうとしたのですが、恥ずかしがって離れてしまいました。
ちょっと照れた笑顔が、とても素敵なママです。

Korenicajpg
   (クリックで拡大)

2010/06/27

#8三田落語会・昼席

東京三田の仏教伝道センタービルで隔月に開かれる三田落語会、6月26日で第8回を迎えた。
次回の落語会を会場で先行発売する仕組みなので、整理券を求めて開場前から人が集まっている。
毎回、実力者を二人招き、それぞれ2席ずつタップリと聴けるというのは、昨今ではかなり贅沢な部類になりつつある。
「本格・本寸法の落語を楽しく演じ、楽しく聴く」という主催者の意図が浸透してか、着実に固定ファンが増えているようだ。

前座・柳家おじさん「平林」
入船亭扇遊「お見立て」
マクラで「睦会」のことが紹介されていたが、そう言われれば「扇遊・鯉昇」の二人は長い付き合いになるわけだ。
ちかごろ鯉昇が可愛いといって若い女性にもてると言っていたが、分かる気がする。師匠の春風亭柳昇もやはり若い女性に人気があったっけ。DNAかな。
「お見立て」だが、扇遊は上手いんだなとシミジミ感じてしまう。
このネタの一番肝心なところは若い衆の喜助の描写だが、花魁と客の間に入ってうろたえる悲哀を扇遊はクッキリと描いていた。
目を指でつついてムリヤリ涙を流す演出はオリジナルか。

瀧川鯉昇「へっつい幽霊」
メニエル氏病の持病があってスポーツが苦手という話題から入って、骨を強くする薬の話、湘南のトンネルに出たという幽霊の話というやや長めのマクラをふって本題へ。
演者によって多少筋が異なるが、鯉昇のはほぼ三代目三木助の演出に沿うものだった。近年ではこの三木助と家元・談志の名演がある。
幽霊を丁半賭博のあげく大金をまきあげるというこのネタは、熊五郎の人物像が肝要。
前にあげた二人の、粋でイナセな人物像に比べ、鯉昇はややベタッとした印象を受けた。そのためか、噺全体にメリハリが欠けていたように思う。
もしかして、鯉昇は颯爽とした人物は苦手なのかもしれないと思った。

~仲入り~
瀧川鯉昇「蛇含草」
マクラで映画「必死剣 鳥刺し」の勘定方で映画初出演すると紹介あり。殿様の妾に虐められる役だそうで、凄まじいイジメを受けてまるで自宅にいるようだったと笑わせる。
個人的なことだが、この「蛇含草」はどうも苦手なのだ。理由はオチで、ついついあの光景を頭に描いて、ゾッとしてしまう。下手な怪談よりよほど恐い。
それは別にして、夏場の暑い時期に焼いた餅を食う、その食いっぷりの面白さには十分堪能した。
餅を食うと鯉昇の長い顔がよけいに長く感じる。

入船亭扇遊「佃祭」
主人公である神田お玉が池で小間物屋を営む次郎兵衛、祭好きの風流人で、身投げを助ける侠気があって、女性好き(多分、だから女房・たまがヤキモチになったんだろう)。
この人物像を扇遊は見事に描いていた。
次郎兵衛と助けられた女と、その亭主・金太郎の間のヤリトリは一編の人情ドラマを見ているようだった。
時間の関係か演出なのか、肝心の「くやみ」の場面が短く省略されていたが、この噺の魅力は十分伝わった。

4席そろって季節感のある出し物で、蒸し暑さを吹き飛ばしてくれた。
お陰で爽快な気分で家路につくことができた。

2010/06/24

NODA・MAP「ザ・キャラクター」(6/23)

NODA・MAP第15回公演「ザ・キャラクター」が、東京芸術劇場中ホールで行われていて、その6月23日昼の部を観劇。
何かと評判の野田秀樹作品を一度みておきたかったのと、主演の宮沢りえの舞台女優ぶりに興味がそそられたからだ。

作・演出:野田秀樹
<主なキャスト>
宮沢りえ;マドロミ
古田新太;書道の家元
野田秀樹:その妻/ヘーラー
藤井隆:会計/ヘルメス
美波;ダフネー
池内博之;アルコス
チョウソンハ;アポローン
田中哲司;新人
高橋恵子;オバちゃん(代演)
橋爪功;古神/クロノス

芝居のモチーフはオウム真理教事件で、舞台では書道塾に置き換えられている。
これとギリシャ神話が重層的に展開しながら、芝居が進行する。
先ず、オウム真理教問題を扱ったものであることを事前に知っていたら、見に行かなかった。
この事件に衝撃を受けた人は多く、事件の意味あるいは意義をめぐって沢山の作品が書かれているようだが、どうもワタシにはピンとこない。
事件への怒りや不快感こそあるが、何かの意味や意義があるとは到底思えないのだ。

第一に宗教教団、特にその揺籃期は攻撃的であり、ときに暴力的になるのはごく一般的なことだ。
第二にあらゆる組織は、少数で孤立すればするほど先鋭化する。
第三にオウム真理教事件に限っていえば、事件がエスカレートしていった背景には警察捜査の失態が重なったことがある。
坂本弁護士一家の失踪事件から始まって、とりわけ松本サリン事件に対するまで、捜査当局は大きなミスを重ねてきた。
適正な捜査が行われていたなら、少なくとも地下鉄サリン事件は確実に防げた。
そういう意味でこのオウム事件は、捜査ミスが事件を次第に助長させていった側面が大きいとワタシは見てる。
だから結果として大事件にはなったが、日本の社会構造がどうの日本人の精神世界がどうのとか、そんな立派な問題をウンヌンするような事件ではないのだ。
そんなことから、最後までこの芝居に感情移入できなかった。
それを別にしても、作者の言いたいことがどこまで観客に伝えられたのか、疑問に残る舞台だったと思われる。
セリフで多用されていた言葉遊びや地口の応酬も、例えば井上ひさし作品と比べると鋭さが感じられない。
そんな事から、2時間10分の上演時間が冗長に感じられた。

主役の宮沢りえ、熱演だし声もよく透るのだが、セリフと表情がやや一本調子に感じられた。
それ以前に、この芝居のこの役に宮沢りえを起用する必要性があったのだろうか。それは集客力という興行面からの要請だったのか。
彼女の魅力が発揮できたとは思えない。
家元役の古田新太に圧倒的存在感があった。
コミカルな演技ながら教祖の雰囲気を醸し出していたのは、さすがだ。
橋爪功の飄々とした演技と共に、舞台をシメテいた。

公演は8月8日まで。

2010/06/23

言論買収

先日ある向きから、「〇〇に関する公演」について好意的な記事を書いてもらえないかとの打診があった。若干の報酬を支払うという。
もちろん、即座に断った。
こちらのようなチョー零細ブログにもこんな誘いがあるくらいだから、人気HPやブログの運営者にはさぞかし色々な働きかけや、時には圧力もあるのだろうと推察する。

これがTVや新聞などのマスコミとなれば、その比ではないだろう。
最近になって官房機密費(外務機密費の一部も)がマスコミ記者や評論家に配られていたことが報道されているが、以前から公然の秘密だった。
実名をあげられた評論家の顔ぶれをみると、ヤッパリそうだったかという人物が多い。
自民党政権時代の官房長官経験者の著作を読むと、機密費の多くは野党対策、とりわけ国対議員への出費が多かったそうで、対決法案の成立のウラで多額の現金が動いたとある。
やはり平等というわけにはいかず、旧社会党が最も大きな恩恵を受けていて、貰ってない政党は共産党だけとも書かれていた。

相手が記者の場合、例えば首脳の外遊先で随行してきた記者たちに小遣い渡す、食事をおごる、ホテル代を負担するなどさまざまな供応を行い、外遊の成果を配信してもらうのだそうだ。
国際会議で日本がこんなに大きな役割を果たしたなどという記事が、一面にデカデカと載ることになるわけだ。
きっと「供応の三原則」(と勝手に名付けたが)である「飲ませる、抱かせる、握らせる」をフル稼働したことだろう。
全ての記者が買収されていたとは思いたくないが、もっぱら当時の政府や自民党のチョウチン持ち記事を書いていた記者たちが、よりイイ思いをしたであろうことは想像に難くない。

明日から参院選が本格スタートするが、こうした記者や評論家たちが書いた歪んだ記事を補正しながら読み解く目が必要かも知れない。

2010/06/20

#373花形演芸会(6/19)

6月19日、国立演芸場の第373回花形演芸会に出向く。
翌週に花形演芸会の受賞者の公演があるせいか、この夜にW杯日本-オランダ戦があるせいか、それとも顔づけがイマイチ(そんなことはないのだが)と見られたのか、空席が目立つ。

前座・春風亭一力「寿限無」
前座になってまだ7ヶ月にしては、話がしっかりと。
・林家彦丸「湯屋番」
この人動く時の身体の線がキレイだ。
そのため、番台での若旦那の一人語りに色気があった。
・宮田陽・昇「漫才」
久々に観たが面白かった。
ギャグも練られていたし、間も良くなってきた。
ただ途中で数回だが、一瞬抜けるような間ができるのは改善の要あり。
・桂まん我「野崎詣り」
いかにも上方らしいネタで、時期もピッタリ。
お参りに向かう人々の情景が目に浮かぶようだった。
舟の上と土手の上の人同士が口げんかし合うというバカバカしさ、好きだなぁ。
・三笑亭夢花「お見立て」
杢兵衛と喜瀬川花魁の役作りは良かったが、若い衆の喜肋がどうもいけない。
間に入ってオロオロする喜助の悲哀と滑稽さが足りないので、やや冗漫な印象を受ける。

―仲入り―
・林家正雀「後家殺し」
花形では必ず一人、先輩の芸人が出ることになっているが、この位置が結構むつかしいようだ。
手を抜いては若手の手本にならないし、そうかといって熱演してしまうと若手を食うことになりかねない。
そのサジ加減に神経を使うのだと思う。
さて正雀の「後家殺し」だが、独演会に出すような大ネタをもってきた。
六代目円生が上方から移したネタで、義太夫の素養がないと出来ないため、円生亡き後に受け継ぐ人がいなかった。
そこを正雀が敢えて挑戦したということになる。

ストーリーは。
職人の常吉、好きな義太夫が縁で、町内の伊勢屋の後家といい仲になってしまう。
女房には公認だし、小遣いまで貰えてすっかり有頂天。
ところが、その話を聞いた友達がやっかみ半分に、あの後家はもう既に他の若い男と出来ていると吹き込んだ。
疑心暗鬼にかられた常吉、出刃包丁を持って伊勢屋に押し込み、後家を刺し殺してしまう。
やがてお白州へ引き出され、打ち首と宣告される。
奉行が、いまわの際に一つだけ願いをかなえてやると言うと、常吉義太夫で「後に残りし女房子が、打ち首と聞くならば・・・・」と語りだすと、奉行思わず「よっ、後家殺し」。

筋としては大して面白くないので、義太夫の語りだけで聞かせる噺だ。
悪くはなかったが、この位置でのネタの選定には疑問を感じる。
・翁家和助「曲芸」
曲芸の若手芸人は次々と新しい技を開発して、毎回観客を楽しませてくれる。
その努力に感心する。
和助は見せ方も上手い。
・桃月庵白酒「宿屋の富」
白酒が登場してくるだけで、パッと場内が明るくなる。
枕でサッカーについて「いつ点が入るのか分からないにの90分ジッと観ている人の気が知れない」と言った後で、「ここで3時間ジッと観ているお客さんもどうなのかと・・・」と笑わせていた。
本題に入ってからも、こういう話の引き方が実に上手い。
2番富が当たると信じている若者の妄想の広がり方が聴かせどころで、この部分の描写では現役屈指といっても過言ではないだろう。
最後は時間の関係からやや端折ってしまったが、朝日名人会の時のようなチョンボもなく、全体としては良い出来だったと思う。

2010/06/18

【寄席は学校3】 「飲む・打つ・買う」は男の業

「三道楽煩悩」と書いて「さんどらぼんのう」って読むんだから、日本語はむつかしいネ。
俗にいう「飲む打つ買うの三道楽」のこってす。
これがキライという男はいないとされているが、さてどうだろう。

先ず「飲む」、ったってぇ青酸カリじゃない、もちろん酒だ。
体質的にアルコールを受け付けない人を除けば、だいたい好きだ。
アタシなんざぁ、酒を断つかあの世に行くかときかれたら、あの世をとりますね。
次に「打つ」、は博打(賭博、ギャンブル)だ。
現役時代の同僚にもギャンブルにはまって家屋敷を失ったり、多重債務で追い詰められたりしたのがいたけど、あそこまで行っちゃうんだよな、真面目な人間が。
いま相撲協会がゆれている野球賭博もそうだけど。
ああいう職業の人って、やはり賭博の好きな人が多いんじゃないだろうか。
それに相撲取りっていやぁ昔から「男芸者」って呼ばれていた。
やれ国技だスポーツ選手だと思えばケシカランとなるけど、男芸者と思えばマアしゃーないかと許せる気がしてくる。
そして「買う」、は女性を買う。
買春というと範囲が狭くなるが、「利益供与の代償として女性と性的関係を持つ」ってことになれば、身に憶えのある男はグッと増えるだろう。
アタシの見立てによれば、チャンスがあってパートナーに絶対ばれないなら、10人中9人の男は買春しますね。
それでも10人の中で1人は断る、それがこのアタシだ。

これら三道楽、どれをとっても世の中のためにならないし、本人のカラダや暮らしにも良いことはない。
とりわけ賭博や売買春は道徳上の問題もあり、御上は一応法律で禁止しているが、これが及び腰。
相手が成人であれば買春はお咎めなし。つまり「売る」方が悪いという理屈ですね。それも実際には組織的売春に限っていて、個人対個人のケースでは罪に問われない。
賭博でも、いわゆる公営ギャンブルは合法だ。
胴元が御上なら、どんどんやってくれという訳だ。
そのせいか、下々がやっている賭博でも殆んどが野放し。
たまに今回の野球賭博事件のように、思い出したように取り締まるだけだ。

法律を作った御上は男だろうから、やっぱり「三道楽煩悩」には甘くなっちまうんだろうね。
男の業(ごう)の肯定。
♪分かっちゃいるけど やめられない
それスイスイスーダララッタ 
スラスラスイスイスイ・・・と♪

2010/06/17

【野球賭博】ギャンブルの「官民格差」

相撲協会が「野球賭博」問題で連日ゆれていて、琴光喜以外にも豊ノ島や、ついには大嶽親方にまでその疑惑が及んでいる。
ただ、その報道の中で気になっていることがある。それは、野球賭博が暴力団の資金源になっていて違法だという指摘だ。
どこの資金源になっていようと、賭博は違法なのだ。
そもそも日本の法律では、賭博それ自体が禁止されている。
賭博(とばく、ギャンブル、博打)とは、一般に「偶然性の要素が含まれる勝負に財物(金銭、品物など)を賭け、その勝負の結果によって賭けた財物のやりとりをおこなう行為」をいう。
賭博の禁止については、刑法185条以下に定められている。

(賭博)
第185条 賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。
(常習賭博及び賭博場開張等図利)
第186条 常習として賭博をした者は、3年以下の懲役に処する。
2 賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、3月以上5年以下の懲役に処する。
(富くじ発売等)
第187条 富くじを発売した者は、2年以下の懲役又は150万円以下の罰金に処する。
2 富くじ発売の取次ぎをした者は、1年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する。
3 前2項に規定するもののほか、富くじを授受した者は、20万円以下の罰金又は科料に処する。

このように日本の法律では、「籤(くじ)」を含む一切の賭博を禁止しており、賭博場を開くことや、「富くじ」に関しては取次ぎや授受さえも罪に問われることになっている。
違反すれば、いずれも最高刑は懲役だ。
全てがこの法律通りに運用されているなら、問題はない。
ところが競馬、競輪、競艇、オートレース、各種の宝くじ、サッカーくじ(toto)などは、明らかに賭博であるにもかかわらず合法とされ、堂々と開帳されている。
なぜサッカーなら合法で野球なら違法なのか、それはサッカーは「官」が行っているのに対し、野球は「民間」が行っているからだ。
全く同じ行為をしても、官がやれば合法、民がやれば違法、これが今の日本の現状だ。
これでは賭博が違法だという認識が薄れ、安易に手を出す風潮が改まらないのではなかろうか。

官が行う賭博が許されているのは、それなりに大義名分があるからだという言い訳も出来るかもしれない。
では代表的な競馬だが、戦前に当時の陸軍が軍馬の育成を名目として始めたものだ。
今では軍馬が使われることはなく、競馬を継続する理由はなくなった。
財政に寄与しているかといえば、地方公共団体が主催している競技の多くが赤字で、むしろお荷物になっている。
宝くじは、収益金が天下り官僚の高額給与に消えているなど、ムダ使いが横行していることが明確になったばかりだ。
一体、これら官で行っている賭博(ギャンブル)のどこに、公共性や公益性があるというのだろうか。
今回の事件の背景には、官が行っている公営ギャンブルを野放しにしてきた行政や司法にも責任があるのではなかろうか。

現行の法律に従って全ての賭博を禁止するか、あるいは一定の基準(規模、参加人数、金額、特区など)を設けて合法と違法の線引きをするか、とにかく官民同じ基準で法律を適用していく必要があるだろう。

2010/06/15

井上ひさし作「夢の痂」@新国立小劇場

今年の4月から新国立小劇場で上演されてきた「東京裁判三部作」シリーズ、今月はその第三部「夢の痂(かさぶた)」。6月14日の回を観劇。
作品が上演中に作者である井上ひさし氏が亡くなるという不幸があり、追悼公演の形になったこのシリーズ、スタッフや出演者の特別の思いがあったようだ。

作:井上ひさし 
演出:栗山民也
芸術監督:鵜山仁

<  キ ャ ス ト  >
角野卓造/元大本営参謀・三宅徳次
藤谷美紀/娘・友子
辻萬長/佐藤織物の当主・佐藤作兵衛
三田和代/長女・絹子
熊谷真実/次女・繭子
神野三鈴/その仲間・河野高子
福本伸一/工場主任・五十嵐武夫
石田圭祐/地元の警察署長・菊地次郎
小林隆/地方新聞の主筆・尾形明

ストーリーは。
昭和22年の東北地方のある町。
大地主にして老舗の織物企業の当主である作兵衛一家にも、インフレやら農地改革、労組結成といった戦後の波が押し寄せてくる。
二人の娘のうち長女は国文学の教師、次女は画家を志して上京するが才能は開かず三流画家の愛人になり貢がされ、今ではヌードモデルをしている始末。
当主は趣味の屏風の蒐集だけが生き甲斐で、今は美術館を完成すべく、自殺を試みるも死にきれず生き残った元大本営参謀・三宅徳次にその作業を手伝って貰っている。
そこへ徳次の娘が大連から引き揚げてくるやら、次女の仲間であるヌードモデルやら、長女のお見合い相手の地方紙主筆やらが集まってきて大混乱。
ある日地元の警察署長が、天皇がこの佐藤家に宿泊されるかも知れないという知らせを伝えにくる。
昭和21年2月から始まった昭和天皇の巡幸だが、22年の夏には東北地方を巡る予定であり、名家である佐藤家に泊まる可能性があるとのことなのだ。
佐藤家一同はパニックになるが、そこは参謀として御前会議で1,2度天皇の姿を見たことがある三宅徳次に指導を頼む。
徳次を天皇に模して予行演習を行うが、すっかり天皇に成りきってしまった徳次は・・・。

三部作の中で唯一、劇中に「東京裁判」が一度も出てこない作品だ。
今回は東京裁判の影の主役であった昭和天皇の戦争責任がテーマになっている。
私は東京裁判をリアルタイムでの記憶がないのだが、天皇の戦争責任についてはその後も大きな議論になっていたことは憶えている。
当時のアメリカ占領軍と日本政府の最大のテーマは、天皇への責任追及をいかに回避するかだったといっても過言ではない。
昭和21年1月1日の「新日本建設ニ関スル詔書」いわゆる天皇の「人間宣言」も、それに引き続く沖縄を除く全国46都道府県への行幸も、元はといえば米国側の発案だった。

余談だが、私が勤めていた会社の寮に、昭和22年12月に天皇皇后のお二人が宿泊している。
浴室やトイレを改装したり大変な騒ぎだったそうだ。
入浴後の残り湯を、従業員が飲んだとされる。
なにしろ一般国民が生身の天皇を見るのは始めてだったから、巡幸は大変な人気だったそうだ。
私の父親なぞは、ニュース映画で巡幸の場面が映し出されると最敬礼をしていたと近所で評判になっていたくらいだ。

その反面、自称天皇が全国に出現し話題になった。
特に「熊沢天皇」にいたっては、米軍MPの護衛つきで全国を巡幸したり、アメリカの雑誌に紹介されたり、「本物」に近い扱いを受けたとの記録が残っている。
物心ついた頃は、周囲の大人たちはしばしば天皇を「天ちゃん」と呼んでいたことを思い出す。
これらのエピソードは、当時の日本人の天皇に対する複雑な心境を物語っているようだ。

私見では、昭和天皇はなんらかの形で敗戦の責任を取るべきだった。
当時の日本国内に多少の混乱は起きたかも知れないが、その後の日本人の精神には良い影響を与えたものと推察される。
最高責任者(仮に形式的であったにせよ)が結果責任を取るという精神が保たれたのではなかろうか。

「夢の痂」はそんな深刻なテーマを、例によって生バンドの軽快な演奏にのせて、出演者全員が歌い踊るという実に楽しい音楽劇として展開する。
会場は終始笑いに包まれていた。
三部作に共通だが、下手な喜劇よりはよほど面白い。
井上ひさしが劇作の基本にしていた「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書く」という姿勢がよく表れていた。

演技陣では、主役の角野卓造が好演。天皇の仕種の真似が堂に入っていた。この人は存在するだけで面白い。
井上芝居には欠かせない辻萬長とともに、舞台をシメル。
ワキでは小林隆の軽妙な演技が光る。愛嬌と色気があった。
三田和代は熱演だったが、32歳の役というのはムリがあったのではなかろうか。
藤谷美紀はシリーズの進行と共に、着実に演技が上達してきた。彼女の成長過程を見る思いだった。

三部作を通して4名の演奏者に、そして簡潔だが効果的な舞台をセットしたスタッフに拍手を送りたい。

公演は6月20日まで。

2010/06/12

こりゃア「菅」

昨日の菅総理の施政方針演説をきいていると、歴代の自民党の首相のものと何ら変わりがなかった。
いろいろ批判はあったにせよ、鳩山前首相の場合は多少なりとも民主党カラーを打ち出そうとする姿勢はかいま見られたが、菅直人総理にはその片りんも認められない。

例えば普天間基地移設問題では、あれだけ世論の批判を浴びた「日米合意」をそのまま「踏まえる」のだという。
この件については社民党の照屋議員からの質問書にたいして、政府の答弁書では次のように書かれている。

【引用始め】
沖縄は、米国本土、ハワイ等と比較して、東アジアの各地域に近い位置にあると同時に、我が国の周辺諸国との間に一定の距離をおいているという利点を有している。
こうした地理上の利点を有する沖縄に、司令部、陸上部隊、航空部隊及び後方支援部隊を統合した組織構造を有し、優れた機動性及び即応性により、幅広い任務に対応可能なアメリカ合衆国の海兵隊が駐留することにより、種々の事態への迅速な対応が可能となっており、沖縄に駐留するアメリカ合衆国の海兵隊(以下「在沖縄海兵隊」という。)は、抑止力の重要な要素の一つとして機能していると認識している。
また、このような在沖縄海兵隊の位置付け及び機能を踏まえれば、御指摘の「佐世保の揚陸艦部隊」と共に行動することのみをもって、御指摘のように「在沖米海兵隊」が「沖縄に駐留する必要はない」とすることは適当ではないと考える。
【引用終り】

この答弁書の観点からすれば、地理上の利点から沖縄以外の選択肢はないということになる。
それなら元々、県外や国外への移転などということは有り得ない話であり、辺野古への移転は「鉄板」だったわけだ。
自民党政権のときも、ここまで露骨には言ってなかったのではなかろうか。
政府の基本方針の中では一応「沖縄の負担軽減」をうたってはいるが、実行する意志は全く感じられず、単なる「枕言葉」と化している。

経済をみると、「税制の抜本改革」を前面に押し出している。
スローガンとしてきこえは良いが、中味は「企業減税と消費税増税をセットで行う」という意味であり、これまた自民党政権の政策をそのまま踏襲したものだ。
社会保障の充実をうたった消費税だが、実際には企業減税の原資にあてられていたことは、以前の記事で指摘したとおり。
企業の税金はまけてやり、庶民からは消費税でふんだくろうというのが、この度の「税制の抜本改革」の狙いだ。

菅新政権は脱「小沢」だと持て囃されているようだが、政権の中枢を「松下政経塾」出身で固めた「パナソニック政権」でもある。
菅直人がサラリーマン家庭の出身だとか、若い頃は市民運動をやっていたなどというイメージに騙されてはいけない。
そうした経歴と、庶民重視の政治を行うこととは全く別問題だ。
代表選の最中には、イラ「菅」から責任「菅」へ変わったなどと言われていたが、もう一つ変節「菅」を加えねばなるまい。
やっぱり、ア「菅」か。

2010/06/09

劇団大阪・朗読劇「遠い戦争~日本のお母さんへ~」

「玉にキズ」がようやく完治し、久々に大阪へ。
友人の齋藤誠が演出する朗読劇「遠い戦争~日本のお母さんへ~」、谷町劇場にて6月6日15時の会を観劇。
篠原久美子作のこの作品は、昨秋東京で渡辺えりらによって上演されたもので、これを大阪で再演した。

中東問題の本質は、自分のことに置き換えてみると分かり易い。
私たちが日本で暮らしていると、ある日突然よその国の人間がやってきて、「ここは数千年前までは我々祖先の土地だった。神のお告げにより今から我々が住むことに決めたので、日本人は全員出て行け」と追い払われる。
やがてどこかの小さな島に押し込まれ、「住めるのはこの場所だけで、外へ出ることは禁止する」と命令され、抵抗した人間は容赦なく射殺される。
もし、こんな扱いを受けたらどうだろうか。
これがパレスチナで現実におきていることだ。
私たちは北朝鮮がひどい国だと思っているが、イスラエルのやっていることはその比ではない。

齋藤誠によれば、上演にあたって三つの大きな壁にぶち当たったとある。
一つは、この芝居の主要なテーマである中東問題に対する認識不足。
文明がどうの宗教がどうのという以前に、ことの本質はパレスチナに対するイスラエルによる侵略行為であり、不法な占領だということ。
紛争といっても犠牲者の数はイスラエル1に対してパレスチナ100位の割合であり、一方的な殺戮になっている。
この点は、パレスチナ問題の専門家である京都大学の岡真理教授からレクチャーを受けたそうで、これを境に劇団員の取り組み姿勢もガラリと変わったそうだ。
二つ目は、芝居の内容をどう観客に伝えるかという課題だ。
解決策として、
①難しい用語については解説書を作り、配布する。
②芝居の中でスライドを多用する。
③役者には場面や役に応じた衣装をつけさせる(朗読劇では珍しい)
を試みた。
三つ目は、劇団の層の薄さ、特に若手の団員が少ないという現実。
これについては、他の劇団から5名参加してもらった。
こういう話をきくと、アマチュア劇団が意欲作に取り組むさいの大変さがよく分かる。

ストーリーは、
パレスチナ難民キャンプで暮らす少年アブドゥ(稲荷明古-客演)と、「パレスチナの子供の里親運動」に参加している日本の母親(山内圭子)とその息子(片岡大輔-客演)の3人が中心となって物語は展開する。
イスラエルの空爆にあいながら希望を捨てないパレスチナの少年は、いつか自分の里親が住む「平和で豊かな日本」に蝶々になって飛んで行きたいと夢見る。
その母の元へ息子から派遣切りにあったという知らせが届く。
日本の母子家庭の3分の2が貧困層であるという現実に、息子の失業は重くのしかかり、里親としての寄金もいつまで続くのかと不安な気持ちになる。
毎年の自殺者が3万人を超える現実、この死者の数は一般的にいえば戦争の犠牲者に匹敵する。
その一方、日本政府は米国を通してイスラエルを実質的に支持している。本来の日本の立場からすれば、パレスチナ側に立つべきだろうに。
果たして日本は本当に「平和で豊かな国」なんだろうかと、母親は次第に疑問を感じるようになるが・・・。

1時間45分ほどの芝居に、あまりに多くの問題が投げかけられ過ぎていて、作者や演出家の意図がどこまで伝わったのかという疑問は残る。
またスライドや効果音を駆使して分かりやすさをねらったことは理解できるが、リーディング作品として静かに訴えるという手法も採り得たのではなかろうか。
そうした様々な問題をはらみながら、しかしパレスチナで起きている現実を自分の問題として捉えてもらうというこの劇の上演意義は、十分に果たしていたのではなかろうか。
パレスチナもイラクもアフガニスタンも、決して日本から「遠い戦争」ではない。

出演者はいずれも熱演で、客演を加えた混成チームだったにも拘らず、アンサンブルもしっかりとしていた。
特に少年役の稲荷明古の眼が良かった。あれは中東少年の眼だ。
息子を演じた片岡大輔はいかにも好青年で、お母さん役の山内圭子の落ち着いた演技と共に印象に残った。

公演は6月13日まで。

2010/06/08

#13たから寄席「扇辰・兼好二人会」@寳幢院

東京の最南端、大田区西六郷にある「寳幢院」(ほうどういん)で定期的に行われている「たから寄席」。
6月5日は第13回ということだが、参加は初めて。
この日は入船亭扇辰と三遊亭兼好の二人会という趣向だが、この取り合わせが絶妙。
会場はお寺の本堂で、席亭は住職、窓の外からは小鳥の囀りや祭囃子が聞えてくるという、いかにも地域寄席らしい雰囲気だ。

< 番  組 >
前座・立川こはる「湯屋番」
入船亭扇辰「麻のれん」
三遊亭兼好「天災」
~仲入り~
三遊亭兼好「一眼国」
入船亭扇辰「片棒」

このラインナップを見て、知ってりゃ自分も行くんだったなと思われた向きもあるだろう。
そう、なかなか充実した会だったのだ。

先ず、三遊亭兼好がドンドン良くなっている。
以前はやや控え目な印象だったが、ここのところ自信がついたのだろうか、グングンと押してくるような感じになってきた。
参院選に出馬するタレント候補のエピソードをマクラにネタに入ったが、この入り方も自然で良かった。
「天災」では八五郎がやたら単純な男に描かれていて、心学者の紅羅坊名丸の説教にコロッといかれる様(さま)に説得力がある。

2席目の「一眼国」ではガラリと趣向を変えて、マクラを含めて先代正蔵の演出をほぼそのまま踏襲した高座だった。
香具師の親分が正蔵に比べギラギラしていたが、一つ目を生け捕りに行く男としてはこちらの方がリアリティを感じる。
こうした落ち着いた高座でも、観客を惹き付ける技量が備わってきた。
天性ともいえる声の大きさと滑舌の良さをバックに、兼好の快進撃が続きそうな気配だ。

対する入船亭扇辰だが、1席目は師匠扇橋の十八番である「麻のれん」を。
こういう季節感のあるネタが出ると、もう夏だなとしみじみ感じてしまう。
盲人の滑稽ぶりを描く扇辰の温かさを感じる一席。
ただし、枝豆の食い方は師匠にまだまだ及ばない。

2席目の「片棒」は、外から聞える祭囃子に合わせたネタ選びだったのだろうか、こちらも夏場らしい演出だった。
倅(せがれ)を二人にしてオチをガラリと変えていたが、これだと「片棒」というタイトルから外れてしまう。
この演出はあまり賛成できない。
全体的に扇辰としてはやや引いた高座だったが、この日は兼好の引き立て役に回っていたようだ。

開口一番の立川こはる、もし近い将来、男の噺家に伍す可能性がある女流落語家が出現するとしたら、この人がその第一候補だろう。
まあ女ということを全く感じさせないので、「女流」という表現も適切ではないかも知れないが。
二ツ目も近そうだ。

金儲けだけを目的としたような落語会も少なくない中で、こうした手作りの地域寄席が頑張っている姿というのは、とても心地よい。

2010/06/05

「菅」語辞典

菅直人新首相の誕生を寿ぎ、四字熟語でその栄誉を称える。

菅易軽便(かんいけいべん)前任者の突然の辞任で、お手軽に首相の座が手に入ったこと。
菅慨無量(かんがいむりょう)ようやくここまで辿りついたと、しみじみ感じること。
菅々諤々(かんかんがくがく)小沢一郎を外して、党内で自由に議論するさま。
菅急自在(かんきゅうじざい)その場その場で調子よく適当に言いつくろうこと。
菅骨奪胎(かんこつだったい)鳩山政権の政策を継続しながら、消費税増税を断行すること。
菅山枯木(かんざんこぼく)表紙を変えても、中味はさびしい枯れ木の山である様子。
菅善懲悪(かんぜんちょうあく)小沢グループを懲らしめ、前原グループを持ち上げること。
菅全燃焼(かんぜんねんしょう)マニフェストは既に燃え尽きてしまったこと。
菅全無欠(かんぜんむけつ)自分だけが完璧だと思いこむこと。
菅単明瞭(かんたんめいりょう)物事を深く考えず、思考や発言が単純なこと。
菅難辛苦(かんなんしんく)新政権スタート後は、苦難の連続であること。
菅話休題(かんわきゅうだい)お祝いムードはここらで終り、来週からは真面目にやろう。

2010/06/02

最高のスカート姿は・・・


ブログネタ: パンツとスカート、どちらのファッションが好き?参加数拍手


そりゃなんたって、パンツを穿(は)いてないスカート姿が最高でしょう。それも美人の。

「美人穿くめえ」。

鳩山退陣、小沢辞任の予想が大当たり

当ブログの5月7日のエントリーで、
・社民党との連立の解消
・鳩山首相の退陣
・小沢幹事長の辞任
が5月末前後に起きると予測しましたが、当りでしたね。
予想が外れたらブログを謹慎させると宣言していましたが、どうやらこのまま続けられそうです。

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