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2010/07/29

【地デジ】総務省はアナログTVへの嫌がらせをやめよ

ついこの間まで我が家のTV画面の右上に「アナログ」というマークが表示されていた。
知ってるよ、デジタルに変えていないんだから。
これさえも邪魔だなと思っていたら、ここ最近になって画面の上下に黒い帯が作られ(レターボックスというのだそうだ)、ここにアナログ放送停止のテロップが頻繁に流されるようになった。当然その分、画面が小さくなった。
消そうにも消せないし、番組を録画するとそのままテロップも録画されてしまう。
それぞれの放送局が行っているようだが、総務省の指示ないし指導のもとで行われているのことは、火を見るより明らかだ。
電波の免許は総務省が握っているから、放送局はお上には逆らえないのだ。

これにとどまらないというのだから、呆れてしまう。
次のステップでは画面を4分の1にして残りの画面で告知を流し続けるとか、常時テロップを流すという方法も考えられているとか。
それでも懲りないとなると、次は特定地域を対象にアナログ放送停止のリハーサルを行ったり、さらには全面テロップ画面にして、番組を完全に見られないようにする魂胆のようだ。
何でも、地デジで金儲けを狙っている連中が集まる「総務省地上デジタル放送推進に関する検討委員会」と称する会議で、こうした悪巧みが相談されているらしい。
ここまでくると人権無視もいいところで、サラ金の取立てや地上げの嫌がらせとなんら変わりはない。

我が家のTVはもう10数年使っているが、一度も故障がなく映りもとても良いので気に入っている。あと数年は十分に使えそうだ。
壊れたら買い換えるし、その時はデジタルTVにする。
2011年7月24日地上波アナログ放送が停止して見られなくなれば、見ないだけの話だ。
BSデジタルは全局映っているし、今の時代ネットもあるから情報には不自由しない。
だから、それまでは放っておいてくれ。

全体主義国家じゃあるまいし、各家庭の受信機にまで入り込んで画面を縮小したり、見られなくしたりする権利などどこにも無いはずだ。
もしそうした人権無視の行為が行われていたら、それを止めさせるのが政府の役目だろう。
先日、原口総務相が集会で「地上デジタル放送の素晴らしさ・・・」とアホなことを言っていたが、地デジになったらTV放送が素晴らしくなるのか。
コンテンツが変わらなければ、地デジになっても何も変わらない。

2010/07/27

「電子カルテ」で医師が患者の顔を見なくなった

電子カルテがいま多くの医療機関で導入されている。
医師が診療の経過を記入するカルテだが、長い間、紙に書かれていた。
これを電子的なシステムに置き換え、電子情報として記録し管理するというのが「電子カルテ」の仕組みだ。一括してカルテを編集・管理し、データベースに記録する仕組みのことである。
厚生労働省の肝いりで推進されており、私の通う診療所でも1年以上前から導入され実施されている。
カルテの管理に必要なスペースと手間がなくなり、検査結果などがデータベース化されるので、複数の診療科にまたがって診察を受ける患者にとっては有効なシステムといえる。
処方箋もコピー&ペーストで書きこめるから、時間は短縮されるし間違いも減る。
一見、良いことずくめのように見えるのだが、ここに大きな問題が生じている。
それは、医師が患者を見ることなく、専らモニターと対話する状況が生まれている。

こんな具合だ。
「はい、〇〇さん、どうぞ」
と言いながら、医師はカルテと検査データが表示されているモニターを見ている。
そのままの姿勢で、「その後いかがですか」と訊ねてくる。
患者が病状を説明すると、それを医師はキーボードで入力する。もちろん、モニターから眼を離さない。
「検査結果ですが、特に問題はありません」と、これもモニターに向かって話しかけ、「それではいつもの薬を4週間分出しておきます。」と言いながら前回の処方箋をそっくりコピー&ベーストする。
「では次回は4週間後で、0月00日ですね。予約は午前10時でいいですか。」とここで処方箋と予約表を渡され、「では、お大事に」と帰される。
近ごろは聴診器をあてる医師などメッタにいないから、診察の間、医師が患者の顔を一度も見ずに終わってしまうことになる。
特に内科系の場合は、一日中医師がモニターとキーボードにかかりっきりになっていて、ただ患者だけが次々と入れ替わるような状況になる。

患者は医師に診てもらいたくて通うのだが、医師はモニターしか見ない。
キーボード入力に不慣れな医師が、どうしてもそっちの方に気をとられるのは止むを得ないだろう。
人は顔色を見ただけでも体調の良し悪しが分かる。
患者の顔を見ずに、果たして正確な診断が下せるのだろうか。
こいなると厚労省の指針に「電子カルテ運用にあたっては、医師は必ず1分間以上患者の状態を眼で観察すること」と書き加えねばなるまい。

電子カルテでもうひとつ心配なことは、これからはカルテの書き換え、改ざんが容易になるということだ。
医療ミスの係争で、患者が不利にならねば良いのだが。

【追記】
麻酔医をされている方から指摘があり、電子カルテの場合は時系列で記録されるため、カルテの改ざんは出来ないとのことでした。

2010/07/25

「雀々・志らく二人会」#6日経ホール落語

7月24日は第6回日経ホール落語会、「桂雀々・立川志らく二人会」に出向く。
まるで芸風が異なる二人だが、今年が雀々は50歳、志らくは芸歴25年と、いずれも節目の年を迎えた二人の組み合わせということのようだ。
この会について志らくがマクラで「まるで枝雀・談志を偲ぶ会」と言っていたが、両師匠の芸風を継いでいる二人がどんな高座をみせるか、楽しみだった。
紅雀、雀々ともにライブでは初見。

桂紅雀「普請ほめ」
ご存知「牛ほめ」の短縮版だろうか。
いかにも上方落語らしく明るく元気があってよい、と言いたいところだが、歳が志らくと7才しか違わない。
芸歴15年といえば、東京落語ならそろそろ真打に手が届く位置だ。
もうちょっと何とかしないと。

桂雀々「手水廻し」
師匠・枝雀の家に住み込みで修行していた当時のエピソードをマクラに振って。
大師匠連中の物真似がとても似ていて面白かったし、ちゃんと本筋につながっていたところは流石だ。
ストーリーは、「手水(ちょうず)」という言葉を知らなかったばかりに「長頭」と勘違いし、長い頭の男が客の前でグルグル廻すという実に他愛ない噺だが、これが爆笑モノ。
頭を廻すときや、盥の湯を飲むときの仕種が上手い。
こうした徹底的なバカバカしさは、上方落語ならではだ。

立川志らく「紺屋高尾」
「手水廻し」の後では何をやってもダメと、マクラ抜きで本題へ。
明らかにやりにくそうで、いつもの本調子には程遠く、珍しく2度も言い間違いをしていた。
高尾が素の言葉で喋るのも不自然だったし、何だか息子に意見する母親のように見えてしまった。
「本当は談春より上手いのだが」とエクスキューズしていたが、ネタのチョイスにも問題があったのではなかろうか。

~仲入り~
立川志らく「疝気の虫」
こちらは志らくの独壇場、誰も真似できない。
「虫」を主役にするという着想が良いし、これが実に可愛らしくも憎たらしいのだ。
クスグリの一つ一つに志らくの才気が迸り、今まで聴いた志らくのネタでは、これがベスト。

桂雀々「さくらんぼ」
東京だと「頭山」。
ストーリーは殆んど同じだが、こちらは鳴り物も入って味が濃くなっている。
頭の上に繁った木がどんどん成長し花が咲き、周囲の人の喧騒とは逆に、次第に辛くなってゆくのを仕種で見せて、オチにつなげる。
この噺って、こんなに面白かったかなと感心する一方、トリのネタとしてはどうなんだろうという思いも残る。
欲をいえば、別のネタを聴いてみたかった。

東西の落語家を組み合わせて定期開催の「日経ホール落語」、とても好企画だと思うし、この日の会も充実していた。
でも次回はパス。

2010/07/23

暑中お見舞い

毎日、蒸し暑いですね。
当ブログに訪れる方だけは、体調に気をつけてください。
夏といえばスイカ、
スイカといえば、スイカップ!
というわけで、スイカップ女性の画像です。
サービス満点でしょう。

なに? 
余計に暑苦しいって?
こりゃマタ失礼しました。

Photo
   (クリックで拡大)

2010/07/22

【金賢姫来日】日本は法治国家じゃなかったのかね

ブログをお休みしていたが、この間に過去に書いた“「金賢姫と面会」は疑問だ”に多数のアクセスが寄せられていて嬉しかった。
金賢姫には「元工作員」という肩書きが与えられているようだが、「元」というのは誰が確認したのだろう。韓国政府が死刑判決が確定した人間を特赦までして放免しているのは、情報機関としては利用価値があると判断したからだ。ある意味いまでもバリバリの「現役工作員」と見てよい。
航空機を爆破し115名の人々を殺害した稀代のテロリストに多額のギャラ(もちろん税金から)を払ってまで招聘し、政府上げての歓待を行っていることに疑問を感じる人は多いだろう。

私たち日本国民が金賢姫に対して忘れてはならないのは、大韓航空機爆破事件を日本人の犯行と思わせるために、日本人の偽名をつかいパスポートを偽造し日本人としてふるまっていたという事実だ。
この事件は、私たち日本人も被害者である。
それと、どのように偽名を入手しパスポートを偽造したのかを調べれば、北朝鮮がどのように日本人拉致を行ったのか、拉致問題の解明にも役立つ可能性がある。
当然のことながら日本政府としては金賢姫の身柄引き渡しを韓国に求める声が上がったが、金が死刑判決を受けたということから、その時点では身柄引き渡しを放棄したとある。
この対応は、当時の内閣安全保障室長である佐々淳行が主導して行ったとあるが、いかにも佐々のやりそうなことだ。
しかしその後、金は特赦で放免され全く事情は変わったのだから、改めて身柄引き渡しを要求できたはずだ。

このたびの金賢姫の来日では、日本政府は二つの法令違反を行っている。
一つは、死刑確定者の入国を認めてしまったこと。これはどのような法的根拠があるのだろうか。
二つ目は、パスポート偽造は日本国内法の「旅券法違反ないし偽造公文書行使」に該当するので、入国した時点で金を逮捕すべきだった。もちろん金は韓国にいたから、公訴時効にはかからない。
逮捕して厳しく取り調べれば、拉致問題についてより有力な情報が得られるだろう。
こんないい加減なことをして、日本は果たして法治国家といえるだろうか。
まあ今回の仕掛け人が、なにせ愛人を議員会館に宿泊させていたような中井洽大臣だから、法律は無視はお手の物だろうが。
産経など保守的なマスコミがこうした点を指摘せず、連日チョウチン持ち記事を掲載しているのも気になるところだ。

一部に金賢姫の犯行は北朝鮮政府の指示で行ったもので、今は反省しているのだから本人に罪はないという声もあるが、そんな理屈が通るのなら、オウム真理教の地下鉄サリンの実行犯だって無罪になってしまう。
結局、唯一の根拠は金が美人だということだけだ。美人に悪人はいない、そんなことを本気で思っているのだろうか。
こんな人物に喜んで面談している図というのも、あまり誉められたものではない。
本来は不倶戴天の敵であるべき金と面談している「家族会」の対応も妙だ。

金賢姫に対する政府の対応は、拉致問題解決に対する本気度が疑われても仕方がない。
拉致被害者を数十年間も放置してきたのと、今回の金賢姫に対する政府の対応は、根っ子は一緒だ。

2010/07/08

国立演芸場7月上席(7/7)

ネットの時代になってから、寄席に行くにも事前に番組表をチェックしてからという習慣が身についてしまった。
でも本来の寄席というのはそういうものじゃない、という分けで今回は久々にフラリと七夕の国立演芸場に向かう。
7月上席は新真打の昇進披露公演で、この日は小柳枝門下の春風亭鹿の子がトリをつとめる。

< 番  組 >
前座・春風亭昇也「子ほめ」
春風亭笑好「ぜんざい公社」
春風亭柳太郎「新作(タイトル不明)」
ナイツ「漫才」
三笑亭夢之助「宗論」
春風亭小柳枝「青菜」
~仲入り~
真打昇進披露口上
春風亭柳好「悋気の独楽」
三遊亭小遊三「やかん」
北見マキ「奇術」
春風亭鹿の子「抜け雀」

中トリの小柳枝「青菜」、何度聴いても良い。このネタは、現役では小柳枝がベストだ。
短い噺だが、場面が二つ、登場人物は5人。
最初の場面は、植栽が行われた家の庭先で、ここでは暑い季節の中の涼感をいかに出すかがカギ。
家の主人が植木屋の水の打ち方を誉める場面と、植木屋が勧められるままに冷たい酒と鯉のあらいをご馳走になる動作で、涼しさを表現する。
特に大事なのは、いかにも風流人たる主人の描写で、奥様と同様にセリフや所作に品と風格が必要だ。
その対照的人物である植木屋職人との会話で、二人のセリフのリズムの切り替えが重要。
後半の植木屋の住まいの場面では、一転して暑苦しさの演出になる。
ここの女房は、その存在自体が暑苦しいと感じさせる。
訪ねてくる大工との会話では、すっかり主人に染まった植木屋との珍妙なヤリトリ。
押入れからの女房の飛び出し方。
それらいずれを採っても、季節感が溢れるマクラと共に小柳枝の演出は完成度が高い。
「青菜」が聴けただけでも満足だった。

漫才のナイツは面白かった。
ボケとツッコミの間が良い。
最近の東京の若手漫才師たちは揃って確実に進歩していて、楽しみだ。

鹿の子「抜け雀」、落語界ただ一人のママさん真打とのこと。
なかなかしっかりとした喋りで悪くなかったが、このネタを女性の声で演じるという不自然さは、いかんともし難い。
やはり女流落語家はハンディがある。

若手二人は初見だったが、つまらなかった。
普段からこんな風なのだろうか。

【相撲界汚染】これほど非難されることなのか

連日の大相撲の野球賭博報道で、肝心の参院選などどこかに行ってしまったような騒ぎだ。
協会の理事だの親方だのがTVカメラの前で頭を下げるシーンも、いいかげん見飽きた。
まるで相撲界全体が犯罪者集団になったような錯覚におちいるが、では彼らはどんな凶悪事件を引き起したというのだろう。
相撲協会に所属する人の一部に野球賭博などの非合法賭博を行っていた人間がいた、それが事実の全てだ。
もちろん、非合法の賭博をしたのだから悪いことには違いない。

では相撲界以外の他の組織では、こういうことは全くあり得ないことだろうか。
公務員では、民間企業では、学校では、同じように所属する人たち全員を対象に調査したら、非合法賭博に係わった人はゼロだと言い切れる組織があるだろうか。
警察官はどうなのか。
マスコミの人たちは全く無縁だろうか。
答は、否だろう。
相撲協会は公益法人だからというのなら、他の公益法人についても全員を対象に調査したら、果たして完全にシロなのだろうか。

野球賭博は暴力団の資金源だから?
それなら暴力団と何らかのつながりのある芸能人や芸能プロに所属する芸能人を全てメディアから追放したら、今の芸能界は成り立たなくなるだろう。
政治家もそうだ。
いま60年安保改定の時の文書が公開されているが、当時の政権が反対運動を抑えるために全国の暴力団に協力を求めたのは紛れもない事実だ。そこから保守系政治家と暴力団との癒着が始まる。
金融機関、不動産、建設業などを中心に、暴力団のお世話になった企業も少なくないだろうし、一部の企業経営に暴力団員が係わっているという報道も、よく耳にする。

他でもやっているからいいじゃないかという心算はない。
しかし批判するにも節度が必要だろう。
こう朝から晩まで非難されるほど、そんなに悪いことをしたとは思えない。
捜査関係者や報道するマスメディアも、自らの胸に手を当てて考えてみれば分かると思うが。
それとも選挙の争点から世論の目をそらせる意図でもあるのだろうか?

2010/07/06

【思い出の落語家17】十代目金原亭馬生

Photo枕元にCDラジカセを置き、落語を聴きながら寝るのを習慣にしているが、ここ2ヶ月ばかりは毎夜のように十代目金原亭馬生の録音を聴いている。
聴けば聴くほど味わいが分かるというのが、十代目馬生の落語だ。
先代の馬生については書籍も出版されているし、多くの人たちが「馬生論」を書いているので、個人的な思い出を中心に話を進めることにする。

就職し、その後所帯を持った時期の前後、およそ10年ほど寄席から遠ざかっていた。
結婚して2年目に子どもが授かり、9ヶ月のとき急に胎教を思い立った。
何をしようかと考えた末、胎教には落語が一番だと思い立ち、身重の妻を伴って人形町末広に行った。
女房は、寄席はもちろん落語を聴くのも初めてだったが終始楽しそうで、たまたま出演していた柳家三亀松の色気に圧倒されて身体がブルブルッと震えたというエピソードは前に紹介した。
三亀松のフェロモンは、それほど凄かったのだろう。
その日のトリが十代目馬生だった。馬生41歳のときだ。
出囃子の「鞍馬」がなって馬生が高座に出てくると、客席からは軽い「え~」という反応が返っていた。
私も久々に見た馬生のあまりの変わりように驚いた。
白髪で背中が少し丸くなっていて、パッと見は老人のようなのだ。
話し出すとあの艶やかな声が響いて、ああヤッパリ馬生だなと思った。

先代馬生が40代で今からは信じられないほど老けていたことは、先日の落語会でも弟子たちが証言していた。
若い頃から楽屋では「ご隠居」という仇名がついていたそうだ。
これには分けがある。
先代馬生は生活のために画家になる夢をあきらめ落語家になった人だ。
父・志ん生が満州に渡っていた戦中から戦後、馬生が一家を支えていた。
昭和22年に19歳で真打になるが、親の七光りだと陰口をたたかれ、仲間内からはイジメにあう。
家庭内ではどうだったのかというと、これは又聞きなので真偽のほどは不明だが、長男ということで志ん生からは随分と厳しく当たられてようだ。
その一方、志ん生は弟の志ん朝を可愛がり、行く行くは志ん朝に志ん生を継がせることを早くから公言する。
芸の上では後輩の志ん朝だが、TVのバラエティーではレギュラー番組を持ち、ドラマや芝居に出演するなど一時期はマスコミの寵児になる。
名人の父親と人気と実力を兼ね備えた弟に挟まれ、ひたすら耐える人生だったのだろう。
おのれを殺して、黙々と芸を磨く日々だったに違いない。
そういう姿をとらえて、仲間内は「ご隠居」と揶揄していたのだろうと想像する。

馬生の落語を聴いていると、非常に緻密な演出の中に、時に志ん生ゆずりの天衣無縫な部分が顔をのぞかせる。画に例えれば、墨絵の中にチョコッと色が混じっているような。
そのバランスが絶妙で、父親や弟にない独特の芸風をこさえている。
絶品の「笠碁」はもちろん、「明烏」「船徳」「妾馬(八五郎出世)」「芝浜」などの大ネタでは、志ん朝より上ではないかと思う。
反面、バランスが崩れたときは目も当てられない不出来となるが、それもまた先代馬生の魅力でもある。

十代目金原亭馬生の晩年は、楽屋で酒を飲んでから高座に上がることが多く、録音でも呂律の怪しい口演が残されている。
これも、癌の末期で食べ物がほとんど喉を通らなかったため、酒を流動食代りに摂っていたという証言がある。
だとしたら、芸人として最期まで壮烈な人生だったわけだ。
54才の死はあまりに早過ぎた。
もうあと10年生きていれば、立派に名人として名を残していただろう。

死後に評価が高まっているのは、当然である。

2010/07/03

志の輔らくご“ビギン・ザ・ビギン”

立川志の輔の独演会には単発で開かれるケースと、1週間あるいは1ヶ月単位で行われるケースとがある。
7月に入ってル・テアトル銀座で開かれているのが、“ビギン・ザ・ビギン”というタイトルの独演会。
ご本人は、独演会のタイトルに特別の意味はないとのことだったが、私はてっきり「美銀座ビギン」に引っ掛けているのではないかと思っていた。
同じ演目を毎日続けるというのもどうかと思うが、それでもチケットが売れているのはそれだけ志の輔の人気が高い証拠だ。
7月2日のこの日も、平日の午後3時からというのに一杯の入り。
前座もゲストもなしで、文字通りの独演会。

立川志の輔「こぶとり爺さん」
マクラで、午後3時という開演時間について中途半端な時間と言っていたが、終演時間が5時過ぎ、つまり客が帰りに食事やショッピングがし易い時間帯を選らんだのではなかろうか。
何しろ場所がギンザですから。
昔話には必ず教訓的なものが含まれているのだが、この「こぶとり爺さん」にはそういうものがない。
爺さんでも婆さんでも二人出てくると、大概は後から登場してくる方が悪い人物という法則があるのだが、それならコブを付けられてしまった爺さんは、一体どんな悪い事をしたのだろうか・・・。
意表をつかれた着想の面白さ、この日のネタではこれがベストだった。

立川志の輔「新釈猫忠」
松山の「とべ動物園」で人工哺育されて育てられたホッキョクグマ「ピース」の話題から、動物園というのは人間が動物を見ているのか、動物が人間を見ているのかという問題提起から本題へ。
いつもながらマクラからネタに入る入り方が志の輔は実に巧みだ。
「猫忠」を大幅に改作したので「新釈」としたのだろう。
志の輔らしいクスグリを沢山散りばめて楽しませてくれたが、その分オリジナルのオドロオドロシサが薄められていた。
ネタのタイトルも、元々は歌舞伎の義経千本桜の狐忠信から来ているのだが、この部分が全てカットされていて、オリジナルの持つ芝居の香りが抜けてしまったような気がする。

~仲入り~
立川志の輔「しかばねの行方」
マクラで作家の東野圭吾論を語り、その著作「怪笑小説」の中の短編「しかばね台分譲住宅」を基にした新作という解説から本題へ。
講談の釈台を前に置いて、ハリセンで釈台を叩きながら講談調で語ったり、服装に面白い仕掛けをしたり工夫が施されていたが、中味は退屈だった。
ネタ下ろしだろうか、未だ十分コナレテいない部分もあって、後半の大ネタにしては役不足。
不満の残る高座だった。

ハードスケジュールでお疲れ気味のせいか、全体としてパワーが不足。
終演後の挨拶で、今日のお客は普段と反応が違うと語っていたが、それはご本人の側に原因があるのかも知れない。
年初のPARCO独演会(又もや「中村仲蔵」だった)といい、志の輔は曲がり角に来ているのだろうか。

2010/07/01

【街角で出会った美女】エクアドル編(3)

エクアドルの首都キト、その旧市街の中心にあるのが「独立広場」で、大統領府や市庁舎などの国の重要施設が配置されています。
ここには小学校の生徒たちが見学に訪れていましたが、正装に着飾ったガイドが子供たちを案内していました。
これはとても良いことで、服装で施設の重要性を教えているのだと思います。
説明をきく生徒たちが皆、真剣な表情をしていたのは、そのためでしょうか。
こんな魅力的な女性がガイドしてくれるのかと楽しみに待っていたら、私たちの時は普通の服装をした人が来ました。
どうやら彼女は、子供たち専門のガイドだったようです。

Photo
   (クリックで拡大)

キトでの宿泊ホテルは「ヒルトンコロン」で、このフロント係も美女揃いでした。
照明が落とされている所をノーフラッシュで撮ったのでピントがボケていますが、彼女たちは十分魅力的です。

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