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2010/08/31

結局は小沢一郎の「出る出る詐欺」に終わるのか

菅直人と小沢一郎が争う民主党代表選、アタシは民主党員でもなければ支持者でもないので、どっちが勝とうと負けようと本来は係わりがない。
しかし勝ったほうが首相になるわけで、どちらが私たち国民にとってより被害が少ないかという、いわば究極の選択を迫られることになる。
政治の世界は力の論理、数の論理だから、代表選では小沢有利という観測が流されていた。
しかしマスコミ各社の世論調査では圧倒的に菅首相への支持が高く(消去法だろうが)、もし小沢一郎がこのまま首相に就任したとしても、スタートから国民の支持を失い短命内閣に終わることは目に見えている。
そんな空気を反映してか、今日31日に菅-小沢会談(他に同席者がいるかも知れないが)で「挙党体制」を大義名分にした「手打ち」が行われる模様だ。
そうなると何のことはない、小沢一郎の「出る出る詐欺」に終わることになる。

今回の代表選をめぐって、一部に小沢擁護論が根強いが、どうも合点がいかない。
検察が不起訴にしたことをもって小沢はシロだという論点のようだが、もともと政治資金規正法はザル法であり、よほどのことがない限りこの法律に抵触しないように出来ている。
政治家は法律を守るのは当然のことだが、道義的にも規範は守らねばならない。
法律に違反していないから良いんだという主張は納得ができない。
私はウソつきと金に汚い人間は、一切信用しないことにしている。

小沢一郎は「壊し屋」という異名を持っているようだが、その後に新しい党を立ち上げる「創り屋」でもある。
創っては壊し創っては壊しというのは、膨大な資金が要る。
そのためには強引な資金作りをせざるを得ないし、裏金も要る。
合法非合法ギリギリの金集めをするので、グレーゾーンが生まれてくるのは避けられないのだ。
世論の批判は、正に「不徳のいたすところ」なわけだ。

もし小沢一郎が今回の代表選に不出馬ということになれば、政治生命は実質終わりを告げることになりそうだ。
「出る出る詐欺」師では、もう党内でも相手にして貰えなくなるだろう。

2010/08/29

「阪神・秋山」高卒ルーキー初勝利オメデトウ!

Photo阪神タイガースにとって久々の嬉しいニュースだ。
阪神のドラフト4位ルーキー・秋山拓巳投手(19)=西条高=がヤクルト戦(神宮)でプロ2度目の先発で、5回を1失点に抑えて初勝利をあげた。
阪神の高卒新人の勝利は1986年の遠山投手(現阪神育成コーチ)以来で、なんと24年ぶりの快挙だそうだ。
秋山は素質十分ということで、当初は将来のエースとして二軍でジックリ育てる予定だったが、今のタイガースの台所事情がそれを許さず、急遽一軍に引き上げての登板だった。
ウイニングボールは、前日が誕生日だった母親に送るっていうのも、イイ話じゃないですか。

ここ数年、ドラフトでとった新人から即戦力になる選手が出てきていない。
二軍からも生きの良い選手がなかなか台頭してこない。
これが阪神にとっての大きな悩みだった。
今年は藤原投手が中継ぎで貢献しているし、藤川俊介は外野のレギュラー争いに加わってきている。
新人5人中3人が一軍に上がったことになり、当たり年だといえよう。
加えてシーズンオフに獲得した外国人選手がことごとくハズレだったのが、今年のマートンは活躍が目覚しい。

今年はエース格の岩田と能見の離脱という事態に正直、優勝は諦めかけていた。
ここまで優勝戦線にとどまっているのは、嬉しい限りだ。
上位4チームによる激しい首位争いが最後まで続くと思われるが、鍵は先発の駒だ。
秋山の活躍に刺激を受けて、あと一人でも二人でも下から這い上がってきて活躍する投手の出現を期待したい。

#9三田落語会(8/28夜)@仏教伝道センター

第9回三田落語会が8月28日あり、夜席へ。
この会では当日、次回の前売りを行っている。
開場10分前から整理券を配り、番号順に中入り又は終演後にチケットを購入する仕組みだ。
昼夜2回公演だが昼席から先に販売するため、喬太郎が出る次回の前売りチケットは昼で完売。
せっかく夜席で開場前に早めに来て待っていた人は、空振りになってしまった。
昼夜公平に配分するよう工夫が必要ではなかろうか。
主催者に検討をお願いしたい。

さて、この日は「柳家さん喬・桃月庵白酒二人会」。
チラシによれば、一門の壁を越えてさん喬が白酒に目をかけているとのことで、この日の企画が実現したもよう。
同じ古典でも芸風が全く異なる二人の会、どのような展開になるか楽しみだった。

< 番  組 >
前座・春風亭朝呂久「道灌」
桃月庵白酒「臆病源兵衛」
柳家さん喬」「抜け雀」
~中入り~
桃月庵白酒「船徳」
柳家さん喬「子別れ(中・下)」

前座の朝呂久「道灌」、喋りがしっかりしているし、自分の型を持っている。
ただ歩き方が良くない。芸人だから見栄えも大事だ。

さん喬の二席、いずれも十八番というべきネタで、いつもながら上手いなぁと感心する。
例えば「抜け雀」では、墨のすり方、絵の描くときの筆の持ち方、そうした一つ一つが丁寧なのだ。
「子別れ」では、母子で糸をほぐすときの糸の繰り方もそう。
ちょっとした事と思い勝ちだが、それぞれ大事なシーンでの芸の見せ所なのだ。

白酒の1席目は「臆病源兵衛」。
マクラで日テレの24時間TVの胡散臭さをタップリ皮肉っていたが、同感。
そんなことを言ってると、「笑点」からお呼びがかからなくなるだろうけど。
さて「臆病源兵衛」とは、こんな噺。
明治の初めまで、根津に遊郭があった。今の東大の近くだ。
その根津遊郭は「地獄」と呼ばれる悪所というのがこの噺の設定で、オチに使われる。
八五郎と兄いが酒を酌み交わしているうちに、 暗闇を異常に怖がるが女には目の無い助平な源兵衛をおどかして笑おうということで話がまとまる。
兄いの遠縁で乙な娘がいると聞いて、暗い中を源兵衛は八五郎につかまって兄いの家にやって来る。
娘さんは用足しに出たことにし、八五郎も買物に出たふりをして台所に隠れている。 
兄いに命じられて源兵衛は台所にこわごわ行くと、それでも飲みたい酒を取りに来た源兵衛を、八五郎が白い手拭をかぶってワッと驚かす。 
驚いた源兵衛は恐ろしさのあまり一升瓶で八五郎の頭を叩き、のばしてしまう。 
てっきり八五郎が死んだと思った兄いと源兵衛。
八五郎に死に装束を施しつづらに入れ、源兵衛に捨てに行かせる。 
源兵衛がつづらを背負って不忍池のあたりまで来たところ酔っ払いと遭遇、怖くなってつづらをおっぽり出して逃げる。
その途端、気絶していただけの八五郎が息を吹き返し、おのれの姿を見て「死んじゃったよ、俺」と思い込む。
不忍池を見てはここは血の池地獄だと、いや蓮の花があるからこれは極楽だと。
そこへ根津遊郭で遊んできた男たちとバッタリ会って・・・。

珍しいネタで、私は初見だった。
白酒は二つ目時代から高座にかけているようだが、演り手がないのはあまり面白く出来ないからだろう。
しかし白酒が演るとこれが面白いのだ。
源兵衛の暗闇への怖がりぶりと八五郎が自分は死んだんだと思い込んでの慌てぶり。
白酒が描く人間の造形がクッキリとしている。
だから途中で入れるクスグリも効いて、実に楽しい1席。

白酒の2席目は「船徳」。
若旦那・徳の傍若無人ぶりに拍車が掛かった演出。
徳の開き直りぶりと、二人の客のうろたえぶりの対比が鮮やかで、観客は大喜び。
高座を観ていてつくづく感じたのは、白酒という噺家はその存在自体が面白いということ。
天性だといえる。

さん喬と白酒、それぞれの持ち味がいかんなく発揮され、期待通りの充実した会だった。

2010/08/27

【街角で出会った美女】トルクメニスタン編(4)

飛行機でトルクメニスタン東部のマーリという町に着いたら、ここの空港にトイレが無いのは驚きました。
私たちは空港からホテルに直行し用を足したのですが、普通の利用者はどうしてるんでしょうね。
国境の出入国管理事務所にもトイレの設備がないんです。
炎天下で座る場所もないところで2時間以上待たされ、おまけにトイレがない。
仕方がないので周りの草むらを探すと、もう足の踏み場もない状態です。
あれには参りました。

そのマーリの街の宿泊ホテルの前は広場になっていて、泊まった当日たまたま町のお祭りにぶつかりました。
歌あり、演奏あり、踊りあり、日本の漫才に似たコントありで、町内の盆踊り大会みたいな雰囲気でした。
私たちが見に行くと、会場の真ん前に椅子が用意されて、お陰で特等席で見物することができました。
写真は女子高校生たちのパフォーマンスで、民族衣装を着て踊りを披露していました。
見物人もお祭りなので皆さんオシャレをしています。

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         (クリックで拡大)

この国の祖先は、シルクロードで奴隷狩りを生業にしていたそうです。
そのためか、顔を見ると中国系から西アジア、ロシアに至る様々な民族の人たちがいて、美人が多いのはそのせいでしょうか。

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  (クリックで拡大)

2010/08/25

【寄席な人々】「メモ取り」はさりげなく

先般「ネタ調べ」の記事をのせたところ、二人の方から客席での「メモ取り」について意見が寄せられた。
共通しているのは演者や周囲への気配りが必要だという指摘だ。
そこで、「メモはさりげなく取る」ことを提案したい。

落語家が「落語なんてぇものはメモを取るようなもんじゃない」と言っているのを耳にした方は多いと思うがその通りで、これは落語に限らず芝居やコンサートでも、メモを取る人というのはあまり見かけない。
専門家でもない一般の客がメモを取るようになったのはここ数年、正確にはブログが普及し始めた6年位前からだ。それまではよほど熱心な人以外は、メモなど取らなかった。
ところがブログに紹介や感想記事を書こうとすると、出演者と演目だけは載せたくなる。
ついでに気づいたことなども書き添えたい。
寄席だと沢山の出演者が出てくるので、メモをしておかないと忘れる。だからメモを取る。
とまあこんな具合でメモ取りをする人が増えてしまったのだろう。

芝居をやった経験のある方ならお分かりだろうが、舞台から客席はよく見える。
まして寄席は客席が明るいし、客の人数も限られているので、一人一人に至るまで高座からは見えていると思う。
それがお辞儀をして顔を上げたとたん、もう誰か片手にメモ用紙、もう片手に筆記用具を持って待ち構えていたら。
噺が始まると、あちらこちらで次々とメモを取る姿が見えてきたら。
気になって高座に集中できなくなることだって起こりうるだろう。
少なくともいい気分はしない。
立場を置き換えて、自分が高座に上がったということを想像してみたら分かる。

だから「メモはさりげなく取る」ことにしよう。
口演中はできるだけ避け、演者の交代のときや中入り休憩時間を利用するとか、終演後にするとか。
せっかく落語を聴きにいくのだから、「不粋」なマネはやめたいものだ。

もちろんこれは、自戒の念をこめての提案です。

2010/08/23

落語教育委員会(8/22夜)@横浜にぎわい座

「柳家喜多八・三遊亭歌武蔵・柳家喬太郎」三人会(落語教育委員会)が8月22日、横浜にぎわい座で行われ、夜の部に出向く。
この日で22回目だそうだが毎回大入り状態だそうで、先ずはご同慶に堪えない。
歌手の元祖三人娘(言うことが古い!)にたとえれば、喜多八がチエミ、歌武蔵がいずみ、そして喬太郎がひばりといったところか。

< 番  組 >
オープニングコント
林家きく麿「金明竹・博多弁」
柳家喜多八「おすわどん」
~中入り~
柳家喬太郎「ぺたりこん」
三遊亭歌武蔵「強情灸」

携帯を題材にしたオープニングコントだったせいか、この日は最後まで携帯音が鳴らなかった。
場内放送では「携帯は切るかマナーモードに」と言っていたが、これは喬太郎の「必ず切って」が正解。あの振動音は呼び出し音に劣らず不快。
きく麿「金明竹・博多弁」、きく麿はこの9月に真打昇進だそうだが、この日の出来を見る限りでは「ウ~ン」だ。
金明竹で訪れる男が博多弁で九州の名産を並び立てるという趣向だが、面白いと思わなかった。

喜多八「おすわどん」、にぎわい座の館長である桂歌丸が、かつて埋もれていた古典を掘り起こしアレンジしたネタで。その縁で高座に掛けたのだろうか。
先代円楽の持ちネタでもあった。
この噺、私にはいまひとつピンとこない。
オリジナルの古典では、妾のおすわが本妻をイジメて自殺に追い込む。だから毎夜の「おすわどん」の声に怯えるのだ。怪談噺風に持っていって、ストンと落とす。
妾が良い人で本妻との関係も良好という設定なら、「おすわどん」の声に怯えるというは不自然で、オリジナルの方が自然ではなかろうか。

喬太郎「ぺたりこん」、三遊亭円丈の作品だが、不条理で後味も良くないネタだ。
喬太郎の演出は課長の悪意が露骨で、机に掌がくっ付いた男の哀れさが強調される。
しかし観ている観客が不快な思いをせず、けっこう楽しめるのは、喬太郎のマゾヒズムにあると思う。
「按摩の炬燵」をはじめとする一連の盲人ものでも、虐められる側がむしろ楽しんでいるようにさえ見えてくる。
「お菊の皿」のお菊への責め場でも、それを感じる。
この種のネタで喬太郎の高座が説得力を持つのは、そのせいではなかろうか。

歌武蔵「強情灸」、NHK-BSの演芸番組の話題をネタにふって。
ねずっちとか言う芸人が謎かけで売れたせいで、演芸番組でも客席からお題を頂いて、即席で謎かけをやらされる機会が増えたそうだ。とんだトバッチリを受けているわけだ。
歌武蔵の古典はオーソドックスで、クスグリも少ない。
持ち前の明るさとエネルギッシュな高座スタイルで、この日も客席を沸かせていた。
着実に力をつけている。

2010/08/21

海上保安庁は何を隠したかったのか

香川県沖で第6管区海上保安本部(広島市南区)のヘリコプター「あきづる」が18日に墜落し、乗員5人が死亡した事故で、会見のたびに6管の発表がクルクル変わるという失態を演じている。
その要因のひとつに、今回の事故が岡山地検の司法修習生による体験航海向けに「あきづる」がデモンストレーション飛行をした間に起きたにもかかわらず、これを公表しないと決めていたことにある。
体験航海は岡山地検の依頼を受け、司法試験に合格して地検で研修中の司法修習生を対象に水島海上保安部(岡山県倉敷市)が計画。ヘリが所属する広島航空基地(広島県三原市)は18日、計2回の体験航海に合わせたデモ飛行とパトロールの実施を決めた。しかし、18日午後3時10分、ヘリは2回目のデモ飛行の前に墜落した。

6管が事実を公表しないと決めたのは事故当日の18日夜で、現場トップの林敏博・本部長が「それでいこう」と最終判断を下していた。
以後会見は迷走し続け、21日午前までに21回に及んでいる。
デモと事故との間に因果関係は無かったとされており(この点はさらに検討が必要)、それならなぜ事実を隠蔽しようとしたのか疑問が残る。
これから法曹界を担おうとする司法修習生に海保の現場を体験してもらう目的であれば、なにも隠し立てする必要もなかろう。
ここまで組織あげて隠そうとしたのには、特別の理由があったと考えるのがフツーではなかろうか。

先ずは海保と検察の関係を見てみよう。
かたや法務省、かたや国交省の管轄である二つの組織だが、関係は深い。
海上保安庁法には次の規定がある。
【海上保安庁法】
第三十一条  海上保安官及び海上保安官補は、海上における犯罪について、海上保安庁長官の定めるところにより、刑事訴訟法 (昭和二十三年法律第百三十一号)の規定による司法警察職員として職務を行う。
次に刑事訴訟法には、以下のような規定がある。
【刑事訴訟法】
第百九十三条  検察官は、その管轄区域により、司法警察職員に対し、その捜査に関し、必要な一般的指示をすることができる。この場合における指示は、捜査を適正にし、その他公訴の遂行を全うするために必要な事項に関する一般的な準則を定めることによつて行うものとする。
2  検察官は、その管轄区域により、司法警察職員に対し、捜査の協力を求めるため必要な一般的指揮をすることができる。
3  検察官は、自ら犯罪を捜査する場合において必要があるときは、司法警察職員を指揮して捜査の補助をさせることができる。
4  前三項の場合において、司法警察職員は、検察官の指示又は指揮に従わなければならない。
第百九十四条  検事総長、検事長又は検事正は、司法警察職員が正当な理由がなく検察官の指示又は指揮に従わない場合において必要と認めるときは、警察官たる司法警察職員については、国家公安委員会又は都道府県公安委員会に、警察官たる者以外の司法警察職員については、その者を懲戒し又は罷免する権限を有する者に、それぞれ懲戒又は罷免の訴追をすることができる。
(2項以下略)

つまり海上保安官には海上救援活動という任務以外に司法警察官という職務があり、後者については検察の指揮下にあるわけだ。
指揮や指示に従わなかった場合は、検察から懲戒や罷免を受けることになり、コワイ存在なのだ。
地検からの要請で行ったデモ飛行中に事故が起きたことを公表すると、もしかして親分の顔に傷をつけることになるかも知れない。
あるいは検察の要請で、こうした体験航海だのデモ飛行だのを行っていたこと自体、あまり世間に知られたくなかったのかも。
ムダな金を使ってと、また世間から非難されかねないし。
6管が隠したかった理由というのは、この辺りではなかろうか。

もう一歩勘ぐれば、この行事そのものが元々は研修を口実にした官官接待だったニオイも。

とにかく海保は全ての事実を公表し、悲惨な結果になってしまった今回の事故原因を徹底的に調査してほしい。

2010/08/20

【寄席な人々】「ネタ調べ」アレコレ

落語の記事をかくのに苦労することのひとつは、落語のネタ(根多、タイトル、演目、演題)調べがある。
落語会の中には、事前に当日の演目を公表する「ネタ出し」と呼ばれる会があるが、寄席(定席)を含め多くの落語会では当日に出し物が決まる。
終演後に当日の番組を一覧にして貼り出す劇場があるが、あの前でカメラに収めたりメモを取ったりするのはどうも「粋」じゃない気がして、チラッと横目で見るときはあるが、そのまま通り過ぎることが多い。
これはあくまで個人の趣味の問題だけど。
通常は落語をききながら受付で配られるプログラムやチラシの裏にネタをメモしている。タイトルが思い出せなかったり知らなかった場合は、筋の要点をメモし帰宅してから調べている。
ノートや手帳は使ったことがない。これもまた個人の感性によるものだ。
新宿末広亭の桟敷席の最前列の前はカウンターのようになっているが、いつかここで大学ノートを広げずっとメモを取っていた人をみかけて、ああいう野暮な真似はしたくないと思った。

ネット上には、古典落語ネタ帳をインデックス付で公開しているHPがある。噺家のものでは三遊亭円窓のHPが参考になる。
それでも分からなかった場合は、そのままブログにその旨を書いている。
親切な方から正確なタイトルの教示があったり、間違いを指摘されることがあるのは有り難い。こういう点はネットの優れた面だと思う。
古典でも同じものに複数のタイトルが使われている例がある。
有名なところでは「妾馬」と「八五郎出世」で、こういうのは判断に迷う。

古典落語は未だそうした方法で何とか調べられるが、新作のネタとなるとそうはいかない。
先ずは、その噺家の過去の高座をネットで検索し、筋書きから当りをつけてタイトルを推定する。
次にそのタイトルをキーワードにしてさらに検索し、自分が聴いたストーリーと合致しているか確認する。
それでも分からないことがあるし、間違いも起きる。

ネタ調べは面倒なことがあるし、時には1時間以上かかるケースもあるが、検索の過程で新たな知識を得ることも多い。
手間はかかるが得るものも多いのだ。
時々間違いにお叱りを受ける時もあるが、市井の人間の「非公式ブログ」なのでご容赦願いたい。
「そんなことも知らなかったのか!」と言われても、「はい、知りませんでした」と答えるしかない。
なにせ当方は人生の「落伍者」だから。

【追記】
この件で、ご自分の経験を寄せて頂けると有り難いのですが。

2010/08/18

鈴本8月中席夜「さん喬・権太楼特選集」(8/17)

一昨夜、久々に風邪をひいたらしく、一晩高熱と腹痛に苦しめられた。
今年は無理かなと思ったが、昨夕にはなんとか外出できるようになったので、家族の非難の眼を背にして鈴本へ向かう。
鈴本演芸場8月中席夜の部は、吉例夏夜噺「さん喬・権太楼特選集」。
もう10年以上前から通い続けている。
志ん朝健在のころは、浅草演芸ホールの昼席で志ん朝のトリと「住吉踊り」をみて、終わってから地下鉄で移動し、この鈴本の興行をみるのが常だった。5時に鈴本に着いて、ちゃんと席に座れた。
その当時は全席指定だの前売りだのというセコイ話はなかったので、こんな贅沢ができた。思えば良い時代だった。
この日出演の落語家では、白酒以外はすべて先代小さん門下。柳家一門の隆盛を示している。

・柳家喬之助「真田小僧」
開口一番が真打というゼイタクさだが、出来は平凡。
金坊が子供らしく見えないのが欠点。
・三増紋之助「曲独楽」
ハイテンションの独楽回し。
新しい技に挑戦する意欲を買う。
・入船亭扇遊「子ほめ」
前座噺を上手い真打が演じると、こうなるという典型。
このネタってこんなに面白かったっけと思わせる。
・ロケット団「漫才」
今、東京の漫才で一番面白いのは、この人たちではなかろうか。
ネタの鮮度も上々。
・柳家甚語楼「不精床」
そこそこ上手いし面白いのだが、何かが欠けてる。
その何かって何だろうなと考えるが、思いつかない。
・柳家喬太郎「路地裏の伝説」
今日は新作だろうなと思っていたら、やっぱり新作。
やや抑え気味の高座だったが、笑いのツボは外さない。
・柳家紫文「三味線漫談」
・桃月庵白酒「だくだく」
この日の顔ぶれでの中トリは結構プレッシャーがかかるだろうが、体型同様に堂々たる高座。
長屋の男と泥棒の「つもり」の派手な立ち回りで、客席を沸かせていた。

~お仲入り~
・鏡味仙三郎社中「太神楽曲芸」
・柳家権太楼「笠碁」
ここ数回、何となく調子が落ちている印象で心配していたが、この日の権太楼はパワー全開。
爆笑版「笠碁」で客席を一気に明るくする。         
・林家正楽「紙切り」
先日二楽が、正楽は目が悪くて近くのモノも見えない。見えないのによく切れますねと訊いたら、お前は見えないと切れないのかと言われて、やっぱり正楽は凄いと思ったそうだ。
この日は珍しく「ドラえもん」に苦戦していた。
・柳家さん喬「唐茄子屋政談」 
後半がカットされることの多い演目だが、この日は長講ほぼフルバージョン。
前日は権太楼が同じネタを演ったそうで、こういう趣向もこの会ならではだ。
さん喬の優れている点は、人物の性格描写にある。
若旦那と叔父、見るに見かねてカボチャを近所の人に買わせる親切な男、長屋の浪人の女房、因業大家それぞれの人間性がクッキリと描かれる。
例えば親切な男に、「俺にもあんたの叔父さんみたいな人がいてくれたらなぁ・・・」と語らせ、この男の人生を窺わせる、こういう演出にさん喬は長けている。
ここまで正攻法でここまで観客を惹きつける、並大抵の技量ではない。

無理してでも行って良かった、そんな中席夜の高座だった。

2010/08/15

「黙阿弥オペラ」@紀伊国屋サザンシアター

井上ひさし追悼公演「黙阿弥オペラ」が紀伊国屋サザンシアターで上演中だが、8月14日に観劇。
主催は、こまつ座/ホリプロ。

作:井上ひさし
演出:栗山民也
< キャスト >
河北新七: 吉田鋼太郎
五郎蔵: 藤原竜也
及川孝之進: 北村有起哉
円八: 大鷹明良
久次: 松田洋治
陳青年: 朴勝哲
とら/おみつ: 熊谷真実
おせん: 内田慈

ここでチョコット予備知識を。
河竹黙阿弥(本名・新七)は歌舞伎の狂言作者で、「江戸芝居の大問屋」とも「明治の近松」とも称され、その作品の多くは現在も繰り返し上演されている。
時代が幕末から明治に移ると、西洋文明をとりいれようと演劇改良運動が起こり、黙阿弥が書くような狂言はもう旧いという烙印を押され、オペラまで書かされる羽目になる。
黙阿弥は自分の時代は終わったとして一度は引退するが、世間が放っておかない。
再び筆をとって「白波」ものを書き始めるが、これが揃って大当たり。
庶民は官製の西洋演劇より、伝統的な江戸歌舞伎を選んだ。
井上ひさしの言葉を借りるなら、「人の心と言葉、これはそうやすやすと変わりませんよ」がこの芝居のテーマとなっている。

ストーリーは。
舞台は幕末から明治にかけて、両国橋西詰めにある小さな蕎麦屋。
女将は老婆とら。
ここに集まったのは、売れない狂言作者やら泥棒、売れない噺家、浪人者、不良少年たち。
さらに親に捨てられた4才の女の子まで加わり、まるで社会の吹き溜まりのよう。
いつか世の中で成功して金持ちになるという決心のもとで、乏しい小遣いを出し合ってお互いを「株仲間」とする。
女将の娘・おみつや、捨てられた少女・おせんの成長を願いながら、出世すれば、それを配当金にしようというわけだ。
やがて河北新七は「白波作者」として名をあげ、五郎蔵たちも正業に就いて少しずつ安定した生活が得られるようになる。
時代が明治に移ると、彼らは時流にのって高い地位と収入が得られるようになると、遂に仲間内の株を資金に銀行を設立する。
やがて、彼らの利益のために新七やおせんを利用しようとし、これに反発する新七を考えが旧いと攻撃するが・・・。

井上ひさしは、明治維新という日本の近代化の在り方に批判の眼を向けている。
西洋文明の形式、上っ面だけを御上から押し付け、明治以前の思想や文物を受け継いでいない。そういうウワベだけの改革はやがて綻びが生じる、そう主張している。
このことを、江戸時代の庶民の心や言葉で狂言を書き続ける新七と、時流にのってただ金儲けに走る男たち、歌を通して西洋文明のバックグラウンドを掴もうとするおせんを通して、作者は訴えている。
この井上ひさしの批判的精神は、戦前の軍国主義や戦後のアメリカ型民主主義に向けられているのと同じ内容だ。

出演者では、五郎蔵を演じる藤原竜也の演技が断然光る。
正にハマリ役だし、実に楽しそうに芝居をしているのが、観客に伝わってくる。
主人公河北新七役の吉田鋼太郎は、紹介によると歌舞伎を観たことがなかったそうだが、どうしてどうしてセリフ回しが歌舞伎風になっていて、いかにも狂言作者らしい雰囲気を醸し出していた。
老け役と娘役の二役に挑戦した熊谷真実の熱演も光っていたが、声が割れていたのは惜しい。
他の出演者も、個々の演技、アンサンブル共に云う事なし。
全体にとても充実した舞台だった。

公演は東京、山形、大阪で9月12日まで。

2010/08/14

「遊雀たっぷり、ときどき鯉昇」at座・高円寺

「らくご@座・高円寺」の初日公演として「遊雀たっぷり、ときどき鯉昇」が、8月13日に座・高円寺で行われた。
要は、鯉昇をゲストに迎えた遊雀の独演会。
顔ぶれの割に客の入りが悪かったのは、お盆のせいか、高円寺という場所のせいか。

< 番  組 >
三遊亭遊雀「風呂敷」
瀧川鯉昇「船徳」
~仲入り~
林家二楽・他「紙切り」
三遊亭遊雀「居残り佐平次」

前座なしで遊雀が登場、これは正解で寄席以外の独演会などでは、前座を出すのはやめた方がいい。
明日、明後日とネタおろしを控えていて、そっちで頭が一杯と言っていたが、2席とも細かな言い間違いが目立ったのはそのせいか。
落語の稽古を近所のカラオケでしているとのこと。そういう使い方もあるのか。
「風呂敷」の冒頭で「また夫婦喧嘩」というセリフがあったが、別にこの女房は喧嘩して飛び出したんではないのだから、これはちょっと変。
実は家では女房の方が強かったという設定も、この噺の展開にシックリこない。
なんとなくエンジンが掛らぬまま1席目が終わってしまったような印象だった。

鯉昇「船徳」はもう十八番と言って良いだろう。
先代文楽とは異質の鯉昇版「船徳」になっているが、これとして完成形に達している。
かなりデフォルメしているようで、噺の筋はキチンと押さえているのはさすがだ。
何回聴いても面白いし、鯉昇の演出も毎回少しずつ変えている。
今回はどこが変わったのかと探す楽しみもある。
前半を終えたところで、あれ、今日は「鯉昇たっぷり」の間違いかと思ってしまった。

後半の二楽の紙切りには、遊雀や鯉昇、それに寒空はだかまでゲストで加わり、賑々しく。
ファンサービスが中心の、「紙切り」というより「大喜利」。

遊雀「居残り佐平次」は、後半の佐平次が座敷を回って客をヨイショする場面から面白くなってきた。
こういうシーンになると、遊雀の魅力がタップリと味わえる。
最後の、主人から30両強請る場面の小悪党ぶりも良く出来ていた。
惜しむらくは、肝心なところでセリフを噛むのが散見され、そのぶん興をそがれてしまう。

二楽から「東京タワーとかけて」と問われ、「遊雀と解く。そのこころは、後から抜かれる」と自嘲気味に言っていたが、半分冗談で半分本気とみた。
遊雀ファンには悪いが、数年前の三太楼時代の、人気・実力を喬太郎と競っていた頃の輝きは薄れてきているように思う。
小さくまとまって欲しくない噺家であり、やがては芸協の屋台骨を背負って立つべき人なので、巻き返しを期待したい。

2010/08/11

国立演芸場8月上席(楽日)

この暑さの中、4日間連続で落語三昧。
別に寄席の決死隊になったわけではなく、お盆休みで孫のお守りから解放されている。
だからこの日のように、平日の昼間から寄席に行ける幸せを噛みしめつつ、8月10日楽日の国立演芸場へ。

前座・春風亭ぽっぽ「垂乳根」
前座としてテキパキと仕事をこなしてる姿は度々見受けるが、高座は入門したてのころ以来で、着実に上手くなっている。
いや元々上手かったのだ。
それだけに痛ましく感じ、「落語家は女に向かない職業」の記事で当時の彼女をとりあげた。だから目の前の高座姿を見ると、面映い。
ちなみに当ブログへのアクセスのキーワードでは、落語家の中では喬太郎や談春といった人気者を抑えて、「ぽっぽ」が断トツの1位だ。
アイドル視されているのだろうか。
・春風亭一左「子ほめ」
普通は前座の後に二ツ目が登場してくると、こんなに違うんだと思わせるのだが・・・。
・三遊亭歌奴「鹿政談」
先代(現・円歌)と違って、朗らかで大らかな芸風に好感が持てる。
このネタも歌奴が演じると湿っぽさがない。
・ダーク広春「奇術」
寄席に出る手品師は、手品の技術より喋りが大事。
・三遊亭金時「不孝者」
落語によく出てくる道楽者の若旦那の噺だが、このネタは後半の展開が違う。
ストーリーは、
若旦那を使いに出せば今日も今日とて茶屋遊び。
奉公人では頼りにならずと、大旦那が下働きのむさくるしい身なりに扮装して、その茶屋へ乗り込む。
二階では若旦那がどんちゃん騒ぎで相手にされず、奉公人に見られてしまった大旦那は一階の布団部屋に入れられ、燗冷ましの酒で待たされる。
そこに酔いを醒ましに座敷を抜けた芸者が誤って入ってくるが、その芸者こそ大旦那がかつて世話をしていた相手で・・・。
先ずはこの出番でこのネタを選んだ、金時の了見がいいじゃありませんか。
時間の関係でやや短縮版になっていたが、芸者がすてられた恨みつらみを涙ながらに語り、それを受け止めようとする大旦那とのヤリトリは聴いていてグッとくる。
金時の演じる大旦那は、風格の中にかつて遊び人だった面影を残し、芸者の儚さと共に上出来。
金時の力量を見せつけた一席。
・柳家小満ん「幽女買い」
内容は、上方落語「地獄八景亡者の戯れ」の東京版といったところ。
むしろ小満んがマクラで、かつてのお盆のお迎え火について細かな解説をしていたが、子どもの頃を思い出し懐かしかった。
食うや食わずの時代だったが、お盆の作法だけはどこの家でもきちんとやっていた。
【訂正】
トシ坊様よりご指摘があり、ネタの題名を「幽女買い」に訂正しました。
古典を立川談志が掘り起こしたものだそうで、「遊女」があの世だと「幽女」、「新吉原」が「死に吉原」といった言葉遊びが随所に出てきます。

―仲入り―
・ホンキートンク「漫才」
・宝井琴柳「清水次郎長伝より『小政』」
落語では聴いたことがあるが、オリジナルの方の講談は初めて。
かつてヤクザは庶民のヒーローだった時代の物語。
・翁家勝丸「曲芸」
・春風亭一朝「抜け雀」
4人の登場人物、宿の主、その妻、無一文の客、その父の演じ分けがしかりとしていて、上出来の「抜け雀」だった。
特に好人物の宿の亭主の描写が秀逸。
オチも今の人には分りづらいので、マクラで「駕篭かき」の解説をしていたのも親切。

平日の昼席なので止むを得ないだろうが、客席がガラガラだったのは、高座の内容から見ると勿体なかった。

2010/08/10

今年のベスト「柳家三三・三ヶ月連続独演会」@横浜にぎわい座

「柳家さんと00さん~柳家三三・三ヶ月連続独演会~」と題する会が横浜にぎわい座で行われた。
三三が毎回、名人文楽・志ん生・先代金馬に縁のあった各先輩をゲストに招き、その芸談を聞くという趣向のようだ。
8月9日はその1回目で、八代目桂文楽の内弟子だった柳家小満んをゲストに。
三三が小満んを尊敬しているというのは前から知っていたので、この会には行きたかったが、当初は都合がつかずにいた。
たまたま所用がなくなり、急きょ5日前に電話を入れて席が確保できた。

< 番  組 >
開口一番・柳家わさび「牛ほめ」
柳家三三「夏泥」
柳家小満ん「鰻の幇間」
~仲入り~
小満ん/三三「対談」
柳家三三「年枝の怪談」

柳家三三「夏泥」
一昨日の三三が「ゆるい三三」なら、この日の三三は「緊張の三三」。
マクラを振りながら、自らの緊張を解こうとしている様子が分かる。
師匠・小三治譲りか、一門の噺家は泥棒ネタを得意にしている。
所持金をすっかり巻き上げられるお人好しの泥棒と、したたかな長屋の男との対比を、夏の季節感を出しながら好演。

柳家小満ん「鰻の幇間」
師匠・文楽の持つ「艶」を最も継承しているのは、小満んではなかろうか。
演じた幇間に色気があり、いかにもそれらしい。
幇間が前半に思い描く期待と後半の失意との大きな落差。
考えてみるとこのネタ、けっこう残酷だ。
小満んの演出は一切の飾りもムダもなく、引き締まった高座だった。

小満ん/三三「対談」
テーマは文楽の思い出で、とてもいい雰囲気の中で話が弾む。
・学生時代の小満んが憧れの文楽の自宅を訪れると、ムリヤリ弟子にされてしまった。
・当時入門には2万円(サラリーマンの給料の約2か月分)の保証金を納めねばならず、横浜で学習塾を開いて資金をつくった。
・毎朝6時に掃除を始めて、床磨きが一番の楽しみだった。
・常に正座していなければならず、膝を崩してお上さんにビンタを食らったことがあった。
・文楽はその日の高座に掛ける前に、必ず弟子たちを前に置いてさらう。それが稽古になっていた。
・文楽の口ぐせは、「あたしが許しても、天が許しません」。
・文楽の死後、先代小さん門下に移るが、小さん一門の自由な雰囲気に驚かされた。
などなど。
話を聴きながらふと思ったのだが、小満んが文楽を継ぐのが一番自然だったのではなかろうか。
当代の文楽は余りに芸風が違いすぎる。

柳家三三「年枝の怪談」
私は初見。
このネタ、昭和30年代に彦六の八代目林家正蔵が創った新作落語だそうだ。
古典一筋と思われがちな先代正蔵だが、意外に新作も手がけていて、それも珠玉の作品が多い。
ストーリーは。
江戸で人気があった二代目春風亭柳枝、一門を引き連れて神奈川で2軒掛け持ちの興行を打つが、これが大入り。
トリに起用した弟子の年枝も評判がよく、柳枝はすっかり気を良くしていた。
その宿に深夜、年枝が訪ねてきて、宿屋で呼んだ按摩があんまり年枝の芸を非難するので言い争いとなり、誤って絞め殺してしまったと告白する。
師匠は自首を勧めるが、年枝は芸を磨くといって旅に出てしまう。
地方を巡って名を上げ、やがて招かれて金沢の寄席に出るが、ここでも大入り。
席亭から、夏場でもあるしと求められた怪談噺を高座にかけると、客席にあの時の按摩が。
宿に戻って風呂に入ると、風呂場にまた按摩が。
年枝は按摩の供養にと決心して仏門に入り、やがて新潟の別寺を任されることになった。
ある日街で柳枝一門の公演のビラを見た年枝は、なつかしさの余り師匠の宿舎を訪ねるが・・・。

緊張感が気合に変わり、長講一席、最初から最後まで間然とするところがなく、グイグイと観客を引き付けた。
三三の語りの上手さに圧倒される。
このネタ、年枝の怪談噺の場面で「真景累ヶ淵より豊志賀の死」をダイジェストで語るのだが、これもなかなか良い。
つまり一粒で二度美味しいのだ。

落語会が終わって、今日が今年のベストと思わせる会というはメッタにあるものではない。
そう思わせたこの日の三三独演会だった。

2010/08/09

日本フィルハーモニー交響楽団@ミューザ川崎

現在ミューザ川崎シンフォニーホールでは“フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2010”を開催していて、8月8日には日本フィルハーモニー交響楽団の演奏会が行われた。
このホールはJR川崎駅と直結しており、恐らく日本一交通便の良い劇場だと思われる。
シンフォニーホールは、螺旋構造をした客席空間が、中央のステージを360度取り囲むワインヤード形式を採用している。
舞台がちょうど谷底に位置しているような構造になっていて、これならどの席からも舞台が見えるだろう。
座席数は約2000席。

Photo
音響も素晴らしい。
2階席だったが、音が目の前で鳴り響く。
午後3時の開演だが、2時15分から弦楽器4名が加わった指揮者によるプレトークがあった。
曲の聴き所や、作曲家のメロディ創りの特長などが分かりやすく紹介され、私たちシロウトには有り難い。

【出 演】
指揮:シズオ・Z・クワハラ
日本フィルハーモニー交響楽団
ソプラノ:安井陽子 *
クラリネット:伊藤寛隆(日本フィル首席奏者)**
【プログラム】
ラフマニノフ:ヴォカリーズ*
コープランド:クラリネット協奏曲**
ラフマニノフ:交響曲第3番

コンサートのテーマはロシアとアメリカだ。
ラフマニノフはロシアの作曲家だが、革命でアメリカに渡り二度と故郷の土を踏むことがなかった。
コープランドは米国人だが、ロシアからの移民の家庭で育った。
指揮者のシズオ・Z・クワハラは日本で生まれアメリカに移住、現在は米国を中心に活躍している人だ。
ついでに、日本フィルの主席指揮者ラザレフはロシア出身。

演奏だが、ソプラノの声とクラリネットの音には多少不満が残ったが、最後の第3番は良かった。
指揮者と演奏者の熱気が伝わってくるようだった。
日本フィルといえば、1972年に文化放送とフジテレビから一方的に放送契約を打ち切られ(その後和解した)財団は解散、と同時に楽団は分裂して新日本フィルがつくられる。
以後は争議を続けながら市民オーケストラとしての演奏活動を行い、財団として再建できたのは1985年になってからだ。
日本フィルが辿った苦難の道と、全財産を残して米国に渡ったため一時期、生活のために作曲家としてよりピアニストとして糧を得ていたとされるラフマニノフとが、頭の中で二重写しになって、演奏に聴き入ってしまった。

2010/08/08

#14たから寄席@寳幢院

東京は南のドンズマリ、西六郷にある寳幢院(ほうどういん)で定期的に開かれている「たから寄席」、その第14回が8月7日開かれた。
カンカン照りの日差しを浴びて会場へ向かったが、今回は本堂ではなくクーラーがきく別室ということで一安心。部屋はひとまわり狭く、およそ50名ほどの入りか。
団扇とウーロン茶500mlボトルのサービスが付いていたのも嬉しい。

< 番  組 >
橘家圓十郎「犬の目」
柳家三三「二十四孝」
~仲入り~
圓十郎/三三「トーク」
柳家三三「ダイヤルMを廻せ」
橘家圓十郎「お菊の皿」

途中のトークやマクラの中で、「ヘェー」と思わされたことがあった。
この会は「圓十郎&三三の二人会」という企画で、真打になったのは圓十郎が1年先輩なのだが、三三が中心で圓十郎に声をかけたという経緯のようだ。
池袋8月下席で三三と正蔵が交互にトリをとるのだが、ここでも三三が圓十郎に出演を依頼したとのこと。
寄席の世界はやはり集客力が強いものが主導権をとれるということを、改めて認識した。
厳しい世界ですね。
芸風も体形も対照的な二人が、どんな高座を見せてくれるだろうか。

柳家三三の1席目「二十四孝」。
このネタ、意外と難しいんだなと感じさせられたのは、圓生と先代圓楽の録音を聴いてからだ。これが二人ともダメ。
唄うように語った三代目春風亭柳好が良い手本で、この噺は会話に軽快なリズムが必要で、リズム感がないと間延びした退屈なものになってしまう。
その点、三三の喋りには独特のリズムがあり、心地良く聴けた。
ほとんどフルバージョンだったにも拘らず、飽きさせない。
乱暴者として描かれる八五郎をトボケタ性格に設定し、サゲも独自なものに変えていたが、これはこれで成功していた。

2席目は珍しく新作で「ダイヤルMを廻せ」、かつてのヒッチコック映画のタイトルから借用か。
オレオレ詐欺の話題に人情話をからめたストーリーだったが、ここでも三三の語りの上手さが生かされていた。
天性もあるだろうが、趣味は講談で毎日聴いているとある。
そうした日ごろの鍛錬が大事なのだ。

さて圓十郎の高座だが、2席とも真打のレベルとは言い難い。
明るいし、マクラやトークはそこそこ楽しめるが、本題にはいるとどうも宜しくない。
先ず、滑舌があまり良くない。
それに加えて明らかに稽古不足が原因と思われるが、会話で同じセリフの繰り返しが多い。
プロである以上、きちんと稽古をして仕上げてから高座にかけるべきだろう。
主催者(司会者)が、出身の長野と住まいのある千葉が活動の中心で、東京では珍しいと紹介していたが、ムベなるかな。
「面白い落語家を目指す」という志向はよいが、「笑われる」より「笑わせる」話芸を磨いてほしい。

2010/08/06

【目クソ鼻クソ】川田龍平の菅首相批判

我が家のPCのwordは賢い。
「へんせつかん」と入力すると、「変節菅」(正しくは変節漢)と変換する。
ここまで態度がクルクル変われば、「変節菅」は自他共に認めるところだろう。
それでも「お前にだけは言われたくない」と反論したくなったに違いない。
その相手とは、昨日の参院予算委員会で質問に立った川田龍平議員である。

川田龍平は参院東京選挙区から立候補し、無所属ではあったが自民党政治と明確に対決する政治姿勢を打ち出し当選した。
しかし議員になるや、さっさと保守党である「みんなの党」に入党してしまった。
川田に投票した多くの有権者は、裏切られた気持ちを持っていると思われる。
例えば選挙の時、川田龍平は外交・安保政策で「最終的には自衛隊と在日米軍を解消する」と主張していた。
それに対して「みんなの党」は「日米同盟を基軸とする」という立場で、公務員改革を除けば自民党と基本政策に差がない。経済政策では新自由主義であり市場原理主義者である。
自らの主張と正反対の政党に入党したことを、川田は有権者にどう説明するのだろうか。
選挙運動を支えた支援者の大半が離反してしまったといわれているが、当然であろう。

予算委員会の中で川田龍平議員は、「がっかりだ。厚相の菅さんと首相の菅さんでは違ってしまった。」と批判したそうだが、その言葉はそっくりそのまま川田龍平に返ってくる。
菅と川田、昨日の予算委員会はどっちの変節がよりヒドイのかという、競演の舞台となった。

「原爆を許すまじ」を国民歌に

【原爆を許すまじ】
浅田石二 作詞
木下航二 作曲
1ふるさとの街やかれ
 身よりの骨うめし焼土に
 今は白い花咲く
 ああ許すまじ原爆を
 三度許すまじ原爆を
 われらの街に
2ふるさとの海荒れて
 黒き雨喜びの日はなく
 今は舟に人もなし
 ああ許すまじ原爆を
 三度許すまじ原爆を
 われらの海に
3ふるさとの空重く
 黒き雲今日も大地おおい
 今は空に陽もささず
 ああ許すまじ原爆を
 三度許すまじ原爆を
 われらの空に
4はらからのたえまなき
 労働にきずきあぐ富と幸
 今はすべてついえ去らん
 ああ許すまじ原爆を
 三度許すまじ原爆を
 世界の上に

ボクはこの歌を、今でもソラで歌える。
そして、いつも歌いながら胸が詰まってくる。
ネットで長崎出身の方が、毎年8月9日に学校でこの歌を歌ったと書かれているが、特に若い人たちの中では知らない人が大多数ではあるまいか。
どちらかというと平和運動や労働運動の歌として分類されがちだが、この歌こそは国民歌としての資格を十分持っている。

太平洋戦争の直後には、アメリカではもう原爆さえあれば他の兵器は必要ないとされ、大幅に軍事予算がカットされた時期があった。
その後も核兵器は増産され、一時期は地球上の人間を7回殺せる程の、”over killed”と称された保有量に達していた。
しかしその後の、朝鮮戦争でもベトナム戦争でも核兵器を使用すべしという強い意見があったものの、遂に使われることはなかった。
これは現在のアフガニスタン、イラクへの侵攻においても同様だ。
米国だけではない。
ロシア(旧ソ連)など他の核保有国も各種紛争などで、核兵器を使うチャンスはあったにも拘らず、実際には使用していない。

原因はいくつかあるだろうが、やはり広島と長崎の悲惨な被爆体験を通して、核兵器がいかに非人道的なものであるかが明らかにされたというの事が大きな理由だろう。
そして「原爆許すまじ」の歌詞にある「三度許すまじ」は、現状ではその通りになっている。
国際世論においても、ようやく核兵器廃絶の声が高まりつつあり、先ずは核軍縮の方向へ少しずつ歩み始めている。

国民歌というと、どうも軍国歌謡を連想しがちだが、そんなことはない。
戦後、今のサントリーが「われら愛す」を新国民歌として提唱したことがあるし、オリンピックや万博の歌も国民歌として扱われている例もある。
「原爆許すまじ」は、日本人しか歌えない。
ぜひ文科省あたりが腰をあげて、国民歌として制定して欲しい。

2010/08/04

「柳家喬太郎」三本立て(井戸茶・DJ・ネタおろし)

TOKYO FM 開局40周年記念「柳家喬太郎独演会」が8月3日、グランドアーク半蔵門「富士」で行われた。
サブタイトルが「私、ラジオの味方です」。
人相風体のふさわしからぬ人たちがゾロゾロと吸い込まれてゆくと、打ち揃ってエスカレーターで4階へ。
会場は披露宴かパーティーに使われているような部屋で、ここで落語をやるんかいと何だか落ち着かない気分だ。
入場すると既に高座がしつらえていて、メクリには喬太郎一人の名前だけ下がっている。
なんでFM-TOKYOの記念番組に喬太郎独演会かというと、この7月2日から同局で「柳家喬太郎のキンキラ金曜日」という番組を放送しているのだそうだ。
もっとも会場に来た人のほとんどは喬太郎の落語目当てで、その番組を聴いたことがない人が大半だったようだ。
古典と新作落語を一席ずつ、間に番組の公開収録をアンコではさむというのが、この日の趣向。

柳家喬太郎「井戸の茶碗」
番組公開収録「柳家喬太郎のキンキラ金曜日」
柳家喬太郎「ラジオの話(ネタおろし)」

喬太郎の井戸茶は初めて。マクラを含めて50分の高座。
演者も会場もなんとなく緊張していたのと、演者からすれば今日の客筋がつかめていないことから、珍しく古典的な小咄をつなげて反応を見ていたようだ。
昔の職業で「耳そうじ」は無かったのではと言っていたが、これは不勉強。江戸時代に実際にあったもので、俳句にも残されている。
「奥山で耳をほらせて不如帰」だったかな。
この噺、屑屋、浪人、侍三人の演じ分けがポイントだが、喬太郎の描く人物像はさすがにクッキリとしていて上手い。
特に細川家家来・高木佐太夫の颯爽とした性格描写が鮮やか。
同じ正直でも、やはり武士と町人とでは程度が違うというのは喬太郎独自の解釈だろうが、説得力がある。
独特のクスグリも入れ込み、スピーディーな場面展開で客席をわかせていた。

番組収録だが、これは初体験。
番組用の舞台を設営している間、アサリだかシジミだかという女性アナウンサーが会場から「お題」を頂戴していたが、この人は下手だ。
ツカミが出来ないから、やや場内は白け気味。
ADの服装があまりにヒドイのも気になった。普段と違い公開放送なのだから、もうチョットまともな服装をすべきじゃないのか。
私服の喬太郎が登場、もうすっかり太目の芸能人というスタイル。
かつて少年時代には、1970年代を代表する歌手・麻丘めぐみの大ファンだったと告白。
でも成長に従って、大場久美子などへ移っていったと語る途端に、サプライズゲストとして麻丘めぐみが登場。そこで喬太郎はメロメロ、すっかり素に戻ってしまった。
でもさすがに即席の三題噺を、しかも3分間という制限の中でまとめ上げたのは、さすが。
この日の麻丘めぐみもそうだが、舞台でかつてのアイドルを観る機会があるが、美しさを保っているのにビックリする。さすがプロだ。

本日ネタおろしの新作落語、終りに「『ラジオの話』、今日はこの辺りで。」と言っていたので、タイトルを「ラジオの話」としておく。
新作落語のネタおろしというのは、作ってきたものを先ずは客の前でそのまま披露し、反応をみながらネタを刈り込む、あるいは改変するというプロセスになるのだろう。時にはボツにもなろう。
定番の男女の出会いと別れがテーマで、商店街の人情オヤジも登場。
そこにラジオ番組が媒体と使われることを除けば、ストーリー自体に新味はない。
全体に冗長でやや飽きるが、それでも最後まで聴かせていたのは、やはり喬太郎の話芸の力だ。

約3時間に及ぶ奮闘公演だったが、ややもの足りなさを感じた。
喬太郎の熱烈なファンにとっては、落語家、芸能人、素の三態をみられて満足したことだろう。

2010/08/01

【2児遺棄事件】私たちに責任はないだろうか

この7月、多くの人々が最も心を痛めた事件は、大阪市西区でおきた二人の幼児が母親に自宅マンションに置き去りにされ放置され、遺体で発見された事件だろう。
亡くなった桜子ちゃん(3)と長男の楓ちゃん(1)のことを思うと胸が詰まるし、置き去りにした下村早苗容疑者(23)の行為には強い怒りを感じる。
しかし、下村早苗を「鬼母」とよんで非難するだけで済ませていいものだろうか。
子育てを経験した人なら、3才と1才二人の子どもの面倒を見ることの大変さはよく分かると思う。
ましてや周囲に頼りになる人が誰もおらず、一人で孤立しての子育てとなればなおさらだ。
この容疑者の、「子供の世話が嫌になり、いなければよかったと思い」という供述にも、私もそう思ったことがあるという人も少なくないではなかろうか。
思うことと実行することには大きな違いはあるが。

事件の根本には児童虐待という大きな社会問題が横たわっている。
全国の児童相談所が2009年度に対応した児童虐待は過去最多の4万4210件に上り、また2008年度の虐待による死亡事例は、前年度より増えて107件128人に達している。
08年度からは、児童相談所が強制的に立ち入り調査できるようになったが、実施されたのは1件にとどまった。全国でたったの1件だったのだ。
児童虐待を防ぐ体制も法的整備も、全て不足している実態が浮かび上がっている。

被害を受けた子どもたちを最終的に救済するのは児童養護施設ということになるが、こちらは施設不足、資金不足、人手不足が慢性化しているようで、要請に対応し切れていない姿がうかがえる。
それにもまして驚きは、児童養護施設を計画すると、近隣住民の反対で建設できなくなるケースがあるといのだ。
近ごろ保育園の建設を周辺住民が反対したり、子どもの声がうるさいと文句を言われ園児を表で遊ばせられない保育園もあると聞く。
小学校の運動会の音楽にさえ、近隣から抗議があるという世の中。
自分たちの周りに子どもの施設ができることを嫌う風潮。
こんな大人たちが、はたして事件を起こした母親を責められるだろうか。

「子どもは社会共通の宝」のはずだ。
少なくとも、足をひっぱるような真似はやめて欲しい。

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