「柳家喬太郎」三本立て(井戸茶・DJ・ネタおろし)
TOKYO FM 開局40周年記念「柳家喬太郎独演会」が8月3日、グランドアーク半蔵門「富士」で行われた。
サブタイトルが「私、ラジオの味方です」。
人相風体のふさわしからぬ人たちがゾロゾロと吸い込まれてゆくと、打ち揃ってエスカレーターで4階へ。
会場は披露宴かパーティーに使われているような部屋で、ここで落語をやるんかいと何だか落ち着かない気分だ。
入場すると既に高座がしつらえていて、メクリには喬太郎一人の名前だけ下がっている。
なんでFM-TOKYOの記念番組に喬太郎独演会かというと、この7月2日から同局で「柳家喬太郎のキンキラ金曜日」という番組を放送しているのだそうだ。
もっとも会場に来た人のほとんどは喬太郎の落語目当てで、その番組を聴いたことがない人が大半だったようだ。
古典と新作落語を一席ずつ、間に番組の公開収録をアンコではさむというのが、この日の趣向。
柳家喬太郎「井戸の茶碗」
番組公開収録「柳家喬太郎のキンキラ金曜日」
柳家喬太郎「ラジオの話(ネタおろし)」
喬太郎の井戸茶は初めて。マクラを含めて50分の高座。
演者も会場もなんとなく緊張していたのと、演者からすれば今日の客筋がつかめていないことから、珍しく古典的な小咄をつなげて反応を見ていたようだ。
昔の職業で「耳そうじ」は無かったのではと言っていたが、これは不勉強。江戸時代に実際にあったもので、俳句にも残されている。
「奥山で耳をほらせて不如帰」だったかな。
この噺、屑屋、浪人、侍三人の演じ分けがポイントだが、喬太郎の描く人物像はさすがにクッキリとしていて上手い。
特に細川家家来・高木佐太夫の颯爽とした性格描写が鮮やか。
同じ正直でも、やはり武士と町人とでは程度が違うというのは喬太郎独自の解釈だろうが、説得力がある。
独特のクスグリも入れ込み、スピーディーな場面展開で客席をわかせていた。
番組収録だが、これは初体験。
番組用の舞台を設営している間、アサリだかシジミだかという女性アナウンサーが会場から「お題」を頂戴していたが、この人は下手だ。
ツカミが出来ないから、やや場内は白け気味。
ADの服装があまりにヒドイのも気になった。普段と違い公開放送なのだから、もうチョットまともな服装をすべきじゃないのか。
私服の喬太郎が登場、もうすっかり太目の芸能人というスタイル。
かつて少年時代には、1970年代を代表する歌手・麻丘めぐみの大ファンだったと告白。
でも成長に従って、大場久美子などへ移っていったと語る途端に、サプライズゲストとして麻丘めぐみが登場。そこで喬太郎はメロメロ、すっかり素に戻ってしまった。
でもさすがに即席の三題噺を、しかも3分間という制限の中でまとめ上げたのは、さすが。
この日の麻丘めぐみもそうだが、舞台でかつてのアイドルを観る機会があるが、美しさを保っているのにビックリする。さすがプロだ。
本日ネタおろしの新作落語、終りに「『ラジオの話』、今日はこの辺りで。」と言っていたので、タイトルを「ラジオの話」としておく。
新作落語のネタおろしというのは、作ってきたものを先ずは客の前でそのまま披露し、反応をみながらネタを刈り込む、あるいは改変するというプロセスになるのだろう。時にはボツにもなろう。
定番の男女の出会いと別れがテーマで、商店街の人情オヤジも登場。
そこにラジオ番組が媒体と使われることを除けば、ストーリー自体に新味はない。
全体に冗長でやや飽きるが、それでも最後まで聴かせていたのは、やはり喬太郎の話芸の力だ。
約3時間に及ぶ奮闘公演だったが、ややもの足りなさを感じた。
喬太郎の熱烈なファンにとっては、落語家、芸能人、素の三態をみられて満足したことだろう。
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