「黙阿弥オペラ」@紀伊国屋サザンシアター
井上ひさし追悼公演「黙阿弥オペラ」が紀伊国屋サザンシアターで上演中だが、8月14日に観劇。
主催は、こまつ座/ホリプロ。
作:井上ひさし
演出:栗山民也
< キャスト >
河北新七: 吉田鋼太郎
五郎蔵: 藤原竜也
及川孝之進: 北村有起哉
円八: 大鷹明良
久次: 松田洋治
陳青年: 朴勝哲
とら/おみつ: 熊谷真実
おせん: 内田慈
ここでチョコット予備知識を。
河竹黙阿弥(本名・新七)は歌舞伎の狂言作者で、「江戸芝居の大問屋」とも「明治の近松」とも称され、その作品の多くは現在も繰り返し上演されている。
時代が幕末から明治に移ると、西洋文明をとりいれようと演劇改良運動が起こり、黙阿弥が書くような狂言はもう旧いという烙印を押され、オペラまで書かされる羽目になる。
黙阿弥は自分の時代は終わったとして一度は引退するが、世間が放っておかない。
再び筆をとって「白波」ものを書き始めるが、これが揃って大当たり。
庶民は官製の西洋演劇より、伝統的な江戸歌舞伎を選んだ。
井上ひさしの言葉を借りるなら、「人の心と言葉、これはそうやすやすと変わりませんよ」がこの芝居のテーマとなっている。
ストーリーは。
舞台は幕末から明治にかけて、両国橋西詰めにある小さな蕎麦屋。
女将は老婆とら。
ここに集まったのは、売れない狂言作者やら泥棒、売れない噺家、浪人者、不良少年たち。
さらに親に捨てられた4才の女の子まで加わり、まるで社会の吹き溜まりのよう。
いつか世の中で成功して金持ちになるという決心のもとで、乏しい小遣いを出し合ってお互いを「株仲間」とする。
女将の娘・おみつや、捨てられた少女・おせんの成長を願いながら、出世すれば、それを配当金にしようというわけだ。
やがて河北新七は「白波作者」として名をあげ、五郎蔵たちも正業に就いて少しずつ安定した生活が得られるようになる。
時代が明治に移ると、彼らは時流にのって高い地位と収入が得られるようになると、遂に仲間内の株を資金に銀行を設立する。
やがて、彼らの利益のために新七やおせんを利用しようとし、これに反発する新七を考えが旧いと攻撃するが・・・。
井上ひさしは、明治維新という日本の近代化の在り方に批判の眼を向けている。
西洋文明の形式、上っ面だけを御上から押し付け、明治以前の思想や文物を受け継いでいない。そういうウワベだけの改革はやがて綻びが生じる、そう主張している。
このことを、江戸時代の庶民の心や言葉で狂言を書き続ける新七と、時流にのってただ金儲けに走る男たち、歌を通して西洋文明のバックグラウンドを掴もうとするおせんを通して、作者は訴えている。
この井上ひさしの批判的精神は、戦前の軍国主義や戦後のアメリカ型民主主義に向けられているのと同じ内容だ。
出演者では、五郎蔵を演じる藤原竜也の演技が断然光る。
正にハマリ役だし、実に楽しそうに芝居をしているのが、観客に伝わってくる。
主人公河北新七役の吉田鋼太郎は、紹介によると歌舞伎を観たことがなかったそうだが、どうしてどうしてセリフ回しが歌舞伎風になっていて、いかにも狂言作者らしい雰囲気を醸し出していた。
老け役と娘役の二役に挑戦した熊谷真実の熱演も光っていたが、声が割れていたのは惜しい。
他の出演者も、個々の演技、アンサンブル共に云う事なし。
全体にとても充実した舞台だった。
公演は東京、山形、大阪で9月12日まで。
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