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2010/09/29

#3成城寄席(9/28昼)@成城ホール

世田谷の成城ホールで行われている成城寄席、第3回は9月28日に開かれ、昼夜公演の昼の部に出向く。
談春、喬太郎の二枚看板が顔を揃えたとあって、自由席だということで午後1時開演なのに午前11時にはもう並んでいた人もいたとか。熱心というか、ヒマというか・・・。
この会、喬太郎が冒頭に「談春師匠からお誘いがあって」と言っていたので、談春が中心の会らしい。
仲入りを挟んで前半が立川流、後半が落語協会になっていた。

前座・立川春樹「浮世根問」
全く物怖じしない落ちついた高座は、前座とは思えないほどだ。素質は十分とみた。
クスグリも入れ込んで、面白く聴かせていた。
・立川志の吉「寿限無」
後から登場した談春が「志の吉と談修は次の真打」と紹介していたが、それで「寿限無」が得意とは・・・。
拍手と笑いで大受けだったが、アタシには何が面白いのかさっぱり分からなかった。
それと芸人は腰が低いことや謙るのは良いが、卑屈になっているという印象を与えるのは好ましくない。
・松元ヒロ
一般にピン芸と呼ばれているが、これはジャンルを表すものではない。漫談でもないし、こういう芸をなんと言うのだろうか。
ライブでは初見だったが、面白かった。
パントマイム出身だけあって動きがキレイだし、流暢とはいえないトークも味があって良かった。
個人的には時事ネタを入れて欲しかったが。
・立川談修「宮戸川」
談志の「死ぬ死ぬ詐欺」をマクラに本題へ。
無難な出来だったが、せっかくこうした会だから、もう少し意欲的なネタに取り組んで欲しかったように思う。
会場の反応から、今日は甘い客と見たか。
・立川談春「替り目」
今日出演の若手をいじってから本題へ。
通常はこのネタに登場する亭主は泥酔状態なのだが、談春の演出はそれほど深酔いしていないという設定。女房もただ従順というよりは、キツイ面を持たせている。
女房が出かけたと思い込んだ亭主の独白の場面では、自分が死ぬ前に感謝の言葉を口にしたいと言い、もし女房の方が先に死ぬようなことがあったらと涙にくれる、夫婦の情愛の深さを示す談春独自の演出。
こういう「替り目」もいい。

~仲入り~
・橘家文左衛門「のめる(二人癖)」
かつては池袋演芸場で受ける噺家というイメージがあったが、ここ数年で一新した。すっかり人気落語家の一員になってしまった。
この人の魅力は、「程よいアクの強さ」だ。
品は良いとはいえないが、決して卑しくない。
このネタ、久々だったが楽しめた。
・柳家小菊「粋曲」
いつ聴いても、いいねぇ。
特に「淡海節」は絶品。やはり基礎がしっかりしているからだろう。
・柳家喬太郎「死神」
本人は古典は1週間ぶりと言ってたが、稽古不足のせいだろうかセリフのトチリが多かった。
こういうネタは、セリフがつかえると聴いている側の緊張感が薄れてしまう。
喬太郎にしては、平凡な出来の「死神」だった。

ニュースで、古今亭志ん五の訃報に接した。
61歳、まだまだ若いというのに残念だ。
真面目な顔で喋るのだが、とぼけた面白みに溢れた高座で、いつも楽しませてくれた。
ご冥福を祈る。

2010/09/27

いつまでやる気だ「円楽襲名興行」

「チケットぴあ」などのプレイガイドのお気に入りに登録しておくと、興行の案内やチケットの発売日がメールで優先的に送られてくる。
私の場合、「落語」と「関東地方」というキーワードで登録しているが、案内のおよそ半数が「六代目三遊亭円楽襲名公演」の知らせなのだ。
楽太郎が六代目円楽を襲名したのは今年の3月で、すでに半年が経過している。
いまさら襲名披露などしなくとも、あの人が円楽だということはもう全国誰もが知ってるつーの。
いったい何のために、いつまで襲名披露を続ける気だろう。

毎回の顔ぶれを見ても、相変わらず「笑点」出演メンバーが中心で、後は人寄せパンダ宜しく人気者をゲストに招くという構成だ。
およそ変わり映えしない。
加えて、入場料が法外である。
例えば12月12日に大宮ソニックホールで行われる興行では、特等が10000円、一等が9000円となっている。歌舞伎じゃあるまいし。
どうやったら、そんな高額な入場料が設定出来るのだろう。
庶民の芸能である落語に、こんな法外な料金をふっかけるのは、落語に対する冒涜ではあるまいか。
人気に溺れて金儲けに走っていると、やがてしっぺ返しをくう羽目になる。

2010/09/26

市馬・菊之丞二人会@IMAホール

光が丘IMAホールで行われている「IMAホール落語会」、9月25日は「市馬・菊之丞二人会」とあり出向く。
先ず公演のプログラムを見てガッカリ。
市馬の弟子二人の後に菊之丞と市馬が一席ずつ、これでは市馬一門会に菊之丞がゲスト出演という形ではあるまいか。
はるばる光が丘までやってきたのにと(勝手に来たのだけど)少々後悔。
「二人会」と題する以上は、やはり2席ずつはやって欲しい。

前座・柳家市也「金明竹」
柳家市江「狸の鯉(狸)」
メリハリが無く単調なので、聴いていて飽きがくる。
早くいえば下手だということ。
前座の市也のほうが上に見えてしまう。

古今亭菊之丞「景清」
菊之丞の芸風を一口であらわせば、サラリと明るい。
自分の形を持っており、何を演じても菊之丞風に染め上げてしまう。
この日も明るい「景清」で楽しませてくれた。何より後味が良い。
盲人・定次郎にかつての遊び人風情が残されており、石田の旦那の小言との対比が鮮やか。
反面、定次郎の悲哀が薄められていたようにも思う。

~仲入り~
柳亭市馬「掛取り万歳」
最後の三河万歳まで演じるノーカット版で、得意の喉もタップリ披露し堪能させてくれた。
だがしかし、9月に「掛取り万歳」は無いのではなかろうか。
こういうネタは、やはり相応しい季節に演ってほしい。
市馬の十八番であることは認めるが、やや安易に高座に掛けすぎると感じているのは、私だけだろうか。

話は変わるが、IMA寄席の9月の会に正朝が出演していたようだ。
高座への復帰が決まったのだろうか。

2010/09/25

【中国人船長釈放】前原誠司の火遊び

以前の記事で書いたように、今の菅政権の実態は「前菅政権」だ。
菅直人首相の上に前原大統領がいて、重要政策は前原誠司が取り仕切っている「前原政治」である。
その前原外相が国交相であった当時に、尖閣諸島での中国漁船員の逮捕を海保に行なわせた。
中国漁船の不法行為を日本の海保が取り締まったのは当然という主張もあるが、従来の自民党政権下では中国漁船を追いかけても、拿捕したり漁船員を逮捕起訴することはしなかった。
小泉政権下で、尖閣諸島で中国人活動家を逮捕したことがあったが、直ぐに釈放し帰国させている。
これは日中間で、尖閣ではお互いに敵対しないという暗黙の了解があったからだ。

ではなぜ前原国交相(当時)は逮捕という決断をしたのかというと、中国政府を怒らせるためだったと推測する。
少なくとも、中国政府は頭に血がのぼり、相応の報復行為を行ってくるであろうことは、とうぜん予測できていた。
前原としては、狙い通り尖閣をめぐって日中間に軍事的緊張状態を生み出し、そこへアメリカが日本へ肩入れするという構図を描きたかったのだろう。
これにより、現在の沖縄米軍基地移設問題での世論を、やはり沖縄における米軍のプレゼンスは必要だという方向に一気に持っていける。
後は逮捕した漁船員を人質として、中国に対して優位に交渉を進めて、最終的には外交で決着を付ければ良い、そう考えていたのではあるまいか。
正に一石二鳥となる筈だった。
対米従属論者であり中国脅威論者である前原誠司の面目躍如たるものがあった。

そして「お約束」通り、改造内閣で前原は外相に就任し、いよいよ外交の舞台で腕をふるうことになった。
予想通り中国政府から次々とイチャモンがついてきたが、船長以外の船員と船を返してあげりゃ御の字だろうとタカをくくったのが、裏目に出てしまった。
国内法で粛々と裁くと宣言していたのに、中途半端に船と船員を帰国させてしまった。
なーんだ、言っていることとやることが違うじゃないかと中国側に思わせてしまった。
沈静化すると踏んでいたのが、火に油を注ぐ結果となり、ついにはレアーアースの禁輸や、フジタの社員の拘束にまでエスカレートしてゆく。
アメリカはいうと、米国内の政府に近い新聞ではむしろ日本政府に自制を求め論調が目立ち、米軍は尖閣まで面倒を見る気はないという主張まであらわれるようになった。
一応クリントン国務長官からは、尖閣諸島は日米安保の範囲内という言質はとったが、米国が本気で中国と事を構えるかどうかは甚だ疑問だ。
むしろ、日中関係がこれ以上こじれさせないようにと、釘をさされたのではなかろうか。
そうこうしている内に、国内の経済界からこのままでは大変なことになるという悲鳴があがり、中国人船長を釈放して帰国させるという政治的決着となったわけだ。

なんのことはない、前原誠司が国交相として火をつけ油を注ぎ、外相として水をかけて火消ししたというお粗末な一席。
一人相撲というべきか、マッチポンプというべきか。
前原誠司の火遊びのおかげで、付き合わされた国民はこれから高い代償を払わせられることになりそうだ。

【追記】
7月24日、民主党の玄葉光一郎政調会長は仙台市での講演で、「多くの日本人が日米安保の重要性、離島防衛の必要性を再認識する契機になった」と述べた。
何をホザクか・・・ではあるが、当記事の観測を裏付ける発言として注目したい。

2010/09/24

阪神・マートンの安打新記録に期待!

イチローの10年連続200本安打の記録に隠れてしまったが、阪神タイガースのマートン外野手が昨日、シーズン200本安打に達する記録をつくった。
日本のプロ野球史上4人目で、阪神では初。
右打者としては2人目であり、入団1年目の選手としては初だ。
こうしてみていくと、いかに大記録か分かる。
オープン戦では今ひとつ調子が上がらず苦しんだ時期もあったが、相手投手の配球をノートにとるなど研究熱心さが、日本の野球に早く順応できる原動力となった。

マートンの打撃の特長として第一にあげられるのは、野手の間を抜けるヒットの多さだ。
200安打を達成した選手の内野安打の数は、次の通り。
イチロー 33本
青木   51本
ラミレス 22本
マートン 18本
足で稼ぐ内野安打というのは、どうもセコク見えてしまう。
やはり外野に達するクリーンヒットでないと、プロ野球らしくない。

マートンのもう一つの特長は、広角打法であるということ。
外野に飛んだヒットの打球方向を見てみよう。
レフト  47本
センター 59本
ライト  56本
右打者でありながら、センターから右への打球が圧倒的に多いことに気付く。

阪神の残り試合は10試合あり、こうなるとマートンが1994年にイチローが記録したシーズン210安打を抜き、新記録を達成する可能性が高くなってきた。
今シーズン阪神タイガースが、終盤まで優勝争いを繰り広げているのは、マートンの活躍抜きには語れない。
阪神ファンとしてタイガースの優勝とマートンの安打記録達成を、期待をこめて見守っている。

2010/09/23

【特捜検事不正】厳正な捜査は期待できない

今ごろはきっと、逮捕された大阪地検特捜部主任検事・前田恒彦容疑者は、「なぜ俺だけが」と嘆いているに違いない。他の検事だって似たようなことをやってるじゃないかと。
検察内部では、誰が朝日にタレ込んだのか、そっちの「犯人」捜しに目が向けられていることだろう。
そして捜査を担当する最高検は、資料の書き換えは前田恒彦検事個人の行為であり、結果として村木厚子さんへの公判に対しては影響がなかったという結論に導くのだろう。

今年の1月末から2月にかけて、前田主任検事(以下、役職は全て当時のもの)が同僚らにFDの更新記録を書き換えたことを打ち明け、その事実は副部長を通じて大坪弘道特捜部長に報告されていた。
それに対して大坪部長の見解は「データを改ざんしたという噂もあったが、“2004年6月1日”という捜査報告書がすでに法廷に提出されており、公判で問題になることはない。」というものだった。
この件は数日後には、大坪特捜部長から大阪地検トップである小林敬検事正と玉井英章次席検事に報告されている。
それ以降、9月に朝日新聞がスクープし、最高検が前田検事を逮捕するまでのおよそ7ヶ月間は、検察内部でデータ書き換え疑惑が問題にされることはなかった。

組織的隠蔽という報道もされているが、そうではなくて検察内部では問題とされていなかったのだから、もっと悪い。
「別に・・・」が、大阪地検幹部の反応だったといえる。
この件で報告があったかどうかを訊かれた小林敬検事正は、「そういう言葉は覚えていない」と答えている。
このコメントを信じるなら、検事正がたった数ヶ月前のことを覚えていないとすれば、いかに書き換え不正に関心がなかったかを示している。

今回の検事による証拠の改ざんについて、上部へ行くほど重大さに対する認識が薄くなっているのは、これに類する行為が日常的であったかを物語っているのではなかろうか。
むしろ、検察内部の「文化」と化しているのではないかという危惧まで抱かせる。
同じ文化を共有する最高検が果たして厳正な捜査ができるものだろうか、大いに疑問を感じる。

2010/09/22

テアトル・エコー「日本人のへそ」(9/21)

劇団「テアトル・エコー」が恵比寿エコー劇場にて、井上ひさし作「日本人のへそ」を上演していて、9月21日に観劇。
公演パンフレットによると、NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」の声優として出ていた熊倉一雄が、脚本を書いていた井上ひさしに「芝居を書いてみませんか」と声をかけたのがきっかけで、この「日本人のへそ」が生まれてとある。
初演の時には、井上ひさしは小屋の入り口で下足番をしていたそうだ。
この芝居は劇作家・井上ひさしのデビュー作となる記念碑的作品というわけだ。
テアトル・エコー文芸演出部に所属した井上ひさしは、本作を含めて6本を書き下ろす。
熊倉一雄によれば、自分の目の黒いうちに上演したいと思い、井上ひさしの快諾を得て今秋の公演が決まったのだが、彼の急逝により追悼公演になってしまった。
初演は1969年で、何度か再演が行われているようだ。
私もまた熊倉一雄の目の黒いうちに是非この芝居を観ておきたいと思い、出向いた次第。

作:井上ひさし
演出:熊倉一雄
音楽:服部公一
<出演者>
熊倉一雄
落合弘治
永井寛孝
根本泰彦
多田野曜平
吉川亜紀子
沖田愛
川本克彦
きっかわ佳代
溝口敦
松澤太陽
さとう優衣
奥村円佳
斎藤淳一郎(ピアニスト、客演)

ストーリーは。
時代は昭和30年代の高度成長期。
言語学の大学教授の提案で、様々な職業の吃音症患者の治療のためにミュージカルを演ろうということになる。
題して「浅草のストリッパー、ヘレン天津の半生記」 。
東北から集団就職で上京してきた女の子が、水商売からやがて風俗へ、さらには浅草ストリップ劇場のスター・ヘレン天津に。
そしてヤクザの子分と所帯を持つが→親分→右翼→代議士の愛人にまで上り詰める。
これに当時の学生運動、労働運動やヤクザによるスト破りなど、浅草のストリップ小屋を中心とした往時の風俗が描かれる。
代議士夫人まであと一歩というヘレンだったが、そこに事件が起きて・・・。

井上ひさしは山形から上京し大学卒業後、しばらくストリップの殿堂・浅草フランス座の文芸部兼進行係として、コントの台本を書いていた時期があった。
この芝居には、そうした井上ひさしの自伝的要素が反映されている。
第一作ということもあるのか、井上作品にしては珍しく、作者が観客に何を訴えようとしているのか不明瞭だ。
全体の構成をみても、特に第2幕が取って付けたような展開で、やや蛇足の感があった。
作品として完成度が低いという印象を受けた。
熊倉一雄で、井上の記念碑的作品を観られたという点だけで、意義があったということだ。

出演者個々の演技や歌唱能力には注文があるものの、アンサンブルはしっかりとしており、特に俳優たちの「熱気」を感じた。
それは、この作品に対する思い入れとも言える。
ストリッパー・ヘレンを演じたきっかわ佳代のナイスバディをかぶりつきで観られたのは、とても得をした気分だったことを付言しておく。

2010/09/21

【証拠品改ざん】検察の権威は地に堕ちた

過去の冤罪事件では、警察が証拠を隠滅したり捏造したことが明らかになったケースはあるが、検察による証拠品の変造はあまり例がないと思われる。
先日の郵便不正事件にかかわる裁判で、厚労省元局長・村木厚子氏に対して無罪の判決が言い渡されたが、この事件で大阪地検特捜部の主任検事によって重要な押収資料が改ざんされていた疑いが濃厚になっている。

問題の資料は、偽の証明書を作成していた上村勉被告のフロッピーデスク(FD)であり、この内容が次のように書き換えられていたというのだ。
・証明書の文書の最終更新日時が“2004年6月1日午前1時20分06秒”であったものが、“2004年6月8日午後9時10分56秒”に書き換えられていた。
・他の文書はいずれも厚労省の管理するパソコンで操作されていたが、この書き換えだけは別のパソコンとソフトが使われていた。
・その書き換えは昨年7月13日午後だったことも判明しており、この日は検察からFDを上村被告側に返す3日前だった。検察によって書き換えられたのは明らかだ。
ではなぜ検察はこのような改ざんを行う必要があったのかというと、特捜部は村木氏から上村被告への証明書発行の指示が6月上旬としていたからだ。
そうすると、当初の記録である“6月1日未明”では辻褄が合わなくなる。
そこで更新記録の日時を“6月8日夜”に変えれば、検察の思い描いたストーリーに当てはまる。
問題の主任検事は「誤って書き換えした可能性がある」と説明しているようだが、誰が見ても意図的な改ざんであるのは明白だ。

捜査関係者が自由に証拠を改ざんしたり捏造したりできるなら、事件のでっち上げは容易となり、私たちは誰でもいつでも犯人にされてしまう。
世の中「一時が万事」である。
検察のエースともいうべき特捜部において、このような証拠改ざんが行われていたとしたら、他の事件についても疑わざるを得ない。
地に堕ちた検察の権威を取り戻すためには、関係者に対する厳正な処分と、第三者機関による再発防止作を講じることが求められる。

2010/09/20

桂吉弥独演会(9/19)@国立演芸場

9月19日に国立演芸場で行われた「桂吉弥独演会」に出向く。
今年はもう9月半ばが過ぎているというのに、残暑を通りこした暑さが続く毎日だ。
NHKの「ちりとてちん」や「生活笑百科」ですっかりお茶の間にも名前が売れて、この日も満員の入り。
TVでも言っていたが吉弥の独演会は3席となっていて、「たっぷり感」がある。
3席となると仲入り前に2席演ることになるので、独演会の多くが2席になっている。
こういうサービス精神は嬉しい。
出演者は吉弥含めて、吉朝(もう亡くなって5年経つ)一門。吉弥は2番弟子。

桂佐ん吉「道具屋」
前座噺とされているが、どうしてどうして難しいのだ。
登場人物が多く、演じ分けが求められる。それでいて客との対話はテンポが必要だ。テンポに気をとられていると単調になってしまう。
厄介なネタである。
佐ん吉はその辺りを程よいバランスで演じていた。

桂吉弥「桃太郎」
今夏は暑かったというマクラから入って、昔話にちなんだ小咄をいくつか。
殆んどは以前からあったものだが、この日の客はよく笑っていた。こういう人ばかりだと芸人は楽だ。
1席目は軽めのネタで。

桂しん吉「雨乞い源兵衛」
古典かと思ったら、これは新作だった。
まるで芝居を観ているような筋立てで、とても良く出来ている。
ストーリーは。
40日も日照りが続き、庄屋が130年前に雨を降らせた男の子孫である源兵衛に雨乞いを依頼する。ところが源兵衛は雨乞いの方法など知らない。
庄屋にムリヤリ雨乞いを命じられた源兵衛はふてくされて寝てしまう。
天気というのは気まぐれで、たまたまその日から雨に変わり、源兵衛はすっかり村のヒーローになる。 
ところが今度は10日も降り続き、庄屋が今度は雨を止めてくれと頼む。
雨を止めてくれれば、源兵衛に庄屋の一人娘を嫁にくれると約束するが・・・。
しん吉の演出は民話風の素材を生かして好演。
特に狂言回しの二人の百姓の会話が秀逸。

桂吉弥「遊山船」
こちらも初見。
登場人物は喜六、清八、喜六の嫁の3名。
大川に夕涼みに来た二人連れが、浪花橋の上から大川を見ると、行きかう夕涼みの船で賑わっていた。
ちょうど稽古屋の連中を乗せた船が通りかかる。見ると芸者衆が碇(いかり)の模様のお揃いの浴衣を着ている。
喜六がこれを見て、浪花橋の上から「さてもきれいな碇の模様」と誉める。
すると船の上の女が「風が吹いても流れんように」とイキにしゃれて返す。
感心した喜六は、清八にお前の嫁さんはあんなことは言えないだろという。
家に帰った清八は女房を相手に・・・。
ストーリーは実に他愛ないものだが、川面の船と橋の上の賑わいを描写することにより、往時の夏祭りの雰囲気を醸し出すところが見せ場。
暑い時期に橋の上から夕涼みする長屋の住人と、大枚100円を払って屋形船を貸切り、芸者や幇間を上げて大騒ぎしている金持ち、これを二人の会話だけで描く。
吉弥の明るい芸風にピッタリで、実力のほどを示していた。

~仲入り~
桂吉弥「仔猫」
3席目はネタ出し。
一転して怪談風のストーリー。
船場のとある商家に田舎訛り丸出しのお鍋という女が奉公人としてやってきた。
かなりのご面相だが、これが実に良く働く。
他の奉公人の評判も上々で、中には自分の女房にしたいと言い出す者も出て来た。
ところがこのお鍋、夜になると別人のような不審な行動をとるようになる。
心配になった主人と番頭が、お鍋の留守に持ち物を調べると、その一番下には・・・。
お鍋、主人、番頭、その他の奉公人の描写がしっかりと出来ていて、最後まで惹きつけられた。
特に、お鍋に暇を出すときの番頭の逡巡ぶり、事実を打ち明けられて時の驚きの演技が良かった・

傾向の異なる3席を聴けて、この日の吉弥ファンは満足して家路についたに違いない。

2010/09/18

【街角で出会った美女】ポルトガル編(1)

ナザレの街はポルトガルを代表するリゾート地です。
ナザレという名称から分かるように、元々は8世紀にこの地にやってきた僧が持っていたマリア像が、イスラエルのナザレのものであったことに由来しています。
しかも12世紀には城主を乗せた馬があわや崖から転落するところを、突如マリア様が現れて救ってくれたそうで、その加護に感謝して建てた礼拝堂が今もビーチを見下ろす場所にあります。
そのビーチは人人人で埋まっており、女性たちは例外なくビキニ姿(ジロジロ見たわけではないですが)で肌を焼いていました。
イスラエルからはるばるやってきたというマリア様は、この光景をどんな気持ちで見ているのでしょうか。
アーメン。

というわけで、この幸せそうな表情で携帯をかけている女性、電話の相手は誰でしょうね。

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2010/09/16

【ツアーな人々】ガイドブックは旅行前?それとも後?

海外旅行の場合、旅行会社が事前に説明会を行うケースが多い。
旅行者の中には各社の説明会をハシゴして参加を決める人もいるが、私は出たことがない。
旅行先のガイドブックは事前に買うが、パッケージツアーの場合は、旅行前には読まないことにしている。
なかにはガイドブックをしっかい読み込んでいて、下手なガイドより詳しい人もいる。
先日のツアーでは、その日に観光する地域に関する情報を集めて、数ページの小冊子にしていた方がいたが、あそこまでいくとわざわざ旅行に来るまでもないような気がしてくる。

事前にガイドブックに眼を通さないのは、白紙の状態で旅先で見たまま感じたままを受け止めたいからだ。
事前に知識を仕入れておけば、現地でより理解が深まるという側面はあるだろうが、素朴な感動が薄れるような気がするのだ。
ガイドブックをみれば、その観光地の見所が親切に紹介されているのだが、それより自分の目を頼りにしたい。
時には大事な「国宝」を見逃してしまうことがあるが、その時は自分に見る目がなかったと言うこと。
これはフルパッケージツアーの場合であって、個人旅行などでは入念な準備は欠かせない。

ではいつガイドブックを読むのかというと、旅行先で撮った写真の整理を行うときだ。
デジカメが普及し、大容量の記憶媒体が安価に手に入るようになったおかげで、沢山の枚数の写真が撮れるようになった。
私の場合1回の旅行でおよそ1000枚位(旅行日数にもよるが)の撮影枚数になるが、多い人だと3000枚位撮っている。
どうやって整理しているかと訊くと、そのままPCに保存しておくだけで、整理もしないし見返すこともないと答える人が大半だ。

しかし旅の思い出を蘇えさせるのは写真が一番だし、塩漬けにしておくのはいかにも勿体ない。
そこで思い切って9割を消去し、1割を残す。私の場合だと100枚ほど残してタイトルをつける。
この時にガイドブックを活用する。旅程表と撮影日時を照らし合わせながら、1枚1枚にタイトルをつけてゆく。
これに短い解説文をつけて、ブログ“HOME-9(ほめ・く)別館”にアップする。
これなら自分で見たい時に見られるし、カテゴリーで分けておけば検索も容易だ。
公開非公開は自由に選べるが、先のブログは公開しており、年間に延べで1万人ほどの訪問者がある。
多少のお役に立っているのだろう。

あなたはガイドブックを先に読む?
後で読む?

2010/09/14

「代表選」勝つも地獄負けるも地獄

およそ半月にわたって喧しかった民主党代表選、今日でようやく決着がつく。
午後4時前には新代表が決まるようだが、世論の支持を背景に菅直人首相が再選される模様だ。
代表選で際立ったのは、菅首相の「小物」ぶりだ。
小沢一郎との討論となると、まるで大人と子ども。
言葉はあるが中身はない、自民党でいえば麻生太郎タイプだ。
政治哲学もなければ、確たる信条もない。

加えて、ついこの間まで主張していたことと正反対の主張を平気でする、典型的なオポチュニスト(日和見主義)であることを披瀝してしまった。
企業減税の財源を確保するために消費税を増税するのに、「お年寄りや子どもたちの将来のため」などとウソをつく「ウソ菅」でもある。
代表選で最大の支援を受けている前原誠司国交相の主張を政策に色濃くとりいれていて、鳩山が「小鳩」政権であったなら、菅は「前菅」政権である。
前原誠司は小泉政権時代の党首討論で、当時の小泉首相から「こっち(自民党)に来て一緒にやろう」と何度もお誘いを受けていたように、小泉・竹中らの新自由主義に近い。
前原は、本来は自民党に籍をおくべき(いずれそうなるか?)人物だ。
菅直人の主張が限りなく自民党に近づいているのは、そのためだ。

菅直人が再選されても、代表選景気で一時的に支持は高まるだろうが、化けの皮が剥がれるのも早いだろう。
菅側が仕掛けたネガティブキャンペーンのおかげで、小沢一郎支持派との亀裂は修復不可能にまで達しており、分裂は時間の問題になろう。
万一、小沢一郎が勝ち総理に選出されれば、スタート時点から史上最低の支持率の首相となるのは確実だ。
これまた短期政権に終わる公算大だ。
勝つも地獄負けるも地獄。
本日の党大会、民主党は正念場を迎えることになる。
(敬称略)

2010/09/13

東宝現代劇75人の会「喜劇 隣人戦争」(9/12)

劇団東宝現代劇75人の会第25回公演「喜劇 隣人戦争」が、東京芸術劇場小ホール2で行われ、楽日の9月12日の舞台を観劇。

作:小幡欣治
演出:丸山博一
<主なキャスト>
下山田ひろの:隅田秀子
柳谷慶寿:徳永伸一郎
梅原妙美:徳永の妻、くに子
村田美佐子:徳永の母、富江

ストーリーは。
時は昭和50年代、団塊の世代がマイホームを持ち始めた頃だ。
古い住宅地に、同じ間取りの6軒のミニ開発の建売がたつ。
旧住民との軋轢、同じ生活レベルの新住民たちの見栄のはりあいから、隣人同士に微妙な亀裂が。
そこに更に2軒の新築が建つという計画が持ち上がり、賛成派と反対派に分裂して、「隣人戦争」の様相を呈するが・・・。

作品は1978年の芸術祭大賞に輝いたものだそうで、どこの家庭でも起こりそうな題材を使って、笑いあり涙ありの面白い芝居に仕立てられている。
およそ3時間の舞台は飽きさせない。
ただ登場人物があまりにステレオタイプであり、結末も「お約束」通り。
東宝現代劇というよりは、まるで松竹新喜劇を観ているようだ。
心に残る作品とは言いがたい。

演技に関して、先ずは苦言を呈さざるを得ないのは、セリフの言い間違いやトチル(セリフをかむ)が目立ち、その回数は十指をはるかに超える。
この日が千秋楽だというのに、役者にセリフが入っていないのだ。大して難しいセリフがあるわけでも無いのに。
これではプロ意識が問われても仕方あるまい。
せっかくの熱演に水を注す結果になっている。
演技力のバラツキが大きく、アンサンブルも決して良いとはいえない。
今回の舞台を観る限りでは、この劇団のウリってなんだろうと考えてしまう。

小劇場にもかかわらず舞台転換が9回もあったが、とても良く工夫されていてスムーズだった。
舞台監督(那須いたる)の技が冴える。

2010/09/12

特捜部って因果な商売

世の中から犯罪がなくなれば警察と検察はあがったり。
汚職や大きな経済事件がおきなければ、地検特捜部は開店休業になってしまう。
障害者団体の定期刊行物を装って割引郵便制度を悪用し、ダイレクトメールを大量に発送していた「郵便不正事件」。
いってみれば、これだけの事件でしかなかった。

それじゃあ、地検特捜部の出番がないではないか。暇だし、腕が鳴る。
そこで一丁、こんな筋書きを考えてみた。
検察側は、凛の会元会長の倉沢邦夫被告が石井一参院議員(この人選がニクイ)に証明書が発行されるよう頼み、石井議員が当時の塩田幸雄・障害保健福祉部長(現・香川県小豆島町長)に口添えした「議員案件」だったとした。
当時課長だった村木厚子元局長が塩田元部長から指示を受け、上村被告に証明書を不正発行させたというストーリーを編み出したわけだ。
これなら政官を巻き込んだ大事件となり、いよいよ特捜部のお出ましだ。
後は容疑者を締め上げ、用意した供述書にサインさせ起訴に持ち込めば、もうこっちのモノ。
何せ普段から裁判官には「鼻薬」を効かせてあるから、有罪は確実だ。
世間からは、さすが特捜部という賞賛の声が寄せられるはずだった。

ところがドッコイ、そうは問屋がおろさなかった。
あまりに杜撰な調書は公判で採用されず、確たる証拠もなく、大阪地裁は村木厚子被告に無罪を言い渡した。
「冤罪」という報道もあったが、むしろ「でっち上げ(フレームアップ)」というべきだろう。

単なる未公開株の譲渡を「リクルート事件」に、どこの企業でもやっているような粉飾決算を「ライブドア事件」に、それぞれ大事件にして大向こうを唸らせ、特捜部の大手柄としてきたが、今回はすっかり馬脚を現してしまった。
しかしタマには大きな花火を打ち上げておかないと、特捜部不要論なんてぇものが沸き起こり、それこそオマンマの食い上げになっちまう。
だからムリを承知で事件を創らざるを得ない。
まったく、特捜ってぇのは因果な商売だ。

2010/09/10

【街角で出会った美女】スペイン編(2)

2010年は「聖ヤコブの大祭年」で、多くの巡礼でにぎわったスペインですが、財政危機が暗い影をおとしています。
財政赤字は対GDP比で10%に達し、失業率が20%に近づくという状況の中、ギリシャの次に財政破綻するのはスペインではなかろうかという観測がなされています。
しかし現地ガイドの話をきいた限りでは、そんなことを真剣に考えている人は殆んどいないそうです。
過去に何度もそうした危機をむかえながら、何とか切り抜けてきた。今回もきっと何とかなるさというのが、スペイン人の大多数だというのです。
バブル期に住宅を建て、この不況でローンが払えなくなっている人が多いのですが、払えないものは払わないと、返済せずにそのまま住み続けているそうです。
法律で居住権が守られていて、強制的に追い出すことができないためです。
夏ともなれば3週間程度の長期休暇をとり、家族揃ってバカンスに出かける。
ギリシアのようになったら大変なことになると大騒ぎしている我が国からみると、実に羨ましい国民性ですね。

スペインの首都マドリッドの北西部にある町、サラマンカはヨーロッパ有数の大学都市です。
サラマンカ大学の創立は1218年で、今も大学の周辺には歴史的建造物が数多く立ち並んでいます。
訪れたのが7月半ばで大学は夏休みに入っていましたが、それでも学生街らしく若者の姿が目立ちました。
サラマンカ大学の入り口にむかう階段には、おそらく女子高校生だと思いますが、娘さんたちのグループが腰をおろし楽しそうにおしゃべりをしていました。
真夏の強い日差しのなかで、健康美に輝く彼女たちの姿はとても眩しい。

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2010/09/08

「検察審査会」の不透明さ

“JANJAN Blog”で山崎康彦氏が検察審査会のあり方を批判し、「東京第五検察審会」の「小沢幹事長起訴相当」議決は検察審査会法違反で「無効」とし、検察審査会の廃止をも主張している。
私はこれとは正反対で、検察審査会は必要であり、小沢一郎に対する起訴相当の議決は当然だと考える。
しかし山崎氏が提起している検察審査会の問題点はその通りだと思うし、公正中立という観点から大いに問題があるようだ。

山崎氏が指摘している問題点は、二つある。
第一は、今回検察が捜査して小沢一郎前幹事長を不起訴としたことを不服として、「在特会」代表の桜井誠氏が個人として審査申し立てを行い「東京検察審査会」が正式に受理したのだが、これが適法かどうかという点だ。
審査申し立てについては検察審査会法第2条2項及び30条に規定されている。

第二条 
2 検察審査会は、告訴若しくは告発をした者、請求を待つて受理すべき事件についての請求をした者又は犯罪により害を被つた者(犯罪により害を被つた者が死亡した場合においては、その配偶者、直系の親族又は兄弟姉妹)の申立てがあるときは、前項第一号の審査を行わなければならない。
第三十条 第二条第二項に掲げる者は、検察官の公訴を提起しない処分に不服があるときは、その検察官の属する検察庁の所在地を管轄する検察審査会にその処分の当否の審査の申立てをすることができる。ただし、裁判所法第十六条第四号 に規定する事件並びに私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律 の規定に違反する罪に係る事件については、この限りでない。

ここまでで、桜井誠氏は第二条2項のいずれにも該当せず、申し立て人としての資格がない。

では第三十条の但し書きについて、見てみよう。

「裁判所法第十六条第四号」とは以下の通りである。
第十六条 高等裁判所は、左の事項について裁判権を有する。
四  刑法第七十七条乃至第七十九条の罪に係る訴訟の第一審

四号でいう刑法は以下の通りで、内乱に関する罪を規定したものだ。
第七十七条 国の統治機構を破壊し、又はその領土において国権を排除して権力を行使し、その他憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することを目的として暴動をした者は、内乱の罪とし、次の区別に従って処断する。
1.首謀者は、死刑又は無期禁錮に処する。
2.謀議に参与し、又は群衆を指揮した者は無期又は3年以上の禁錮に処し、その他諸般の職務に従事した者は1年以上10年以下の禁錮に処する。
3.付和随行し、その他単に暴動に参加した者は、3年以下の禁錮に処する。
2 前項の罪の未遂は、罰する。ただし、同項第3号に規定する者については、この限りでない。
第七十八条 内乱の予備又は陰謀をした者は、1年以上10年以下の禁錮に処する。
第七十九条 兵器、資金若しくは食糧を供給し、又はその他の行為により、前2条の罪を幇助した者は、7年以下の禁錮に処する。

条文で見る限りでは、但し書きに示されている例外規定のいずれにも該当しないと考えられ、やはり桜井氏の申し立ての権利は無いと思われる。
これについて桜井誠氏は自らのブログで、「本来であれば告訴・告発人でなければ審査の申し立てはできないのです が、小沢一郎は国会議員という立場であり、なおかつ被疑事実も「政治資金規 正法違反」という公金に関わる問題であるため全国民が被害者という立場で申し立てを行うことができることを確認しました。」と記しているとのこと。
そうであれば、東京検察審査会はどのような法的根拠に基き、そうした判断をしたのかを明らかにする必要がある。
そして今後も全国民が被害者であるような事件については、国民の誰もが「申し立て」の権利を有するのかどうか、明確にすべきだろう。

問題の第二は、検察審査会の構成についてだ。
山崎康彦氏によれば、「検察審査会」は全国に165会あり、地方裁判所に置かれている。
事務局は裁判所出向の検察事務官が担当しており、審査補助弁護士の選定は事務局が非公開で決定している。
審査員の第一次選定は有権者をくじ引きで選ぶが、第二次選定は警察提供の個人情報と面接で事務局が非公開で11人を決定しているとのことだ。
警察から提供される個人情報ということになると、犯歴だけではあるまい。
思想信条から信教、市民運動歴など幅広い情報が提供されていると推定される。
そうしたスクリーニングを経て選定されるとなると、その気になれば相当に恣意的なメンバー構成が可能になる。
もし上記が事実であるとすれば、検察審査会の「公正中立」に疑義が持たれても仕方あるまい。

今後ますます検察審査会の役割は大きくなるし、時には決定が政権を左右することにもなる。
そのためには、法の解釈や審査会の構成について、一寸たりとも疑念を招くようなことがあってはならない。

2010/09/06

マスコミは民主党の宣伝機関になったのか

メディア各社の世論調査で、近ごろ奇妙な現象がおきている。
菅首相の支持率がV字回復しているのだ。
元々が無為無策の菅直人首相だが、ここにきて代表選の政治空白により総理としての仕事は全く何もしていない。
ではなぜ支持率が高くなったのか、それは連日連夜にわたり洪水のように流されている民主党代表選の過剰報道にある。

代表になったほうが首相になる可能性が高いとはいえ、二桁近くある政党の中の一つにすぎないのだ。
二人の政策にそう決定的な違いがあるわけではなく、もっぱら党内の権力闘争の範疇にすぎない。
それをニュースでは朝から晩までトップで扱い、新聞各社も一面で扱っている。
報道はといえば、菅直人と小沢一郎の選挙演説を紹介しているだけで、それも中身は日々変わり映えしない。
選挙演説だから、二人ともオイシイ話しかしない。
コメンテーターなる者が多少は批判的な意見を述べることはあっても、所詮は刺身のツマ。
菅直人の演説をきいていると、こんな所でしゃべってないで、いま言ったことをサッサと実行しろよと言いたくなる。
後はどっちが有利だの不利だのという選挙情勢の解説だけ。
こんなに報道されても国民の大半は選挙権を持っていないのだから、なんの足しにもならない。
代表選の報道とすれば、小沢一郎と菅直人が立候補し、二人の政策の違いがどこにあり、選挙の結果がどうなったのか、それだけで十分なのだ。

今の報道各社は、民主党の宣伝機関と堕している。
これらの報道を民主党の宣伝費として換算すれば、膨大な金額になるだろう。
いい加減に目を覚まして、正規の報道機関としての使命を果たすべきではなかろうか。

国民にも責任の一端はある。
TVの露出が増えれば、それだけで支持してしまうような安易な風潮は改めねばならないだろう。

2010/09/04

【寄席は学校4】酒飲み十態

酒好きな人を上戸(じょうご)というが、転じて酒を飲み酔ったときの癖をさす。泣き上戸、笑い上戸などがそうだ。
酔っ払いの生態をあらわす表現には、昔から「製糸」に関する言葉が多い。
製糸工場で管に糸を巻きつけて回転させると「ブー、ブー」という音を出す。
ここから酔ってブーブーいう状態を「管をまく」という。
「からむ」というのも、やはり糸からきている。
酔っ払いと製糸、何も関係がなさそうだが言葉でつながっているところが面白い。

酒を飲んだときの癖を「酒癖」というが、その酒癖についていくつかの俗諺があるが、その一つに次のような言葉がある。
「一真面目、二機嫌、三眠り、四ビリ、五泣き、六管まき、七押し、八無心、九盗み、十喧嘩(いちまじめ、にきげん、さんねむり、しびり、ごなき、ろくくだまき、しちおし、はちむしん、くぬすみ、とおけんか)」。
酒好きの人なら、身に覚えがあるだろうと思う。
並び順というのもあるようで、始末の良いほうから始末に悪いほうへ順番となっているようだ。

・一真面目、飲んでも真面目というのは結構のようだが、普段は下らないことを言っている人間が飲むと妙に真面目になるというのは困りものだ。
こういう人に限って、人に説教したり教訓を垂れたがる傾向にある。
私の見立てでは、酒癖としてかなり悪い方に属する。
・二機嫌、飲むとゴキゲンが良くなる、これは大いに結構。
無口な人が雄弁になり、陰気な人が明るくなるのは大歓迎だ。
これも程度の問題で、宴席で一人で1時間以上も歌いまくり踊りまくるというのも迷惑なことだ。
・三眠り、飲むと直ぐに寝てしまう人、周りに迷惑をかけないので歓迎される。
なかには酔っ払って起きられず、宴会が終わってからタクシーで自宅まで送り届けなくてはならないとなると、これは始末に悪い。
・四ビリ、「ビリ」とは女性のことだ。
男は酒を飲むと、大概は好色になる。
気分が高揚するということもあるだろうが、抑制されていた好色が酒で抑えが利かなくなるという側面があるのだろう。
落語の世界では揃って吉原に出かけることになるし、今でも二次会というとやはりホステスのいるような店に行きたがるのは、そのためだ。
・五泣き、泣き上戸のこと。
宴席が湿っぽくなるので敬遠されるようだが、これも私見だが女性の泣き上戸っていうのは決して悪くない。
差し向かいで、身の上話をしているうちに涙をこぼされると、肩を抱きしめたくなる。
ただ願わくば40代まで。
・六管まき、飲めば愚痴のひとつも言いたくなるのが人情。
これで酒席が盛り上がることもあるのだが、一歩外れて他人にからむようになると、これは誰もが閉口する。
・七押し、いわゆる「押しの一手」の押しで、何か強引に迫ってくるという意味だろう。
普段はどちらかというと遠慮がちな人が、飲むと強引になるというのもしばしば眼にすることだ。
・八無心、酔うと金品をねだる癖、これも歓迎されない。
相手が女性の場合は、「ねだられる」中身によっては、そう悪い気がしないケースもある。でもレアーケース。
・九盗み、これは経験したことがないが、困るだろう。
第一、犯罪だから。
・十喧嘩、酒乱というやつ。
私が入社した当時は、特に工場などでは気が荒い人が多く、宴会で喧嘩になったら自宅から日本刀を持ち出して振り回したという社員もいた。
今の企業では想像もつかない。
喧嘩するエネルギーも無くなったとしたら、それはそれで問題だけど。

これも落語のマクラに使われるが「酒は飲むべし、飲まるべからず」、何事も適当に。

2010/09/02

【街角で出会った美女】トルクメニスタン編(5)

昨日、いよいよ民主党の代表選の火ぶたが切って落とされました。
ウソ菅vs.カネ一郎の世紀の一戦です。
今や自民党政治の正当な後継者に成り下がった菅直人が、福祉と社会保障の財源に消費税増税をと心にもないことを言いつのれば、対する小沢一郎は政治資金規正法違反で国会議員を含む秘書らが起訴されているにもかかわらず、自分は起訴されていないから潔白だといいはる。
こうなったらお互いに倒れるまで戦い抜いてくれと、それだけを願う日々であります。

閑話休題。
トルクメニスタンの首都アシュガバートで、一般家庭で夕食をとるという企画がありました。
経営者か高級官僚の自宅でしょうか、大きな庭つきの立派な住宅でした。
テーブルに次々と料理や飲み物が運ばれてきましたが、その中に民族衣装をまとった美少女が手伝いに現れました。
この家の12才になる娘さんです。
ツアー客からはいっせいに「カワイイ~」という声が上がりました。
食事が始まると、その子が歌を披露してくれましたが、将来は歌手になりたいのだそうです。
あまり歌は上手いとは思えなかったのですが、ルックスが良いのでデビューするチャンスがあるかも知れません。
トルクメニスタンは中央アジアの北朝鮮という異名を持つ国ですが、子どもたちの夢は男子はサッカー選手、女子は歌手やタレントとのことで、どこの国でも子どもの世界は変わらないんですね。
独裁国でありながら永世中立国、不思議な国トルクメニスタンです。

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