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2010/10/21

続・いつまでやる気だ「円楽襲名興行」

先日の記事“いつまでやる気だ「円楽襲名興行」”に、「ヘイ、加門」さんという方から以下のコメントが寄せられました(一部誤字訂正)。

「円楽襲名披露公演、北見市まで1時間30分かけて聴きに行きました。
笑点メンバーの至らなさ、円楽のトリ”浜野矩隋”のヒドサ・・・勉強になりました。
その後日初めて聴いた”桂雀々”の凄さに、芸人の有様を思い知らされました。
それにしても、TVに出た人だと、田舎の人間は良く笑うんですよ・・・何ですかね。残念。
その後日、小遊三が講演で来ました・・客をなめてたね・・フザケルナ!
こんな事をしてたら落語界のためには絶対ならないと思います。」

なかなか厳しい指摘ですが、共感される方は多いと思います。
ここで、項目別に見てゆきたいと思います。

【笑点メンバーの至らなさ、円楽のトリ”浜野矩隋”のヒドサ】
先ず、1年間かけて襲名披露公演をやろうという了見が間違っています。
自分の芸をみて貰うというよりは、人気に乗って手っ取り早く稼いでしまおうという意図がミエミエです。
「笑点」の出演者の多くは芸達者で、真剣な高座をみせれば本来はお客をガッカリさせることはない筈です。
しかしTV人気に乗っかって、人寄せパンダ宜しく1年間も襲名披露に付き合うとなれば、「手抜き」したくもなるでしょう。
顔をみせるだけで喜んでくれる甘い客が相手とみれば、余計そうです。
先代・円楽の”浜野矩隋”は正に絶品でしたから、それと比較するのは気の毒ではありますが、当代の円楽の芸はまだまだ未熟だといえます。
落語は個人芸ですから、他人に頼らず、独演会を重ねて芸を磨くしかないでしょう。

【”桂雀々”の凄さに、芸人の有様を思い知らされ】
確かに桂雀々の芸は凄いですよね。「笑点」の人たちとは対照的です。
かつて「漫才は大阪、落語は東京」と言われていましたが、そうでもないなと最近思うようになりました。
大阪の落語家は面白く、ガッカリするようなことは先ずありません。
一つには、払わせたお金の分は楽しませようというサービス精神が旺盛で、この点は東京の落語家は見習う必要があるでしょう。

【小遊三が講演で来ました・・客をなめてたね】
好楽の弟子の兼好が言っていましたが、落語に比べ講演会のギャラは数倍高いんだそうです。
しゃべる内容は一緒でギャラが高いので、先代の円楽は高座より講演が多かったそうです。
でも落語家の講演なんて、何か参考になるのでしょうか。
漫談まがいの事をやってガバっとお金が入ればウハウハでしょうが、芸は荒れてきます。
ご指摘の通り、絶対に落語界のためにならないのは明らかです。

寄席ブーム落語ブームがいわれて久しいですが、長い目でみれば精進を怠り芸を磨かなかった芸人は、やがて見放され凋落してゆくことでしょう。

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寄席・落語」カテゴリの記事

コメント

まったくご指摘の通りです。
一年間もかけ、テレビで顔の売れた笑点仲間の客演をエサにした集客で、「金儲け」しか考えていないような男を「芸人」とは認めません。雀々の芸にこめた情熱やエネルギーと、“セコ円楽”とは、対極の位置にあります。
小遊三を見ると、「芸風」は正反対と言ってもいいでしょうが、かつて「笑点」メンバーで“キザ”を売り物にしていた小円遊を思い出します。あまりに作られたキャラクターのイメージが強いために、本当は違う面も相当あるのに、精神的に無理して“鋳型”に合わせようとする、という点です。周囲の持つイメージに応えるために芸がステロタイプになったり、もっと違う持ち味のネタをかけたくても断念する、といった葛藤もあるように思います。だから、高座でも講演でも、「まぁ、こんなところでいいか・・・・・・」となるんじゃないでしょうかね。

小言幸兵衛様
セコ圓楽にセコ文楽、セコ小さん、セコ三平ときて、そのうちセコ圓生が誕生する恐れがあります。
いっそ全員集めて、「セコ名人会」なんてぇのはどうでしょう。
TV番組での役柄が本人の個性まで縛ってしまうことは間々あることで、木久扇などもその一人だと思います。本格古典を演る力がありながら、すっかりお馬鹿キャラに安住してしまいました。
本業のためには、レギュラーを降板する勇気も必要だと思います。

今日の笑点で、あと2ヶ月といってましたから、年内一杯披露興行をやるようですね。
「セコ名人会」・・・恐怖ですね。
個人的にはセコ文楽と言われている九代目は、決して悪くないと思います。
後のメンバーはひどい物を聞かせると思ったことはありますが、文楽師匠ではそういうことはないですし、名前抜きで考えれば良い雰囲気の噺家と思いますが、どうでしょうか?

トシ坊様
この人は文楽を襲名せず、桂小益のままでいた方が良かったのではないかと今でも思っています。
大名跡を継承するからには、本来はその芸も継承すべきでしょう。
先代文楽が偉大過ぎるということを割り引いてても、芸を継承しているとは到底言いがたいと思います。
談志がセコ文楽と呼ぶのもその辺りでしょう。
愛嬌があって面白い噺家なんですけどねぇ。

芸協に合流を申し入れたようですが、あまりにも下手な芸人が多すぎる気がしjます。
芸協理事会は紛糾間違いなしでしょうね。

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2010/10/29/10.html

トシ坊様
早速記事を読みました。
未だ読まれていない方のために、関係部分を以下に紹介します。
【引用開始】1978年に五代目の師匠にあたる三遊亭円生が落語協会から脱退してから、一門は東京・上野の鈴本演芸場など定席の寄席に出演できない状態が続いていた。しかし日本テレビ「笑点」の仲間の歌丸らが協力し、今年3月の六代目襲名披露興行で32年ぶりの定席出演が実現。六代目は歌丸に「友好団体でも吸収合併でもいい。定期的に定席に出るために落語芸術協会に交ぜていただきたい」と申し入れ。「これが師匠が残していった宿題」と話す六代目に、歌丸は前向きに検討する意向を示した。【引用終り】
集客力に期待が持てるなら、芸協としては渡りに舟かも知れません。
会長副会長が「笑点」仲間なので、後は「香盤」の扱いだけのような気がします。

本当に落語好きなんですか?
先入観だけで垂れ流しのブログに綴るのは勝手ですが。
批判はブロガーによく有りがちな事ですが、落語ファンとしては内実を知らないで批判をするのは悲しい事

随分とまた中途半端な文章ですね。
せっかくのコメントですから、最後まで書いて下さい。

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