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2011/02/27

#12三田落語会「志ん輔・圓太郎」(2011/2/26昼)

2月26日、仏教伝道センタービル8Fで行われた#12三田落語会昼席へ、この日は「志ん輔・圓太郎二人会」という趣向。
この会は開場10分前から次回落語会チケット購入の整理券を配るのだが、その時点で既に50名ほどの行列ができていた。
<  番組  >
前座・古今亭半輔「のめる」
古今亭志ん輔「高田馬場」
橘家圓太郎「試し酒」
~仲入り~
橘家圓太郎「締め込み」
古今亭志ん輔「佐々木政談」

実力と人気が一致しないというのはどの世界でもあることで、落語家の中にもどう見ても実力が足りないにも拘わらず常にチケットが完売という人気者がいれば、実力は十分なのに人気の面では今ひとつという人がいる。
前者でいえば・・・って、これは想像にお任せしよう。
橘家圓太郎は後者に属するといって良いだろう。
ネタの数は多いし、噺も上手い。高座にも適度の華がある。いつ聴いても裏切られるようなことが無い。
しかし、いわゆる人気落語家の範疇に入っていない。
三遊亭金時なぞもこのタイプだ。
共通点は、芸風がやや地味だということだろうか。

その圓太郎の1席目「試し酒」、この演目は先代小さんが得意とし志ん朝の名演があるが、圓太郎の高座はそれらを彷彿とするような良い出来だった。
ポイントは二つ。
一つは、1升入りの大杯の空け方で、早すぎず遅すぎず、旨そうに最後の一滴まで飲み干す動作だ。
1升目と最後の5升目は一気に空けるのだが、当然飲み方には差があるのであって、そうした細かな点がきちんと表現されていた。
もう一つは、当初の頃は田舎者丸出しだった久蔵が酔うにつれ、次第に都々逸を唄ったり酒の由来の講釈をしたり、洗練された一面を見せるようになる。酔うことによって性格が変わるという所を表現するわけだ。
熱演に対し、度々客席から大きな拍手がわいていた。
2席目「締め込み」、このネタで省略できない箇所が二つある。
一つは、泥棒が揚げ板をはずして縁の下にもぐる場面で近くに糠みそ桶があり、それが手入れが悪く臭いがひどいというシーン。
この家の女房は器量よしで人当たりも良いのだが、いわゆる「糠みそくさい」タイプの女ではないわけだ。
だから帰宅した亭主が風呂敷包みをみて、直ちに女房の浮気だと決めつけるには理由があった。
もう一つは、夫婦喧嘩の時に女房が二人の馴れ初めを語る場面で、「ウンか出刃か、ウン出刃か」と迫られたと言うシーン。
惚れ合って夫婦になったという二人の痴話喧嘩という設定だ。
だから泥棒が仲裁に入った際に、あれほど感謝され、酒まで振舞われる。
圓太郎の演出は泥棒のトボケタ味がよく出ており、珍しく最後のオチまで演じて、近ごろでは出色の「締め込み」であった。

志ん輔の1席目「高田馬場」、昔の縁日の思い出をマクラに、冒頭のガマの油売りの口上で場内をわかす。
敵討ちから翌日の高田馬場の飲み屋のシーンまでテンポ良く語り、楽しませてくれた。
2席目「佐々木政談」、こちらは感心しなかった。
時間を延ばそうとしたのかマクラがやたら長く、しかも取り留めのない内容で聴いていてダレテきた。
そのモタツキぶりがネタにも移って、始めの子ども達の裁きの場面で、同じセリフを3回繰り返すなど集中力を欠いていた。
後半のお白州の場面になると持ち直したが、奉行に威厳が足りないように思えた。
やはり客席から失笑が漏れるようなマクラの失敗が、最後まで響いたような気がする。

今回の二人会は、圓太郎の判定勝ち。

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2011/02/25

【寄席な人々】落語家の貧乏物語

先日の「港ふれあい寄席」で扇遊が鯉昇について次のようなエピソードを語っていた。
瀧川鯉昇がまだ前座の春風亭柳若だった時代に、「貧乏な前座」ということでTV局から取材されたことがある。
貧しい生活ぶりが紹介されて、彼が暮らす3畳一間のアパートもTVに写し出されていた。
家具は何もなく畳はボロボロ、レポーターはその様子を涙を流さんばかりに伝えていた。
それを扇遊は笑いながら観ていたとか。
「畳の下に1万円札が敷き詰められていたのを知らないんですね。鯉昇さんほど若いときからお金を貯めていた人はいませんから。」と語っていた。

鯉昇の貧乏物語は夙に有名だが、実際には本人の話と扇遊の話の中間くらいに真実があるのだろう。
芸人の貧乏物語や苦労話、すべて虚実ないまぜのフィクションだと思った方がいい。
私も若い頃の貧乏話には事欠かないが、それをリアルに他人に語ったところでそれほど面白いものではない。
入場料を頂いて聴いてもらうには、どうしてもウソが混ざるのは避けられまい。
たまに自分の身辺のことを有りのままに語る芸人がいるが、アンタの身の上話を聴きにきたんじゃないぞと言いたくなる。
噺家がフィクションをいかにもホントらしく語り、お客はウソだと分かっていてそれを感心して聴く、それが寄席の世界だ。

かつて八代目桂文楽の「芸談あばらかべっそん」という本が出版され、評判となった。
同書は正岡容が文楽に聞き書きしたものをまとめたもので、芸談というより文楽の一代記といった内容になっている。
ある人がその続編を出そうと文楽にインタビューし文章にまとめたら、なんのことはない、内容が「芸談あばらかべっそん」とウリ二つになってしまったそうだ。
そこで、その人が初めて気がついた。落語家の語る人生というのは、それ自体がネタになっているのだと。
だから寸分の狂いもなく、全く同一の中味になってしまった。

かくして私たちは、ホントのようなウソの話を聴きたくて寄席に通うのだ。

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2011/02/21

「イラク戦争の根拠」は捏造だった

イギリスの新聞“ガーディアン”によると、米国がイラク戦争開戦の根拠とした大量破壊兵器の開発疑惑について、情報をもたらした亡命イラク人男性が、フセイン政権を倒すためにでっち上げたことを初めて認めたとある。
この男性に取材した“ガーディアン”紙に、以下のように伝えたものだ。

「カーブボール」の暗号名で知られる男性は、2000年3月にドイツへ亡命した。
独連邦情報局(BND)の当局者に協力を求められた際に、「サダム・フセイン大統領追放のチャンスだ」と思い、トラックを使った可動式の生物兵器施設や秘密工場の話を捏造した。
男性は化学エンジニアとみなされていた。
BNDは2002年5月以降、頻繁に男性に接触し、もし男性が協力しなければ国外にいる妊娠中の妻がドイツに戻れなくなると示唆され、聴取に応じた。
男性によれば、米当局の聴取は受けなかったとしている。
2003年2月、パウエル米国務長官(当時)が国連でイラクの兵器計画隠蔽の「証拠」を提示した際に。男性は自らでっちあげた生物兵器施設のイラストをパウエル氏が掲げていたことに衝撃を受けた。
その後ホテルに監禁されている間に、イラク戦争が始まったという。
大量破壊兵器は結局みつからず、市民を含む10万人以上が戦争の犠牲になった。
男性は戦争による犠牲は悲しいとしつつも、「誇りに思う。イラクに自由をもたらすには他に方法がなかった」と、「世紀の大ウソ」を正当化した。

昔から「亡命者の情報は信用するな」と言われている。
ドイツもアメリカも、この男の情報を信じていたわけではあるまいが、利用価値があるとふんだのだろう。
裏づけのないままイラクの兵器計画隠蔽の証拠と断定し、イラク開戦の根拠に仕立てあげたわけだ。
こんな情報操作にだまされて、我が国を含む多くの政府がイラク戦争を支持し、支援してきたことはご存知のとおり。
イラクに大量破壊兵器が存在すると断言し、イラク開戦を支持した小泉純一郎は今どのような気持ちでいるのだろう。
まあ、あの男のことだから、反省などしてないか。

かの捏造に協力した男性だが、現在の中東各国の民主化への動きをどう見ているだろう。
民主化というのは、やはりその国の国民自身の手によって行われるべきことなのだ。
この男性の「世紀の大ウソ」への言い訳は、「曳かれ者の小唄」でしかない。

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2011/02/20

港ふれあい寄席~実力派競演~(2011/2/19)

2月19日、高輪区民センターで行われた「港ふれあい寄席~実力派競演~」へ。
プログラムには書かれていなかったが、出演者の話によると2回目のようだ。定期開催かどうかは不明。
<  番組  >
開口一番・瀧川鯉ちゃ「やかん」
瀧川鯉昇「二番煎じ」
~仲入り~
三増れ紋「曲独楽」
入船亭扇遊「明烏」

先ず「実力派」以外の二人について。
開口一番の鯉ちゃ「やかん」、随分ヒネタ前座だと思ったら、37歳で入門とか。
こういう歳になってから落語家を志したのには、それなりの思い入れがあったのだろう。
年齢のせいか落ち着いた高座で、実力は二ツ目並みと見た。
れ紋「曲独楽」、これがいけない。
こうした落語会のゲストの色物芸人というのは、自分の芸を見せるのは当然だが、会の雰囲気を壊さぬよう分をわきまえて演じることが肝要だ。
この点を理解できないような芸人はゲストには不向き。
この人の高座の欠点は三つ。
・ムダにウルサイ
・拍手の強要
・舞台に上げた客をイジリ過ぎ
これらを芸だとか、お客へのサービスだとかと思っていたら大間違い。

さて扇遊と鯉昇だが、初めて気がついたのだが出身が同じ静岡県で、生まれも昭和28年で一緒。
所属する協会は異なるが、古典一筋という点も共通だ。
ただ芸風はというと、扇遊がオリジナルの型を忠実に継承するタイプであるのに対し、方や鯉昇は独自のクスグリを多用しながら全体を少し戯画化してゆくタイプである。
この違いが、この日の高座にも如実に表れていた。
鯉昇「二番煎じ」。
このネタは、
・前半の、旦那衆が寒さの中を不慣れな夜回りする場面
・後半の、番小屋に戻っての密かに飲食する場面
に分けられる。
鯉昇の演出は、前半では旦那衆に「火の用心」の喉を競わせ、後半では宴席を盛り上げて爆笑を誘うものだった。
見回りの役人をかなりワルに描いていたのも特長。
面白さはグーンと増していたが、寒中の夜回りや番小屋の雰囲気を損ねていたようにも思われ、評価が分かれるところだ。

扇遊「明烏」。
おそらく古今亭志ん朝の高座をベースにしたものと思われ、オリジナルに忠実な演出に見える。
扇遊は、登場人物の大店の旦那である日向屋半兵衛と、その息子時次郎、源兵衛と太助という町内のワル二人、茶屋の女将、それぞれの人物像をより鮮明に描くことにより、一味違った「明烏」に仕立てていた。
例えば、帰りたいと言い出した時次郎を止める時の太助の凄み、「札付きの悪」としての面目躍如だ。
その太助、翌朝の甘納豆を食う場面でもいい味を出していた。
浦里と一夜を過ごした時次郎のとろけるような表情も印象的。
近ごろでは出色の「明烏」であった。

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2011/02/18

「役者に愛人、隠し子」どこが問題なの?

独身の歌舞伎俳優片岡愛之助(38)に隠し子がいることが分かり、ワイドショーをにぎわしている。
愛之助が20年ほど前に知り合った女性との間に小学5年の男の子がいるというのだ。
17日行われた記者会見では、結婚しなかったのは「2人で話し合い、それぞれの生き方で行こうと決めた」と語っている。
子どもの認知については、自身も一般から片岡秀太郎に養子に入った身であることから、「子供が大きくなって、本人の意思を聞いて決める」とのことで、養育費については相応の額を定期的に払っていることを明かした。
要は当事者同士は納得しており、なにも問題は無いわけだ。
むしろ、こうした報道は相手方の女性とその家族に対し、特に「隠し子」などという蔑称でよばれてしまった息子さんが気の毒である。
これとは別に、中村福助(50)がファンの女性と不倫していたと報じられている。
歌舞伎役者に愛人がいるなどというのは当たり前のことで、もし妻以外の女性を知らないという役者がいたら、そっちの方がニュースではなかろうか。

歌舞伎の世界ではご贔屓とよばれる後援者がおり、10代の頃から役者を宴席に連れ出し、いわゆる「女遊び」を覚えさせると聞く。
また昔から「役者に入れあげる」という表現があるとおり、女性ファンの中には金品を供与してまで役者と関係を持つ人もいる。
据え膳食わぬはなんとやらで、女性と経験するチャンスはいくらでもあり、その中には妊娠、出産するケースだってあるだろう。
役者の方でも「芸の肥やし」とかなんとか、割り切ってしまうわけだ。

生物の繁殖には
・ r戦略:沢山の子を産み、その中から生き残ったものが次世代を形成する。
・ K戦略:少数の子を産み、確実に育てて次世代を形成する。
という二つのタイプがある。
人間社会は一般にK戦略をとるのだが、特殊な地位や職業ではr戦略を取るケースもある。
男子のみが地位を継承できる世界では、しばしばr戦略が選択されていたのは、ご存知の通り。
我が国の皇室も、近年まではそうだった。
歌舞伎の世界でもかつては「芸を継ぐ者が家を継ぐ」という原則があって、実子、庶子、養子の中から最も優秀な者を選んで後継者としてきた。つまりr戦略だった。
そうした歌舞伎界の伝統は、原則として長男が後を継ぐようになった現在にも、脈脈と流れているという風にも解釈できる。
して見れば、愛人だの隠し子だの、当事者同士が納得していれば、周囲が騒ぎ立てるべきではない。

こういうのを、野暮という。

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2011/02/17

「もう最高裁はない」

「まだ最高裁がある」。
これは戦後の冤罪事件として注目を集めた八海事件をモデルにした映画「真昼の暗黒」のラストシーンで、主人公が拘置所の鉄格子につかまり、「お母さん。まだ最高裁があるんだ! まだ最高裁があるんだ!」と絶叫したときのセリフだ。
1956年に公開されたこの映画は、その年の各種映画賞を総なめにした大ヒット作となり、実際の裁判でも無罪となったことを含めて全国を席巻、流行語となった。
その後におきた様々な冤罪事件を闘った人々の合言葉になったことでも知られている。
しかし、今や「もう最高裁はない」ともいうべき状況に陥っているようだ。

私たちは最高裁に上告された事件は、当然のごとく最高裁判事が審査して判決を出してくれると思っている。
でも事実は違う。
最高裁にあげられた刑事事件のうち98%は上告棄却、つまり門前払いになっているのだが、これを事前に審査しているのは「最高裁判所調査官」といわれる人々だ。
それぞれの案件は1人1人の調査官に割り振られて篩いにかけられ、上記のように98%は不受理として処理される。
その結果、裁判官の手に届くのは僅か2%になっているというのだ。
受理した場合でも、大法廷回付、小法廷審議、下級審差し戻しなどの審理方針まで彼らが判断しているのが現実なのだそうだ。
加えて、最高裁判決が出された後に判例集に掲載される調査官解説も彼らが書き、その解釈が下級審の判決にも影響しているとされる。
そうなると一体、最高裁裁判官というのは、どんな役割を負っているのだろうか。
こうした実態を告発すべきマスコミは、最高裁と司法クラブが癒着していて機能していない。

私たち国民には、肉体的精神的に極度の負担をかける「裁判員制度」を押し付けておきながら、自分たちは調査官という下請けに丸投げしているがごとき最高裁判事たち。
こうした実態にNOを突きつける手段のひとつに、「最高裁判所裁判官国民審査」がある。
国民審査の投票用紙にはそのときに国民審査の対象となる裁判官の氏名が記されており、投票者は罷免すべきだと思った裁判官の氏名の上に×印を書き入れる。投票者の過半数が×印をつけ罷免を可とした裁判官が罷免される。
衆院選挙と同時に行われるのでその陰に隠れてしまいがちだが、私たち国民の声が反映できるシステムになっている。
×印を記した場合のみ不信任となり、何も記入しないと信任となってしまうため、選挙の立会人に投票状況が分かってしまうという大きな欠点がある。
そうした制度のためか、現在までに罷免となった判事は1人もいない。
前記のような最高裁の現状に不満がある方は、国民審査を通して積極的にその意志を示そうではないか。
司法の最高機関である最高裁が正常な機能を果たし、国民から信頼されるようになることを切に希望する。

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2011/02/15

「枕営業」トハ売春ノコトナリ

日本の複数のメディアが、韓流ガールズグループ「KARA」のメンバー5人のうち3人が14日、所属事務所との専属契約の無効を求める訴えを、ソウル中央地裁に起こしたと報じている。  
3人は先月、所属事務所に専属契約解除を申し出て、「KARA騒ぎ」を起こしたばかりだったようだ。
芸能タレントの育成は韓国にとっては外貨獲得のための国家的事業のようであるから、この手のニュースに大騒ぎするのは理解できるが、日本のマスコミまでもがなぜ大々的に報道せねばならないのか、よく分からない。

昨年、韓国人女優のチャン・ジャヨンが、今後の仕事を得ることと引き換えに有力者と性的関係を持つように迫られたことを苦に自殺した事件を受け、韓国の国家人権委員会は、女優111人と女優志願者240人を対象に、「枕営業」の実態調査を行った。
公表された調査結果によれば、回答者の中で実に60%もの女性が、資産家や政治家、テレビ・映画の製作関係者を相手にした性的な接待を持ちかけられた経験があるという。
こうした枕営業の勧誘は、所属事務所や仲介業者などから話が持ち込まれているという。
それだけではなく、半数以上の人が資産家と愛人契約を結んで金銭援助を受けることも提案されていたという。
先月には 韓国芸能プロダクションの代表取締役が、芸能界入りを志願した歌手志望の女性に「活動を支援してやる」と性的関係を強要したとして逮捕されるという事件が起きている。
こうした報道をみると、韓国芸能界にはセックスの対価として仕事を与えるという行為が日常化しているかに見える。

翻って日本の芸能界だが、もし「枕営業」の調査を行ったらどのような結果になるだろうか。
パーセンテージこそ異なるものの、似たりよったりの結果になるのかも知れない。
いわゆる「高級娼婦」マーケットへの供給元だ。
市場経済だから、需要と供給が存在すれば、そこにマーケットが形成されてゆく。
交際費であるが、仄聞するところによれば、一晩のお値段は数十万円といったレベルであるらしい。
イタリアのベルルスコーニ首相が少女買春し大きな政治問題化しているが、少女の証言によれば金額は77万円だった由。
してみると、日本の相場と大差なかったようだ。

所属する芸能プロダクションの斡旋あるいは紹介、勧誘があれば、完全に違法となる。
「売春防止法」ではこうなっている。
【第二条 この法律で「売春」とは、対償を受け、又は受ける約束で、不特定の相手方と性交することをいう。
第三条 何人も、売春をし、又はその相手方となってはならない。】
このように、法律で定められている「売春の定義」はかなり幅広い。
そして刑事処分に該当するのは、売春の「勧誘」「周旋」「困惑あるいは脅迫」「対賞の収受」「前貸し」「契約」「場所の提供」「資金の提供」及び「業として売春させる」が上げられており、最高刑は懲役10年となっている。

しかし「売春防止法」はすでに有名無実化しており、実際は野放し状態。
とりわけ高級娼婦の客となるような人物といえば、一晩に平均的サラリーマンの給料の2-3倍もの金品を支払える層だから、政治家や企業経営者などハイソな人たちだ。
警察だって捜査の手をゆるめることになるので、摘発されるようなことは先ず起きない。
これからも、心おきなく枕を高くして「枕営業」に励めるというものだ。

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2011/02/13

鈴本演芸場2月中席・昼(2011/2/12)

先週に引き続き、2月12日は鈴本演芸場中席・昼の部へ。

<  番組  >
前座・柳家いっぽん「道灌」
春風亭朝也「真田小僧」
翁家和楽・小楽・和助「太神楽」
春風亭柳朝「転失気」
桂藤兵衛「時そば」
ロケット団「漫才」
三遊亭歌武蔵「ぼやき居酒屋」
三遊亭圓歌「漫談」
カンジヤマ・マイム「パントマイム」
桃月庵白酒「壷算」
-仲入り-
アサダ二世「奇術」
古今亭菊丸「ふぐ鍋」
柳家小袁治「長短」
大空遊平・かほり「漫才」
春風亭一朝「片棒」

2月11日に、一人話芸の日本一を決定すると称する『R-1ぐらんぷり2011』決勝戦というのをTVで観た。
初戦での出演者8名の芸をみたが、ヒューマン中村という人が多少面白かっただけで、残りの7名は実につまらなく、見るに堪えなかった。
TVから次々お笑い番組が消えているそうだが、こんなレベルの芸を見せていたのでは当然だろう。

それに引き換え、先週に引き続きこの日も立ち見の出る満員。
そう言ってはなんだが、土曜日とはいえ特に人気者が出ているわけでもないのにこの入り、落語ブームもすっかり定着した感がある。
遠くから足を運び、安くない入場料を払って大勢さんがみに来るには、それなりの理由がある。
この日の色物でも、翁家和楽らの「太神楽」、カンジヤマ・マイム「パントマイム」やアサダ二世「奇術」に客席から感嘆の声が上がっていた。
ロケット団「漫才」のいつもの四文字熟語や山形弁、また来たなと思いながらやはり大笑いしてしまう。
しっかりとした芸の裏づけがあるからだ。

落語でも噺の面白さという以外にも、例えば藤兵衛「時そば」の蕎麦の食いっぷり、汁のすすり方。あるいは菊丸「ふぐ鍋」でのフグや野菜、豆腐の食い分け。こういう細部の芸が見せ所になっている。
マクラでは、白酒「壷算」での交通事故の猿の話や、一朝「片棒」での彦六の正蔵のエピソード、何度聴いても腹を抱える。
この他、歌武蔵「ぼやき居酒屋」は今や本家の桂三枝より面白いと思った。
柳朝と朝也の若手二人は愛嬌があって良い。
全体として特に充実していた番組と云う訳ではないが、それでも楽しい時間を過ごすことができた。

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2011/02/11

違法な宗教法人への規制を厳格に

本日付けの朝日新聞に、葬儀の際に遺族から僧侶に渡したお布施の一部が、リベートとして葬儀社に支払われる仕組みが慣行化している例が紹介されている。
そのリベートだが、4割から時には7割にも達しているというから驚きだ。
遺族の弱みにつけこんで、知らぬうちにお布施にリベートを上乗せさせられているわけで、これだけでも相当タチが悪い。
加えて、リベート分が宗教法人の口座を通じて葬儀社に入金される。
宗教法人としておけば、お布施が非課税になることを悪用しているわけだ。
こうした宗教法人を利用した脱税行為は後を絶たず、高額で休眠の宗教法人が売買されているのが現実だ。
この問題を解決するためには、宗教法人に対する規制を強化すべきだ。

こういうと直ぐに信教の自由ウンヌンという反論があるかも知れないが、「宗教法人への規制」と「宗教活動への規制」は全く別のものだ。
宗教法人法ではその目的を次のように定めている。
【第1条 この法律は、宗教団体が、礼拝の施設その他の財産を所有し、これを維持運用し、その他その目的達成のための業務及び事業を運営することに資するため、宗教団体に法律上の能力を与えることを目的とする。】
つまり法人になっても、不動産等を所有する権利主体となれるだけであり、法人格を取得していなくとも、宗教活動を行うことは完全に自由である。

法律では宗教法人への解散命令について次のように規定している。
【第81条 裁判所は、宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる。
1.法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと。
2.第2条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は1年以上にわたつてその目的のための行為をしないこと。
3.当該宗教法人が第2条第1号に掲げる宗教団体である場合には、礼拝の施設が滅失し、やむを得ない事由がないのにその滅失後2年以上にわたってその施設を備えないこと。
4.1年以上にわたって代表役員及びその代務者を欠いていること。
5.第14条第1項又は第39条第1項の規定による認証に関する認証書を交付した日から1年を経過している場合において、当該宗教法人について第14条第1項第1号又は第39条第1項第3号に掲げる要件を欠いていることが判明したこと。】
ここでいう第2条及び第14条の規定とは、次の通りである。
【第2条 この法律において「宗教団体」とは、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする左に掲げる団体をいう。
1.礼拝の施設を備える神社、寺院、教会、修道院その他これらに類する団体
2.前号に掲げる団体を包括する教派、宗派、教団、教会、修道会、司教区その他これらに類する団体】
【第14条 所轄庁は、前条の規定による認証の申請を受理した場合においては、その受理の日を附記した書面でその旨を当該申請者に通知した後、当該申請に係る事案が左に掲げる要件を備えているかどうかを審査し、これらの要件を備えていると認めたときはその規則を認証する旨の決定をし、これらの要件を備えていないと認めたとき又はその受理した規則及びその添附書類の記載によってはこれらの要件を備えているかどうかを確認することができないときはその規則を認証することができない旨の決定をしなければならない。
1.当該団体が宗教団体であること。
2.当該規則がこの法律その他の法令の規定に適合していること。
3.当該設立の手続が第12条の規定に従つてなされていること】
当たり前のことだが宗教法人というのは宗教団体であり、もし実態が宗教団体を逸脱し、営利団体あるいは政治団体であった場合は、法律に基づき解散命令を出すべきなのだ。
この条項の厳格な運用により、違法な宗教法人を排除できると思われる。

次に休眠法人を排除する対策として、第81条の解散命令に下記の条項を追加するよう法律を改正することを提案したい。
【第25条第4項の規定による書類の写しの提出を怠つたとき。】
その第25条第4項の規定とは次の通りである。
【第25条 宗教法人は、その設立(合併に因る設立を含む。)の時に財産目録を、毎会計年度終了後3月以内に財産目録及び収支計算書を作成しなければならない。
2 宗教法人の事務所には、常に次に掲げる書類及び帳簿を備えなければならない。
1.規則及び認証書
2.役員名簿
3.財産目録及び収支計算書並びに貸借対照表を作成している場合には貸借対照表
4.境内建物(財産目録に記載されているものを除く。)に関する書類
5.責任役員その他規則で定める機関の議事に関する書類及び事務処理簿
6.第6条の規定による事業を行う場合には、その事業に関する書類
3 宗教法人は、信者その他の利害関係人であって前項の規定により当該宗教法人の事務所に備えられた同項各号に掲げる書類又は帳簿を閲覧することについて正当な利益があり、かつ、その閲覧の請求が不当な目的によるものでないと認められる者から請求があつたときは、これを閲覧させなければならない。
4 宗教法人は、毎会計年度終了後4月以内に、第2項の規定により当該宗教法人の事務所に備えられた同項第2号から第4号まで及び第6号に掲げる書類の写しを所轄庁に提出しなければならない。】
現行法では、年に一度、法人としての活動状況を報告することが義務付けられており、違反すれば罰則も設けられているのだが、これに加えて法人の解散命令が下せるように法律を改正すれば、休眠の宗教法人の大部分が排除できると思われる。

いうまでもなく、法人として認証されるには権利と同時に義務も要るのであって、義務を履行しなければ法人格を失うのは当然であろう。
宗教法人といえども、例外ではない。
もちろん、正当な活動を行っている法人についてはなんら影響はなく、悪質な法人が排除されることにより、宗教法人全体の信用度が向上するのではなかろうか。

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2011/02/09

慎太郎よ、いい加減にせい!

自民党の石原伸晃幹事長は8日午前の記者会見で、3月24日告示の東京都知事選について、父の石原慎太郎知事(78)に対し、4選出馬を要請する方針を明らかにした。
石原幹事長は「ぜひ出てもらいたい。政治状況が混沌としてくる中で、正論を言う都知事が必要だ」と語り、出馬を要請する考えを示した。
親の七光りで幹事長に昇進したお返しに、今度は息子が父親に4選出馬を要請というわけか。
これぞ一族内「八百長」、但しこっちの方は政治に直接影響を与えるだけに、大相撲より遥かに実害が大きい。
失政の連続に加えて近ごろは老害ばかり目だつ石原慎太郎、いよいよ今度こそ辞めるだろうと思っていたら4選出馬とは、もういい加減にしろと言いたい。

石原慎太郎のような男が都知事にまでなれたのも、元はといえば実弟である国民的人気俳優・裕次郎のお陰だ。
いうなれば、石原裕次郎の威光で慎太郎一家は糧を得ているに過ぎない。
この際、一族揃って政治の舞台から退場して欲しいものだ。
自民党も、いつまでも慎太郎や小泉純一郎のセガレたちの人気におぶさっているようでは、政権復帰は覚束ないだろう。

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2011/02/06

鈴本演芸場2月上席中日・昼(2011/2/5)

立春が過ぎ一気に暖かくなってきた5日、ぶらりと鈴本演芸場2月上席中日昼の部へ。
本寸法の顔付けが揃い、立ち見も出る満員盛況。

<  番組  >
前座・三遊亭ございます「子ほめ」
古今亭志ん吉「垂乳根」
翁家和楽・小楽・和助「太神楽」
古今亭志ん丸「強情灸」
五明樓玉の輔「紙入れ」
ホンキートンク「漫才」
三遊亭萬窓「締めこみ」
金原亭馬生「親子酒」
カンジヤマ・マイム「パントマイム」
五街道雲助「初天神」
-仲入り-
松旭斉美智「マジック」
柳亭燕路「短命」
柳家小満ん「浮世床」
ホームラン「漫才」
古今亭志ん輔「お見立て」

寄席というのは、世界的にみても稀有な演芸形態ではなかろうか。
個人(又はグループ)がそれぞれ個々の芸を競いながら、全体として主任(トリ)を中心としたアンサンブルを形成している、そんな演芸など他国では例が無いと思われる。
そのアンサンブルも誰か演出家がいるわけではなく、個々の芸人による自主的なものだ。いうなれば巧まざる演出というわけだ。

この日の落語の演目をみても、古典落語という共通性を有しながら、「強情灸」「お見立て」のような古今亭の十八番(おはこ)もあれば、「初天神」のような季節感のあるネタや、「短命」「紙入れ」のような艶笑譚もあるというように、実に多彩だ。
こうした中にカンジヤマ・マイムのような異質とも思える色物が入っても、ピタリと納まるところが寄席の懐の深さといえよう。
寄席の魅力を改めて感じた次第。

萬窓「締めこみ」、いつも本格的な古典を聴かせてくれる噺家で、好きな芸人のひとり。
この日の高座で不満をいうと夫婦喧嘩の場面で、肝心な「ウンか出刃か、ウン出刃か」がカットされていたのは残念。
馬生「親子酒」、このネタはこうしてサラリと演じた方がよい。
馬生の酒の注ぎ方飲み方がキレイで、こうした細かな所を若手は見習って欲しい。
雲助「初天神」、少し急ぎ足だったが、最後の凧揚げの場面まで演じた。
金坊の仕種が可愛らしい。
小満ん「浮世床」、短い時間に「本」と「夢」を。
芸に艶があるし、ジワっとくる上手さに感心する。
トリの志ん輔「お見立て」、志ん輔のこのネタは3回目だが、この日の出来が最高。
先ず、高座に気合が入っていた。
登場人物の杢兵衛旦那、喜瀬川花魁、喜肋の造形が鮮やか。
特に喜助の喜怒哀楽の表情変化が巧みだった。
最近聴いた「お見立て」の中では、ベストと言って良い。

寄席の楽しさを満喫して、気分よく帰宅。

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2011/02/02

「八百長」は相撲文化

大相撲の野球賭博事件で警視庁が押収した力士の携帯電話から八百長(無気力)相撲をしていたことを伺わせるメールが見つかった問題で、日本相撲協会は2月2日、東京・両国国技館で臨時理事会を開き、疑惑をもたれた力士を呼び出し事情をきいた。
呼び出しを受けたのは、幕内の翔天狼、光龍、豊桜、十両の旭南海、若天狼、清瀬海、元幕内で現在幕下の山本山、元十両で現在幕下の白乃波、三段目の恵那司に、1月の初場所限りで引退した元幕内春日錦の竹縄親方らの計12人。
この日の事情聴取ではいずれも八百長の確証は得られなかったとのことで、今後は第三者による特別調査委員会を設置して、事実関係の調査に乗り出すことを決めた。

夕方から行われた放駒理事長の記者会見では、八百長は過去には一切なく、今回新たに起きた問題だと強調していたが、誰も信じる人はいないだろう。
相撲の八百長には永い歴史があり、恐らくは現在も続いていると思われる。
その中でたまたま今回、証拠をもって明らかになったに過ぎない。
講談や落語などの古典芸能の世界では、相撲の八百長の話はしばしば題材として、しかも多くは美談としてとり上げられている。
してみると、八百長は相撲文化であるといえよう。

メールのやりとりが、当時十両だった力士が中心となっていたことに注目したい。
力士は十両以上は関取と呼ばれ、給金も出れば付き人もつく。
幕下以下とは天と地の差だ。
長く十両に滞留している力士同士が、お互いの身分を守るため星の貸し借りをやりながら、いわば共済組合みたいになっているという話は、昔から知られていた。
八百長報道をきいても、やっぱりそうかという印象しかない。
地方巡業では必ず地元力士が活躍するという「お約束」になっており、そうした日常の延長に八百長が存在しているとも考えられる。

私は相撲ファンというほどではないが、好きで時々本場所も観にいく。
人によりけりとは思うが私の場合、大相撲はスポーツとして半分、伝統芸能として半分楽しんでいる。
極端にいえば、多数の力士が一座を組んで興行を打っている、そんな風にもみている。
その間には、八百長もあれば真剣勝負もあるのだろうと。
ある種のいかがわしさも、大相撲の魅力の一つだと思っているのだが。
やれ国技だ公益法人だのと言われるが、元々がそれほどの存在ではない。

八百長が明らかになれば、厳正な処分が下されるのは間違いない。
そうした浄化作用の結果、これからの大相撲が益々魅力的になっていくのかどうかは別の問題だ。

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