「もう最高裁はない」
「まだ最高裁がある」。
これは戦後の冤罪事件として注目を集めた八海事件をモデルにした映画「真昼の暗黒」のラストシーンで、主人公が拘置所の鉄格子につかまり、「お母さん。まだ最高裁があるんだ! まだ最高裁があるんだ!」と絶叫したときのセリフだ。
1956年に公開されたこの映画は、その年の各種映画賞を総なめにした大ヒット作となり、実際の裁判でも無罪となったことを含めて全国を席巻、流行語となった。
その後におきた様々な冤罪事件を闘った人々の合言葉になったことでも知られている。
しかし、今や「もう最高裁はない」ともいうべき状況に陥っているようだ。
私たちは最高裁に上告された事件は、当然のごとく最高裁判事が審査して判決を出してくれると思っている。
でも事実は違う。
最高裁にあげられた刑事事件のうち98%は上告棄却、つまり門前払いになっているのだが、これを事前に審査しているのは「最高裁判所調査官」といわれる人々だ。
それぞれの案件は1人1人の調査官に割り振られて篩いにかけられ、上記のように98%は不受理として処理される。
その結果、裁判官の手に届くのは僅か2%になっているというのだ。
受理した場合でも、大法廷回付、小法廷審議、下級審差し戻しなどの審理方針まで彼らが判断しているのが現実なのだそうだ。
加えて、最高裁判決が出された後に判例集に掲載される調査官解説も彼らが書き、その解釈が下級審の判決にも影響しているとされる。
そうなると一体、最高裁裁判官というのは、どんな役割を負っているのだろうか。
こうした実態を告発すべきマスコミは、最高裁と司法クラブが癒着していて機能していない。
私たち国民には、肉体的精神的に極度の負担をかける「裁判員制度」を押し付けておきながら、自分たちは調査官という下請けに丸投げしているがごとき最高裁判事たち。
こうした実態にNOを突きつける手段のひとつに、「最高裁判所裁判官国民審査」がある。
国民審査の投票用紙にはそのときに国民審査の対象となる裁判官の氏名が記されており、投票者は罷免すべきだと思った裁判官の氏名の上に×印を書き入れる。投票者の過半数が×印をつけ罷免を可とした裁判官が罷免される。
衆院選挙と同時に行われるのでその陰に隠れてしまいがちだが、私たち国民の声が反映できるシステムになっている。
×印を記した場合のみ不信任となり、何も記入しないと信任となってしまうため、選挙の立会人に投票状況が分かってしまうという大きな欠点がある。
そうした制度のためか、現在までに罷免となった判事は1人もいない。
前記のような最高裁の現状に不満がある方は、国民審査を通して積極的にその意志を示そうではないか。
司法の最高機関である最高裁が正常な機能を果たし、国民から信頼されるようになることを切に希望する。
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