【寄席な人々】落語家の貧乏物語
先日の「港ふれあい寄席」で扇遊が鯉昇について次のようなエピソードを語っていた。
瀧川鯉昇がまだ前座の春風亭柳若だった時代に、「貧乏な前座」ということでTV局から取材されたことがある。
貧しい生活ぶりが紹介されて、彼が暮らす3畳一間のアパートもTVに写し出されていた。
家具は何もなく畳はボロボロ、レポーターはその様子を涙を流さんばかりに伝えていた。
それを扇遊は笑いながら観ていたとか。
「畳の下に1万円札が敷き詰められていたのを知らないんですね。鯉昇さんほど若いときからお金を貯めていた人はいませんから。」と語っていた。
鯉昇の貧乏物語は夙に有名だが、実際には本人の話と扇遊の話の中間くらいに真実があるのだろう。
芸人の貧乏物語や苦労話、すべて虚実ないまぜのフィクションだと思った方がいい。
私も若い頃の貧乏話には事欠かないが、それをリアルに他人に語ったところでそれほど面白いものではない。
入場料を頂いて聴いてもらうには、どうしてもウソが混ざるのは避けられまい。
たまに自分の身辺のことを有りのままに語る芸人がいるが、アンタの身の上話を聴きにきたんじゃないぞと言いたくなる。
噺家がフィクションをいかにもホントらしく語り、お客はウソだと分かっていてそれを感心して聴く、それが寄席の世界だ。
かつて八代目桂文楽の「芸談あばらかべっそん」という本が出版され、評判となった。
同書は正岡容が文楽に聞き書きしたものをまとめたもので、芸談というより文楽の一代記といった内容になっている。
ある人がその続編を出そうと文楽にインタビューし文章にまとめたら、なんのことはない、内容が「芸談あばらかべっそん」とウリ二つになってしまったそうだ。
そこで、その人が初めて気がついた。落語家の語る人生というのは、それ自体がネタになっているのだと。
だから寸分の狂いもなく、全く同一の中味になってしまった。
かくして私たちは、ホントのようなウソの話を聴きたくて寄席に通うのだ。
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コメント
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優れた私小説にも同じことがいえますね。
繰り返し繰り返し身の上話を書いていく。そのたびに虚実ないまでにして本当の核心に近づいていくのでしょう。
それがないとマンネリにすぎなくなってしまうような気がします。笑いは取れても。
投稿: 佐平次 | 2011/02/25 10:32
佐平次様
かつて私の両親がよく言い争いをしていました。
父が言うには、母の話は大げさでウソが多いというのです。生真面目な父はそれが許せなかったのです。
それに対して母の言い分は、そうしなければ相手が面白くないでしょうという反論で、議論は常に平行線でした。
その当時の両親は水商売でしたので、私は母の主張が正しいといつも思っていました。
投稿: home-9(ほめ・く) | 2011/02/25 11:12
まさかとは思いますが、鯉昇がよくやるマクラで寒暖計で体温を測る、というネタがありますが、本当に測ったと思う人が一つの落語会で二割位はいるかもしれない・・・そんな気もします^^
マスコミの嘘と違って、罪なく笑える噺家のウソ、これを楽しまずにいて落語は味わえないですよね。
投稿: 小言幸兵衛 | 2011/02/25 12:58
小言幸兵衛様
ホントの事と信じてる人、ウソだろうと思ってる人が同時に笑える場所、それが寄席です。
扇遊の話はやや「ネタばれ」的な感じがして、私は少々引いてしまいましたが。
投稿: home-9(ほめ・く) | 2011/02/25 13:36
「芸談あばらかべっそん」を読んでいます。内容も勿論ですが、日本語の表現力、リズムの楽しさを再認識しています。続編のお話しおもしろいですね。
投稿: ETCマンツーマン英会話 | 2012/04/24 11:03
ETCマンツーマン英会話様
英会話教室を運営されている方が落語にご興味とは、実に、あーた、あばらかべっそんで・・・。
投稿: HOME-9(ほめ・く) | 2012/04/24 17:04