”グスコーブドリ”にはなれないけど・・・
本日の記事に書こうと予定していたら、朝日新聞の「天声人語」に先を越されてしまった。
それは宮沢賢治「グスコーブドリの伝記」で、福島第一原発の冷却に携わる人々の行動をTVで見て思い出したのだ。
子どもの頃に読んだ方も多いと思うが、ストーリーは・・・。
【イーハトーブの森に木こりの子どもとして生まれたグスコーブドリは、冷害による一家の離散や火山噴火、干魃などの苦難を経験して育つ。
やがて彼はイーハトーブ火山局の技師となり、火山噴火被害の軽減や人工降雨を利用した施肥などを実現させる。
冷害を克服するために火山島を爆発させることになり、ただし最後の1人だけは島に残らねばならない。
グスコーブドリはその最後の1人の役を買って出て、身を挺して冷害の再発を止める。】
10歳ぐらいの時にこの童話を読んで感激し、私もいずれグスコーブドリのようになることを夢見ていた。
現実はそうは行かず、大して世の中のためになることもなく今日に至っている。
放射能の恐怖とたたかいながら原発の現場で奮闘している人々や、現地に入ってボランティア活動をしている人々には、ただただ頭が下がる。
そうした積極的な支援を行える人というのは、やはり限られる。
それならいわば消極的支援、これだったら国民誰でもができるのではあるまいか。
募金や物資を贈るのもその一つだ。
それだけではない。
都市部の人間がガソリンや灯油など燃料や、保存食品や日用品を当分のあいだ買い控えるのも、やはり消極的支援といえるだろう。
そんなに眼の色を変えてカップめんを漁らなくても、他に食べるものはいくらでもある筈だ。
昨日のTVでも、都市部のガソリンスタンドで通常の5倍も給油があったと報じられていたが、もし買いだめだとしたら人として恥ずかしいと思わないのだろうか。
震災をチャンスとばかり為替や株で利益を上げた人たちも同様だ。
ニセ募金などの詐欺行為に対しては、極刑にしたい位の気持ちだ。
政権や東電に、言いたいことは山ほどある。
今は国民の1人として、出来ることからやってゆくことが先決だと思う。
グスコーブドリのようにはなれないけれど。
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いつもシャープな切り口の意見に感服し楽しませていただいております。
今回の記事について以下の通り考えています。
① 為替や株の取引は市況の安定化のためには必要と思います。たとえそれでも受ける人がいても、同様に存した人もいるので自己責任で構いません。
② 個人がカップラーメン等の買いだめに走るのも、このようなご時勢では止むを得ないと思います。
③買占めでも大手商社等が行っていることが分かれば後で懲らしめる必要があると思います。
④ 政府の対応で買いだめに走らないようにと情に訴えるのはあまりにも情けないです。もっと科学的に、在庫と需要と生産予想を数値的に出し、もっと早い段階で説明し、必要以上の買いだめが意味のないことだと知らしめるべきでした。
投稿: パンペレ | 2011/03/22 20:22
パンペレ様
コメント有難うございます。
メーカーによれば、フル生産しても受注に追いつかないようです。
やはり不要な買い占め買いだめは、避けるのが賢明ではないでしょうか。
石油ショックの時の経験からいえば、商品が棚に並びだすと、皆さん買わなくなってしまうのです。
不思議ですね。
投稿: home-9(ほめ・く) | 2011/03/23 02:51