たいこどんどん@シアターコクーン(2011/5/7昼)
bunkamuraシアターコクーンで上演中の、井上ひさし作「たいこどんどん」、5月7日昼の部を観劇。
この劇場では、井上ひさしの初期作品を蜷川幸雄が演出した舞台を送り続けてきた。
今回はその第五弾として、井上が直木賞受賞後の第一作として書いた小説「江戸の夕立ち」を1975年にみずから劇化した「たいこどんどん」に挑む。
作 井上ひさし
演出 蜷川幸雄
< 主な配役 >
中村橋之助/若旦那・清之助
古田新太/幇間・桃八
鈴木京香/女郎・袖ヶ浦、他
宮本裕子/女郎・藤ノ浦、他
大石継太/若い衆、他
大門伍朗/主人、他
市川夏江/柏崎の乞食、他
大林素子/女郎・里ノ浦、他
飯田邦博/ひげ侍、他
塚本幸男/あばた侍、他
立石凉子/魚婆、他
六平直政/片目侍、他
瑳川哲朗/船頭・栄蔵、他
物語は・・・。
時代は幕末。
江戸日本橋の薬種問屋の若旦那・清之助と、幇間(たいこもち)・桃八が、品川の女郎屋で隣席の薩摩のイモ侍と揉め事をおこし、あわやの時に海へドボン。
危ういところを東周りの千石船に拾われる。
着いたところは陸中釜石。
そこから江戸に戻る予定が、行く先々で清之助がトラブルに巻き込まれ、それを桃八の機転で何とか乗り切る。
そんな繰り返しをしているうちに、東北から北陸までグルリと、まるで「奥の細道」のようなコースをたどることになってしまう。
時に清之助からひどい仕打ちを受け、離れ離れになる時があっても、桃八は若旦那に尽くし続ける。
だって、タイコモチだもん。
9年にわたる遍歴の果てに慶応4年8月、ようやく江戸に戻った二人を待ち受けていたものは・・・。
この芝居について、初演のさいに作者はこう述べている。
「桃八と清之助(すなわち庶民)と、世の中(すなわち体制)との、この喰いちがいは、以後の近代日本の(むろん今日まで継続する)もっとも重要なテーマのひとつとなる。」
確かに、幕末にはあれほど攘夷を叫んでいた薩摩が、明治政府になるととたんに体制の支配者側に乗り換える。
この作品でもそうした面が現れてはいるが、井上作品としてはメッセージ性はさほど強くない。
むしろ、演出家の蜷川幸雄がいうように、
「ぼくは井上さんの初期に近い作品の猥雑にして卑猥、卑猥にして抒情的な、抒情的にして滑稽な、滑稽にして哀しい作品が好きです。まるで民衆の雑踏のまん真真中にいるような気がして興奮するんです。」
という評価が当たっていると思う。
時代がどのように移ろうと、庶民の生活力、エネルギーは変わらないというメッセージ性のほうが、今の時期にはピッタリだ。
いきなり歌舞伎の「だんまり」から始まり、品川の女郎屋のシーンでは落語の「棒鱈」を、最終シーンでは同じ落語の「ざこ八」を彷彿とさせるような、そんな古典芸能の世界があり。
その一方、まるでロードムービーをみるようなストーリーの展開と、井上作品ではお馴染みの歌い踊るエンタテイメントも健在。
舞台のハイテンションがそのまま客席に伝わり、休憩を含む上演時間3時間、まったく飽きることがない。
出演者では若旦那を演じた中村橋之助が、はまり役。
たいこもち・桃八を演じた古田新太はさすが芝居は上手いし熱演だったが、年齢の点もあるのだろうが、若い幇間らしい軽妙さに欠ける。
それより、6役を演じた鈴木京香の達者ぶりに舌を巻いた。
エロティックだが品を失わず、匂うような色香が舞台に華を添える。
宮本裕子が可愛いらしく、六平直政と瑳川哲朗が悪役で貫録をみせる。
その他の出演者も総じて好演で、一人の俳優が何役も演じるというこの難しい舞台を盛りあげていた。
公演は5月26日まで。
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私も観劇しました。
京香さんが素敵でした。公演DVDとか発売されないですかね?
投稿: とも | 2011/05/24 10:34
とも様
確かに京香さん、綺麗でしたね。
それもウットリするほど。
今回は乞食の老婆役にも挑戦し、芸達者な面も見せてくれました。
投稿: home-9(ほめ・く) | 2011/05/24 11:46