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2011/05/22

「ゴーストライター」は日本文化

5月17日に発売された週刊誌「FLASH」が、2008年にNHKが放映した大河ドラマ『篤姫』の脚本が、実は田渕久美子の手によるものではなく、兄でコピーライターの田渕高志が執筆していたと報じているそうだ。
私設秘書の証言とのことで、今のところNHK側や田渕久美子側からの反論は出されていない模様。
この人は、いま放映中の大河ドラマ『江 ~姫たちの戦国~』の脚本家だそうですね、観てないけど。
世間にはよくあることだし、脚本家も替え玉も双方が了解しているのであれば、問題にされることはない。
局側だって知っていながら知らないそぶり。
誰の迷惑にもなっていないし。

ゴーストライターが最も日常化しているのは、科学技術の世界だろう。
仮にAという大学教授と、その弟子のBが共同執筆して書籍を出したとしよう。
もしAがその一部を書き、残りの大部分をBが書いた場合は、その書籍の執筆者はA単独となる。
全てをBが書いた場合は、執筆者はAとBの共著になる。
これは「お約束」であり、少なくとも私が現役時代の数年前まではそうであったし、今でも続いていると思う。
科学誌に掲載された論文でも同様で、ある高名な大学教授が書かれた論文について教えを乞うべく訪問したら、自分では分からないからと、執筆した弟子をその場によんで説明させていた。
大先生は、論文自体をあまり読んでいない様子だった。
そげなモンです。

以前に「ポスドク」について書いたように、特に企業においては博士論文の替え玉はそう珍しくなかろう。
上司の命令とあっては部下は逆らえないし、考課に響くとなれば部下はせっせとゴーストライターを務めるしかない。
博士は博士でも、「下駄博士」。
文学の世界でもゴーストライターが存在することは夙に知られており、かつて文藝春秋社長であった池島信平が、菊池寛のゴーストライターであったことを晩年に告白したのは有名な話だ。
この手の逸話は世間から非難されるより、むしろ美談として扱われる。
作詞や作曲といった音楽の世界でのゴーストライターの存在は、ここに書くまでも無いことだ。

欧米など海外はいざ知らず、日本においてはゴーストライターが違法だという認識は左程ない。
当人同士が承知していれば構わないというのが、一般的な見方だろう。
例えていえば、大相撲の八百長問題みたいなもので、それほど責められることではない。
いちいち詮索するなんざぁ、「きくだけ野暮で、鳴く鳥ぁ矮鶏(ちゃぼ)だ。」ってこと。

お断りしておくが、当ブログの記事にはゴーストライターはいませんぜ。
(文中敬称略)

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