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2011/05/26

「落語好き」だが「ファン」でも「通」でもない

当ブログに何人かの落語家の方がコメントを寄せて下さっているが、レスはするものの、彼らのサイトを訪れたことがない。
芸には興味があっても、私生活には関心がないからだ。
電車や路上、時には会場のエレベーターの中で落語家をみることはあるが、挨拶したことも声をかけたこともない。
いわば通勤途上で、見知らぬ人に声をかけられても迷惑かなと思うからだ。
落語会が終わったあと打ち上げなどで、落語家と酒席をもうけることがあるが、一度も参加したことがない。
かつて「あなたは本当に落語ファンなのですか」というコメントを頂いたことがあるが、こちらの記事を読んでそう感じたのだろう、鋭い指摘だ。
「この人、何が楽しくて落語を聴きにいくんだろう」、そう思ったに違いない。
お答えします、「落語ファン」ではありません。

落語をテーマにしたサイトをみると、あれも楽しかった、これも面白かったと書かれているケースがあり、読んでいてご本人の嬉しさが伝わってくる。
打ち上げで噺家たちと呑んだ楽しさを書いたり、道で出会ってこんな会話を交わしたという話も眼にする。
雑誌「東京かわら版」(未読です)や、あちこちの落語家のサイトをチェックし、彼らの動静や今どんなテーマに取り組んでいるかを落語仲間と語らっている人々がいる。
好きな噺家を追いかけて、大阪や九州の公演まで出向いている人もいる。
こういうのを本当の「落語ファン」と呼ぶのだろう。

昔から「落語通」と呼ばれる人たちがいる。
落語や噺家に詳しいのは勿論(「酢豆腐」なら”モチリン”でげす)、一家言を持った方々だ。
昔でいえば安藤鶴夫や久保田万太郎らが代表格。
今ならさしずめ立川談志、この人が代表的なオピニオンリーダーだろう。
談志の書いた本や記事を読むと、なるほどと感心することもあるが、こうあるべきで「これが分かるのを落語が分かるという」などと断定されると、ついつい反発を感じてしまうのだ。
これじゃまるで、アンツルが家元に置き換わっただけじゃないか。
旧ソ連じゃあるまいし、大衆文化に公式など存在しない。
100人いれば100人、見解が違っていて良い。だから常に一人称でしか語れない。
こんなこと言ってると、「分かってないヤツ」に分類されるのだろう。
ハイその通り、全く分かっておりません。
「落語通」など、遠い世界でございます。

だから日々、高座をみて感じたことをそのまま書いている。
これでも十分楽しんでいるんですよ。
「落語好き」ではあるんです。

【追記】
後から知ったんだけど、「落語通検定」ってぇのがあるそうですな。
名前からして、野暮なモノをこさえたもんだねぇ。

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寄席な人々」カテゴリの記事

コメント

よく分かります。
私も落語は「好き」ですが、「ファン」でもなく、「通」でもないですし、そういうスタンスを大事にしたいと思っています。
“ほめ・くさんが「通」じゃなきゃ誰が「通」だ!?”、という陰の声はあるでしょうがね^^
一之輔の先日のにぎわい座での会でのコメントにも書きましたが、噺家の普段着の姿は、できれば見たくないし、ましてや「打ち上げ」などには出たくない。
芸人ですよ、あくまで彼ら彼女たちは。
自分の尺度で、その芸と、特定の時間と空間を楽しめればいいと思っています。

小言幸兵衛様
小二のころ、最初に寄席へ行くきっかけになったのは、近所に住むオールドミス(これも死語ですな)で、彼女が母と私を末広亭へ引っ張っていったのです。
ところが寄席で彼女が笑うのをみたことがない。
一度最初から最後まで横顔をチラチラと見ていたんですが、遂にニコリともしないんです。
子供心に、この人何が面白いんだろうと、不思議に思いました。
でもチョクチョク足を運んでいた所を見れば、本人は落語が大好きなんです。
人生イロイロ、男もイロイロ、落語好きもイロイロです。

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