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2011/07/31

#3「喬太郎の古典の風に吹かれて」(2011/7/30昼)

7月30日、紀伊国屋ホールで行われた”らくご@座・紀伊国屋 2011夏やすみ公演「喬太郎の古典の風に吹かれて」”昼の部へ。
喬太郎の高座は古典なのか新作なのか、その日に行ってみないと分からないのだが、この会だけは間違いなく古典。
それに、江戸落語の伝統を今に受け継ぐ数少ない噺家である小柳枝がゲストとあれば、こりゃ~行かざぁなるめぇ~。

<  番組  >
柳家小太郎「やかん」
小柳枝・喬太郎「対談」
柳家喬太郎「粗忽長屋」
春風亭小柳枝「船徳」
~仲入り~
柳家喬太郎「寝床」

小柳枝の最初の師匠は、川崎の柳好(4代目)。3代目とは対照的な渋い芸の持ち主だったが、独特の語り口で固定ファンがいた。心地よさが癖になるような人で、以前喬太郎もファンだったというのを高座できいたことがある。
小柳枝の語り口を聴くと、確かに師匠の影響を感じる。
この日の喬太郎との「対談」では、師匠・柳好が酒癖が悪く、酔うと厳しくなるというエピソードが紹介され、3人いた弟子もあとの2人は廃業したそうだ。
東京大空襲の思い出から始まって、二人目の師匠・柳昇が戦争で機銃掃射を受け、部下二人を失い、自らも手の小指が吹き飛ばされる傷を負ったという話。だから前座時代に太鼓の稽古をするときは、掌に包帯を巻いて稽古をしていたというエピソードも披露され、次第にシリアスな展開に。
極め付けは小柳枝がかつて同じ団地の住人から包丁で刺され負傷、その時に刃先を掌で掴んだために、後遺症で左手の指の動きが悪いとのこと。これを影絵の犬の形で説明するのだからスゴイ。
以前からこの人の語り口の静かさの中に、どこか凄みを感じていたが、今日納得できた。
それと小柳枝の高座には常に江戸落語の「粋」を感じるのだ。
この日の「船徳」でも、マクラから本筋のオチに至るまで、全くムダがない。
近ごろネタに関係ないマクラをダラダラ演る噺家が多いが、あれは興醒め。小柳枝のように小咄をサラッと演って本題に入るのが正解だ。
ネタに入ってもムリに笑わせようとせず、余計な飾りは一切付けない。
ひたすら真夏の江戸の町の暑さと船の上で大川から吹く風が感じられる、これが「船徳」の真骨頂。

さて肝心の喬太郎の1席目「粗忽長屋」。
寄席の楽屋での粗忽者のエピソードをマクラに振って、本筋へ。
このネタ、単なる粗忽者の話ではない。極めてシュールなストーリーなのだ。
このネタには三つの視線がある。
一つは行き倒れが熊だと思い込み、ひたすらそれを主張する八の視線。
二つ目は、遺体を自分だと決めつける八の主張に疑問を持ちながら、結局は引きずられていく熊の視線。
そして三つ目は、遺体を監視している自身番の係員の視線で、この人が唯一客観的な判断をしている。
周囲をグルリと取り巻いている野次馬たちの反応には、全く触れない。これは観客である私たちの目なのだ。
演者は三つの視線のスイッチを切り替えながら、熊の強引な論理に引っ張ってゆき、そして最後の最後のオチ、「抱かれてるのは確かに俺だが、抱いてる俺はいってぇ、誰なんだろう。」で現実に引き戻される。
喬太郎は八の行動について係員に「面白いですね」と言わせていたが、これは蛇足。途中で素に戻された日にゃ、この噺の面白さが半減してしまう。
あまり成功した高座とは言い難いが、それもその筈。大師匠・先代小さんの十八番にして、小さん亡き後、納得のいく高座が見当たらないという難物なのだ。

喬太郎の2席目「寝床」。
図らずもなのか図ったのか、「船徳」「寝床」と黒門町の十八番が2題並んだ。
師匠・さん喬の日本舞踊の稽古の話から、本業以外の道楽についてのマクラを振って本題へ。
東京の落語家がこのネタを演じる場合、大きく先代・文楽と志ん生の演出に分かれる。
文楽は義太夫好きの旦那の喜-怒-喜-怒の心理変化の描写に重きを置き、志ん生は前の番頭が旦那の義太夫に責められ行方不明になるというエピソードを中心に置く。
喬太郎の演じ方はむしろ上方の枝雀の演出に近い。
番頭の茂造があれこれ欠席者の言い訳を並べていくうちに旦那の怒りを買い、居直って一身に受け止めると宣言し、さらに怒りを増幅させてしまう。前半はその二人の表情の対比の面白さに重点が置かれる。
後半は義太夫の凄まじさを、聴衆が俯せになったり義太夫に当たって倒れたりと、
動作の可笑しさで表現、場内の爆笑を誘う。
魚勝や文七、船頭の若旦那まで登場させるサービス精神で、面白い「寝床」に仕立てた。
その分、江戸落語の「粋」からは遠ざかってしまった。

小柳枝や小満んの存在が貴重になってきたように思う。

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コメント

お早いお帰りで^^。
先日小柳枝の「青菜」を聴きました。
さらっと、又聴きたくなる芸ですね。
4代目柳好トリビュートのトリでした。

佐平次様
小柳枝は4代目のサラリとした芸を受け継ぐ、数少ない噺家です。
夏場には、こういうサッパリとした高座が似合います。

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