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2011/07/31

#3「喬太郎の古典の風に吹かれて」(2011/7/30昼)

7月30日、紀伊国屋ホールで行われた”らくご@座・紀伊国屋 2011夏やすみ公演「喬太郎の古典の風に吹かれて」”昼の部へ。
喬太郎の高座は古典なのか新作なのか、その日に行ってみないと分からないのだが、この会だけは間違いなく古典。
それに、江戸落語の伝統を今に受け継ぐ数少ない噺家である小柳枝がゲストとあれば、こりゃ~行かざぁなるめぇ~。

<  番組  >
柳家小太郎「やかん」
小柳枝・喬太郎「対談」
柳家喬太郎「粗忽長屋」
春風亭小柳枝「船徳」
~仲入り~
柳家喬太郎「寝床」

小柳枝の最初の師匠は、川崎の柳好(4代目)。3代目とは対照的な渋い芸の持ち主だったが、独特の語り口で固定ファンがいた。心地よさが癖になるような人で、以前喬太郎もファンだったというのを高座できいたことがある。
小柳枝の語り口を聴くと、確かに師匠の影響を感じる。
この日の喬太郎との「対談」では、師匠・柳好が酒癖が悪く、酔うと厳しくなるというエピソードが紹介され、3人いた弟子もあとの2人は廃業したそうだ。
東京大空襲の思い出から始まって、二人目の師匠・柳昇が戦争で機銃掃射を受け、部下二人を失い、自らも手の小指が吹き飛ばされる傷を負ったという話。だから前座時代に太鼓の稽古をするときは、掌に包帯を巻いて稽古をしていたというエピソードも披露され、次第にシリアスな展開に。
極め付けは小柳枝がかつて同じ団地の住人から包丁で刺され負傷、その時に刃先を掌で掴んだために、後遺症で左手の指の動きが悪いとのこと。これを影絵の犬の形で説明するのだからスゴイ。
以前からこの人の語り口の静かさの中に、どこか凄みを感じていたが、今日納得できた。
それと小柳枝の高座には常に江戸落語の「粋」を感じるのだ。
この日の「船徳」でも、マクラから本筋のオチに至るまで、全くムダがない。
近ごろネタに関係ないマクラをダラダラ演る噺家が多いが、あれは興醒め。小柳枝のように小咄をサラッと演って本題に入るのが正解だ。
ネタに入ってもムリに笑わせようとせず、余計な飾りは一切付けない。
ひたすら真夏の江戸の町の暑さと船の上で大川から吹く風が感じられる、これが「船徳」の真骨頂。

さて肝心の喬太郎の1席目「粗忽長屋」。
寄席の楽屋での粗忽者のエピソードをマクラに振って、本筋へ。
このネタ、単なる粗忽者の話ではない。極めてシュールなストーリーなのだ。
このネタには三つの視線がある。
一つは行き倒れが熊だと思い込み、ひたすらそれを主張する八の視線。
二つ目は、遺体を自分だと決めつける八の主張に疑問を持ちながら、結局は引きずられていく熊の視線。
そして三つ目は、遺体を監視している自身番の係員の視線で、この人が唯一客観的な判断をしている。
周囲をグルリと取り巻いている野次馬たちの反応には、全く触れない。これは観客である私たちの目なのだ。
演者は三つの視線のスイッチを切り替えながら、熊の強引な論理に引っ張ってゆき、そして最後の最後のオチ、「抱かれてるのは確かに俺だが、抱いてる俺はいってぇ、誰なんだろう。」で現実に引き戻される。
喬太郎は八の行動について係員に「面白いですね」と言わせていたが、これは蛇足。途中で素に戻された日にゃ、この噺の面白さが半減してしまう。
あまり成功した高座とは言い難いが、それもその筈。大師匠・先代小さんの十八番にして、小さん亡き後、納得のいく高座が見当たらないという難物なのだ。

喬太郎の2席目「寝床」。
図らずもなのか図ったのか、「船徳」「寝床」と黒門町の十八番が2題並んだ。
師匠・さん喬の日本舞踊の稽古の話から、本業以外の道楽についてのマクラを振って本題へ。
東京の落語家がこのネタを演じる場合、大きく先代・文楽と志ん生の演出に分かれる。
文楽は義太夫好きの旦那の喜-怒-喜-怒の心理変化の描写に重きを置き、志ん生は前の番頭が旦那の義太夫に責められ行方不明になるというエピソードを中心に置く。
喬太郎の演じ方はむしろ上方の枝雀の演出に近い。
番頭の茂造があれこれ欠席者の言い訳を並べていくうちに旦那の怒りを買い、居直って一身に受け止めると宣言し、さらに怒りを増幅させてしまう。前半はその二人の表情の対比の面白さに重点が置かれる。
後半は義太夫の凄まじさを、聴衆が俯せになったり義太夫に当たって倒れたりと、
動作の可笑しさで表現、場内の爆笑を誘う。
魚勝や文七、船頭の若旦那まで登場させるサービス精神で、面白い「寝床」に仕立てた。
その分、江戸落語の「粋」からは遠ざかってしまった。

小柳枝や小満んの存在が貴重になってきたように思う。

2011/07/13

お知らせ

ひと月ほど休みます。
再開は8月12日からの予定です。
この間コメントの公開やレスが遅れることがありますので、ご了承ください。
7月31日&8月7日は臨時営業いたします。

なお「ほめ・く別館」にて、ただいま「ジャワ島・バリ島旅行記」を好評(多分)連載中です。
興味のある方は、左側の”MY LINK”よりお入りください。
(7/31追記)

2011/07/11

喬太郎「極つる」他in”よってたかって夏らくご”(2011/7/10)

7月10日よみうりホールで行われた”21世紀スペシャル寄席oneday「よってたかって夏らくご」”へ。
前日に関東は梅雨明けとあって、この日も暑かった。
この顔ぶれだと、古典と新作の比率が2:2か3:1になるかという楽しみがある。

<  番組  >
前座・入船亭辰じん「真田小僧」
柳亭市馬「船徳」
三遊亭白鳥「新あたま山」
~仲入り~
柳家三三「お化け長屋」
柳家喬太郎「極道のつる」

前座の辰じん「真田小僧」、いかにも入船亭らしい折り目正しい高座。師匠の薫陶宜しく真っ直ぐに育って欲しい。

いきなり市馬「船徳」で驚く。
先ず苦言を。若旦那の名前を徳三郎とよんでいたが、このネタは人情噺「お初徳兵衛浮名桟橋」発端を、初代三遊亭円遊が滑稽噺に仕立てたものなので、「徳」の本名は徳兵衛。
徳が船を漕ぎながら唄う場面では朗々とし過ぎており、唄いながら次第に息が上がっていくという他の演者の演出が正しい。「唄入り」を客へのサービスとしているのだろうが、それが全体のバランスを崩すこともあるので注意した方がいい。
その他の点では無難な出来だったが、それより市馬がハナでこのネタを掛けたことにより、この会全体をシメタという役割が大きかった。

白鳥「新あたま山」、初めて聴いたが面白かった。
タイトルからすると「あたま山」の改作のように聞こえるが、オリジナルの噺とは全く別物。
出だしは「替り目」かと思われたが、中味は人間の臓器と脳が頭の上で喧嘩するとういう奇想天外な発想。
労働者階級がが知識階級に反旗を翻すという暗喩も含まれているようで、良く出来ていた。コンテンポラリーなクスグリも効いていた。
今まで聴いた白鳥のネタの中ではベストだと思う。

三三「お化け長屋」。
欠点は杢兵衛がやたら泣きすぎる。いや、このネタに限らず最近の三三は、登場人物を泣かせ過ぎる傾向にあり、時に興ざめする。
白鳥が大受けだった影響か、無理に笑わせようとしている印象を受けた。
普通に演じてお客を十分惹きつける力があるのだから、もっと正攻法で行って欲しい。
このネタに限っていえば、先日聴いたばかりの白酒の方がずっと上だ。

喬太郎「極道のつる」、マクラで芝居の全国公演でおよそ1ヶ月落語から離れていて、その後に2週間ほど休みを取っていたので、7月初めに久々に復帰し今はリハビリ期間だと言っていた。
21世紀の落語界で常に先頭をきって走ってきた喬太郎にとって、いい充電期間になったのではないかと期待される。
今日は前座噺を、それも「つる」を演りたいと言って、少し客席を引かせてからネタに入る。
オリジナルの隠居と八公を極道の親分と子分との会話に置き換えた「つる」の改作。
数ある古典落語の中でも、そのバカバカしさでは屈指の「つる」を、ヤクザの親分子分の会話に設定すると、可笑しさが余計に際立つ。
演者が真面目にやればやるほど客席は笑い転げる。かくして喬太郎の術中にはまっていく。
調べた限りでは昨秋の新作らしいが、従来の喬太郎の作風の中では異色といえよう。
久々に喬太郎らしい高座をみて満足した。

厳しいことも書いてきたが、それはこの日の出演者に対する大きな期待の反映でもある。
古典2、新作1、改作1というバランスも良く、全体として充実した会だった。

2011/07/09

この噺にはこの噺家(ひ-へ)

引っ越しの夢(口入屋)

(6)三遊亭圓生

一つ穴

(6)三遊亭圓生

一目上り

(3)三遊亭金馬

一人酒盛り

(6)三遊亭圓生

雛鍔

(3)三遊亭金馬

干物箱

(8)桂文楽

姫かたり

(5)古今亭志ん生

百年目

(6)三遊亭圓生

兵庫舟(五目講釈)

古今亭菊志ん

平林

ふぐ鍋

福禄寿

(6)三遊亭圓生

不孝者

三遊亭金時

無精床

(5)古今亭志ん生

武助馬

三遊亭圓窓

双蝶々

(6)三遊亭圓生

ふたなり

(5)古今亭志ん生

普段の袴

(8)林家正蔵

不動坊

柳家権太楼

船徳

(8)桂文楽

文違い

(6)三遊亭圓生

風呂敷

(5)古今亭志ん生

古手買い

文七元結

古今亭志ん朝

へっつい幽霊

(3)桂三木助


「船徳」や「文七元結」は一人だけ選ぶというのは難しい。こういう大ネタは3人位にしておけば良かったかなと思う今日この頃。
その「船徳」ですが、志ん朝、馬生、小さんから、現役の小三冶ら名演好演が目白押し。しかしいずれをとっても、オリジナルは八代目文楽に求めています。それだけ完成度が高いということでしょう。
「文七」は彦六の正蔵も捨てがたいのですが、このネタの見せ場である佐野槌、吾妻橋、近江屋、本所達磨横丁のそれぞれがバランス良く演じられていて、かつ長兵衛の心理描写が見事な志ん朝を選んでいます。
「百年目」は西の米朝、東の圓生で決まり。
今回も圓生の名が目立ちますが、改めて偉大さを感じます。圓生や志ん生を凌ぐ噺家は、これからも出て来ないでしょうね。

「不動坊」権太楼、「武助馬」圓窓、ともに初登場は意外に思われるかも知れません。ただ権太楼は先代小さん、圓窓は圓生とネタがかぶることが多く、いずれも師匠を凌ぐ段階に達していないと思います。それが名前が上がりにくい理由です。
実力がありながらリストアップされていない現役の噺家が沢山いますが、同様の事情だとお考えください。
他に「兵庫舟」の菊志んが初で、十八番だけあっていつも安定した高座を見せています。

改めてリストを見ると、近ごろ高座に掛けられていないネタが眼につきます。
時代に合わないなどの理由があるのでしょうが、貴重な財産なので現代に蘇えらせて欲しいと思います。

空白について、どなたか推薦がありましたら教えてください。

来週から早目の夏休みに入りますので、この連載もここで一度中断し、休み明けに再開します。

2011/07/07

全てが「ヤラセ」

九州電力玄海原子力発電所の運転再開は最初から決まっていた。
政府としては玄海原発を突破口にして、全国で休止中の原発を再開させる腹だった。
モデルケースだけに失敗は許されない。
又、同じ手でいこう。
中央政府から九電に対して「地元対策はしっかりやっておけよ」と指示が出される。
先ずは地元自治体首長らの頬っぺたを札束で叩きながら、「原発再開に同意しなかったらどうなるか分かってるだろうな」と脅しをかければ、首を縦に振らざるを得ない。
議員たちだって、金と票の誘惑には勝てず、再開賛成にまわる。
なんてたって、九電を敵にまわせば選挙で落とされるからだ。

残るはセレモニーだけ。
海江田経産相が地元の首長に安全を約束する。
コケオドシの住民説明会なるものを開き、サクラで駆り出された「住民」が納得して一丁上がり。
ついでに念の為、賛成意見をメールやファックスで送るよう関係先へ指示した。
全ては筋書通りに運んでいたというわけだ。
「原発賛成メール」だけじゃない、全てが「ヤラセ」だった。

以上は、今回の件に対する私の「お見立て」。
そう大きくは外れていないだろうと思う。

6日夜の会見で、九電の真部利応社長が終始憮然とした表情だったのが印象的だった。
なぜ自分がこんな所で謝罪せねばならないのか、最後まで納得いかなかったんだろう。
昔から同じことをやってきたのに「今回だけなぜ?」、と顔に書いてあった。

しかし、電力会社ってぇのは懲りないねぇ。

2011/07/06

この噺にはこの噺家(ね-は)

ねぎまの殿様

(5)古今亭今輔

猫久

(5)柳家小さん

猫忠(猫の忠信)

(6)三遊亭圓生

猫と金魚

橘家圓蔵

猫の災難

(5)柳家小さん

猫の皿

(5)古今亭志ん生

ねずみ

(3)桂三木助

鼠穴

(6)三遊亭圓生

寝床

古今亭志ん朝

年枝の怪談

柳家三三

野ざらし

(3)春風亭柳好

のっぺらぼう

(6)三升家小勝

のめる(二人癖)

(8)春風亭柳枝

羽織の遊び

古今亭志ん朝

化物使い

(3)桂三木助

羽衣の松

(5)古今亭志ん生

橋場の雪

柳家三三

初天神

桂文朝

初音の鼓

柳家喬太郎

花筏

春風亭昇太

花色木綿

(8)春風亭柳枝

鼻ほしい

(10)金原亭馬生

花見小僧

(4)三遊亭圓遊

花見酒

(6)春風亭柳橋

花見の仇討

(10)金原亭馬生

浜野矩随

(5)三遊亭圓楽

反魂香

(8)三笑亭可楽

反対俥

(10)桂文治

半分垢

(5)古今亭志ん生


定番の顔ぶれが並びましたが、決して手を抜いたわけではありません。これでも一応アタマを使ってるんですよ。

初登場、先ずは「初天神」文朝。10才で前座にという天才少年がそのまま成長。先年おしくも亡くなりましたが、いつも江戸前の品のいい高座を見せてくれました。
「ねぎまの殿様」の五代目今輔、新作の「お婆さん落語」で売れた人でしたが、渋い古典も聴かせてくれました。
「猫と金魚」「反対俥」は、前者が当代の圓蔵、後者が十代目文治と分け合いました。
「花見酒」の六代目亭柳橋、およそ半世紀近くにわたり芸協会長を務めた大看板でしたが、私が知った頃はかなり力が落ちていました。でもこのネタだけは他の追随を許しません。
「年枝の怪談」「橋場の雪」の三三、端正な高座姿とスケールの大きさを感じさせる若手で、将来の「柳」の看板を背負っていける人と期待しています。

「寝床」は文楽ヴァージョンと志ん生ヴァージョンの両方イケテル志ん朝に。
「花色木綿」は先に出ている「出来心」と同一ですが、こちらは八代目柳枝。
「花筏」はその柳枝の十八番ですが、ここでは斬新な演出の昇太を採りました。
「初音の鼓」は永らく四代目円馬の十八番でしたが、どうも感心しないので、ここは喬太郎に。
「鼠穴」の圓生、「野ざらし」の柳好、「反魂香」の可楽は、いずれも鉄板です。

2011/07/05

松本龍「低能」大臣

♪松本龍を現地にやったら 使命を忘れ
こんな暴言大臣なんかは いりませんわいな
アー 低能 低能♪

寄席で唄われた俗曲のなかに「低能節」というのがあって、三味線漫談の都家かつ江が得意としていた。
当時の歌詞は、例えばこんな具合だ。
♪都家かつ江を売りにやったら 売り名を忘れ
田中絹代の妹なんぞは いりませんかいな
アー 低能 低能♪
この「田中絹代」の部分は、その時々流行りの女優の名前に入れ替えていた。
都家かつ江は愛嬌こそあったが器量の方は・・・という芸人だったので、ここで客席がドッとくるのだ。

寄席芸人なら笑って済むだろうが、復興担当相の発言ということになれば、そうはいかぬ。
7月3日の岩手や宮城県庁での暴言は報道され尽くしているが、4日午後の釈明会見ではこんな発言をしている。
「私は九州の人間ですけん、ちょっと語気が荒かったりして」
「私はB型で短絡的なとこがあって」
松本龍大臣は自らの暴言を出身地や血液型といった、もって生まれたもののせいにしている。
三世議員だかなんだか知らないが、甘ったれるな!と言いたい。

九州出身だから語気が荒いなんて、そんな事はない。荒い人もいれば大人しい人もいる。九州の人間に対して失礼だ。
B型ウンヌンに至っては、何をかいわんや。
血液型による性格判断なんて、科学的根拠は皆無だ。
大正時代にある研究家が本に書き、その後徹底的に論破されたにも拘らず、性懲りもなく珍説が繰り返されているのはご存知の通り。
まあ、中学や高校の女の子がネタにしている分には罪がないが、まともな大人、特に大臣の席にあるような人間が公共の場で口に出すべきことではない。
この一事をもってしても、松本龍は大臣失格である。

祖父の冶一郎さんが墓場の陰で嘆いていることだろう。

【追記】
とうとう辞任になったようで、当然の結果ですね。
それにしても民主党には人材がいないんだねぇ。

2011/07/04

この噺にはこの噺家(と-ぬ)

道灌

(3)三遊亭金馬

胴斬り

三遊亭歌武蔵

道具屋

(5)柳家小さん

唐茄子屋政談

(3)三遊亭金馬

動物園

時そば

春風亭昇太

徳ちゃん

桃月庵白酒

富久

古今亭志ん朝

豊竹屋

(6)三遊亭圓生

中村仲蔵

(6)三遊亭圓生

長屋の花見

柳亭市馬

夏泥

(3)三遊亭金馬

夏の医者

(6)三遊亭圓生

なめる

(6)三遊亭圓生

二階ぞめき

(5)古今亭志ん生

錦の袈裟

(6)三遊亭圓生

二十四孝

(3)春風亭柳好

二番煎じ

(8)三笑亭可楽

にらみ返し

(8)三笑亭可楽

人形買い

(6)三遊亭圓生

抜け雀

柳家さん喬


今回はマトモに選ぶと全てが昭和の名人上手で占められので、出来るだけ現役の人からと思ったのですが、それでも5人にとどまってしまいました。
柳から2人、三遊・古今亭・春風亭から各1人と、なんだか派閥均衡人事みたいな。

「富久」は文楽や志ん生ももちろん結構ですが、亡くなる数年前の独演会で聴いた志ん朝の高座が圧巻で、当日もう一席の「寝床」と共に私にとって生涯の宝ともいうべき口演です。

「中村仲蔵」のように名演の多いネタが一番困ります。彦六の正蔵のも良いのですが、ここは定評のある圓生に。
「唐茄子屋政談」も同じく圓生を始め多くの人が手掛けていますが、徳三郎と本所の叔父さんとの会話に江戸っ子の心意気がにじみ出ている三代目金馬を選びました。「夏泥」も金馬に限ります。この人は本当に上手い。
「二十四孝」はその金馬もいいんですが、よりリズミカルな三代目柳好に。これが圓生だと時間が2倍近く掛かってサッパリ面白くない。「なめる」や「豊竹屋」になると圓生のオンリー・ワン。得手不得手っていうのがあるんですね。
「二番煎じ」では、真冬の火の番の寒さと、番小屋での密かな宴会。この描写は八代目可楽の語りにかないません。「にらみ返し」では、今度は可楽の“目”がモノを言います。

2011/07/03

ウ~~ン「おもいのまま」(2011/7/2)

7月2日、東池袋の”あうるすぽっと”での公演「おもいのまま」を観劇。
土曜だというのに空席が目立つ。

演出・美術・音楽デザイン:飴屋法水
脚本:中島新
< キャスト >
石田えり/妻
佐野史郎/夫
音尾琢真/記者1
山中崇 /記者2

ストーリーは。
舞台は高級住宅街の一軒家、中年の夫婦二人暮らし。
そこに、ある日「訪問者」二人が現れる。
彼らは雑誌記者で、取材したいことがあると言う。
招かざる客ではあったが、その記者たちは犯罪事件のスクープを数多く挙げ、世間に知られた存在だったため仕方なく取材を受ける。
部屋に上がった記者たちは態度を一変、夫婦についての私的な質問をしつこく繰り返し、室内を物色し始める。
止めようとした夫婦を縛り上げ、もはや脅迫者のごとく夫婦に詰め寄る記者たち。質問は夫妻のプライベートへと踏み込み、二人が互いに胸の内に潜めていた秘密にまで迫ろうとする。
やがて真実が明らかになるにつれ・・・。

この芝居の発案者であり、主演者でもある石田えりは、公演へのメッセージの中で次のように述べている。
「きっかけは私の思いつきでした。
人間にとって取り巻く「状況」、関係性や事象などは中立であり、誰に対しても同じように存在するもの。けれど対応する人間の賢さや愚かさ次第で、同じ「状況」が悲劇にもハッピーエンドにもなる可能性を孕んでいる、と突然に気づいたんです。
そんな運命の変転を演劇として見せられたら非常に面白い作品になるのでは、とイメージはどんどん膨らんでいきました。
これは既存の形式とはまったく違う演劇になる。」

そんな創作への意欲に拘らず、演劇全体としては成功とはいえない。
先ず感じたことは、全編を覆う不快感だ。
この二人の記者というのは、実質的には強盗殺人犯ともいうべき人間たちで、私が今までに観た芝居の中で最も不快な人物として描かれている。
不安をかきたてるような効果音が多用され、ハッピーエンドが予感される終幕でさえ、後味の悪さが残ってしまった。
明らかにされる「秘密」も専ら夫の会社経営破たんだったり、性的嗜好であったり、子どもへの虐待であったりで、内容がいささか陳腐。
どうも演出家や脚本が観客に何を訴えようとしているのか、よく分からない。

もう一つは、観客の多くは石田えりの芝居を観に来たと思われるが、これは佐野史郎の芝居だった。
佐野の熱演は見応えがあったが、反面、石田えりの存在感が希薄だ。この役なら彼女でなくても務まり、石田の良さが殆んど発揮されていない。
むしろ、記者を演じた音尾琢真と山中崇の狂気が目立った。

終幕後の拍手にカーテンコールがなかったのは演出なのか、それとも芝居全体がなんかシックリ来なかったせいなのか。

公演は8月10日まで、各地で。

2011/07/01

この噺にはこの噺家(ち-て)

ちきり伊勢屋

(6)三遊亭圓生

千早ふる

瀧川鯉昇

茶金(はてなの茶碗)

(10)金原亭馬生

茶の湯

瀧川鯉昇

長者番付

(3)桂三木助

長短

(5)柳家小さん

提灯屋

(5)柳家小さん

町内の若い衆

(5)三遊亭圓楽

ちりとてちん

橘家文左衛門

付き馬

(10)金原亭馬生

突落し

(6)三遊亭圓生

搗屋幸兵衛

(5)古今亭志ん生

佃祭り

古今亭志ん朝

壺算

三遊亭兼好

つる

桃月庵白酒

つるつる

(8)桂文楽

手紙無筆

(5)柳家小さん

出来心

柳家小三冶

鉄拐

立川談志

てれすこ

(6)三遊亭圓生

天狗裁き

(5)古今亭志ん生

天災

(5)柳家小さん

転失気

(3)三遊亭金馬

転宅

(3)三遊亭金馬


無銭飲食や詐欺がテーマのネタが並びます。
先ずは「付き馬」、志ん生父子3人いずれも名演で迷いましたが、好みで馬生を採りました。
より悪質なのは「突落し」で、高座にかけるのを嫌がる人もいるそうですが、ここは圓生。
「壺算」の瀬戸物屋の主が、明らかに詐欺に引っ掛かっていると分かりながら、相手に反論できないもどかしさを表現した兼好に。日常生活でもしばしばこうした事は起き、インチキ宗教に騙されて高価な「壷」を買わされるなんてぇ事件は後を絶ちません。

「茶金(はてなの茶碗)」では骨董屋の主・茶金さんの品と風格が大事で、これは西の米朝、東の馬生です。
先代小さんと三木助、芸風が随分と違うような印象を受けますが、実はとても仲が良くてネタの交換をしています。「長者番付」の三木助と「長短」の小さんはその一例で、だから二人をそっくり入れ替えても成り立ちます。

初登場の瀧川鯉昇、ネタも勿論のこと、今日は何秒間黙っているか、マクラの貧乏噺はどれで来るのかといった楽しみもあります。気怠そうにマクラを振りながら、ネタに入ると熱演になる、喜多八との共通点ですね。何しろ他人の独演会でゲストに招かれ、40分かけて「船徳」を演っちゃう人ですから。

今回で全体の約3分の2が終りました。
残りはボチボチと。

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