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2011/08/31

「ほめ・く」アクセス・ランキング(5月-8月)

野田佳彦新首相が決まりましたね。三党連立って言ってます。まあ、そうなるんでしょうね。もう政策に違いが無いですから。
そうなりゃ、やりたい放題だ。
でも民自公が一緒になったって、良い政治が出来るとは思いませんがね。

久々に当ブログの「アクセス・ランキング」を調べてみました。
対象期間は5/1-8/30の4か月間です。
どんな記事が読まれているのか、どんな事柄に興味を持たれているのかが分かります。
外側から自分のブログを見ると、管理者の意図とは隔たりがあることも発見できます。

【ページ別アクセス】
1 ”紳助引退劇”にみる「街宣右翼」の正体
2 ゴージャス「姉妹」の末路は・・・
3 【ツアーな人々】当世海外買春事情
4 ハローワークで仕事はみつからない
5 「半井小絵」午後7時28分の恋人
6 お父さんたちの永遠のアイドル「アグネス・ラム」
7 半井小絵さんサヨナラ「大特集」
8 女子スポーツ界は美女の時代
9 松尾和子さんのこと
10 権太楼噺爆笑十夜・初日in鈴本(2011/5/1)

単純にどの記事にアクセスが多いのかが分かります。
BEST10の大半が広義の芸能ネタで、中でも2,5,6,8位の記事はここ数年変わらずランク・インしています。
ネットの世界は依然として芸能が主役ということです。

【ページ別滞在時間】
1 権太楼噺爆笑十夜・初日in鈴本(2011/5/1)
2 ”紳助引退劇”にみる「街宣右翼」の正体
3 【海老蔵の負傷】「切られ与三」じゃあるまいし
4 松尾和子さんのこと
5 ある満州引き揚げ者の手記(四)地獄
6 【寄席な人々】眠れる落語家
7 喬太郎「極つる」他in”よってたかって夏らくご”(2011/7/10)
8 この噺にはこの噺家(ひ-へ)
9 【思い出の落語家17】十代目金原亭馬生
10 浜岡原発の「耐震偽装」

アクセスは1秒でも1時間でも"1”としてカウントしますが、こちらはアクセス中の滞在時間を累計したもので、中味が読まれているかどうかの傾向がつかめます。
5,6,8,9,10位の記事はアクセス数は少ないものの、じっくり読まれているということでしょう。

【検索ワード】
1 右翼
2 半井小絵
3 紳助
4 美女
5 落語
6 美人
7 海外
8 松尾和子
9 ポール牧
10 トルクメニスタン

どのキーワードを検索して当サイトを訪れているかですが、このブログの読者は美女(人)がお好きのようで、これは管理人の好みと一致しています。
1位の”右翼”と、10位の”トルクメニスタン”にはビックリですが。

【検索サイト】
1 Google 49.8%
2 Yahoo 46.1%
3 goo 2.0%

2強の圧勝!

【訪問周期】
毎日 1.3%
2日 3.4%
3日 2.9%
4日 2.0%
5日 1.5%
6日 1.8%
7日 1.3%
8日 1.6%
9日 1.0%
10日 1.0%

どの位の周期でサイトを訪れているかですが、このデータを見る限りでは訪問者のおよそ18%の人が10日以内に一度、つまり定期的に訪問されているようです。
有り難いことです。

【接続プロバイダ】
1 ocn.ne.jp 15.4%
2 dion.ne.jp 7.5%
3 bbtec.net 6.0%
4 infoweb.ne.jp 4.7%
5 plala.or.jp 4.5%

プロバイダー業界のシェアーを表しているのでしょう。

【OS】
1 Windows XP 39.3%
2 Windows 7 20.9%
3 Windows Vista 17.1%
4 MacOS-X 10.0%
5 Linux 2.2%

やはりWindowsが圧倒的で、XP→7への切り替えは順調に進んでいるようです。

【アクセス地域】
1 東京 36.1%
2 神奈川 7.3%
3 大阪 6.9%
4 千葉 4.9%
5 愛知 4.7%

東京が圧倒的に多いのは、ネットの普及率が高いせいでしょうか、それとも管理人が東京在住であることが影響しているのでしょうか。

【国・言語】
1 Japanese 93.6%
2 English 6.0%
3 Chinese 0.2%

英語圏6%は予想以上でしたが、でもどうやって記事を読んでいるのかな。

2011/08/29

落語教育委員会「喜多八・歌武蔵・喬太郎」(2011/8/27)

8月27日のハシゴ2軒目は、夕方からよみうりホールで行われた落語教育委員会 夏スペシャル「喜多八・歌武蔵・喬太郎三人会」。このメンバーでの会は1月以来だとか。その代り来月からは各地で立て続けに開き、当方も9月のにぎわい座に行く予定だ。
こちらは田町から有楽町へは山手線で移動だが、掛け持ちの喜多八殿下はきっとチャリで来たのだろう。虚弱体質は真っ赤な偽り、短パンに自転車が殿下の通勤風景だ。
それでも1月には大病を患ったのだから、やはり歳には勝てない。

<  番組  >
・三人の「オープニング・コント」
時節柄、紳助の記者会見のパロディを喬太郎が。これで客席は大喜び。
・桂才紫「宮戸川」
初見だったが、早口の上に滑舌が良くない。
このネタは昨今、妙にエロティックに演ずる傾向があるが、下手な人が演ると不快感が残る。若いうちはオリジナル通りに演じた方がいい。
・柳家喜多八「付き馬」
冒頭に、落語を演るにしてはこの会場が広過ぎると言ってたが、その通り。
花魁の「和式は嫌でありんす」のマクラを振って本題へ。
このネタで最も肝心なのは、付き馬を騙す男の人物像だ。
喜多八が描く男はとてもチャーミングで、これならプロの若い衆もついつい信用してしまうんだろうなと、聴いている側が納得できる。
それと数ある滑稽噺の登場人物の中でも、この男ほど嫌な奴はいない(「突き落し」の男らと双璧)。だから男に魅力がないと、どうしても後味が悪くなってしまう。その点、喜多八の描く男はワルだが憎めない。
吉原から雷門に至る道中の描写も良く出来ていて、男の喋りに淀みがない。
早桶屋のおやじと付き馬とのちぐはぐな会話も、目の表情を活かして快調、熱演だった。
三田での2席を終えてこの高座が勤まるのだから、この人は大したものだ。

~仲入り~
・柳家喬太郎「お菊の皿」
久々に聴いたが演出は全く変わらず、それでも十分楽しめたのは完成度が高いからだ。
青山鉄山がお菊(家臣と言ってたが女中の誤り)を折檻するシーンでのSMティックな描写、お菊の派手派手なパフォーマンス。
客へのサービスなのか、はたまた本人の「地」なのか。
後から出た歌武蔵が、「あそこまで演らなきゃいけないんですかね」と感嘆していた様に大奮闘だった。
・三遊亭歌武蔵「夏の医者」
着実に力をつけてきているのは、やはりこうした三人会を続けてきた成果だろう。
圓生の演出を踏襲した本寸法で、結構でした。
歌武蔵の民話風の大らかな語り口が、このネタに良く似合っている。
欲をいえばセリフが一本調子で、もう少し強弱をつけた方がいい。

三人三様、次回も楽しみ。

2011/08/28

#15三田落語会「喜多八・一之輔」(2011/8/27昼)

8月27日は久々に落語会をはしご。
1件目は第15回三田落語会の昼の部「喜多八・一之輔二人会」。
数ある地域寄席の中で、最も充実した会だと思う。本寸法の古典落語を、毎回二人の演者がタップリ聴かせてくれる。
毎回入場10分前から、次回の前売りの番号札を配るのだが、その列は回を追うごとに長くなり、今回は2階階段の踊り場まで続いていた。企画が良ければ、黙っていても客は付いてくる。

前座・柳亭市也「元犬」
<  番組  >
柳家喜多八「短命」
春風亭一之輔「五人廻し」
~仲入り~
春風亭一之輔「青菜」
柳家喜多八「船徳」

プログラムの案内では、一之輔が共演者として喜多八を指名したと書かれていたが、一之輔は頑強に否定していた。序列からいえば、あってはならぬことだろう。
ただどうやら一之輔の出演が先に決まり、喜多八は後から決まったのは事実のようだ。
主催者としては常に集客力を念頭に置くわけで、こんなことも起きるのだろう。

喜多八の1席目「短命」、プログラムには師匠の小三冶を尊敬していると書いているが、それは事実ではないと語っていた。
噺家の師弟関係というのは微妙なもので、この二人がクールな間柄であろうことは、なんとなく分かる。しかしとぼけた語り口や「間」に、明らかに師匠の影響は感じられる。やはり師弟は争えない。
マクラに振った「長命丸」の小咄、ここで内容を書くのは憚れるが、とても面白かったし、このネタのマクラには最適。
大店の伊勢屋の養子が、来る者来る者たて続けに一年ももたずに死ぬ。その分けを隠居が八五郎に説明するのだが、喜多八の演出は隠居が表情と手つきで分からせるという手法。
目に表情のある喜多八ならではの演出で、成功していた。
2席目「船徳」は、平凡な出来だった。
決して不出来という意味ではなく、あくまで想定の範囲内での出来だったということ。

一之輔の1席目「五人廻し」、これは実に良かった。
牛太郎の喜助を始め、職人、官員、若旦那、田舎者など客たちそれぞれの人物像がクッキリと描かれていた。
特に職人の胸のすく様な啖呵が鮮やか。
オチは通常の形ではなく、独自のオチをこしらえていたが、噺全体のリズムを壊さないよう工夫しており、成功だと思う。
このネタに関しては現役でも一之輔はトップクラスであると思われ、何年に一人の逸材であることが実感される。
2席目「青菜」、聴くたびに進化している。独自のクスグリを多用し、客席の笑いを誘う。
ただ私の好みとは方向が違う。
このネタはもっと粋にサッパリと演じるべきで、やはり6代目柳橋から当代の小柳枝、金時に至る演り方が本寸法ではなかろうか。
一之輔の高座では、時にこうした過剰演出が目につくが、どうも考え物だ。

季節感のあるネタを折り込みながらの熱演、いずれも聴きごたえがあった。

2011/08/27

「前原誠司」とは、こんな男

民主党代表選に前原誠司が立候補する。
出ないだの出るだのグズグズ言っていたが、最後は出ることに決めたらしい。
次期総理に誰を選ぶかという世論調査では常にトップに立っているが、どうも私にはこの男の良さが分からない。

2010年5月19日、沖縄担当大臣であった前原が名護市を訪問した際に、稲嶺市長の頭越しに㈱東開発・仲泊宏次会長と密会した。
ここで両者は普天間基地の名護市への移転計画について意見交換し、仲泊会長が賛意を、前原は新たな地域振興政策を提案したとされる。
今年7月9日には、今度は「新世紀の安全保障体制を確立する議員の会」の代表として前原は再び名護市を訪れているが、この時も名護市長を無視する一方、仲泊会長と面談している。
仲井真沖縄知事との会談では、どの党が政権につこうとも、辺野古移設を進めるという方針を伝えている。
米国議会の一部に、現行埋め立て案は実現性に乏しいという意見が出ていたので、前原としては現行案の推進を強調し、巻き返しを図ったわけだ。

前原が市長を無視してまで再三会っている仲泊会長は、地元建設業界のドンにして、陰の名護市長と呼ばれている人物。
会長を務める東開発社は、生コン、砂利、不動産など手広く商売を展開している。
埋め立てが行われれば、確実に利益が上がる。
米軍とも親密な関係をもっていて、現行のⅤ字型滑走路建設案は仲泊会長がまとめ上げたとのことだ。

前原らが進める名護市辺野古移設計画が実現すれば、東開発は莫大な利益が得られる。
同時に地域振興という名の「基地マネー」が注ぎ込まれて、ますます建設業者が潤うことになる。
利益の一部は政策を推進した議員らに、政治献金などで還元する。
選挙ともなれば、業界が集票マシーンとしてフル回転し、移設支持派の議員を当選させる。もちろん資金の面倒もみてやる。
かくして前原ら議員たちも、仲泊ら建設業者らも、全員がハッピーになる仕組みだ。

前原や仲泊にとって、移設に反対している稲嶺市長など邪魔な存在でしかない。
だから現地を訪れても、無視した。

それでもあなたは前原誠司を支持しますか。
(文中、敬称略)

2011/08/26

【街角で出合った美女】インドネシア・バリ島編

バリ島は「神々の島」とよばれています。
インドネシア全体ではおよそ9割がイスラム教徒ですが、バリ島だけは逆に約9割の人がヒンドゥー教徒です。
正確にはバリ・ヒンドゥーといって、バリ土着の信仰とインド仏教やヒンドゥー教が習合した独自の信仰体系で、インドとは異なりカーストも非常に緩やかだそうです。
街の至るところに寺院があり、大きなお寺では常に参拝する人をみかけました。
女性たちがお供えを入れた竹かごを頭にのせて歩く姿は優雅で、そのためにバリ島の女性は背筋が真っ直ぐで姿勢が良いとは、現地ガイドの説明です。
確かにそれは言えてます。
写真はお参りしている女性ですが、「お背中ピーン」。

Photo

バリ観光の中心地・ウブドの中央にウブド市場があり、ここでは世界各国の言葉が飛び交っていました。
その中をウェディングドレスの女性が歩いていました。
奇妙な光景なので現地ガイドにきいたところ、「結婚式はバリ島で」のキャンペイン広告の撮影だろうとのことでした。
モデルなのでしょう、カメラを向けると笑顔でⅤサインを送ってくれました。

Photo_2

     (画像はクリックで拡大)

2011/08/25

”紳助引退劇”にみる「街宣右翼」の正体

8月24日夜に島田紳助の引退が発表されるや、マスメディアはこの問題一色、例によって朝から晩まで大騒ぎしている。
いちタレントの引退など、マスコミにとっちゃあ飯のタネの大問題かも知れないが、アッシらにゃ係わりのないこって。
第一、芸能界と暴力団の関係なんて、ナンで今さらの感がある。
記者会見なんかではオープンにできない、深刻な事情が隠されているのだろう。

一つだけ気になることがあった。
それは島田紳助が暴力団員(山口組の最高幹部の一人で、同組系列の組長)と接触する契機となった出来事だ。
報道によると十数年前、関西テレビ(大阪市)制作のバラエティー番組「紳助の人間マンダラ」での島田紳助の発言をめぐり、同局に街宣車が来てトラブルになった。
芸能界を辞めようとまで悩んだ島田が、知人(元プロボクシング世界王者、渡辺二郎被告)に相談。渡辺被告が組長に話をつなぎ、トラブルは解決したという。
ほう、右翼団体の街宣活動なんていうのは、ヤクザの組長が一声かければ止めてしまうのだ。
日本の右翼団体、特に街宣右翼と呼ばれる連中の実態は、かねてより暴力団や悪質な同和団体の隠れ蓑だと言われてきた。
今回の件は端無くも、街宣右翼がヤクザのコントロール下にあることを天下に明らかにした。
右手でけしかけ左手で止めさせる事だって出来るわけだ。

そんなことが明らかになったことだけは、この騒動の功名か。

2011/08/24

「この噺にはこの噺家」ランキング

「この噺にはこの噺家」番外編(オマケ、いや蛇足かな)ということで。
本シリーズでリストアップした演目は全364席、登場した噺家は新旧で合計80名となりました。
そこで「この噺家」として選択された頻度(ポイント)のランキングを作成したところ、以下の様になりました。
ポイント数だけで噺家の優劣は決められませんが、ある程度の傾向は出ているようです。

     噺家      ポイント
1  (6)三遊亭圓生    46
2  (5)古今亭志ん生   30
3  (5)柳家小さん     29
4  (3)三遊亭金馬    27
5  古今亭志ん朝    24
6  (8)桂文楽       20
7  (3)桂三木助     14
8  (10)金原亭馬生   11
9  (8)春風亭柳枝    9
10  (8)林家正蔵      8

BEST‐10全員が物故者で、いわゆる昭和の名人上手が顔を揃える結果となりました。
選んだ人間が古いというのも理由のひとつでしょうが、現役の落語家(談志は別格として)で上記の人々を超えるような実力を持つ人は、現時点では現れていません。扇辰、喬太郎、三三、白酒、兼好、一之輔らのこれからの成長を楽しみにしています。

昭和30年代に東横落語会というのがあって、レギュラーが文楽、志ん生、圓生、三木助、小さんの5人でした。上記の結果をみると、やはりこの5人のポイントが高い。
なかでも圓生は断トツで、あらゆるジャンルの演目を高い水準で演じた実力の反映です。
志ん生や小さんは持ちネタが多く、その分持ちネタが少なかった文楽や、50代で早死にした三木助を数で上回っています。
馬生と柳枝も50代で亡くなっていて、長生きしていれば落語界の地図も変わっていたかも知れません。
彦六の正蔵は独特の語り口で、人情噺や怪談噺に足跡を残しています。
金馬は滑稽噺の名手で、その明るく解かりやすい芸は戦後ラジオを通して、全国津々浦々に落語の魅力を普及させました。当時の落語ファンの多くは金馬ファンでした。
志ん朝は何を演らせても上手い人でした。
サラリーマン現役時代、休日の度に都内や近県での独演会を追いかけていた思い出が残ります。

2011/08/23

「この噺にはこの噺家」全リストについて

「この噺にはこの噺家」全363席のリストをアップしようと試みたのですが、どうも上手くいきません。
もし入手をご希望される方がおられましたら、最終回のコメント欄に「リスト送付希望」と書いて、メールアドレスを記入の上、送信してください。アドレスは公開しませんので、ご安心ください。
”Ecxel”形式なので、ご自分の「この噺にはこの噺家」を作成するのに使ってみたらいかがでしょうか。

2011/08/22

この噺にはこの噺家(補遺)最終回

麻のれん  入船亭扇橋 
あんま小僧  (7)橘家圓蔵 
うなぎ屋  (5)柳家小さん 
馬の田楽  (5)柳家小さん 
江戸の夢  (6)三遊亭圓生 
喜撰小僧  (8)春風亭柳枝 
紀綿散(素人易者)  (7)橘家圓蔵 
佐野山  (10)金原亭馬生 
七面堂  橘家圓蔵 
芝居の喧嘩  春風亭一朝 
虱茶屋  (8)雷門助六 
旅の里扶持  (8)林家正蔵 
茶釜の喧嘩 (2)三遊亭円歌 
鼓ヶ滝  笑福亭鶴光 
二人旅  (5)柳家小さん 

 

改めて見直したら扇橋の名前がなく、「麻のれん」を落としたことに気付きました。

ついでに他のネタについても漏れがあったことが分かり、「補遺」として表示しています。

7代目圓蔵は飄々とした佇まいで珍しいネタをかける人でした。弟子は上から初代三平、当代圓蔵、当代文楽と続きますが、芸風がみんなバラバラです。

8代目助六は落語より一席終わった後の「あやつり踊り」が楽しみでした。見る落語家です。

 

寄せられたコメントを参考に改めて聴き直したり、記事をアップ後に落語会などの高座に接した結果を踏まえ、以下のように直します。

「厩火事」志ん朝を小三冶に

「子ほめ」雲助を8代目柳枝に

「反対俥」10代目文治を遊雀に

各々変更します。

又、ブランクにしていた

「お血脈」に10代目文治を

「蛙茶番」に一朝を

「ふぐ鍋」に2代目小南を

各々加えます。

なお、訂正版については日を改めて一覧表示する予定です。

 

今回をもって本シリーズは最終回となります。

1回目に書いた通り、いち落語好きが自分の整理のために始めたもので、何かを推薦するといった大それたものではありません。

気楽な気持ちでスタートしたのですが、思った以上に手間がかかる作業でした。

「よせば良かった舌きり雀 ちょいと舐めたが身の因果」ってな処です。

最後に、ご気付きやご意見を寄せて頂いた皆様に感謝いたします。

2011/08/21

松井誠・ひとり芝居「花顔」(2011/8/20昼)

大衆演劇というのはかつて庶民の娯楽のひとつだった。私が生まれた東京中野の町には常設の小屋があったし、母の実家である神奈川の農村では小学校の講堂を臨時の小屋として、大衆演劇の劇団が廻ってきた。
泪と笑いの股旅ものと歌と踊りというプログラムで、芝居のほとんどはアドリブだったと思う。
今でも大衆演劇は健在で、一部の熱狂的ファンによって支えられているようだ。
その中から多くのスターも輩出し、メジャー進出を果たしているが、松井誠はその代表格といって良いだろう。TVで見た限りでは、容貌の美しさと踊りが武器のようだ。
その松井誠・ひとり芝居「花顔(はなのかんばせ)」を、妻の「本当にあんたはミーハーね」という非難の声を背に、紀伊国屋ホールの8月20日昼の公演に向かう。
予想はしていたが会場は年配のご婦人で溢れ、ここでは私など洟垂れ小僧だ。

脚本:堀越真
演出:北村文典
出演:松井誠

物語は、戦後間もない昭和26年の東京のある大劇場の楽屋。戦前からその美貌と演技力で一座の花形だった女形役者も50歳になっていた。
芝居では名前こそ出さないが、脚本家が大笹吉雄著「花顔の人-花柳章太郎伝」を参考にしたとあるから、モデルは新派の名優・花柳章太郎ということになる。
舞台はこの楽屋で鏡台に向い、楽屋を訪ねてくる様々な人たちと会話しながら、自らの加齢や、観客が女形より本物の女優を好むようになる時代の流れを感じていく。
その中で時に苛立ち、時にかつての栄光を偲び、時に希望を抱きつつ、やがて自らの進む道を見出して行く。
水谷八重子との確執や、山田五十鈴との不倫やその後の破たんなどのエピソードを軸に、「天守物語」「十三夜」「婦系図」「太夫さん」の名場面を劇中に折り込みながら、物語は娯楽性豊かに進行する。
明らかに「化粧二幕」を踏まえていると思われるが、脚本は良く出来ている。

松井誠は、劇中劇で演じる天守夫人、士族の娘、芸者、妓楼の4役で見せた演技力はさすがだ。
特に「湯島」で演じた、お蔦主税の一人二役の演技は見事だった。別れ話を切り出された途端に、堅気の女房から元の芸者にふっと戻る姿が哀れを誘う。
松井誠の魅力は長身を活かした、後ろ姿の美しさだ。特に背中から腰、膝までの曲線の美しさは溜め息が出そうになる。

ただ問題なのは、セリフ回し。
特にアクセントがひどい。九州出身のためか訛りもある。
劇中劇のセリフはマトモなのだから、訓練すれば克服できる筈だ。
セリフを噛むシーンも二桁に達しており、このままでは一人芝居を演じる水準とは言い難い。
役者の基本である発声・発音の基本練習を怠ってきたものと思われるが、これを矯正しようとしなかった演出家(北村文典)の責任も大きい。
せっかくの芝居に水を差す結果になっていたのは残念だ。

もっとも松井ファンのご婦人客は、その姿を観ただけで満足していたようだが。

公演は22日まで。

2011/08/20

この噺にはこの噺家(や-ん)

やかん (5)春風亭柳朝 
やかんなめ 柳家小三冶 
厄はらい  (8)桂文楽 
弥次郎  (6)三遊亭圓生 
安兵衛狐  (5)古今亭志ん生 
宿屋の仇討ち (3)桂三木助 
宿屋の富  立川談志 
柳田格之進  古今亭志ん朝 
柳の馬場  (8)林家正蔵 
薮入り  (3)三遊亭金馬 
山崎屋  (3)三遊亭金馬 
夕立勘五郎  古今亭志ん輔 
雪の瀬川  柳家さん喬 
夢金  古今亭志ん朝 
夢の酒  (8)桂文楽 
湯屋番  (3)三遊亭金馬 
よかちょろ  (8)桂文楽 
四段目  (2)三遊亭円歌 
淀五郎  (6)三遊亭圓生 
寄合酒  (3)三遊亭金馬 
らくだ  (8)三笑亭可楽 
ラブレター  (4)柳亭痴楽 
悋気の独楽   
悋気の火の玉  (8)桂文楽 
六尺棒  (9)桂文治 
ろくろ首  (5)柳家小さん 
藁人形  (5)古今亭今輔 
ん廻し  (6)三遊亭圓生 

 

今回は8代目文楽の名が目立ちます。黒門町の十八番というと、「富久」「船徳」「明烏」などの大ネタが思い浮かぶのですが、ここにあげた「よかちょろ」や「悋気の火の玉」は、いかにも文楽らしさが出ていると思います。
演じ手の多い「やかん」は、談志か柳朝か迷いましたが、八五郎のいかにも江戸っ子らしい気風の良さで5代目柳朝です。但し後半の講釈だけをとれば断然金馬。
「宿屋の富」は、二番富が当たると信じている兄ぃの造形が見事な談志。
「四段目」は、蔵に入れられる小僧がなんとも可愛らしい2代目円歌。普通は圓歌ですが、この人だけは円歌。噺家の名前は難しい。
「湯屋番」はこのネタに相応しく明るくて解りやすい3代目金馬。三遊なのに「奴湯」で演っていますが。
「淀五郎」の圓生、「寄合酒」の金馬、「らくだ」の可楽は鉄板です。
面白いのは若かりし頃の志ん生が、この「ラブレター」や「桃太郎」をしばしば高座にかけていたそうですが、音源が残っておりません。

「夕立勘五郎」で志ん輔が初登場ですが、どうも何を演っても志ん朝を比べてしまい、この人には点数が辛くなります。
「悋気の独楽」は、東京の落語家の市販音源が見当たらず、現役の出来も今ひとつなのでブランクにしています。どなたか推薦があったら教えてください。

これで“あ~ん”まで終わりましたが、いくつか抜けている演目がみつかり、次回に「補遺」としてリストアップします。
そこで最終回となりますので、もう一回お付き合いください。

2011/08/18

【寄席な人々】「名人」は遠くなりにけり

初めて寄席へ連れていかれたのは小学校低学年の時。
何度か行くうちに、観客としての作法のようなものは、周囲の大人たちを観察しながら身につけていったような気がする。
その一つに拍手の仕方があった。
子どもながらに、見よう見まねで覚えたのは、次のようなものだった。
・噺家が高座に姿をみせた時の拍手は、「待ってました」の迎えの拍手。お気に入りや贔屓にしている噺家に対する特別の拍手。
・座布団に座って最初に頭を下げたときの拍手は、期待の拍手。
・一席終わって最後に頭を下げたときの拍手は、評価の拍手。
とまあ、ざっとこんな感覚でとらえていた。

当時は前座に拍手する人は稀で、2,3人がパラパラとやる程度だった。そりゃそうだ、向こうは修行のために客の前で落語を演らせて貰っているわけだから、客としては勝手におやんなさいだ。
二ツ目から真打へと進むに従って拍手の数がだんだん増えてくるが、知らない芸人や気に入らない芸人には、拍手をしない人が多かった。
その代り、出来が良かった面白かった時は大きな拍手が送られた。
今は「受ける」というと「笑いが取れる」と同意語になっているようだが、あれはもしかすると「拍手を受ける」から来ているのではなかろうか。
芸人への期待も評価も全て拍手がバロメーターだったし、客はシビアだった。

私は今でも前座には拍手をしない。
だから開演して前座が登場するや、いきなり盛大な拍手を浴びていたりすると違和感がある。
最近のお客はとても優しい。
誰かれとなく出てくる芸人には、ほぼ平等に拍手している。一席終えたあとも、出来不出来にかかわらず一斉に拍手で送る。
でもどうだろう、あれでは噺家が自己評価できないのではなかろうか。
受けたかどうか拍手で分からなければ、笑いの大きさや頻度、つまり笑いが取れたかどうかで判断することになりはしまいか。

ここで志ん朝の「文七元結」のマクラ(1982年本多劇場での録音)で語った名人論を思い出す。
「大変にお上手だとか、上手いという方は多くいらっしゃいますけど、やっぱり名人という方は、一人もいないんじゃないかと」と志ん朝は言っている。
その理由として、今は仲間うちでもあまり厳しいことはお互いに言わなくなった。厳しいことを言うと周囲から敬遠される。言って恨まれては損だから、他人が厳しいことを言わなくなってきているという事を挙げている。
志ん朝はここで落語家の仲間うちについて述べているのだが、観客についても同様の傾向があると思う。
あるいは世の中全体が、そういう風潮になっているのかも知れない。
その結果として、志ん朝はこう続けている。
「だから・・・、自由な芸というのはどんどん生まれますな」。
大衆芸能である落語は、観客によって大きく左右される。客が落語家を育てる。
志ん朝のこの高座から約30年、優しい客のもとで自由な芸がどんどん生まれている。

志ん生は「寝床」の中で、「褒めるってぇことほど、芸をダメにするもなぁありません」と言っている。
かくして、「名人は遠くなりにけり」。

2011/08/16

【街角で出合った美女】インドネシア・ジャワ島編

インドネシアの首都ジャカルタから西へ飛行機でおよそ1時間で、ジャワ島中部の街ジョグジャカルタに着きます。
オランダからの独立戦争の一時期は首都となった都市ですが、現在は王宮文化を色濃く残す古都として知られています。
ジャワ島観光の中心都市であり、大学や研究機関が集中している学研都市でもある点では、日本の京都と似ています。
今もスルタンが王宮に住み、世襲制で州知事を務めています。
近郊にはボロブドゥールとプランバナンという、インドネシアを代表する二つの世界遺産があります。
8-9世紀のほぼ同時期の同じ地域に、ヒンドゥー教と仏教という異教の巨大な宗教施設が建てられてというのは、世界的にも例が無いと思われます。
寺院見学なので本来は服装制限があるのですが、この遺跡ではとにかく全員に腰巻を巻くというやり方で対処しています。
写真のような可愛らしい女性に腰巻を巻いてもらうのは、なんだか嬉し恥ずかし、ビミョーに気持ちイイ。

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王宮の近くには水の離宮があります。
かつてここで美女を水浴びさせ、それをスルタンが眺めながらベッドを共にする女性を選んでいたという、実にウラヤマシ、じゃなかった、ケシカラン施設だったようです。
もちろん今は使われていないし、現在のスルタンは奥方一人だけ。
ただお子さん全員が娘さんで嫡子がおらず、後継者問題に悩んでおられるのは、我が国の皇室と事情が似通っています。
写真はその水の離宮に見学に来ていた少女たちで、高校生でしょう。

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(クリックで画像が拡大)

2011/08/15

この噺にはこの噺家(ほ-も)

坊主の遊び  三遊亭圓歌 
棒鱈  (5)柳家小さん 
庖丁  (6)三遊亭圓生 
星野屋  (8)桂文楽 
堀の内  (4)三遊亭圓遊 
本膳  (5)柳家小さん 
松曳き  桃月庵白酒 
松山鏡  (8)桂文楽 
豆屋  (10)桂文治 
万金丹  (5)三遊亭圓楽 
万病圓  (3)三遊亭金馬 
木乃伊取り  入船亭扇遊 
味噌蔵  (4)春風亭柳好 
三井の大黒  (3)桂三木助 
宮戸川  (8)春風亭柳枝 
名人長二  五街道雲助 
妾馬(八五郎出世)  (5)古今亭志ん生 
目薬  春風亭小朝 
目黒のさんま  (3)三遊亭金馬 
もう半分  立川志の輔 
もぐら泥  柳家喜多八 
元犬  (5)古今亭志ん生 
百川  古今亭右朝 
桃太郎  (4)柳亭痴楽 
紋三郎稲荷  入船亭扇辰 

 

 「棒鱈」の小さん、「庖丁」の圓生、「星野屋」の文楽、「堀の内」の圓遊(志ん朝も捨て難いが)、「三井の大黒」の三木助、いずれも他の追随を許さぬ極め付けと言って良いでしょう。こうしたネタは演者の選択が楽です。
対照的なのは「妾馬」でズラリと名演が揃っていて、志ん生、圓生、先代・馬生、志ん朝と、どれを採っても超一流。なかでも八五郎の母親や妹に対する心情を不器用に演じている志ん生が優れています。酔っぱらって殿様の前で都々逸を唄うシーンが実に良い。
このシリーズで度々名前が出ている8代目柳枝ですが、この人の最大の特長は「ほどの良さ」だと思います。「宮戸川」は演じ手が多く、近ごろはまるで艶笑譚のような、くどい演出が目立ちますが、あれは邪道。やはり柳枝のように、ほど良く粋に演じて欲しいものです。

今回は初登場が目立ちます。これにはシリーズも終盤を迎え、一人でも多くの噺家を出したいという当方の思惑が反映されているのかも知れません。
先ずは4代目柳好、華やかな3代目に隠れがちですが、独特の語り口には根強いファンが多い。「味噌蔵」ではサラリとした芸を聴かせてくれます。
「名人長二」で雲助が初登場などというと、ファンに叱られそうですが、持ちネタの多くが過去の名人上手と重なっているため名前が出なかったのです。実力は現役トップクラスの折り紙つきです。
「木乃伊取り」扇遊と「紋三郎稲荷」扇辰と、入船亭二人も初で、「もぐら泥」喜多八と共に人気・実力を兼ね備えた中堅真打が並びました。
「百川」は圓生や志ん朝の名演がありますが、真打に上がり立ての右朝のあの瑞々しい高座が忘れられません。師志ん朝に先立つ数か月前に早逝してしまったのは本当に惜しい、口惜しい。

他に「目黒のさんま」も新旧あわせて多数の演じ手がいますが、これは3代目金馬が最も優れています。金馬はマクラを除く本筋をたった6分で終わらせ、しかも一番面白い。
近ごろ短くて済むネタを長く伸ばして演る傾向があり、客は中味が水増しされた薄味の噺を聴かされることになります。
それと本筋に関係ないマクラをダラダラと聴かされるのは、苦痛以外の何ものでもない。
どちらも改善の必要があると思います。

2011/08/14

鈴本夏まつり「吉例夏夜噺 さん喬・権太楼」(2011/8/13)

お暑い盛りでございます。
恒例の鈴本演芸場8月中席夜の部・お盆興行は「吉例夏夜噺 さん喬・権太楼」、ここ十数年にもなるか、欠かさず来ている。その8月13日の回へ。
10日間前売り完売は結構なことだが、10年以前はこれも恒例だった浅草演芸ホール昼席で志ん朝のトリ、そして「住吉踊り」を観てから地下鉄で上野へ出て、ここ鈴本夜席にギリギリ間に合った。
その当時は前売りも指定も無かったから、運が良けりゃ最前列に座れたんですよ。
どうです、ウラヤマシイでしょ。
落語ブームだなんだって言うけど、アタシらにとっちゃぁ何も良いことは有りませんね。

<  番組  >
・柳家喬之助「寄合酒」
いつ観ても変わらない、ってぇコトは進歩がないというコト。
こういうネタはテンポが大事。モタモタ喋っているからサッパリ面白くない。
・三増紋之助「曲独楽」
この7月に亡くなった師匠・紋也もそうだったが、一昔前の曲芸師というのはほとんど喋らず、静かに芸を披露していた。
寄席の色物という役割を心得ていたんだろう。
好みによるだろうが、そういう芸に江戸の「粋」を感じるのだが。
・春風亭正朝「悋気の火の玉」
決して不出来とは言えないのだが、今ひとつ感心しない。
ご存知、黒門町の十八番で、このネタもテンポとリズムが大切。
文楽は一気呵成に口演時間はマクラを含めて12分、そういうネタなのだ。
12分のとこを仮に15分かけようとすると、そのぶん間延びしてしまう。
・ホームラン「漫才」
若手の勢いのある漫才もいいが、こういう年季の入ったコンビの芸はやはり一段上だ。
芸の奥行きが違う。
・桂藤兵衛「金釣り」
地味ながら安定感があり、寄席にはなくてはならぬ噺家の一人。
出だしは「鷺捕り」かと思ったが、珍しい「金釣り」(多分このタイトルでいいと思うけど)。
釣り竿の先に硬貨を付けて、札束を釣ろうという奇想天外な発想が愉快。
・柳家喬太郎「夫婦に乾杯」
今日は新作だろうと思っていたら、予想通り。
ただ自作ではなく、昇太の作品らしい。
ストーリーは、会社で新商品のネーミングについてアイディアを出し合っている内に、一人の社員が家で妻と会話しているのはオカシイと周囲から指摘される。ふつう夫婦は家では会話しないんだと諭される。
自宅へ戻ると、やはり仲が良い間柄なので、ついつい会話が弾んでしまう。
そこで夫の方は、いきなり妻に無理難題を言い立て、反目状態に・・・。
まあ筋書はそれほど面白いもんじゃないが、喬太郎の語り、特に夫婦の会話にリアリティがあり、話芸の力だけで面白く聴かせてくれた。
さすがである。
・柳家小菊「粋曲」
三味線を片手に高座を下がっていく姿を見るだけで、グッとくる。いつ見ても色っぽい。
チキショー、吉川潮め!
芸の抽斗が多く、レベルも高い。
これだけの音曲師、果たして後継者は育つだろうか。
・入船亭扇遊「一目上り」
この日は特別興行ということで前座が出なかったが、仲入り前で扇遊が前座噺を演じてくれた。グッド・チョイス。
やはり扇遊が演じると、「一目上り」ってこんなに面白かったっけという具合になる。

-仲入り-
・林家正楽「紙切り」
「なでしこジャパン」のリクエストで切った澤穂希が上出来。
・柳家さん喬「肝つぶし」
これが聴きたくて、今日を選んだ。
ストーリーは。
民が恋患いになった。
民の兄貴分という男が、相手は誰かと訊くと、夢で見た女だという。
医者に診せると、亥の年亥の月亥の日に生まれた者の生き肝を呑ませれば助かると言う。
兄貴分とその妹というのが、子供の頃に両親を亡くしたのを、民の父親が引き取って育ててくれたのだ。恩返しを誓ったものの、その父親は既に他界している。
兄貴が家に帰ると、ちょうど妹のお花が遊びに来ていた。
世間話をしているうちに、このお花が亥の年月のそろった女だったことが分かる。
民の父親への恩義のためには民を助けたい。しかし生き胆を得るためには妹を殺さねばならぬ。
悩んだ末に、兄は遂に包丁を持ち出し・・・。
さん喬の演出は、恩人への恩義と肉親への愛情との間で板挟みになる男の苦悩を鮮やかに描く。
お花の無邪気な振る舞いが、兄の苦悩を一層増幅させ、観ている者の心を打つ。
期待通りの会心の一席。
・鏡味仙三郎社中「太神楽曲芸」
・柳家権太楼「鰻の幇間」
野幇間の一八が客をつかまえて鰻をご馳走になるまでの歓喜と、客に逃げられ料金まで支払う羽目になるときの落胆、権太楼は独自のクスグリを入れ込んで実に楽しい一席に仕上げた。
歯ごたえのある蒲焼を食う所作や、杯が片方は酒屋の三河屋だがもう片方は金子葬儀社(我が家の近所に実在しているから可笑しかった)だったり、床の間の掛け軸がヨシオ君の書初めだったり、それぞれが秀逸。
ヨシオ君は二階の座敷でメンコまでして、大活躍だった。

「吉例」の名に恥じない熱演が揃い、充実した8月中席だった。

2011/08/12

ひとり芝居「杉村春子物語~忘れ得ぬひと~」(2011/8/11昼)

ブログをやらせて頂きます。
アタシの話ってぇのは、初めはあんまり面白くない。
中程までいくと退屈しますが、これがお終いまでいくってぇと眠気を催します。
と、先ずは4代目柳好流に再開宣言。

8月11日昼、紀伊国屋ホールで行われた二宮さよ子のひとり芝居「杉村春子物語~忘れ得ぬひと~」へ。
高齢者が多いのと、着こなしの良い着物姿のご婦人が目につく。
名優の舞台は出来るだけ観るようにしているが、杉村春子は観そこなってしまったというのが観劇の動機。
本作品は2007年に初演、今回が再演。

脚本:石川耕士
演出:栗田芳宏
出演:二宮さよ子

文学座における杉村春子というのがあまりに偉大過ぎて、脚本の石川耕士にとっても、25年間彼女を師と仰いだ二宮さよ子にとっても、雲の上のような存在だったのだろう。
その思い入れが深すぎるのか、脚本も演技(熱演だったが)も空回りして、意図がこちらに伝わってこない。
作品を通して観客に何を訴えたかったのか、最後まで不明瞭だったように思う。
杉村春子自身の「女の一生」を描くでもなし、そこに二宮さよ子の人生が投影されているわけでもない。
最終幕の「ふるあめりかに袖はぬらさじ」のシーンのみが印象に残る、単調な芝居になってしまった。

それと一人で2時間を超す長丁場の芝居なので、もう少し娯楽性が欲しい。
冒頭の柳好のマクラじゃないが、少々退屈した。
現に私の席の両隣と前の席のオジサンたちは、ほとんど熟睡状態だった。
台本も演技も、いちど杉村春子への過剰な思い入れを外して、客観的な視線で杉村の波乱の人生を描き直してみたらどうだろうか。
一人芝居の「化粧二幕」に匹敵するような作品が生まれる可能性は十分あると思うのだが。

2011/08/07

夏の特選落語名人会(2011/8/6)

8月6日よみうりホールで行われた「夏の特選落語名人会」、小朝・小遊三・昇太の出演ということで、いわゆる落語通ってぇ人は先ず来ないんでしょうね。
アタシは通じゃないから、いそいそと出かけた。
時節柄、電車にも浴衣すがたの若い女性がチラホラ。横に座っていたオジサンふたり連れが、「ああいうの見ると欲情するんだよな」などとケシカラン事をしゃべっていた。
<  番組  >
三遊亭歌武蔵「大安売り」
春風亭小朝「お菊の皿」
~仲入り~
春風亭昇太「二十四孝」
三遊亭小遊三「引越しの夢」

始めに3人のマクラから。
歌武蔵は相撲ネタ、昇太は独身ネタと海外旅行ネタ、小遊三は「笑点」ウラ話と、それぞれ十八番のマクラで、持ち時間の半分(それ以上)を稼ぐ。
それぞれ完成度が高いし、あまい客席は大喜び。
こうなると肝心の演目のほうが付け足しみたいな印象になる。
アタシの後ろの席にいた女性客らは、小遊三のマクラが終わると帰ってしまった。

サラが歌武蔵とは豪華だ。もっとも初めてという人が多かったようだが。
相撲の八百長は昔からあって、今になって騒がれるのはやり方が下手になったからだと言っていたが、その通り。
何度もいうようだが、大相撲はスポーツじゃない、見世物だ。やれ公益法人だの国技だのにしちゃったのが、そもそもの間違い。
「大安売り」は本来はマクラに使われる小咄で、サラッと終わってお後と交代。

小朝「お菊の皿」。場内を暗くしたので、今日は怪談噺かと期待したが、軽くマクラを振ったので、これは違うなと。小朝といえば怪談噺を演らせたら、当代屈指の語り手なんだけどねぇ。
それじゃ何で場内を暗くしたのかというと、幽霊に出るお菊の人気に目をつけたプロダクションが、アイドルとして売り出すという筋書き。
いちど暗転させたあとスポットを当てて、唄に合わせて座り踊りながらAKB48ばりの振り付けでダンスを披露するという趣向だった。
本日の客筋を意識しての演出なのだろう、客席は大受け。
”けれん”だけど、小朝ほどの大看板が見栄も外聞もなくこうしたチャレンジをする、そのサービス精神をアタシは評価したい。
久々に小朝の”ヤル気”を感じた一席。

昇太の「二十四孝」、アタシは初めて。
唐土の24人の親孝行のうち、この落語に出てきたのは次の5つのエピソード。
・王褒と雷
・王祥と鯉
・孟宗と筍
・呉猛と酒
・郭巨の釜掘り
八五郎が大家から親孝行を諭されて家に戻るところまでは通常通りだが、途中で辰に出あって親孝行を説く場面で、先の5つのエピソードが全てごちゃ混ぜになるという独自のクスグリを入れていた。
オチは「呉猛と酒」で、おっかさんが「よっぴて扇いでたんだよ」。
寄席では部分的にカットされることの多いネタだが、この日は久々にフルバージョンで聴けた。
前半はやや平板だったが、後半になるに従って弾けてきて、なかなか面白かった。

小遊三の「引越しの夢」も初。
古典をたっぷり演って全員寝かせると宣言してネタに入ったが、商家の奉公人たちの姿、特に番頭の好色ぶりが鮮明に描かれていて、良い出来だったと思う。少なくとも寝ている人は見かけなかった。
ただトリのネタとしては軽くてやや不満が残ったが、こういう会だから致し方ないんでしょう。

このメンバーの会は毎年のように来ているが、今年は充実していたように思う。
小朝の独演会もここ数年遠ざかっていたが、久しぶりに行ってみたい気分になった。

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