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2011/08/18

【寄席な人々】「名人」は遠くなりにけり

初めて寄席へ連れていかれたのは小学校低学年の時。
何度か行くうちに、観客としての作法のようなものは、周囲の大人たちを観察しながら身につけていったような気がする。
その一つに拍手の仕方があった。
子どもながらに、見よう見まねで覚えたのは、次のようなものだった。
・噺家が高座に姿をみせた時の拍手は、「待ってました」の迎えの拍手。お気に入りや贔屓にしている噺家に対する特別の拍手。
・座布団に座って最初に頭を下げたときの拍手は、期待の拍手。
・一席終わって最後に頭を下げたときの拍手は、評価の拍手。
とまあ、ざっとこんな感覚でとらえていた。

当時は前座に拍手する人は稀で、2,3人がパラパラとやる程度だった。そりゃそうだ、向こうは修行のために客の前で落語を演らせて貰っているわけだから、客としては勝手におやんなさいだ。
二ツ目から真打へと進むに従って拍手の数がだんだん増えてくるが、知らない芸人や気に入らない芸人には、拍手をしない人が多かった。
その代り、出来が良かった面白かった時は大きな拍手が送られた。
今は「受ける」というと「笑いが取れる」と同意語になっているようだが、あれはもしかすると「拍手を受ける」から来ているのではなかろうか。
芸人への期待も評価も全て拍手がバロメーターだったし、客はシビアだった。

私は今でも前座には拍手をしない。
だから開演して前座が登場するや、いきなり盛大な拍手を浴びていたりすると違和感がある。
最近のお客はとても優しい。
誰かれとなく出てくる芸人には、ほぼ平等に拍手している。一席終えたあとも、出来不出来にかかわらず一斉に拍手で送る。
でもどうだろう、あれでは噺家が自己評価できないのではなかろうか。
受けたかどうか拍手で分からなければ、笑いの大きさや頻度、つまり笑いが取れたかどうかで判断することになりはしまいか。

ここで志ん朝の「文七元結」のマクラ(1982年本多劇場での録音)で語った名人論を思い出す。
「大変にお上手だとか、上手いという方は多くいらっしゃいますけど、やっぱり名人という方は、一人もいないんじゃないかと」と志ん朝は言っている。
その理由として、今は仲間うちでもあまり厳しいことはお互いに言わなくなった。厳しいことを言うと周囲から敬遠される。言って恨まれては損だから、他人が厳しいことを言わなくなってきているという事を挙げている。
志ん朝はここで落語家の仲間うちについて述べているのだが、観客についても同様の傾向があると思う。
あるいは世の中全体が、そういう風潮になっているのかも知れない。
その結果として、志ん朝はこう続けている。
「だから・・・、自由な芸というのはどんどん生まれますな」。
大衆芸能である落語は、観客によって大きく左右される。客が落語家を育てる。
志ん朝のこの高座から約30年、優しい客のもとで自由な芸がどんどん生まれている。

志ん生は「寝床」の中で、「褒めるってぇことほど、芸をダメにするもなぁありません」と言っている。
かくして、「名人は遠くなりにけり」。

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コメント

ご指摘の通りで、「名人」についての志ん朝『文七元結』のマクラは印象的ですね。
真打の件について、「昔は真打になるのは大変だった・・・今では噺家になってぼんやりしていると誰でもなれる・・・」というような言葉もありました。
何か小言を言うと煙たがれるから皆が言わなくなるのは、芸能の世界での芸人の成長を考えると、大きな問題だと思います。
團菊爺も必要なのです。立川流に顕著なバブルな観客のチケット争奪戦や、人気者の登場する落語会での過度な拍手や笑い、これらは噺家を育てるどころか甘やかすことにしかならないでしょう。
私も、ブログへの反論のコメントなどは気にせず、もっと小言を言おうと思っています。

小言幸兵衛様
賛意頂き恐縮です。
落語が他の芸能と大きく異なるのは、演者と聴き手との双方向性だと思うんです。
客の反応をみながらその日のネタを決め、さらに反応をみながら演出も変えてゆく。
寄席の観客というのは単なる受け手ではないんですね。芸人と一緒になってその日の高座を造っていく。
客の質が上がらなければ、落語家の質も上がりません。
芸人のこれからの成長を考えるなら、時には恥をかかせる必要もあると思うんです。
お名前の通り、これからも幸兵衛さんにはドシドシ小言を言って頂きたいのです。

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